「ふ……くくく」

 俺の目の前には目玉焼きを乗せたトーストが二枚とコーヒーが並べられている。

 フィーの野郎に給仕された、俺の朝食だ。

「ハハハハハ!! なんという豪勢な朝メシっ! これは、神が俺の普段の善行を見守っていてくれたとしか思えねぇっ! 神様っ、今日の糧をありがとう!!」

「それが本当だとしたら、ずいぶんとしみったれた神様もいたもんですね」

 別の客にモーニングセットを運んでいたフィーがぼそっと突っ込みを入れてきた。

 ちなみに、そのトレイの上に載っているのは、少なくともトーストと目玉焼きだけよりは上等な食事。

 くっ……いいんだよっ。普段、カビが生えるかどうかっていう賞味期限切れのパンが朝食の俺にとっちゃあ、十分なご馳走だっ。大体、あれだ。ある意味、これだけで幸せを感じられる俺って、すげぇラッキー?

「よし。自己弁護完了。いただきます」

 はむっ、と目玉焼きトーストにかぶりつくと、脳天を突き抜けるような美味が俺の舌の上で暴れまくる。

 そこにコーヒーを流し込むと、これだけでここはどこの天国だ、と聞きたくなった。

「うわぁ。本当にすごく幸せそうですね」

「ふっ。当然だろう。いつか見てろ。今はまだこんなもんだが、近い将来、朝っぱらから三センチはある豪勢なステーキを食える身分になってやっからな」

「それは胃がもたれそうですね」

「羨ましいか」

「別に。ぜんぜん。第一、うちは朝からステーキなんてやってませんよ、ゼータさん」

「なんだ、しみったれた食堂だ……なぁっ!!?」

 風切り音が聞こえたと思ったら、俺の耳の数ミリの所を包丁が過ぎ去っていった。

 それは勢いを一切殺さず、俺が手を伸ばそうとしていた二枚目のパンを串刺しにする。

 恐る恐る後ろを見てみると、厨房で料理を作っているはずのフィーの母親、オリヴィアさんが背後に黒いオーラを立ち上らせながらこちらを見ていた。

「ゼータさん? しみったれた……なんですって?」

「な、なんでもありません。はい」

「そうですか。ちょっとお金が入るようになったからって、あまり調子に乗ったこと言ってるとぶっ飛ばしますからね?」

 俺は、カクカクと人形のように首を縦に振る。

 なにせ、この投擲術を見ただけでも並じゃないのだが、オリヴィアさんはマスタークラスの魔術師でもある。

 ほとんど伝説上の存在となっている魔術師。それもマスタークラスともなれば、軍の一個師団くらいは楽に滅ぼす。

 俺なんぞ、歯向かおうものなら一秒で消し炭だ。

「……また、ゼータさんは命知らずなことを」

「うるせぇ。それより、あっちで客が待っているぞ。とっとと行け」

「わかってますよ。まったく。ゼータさんは人の仕事の邪魔をするのが好きなんですから」

「俺か!? 俺のせいなのかっ!?」

 あまりに理不尽な事を言うだけ言って、フィーは『ごめんなさーい』と可愛らしげな声を出して客にところに小走りで向かう。

「ちっ、フィーのやつ……」

 突き刺さっている包丁を苦労して抜いて、朝食に戻る。

 最近、未発見の秘跡を開拓し、ちょっとだけ懐が暖かくなっている秘跡狩り(ルインハンター)。俺、ゼータ・エヴァーシンの朝は、こうやって始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい秘跡を発見することは、ルインハンターなら誰でも夢見る。

 未発見の秘跡ならば、それだけで新しい秘術や秘宝の類が眠っている可能性が高いし、しかも発見者は三ヶ月の間、独占的にその秘跡を探索することが出来る権利が与えられる。

 セキュリティの類が生きていて、しかも深層にまで及んでいる秘跡ならば三ヶ月程度で全て探索することは不可能だし、だからこそ多くのハンターがそういった既存の秘跡を飯の種にしているのだが、ごく表層をさらうくらいならば三ヶ月でおつりがくる。

 そして、俺も新発見の恩恵にあずかり、とりあえずつい先日第一層の探索を完了した。

 成果は、未発見の秘跡としては下の下という、あまり喜ばしいものではなかったが、しかしつい一週間前の無収入に近い状態に比べれば目もくらむような金額が懐に転がり込んだ。

 まあ、八割方は、風月亭へのツケの支払いに消えたのだが……

「ふっ、しかし、ちゃんと今後の活動資金に二割は残してもらったしな」

 まだまだまだ、風月亭への借金は残っているが、これからセキュリティが生きている下の階を探検することでそれもすぐに消えるだろう。

 風雨にさらされることも、獣が侵入することも多い第一層はセキュリティが死に、価値もわからない山賊やケダモノにけっこう荒らされていたが、これより下は魅力あふれる秘宝があるに違いない。

 自然、笑みが漏れてくる。

「ぐふっ、ぐふっ、ぐ……ふふふふふふふふふ」

「なに不気味な笑い声を上げているんですか」

「どわぁっ!?」

 一人のはずの部屋に、突然響いた声に驚いて、俺はみっともなく飛び上がった。

「ふぃ、フィー、か?」

「……他に誰か来たりするんですか、この部屋」

「む」

 確かに。

 この屋根裏部屋をちょっと掃除しただけの部屋は、お気に入りである屋上へ上るためにフィーが来る以外は人が来たりしない。

 俺もこのハーヴェスタの街にきてそれなりになるのに、友人を一人も作っていないし恋人なんかも……まあ、あれだ。……いねぇよ、チクショウ。

「なに泣いてんですか。とりあえず、屋上行くんでどいてください」

「ぐ……」

 俺の突然の涙にもまったく動じず、フィーは採光用の窓に梯子を立てかける。

「なんで泣いてるか、聞くくらいしてくれてもいいんじゃないか?」

「どうせ変なことでも考えていたんでしょう」

 図星だがそうはっきり言われるのもムカつく。

「チッ。俺はどーせ恋人どころか友人の一人もいねー寂しい男だよ」

「そんなこと考えていたんですか。ゼータさんの懐が寂しいことなんて知っていますから」

「誰がいつ財布の話をしたかっ!?」

 俺の台詞の一部だけを抽出して悪意に染まりきった改変を加えるフィーに、俺は思い切り突っ込みを入れる。

「冗談です。それに友達ならアルさんがいるじゃないですか」

「……いや、あいつ帰ったろ。友達じゃねぇし。むしろ敵だね、宿敵っ」

 あの敏腕諜報員『王の左眼』ことアルは、ハーヴェスタの街を襲ったゴーレムについての情報操作をした後、報告のため首都に帰った。

 命の恩人であるフィーやオリヴィアさんの手前、魔術師がどうとか、俺の祖先が開発したトンデモ兵器のこととかは隠してくれるらしい。

それでも、ウチの実家からの兵器の仕入れに色を付けるくらいは約束させられたが。

 まあそんなわけで、あいつとは間違っても友達という間柄ではない。せめてあれで美形じゃなければ悪友の末席くらいには座らせてやってもよかったがな、フン。

「まったく……格好良い人を見るとすぐ噛み付くんですから」

「フィー。お前に、男同士の友情のなんたるかが理解できるとも思えないが、その評価はちょっと待て」

「知りませんよ、っと。寂しいゼータさんは、そこでずっと不気味に笑っててください」

 フィーが慣れた仕草で梯子に足をかける。

 しかし、こうまで一方的に罵られてあっさり引き下がる俺じゃあない。ちょっとしたからかいを含め、フィーに向けて言ってやった。

「んなこと言うならフィー。お前が俺の恋人になってくれ」

 効果は劇的だった。

 『ふなっ!?』と妙な声を上げたフィーは、梯子から足を滑らしってちょっと待てっ!

「うおおお!?」

 しかも頭から落ちるという器用な真似をしやがったフィーと床が激突する前に、なんとかフィーの体をひっ捕まえる。

 しかし、その勢いを殺しきることは出来ず、俺も一緒に地面に倒れることになった。

「ぐわぁ」

「きゃっ」

 それでも、なんとかフィーに傷がつかないよう庇うフェミニストこと俺。

 いくら普段憎まれ口ばかり言われても、フィーも女だ。俺の溢れんばかりの伊達男っぷりは、そんな小娘にも慈悲の心を与えてやるらしい。

「つつつ……おい、フィー。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。もう、ゼータさんが妙なことを言うから……」

 お互いに、お互いの顔を見る。

「あ……」

 フィーが、なにやら顔を赤くする。

 距離の近さに気付いた俺も、不本意ながらそんな顔になってしまっているかもしれない。

「え、えーと」

「は、早くどけよ、フィー」

 なにやら妙な雰囲気。

 甘ったるくも、居心地の悪い感じ。な、なぜにフィーなんぞとこんな雰囲気にっ!?

「だ、大丈夫です」

「なにが大丈夫なんだ」

「そ、それより、ゼータさん?」

「なんだ」

「今の話は本当ですか?」

 ……まいった。

 俺はどう答えれば良いんだろう。

「い、いや。その、な」

 しどろもどろになる俺。

 そこへ、呼んでもいなかった救世主が――

「ゼータさん。ちょっと手伝ってもらいたいことが……なにしているんです」

「ぎゃああああああああああああああ!?」

 なにしているんですとか聞きながら包丁を投げるオリヴィアさん!?

「ど、どこに包丁持ってたんですか!」

 顔の横数ミリのところにまたもや登場した包丁に、俺の心臓はさっきまでとは違う意味でバクバクです。

「お黙りなさい。それより、フィーを襲おうとするなんて。本格的に命がいらなくなったみたいですね、ゼータさん」

「ちょっ!? 誤解です誤解。ていうか、フィーが上になってんだから普通勘違いするにしても逆でしょう!?」

 んなっ、とフィーが今までよりさらに赤くなった。

「わたしはそんなに破廉恥な娘じゃありませんっ」

 慌てて飛び起きたフィーが抗弁する。

「うっせぇ! んじゃあ、その妙に気合入った下着はなんなんだっ!?」

 確かフィーは白系が好きだと思ったが、なんか黒だった。でも、そういや前見たときも黒だっけ?

「なっ、ななな!?」

 俺は地面に仰向けに倒れているわけで。フィーが立っている位置は胸の辺り。そりゃあ、スカートの中くらい見えても致し方なかろう。

 断じて不可抗力だ。別にフィーの下着なんぞ見たいとも……いや嘘。そりゃ、フィーだって容姿はそれなりなんだから、少しは覗きたいという願望はある。

……が、今回のこれはきっと俺の責任じゃないと思うんだ。

 でも、口に出す必要はなかったかもしれんなぁ、はっはっは。

「ふんっ!」

「ぐわらばっ!?」

 そんな俺が最後に見たのは、フィーの靴の裏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛い」

「だから、謝っているじゃないですか。ほら、お昼ご飯だって奢ってあげてますし」

 まだ顔面がズキズキ痛む俺の前に、風月亭のお昼の日替わりセットが並ぶ。

「……せめて一番高いやつにしろよ。セットメニューで一番安いやつじゃねぇか」

「わたしのスカートの中を覗き見たんだからこれで差し引きゼロです」

 あれはお前が見せたんだ、などといったら手に持ったトレイでひっぱたかれそうだった。

 あまり面白くはないが、引き下がらずを得ないだろう。

「チッ」

「あ、それと。気絶してる間にゼータさんに手紙が届いていましたよ?」

「手紙?」

「後で見せます。今忙しいんで」

「構わないけどさ」

 俺とて、今はメシを食うのに忙しい。

 どうせ手紙っつっても、アルに実家への手紙を託したからその返事だろ。

 大方、カルマの兵器を壊したならとっとと帰って来い、とでも言うつもりなんだろうが……真っ平ごめんだ。俺は、ハンター稼業が好きなのだ。

 大体、実家の商売が俺に務まるわけがない。武器商人としてのエヴァーシン家はコレットが継げばいい。あいつはあの辺、知恵が回るしな。

「ふっ、うまい」

 さっきまで文句を言ってはいたんだが、ここの日替わりは近所でも評判なだけあって美味い。

 本日のメインは、チキンのハーブ焼き。

 つい先日まで、俺の昼食はここの日替わりの、客の食べカスだったのだが、すごい進歩だ。

 かみ締めるとハーブの香りと肉汁の味が脳をイイ感じに攪拌してくる。

「ふっ、ウェイトレス。この料理に合うワインをくれないか。無論、お前の奢りで」

 無言でスプーンが飛んできた。たいした勢いでもないのでキャッチする。

「ちょっとした冗談だろ」

「この忙しいのに、ゼータさんのしょうもない漫才に付き合わせないでください」

 心の狭いやつ。さぞつまらん人生を送っているに違いない。

 さて、メシの続きといくか。その後昼寝でもして……手紙は、その後でも構わんか。

 日々、秘跡にもぐり心身ともに酷使しているのだ。たまにはゆっくり休んでもバチは当たらないだろう。

 

 ……なんて、この判断を俺が後悔するのは数時間後である。