(そういえばさ……)

(なんだ?)

 クレスは声を潜めて、フィズに話しかけた。

 現在、この二人に加えて、ラス神父とホリィが食卓を囲んでいる。お裾分けを持ってきたはずのホリィは、さも当然のようにテーブルに座り、クレスが朝焼いたパンを頬張っていた。

 ……まぁ、今日は、魔物騒ぎのおかげで昼を食べる暇が無かったので、パンは余っている。構わないと言えば構わないのだが、フィズのホリィを見る目がちょっと怖い。

(ホリィも、あの黒い……魔物。見たはずだよね)

(その事に関しては、適当に誤魔化しておいた。村人らにも避難はさせたが、詳しくは伝えていない。知っているのは、我々と神父だけだ)

 そのことに安心する。

 クレスは実際に対峙してわかったのだが、あれはよくない。気を抜くと、すぐに飲まれてしまうような存在感。そして、生き物すべてに向けられた敵意。

 別段、そういった気配のようなものに敏感なわけでもないクレスなのだが、それがはっきりわかった。ホリィのような小さな子が耐えられるようなものではない。

 魔法士、というのは、多くが侵食地域にて、あれと戦っているらしいが、正気の沙汰とは思えなかった。

「なに内緒話してるの?」

「あ、なんでもない。それより、ホリィ。お母さんに、お礼言っといてね。正直、助かっちゃったから」

「うん!」

 元気のいい返事に、魔物の事はさっぱり認識していなかったのだな、と確信する。あれを一目でも見ていたら、こんなに元気なはずが無い。

「消化にいいものだから、クレスお兄ちゃんも安心だね」

「ああ、そうだ……?」

 頷きかけて、クレスは首を捻った。

 消化がいいものだと、なんで僕が安心するんだ?

 喉を怪我をしているから、食道を食べ物が通過するとき、痛みが走る。それを考えると、柔らかい、消化にいい物は確かに食べやすいけど……なんで、ホリィがそんなことを?

 そんなクレスの疑問に気が付いたのか、ホリィはきょとんとした顔で、

「あれ? 昼間、お腹の調子が大ピンチだから、その辺で済ませるために、あたしを他所にやったんじゃないの?」

 その辺で、何を済ませる、んだ?

「フィズ」

「そう恨めしげに見るな。適当な言い訳が思いつかなかったんだ」

「それにしたって、もう少し何かなかったのか……」

 がっくりと、それを訂正するわけにもいかないクレスはうなだれた。

 

 

 

 

「……さて」

 ホリィを早めに帰して、クレスは居住まいを正した。

「クレス。食べ終わったなら、もう少し寝たらどうだ? まだ、完治はしていないんだろう」

「いや、先に説明してもらいたいな。このままじゃ、すっきりしないから」

 ここまで毅然とした態度は珍しい。

 その、どこか責めるような視線に、フィズはそうとは知られないほど僅かだがたじろいだ。

「ラス神父。他の人が聞いていないか、見張っていてくれ」

「それは……」

「頼んだ」

「……はい」

 日も暮れたこの時間に、押しかけてくるような村人はほとんどいない。それでもあえて神父を立たせたのは、万に一つも外に漏らすわけにはいかないのか、それともまた別の理由か。

 なんにせよ、ラス神父は素直に従って、席を外した。

 クレスとフィズ、二人の間で緊張した空気が流れる。今までの二人にはなかった雰囲気。それはそうだ。二人が出逢ってから、まだ一月も経っていない。大抵のことは初めてのことだ。

 だというのに、クレスがこんな空気にとてつもない違和感を覚えるのは、それだけ濃く付き合ってきたということだろうか。

「……さて、結論から話そうか」

 そうして、フィズが口火を切る。

「わたしは、聖女と呼ばれている役職についている」

 

 曰く、女性なら聖女。男性なら聖人。死後、その功績により称号を贈られるのではなく、純粋な役職名だ。

「役職は、“侵食”の阻止と魔物の排除。まぁ、前者の仕事の過程で、必然的に後者をすることになるわけだが……」

「ちょ、ちょちょっと待って」

「なんだ」

 クレスの頭はフル回転している。普段あまり使ってはいない知性が、フィズの発した言葉を咀嚼し、いくつか恐ろしい推測をもたらした。

「そ、その」

「だからなんだ」

「“侵食”って、侵食地域の、“侵食”だよね」

「そうだな。東の大陸のほとんどが飲み込まれていることは、お前も知っているだろう?」

 当然知っている。

 侵食地域、というのは、要するに魔物に支配されてしまった土地のことだ。その土地は、なぜか人が生きていけなくなる。魔物に殺されるから、それ以前の問題で、そこにある空気が、水が、土が、すべて人の生存を許さないものに変貌する。これが、いわゆる“侵食”。ある一定以上の魔物が出現すると、その土地は侵食される、らしい。

 そして、それを阻止するのが、フィズ。

 それはいい。レヴァ教に、対魔物の軍隊が存在するというのは周知のことだ。

 だが、なぜその魔物戦のエキスパートが、この村に来ている?

「もしかして、魔物の大攻勢が、この村に向けてある、とか」

「奴らの行動を、事前に予期できるわけがないだろう。第一、それならこの村に来る前に叩く。大体、わたしの役割は、既に在る魔物を排除することではない」

 ピン、とフィズは指を一本立てて、出来の悪い生徒に教授するようにゆっくりを説明を続けた。

「これは、一般に誤解されていることだが、まず魔物ありきで侵食が起こるわけではない。侵食ありきで魔物が出現する。侵食とは、世界の穴のことだ。この“世界の穴”を通じて、外側から魔物がやってくる。魔物が“外側”の生物だということは、お前も知っているだろう?」

「それは知ってる、けど」

「東の大陸のものほど大規模になると、それを塞ぐのは容易ではないが、小さな侵食ならばその封印はさほど難しくはない。そのために、わたしが来たというわけだ」

 クレスが感じていた嫌な予感がズバリ当たってしまった。

 なにもないところから突然発生した魔物。まるきり見当のつかないフィズの役職。漠然と連想される危機感。

 とりあえずのところ、納得はいった。

「そう……つまり」

「ああ。近く、この村で、“侵食”が起こる。あの魔物は、その前兆だろう。」

 言うべきことは全て話したという風に、フィズは大きく息をついた。

 だが、クレスのほうはまだまだ聞きたい事が山ほどある。

「でも、それってなんでフィズが? こう言うのはなんだけど……まだ子供じゃないか」

「それは、あの剣だ」

 剣、と聞いて、クレスは一振りの馬鹿でかい剣を思い出す。

 そういえば、あの剣は物理的攻撃では決してダメージを与えられないはずの魔物を、一撃で両断していた。法術の発動媒体かとも思うが、それにしては法術に必須の秘文字が刻まれていなかった。

「あのエレメンティアは……レヴァ神から授けられた聖剣だ。聖女は、教会から拝命されるのではない。あの剣を扱えるものを指すのだ」

「レヴァ神から、って」

 一応、信者の端くれでありながら、クレスは神の実在をあまり信じていない。千年ほど前までは、人類とレヴァ神は共に暮らしており、その証拠となる物品も残されているそうだ。だが、そんな神話はおとぎ話の類と大差ないと思っていた。

 だが、生粋の信者であるフィズの前でそれを言うのは躊躇われたし、そもそも今の話にそこは重要なポイントではない。

「いや、なんでもない。それで、その剣がどうしたの?」

「この剣は、特殊な効果を備えている。それが、“侵食”の封印だ」

「へぇ。本当に聖剣なんだ」

 聖剣、魔剣。そういった特別な武具というのは、各地の伝説に残されてはいる。

 だが、その実態は大抵がただの法術発動媒体であったり、ただの名剣に尾ひれが付いたものだったり、そもそも存在すらしなかったものだったりする。

「そして、どんな魔物であろうと、一撃で殺すことが出来る。無論、それも聖女、聖人が持ってこその力だが」

「す、すごいね。そんなのがあれば、東の大陸の解放も簡単だ」

 思わず拍手しそうになった。

 何百年の昔から魔物に支配され、本来の名すら失った“東の大陸”。その開放は、全世界の悲願だ。だが、魔物は強大で、侵食地域に接する神聖オレアナ国、ファルヴァント王国という二大強国が長年戦っていても、現在の境界を維持するのが精一杯だという。

「だが、新たな侵食を許すわけにもいかない。歴代の聖女は、全て新しい侵食の封印に奔走して、東の大陸の戦線には加わっていない」

「あ……そっか」

「そういうことだ」

 でも、とクレスは気を取り直す。

「フィズがいるなら、この村に侵食が起こっても安心だね。あんまり言い触らすわけにもいかないんだろうけど……よろしくお願いするよ」

 そこまでの話で、全てわかったつもりのクレスは、そう言って頭を下げた。

 それを見て、フィズはきょとんとし、

「何を言っている」

 心底不思議そうな声で、

「え?」

 クレスが全くもって予想だにしていなかったことを、

「お前も、侵食の封印に協力するんだ」

 言った。

「え、え?」

 わけがわからず、クレスはその言葉を反芻する。

 一回、二回、三回。何度繰り返しても、それは一つの意味にしか取れない。もしや、フィズの気の利いたジョークなのだろうか、と期待するが、どう見てもそんな雰囲気ではないし、そもそも出会ってから今までフィズは冗談というのを言ったことがない。

 逃げ道をなくして、クレスは震える声で問うた。

「な、なんで?」

「侵食が発生すると、同時に魔物が大量に発生する。エレメンティアが、魔物に対して絶大な攻撃力を発揮するとは言え、こちらが一人では少々きつい。魔物を掃討しないと封印もままならないしな。そこで、腕の立つ魔法士のフォローがあれば、こちらとしてもやりやすい」

「ならどうして、一人で来たんだよ!」

 声を荒げる。

 フィズは、そんなクレスの様子を不思議そうに見て、説明した。

「本来は隠密の任務なのだ。現地の教会の責任者にしか、正体は明かせない。だが、今回のお勤めはわたしの初任務だからな。丁度良い人材がいたから、協力を申し込んでいる」

「は、初めてっ!?」

「うむ。前任者が不慮の事故で亡くなってな。訓練途中だったが、次期聖女候補だったわたしがエレメンティアを継いだ。つい三月ほど前のことだ」

 目の前が暗くなっていく錯覚。

 ド素人の魔法士が、これまた初心者の聖女とやらに率いられて、沢山の魔物と戦う。

 フィズは、それ相応の訓練をしているだろうか、大丈夫かもしれないが……自分が生き残れるとは思えなかった。

「い、嫌だ……」

「なに?」

「もう、魔物と戦うのなんて、真っ平だ! 悪いけど、一人でやってくれ」

 フィズに背を向けて、リビングから飛び出す。

 後ろで、フィズがなにか叫んでいる気がしたが、クレスはそれを無視して、自室に走るのだった。