一週間後。村の集会の日。

フィズの存在は、クレスやホリィを通じて、確実に村の人間に伝わっていた。無論、よそ者に拒否反応を起こす者がいないわけではなかったが、そういった者たちも実質村を束ねているラス神父の根回しによって、集会の日には態度を軟化させていた。

 今まではフィズに外での仕事は割り振らず、せいぜい家で家事の手伝いくらいしかしてもらわなかったが、これからは大手を振って外を歩きまわれるようになるだろう。集会に参加すると言う事は、フィズが一時的にせよ、村の一員になるという儀式のようなものなのだ。

 会場は、教会の前にある芝生。さすがに中でやるわけにもいかない。

 朝からラス神父と村の女性らは、この準備にかかりきりになっていた。男衆は、森に獣を狩りに行っており、そろそろぽつぽつと帰ってきている。

「ただいまー」

 飾り付けをホリィと共に手伝っていたフィズは、聞き覚えのある声に振り向いた。

 見ると、夕日をバックにして、クレスを含めて数人の男性が巨大な猪を抱えて帰ってきていた。

「うん」

 そっけなく手を振って、再び飾り付けに戻る。先ほどから、この花の位置がどうにも決まらないのだ。他の花の色彩を考えると、もう少し真ん中のほうにしたほうが……

「フィズお姉ちゃん、それはここだよ」

 と、なにかと悩んでいるフィズの手から花をさっと掠め取り、ホリィが適当な場所に置いた。

「しかし、ホリィ。そこでは……」

「も〜。フィズお姉ちゃんは不器用なくせに、細かいことにこだわりすぎなの。こんなのは適当でいいんだから」

「むぅ」

 納得のいかない評価だったのか、フィズは僅かに顔を顰める。

 獲って来た猪を捌きつつ、そのやり取りに聞き耳を立てていたクレスは、重いため息をついた。

 この一週間の付き合いで、フィズのことは大分わかってきた。どうにも、彼女は自分を器用だと思っているフシがある。クレスから言わせれば、そういう勘違いはせめて目玉焼きくらいマトモに作れるようになってから言ってもらいたい。洗い物のとき、食器を壊さないようにできるというのもいい。

 フィズに家事を手伝ってもらった一週間は、今までの人生で一番長い一週間だったと思う。家事のときは魔力を節約するため封印している魔法を、使おうかとまで思ったくらいだ。

 困ったのはフィズの不器用さだけではない。性に対する無頓着さも、なんとかしてもらいたいと思う。自分の下着を平気で洗わせたり、逆にクレスの下着をなんの躊躇もなく洗ったり。それだけではなくて、日々の動作が一々無防備なのだ。頼むから、風呂上りに薄手のシャツ一枚で歩き回るのはやめて欲しい。

「なんだ、クレス?」

「いや。なんでもない」

 じっと見つめていることに気が付いたのか、フィズがこちらを問い質してくる。

 そうか、と飾り付けに戻るフィズに、なんとなくもの寂しさを感じる。もう少し、こちらに関心を持ってくれてもいいんじゃないか、とやきもきしたのは、この一週間何度でもあった。

 ただ、まぁ。

「クレス」

「ん?」

「その猪は、丸焼きが良いと思うぞ」

「了解」

 こうして、頻度は低いながらも、向こうから話を振ってくれるようにはなってきたのだが。

 顔がほころぶのを我慢しながら、猪の毛を炙り、血を抜く。このまま火に放り込んで、フィズの要望通り丸焼きにしてもよいのだが、それだとちょっと癪だ。これだけの獲物があるのだから、料理人としては何か手を加えたいところである。

 塩とか胡椒があれば丸焼きでも美味いのだが、手元にないので……ここは、得意の香草を使うことにする。

 肉に合う香草はどれだったかなぁ、と悩みつつ、クレスは教会の家庭菜園へと向かうのだった。

 

 

 

 そして。

「え〜、皆さんも既に知っていると思いますが、我が教会に、今お客さんが来ています。フォルトゥーナ・ルヴィズスさんです」

 そんな前置きから、ラス神父がフィズの紹介を始めた。普段は様付けだが、さすがにこういう場で、神父が幼いと言っていい少女に様付けするのは不自然極まりないので、事前の打ち合わせどおりさん付けだ。

「彼女は、修行僧だそうで、現在は世界中の教会を渡り歩いている最中だそうです。この村にはあと三週ほど滞在する予定なので、皆さん、よろしくお願いします」

 こんな感じのストーリーでいいよね、と神父が軽く決めたフィズのでっちあげ来歴を語る。神父の癖に、嘘をつくのに淀みがない。

「さ、フォルトゥーナさん。なにか、ひと言」

「うん」

 フィズが前に出る。じっ、と村中の人間に見つめられても、気後れする様子がない。どうどうと、真正面を見据えて自己紹介を始めた。

「先ほど、神父から紹介があったが、改めて。フォルトゥーナ・ルヴィズスだ。言い難かったらフィズで構わない。これからしばらくの間、よろしく頼む」

 挨拶を受けて、村人から声が上がる。『おー、よろしくー』『なぁなぁ、ウチの嫁にこねぇ?』『バッカ、オメェみたいなおっさんが夢見るんじゃねぇ!』と、まだ酒も呑んでいないのに酔っ払っている連中からだ。若くて可愛い娘が来たとなると、こうなるのは必然かもしれない。

 女性らも、声を上げるわけではないが、好意的な視線で見ている。

 なんとか、うまくやっていけそうだな、とクレスは胸を撫で下ろした。しかし、とりあえず、先ほど奇声を上げていた人たちには、しかるべき対応を取る必要があるだろう、と心のメモに書き留める。

「ま、仲良くやってください。明日から、クレスくんを付けて仕事もさせますので」

 神父はそう言って、手に持ったコップを掲げた。

「では、新しい仲間の紹介が終ったところで、始めましょう。乾杯!」

 そして、“集会”が始まった。

 神父は速攻でコップの中身を空にして、お代わりを要求している。今更念を押すまでもないが、当然のごとく中身は酒だ。

「全く。あの神父は抑えると言う事を知らないのか」

「はは、それは僕が昔っから考えてることだよ。知らないという結論に達したけどね」

 レヴァ教では、基本的に酒は禁止だが、それほど厳しい禁戒ではなく、祝い事などで呑むことは許されている。教えに忠実なフィズが苦い顔をしながらも見逃しているのは、そのためだ。

「フィズも呑む?」

「結構だ」

「呑んだことはあるの?」

「一、二度だけな。あのアルコールの味は、どうにも馴染めん」

 ふぅん、と呟きながら、クレスはちびりちびりと蜂蜜酒を傾けた。

「そう言えば」

「なに?」

「先ほど神父が言っていたが、わたしはお前に仕事を教わることになるのか?」

「ああ、そのこと」

 コクリ、とクレスは頷いた。

「そうだよ。最初は、女の人たちと一緒に機織りとかやってもらおうか、と思ってたんだけど、フィズは不器用だから。僕に付いていれば、フィズの力も生かせると思ってね」

 村の仕事なら殆どなんでもこなすクレスだが、最近は季節柄、農作業をはじめとした力仕事が多い。そういった仕事は、フィズの得意分野だろう。伊達に、あのエレメンティアとか言う馬鹿でかい剣を振り回しているわけではないだろうし。

「待て、クレス。今のは聞き捨てならんぞ」

「ん? なにが」

「わたしが不器用だと? 訂正しろ」

「いや、だって」

 反論の台詞は十でも二十でも思いつくクレスだったが、あまりムキになるのもよくはない。彼女は、なんだかんだで年下なのだ。そう、ここは軽く流してあげるべきだ。

「いや、ごめんね。さっきのは訂正するよ。うん、フィズは不器用なんかじゃない。ちょっと、苦手なことが多いだけなんだよ」

「そうだろう。今までだって、家事の手伝いを見事にこなしていたじゃないか」

「……そ、それはどうだろう」

「む、なにか文句でもあるのか」

 文句ならある。山ほどある。掃除をすれば逆に部屋を散らかし、洗濯をすれば服を破り、料理をすれば料理(笑)みたいなものを製造する。そんな彼女に、文句がないわけがない。

 だが、しかし。ここはぐっとこらえるべきなのだ。我慢しろ、クレス・ノート!

 幼少の頃から教会の家事を預かって来た者としての矜持とか、プライドとか、意地とか、そういったものを一息に飲み込んで、クレスは無駄に爽やかな笑みを浮かべる。どこか、自分の大切な物を捨て去った者の虚ろな笑いがそこにあった。

「そ、そうだね。文句は、な、ないよ」

「なぜ涙を浮かべる?」

 本気でわかっていない様子のフィズから顔を背け、くぅ! と涙をこらえる。こうなりゃやけだ、と一気にコップの中身を空け、二杯目を注ぎ、更に自分のお皿に肉をごそっとよそった。

「わぁ、クレスお兄ちゃん、一杯食べてるね」

 やけ食いしているクレスを見て、ホリィが寄ってきた。

ほんのり顔が上気しており、熱が出ているようにも見える。それを見たフィズは、訝しげにホリィの持つ飲み物に目をやった。

「……ホリィ。君まで酒を呑んでいるのか」

「当然でしょ〜。あたしはもう大人なんだから〜」

 と、ない胸を張るホリィ。それを見てから、フィズはちらりとクレスに目を移す。

「君たちは、このような子供にまで酒を飲ませているのか」

「ああ、違う違う」

 肉を食べる手を休め、クレスは首を振った。

「ホリィが呑めるのは最初の一杯だけ。しかも、果汁で三倍くらいに薄めてるから、酔いようがないよ」

「あはは〜、実はそうなの」

 ぺちぺちと意味もなくクレスの頭を叩きながら、ホリィは笑う。どこか、調子ッぱずれの笑い声が、やけに響く。

 別にそれを嫌がるわけでもなく、クレスの方は二杯目のぶどう酒を飲み干した。

「わたしには酔っているようにしか見えないが」

「いつものこと。コイツの場合、酒に酔ってるんじゃなくて、場に酔ってるんだよ」

 言いながら、今度は麦の蒸留酒をコップに注ぐ。こく、こく、と喉を鳴らしながら嚥下する。

「そうか。クレスがそう言うなら、そうなのだろうが」

「お〜い、クレス坊! いつものやれ、いつもの!」

 と、遠くからクレスを呼ぶ声がする。

 いつもの、と聞いて、集会に集まった人々の視線がクレスのほうに集まった。

「え〜? まだ始まったばっかですよ」

「阿呆。こういうところで、いいトコを見せておくんだよ。そっちのフィズちゃんとやらも、お前の男っぷりにめろめろだぜ」

「はぁ」

 仕方ないなぁといった風に、クレスはやたら大きなジョッキを受け取る。一リットルは入りそうなジョッキに、様々な酒類がなみなみと注がれた。

ちゃんぽんとなった液体をみて、フィズはまさか、と息を呑む。

「クレス? まさか」

「や、いつもやらされるんだよね、これ。こういう呑み方はあんまり好きじゃないんだけど」

 意を決したように、クレスはジョッキに口をつける。ごっきゅ! ごっきゅ! と、勢いよく飲み下して行くその様子を、フィズは珍しく呆然として見ていた。

 イッキ、イッキ、イッキ、と周りが囃し立て、見る見るうちに、ジョッキの中の液体はなくなっていき、

「っ、ん! ぷはぁ!」

 とうとう、全て飲み干してしまった。どおお、と周囲が一気に盛り上がる。

「はっはっは。やっぱり、集会にはクレス坊のこれがなきゃぁな!」

「相変わらず、いい呑みっぷりだぜ」

 無責任な事を言う大人を無視して、フィズはクレスを案じるように彼の肩に手を置いた。

「クレス、大丈夫か?」

「あー、平気平気」

 顔を赤くすらせず、クレスは安心させるように笑顔を見せた。

「昔っから呑ませられていたせいか、お酒には強いんだよ」

 それを証明するかのように、先ほど渡されたジョッキにぶどう酒を入れた。

「強いからって……アレだけ呑んで、まだ呑めるのか? 気分は悪くないのか?」

「あ〜、ていうか、僕酔うって感覚がイマイチわかんないんだけど」

「……普通、酒というものは、酔うために呑むものなのだが」

「いや、僕は純粋においしいと思うから呑んでるんだけど」

 クレスは、さらにジョッキを空にした。フィズのこめかみに、一筋汗が流れる。

「クレスお兄ちゃんはザルだからね」

「本当だな……」

「前、樽ごと呑んだときは、さすがにみんな驚いてたよ」

「あれは、やれやれ言われてたからやっただけなんだけどなぁ。大体、あれ呑んだ後、胃が膨れて食べ物とか入らなかったし」

 どうやら、想像を超える酒呑みらしい。フィズは、感心しつつも呆れ返った。

 そして、宴会は深夜まで続き、結局最後まで酔い潰れず、寝もしなかったクレスが全ての後片付けをするハメになったという。