「……ごちそうさま」

 きちんと手を合わせて、フィズが食事の終了を宣言した。

 今朝の食事は、ほぼいつもの倍の量。つまり、都合二人前をフィズは平らげたはずなのだが、まだまだその表情には余裕が見られる。

「お、お粗末様」

その健啖ぶりに、クレスは内心驚きつつも、合いの手を入れる。昨日も思ったが、この小さい体のどこにこんな量の食べ物が入るのだろう?

「お茶でも飲む?」

「ああ、頂こうか」

 とりあえず、そのことは一旦脇に置いておいて、既に沸かしてあったお茶を取る。

 自分とラス神父の分も一緒に入れて、テーブルに運んだ。

「はい、フィズ。熱いから、気をつけてね」

「うん。……ふぅー」

 何度も息を吹きつけてから、カップの縁に口をつけるフィズ。かなり猫舌なのかもしれない。

「クレスくん。今日のお茶は、いつもと味が違いますね」

「まぁね。疲れが取れる薬草を多めに入れておいた。まだ、フィズも疲れが取れきってないと思うから」

「なるほど。しかし、これはこれで美味しい」

ラス神父はお茶を啜ると、大きく息をつき、不意に真面目な顔になった。

「それで、フォルトゥーナ様。あの日まで、どう過ごされるのです? 正直、この村には見るところも、娯楽の類もほとんどないのですが、時間をもてあましてしまいませんか?」

 またもや、クレスにはわからないことを言う。多分、フィズがこの村に来た理由でもあるのだと思うが、聞いても教えてくれないので、もう気にしないことにした。

「そうだな。村の仕事でも、手伝えることがあれば言ってくれ。これでも、力仕事には自信がある」

 平坦な声ながらも、どこか得意げに言うフィズに、クレスは激しく違和感を持った。まさか、あの細腕で、力仕事――畑を耕したり、狩りをしたり、木材を切り出したり――をしようと言うのだろうか。

「いや、しかし……」

 今は持っていないが、考えてみればフィズは自分の体重の何倍もあろうかという重量の剣を背負っていたのだ。あれを自由自在に振り回せるとは思えないが、あんなのを持っているからには、見た目通りの膂力だとは考えない方がいいのかもしれない。

 などと、クレスが悩んでいるうちに、ラス神父が慌ててフィズを止めていた。

「そんな、とんでもない。フォルトゥーナ様は、鋭気を養っていただかないと。仕事など、していただかなくても結構です」

「しかし、あれの発現まで、少なくともあと一期はかかる。それだけの時間、何もせず世話になるわけにもいかないだろう」

「……それならば、せめて女性らと仕事をしてください。汗臭い仕事は、男に任せておけば」

「確かにね。フィズみたいな娘に手伝ってもらっちゃ、他の男衆も戸惑うだろうし」

 もし仮に、フィズの筋力がクレスを軽く凌駕するほどあったとしても、やはり大の男に囲まれて仕事をする少女というのは、どうも絵面がよろしくない。斧をぶんぶん振り回すフィズの姿は、どう考えてもシュールだ。

「そうか? なら、そうさせてもらおうか」

「うん。でも、今日のところは、ホリィと一緒に遊んでやってよ。きっと、楽しみにしていると思うから」

「わかっている。昨日の今日で約束を反故にするほど、わたしは薄情ではない」

「そんな大層に言うほどのことでもないけどね」

 ただ単に、遊び盛りの子供の相手をするだけのこと。そう肩肘を張って臨むようなことでもない。いや、むしろ、もっと気楽にやった方が、お互い楽しめるのではなかろうか。

「そこで、クレスに一つ、相談があるのだが……」

 そんなことを考えていると、フィズがどこか困った様子で尋ねてきた。

 この少女が、そういう態度をとるのをどこか意外に感じつつ、クレスは『なに?』と問い返す。フィズは、どこか言いづらそうに逡巡していたが、やがて意を決したように決然とした瞳でクレスに真正面から問い質した。

「その、わたしは、遊びというものがよくわからない。どんなことをすればいいだろう」

 あまりといえばあまりの内容に、クレスはなんとなく呆れたのだった。

 

 

 

 フィズは、内心そわそわしつつ、ホリィがやってくるのを待っていた。

 仕事に出かけたクレスが、途中で声をかけてくれるとの事なので、もういくらもしないうちに来るだろう。呼んだらすぐに飛んでくるよ、とクレスが太鼓判を押してくれたことだし。

「むう……」

 落ち着かない。

 物心着いた頃から、“おつとめ”のための訓練に明け暮れ、たまに空いた時間も、普段の疲れから大体寝て過ごしていた彼女にとって、なんの思惑もない遊びの時間というのはこれが初めてだ。

 手元の、“それ”を見る。どんな遊びをしたらいいのかわからなかったフィズに、クレスが渡してくれた品。その力強い感触で、なんとか自分を奮い立たせていると、玄関の扉が乱暴に開けられた。

「おはよーー! フィズお姉ちゃん」

 満開の笑顔でホリィが飛び込んでくる。途中で転んだのか、一枚布を重ねただけの簡素な服が汚れてしまっているのだが、全く気にしていないようだ。

「おはよう。それから、砂は払っておけ」

「ん〜、わかった」

 ホリィは申し訳程度にぱたぱたと自分の体をはたく。ちなみに、すでに家の中に入ってしまっているので、見事に床に砂が撒き散らされているが、二人とも気付いていない。

「ねーねー、それで、なにして遊ぶ?」

 近くに纏わり付き、無邪気に尋ねてくるホリィに、フィズは自信満々に脇に抱えていたそれを見せ付けた。

 それは、片方の面に墨で方眼が描かれている、正方形の板。方眼が微妙に斜めになっていたりする手作り感漂う一品。

「なぁに、これ?」

「ふっ、さらにこれだ」

 フィズは布袋を取り出し、中身を机の上にばら撒いた。

 二、三センチほどの大きさの木片が数十個出てくる。それは、良く見ると、何らかの人を象っているようだ。下手な出来だが、いくつかの種類があるということくらいは見て取れた。

「この、歩兵、騎兵、戦車兵、騎士、魔法士、法術士、王の駒を操って、対戦するらしい」

 フィズは、一つ一つ確かめるように手にとって、それぞれの駒の名前を教える。

「えっと。もしかして、クレスお兄ちゃんが最近作っていたやつかな? なんか、ずっとカリカリ彫刻してたけど」

「らしい。話だけは聞いたことがある。最近、都で流行っている戦盤というゲームだ。自作するとは、恐れ入る」

「へぇ〜」

 面白げに駒を弄くり倒す二人。剣を振りかぶっている軽装の戦士。馬に跨り、槍を構える騎兵。それぞれ、同じ種類でも違うポーズをとっており、見ているだけでも面白い。

 ただ、その一つにフィズは難色を示した。

「魔法士、か」

「どうしたの、フィズお姉ちゃん」

「いや、なに。“魔物”と戦うためにはこういう人材も必要だということはわかるが……やはり、レヴァ教義に反する魔法を使うのはどうか、と思ってな」

 フィズは、ほとんど独り言のように呟いた。

「魔法?」

「ああ、いや。つまらない話をした。では、やってみようか」

「うん!」

 クレスから聞いたルールを説明した。それぞれの駒の役割さえ覚えてしまえば、細かいルールは気にしなくても遊べる。ただ、飲み込みの悪いフィズは、それを覚えるだけでも、五回はクレスに説明させた。

 一回聞いただけでほぼ把握してしまったホリィに、なんとなく敗北感を感じつつ、フィズはゲームを始めた。

 で、三十分後に展開された光景は、

「えいっ、騎兵が魔法士に攻撃! これで、フィズお姉ちゃんの王の守りはなくなったよ」

「くっ、今の手、待ってくれないか」

「駄目〜。勝負の世界は厳しいのだ」

「それはよくわかっているが、そこをなんとか」

 八歳児に懇願する十四歳の図であった。ちなみに、すでに五回目の対戦である。言うまでもなく、フィズは四連敗中で、五敗目も間近だ。

 案の定、一手待ってもらったにも関わらず、あれよあれよという間にフィズの陣営はホリィ軍に蹂躙されていく。負けてなるものかと奮闘するフィズ軍だが、いかんせん、戦争は気合だけではどうにもならない。最終的に、騎士がフィズ側の王に止めを刺し、勝負は決した。

「フィズお姉ちゃん、弱〜い」

「実際の戦なら負けないんだが……」

「もう飽きちゃったよ」

 わけのわからない負け惜しみをするフィズだが、ホリィは全く気にせず不満を露わにする。

「外に出ようよ。今日はいい天気だし。外で遊ぶほうが気持ちいいよ。いいところに連れてってあげるから」

 言いながら、すでに玄関に手をかけ外に出ようとしているホリィを、フィズは慌てて追いかける。

「こら、待つんだホリィ」

 まるで猪かなにかのように、まっすぐ突っ走るホリィ。フィズが追いかけると、それを見てますます嬉しげにスピードを上げる。

「こっちこっちー」

 まばらに建っている家の間を縫い、フィズを撒くように駆けていく。

 しかし、いくらホリィに土地勘があるとは言っても、二人の歩幅やスタミナにはどうしようもない差が存在する。障害物となる家がなくなる辺りまで走ると、最初に開いていた差は見る見る埋まり、フィズはすぐに追いついた。

 全く息を乱していないまま、後ろからホリィを抱きかかえる。

「こら。あまり遠くまで行くんじゃない。人里近いとは言え、猛獣の類が出ないとも限らないんだぞ」

「あはー、捕まっちゃった」

 説教されても、ホリィは全く悪びれない。それどころか、

「じゃあ、次はフィズお姉ちゃんが鬼だね。五つ数えるから、その間に逃げてね」

「む、五秒は少し短くないか」

「いーち、にーい」

 慌てて抱えているホリィを離し、逃げる方向を定めようとした辺りで、フィズははたと我に返った。

「誤魔化そうとするんじゃない」

 こつり、と、軽く拳骨を小さな頭に落とす。

 てへへ、と叩かれた頭をなぜか嬉しそう抱えて、ホリィは不意にフィズの腕を引っ張った。

「なんだ?」

「ちょっと、寝っ転がろうよ」

「なに?」

 言われて、気が付いた。

 いつの間にか、広い草原に出ていた。スターニング村の西に位置する、だだっ広い原野。二人が立っている場所辺りから、緩やかな傾斜になっており、かなり遠くまで見渡せる。

 名前もないような小さな白い花が所々に咲き誇り、そろそろ夏だというのに存外涼しい風がそよいでいた。

「ここは……」

「あたしの遊び場。こっち側より、向こう側のほうが畑を作りやすいし、森みたいに取れるものもないから、村の人はあんまり来ないの」

 自慢するように、ホリィは自分の宝物を誇る。

 フィズの感想を聞く前に、草原に体を投げ出し、うーん、と伸びをした。

「ここで、お昼寝すると、すごくいい気持ちになるんだよ」

「……だが、危険だ。草原狼にでも出くわしたらどうする」

 見える範囲に、そういう危険な生物は見当たらないし、今まで無事だったことから、この辺りにはいないと見て間違いないだろう。しかし、頻繁に狩場を変える種類の猛獣も少なくはないのだ。

「むー」

 フィズの冷静な忠告を、ホリィは耳に手を当て聞こえない振りをする。

 と、同時に少し悲しげな表情になった。きっと、新しい友達に喜んでもらえると思って連れて来たのに、気に入ってもらえなかったのが悲しいのだ。

「危険だから、わたしも一緒にいよう」

 フィズはそう言って、ホリィの隣に転がった。

「お姉ちゃん?」

「狼程度、武器がなくてもわたしなら問題はない。それに、それを抜かせば、ここはとてもいい場所だ」

 率直な、だからこそ本当にそう思っているとわかる言葉に、ホリィは嬉しくなって、フィズに突っ込んでいった。

「なんだ」

「んー、ちょっとごろごろしたい」

「まったく……」

 自分の胸の上で転がる子供をあやしつつ、フィズはいつの間にかホリィのペースに巻き込まれ、自然体になっている自分を発見するのだった。