「耕介さん?  終わりましたよー」

 十年近くも放置された廃ビル。

 このビルに巣食っている霊の鎮魂を終え、那美が離れたところで見ている耕介に手を振った。

「お疲れ」

 耕介は、笑顔で一仕事を終えた恋人を迎える。

 神咲一灯流は、古来より悪鬼悪霊の類を打ち滅ぼしてきた退魔の剣だ。
 ただ、その本家の養子である那美は、それほど退魔戦闘術に長けているわけではなく、もっと穏やかな『鎮魂』を得意としている。

 しかし、神咲の『仕事』は不慮の事故がつきもの。つい先日までなんら害をなさない霊であっても、今日この日に悪霊と化さない保証はなく……
 本家直系の一灯流継承者、神咲薫より手ほどきを受け、霊的戦闘に関してはけっこう抜きん出たものを持つ耕介は、そんな恋人の仕事を心配して、なるべくついてくるようになっていた。

「ありがとうございます」
「うまくいったみたいでなにより」
「はい。……ちょっと、混乱していましたけれど、ちゃんとわかってくれました」

 あまり霊能を必要としない『鎮魂』とはいえ、霊力の少ない那美にとっては相応の負担のはず。それでも、霊が安らかに逝ったときは、那美はいつも穏やかに笑う。

 その笑顔に、日々いろんな意味で虐げられている耕介は猛烈に癒された。完全回復魔法だ。

「でも、無理して付いてこなくても大丈夫ですよ?  久遠もいるんですし」

 くぅん、と那美の足元にいる狐が訴えるように鳴く。
 昔、那美と恋人同士になる前は、本当に危険そうな案件以外は久遠に彼女の護衛を任せていた。

 過去、祟り狐とまで呼ばれた大妖であり、雷と言う極めて強力な能力を持っている久遠が居れば、確かにちょっとやそっとの危機は大丈夫だろうが……そこはそれ、男の意地というものがある。

 そして、退魔の仕事を疎かにするというわけではもちろんないのだが――住んでいる場所が場所なので、二人きりになれる機会がこの時しかないという切実な理由もある。

 大体、そう言って耕介をけしかけたのは当の久遠だ。

「久遠?  なに?」

 鳴いた久遠に那美が声をかけると、彼女はぽんっ、と人型になった。

「くぅ……くおんだけじゃ、しんぱい」
「え?」
「こうすけも、いたほうがあんしん」

 昔は喋れなかった久遠も、祟りが抜けて喋れるようになっている。
 しかし、割と自分の力に自信を持っている久遠が、こんなこと言うのは珍しい。

「くおん、まだ『のこって』ないかみてくる」

 と、言って、久遠はぐっと耕介に向けて親指を立てた。

 なんだろう、この力強いジェスチャーは。もしや、二人っきりにしてやるからうまいことやれ、とで言いたいのだろうか。

 普段は猫被っている……いや、猫に被られている(追いかけられると言う意味で)久遠だが、アレは演技か。

「え、えーと……」
「はは……夜食持ってきてるから、食べようか」

 あからさまな気遣いに、二人ともなんだか照れる。

(おいおい……付き合いたての中学生じゃあるまいし)

 既に幾度となく肌も重ねていると言うのに、どうも那美と向かい合うと、甘酸っぱい青春を満喫している気分になってくる耕介だった。


















「あた、あたたたたた」

 翌々日。

 寮生の誰よりも早起きな管理人は、全身を襲う筋肉痛に悶えていた。

「くっ……ちょっと、無茶しすぎたか」

 那美の仕事についていくようになって、耕介はここ数年、慣らす程度にしかやっていなかった剣の修行を再開した。

 まぁ、それで。昨日は締め切りを終えた漫画家がストレス発散にボコってくれたのを皮切りに、なんかやたら剣が走るのもあいまって、けっこう遅くまで霊力技も含め、修行をすることになった。

 ……んで、筋肉痛である。

「ぐ……だが、仕事はしなければ」

 たかが筋肉痛程度で、寮生の生活を放り出すわけにはいかない。

 朝風呂の準備に軽い掃除に朝食の準備に出かける子の弁当作りと、やることは山ほどある。
 特に今日は休日であるため、みんなのための昼食、およびおやつ作りもしなければならない。

 この体調でそれらの仕事を考えると気が遠くなるが、気合だ、気合。

 不思議と体を動かし始めると、あとは全身が痛かろうがどうだろうが、長年の管理人生活で染み付いた反射で勝手に仕事はこなしていってしまう。

 しかし、無論疲れないというわけではなく、最後の朝食作りをいつもより多少簡単に済ませた耕介は、がっくりと椅子に座り込んだ。

 朝食に集った寮生たちが、そんな耕介の様子を心配そうに見る。

「だ、大丈夫ですか、耕介さん?」
「ああ、那美。俺は平気だよ」

 心配してくれる那美に笑って答える。男は、惚れてる女に弱いところはあんまり見せられない。

「また無茶しちゃって。ほい」
「ぐわああああああ!?  リスティ、やめろぉ!」

 面白がって上腕二頭筋をつついてくるリスティから逃れる逃れる。

「昨日はずいぶん頑張っていたけれど、筋肉痛かい?」
「わかっているなら、無闇に触れないでくれ。昨日は霊力使いすぎたんだ」

 ただ体を動かしただけというならまだしも、霊力技の修行が止めだ。
 霊力を使いすぎると、こういう症状が出るのだ。

「相変わらず非科学的な現象だなぁ……」
「お前がそれを言うか」

 リスティはHGS。一応、科学的な研究は進んでおり、それなりに能力のメカニズムは解明されているそうだが……確かに、モノホンのエスパーが非科学的とか言うものではない。

「そんなにきついなら耕介。フィリスのところにいってきたら?  確か、今日は勤務しているはずだよ。那美も先日霊力使ったらしいし、二人で」

 その言葉に、那美がぴくっと反応した気がしたが、耕介は気のせいとして捨て置いた。

「フィリスの?」

 海鳴大学病院に努めているリスティの姉妹・フィリスは、結構な名医だそうだ。
 整体医学についても心得ており、スポーツ選手の整体をすることもあるという。

「今日は休みなんだし、街に遊びに行くついでにでも行ったらいいじゃないか」

 それは確かにいいアイデアだ。ビキビキ痛むこの体を直してくれるなら、どこへでも行こう。しかし、

「い、行きたいのは山々だけど、そういうわけにもいかないだろ。仕事はあるんだし」

 耕介が言うと、寮のオーナーである槙原愛は首を振った。

「耕介さんは今日は本来休みなんですから。好きに過ごしてくださってかまわないんですよ?」
「と、言ってもなぁ」

 昔から、休日だろうと関係なく寮の世話をしてきた。休みの日に出かけるといっても、大体が寮生の付き合いだし。
 今更外に出て遊ぶ、というのもいまいちピンとこない。

「ああもう。これだからなぁ。那美。お前も苦労するね」
「い、いえ別にそんなことは……」

 やれやれ、とリスティがあからさまに呆れた仕草をする。

「あのねぇ、耕介。せっかく付き合うことになったんだから、デートの一つでもしてきたらどうなのさ。せっかく水を向けてあげたのに」
「あ……」

 思わず那美を見る。
 視線を逸らされた。

 ……どうやら行きたいらしい。そういえば、付き合い始めてから夕飯の買い物くらいは行ったが、デートというのはしたことがない気がする。

「え、えーと」
「いえ、わたしのことは気にしなくても……」

 耕介の普段の仕事を知っている那美はそう言うが、耕介としてはそんなことに気を使わないで欲しかった。

 ところで、今は朝食の席である。
 若い寮生たちは、色恋沙汰に目がない。興味深々に二人の様子をガン見していた。

「こーすけ!  行くのだ!  そこで押し倒すのだー!」
「できるかぁ!」

 一人、特にエキサイトしている美緒を叱り付ける。

「え、と。その、那美。もし暇だったらなんだけど、今日、遊びに行かないか?」

 おおー、と盛り上がる。

「は、はい……」

 少し顔を赤くして、那美が頷くと、うぉおおおおーーー!  と乙女たちは沸きあがった。

 一人、冷静な顔で味噌汁をすすった真雪は、お箸をマイクに見立てて、

「そして、二人は夜のホテルに消えていくのだった」
「妙なナレーションを入れんでくださいっ!」

 実は、ちょっとラブホとか行ってみたいなぁ、と思っていた耕介は、内心バクバクしながら突っ込みをいれるのだった。







 ……出かける、とは言っても、先のとおり耕介の体調は絶不調である。

 真雪から借りたセダンを、少々危なっかしいハンドリングで操作し、はるばる海鳴大学病院までやってきた。

「てて……折りよく、午前はフィリス、休診らしいし……。とっとと診てもらおう」
「はい。というか、耕介さん。肩貸しましょうか?」

 那美の提案を丁重に断る。身長差からして押し潰す公算が高い。押し倒すのなら、むしろやりたいが。

「大丈夫大丈夫」

 無理矢理力瘤を見せて、元気っぷりをアピールする。

 やせ我慢が見え見えのその仕草に『仕方ないなぁ』と那美は呆れつつ、気付かない振りをしてあげた。

「えーと、フィリス・矢沢先生に会いたいんですが」

 受付でフィリスの部屋を聞く。
 家族の者だと言うと、快く若いナースさんは教えてくれた。

 現在、彼女は診察室でカルテの整理をしているそうだ。

「ありがとうございます」

 礼を言って、教えられた部屋に向かう。

 耕介は昔、知佳、リスティの付き添いで通い慣れた病院だ。HGS用にやたらSFチックな病室を備えたこの病院のことならば、大体はわかる。
 迷うことなく、フィリスの部屋に着いた。

「フィリス〜」

 コンコン、とノックをする。

 すぐに『は〜い』、と返事が来た。

「はいはい、……って、耕介さん?」
「や、久しぶり」
「那美さんも。こんにちわ」

 姉が数年前から失った柔らかな笑みを浮かべ、フィリスは二人を部屋に迎える。

「今、別のお客さんが来ているんですけど……那美さんは知っていますよね?」

 那美が固まる。

「……どうも、神咲さん」

 無愛想な黒い男が、衣服を整えながらそこにいた。

「きょ、恭也さん。恭也さんも、整体に来たんですか?」
「いえ。今日はレンの付き添いだけのつもりだったんですが……フィリス先生に捕まってしまいまして」
「恭也くんは医者泣かせですからかね。見つけたときに捕まえておかないと」

 どうやら、彼はかなりの問題児のようだ、と耕介は思った。

「それで、耕介さん、那美さん。今日は何の用ですか?」
「あ、そうです。フィリスさん。耕介さんを診てあげてください。筋肉痛で……」
「??  筋肉痛?」
「ちょ、ちょっと、霊力の使いすぎ」

 本来、あまり霊力だとか、よその人が居る前で言わないのだが、恭也は那美から、神咲のことを聞いているそうなので問題はないだろう。

「その、霊力って、使いすぎると筋肉痛みたいな症状が」
「ああ、そうなんですか」

 その恭也に、那美が補足説明をしている。

 昔惚れていた男との会話に、耕介の胸中は複雑だ。ムカつくような、嫉妬のような、腹に重くのしかかる感じ。

 別に、彼に問題があるわけではない。那美が弁当を作ったのだって、彼の母の経営している喫茶店から、試食を依頼されたから、そのお礼だし、以後彼に含むところはないと本人は言っている。

 ……しかし、それとこれとはまた別の話だった。

「耕介さん?  上を脱いで、そこに寝そべって欲しいんですけど」
「あ、ああ。ごめんごめん」

 フィリスに謝りつつ、耕介は言われたとおりベッドにうつぶせになる。

 その間も、耕介の聴覚は最大警戒態勢。
 那美と恭也の会話を一言たりとも漏らさぬよう、研ぎ澄ませていた。

「あれから、久遠はどうですか」
「え、ええ。耕介さんのおかげで、祟りは完全に消滅しましたし、順調です」

 なに、彼は久遠の件まで知っているのか、と耕介が思った辺りで、背中から妙な音がした。

「ぐえぇ」

 勝手に声が漏れる。

「ふぃ、フィリス?」
「〜〜♪」

 なんか鼻歌を歌っているし。

「ぐえ」
「ふん〜〜」
「ごが」
「んん〜♪」
「あきょっ!?」

 ほとんど拷問のような整体だ。
 以後しばらく、診察室に男の情けない悲鳴が響くのだった。
















「すみません。奢っていただいて」
「いや、別にいいよ。那美が『お世話』になっていたみたいだし」

 若干、嫌味が入ったかもしれない、と耕介は反省した。
 フィリスの整体の名を借りた関節技を受け終え、恭也が付き添っていた少女と合流した後、

 折角会ったので、病院近くの喫茶店で、四人は談笑していた。
 とは言っても、ほとんど満席だったので、二人掛けのテーブルにそれぞれ分かれて座っている。
 普通なら、それぞれ耕介と那美、恭也とレンという組み合わせのはずだったが、耕介の直談判によりこういう組み合わせと相成った。

「それで、なにかお話でも?  わざわざおれと一緒のテーブルになるなんて」
「いや、その、ね?」

 どう言ったものか、と耕介は口ごもる。

「な、那美が学校でどういう生活をしているのかな、と」
「?  おれは別の学年ですので、神咲さんの普段の生活はちょっと……」

 そりゃそうだろう。おれ、ちょっと落ち着け、と耕介は自分を叱咤する。

「いや、少し前、那美が弁当を作っていったろう?  味はどうだった?」
「ええ。とても美味しかったですよ。向こうのレンも一緒に摘んだんですが、とても」

 その美味しかったというのはきっと嘘だ。自分が作った分はともかく(それくらいの自負は、プロとして当然ある)、那美の作ったものは……正直、そんなに美味しいものじゃなかった。

 この男は、優しい男なんだな、と複雑な気持ちで耕介は認めた。
 しかし、今はそれ以上に気になることがある。

 レンを見る恭也の目は優しい。
 仏頂面ではあるのだが、彼女を見るときだけその表情が和らぐ。
 その表情に、自分と通じるなにかを感じ取った耕介が口ごもった。

「え、えーと」

 レンのことは、さほど気にしていなかった耕介は動揺する。
 か、彼女、小学生に見えるんだけど、もしかして……

「その、レンちゃんって娘は君の……」
「恋人です」
「……彼女、小学生じゃ」
「いえ、レンは海中の一年生ですが」

 どちらにしても、恭也とは五、六歳は年が離れている。
 大人になってからのその年齢差はたいした問題ではないが、まだ学生である彼らにとっては相当な年齢差だ。

 大体、そもそもの絶対年齢が低い。

「う、うーん」

 初対面で、まさかそれを諌めるわけにもいかず、耕介は唸った。第一、耕介とて同じ穴のむじなである。
 十一歳年下の学生、しかも親御さんから預かっている寮生に手を出した彼に、年の差のことでどうこう言う資格など無い。

「失礼ですが、耕介さんこそ神咲さんとは……」
「ああ、那美とはこの春から付き合っているよ」
「そうですか」

 深く頷いて、恭也はコーヒーを啜る。

 ……きっと彼も、何か言われたに違いない。
 そう思うと、この苦労は自分だけの物じゃなかったんだ、と耕介はなんとなくほっとする。

「その、重ねて失礼を言いますけど、神咲さんと付き合うってことで、なにか言われたりしませんでしたか?」
「……おれはね。彼女の姉の薫とは古い付き合いでね」
「はい」
「電話で報告したら、その日のうちに寮にすっ飛んできて、刀を突きつけられた」

 互いにコーヒーを啜る。
 周りは騒がしいのに、二人の間だけ、なにやら沈黙が降りた。

「おれも……」
「ん?」
「おれも、家族に報告したら、とんでもなくからかわれました」
「そりゃそうだろうな……」

 耕介も、今でも真雪やリスティにはからかわれる。
 いや、コイバナに飢えている他の寮生たちからもだ。まともなのは愛くらいかもしれない。

「それで、妹が……」
「妹?」
「美由希といいます。おれはそいつに、剣の修行をつけているんですが……」

 そういえば、と、耕介は思い出した。
 那美から聞いた話では、彼は古流剣術の師範代でもあるらしい。
 そういえば、ちょっとした仕草にも隙がなく、きっと耕介は剣のみの勝負でなら相手にならないだろう。

「レンとの関係を報告した夜、殺されそうになりました」
「…………」
「いえ、それはもちろん比喩なんですが……そのくらいの殺気でした。あいつ、まだ使い始めたばかりの神速に五秒も入ってきて」

 再び、二人の間に沈黙。
 那美とレンは、楽しげに談笑しているというのに、こちらの席の空気の重さは異常だった。

 しかし、二人とも奇妙な安心感に包まれている。

 ああ、おれだけじゃなかったんだ、というロリコンどもの深い連帯感だ。

「恭也くん」
「耕介さん」

 がっちり、握手をする二人。
 この日より彼らは深い友情で結ばれることとなり……

 この日、この二組のカップルは、ダブルデートと洒落込んだのだった。



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