「ふう……今どの辺かな」

 いつものエーテル技術製の学生服の上に外套、そして旅道具が入ったバッグという格好の友希は街道を外れ、大きめの岩に腰掛けて地図を広げていた。
 サーギオス帝国に行くと決めてから一週間。ようやく、ここまでやって来た。

「そろそろ旧ダーツィ領に入った頃……かな」
『ええ。おおよそそのくらいでしょう。どうします、主。今日はこの辺りで野宿をしますか?』

 うーん、と悩んで友希は空を見上げる。日はもうとっくに落ちていて、次の目的地であるケムセラウトに辿り着く頃には朝日が登ってていそうだった。
 今朝、サモドアを出てからこっち、かなりのペースで歩いているが、やはり間に合わなかったか。

「はあ、全力で飛ばせばそんな遅くならないうちにケムセラウトに入れるんだけど」
『主も納得済みの話じゃないですか』
「まあ、そうなんだけどさ」

 友希は、ラキオスを出立前にレスティーナから言われたことを思い返す。
 そんなに難しい話ではない。極力、エトランジェであることを知られないようにして欲しい、という話だった。

 今、ラキオスは不安定に揺れている。急速に広がった領土に、国王の死と、人気があるとはいえまだ若い女王。それでも、表向きしっかりとしているのは、エトランジェ・ユートの存在が大きい。
 絶対的な力を持つ、かつての勇者の再来。スピリットを殺して得た名声など、悠人は決して喜ばないだろうが、わかりやすい象徴となっている。

 そして、その同輩である友希。
 二人ものエトランジェを擁するラキオスが、帝国の卑怯な襲撃なぞ二度と受けるものか。
 一般市民の世論はこんなものだ。

 この情勢で、友希が帝国へ行くと知れたらどうなるか。それだけで崩壊はしないにせよ、『エトランジェが裏切った』と、あまり愉快でない噂が流れるのは止められない。
 故に、友希は一般の旅人を装って行動する。神剣の力を使って、軍事行動よろしく国境を一日二日で越えるなどもってのほかだった。
 もっとも、殆ど休憩なしで早足に近いスピードで歩いているので、普通の人間の旅路よりはぐっと早いが。

「んじゃ、ここで一泊ってことで。とりあえず火起こすか」

 サバイバル技術は、ラキオスの訓練でも最低限はやっているため、行動に迷いはない。

 まずは枯れ木を集め、そしてエーテル技術の用いられた火起こし器を使って火付けをする。火を起こすまで、十分と経っていない。

「ふう」

 バッグの中から、干し肉を取り出し、火で炙る。肉が焼けるのを待つ間、サモドアで購入したクッキータイプの保存食をもそもそと頬張る。
 友希の場合、最悪、マナさえ十分にあれば飢え死にすることはないため、持っている食料は最低限のものだ。それも、日持ちより味を優先させている。

 だが、なんとも味気なく、不味かった。

『贅沢になったもんだ……』

 味がついたのを食えるだけマシ。そんなサルドバルト時代に比べると、舌が随分と地球時代に戻った気がする。
 いや、単純な味だけのせいじゃない。ここのところ、食事時はいつも騒がしいメンツがいたから、静かなのはどうにも落ち着かな――

『おやっ、主。静かなのが寂しいと思っていますね? 成る程、じゃあお話しましょう、お話!』
『……黙ってろ』

 やはり、静かな方がいいな。と、『束ね』を黙らせつつ、友希は焼けた肉を口に運ぶ。
 そのままだと味は薄いが、噛み続けると肉の味がした。まあ、暖かいだけマシ、そんなものだ。

『しかし主。今更ですが本当にサーギオスに向かって良かったんですか?』
『なんだ、珍しい』

 『束ね』が、自分から友希の選択についてあれこれ言うのは随分と久し振りだった。

『いえ、第二宿舎の皆さんのこと、置いていってよかったのかなあ、と』
『……うん、まあ、それはちょっとな』

 付き合いは短かった。こちらの暦で、二ヶ月ほど。それでも、確かに彼女たちとは一緒に暮らして、仲間と呼べる関係だったのだと思う。
 友希が出立するときには、仕事が忙しいだろうに、全員で見送ってくれた。精神年齢の低いネリーとシアーは最後涙ぐんでいたし、あのニムントールですら、物陰に隠れながらだったが見送りには来てくれていた。

 本音を言えば、あそこに残りたかった。

『でも、もう決めたことだからな』
『はい、失礼しました』
『ああ』

 十分と立たず、保存食は友希の腹に収まる。
 腹八分目どころか三分目くらいの量だったが、とりあえず人心地ついた。

「……寝るか」

 となると、本格的にすることはない。

『主、まだ寝るには早いでしょう。ここは是非とも私とお喋りをば』
『あー、はいはい。また今度な。お前、一度話し始めると止まらないだろ』

 他の人間がいれば遠慮するのだが、一人旅なので『束ね』はよく話しかけてくる。暇が潰れるので助かっているが、今は面倒くさかった。歩きでの肉体的な疲れは殆ど無いが、精神的には歩き詰めの一日に疲弊している。
 友希は、バッグの中からシーツを取り出て身に包む。

 火の番はどうしようかと一瞬悩むが、いつも通り消しておくことにする。獣などが来ても『束ね』が警告してくれるし、万が一火事になったりしたらことだ。

『……んじゃ、『束ね』。なんかあったら起こしてくれ』
『了解。……構いませんけど、なんか便利に使われてますね、私』

 『束ね』の愚痴を聞き流して、友希は目を瞑る。
 屋外での一人寝。最初はなかなか寝付けなかったが、もう慣れたものだ。友希はすぐに眠りに落ちていった。































『主、主』
『……んあ?』

 『束ね』の呼びかけに、友希の意識が浮上する。

『……なんだ、どうした? 猛獣か何かか?』

 感覚では、寝入ってから三十分と経っていない。正直、眠気が凄いが、危険があるかもしれないならそうも言っていられない。

『いえ、獣ではないです。主の周囲を囲むように、人間の気配が十人分ほど』
『……人間?』

 街道の近くの森だから、友希と同じように野宿に来た人間かもしれないが、普通の人間は街道のそばの開けたところにキャンプを張る。水汲みやらなにやらなら、友希を囲んでいる理由はない。

『どうも、気配を消そうとしていますね。私からすれば丸わかりですが』
『……おいおい』

 面倒臭そうな予感がした。とは言え、無防備なままでいるわけにもいかず、『束ね』から力を引き出して身体能力を強化。
 暗闇を暗視鏡よりもクリアな視界で捉え、『束ね』から送られてきた人間の位置をざっと確かめる。

 そのうち、正面にいる三人組が、弓を構えているのが見えた。
 キリキリ、と弦を引き絞る音が強化された耳に聞こえてくる。

「っ」

 小さな声とともに、矢が放たれた。友希が背を預けている木に矢が突き刺さる。

「外れた、行け!」

 弓を放った頭領らしき男の合図とともに、剣や槍を持った連中が友希に殺到してきた。
 よく夜目が効くな、と感心しながら、友希は立ち上がる。

『山賊か』
『ですね』

 街道に山賊の類が出現するのは、よく聞く話だ。スピリットや人間の兵士が定期的に巡回はしているが、根絶することはできない。戦乱が終わってまだ間もなく、地方での治安はまだまだ悪いのだ。
 今の今までその可能性を考えていなかった。多分、途中から付け狙われていたのだろう。

「死ねえ!」
「嫌だ」

 最初に到着した男の攻撃を軽く半身になって躱し、腹に拳をめり込ませる。悶絶する男を無視して、続いてやって来た賊二人の剣を掌で受け止めた。

「なァっ!?」
「す、素手で受け止めやがった!?」

 危険を感じなかったのでやってみたが、本当にびくともしない。そのまま剣を取り上げて、二人の男を蹴り飛ばす。二人は、うまい具合に気絶してくれた。

『殺さないので?』
『……まあ』

 これが、万が一にも自分が負けそうな相手だったら、殺していた。少なくとも、仕方なく戦わされているスピリットを斬るより余程気楽だ。一方的に襲いかかってきた相手を許してやるほど、友希は聖人ではない。
 しかし同時に、殺さなくても済むのに態々殺しを選ぶほど悪趣味でもないつもりだ。彼らも好きでやっているとは限らない。食うに食えず、止む無くこんなことをしているのかもしれない。どちらにせよ、殺すよりは殺さないほうがいいだろう。なにより、自分の精神衛生的に。

 そして、普通の剣や槍、弓で武装しただけの山賊など、今の友希にとっては『殺さなくても楽に制圧できる』対象だ。仮に、連中がこの世界では先進的な兵器である銃を持っていたとしても変わらない。
 一般兵が百人集まっても、スピリットには敵わない。それが、この世界の常識である。

 その後にかかってきた連中も全て、友希に触れることなく倒れた。

「糞がぁ!」

 やって来た賊を全て一撃で下した友希に、一人だけ離れていた賊の頭が再び矢を番える。
 そのまま、速射に近い速度で矢を放ち、

「っと」

 狙いが逸れて、彼の部下に当たりそうだったのを、友希は矢を掴んで止めた。自爆までフォローしてやる必要はなかったかな、とやった後で思ったが、咄嗟にやってしまったので仕方ない。

「ひっ、ば、化け物!?」
「……酷い言い草だ」

 同時に、仕方ないかな、とも思う。
 永遠神剣を持った人間は、確かに化け物じみた力を持っている。話には聞いていたが、永遠神剣を持っていない相手ならここまで一方的になるのか、と友希自身も驚いていた。

 相手からすると一瞬のうちに、二十メートルはあった距離を詰める。男が次の矢を番える前に肉薄した。

「早っ……」

 そのまま、一発殴って気絶させた。
 最後の男が倒れてから改めて索敵するが、どうやら付近に仲間はいないようだった。

「ふう〜〜」

 深呼吸をして、体の緊張を解す。いくら神剣を持たない相手とはいえ、やはり戦いは緊張する。
 それに、うっかりやりすぎて殺してしまわないよう手加減するのも骨が折れた。一応、死んだ人間はいないようだが、何人かは気絶できず、怪我の痛みに呻いている。

 十人の男が、死屍累々と倒れている様子を見て、友希はため息をついた。

「……で、どうしようこれ」
『どうしようもなにも、どうするつもりだったんですか』






































 山賊を殺さずに無力化したはいいが、そこからどうするべきか友希は悩みに悩んだ。

 このまま放置は論外。回復して、また別の誰かが襲われたとなると後悔してもしきれない。
 なら、連中を引き連れてケムセラウトに向かって、あちらの憲兵に預けるか。それも、目立ってはいけない身である自分には勘弁願いたい。
 ロープはあるのだから、ふん縛って街道に放置。……全員を拘束するにはロープの長さが足りず、ついでに抜けられでもしたら一つ目と同じ事態になりかねないので却下。

 一応、四つめの選択肢として、連中を改めて殺すことも思い浮かんだが、いくらなんでも無抵抗の相手を殺すのは、と考えた辺りで、天佑がやって来た。

 街道警備のスピリット小隊が通りがかったのだ。
 スピリットなら、友希のことを漏らすことも有り得ず、これ幸いと呼び止めて賊のことを頼んだ。

 そして、万事問題なくケムセラウトを抜け、法皇の壁に向かって歩いているわけなのだが、
 いい加減、無視することもできなくて『束ね』は友希に尋ねることにした。

『どうしました、主? 賊の一件からこっち、ちょっと変ですよ』
『まあ、あれだ。あんまり面白いことじゃないぞ』

 自分の手を見つめて歩く友希に話しかける『束ね』にそっけなく返すが、『束ね』は寧ろ食いついてきた。

『ほう、それは面白そうな。是非ともお聞かせください』
『……人の話は聞けよ』

 はあ、と友希は呆れ気味にため息をついて、別に隠すことでもないかと『束ね』に語りかけた。

『なんだ、その……僕も、一般の人から見れば化け物なんだなあ、って実感しただけだ』

 基本的に、今まで友希の周りにいたのはスピリット、もしくはスピリットに頻繁に関わるような人間しかいなかった。王都の警備任務で少しは一般の人とも話したが、その人達の前で力を振るったことはない。

 永遠神剣の力を振るう存在に対する、普通の人の感覚を思い知って、なんとも表現できないもやもやした感覚を覚えていた。

『もしかして、私、捨てられちゃいますか』
『捨てるわけないだろ、今更。だいたい、お前を持っているのが嫌になったとか、そういうんじゃない』

 今は、そんなことを気にしている場合ではない。瞬のことや佳織のことに集中しないといけない。
 だけど、どうしても考えてしまう。このファンタズマゴリアに来てからスピリットへの扱いについて、ずっと憤っていた、だけども、こんなに圧倒的な力の差があれば、そんなスピリットを人が疎むのもわかる気がするのだ。
 得体のしれない、人智を超えた力を持った『化け物』。人間に絶対服従しているため、色々と屈折しているが、きっとこれが人の偽らざるスピリットへの本音だろう。

 これを変えられるか、変えるにはどうすればいいか。そんな、益体もないことが次々に浮かんでくる。
 こちらに来てから出会ったスピリットたち。彼女たちのために、一体なにをすればいいのか。

「はあ……ほんと、どうしようもないな」

 自分には、そんな大きなことは手に余る。友達のことや恋人の敵討ちすらままならない自分が、この世界のことをどうこうしようなどおこがましい。
 わかってはいるのだが、『束ね』がいるせいで、こんな自分にも何かができるんじゃないかと、錯覚してしまう。

『いいんじゃないですか? 敵討ちより、よほど健全な目標だと思いますが』
『健全だろうがなんだろうが、できることとできないことがあるだろ』
『そうでしょうか? 今この大陸は、大きな変革の時期を迎えていると思いますよ。そりゃ、一朝一夕では無理でしょうが、ドラスティックな価値観の変遷はこういう時にこそ起こるものです』

 大きな戦争と、国家の統一。ラキオスで起こったことを思い返し、なるほどとも思う。
 そして、戦争ならば友希にもできることはある。

 と、

『……ま、本当に、その話はまた今度だ。見えてきたぞ、法皇の壁が』
『おや、残念。……主、警備らしきスピリットがこっちを見ています。気をつけて』

 そんなことを話しながら、とうとう友希は、サーギオス帝国の入り口に辿り着いた。




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