佳織が地球へ帰還する当日の朝。
スケジュールを調整し、スピリット隊も疲労抜きのための休養日とした今日は、朝から佳織が世話になった人間に挨拶回りをしていた。
「御剣先輩。今までありがとうございました」
「ああ、いや。そんな畏まって言わなくても。これが今生の別れってわけでも……ないかもしれないしさ」
第二宿舎にやって来た佳織の神妙な態度に反論しかけ、友希は言葉尻を濁した。
自分と、光陰と今日子。こちらに残って戦い続けるわけだが、その後、地球に帰れる公算は低い。地球への次の門が開くのは、時深によると約三十年後。友希が一度地球に帰還した時のことを考えると、こちらとあちらでは時間の流れが違うだろうが、三十年も年を食った後に帰っても問題しか起きないだろう。
「あの、ところで本当にいいんですか? 御剣先輩だけじゃなくて、碧先輩や今日ちゃんも……家族になにも伝えなくて」
これは友希達三人で話し合って決めたことだった。
客観的に見ると、六人が行方不明となり、佳織だけが帰還する形になる。悠人達が親友同士であり、もう一人の行方不明者である瞬と確執があることは周知の事実だ。
佳織に好奇の目が向けられることは想像に難くないし、安否を気遣う家族は佳織を問い詰めるだろう。
その時、『ファンタズマゴリアという異世界に行っていました』などと証言する訳にはいかない。間違いなく馬鹿にされていると感じて、佳織に手を上げるかもしれない。
「ま、いいさ。佳織ちゃんは知らぬ存ぜぬを貫いてくれれば。なぁに、俺の家族なら大丈夫だ」
「僕は、親が昔から出張がちで割と疎遠だし」
「あたしも、佳織ちゃんが迷惑するくらいならいいよ」
「……ありがとうございます」
三人の答えに、佳織は頭を下げる。
「……でも、その、秋月先輩のことは? せめて亡くなったことだけでも伝えたほうが……後、御剣先輩から預かったこのヨーヨーも、形見になるんじゃ」
「それはやめて欲しい。瞬の奴、家族とは険悪な仲だったから」
地球にいた頃、友希は何度も愚痴られていた。
瞬に母親はおらず、父親とは相当反りが合わないらしい。家族のことを話すときは悪態以外を聞いたことがない。悠人に対するそれと負けないくらいの悪感情を抱いていたように思う。
「佳織ちゃんさえ覚えててくれれば、あいつはそれで満足だろうからさ」
「……はい。わかりました」
佳織は少し悩む素振りを見せたが、最終的にはコクンと頷いた。
「それで、帰りは夕方頃になるんだっけ?」
沈んだ空気を変えるように、今日子が明るい声で発言する。
「あ、はい。今、ヨーティアさんがそのための装置の最終調整中だそうです」
「ヨーティア、確か昨日会った時二徹目とか言ってたけど、まだ仕事してるのか……」
万が一にも事故が起こらないよう、帰還のための装置の各種テストと調整を急ピッチで進めているのだ。
友希が訪れた時、丁度怪しい色をした液体を飲んでいたが、あれが以前イオの言っていた『ギリギリ合法』な薬物なのだろうか。怖くて、友希は聞けなかった。
「頭が下がるな。今度、なにか差し入れでも持っていくか」
「だったらハリオンのお菓子がいいわよ。地球のお菓子も作っててさー。あたしも試食したんだけど、美味しいわよ」
「おい、俺、食ってないんだが」
「悪いわね〜、材料費も馬鹿にならないから、試食出来るのは少ないのよ」
今日子と光陰のやりとりに、佳織が小さな笑いをこぼす。
佳織にとっては、ずっと慣れ親しんできた二人のやりとりだ。ファンタズマゴリアに残っても、この二人が一緒にいれば、変わらず笑っていてくれるだろうと安心できる。
恐らく、一人でエターナルになるつもりである兄のことは、アセリアに頼んでおいた。ちょっと悔しい気持ちもあるが、これからの悠人に必要なのは自分ではなくアセリアであり、二人もそれを望んでいるだろうと納得している。アセリアと一緒なら、悠人は強く歩んでいけるだろう。
そういう意味で言えば、大切な人を亡くしたという友希のことが、実は佳織は少しだけ心配だが、
「さて、と。折角の休養日だし、佳織ちゃんを見送る時間までは、僕はちょっと昼寝を……」
「あ〜! トモキさま! 昼寝するくらいなら、ネリー達と遊ぼう!」
「あそぼ〜」
神妙な空気に遠慮しつつも覗き見していたネリーとシアーが突貫してきて、
「ちょっと、トモキ様? 休むのは結構だけど、その前にこの書類だけ決済して」
その二人を窘めながら、割と分厚い書類の束を持ってセリアが声をかける。
他にも、何人かこちらの様子を伺っていたスピリットがいたが、みんなの視線は優しい。
佳織は、自分なんかが心配する必要はなかったな、と思った。
「よし、友希は仕事らしいから、ネリーちゃん、シアーちゃん。お、俺と遊ぼうぜ。も、もちろん、変なことはしないからさ」
「えー? コウインとー?」
「こら、ネリー。コウイン様と呼びなさい。一応、けじめは付けないと」
「いいよいいよ。呼び捨てでもなんでも。だからネリーちゃん、もっと俺の名を呼んでくれ。こう、愛を込めて!」
スパーン! と、ハリセンを振り抜く快音が鳴り響く。
「……なあ、碧。僕、前々から思ってたんだが、お前それ、ツッコミが欲しくてわざとやってるだろう」
「ぐっ……いや、俺のこの溢れ出るパッションが自重を許さないんだ」
「そう、ならあたしが物理的に自重させてあげようか?」
「っと、悪かったって! 勘弁してくれよ!」
パリパリと大気に雷が弾け始め、危険を感じた光陰は平謝りする。
恋人の前であのような言動は、流石に佳織もフォローのしようがない。永遠神剣の力を使う今日子もやり過ぎだと思うが。
「ま、こんな感じで元気でやるからさ。佳織ちゃんも、あっちに帰っても元気で」
「は、はい。でも、今日ちゃんがやり過ぎないよう、注意してください」
「それは……まあ、うん……。努力は、してみるけど」
友希は自信なさげに了解する。
佳織も、言ってから、ちょっと難しいかな、と思った。
そして、あっという間に一日が過ぎ。
日が傾きかけた時刻、城の中庭に大勢が集っていた。
佳織と縁のあったスピリットたち、エトランジェ、時深、多忙を極めているはずの女王やヨーティア。更には、遠巻きに以前佳織の世話をしていた女官までもが数人、見守っていた。
こちらでは半分以上の時間を軟禁状態で過ごしていたはずの佳織の見送りに、これだけの人数が集まったのは、偏に彼女の人徳あってのものだろう。
幼いころ、あの瞬すら救い上げた彼女は、多くの人に愛される気質だ。
「……これが、ハイペリアへ帰還する最後の機会です。ユート、トモキ、コウイン、キョウコ……決意は変わりませんか?」
着々と準備を進めるヨーティアを見ながら、レスティーナがエトランジェの面々に語りかける。
「…………」
誰もが、沈黙のまま返答をしない。その無言の肯定に、レスティーナは目を伏せ、『ありがとうございます』と呟いた。
「さって、準備は完了だ。カオリ殿、そっちの円の中に」
「はい」
ヨーティアの呼びかけに、佳織はゆっくりと歩みをすすめる。
一般男性の身長の倍程の円柱に、その先に付いた球体。周りを囲む、得体のしれない機械類。そんな、どこか見た目は胡散臭い装置の中心に佳織は立った。
「間もなく『門』が来る。その門をトキミ殿の『時詠』の力によって固定化して、カオリ殿をハイペリアへと送る。痛みもなにもないし、旅は一瞬で済むから、心配することはないよ」
「はい。ヨーティアさん、ありがとうございます」
「なぁに、この天才にとっては軽い仕事さ。感謝してもらうまでもない」
ひらひらと手を振って軽口を言うヨーティアだが、目の下に隈が深く刻まれており、全身に疲労の色が濃い。そのことにこの場の全員が気付いているが、指摘してもこの天才は笑い飛ばすだけだろう。
心の中で重ねて礼を言って、佳織は近くにいる数人に顔を向ける。
「レスティーナさん、ウルカさん。お二人のおかげで、お城やサーギオスでの生活も、楽しく過ごせました」
「いえ、カオリ。私はそれ以上に貴女に酷いことをしてしまいました」
「手前も。そもそも、手前が拉致しなければ……」
ふるふる、と佳織は首を横に振った。
「それでも。ありがとうございます」
礼を言われた二人はそれ以上反論はせず、ただ深く頷いた。
「御剣先輩、碧先輩、今日ちゃん……」
「佳織ちゃん、そ、その……元気で! 手のかかる悠はいないけど、気を抜いちゃ駄目よ!」
今日子が涙声で、ことさら明るく振る舞う。
「参ったな……俺も、元気でいてくれってくらいしか言葉が出てこない。もうちょっと、口は上手い方だったと思うんだけどな」
「碧先輩ったら」
はは、と軽く笑う光陰も、どこか寂しさを隠せないようだった。
「僕も、二人と同じかな。元気で。……あと、できればもう一つ。あの傲慢で、自己中心的で、でも佳織ちゃんのことを一番に考えてたあいつのこと、忘れないでやって欲しい」
「……はい。わかりました、御剣先輩」
「ありがとう」
佳織の返事に安堵して、友希はほっと息をつく。
「皆さんも、お世話になりました」
その場に集まった残りの面々を見渡して、深く、深く佳織が頭を下げる。
その仕草に感極まったのか、スピリットでは佳織と最も仲の良かったオルファリルが彼女に駆け寄る。
「カオリッ!」
「オルファ……」
「嫌だよ! オルファ、カオリと別れたくない――!」
涙を浮かべ、駄々っ子のように首を振るオルファに、佳織は優しく語りかける。
大切な別れの言葉を、一つ、二つと紡ぎ、そっとエスペリアが肩を抑えて下がらせた。
「……来るぞ!」
計器類をチェックしていたヨーティアが叫び、凄まじい光が帰還のための装置に溢れる。
その様子に、佳織ともう一人――なにを言っていいかわからず、沈黙していた悠人を除いてその場を離れる。
「佳織……」
「お兄ちゃん」
キィィー、と門が近付く甲高い音が響き、悠人と佳織の会話は他の者には聞こえない。
しかし、幾つもの言葉を交わし、涙を流しながらも笑顔を浮かべていることは見て取れた。
光はますます強くなっていく。
微かに、悠人や佳織が叫ぶ声が漏れ聞こえ、
「………………」
現れた時と同じく唐突に、光と音は掻き消えた。
変化はたったひとつ。装置の中心に立っていた佳織が消えている。
「無事、転送完了だ。間違いなく、カオリ殿はハイペリアへ帰った」
ヨーティアが言い、それで気が抜けたのかよろりとよろめき、装置に身を預ける。慌ててイオが駆け寄り、ヨーティアに肩を貸してその場から離れていった。
それに合わせ、一人、また一人とその場を去っていく。
残った悠人は、佳織と繋いでいた手を強く握りしめ、それにアセリアが寄り添う。
「……次は、悠人か」
ぽつり、と、中庭に背を向けて、友希は呟いた。
今日、この日、親しい二人と恐らくは永遠の別れをしてしまう。
目尻に浮かんでいた涙を拭い、友希はゆっくりと今の自分の家へと向かった。
夜も更け、普段なら誰もが寝入る時間帯。
『束ね』を通じて、密かに城の敷地全体の気配を探っていた友希は、いよいよ訪れた時にゆっくりと立ち上がった。
「よ、っと」
自室の窓から飛び降りる。
音もなく着地したはずだが、かさ、と草を踏む音が耳に届いた。
ふと音のした方に視線を巡らせてみると、同じように窓から飛び降りたと思われるヒミカが、バツの悪そうな顔で立っていた。
それに苦笑して、言葉も交わさず軽く走りだす。
気配を感じる方向。城の敷地にある森を駆け抜けていると、先程のヒミカ以外にも二つ、三つ、四つと慣れ親しんだ永遠神剣の気配が増えていく。
誰もが、考えることは同じだったらしい。
やがて、『そこ』が見える場所に辿り着く。
木の枝の上に立ち、声も上げずに見守る。
時深、悠人、アセリアの三人が集まっている場所。これからエターナルになるべく、悠人とアセリアが旅立つところだ。
『皆さん、集まってますね』
『ん、みたいだな』
友希と同じように樹上でその様子を見ている気配は十を優に超えている。
悠人と繋がりの深いスピリットらが、全員集まっていることは明らかだった。
悠人は誰にも告げず、一人旅立つつもりだったらしいが、そうは問屋が卸さないというわけだ。彼が考えていることなど、この戦争を共に駆け抜けたスピリットたちにはお見通しである。
悠人の意志を尊重し、アセリア以外は声をかけていないが……しかし、見送りくらいはしても良いだろう。
永遠神剣を持っていない悠人は気付いていないが、時深やアセリアは当然こちらに気付いている。それでもなにも言わないのだから、あの二人も共犯だ。
無数の、無言の影が見守る中、動きがあった。
「…………」
時深がなにかを呟いて『時詠』を掲げ、上位永遠神剣が存在するという場所への道を開く。
悠人とアセリアの二人は、時深に続いてその道を歩き始める。
迷いのない、力強い背中。これから永遠を生きる彼らの旅立ちは、どこか神々しい。
やがて光溢れる道を歩んでいた二人の姿が見えなくなる。しばらくすると時深の開いた道も閉じ、静寂が戻った。
ややあって、その場に集まったスピリットたちが示し合わせたように帰路につく。
まだ、悠人達の記憶は消えていないが、それも時間の問題だろう。それまでは、二人との思い出に浸りながら、ゆっくりと過ごすことになる。
「……頑張れ」
夜空を見上げ、一言だけ二人にエールを送る。
記憶をなくしても、彼らは戦友だ。新たな剣を得た二人は、来るべき戦いの中で、きっと大きな力となってくれるだろう。
それに恥じないよう、自分たちも彼らが帰ってくるまで、精一杯戦う。
そう決意して、友希はその場を去るのだった。
|