聖ヨト歴330年、シーレの月青よっつの日。
 ラキオス王国は、バーンライト王国へと宣戦布告した。

 両国――特にラキオスの民は、戦争ムードに興奮し、町は活気に満ちている。
 それというのも、聖ヨト時代の勇者の再来……エトランジェ、求めのユートがいるからだった。

 曰く、スピリット数十体を一瞬で斬り捨てた、龍を相手に一対一でこれを討ち滅ぼした、大陸全土を統一するだけの力を持っている。どれもこれも、噂の当の本人が聞けば、慌てて否定するような根も葉もない話が広まっている。

 もちろん、物語の英雄のように敵軍を一人で蹴散らすような真似は悠人には出来ない。
 彼は今、バーンライトに最も近いラキオス領エルスサーオにて、血みどろの防衛戦を繰り広げていた。

「エスペリア! 俺と一緒に前に出て防御だ!」
「はい!」

 ラキオスは、未だ龍から得たマナをエーテルに全ては変換していない。時間はラキオスに味方する。マナのエーテル変換が終われば、バーンライトにほぼ勝ち目はなくなるのだ。
 そのため、短期決戦とばかりにバーンライトはエルスサーオに大量のスピリットをけしかけていた。

 五人ほどのブルースピリットの攻撃を、悠人はエスペリアと共に広い範囲の障壁を展開して防ぐ。その範囲、強度共に友希を遥かに凌駕している。
 だが、五人の同時攻撃とあっては、流石に厳しい、ぴし、と罅が入る。

「グッ……舐、めるなぁっ!」

 悠人が咆哮を上げ、気合を込めると彼の神剣『求め』から更なる力が溢れ、障壁を修復し、更には壁に取り付いていたスピリットたちを吹き飛ばす。
 その威力に、隣のエスペリアは目を剥いているが、悠人は気付かずに声を張り上げた。

「アセリア! いい加減、一旦退け! 孤立するぞ!」

 悠人は、一人突出し、敵スピリットを斬りまくっているアセリアに必死で呼びかけた。
 アセリアの実力は、近隣諸国のスピリット達の中ではトップクラス。今も実際のところは余裕を持って危なげ無く戦っているものの、まだ戦い慣れない悠人から見れば四方を敵に囲まれ絶体絶命にしか見えない。

 そのアセリアは、悠人に名前を呼ばれてちらりと視線を向けると、そうとは分からないほど微かに頷いた。聞こえはしないが、悠人にはいつものように『ん』と返事をしていることが分かった。

(大丈夫だ、ってことか?)

 引く様子が見られないとなると、そういうことなのだろう。くそ、と悠人は歯噛みする。

「オルファ、私たちが防いでいる間に魔法を」
「りょーかい!」
「!? 待て、オルファ、まだアセリアが前に……」
「アセリアなら大丈夫です」

 エスペリアの指示に慌てて割って入るも、エスペリアは余裕のある顔で頷いてみせた。
 悠人はそれでいいのかと悩むが、名目上隊長とは言え、経験豊富なエスペリアの判断に異論を挟むことは結局しなかった。

「くっ、うぉおおおおっっ!」

 せめてオルファリルには近付けさせないと、近寄ってきたスピリットの一体に『求め』を打ち付ける。
 荒削りな剣。早いことは早いものの、前動作が大きく単純な軌道のそれをそのスピリットは余裕を持って受け止め、

 ベキッ、と割り箸を折るような容易さで、『求め』を受け止めたスピリットの剣はへし折れた。

「ッカッ!?」

 そのまま、悠人は剣の主であるスピリットを両断した。スピリットの顔は驚愕に歪み、呆然と剣を振り切った悠人を見ている。
 その視線から思わず逃げてしまいそうになるもなんとか堪えて、悠人は自分がたった今斬り殺したスピリットの顔を見つめる。

 自己満足に過ぎないことはわかっていた。しかし、なるべく自分のしたことから目を背けたくはない。
 それは『求め』から沸き上がってくる歓喜の声を抑える意味もあった。スピリットを斬ることで、そのマナを吸収する――『求め』が契約の代償と呼ぶそれは、悠人に罪悪感を塗り潰すような快楽を与える。

 しっかりと自分のしたことを目に刻みつけ、悠人は次の敵を探そうと視線を彷徨わせる。しかし、エトランジェの力を目の当たりにしたスピリットたちは、警戒し近付いては来ない。
 その間に、後ろに下がったオルファリルの神剣魔法が完成した。

「いっくよぉ〜、ふれいむ、しゃわ〜〜!」

 気の抜ける可愛らしい声とは裏腹に、強力な力を秘めた火のマナの礫が敵に降り注ぐ。
 その一瞬前。敵陣深くに切り込んでいたアセリアはハイロゥの翼を広げ、凄まじい勢いで魔法の有効範囲から離脱していた。

「ァァァアアッッ!?」

 スピリットたちの断末魔の声が響く。悠人は胸を突き刺すような痛みを感じるが、あえて無視した。

「ぉぉおおっっ!」

 オルファリルの魔法が途切れると同時、悠人は駆け出した。アセリアも同時に走っている。
 魔法の直撃を受け、致命傷を受けているスピリットは無視。まだ戦闘可能な程度の負傷のスピリットを斬っていく。

 そこから先は、殲滅戦の様相を呈していた。捕虜を取る、という選択肢はこの世界の戦争においては存在しない。人ならば尋問して情報を引き出すなり労働力として使うなり出来るが、他国のスピリットがラキオスに帰順することも情報を吐くことも有り得ないのだ。
 また、撤退もない。バーンライトのスピリットのように、その意思を全て神剣に呑まれている者は、ただ命令を聞くだけのことしかしない。指揮官でもいれば、逃げを打つところだろうが、生憎とバーンライトの指揮官――人間はこんな前線には出てくることはないのだった。

 動けるスピリットがほぼ居なくなった状況で、悠人たちは粛々と、もう死を待つだけの動けないスピリットたちに止めを刺していく。
 動けもしない相手を殺すのは更に気が咎めたが、ここで逃しては後で敵が増えるだけ。悠人は心を殺して一人一人胸に『求め』を突き刺していった。突き刺すごとに嬉々としてマナを強奪していく『求め』を憎しみを込めて睨む。

「ユート様!」

 声をかけられ、顔を向けてみると、エルスサーオの別の入り口を防衛していたラキオスの別部隊のみんなが手を振っていた。どうやら、あちらも敵を撃退することに成功したらしい。
 この戦争の直前に初めて顔を合わせた仲間。戦闘で手を振るレッドスピリットは……

(確かヒミカ……だっけ)

 なんとか名前を思い出して、返事をした。

「ああ、そっちは大丈夫だったか!」
「はい!」

 ヒミカを先頭に、今回加わった仲間たちを見る。まだ顔と名前が一致するか不安だ。ヒミカの他、ブルースピリットのネリーとシアー、グリーンスピリットのハリオン、ブラックスピリットのヘリオン。

(……合ってる、よな)

 悠人は内心不安になりながらそれぞれの顔を見比べる。
 
 最初は、気心のしれたみんなとの方が連携も取りやすいかと、同じ館に済むスピリットで固めていた。だが、今後はあちらのスピリットたちとも部隊を組む必要があるだろう。
 今はバーンライトの攻勢が激しいから無理だが、それも近いうちに息切れするというのが情報部の予想だ。その後はバーンライトに攻め込むが……こちらから侵攻する前に、一度一緒に訓練をして互いの能力を知り合う必要があるだろう。
 ほぼエスペリアからの受け売りであるが、そんなことを考えながら悠人はスピリットのみんなの所へと歩いて行く。

「っ!? ユート様!」
「え?」

 ふと、ヒミカの鋭い声。
 呆けた声を上げる悠人に『求め』が警告を発してきた。

『契約者よ、後ろだっ!』
「――っ!?」

 『求め』のイメージに従い、振り向きざまに一閃。

 最後の気力を振り絞り、悠人を討たんとしていたバーンライトのスピリット。彼女は胸を大きく裂かれ、『ァ』と小さく声を上げて倒れた。
 ややあって、マナの霧へと昇華していくスピリットを見て、悠人はぎゅ、と『求め』を握りしめる。

 ――こんなものでは駄目だ。ヒミカの警告がなければ、手痛い負傷を負っていたはずだ。
 戦争をしたいなんて思わない。誰かと争う力なんて、本当は欲しくはない。

 しかし、佳織を救うためには、悠人はどうしても強くある必要がある。それに、隊長である自分が不甲斐ないと、ひいてはアセリアたちにも危険が及ぶ。

「……強く、ならないとな」

 血が全て黄金のマナの霧となって消える……血の流れない戦場。そのただ中で、悠人は静かに決意する。

「ユート様、大丈夫ですかっ!?」
「ああ、エスペリア。大丈夫だよ」

 慌てた様子で駆け寄ってくるエスペリアに、無理をして笑顔を見せる。
 その間に、他のスピリットたちも悠人の元に集まってきた。そして、今後のことを話す。

 今日の攻勢は、ほぼバーンライトの全力だった。もう既に昇華してしまって死体は無いが、少なく見積もっても悠人たちが倒したスピリットは二十を越える。ヒミカたちの方にも同じだけ来たとしたら、もうバーンライトには殆どスピリットはいないはずだ。
 情報部の情報が正しければ、の話だが。よく外れるのだと、エスペリアから事前に聞かされていた。

「ユート様は一度お休みください。残兵がいないか、私たちで付近を捜索してまいります」
「――え? いや! 俺も行くよ」
「駄目です。ユート様は隊長なんですから。そうでなくとも、初めての本格的な戦です。疲労も溜まっているでしょう」

 エスペリアの言うことは事実だった。この程度動いたくらいで息が切れるほど軟弱な訓練を受けてきたわけではないはずだが、実戦故の疲労か、もう腕をあげるのも億劫になっている。まあ、これは戦闘が終わって、『求め』が力の供給を止めたのも大きな理由だったが。

「そうですね。私も、ユート様には休んでいただきたいと思います。いきなり倒れられては、困ってしまいますから」

 スピリットの中では最年長だというヒミカが、エスペリアの判断を支持する発言をする。
 気遣っているように聞こえるが、これは単に信用されていないだけでは? と悠人は思った。

「え〜〜、パパだけずるぅ〜い。オルファも休むー」

 この中で一番子供っぽいオルファが駄々をこね始めた。

(……しかし、戦場でも『パパ』なんだな)

 家族に憧れるオルファリルは、悠人のことをパパと呼ぶ。無邪気なその様子と、戦場での姿を結びつけるのは、どうにも難しかった。

 だが、こんなことを言うとエスペリアが怒るのでは、と恐る恐る様子を伺うと、予想に反してエスペリアは考え込んでいた。

「……そうね。まだ体力の少ない年少組は、もう休憩させた方がいいかと。ユート様、いかがでしょうか?」
「え!? あ、うん。そうだな」

 いきなり判断を求められて、悠人は咄嗟に頷いた。しかし、エスペリアの言うことももっともで、強力な魔法を使ったオルファリルなどは、声は元気なもののマナの消耗が著しい。

「では、私とアセリア、ヒミカ、ハリオンは周囲の警戒を。オルファリル、ネリー、シアー、ヘリオンはユート様と共に宿で休んでいなさい。もちろん、知らせがあればすぐ動けるようにしておくのですよ?」

 このエルスサーオでは、街の宿屋に悠人たちスピリット隊は駐屯していた。
 宿の主人とは色々と揉めたが、結局は軍の命令だということで渋々ながらも使わせてもらっている。

「やったー!」
「や、やったー」

 腕を上げて、ネリーとシアーのブルーコンビが喜ぶ。

(オルファと似て、元気だな……。で、どっちがネリーで、どっちがシアーだっけ)

 後でエスペリアに聞こう、と悠人は決める。

「ええ〜? わたしも休みたいですね〜」

 おっとりした声で、グリーンスピリットのハリオンが言う。しかし、口ではそう言いながらも神剣を持っているところを見ると、やらなければいけないことは理解しているようだった。

「それではユート様。他のみんなをよろしくお願いします。……ヘリオンも」
「ああ」
「は、はいっ」

 自分とヘリオン――ブラックスピリットの少女だけが言われたのは……

「それじゃ、早く帰ろうー! あ、ユートさまも早く早く!」
「ま、待ってよネリー」
「じゃあ、競争だよー。オルファ、負っけないんだから!」

 ……あの様子では仕方あるまい。まるでピクニックかなにかのようである。つい先程まで殺し合いをしていたとは思えない和やかさだった。
 その様子に、スピリットへの教育の歪さが垣間見える。

 だが、それでもバーンライトやサルドバルトよりはマシなはずだった。あちらのスピリットはそもそも人格などない。バーンライトについては今日実感したし、サルドバルトは友希からの手紙で知っている。

(……御剣。今どうしてる? 俺は……どうすればいいんだろうな)

 弱音のようなものを吐く。手紙でしかやり取りできない友人に、無性に会いたくなった。































 その頃。
 友希は館の庭で、ゼフィに稽古をつけてもらっていた。

「はっ!」
「踏み込みが甘いです」

 渾身の一撃を軽く逸らされ、すれ違い様、反撃の膝を腹に喰らう。思わずたたらを踏むが、なんとか間合いを空けた。

 だが、痛みのせいで構えが乱れている。そのような隙をゼフィが見逃すわけもなく、『蒼天』を背負い一足飛びに駆けてきた。
 迎撃しようと『束ね』を振るうが、ゼフィは後から仕掛けたにも関わらず、圧倒的な速度で神剣を振るい、中途半端な友希の攻撃を粉砕する。

 実戦ならば、致命傷を狙えるタイミングだった。友希は痺れる腕を上げ、降参の意思表示をする。

「ふぅ。そろそろ休憩にしましょうか」

 まだ余裕のある様子で、ゼフィがそう言った。

「っっつぅ〜〜。了解」

 庭は神剣の力を開放して戦うには狭すぎるので、この訓練はマナを用いてはいない。だから、より疲労の度合いが強かった。
 腕の痺れが収まるのを待って、取り落とした『束ね』を拾い上げる。と、同時に『束ね』から文句が飛んできた。

『主。まさかとは思いますが、私が痛みを感じないとでも思っているんではないでしょうね? あんな迎撃してくれと言わんばかりの攻撃はやめていただきたい』
『わ、悪かったよ。気をつける』
『まあ、別にマナの篭っていない攻撃で痛みなどありませんが』
『ないのかよ!』

 最近、『束ね』と友希はこうやって話をしていることが多い。友希は気付いていないが、彼は笑っていた。最初この世界に来た時から考えると、友希も随分と余裕が出来たものである。
 もっとも、それに気付いているのはあえて軽口を飛ばす『束ね』と、傍で見ているゼフィくらいのものだったが。

「トモキ様、水です」
「ああ、ありがとう。ん……」

 用意してあった水筒を渡される。中身を美味そうに半分ほど飲み、残りをゼフィに渡した。
 カラカラに乾いていた喉が潤って、どうにか一息つく。どっか、とその場に腰を下ろした。

 座り込むと、疲労がどっと襲ってくる。ぐぁ〜、と情けない声が思わず漏れ、それを聞いたゼフィに笑われた。

「お疲れのようですね」
「ああ。すっごい疲れた。『束ね』の力を使ってる時のつもりで動いちゃって……もっと行けるとか勘違いして」

 普段の訓練と同じような気持ちで臨んだおかげで、あまりにも遅い自分がじれったかった。お陰で全力以上を振り絞ろうと踏ん張り……この様である。
 実戦では必ず神剣の力を使うのだから、こんな訓練に意味はないように感じるが、これはこれでちゃんと実になるらしい。

「にしても……相変わらず、ゼフィの一撃は重いな。まだ腕が痛い」
「そうですね。私が唯一自信を持っている技ですから」

 ゼフィの攻撃は、一撃の重さにその真髄がある。ただ、初撃に全てを込めているため、連続しての攻撃は苦手だった。まるで示現流のようだ、と友希は名前だけを知っている流派を思い浮かべていた。

 ふと思いついて、友希はゼフィに尋ねてみる。

「それって、僕も使える?」
「え?」

 ゼフィの一撃に耐えることの出来るスピリットは、サルドバルトにはいない。マナ量だけなら友希も負けていないので、もし使えるならば大きな武器になるはずだった。
 そう、ゼフィと同じように出来ればどんな敵でも倒せる。そんな気がする。

『阿呆ですか、主は』

 しかし、それは当の武器から否定された。

『アホとはなんだ、アホとは』
『だって、神剣の形状も違いますし、ハイロゥの有無もあります。マナの瞬間出力は主は苦手ですし、なにより勘というかセンスがありません。強い者の真似をすれば強くなるはずだ、などという短絡さには呆れますね』

 ボコボコだった。渋い顔になる友希に、ゼフィはおおよそを察したのか、慌てて付け加える。

「その、私とトモキ様とでは、求められる役割も違います。ですから、その……」
「う、うん。わかってる、わかってる」

 ははは、と乾いた笑いを漏らした。

 そこで一旦話を区切る。空を見上げると、抜けるような青空。いい天気だ、と思うと同時に、今まで棚上げしていたある事柄が頭に浮かんでくる。

「……高嶺は大丈夫かな」

 ラキオスとバーンライトの戦争が始まったことは、友希の耳にも届いていた。悠人から最後に届いた手紙にも、戦争について書かれていた。
 今頃は、悠人も戦っていることだろう。怪我をしたりしないか、心配だった。

「……大丈夫ですよ、きっと。ラキオスは勝ちます。これは気休めではありません。ラキオスのスピリットは数は少なくても精鋭ばかりですし、なによりタカミネ様はトモキ様と同じエトランジェじゃないですか」
「僕と同じだったら、危ないけど……多分、高嶺は僕よりずっと強いだろ?」

 悠人は、今までどんなスピリットも敵わなかった龍を倒したのだ。そういう意味での心配は薄い。

「でも、僕も高嶺も、戦争なんて今まで遠い出来事だったんだ。いくら強くても、多分、すごく苦しいと思う」

 想像しかできないが、間違いではないと思う。悠人は今頃、苦悩しているはずだ。それが元で不覚を取るという可能性も捨てきれない。
 ……助けに行けない自分がもどかしかった。同時に、サルドバルトが戦争に巻き込まれなくてほっとしている自分もいる。両方共、友希の本音だ。だけど……

「はあ……。『俺になにかあったら佳織を頼む』なんて書くなよ、高嶺……」

 悠人からの最後の手紙の締めの言葉。なんとも、自分が情けなくなってくる友希だった。

「それはそうと……トモキ様?」
「ん?」
「ラキオスとバーンライトの戦争も重要ですが、サルドバルトも変です。本来、この時間は私たちの隊の訓練の時間なのに――」
「ああ。なんか、別のスピリット隊の訓練が入って訓練場が使えなかったけど……。訓練士の都合じゃないのか?」

 明確な休日などないスピリットとは違い、人間である訓練士はたまに休みも取る。その辺りの兼ね合いか、と友希は思っていた。そして、訓練がないと本当に暇なので、庭でゼフィに稽古をつけてもらっていたのだが、

「いえ、訓練が中止になっただけなら別に気にしません。でも、私たちの代わりに訓練に入っていた部隊……私が知らない部隊なんです」
「……なんだって?」

 おかしな話だった。指揮官クラスのスピリットであるゼフィは、当然のことながらこの首都に駐屯しているスピリット隊は全て把握している。

「別の都市に駐屯してた部隊、とか?」

 サルドバルトは首都以外にもバートバルト、アキラィスという大きめの都市を擁している。そちらにも、スピリットはいるはずだった。

「そちらも私は殆ど把握しています。もし私の知らない部隊があったとしても、こちらに来る時に連絡の一つもないのは……」
「確かに変だな」

 ラキオスとバーンライトの戦争という微妙な時期に、正体不明の部隊がサルドバルトの首都にいる。確かに不気味だが、

「でも、訓練場を使ってるってことは、それは軍の連中も知ってるんだろ? なら、問題ないんじゃ」
「はい。それはそうです。そうなのですけど……」

 ゼフィは言い淀んだ。

「……気になることでも?」
「訓練の様子は、チラッとしか見れませんでした。けど、明らかにサルドバルトのスピリットのレベルじゃありません。あれだけの強さのスピリットは、この国にはそんなにいないはず……」
「強いって……ゼフィよりも?」
「今のトモキ様と同程度でしょうか」

 友希は、今ならゼフィを除く第二分隊のスピリットに負ける気はしない。ただ、サルドバルトのスピリットは総じて他国より弱い、ということは忘れないようにしている。調子に乗ってあっさり死ぬのは御免なのだ。

「……精鋭を集めた秘密部隊、とか」
「そんなものがあるなんて、聞いたことがありません。勿論、私に伝えられていない、という可能性もありますけど……」
「と、なると、僕にはさっぱりわからないんだけど……」

 ゼフィの顔を伺うと、なにかを悩んでいるようだった。

「なにか心当たりがあるの?」
「いえ、多分気のせいです。そんなことはないはずですので」
「……?」

 否定するゼフィの顔は青ざめているように見えた。

「さて、それよりそろそろ休憩もいいでしょうか?」
「あ、ああ。うん、次はゼフィから一本取るぞ」
「ふふ……それは楽しみです」

 漠然とした不安が友希の胸に広がる。
 それを振り払うように、全力でゼフィに向かう友希であった。






























 サルドバルト王城の一室。サルドバルトの訓練士が集められ、上官からあることを伝えられた。

「――馬鹿なっ」

 内容を聞くなり、イスガルドがテーブルを叩き、怒りを顕にする。

「訓練士イスガルド。なにか文句でもあるのか?」
「……っく、文句ではありません。あまりに突飛な内容だったので少し混乱しただけです。……もう一度、確認させてください」

 このまま怒りのままに振舞っても、得はない。なんとか心を平静に保ち、考えを整理する。

「本当ですか、その――」

 イスガルドのみならず、他の訓練士も困惑した顔をしている。いや、サルドバルトに住むものなら誰しも耳を疑うだろう。
 まさか、

「……龍の魂同盟を裏切り、帝国に組する、というのは」
「ああ。間違いない」
「――っ、聖ヨトの時代から受け継がれた同盟を、一方的に破棄するつもりですか。しかも、同盟国が戦争をしているこの時に! なんと恥知らずな……!」

 サルドバルトの貴族で、血筋だけで文官を務めている男は、イスガルドの怒気をこともなげに受け流した。

「ほう、イスガルドよ。それは陛下の決定に異を唱えると……そう理解して良いのだな?」
「〜〜〜〜!」

 ふぅ、とイスガルドは大きく深呼吸をする。イスガルドは所詮下っ端、それもスピリットの育成という『卑しい』とされる職の人間だ。国の決定を変える力などどう考えてもない。
 納得は出来るはずもないが、焦って激昂しても意味はなかった。

「しかし、利はないでしょう。帝国は遠く離れた土地。手を結んでも、ラキオスとイースペリアを敵に回すほどのメリットがあるとは……」

 ひとまず、理性的に説得をすることにした。理を持って訴えれば、もしかしたら考えを改めてくれるかもしれない。

「ふむ、それは私も懸念していた」

 立派に蓄えた髭を撫で、上官は答える。

「だが、流石はこの大陸最大の国というところか。行動が早い。先立って、先行した援軍が到着した。今は北方のマナに慣れるために訓練をしている」
「あの部隊ですか……訓練士も見かけない人間でしたが」
「帝国のスピリットは帝国の人間が面倒をみるそうだ。スピリットの育成方法も機密だからな。……まあ、せいぜい盗み見て技術を上げると良い。そのくらいは向こうも織り込み済みであろう」

 素人め、とイスガルドは内心で吐き捨てる。
 訓練場で行うような訓練は、スピリットの育成では然程重要度は高くない。いや、重要ではあるがどこの国でもそう変わらないのだ。なにせ、神剣に意思を呑まれると、基本的に複雑な技術は習得できない。
 重要なのはエーテルの与え方と幼年期の育成である。これと、戦いの才能、神剣の強さ等がスピリットの地力を決める。

「ラキオスの戦乱が拡大すれば、同盟の目を盗んで戦力を送ることも容易くなる。徐々に帝国の戦力がこちらに来る予定だ」
「それでは――!」

 ぐっ、とイスガルドは言葉を飲み込んだ。

(それでは……まるで、サルドバルトがサーギオス帝国の傀儡となってしまっているではないか)

 貧しく、同盟の中での地位は低いとは言え、サルドバルト王国はれっきとした独立国である。それを自ら捨てる……そのことについて、この上官は思うところはないのであろうか?

 他の訓練士も、思い思いに目配せをしている。異論はあろうが、イスガルドのようにそれを口に出すことはしない。誰しも自分が可愛いのだ。イスガルドとて、それは否定出来ない。この反論は、半分以上、職を諦めてのものだった。

「当面は静観とする。ラキオスの戦争の行方如何によって今後の戦略は変わってくるが……近く、戦となるぞ。準備しておけ」

 戦争。周りを同盟国――いや、元同盟国に囲まれているサルドバルトが戦争を仕掛けるとなると、その相手は、

「……歴史に汚名が残りますぞ」
「我が国の勝利はその汚名すら濯いでくれる。弱兵とは言え、帝国に負けないようスピリットたちの訓練に励め。それとイスガルド」
「はっ……」
「我が国のエトランジェの様子はどうだ? 陛下はもはや一スピリットとして使えれば良い、との考えだが私は違う。ラキオスのエトランジェがあれほどの力を発揮しているのだ。まだ見捨てるには早い、と考えているのだが」

 ここで虚偽の報告をしようと、日々の報告書には本当のところを書いている。

「……スピリットとして見るならば、成長著しく。龍を倒すとまではいかずとも、スピリット隊では上位の能力を持っています」
「ふむ……まあ、まだ実戦を経験していないからな。戦場に放りこめば、どうなるかはわからんか。……ああ、以上だ。解散」

 上官は、会議室から去っていく。結局、イスガルドをその場で処分はしなかった。
 後で沙汰があるのか、それとも下っ端役人の戯言と聞き流されたか。

 力なく座り込んだイスガルドを、同僚が口々に心配してくれるが、適当に返す。彼らは不安を話し合いながら会議室を出ていき、最後にはイスガルドは一人となった。

 ……サルドバルトが同盟を離反すると国として決めたのなら仕方ない。理解も納得もできないが、国に仕える身として、命令には従うのみだ。
 だが――

「トモキは、どうしたものかな」

 異世界からの来訪者。彼はサルドバルトに忠誠を誓う謂れはない。逆に関係ないからこそ、敵対する国が変わったとしても彼には思うところはないだろうが……ラキオスには、彼と同じエトランジェがいる。手紙で交流し、お互いを大切に思っているのは間違いないだろう。
 そんな彼が、ラキオスを相手に戦えるか?

「……無理だな」

 そう、無理だ。それならば、彼は逃げを打つだろう。
 最初の、逃げたら殺すという脅しも、もはや有効とは言えない。もはや、彼を単独で抑えられるのはゼフィだけで、間違いなく手心を加える彼女から逃げるのは難しくないはずだ。もちろん、数で押せば不可能ではないし、帝国の手勢を借りれば尚更だが……
 そもそも、逃げるのを止める気も起こらないイスガルドであった。

 とりあえず、明日話すことにして、イスガルドは帰宅することにする。

 今夜は、恐らく痛飲することになるだろう。……サフィが死んだ時と同じように、どれだけ呑んでも酔えるとは思えなかったが。




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