緊張で、口の中がカラカラに乾いている。友希は唾を飲み込み両手で『束ね』を強く握り締めて、十メートル先のスピリットに目を向けた。

 他の者の黒いハイロゥとは違う、純白の翼。構えた大剣は友希の知る中でも最大クラスのもの。肩に担ぐように構えたその剣から発揮される威力のほどは、日々の訓練の中で思い知っている。最初に会った時、友希が必死に防いだ攻撃など、肩慣らしに過ぎなかったということも理解していた。
 あの時のことを思い浮かべ、緊張に冷や汗が流れる。あの時は、為す術も無く吹き飛ばされた。多少戦うことに慣れたとは言え、あんな怪物みたいな攻撃を喰らって無事に済むだろうか?

「トモキ! 体が固い」

 少し離れて見守っているイスガルドの忠告が飛ぶ。
 そう言うなら、イスガルドも彼女と対峙してみろと言うのだ。それがどれだけ無茶な要求か、身を持って知ることができると思う。剣を構えるだけでこの威圧感。正直、友希は今すぐ逃げ出したいと思っていた。
 そもそも、何故未だ第二分隊の中で一番弱い自分が、彼女と一対一でカチ合う羽目になっているのだろう。単なるくじで決まった組み合わせなのだが、ならばこちらに三、四人程味方を付けてほしい。友希は仮に十人味方がいたとしても御免蒙りたいが。

 スピリット――ゼフィが、軽く前傾姿勢になる。友希はビクッ、と体を震わせ、

「はぁぁっ!」

 ゼフィが、ウイングハイロゥによる推進力も利用して、弾丸のように飛び込んできた。十メートルなど、彼女にかかれば一足で到達できる距離だ。傍から見れば一秒にも満たない僅かな時間、『束ね』の力により思考や感覚も加速された友希は、なんとか逃れようと思い切り横に飛ぶ。

「!?」

 だが、ゼフィは軽く翼の角度を変えることで、友希のその動きに対応してしまった。どんな達人でも空中で方向を変えることなど出来ないのに、つくづくスピリットというのは出鱈目な存在である。
 逃げ切れない、と悟った友希は、思考を防御に切り替える。周囲のマナを限られた時間で極限まで集め、目の前に全ての攻撃を遮る光の壁をイメージ。瞬時にオーラフォトンの盾が形成された。

 まだまだ弱い友希だが、それでも防御にはちょっとした自信がある。オーラフォトンの盾はグリーンスピリットのそれほどではないが堅固で、ゼフィに次ぎ攻撃力の高いブルースピリットの攻撃も一撃だけは防いだ。もしかしたら、と淡い期待を込め、盾に力を込め、

 次の瞬間、ゼフィの手が霞んだ。

「〜〜〜!?」

 『束ね』が最大級の警告を発し、それ以前に友希は自分の直感を信じて全力で後ろに逃れた。体勢が不十分だったので凄まじく不恰好だったが、気にしている暇はない。
 何かが砕けるような感触と共に、前方に張った盾が粉々になる。見ると、ゼフィは既に腕を振り切っていた。友希には一瞬目の前を光が通り過ぎたようにしか感じられなかったが、今のがゼフィの攻撃らしい。
 それにしても盾がまるで役に立たなかった。まるで卵の殻を割るように容易く砕かれてしまっている。ゼフィの攻撃の凄まじさは知っていたつもりだが、所詮『つもり』だったらしい。勝つことは出来なくても、少しくらい抵抗できるかも、と妄想していてた友希だったが、そんな気は完全に消え去ってしまった。

(〜〜、無理、絶対無理だ!)

 恥も外聞もなく、逃げようと更に後方に飛ぶ。ゼフィは余裕なのか、ゆっくりと再び剣を振り上げ、

「――あ」

 一度目を更に上回る突進から繰り出された一撃に、友希はあっさりと盾ごと吹き飛ばされてしまった。



















 友希の顔に、ばしゃあっ、とイスガルドは無表情にバケツの水をぶっかけた。

「ぶぁっ!?」
「起きたか。どうだ、身体は大丈夫か?」

 飛び起きた友希に、イスガルドは淡々と問いかける。

「え、あ、イスガルドさん……」
「身体は大丈夫か、と聞いている」
「ええと……」

 軽く全身に意識を向けて、異常がないかを確かめる。『束ね』を握った手が若干痺れているのと、体中が痛い。

「……なんか痛いです」
「そうか。平気そうだな」

 イスガルドはにべもない。ふぅ、と息をつき、『とっとと立て』と友希をせっついた。

「この後、第三分隊がこの訓練所を使う予定だ。お前を寝かせておくわけにはいかん」
「……えっと、そういえば僕、ゼフィに吹っ飛ばされたんでしたっけ」

 記憶が混乱していたが、友希はだんだんと思い出してきた。
 二撃目の破壊力は、自分の体が覚えている。五体満足なのが不思議なくらいだった。

 実戦となれば、友希はまだゼルと互角程度。しかも、未だに人を攻撃するということを忌避しているため、勝率は誰よりも低かった。そんな自分とゼフィが当たるなんて、不運としか言いようがない。

「ああ。見事な吹き飛ばされ方だった。ゼフィが途中で止めなかったら、身体がバラバラになっていたかもな」
「うへぇ」

 まだ全身に残っている威力の残滓だけでも、どれほどの攻撃だったかは容易に想像がつく。

「それはそうと、お前途中で逃げようとしたろ。その辺について話したいところなんだが」
「う……」

 これは、説教コースだ。友希は思わず身構えて、

「しかし、タイムオーバーだ。次の訓練の時間になったらしい。……明日は覚悟しておけよ」

 訓練所に、別のスピリットの集団が入ってくるのを見て、イスガルドは舌打ちした。どうやら、今日のところは助かったらしい。明日のことを考えると憂鬱になるが。
 立ち上がろうとして、友希は『うっ』と呻いた。

「……イスガルドさん。体中が痛くて。手を貸していただけませんか」
「断る。私はこれから書類仕事だ。自力で帰れ」

 一切の躊躇もなく断られた。訓練所から去るイスガルドの背中を恨めし気に見送る。友希はなんとか膝を立てるものの、『束ね』を杖にしなければ歩くことも出来なさそうだった。

「うう……」
『あんまり体重をかけないでください』
『……すまん、無理だ』

 『束ね』には悪いが、しばらく我慢してもらうしかなさそうだった。
 新たに入ってきたスピリットたちの邪魔にならないよう気をつけながら、訓練所を出る。ここから第二分隊の宿舎までは、徒歩で十分少々。今の友希には、かなりキツイ工程になりそうだった。

 一歩、二歩と確かめるように歩みを進める。流石に歩いていると大分回復してくるが、油断すると力が抜けてすっ転んでしまいそうだった。呼吸するごとに周囲のマナを体に取り入れ、少しでも回復するように務める。
 そんな風にして、二十分は経っただろうか

「はぁ、はあ……」

 ボロボロになった身体を引き摺って、友希は宿舎に戻ってきた。

「く……そ」

 模擬戦で滅多打ちにされ、痛む身体をなんとか動かして井戸に向かう。滝のように汗を流したため、身体が水分を求めていた。
 井戸の中に落ちそうになりながらも水を汲み上げ、貪るように飲む。桶の半分程も飲み干し、残りの水を頭から被った。身体中に刻まれた傷に染みるが、同時に熱く火照った身体が冷やされなんとも気持ちがいい。

 服が砂まみれになるにも構わず、どっかと地面に腰を降ろした。

『濡れっぱなしだと風邪を引きますよ』
『……いらんお世話だ。大体、今の僕って風邪を引くのか?』

 友希は今のところ経験がないが、訓練の最中、稀に大怪我をすることもある。その時怪我したスピリットは、グリーンスピリットの回復魔法によりあっさりと怪我を癒していた。あんな光景を見れば、病気とは縁がない気がする。
 ちなみに、回復魔法は今の友希くらいの怪我だと施されない。自然治癒に任せるのだ。慣れれば治癒力が上がるためだと言うが、生傷の絶えない友希はまるで上がった気がしない。

『そうですね……マナの不調による病気はともかく、風邪は引かないかも』
『だったら放っとけ』
『なら、私だけでも拭って欲しいんですけど』

 そういえば『束ね』を出しっ放しだった。お陰で、刀身はびしょ濡れだ。

『水も滴るいい女が好きですか』
『……悪かったよ。後で手入れしてやるから、今はちょっと休ませてくれ』

 動く気のしない友希は、『束ね』の不満の声を一旦無視して、そのまま休むことにした。
 と、そこでキュルルルゥ、と腹が盛大に鳴る。散々運動した後で、身体が栄養を欲していた。大気中のマナを取り入れることで動くことは出来ても、空腹感まではなくならないのだ。ぐ、と腹を押さえて、再び井戸の水をぐびぐび飲んだ。

『お腹を壊しますよ』
『……病気には縁がないって言ってたろうが』

 空っぽの胃袋に水を詰め込む。それで少しは飢えがマシになった。
 最近は、こんな誤魔化しばかりだ。そのうち慣れるのかもしれないが、辛い。

「はあ」

 地面に座り込んだまま、ぼけーっと空を見上げる。
 空の色は、こちらも地球も変わらない青色だ。そう言えば、ゼフィの神剣の名は『蒼天』だったよな、とふと思い出した。

 しばらくそうしていると、いい加減身体も動くようになってくる。ゼフィは上手く手加減してくれたようだった。
 そろそろ行くか、と立ち上がろうとすると、誰かが近付いてくる気配を感じた。首を向けてみると、今まさに考えていたゼフィだった。

「あれ? トモキ様、こんなところでお休みですか」
「あー、疲れてね。ここで力尽きた」
「頑張っていましたからね」

 褒められるのは悪い気はしないが、頑張っていたというより必死だったというのが正しい。それに、自分をボロボロにした相手が現れて、ちょっと恨めしそうな顔になってしまうのを止められなかった。

「……あ、申し訳ありません。本日は」
「いや、訓練なんだからいいけどさ……。ゼフィは強いよな」

 実際、ゼフィの強さはスピリットの中でも突出している。一緒に訓練をするようになって、そのことを強く実感した。
 傍から見ていた時には、その非常識な攻撃の威力にばかり目がいっていたし、今日もそれを思い知ったが、それだけではない。彼女は第二分隊隊長……つまり、他のスピリット達を指揮する立場なのだが、最前線で大剣を振り回しながらもその指示は的確だ。指揮官に彼女が入ったチームは、ゼフィの実力もそうだが連携の動きが相当鋭くなる。

「強くなりたかったんですよ」
「……なんで?」
「そんな、人様に言えるような立派な目的じゃありません。誰かに聞かれたら笑われるような理由ですよ」

 ゼフィは説明することをやんわりと拒絶した。あまり踏み込むことでもないかと、友希は重ねて問うことはしなかった。

「それに、私なんてまだまだ……。防御は下手糞ですし、神剣魔法は殆ど使えません。以前、ラキオスとの合同訓練でアセリアとやった時は負けちゃいましたし」
「アセリア……って誰だ?」
「ラキオスの青い牙、なんて呼ばれるラキオス王国の実力者ですよ。青のスピリットとして、全体的に高レベルで纏まっている、とても強いスピリットです」

 このゼフィが負ける相手がいるなんて信じられなかった。防御が苦手とは言っても、その大きな剣を盾にするだけでも友希は攻めあぐねてしまうし、魔法については青の魔法のメインは相手の魔法を無効化するものだからブルースピリット同士の戦いでは使わないだろう。

「彼女、速いんですよ。まるで攻撃が当たらなくて」
「でも、ゼフィの攻撃だってすごく速いと思うんだけど。僕じゃ全然対応できないし」
「私の攻撃は、初撃だけです。二撃目からは遅くなりますから」

 ゼフィの戦闘スタイルは、一撃離脱のスタイルだった。まあ、離脱するまでもなく、その一撃に耐えることはまず普通のスピリットには出来ないのだが。しかし、その最初の攻撃を躱すことが出来たら、確かに友希にだって勝機は見え……なかったんだっけ、と今日の模擬戦を思い返した。

(……しかし、阿呆なこと考えてるな)

 何時の間にやら、訓練の日々が当たり前になっていて、戦うことに疑問を覚えなくなっていた。友希は本来、戦うことなど御免なのだ。逃げる機会を伏して待っているだけで、訓練を行うのもそうしないと殺されるから。それだけだ。
 ゼフィのような強いスピリット相手に勝つことなど考える必要はない。逃げ切れればそれでいいのだ。大体、既に情も移りつつある彼女と本気で殺し合いなど真っ平だった。

「さて、と」

 ゼフィは話を切り上げ、井戸から水を汲み手桶に入れる。

「では、トモキ様。私は失礼しますね」
「ああ。……って、どこ行くんだ?」

 てっきり洗濯か掃除辺りに使うための水を汲みに来たと思ったのだが、ゼフィは屋敷の中には戻らず、裏手へと回ろうとしていた。

「えっと、向こうの……あれ? トモキ様は、見たことありませんか」
「?」

 向こう、と言ってゼフィが指を差したのは屋敷の裏から更に向こう……言われてみれば、行ったことはない。友希の自室も二階の玄関側にあるため、窓から見えるということもない。訓練所との往復の日々の中で、他に目を向ける余裕などなかったということもある。

「なにかあるのか?」
「ええ。……良ければ、見てみますか?」

 茶目っ気たっぷりにゼフィが笑顔を見せる。ここ最近、ゼフィはこうやってたまにではあるが素の表情を見せてくれることがあった。友希は少し顔が上気しそうになるが、努めて平静を装って口を開く。

「そんな言い方されたら気になるに決まってるじゃないか」

 よっこいせ、とまだ疲れを訴える身体を起こす。『束ね』は自分の中に戻した。

「じゃあ、付いてきてください」
「はいはい、と」

 屋敷の裏手に回って、しばらく歩く。この辺りは、町とは反対の方角で、人の手の入っていない原野が広がっている。スピリットの宿舎が小さく見える程まで離れると……段々と、ゼフィの言っていた場所が見えてきた。
 歩いたのは五分ほどだろうか。目的地に到着して、そこにあった光景に、友希は息を呑んだ。

「……畑?」
「と、言うほどのものでもないですけど。いくつかの作物を植えているんですよ」

 家庭菜園のようなものだろうか。柵で仕切られた二十メートル四方程の範囲に色々な植物が植えられていた。
 よくよく見てみると、たまに食卓にのぼる作物も見える。

「……もしかしてうちの食事ってここから?」
「あ、全部を賄っているわけじゃないですよ。殆どは配給されているものなんですが……たまに添える程度に、収穫しているんです」

 実際に宿舎に配給されている食料がどの程度なのか友希は知らない。ただ、短い滞在の間にもスピリットに対する冷遇は思い知っている。かなり少ないであろうことは容易に想像がついた。そんな中での、苦肉の策なのだろう、この家庭菜園は。

「スピリットの館近くは、それなりに良い土壌なんです。スピリットの近くで育てられた作物なんて、人は口にしませんけど」
「……徹底してんなあ」

 ここまで来ると、憤りよりも呆れが先立つ。

「でも、こういうことやって怒られたりしないのか?」
「私たちに割り当てる食料が抑えられるということで、上の方にも黙認されています。私のささやかな趣味、ですね。こっそり花も植えているんですよ」

 ゼフィは嬉しそうに説明して、畑の一角に隠れるように植えられている花を見せてくれた。花の調子を見ながら、持ってきた手桶の水を花に上げる。
 友希、ゼフィのその姿が剣を振り回しているより何十倍も似合っていると思った。

「そう言えば、トモキ様の部屋には花は贈っていませんでした。他の子達の部屋には一輪ずつ置いてるんですけど……失礼しました」
「あ、いや、別にいいけど」
「じゃあ、一輪差し上げますので、どれがいいか教えてください。他のみんなには私が勝手に選んだものを上げたので、新鮮ですね」
「う……」

 そんなことを言われても、花など地球にいた頃も全く興味のなかった友希である。特にどの色が好きだということもなく、どの花にしようか考えあぐねた。と、そこでニコニコしているゼフィが目に付く。

「……ん、じゃあ、その青いやつで」
「これですね。それじゃあ、後で花瓶に入れて部屋にお届けします」
「わかった」

 そ、とゼフィは友希の指定した花に大事そうに触れる。友希は、その姿に理由もなしに胸が高鳴った。
 そんな友希の様子も露知らず、ゼフィは花から作物の方へと目を向け、水を上げ始めた。

「って、ゼフィ? 持ってきた水じゃ、全然足りないよな?」
「はい。何度か往復しないといけません」
「じゃあ、僕が持ってくる。桶の場所はわかってるからさ」
「いえ、あの……」
「いいからいいから。じゃ、ちょっと行ってくる」

 恐らくゼフィは『そのようなことをしてもらうわけには』みたいなことを言おうとしていたのだと思うが、友希は珍しく手伝うことが出来ることを見つけたので、聞き入れるつもりはなかった。
 ゼフィも強くは断らず、友希は四度、屋敷と畑を往復することになる。
 感謝したゼフィは、今日は多めに収穫して食卓に並べる、と言って、友希を大層喜ばせるのだった。

































 満腹、とは程遠いが、胃袋に珍しく程よい重みを感じ、友希は満足してベッドに横になっていた。
 と、トントン、と軽く部屋の扉がノックされる。この屋敷の中で、友希の部屋を訪れるのは一人しかいない。部屋の掃除に勉強にと、彼女はよく訪れるので、友希は深く考えずに『どうぞ』と声をかけた。

「失礼します」

 いつも通り、礼儀正しい仕草でゼフィが入室する。同時に、微かに甘い香りが鼻についた。

「ん……なにそれ」
「お約束のお花です。水に浸しておけばけっこう長く楽しめますよ」

 ゼフィが手に持った花瓶を掲げる。なるほど、そういえばそんな約束をしていた。久方ぶりの食事らしい食事の方に気を取られていたので、すっかり忘れていた。

「あ〜、ありがとう。えっと、そこら辺に適当に置いておいて」
「はい」

 ゼフィは頷いて、タンスの上に花瓶を置いた。不思議なもので、殺風景だった部屋の中が、それだけで随分華やいだ気がする。地球にいた頃は花になんて興味のなかった友希だったが、ガーデニングという趣味もいいかもしれない、なんて思った。

『花はいいですねえ』
『……お前にもそんな感性があるんだな』
『失敬な』

 ぴりっ、と抗議するように軽い頭痛を送ってくる『束ね』に、悪い悪いと答える。この剣との付き合い方も、大分分かってきた友希であった。

「それでは、私はこれで。明日もまた訓練ですので、お早めにお休みになってください」
「わかってる。またイスガルドさんにどやされるのも嫌だし……早めに寝る」
「そういえば、今日も叱られていましたね」

 今日の訓練を思い出し、友希はげんなりとした。模擬戦の前にも、イスガルドには色々と言われていたのだ。
 やれ踏み込みが甘いやら、防御が隙だらけやら、周りが見えていないやら。いちいちもっともな指摘で、言われたところを直せば強くなっているという実感はあるのだが、苦手意識を持ってしまうのは仕方がない。
 と、言うより、そんなに言うならば、もうちょっとマシな飯を寄越せ、と言いたい。ここ最近の空腹は、耐え難いレベルだ。今日はゼフィの計らいでそれなりに腹が膨れたが、こんなものは滅多にない贅沢だと当のゼフィも言っていた。

「ま、今日はよく眠れそうだし。ゼフィ、ご飯ありがとう」
「はい、どういたしまして」

 普段は空腹によってまともに夜も眠れないのだ。ヘトヘトになっていて身体は眠りたがっているのに、自分の腹の虫で目が醒めることすらあった。
 いい夢が見れそうだ、と考えながら、部屋からゼフィを送り出そうとし、


 ガンガンガンガン、と派手な音が、下の階から聞こえてきた。


「な、なんだ? 下のスピリットが暴れてるのか?」
「……あの子達が暴れることなんてありません。これは誰かがいらしたんだと思います」

 ゼフィは言って、小走りで部屋を出て行く。友希も少し悩んで、後を追いかけることにした。
 嫌な予感がする。普段は静かなこの屋敷に場違いな雑音が、どうしようもなく不吉な予感を感じさせた。

 一階に降りる。来客、というのは本当らしく、音は玄関の方から聞こえた。まだドンドンと扉が叩き続けられている。一応、夜には施錠をしているのだが、脆い作りの鍵を壊してしまいそうな勢いだ。
 ノックと言うには乱暴過ぎるその音に紛れて、外にいる人間の怒声が聞こえる。

『おいっ! 早く開けろ! スピリット共、仕事だ! 寝ぼけているのか!!』

 この世界の夜は早い。日が変わる遥か手前だが、もう深夜と言っていい時間だ。こんな時間にやって来て随分な物言いだが……ゼフィは嫌な顔一つせず、『少々お待ちを』と声をかけて、鍵を開けた。
 開けると同時、外にいた人間の兵士が手を振り上げ、ゼフィの頬を叩いた。

「うっ」
「遅いわ! この一刻を争う事態に、なにをチンタラと!」

 興奮冷めやらぬ兵士は再び腕を振り上げ、

「なにしてんだっ!?」

 カッ、と頭に血が上った友希が、その間に入った。
 無抵抗に平手を受けようとしていたゼフィを庇い、兵士の手を防ぐ。大の男が本気で振り回した手を、あっさり受け止めることが出来た。

「……チッ、エトランジェ風情が邪魔をするな!」
「なにがエトランジェだ! 関係あるか、この野蛮人――」

 怒鳴る兵士に言い返す友希の裾がそっと引っ張られた。驚いて振り向いてみると、ゼフィが少し腫れた頬を押さえて、小さく首を振る。その顔は泣きそうに歪みながら、『止めてください』と訴えていた。
 二の句を告げず、友希は沈黙する。

 こういう人間とのやりとりは、今まで数度だが見てきた。ゼフィはどれだけ酷いことを言われても、唯々諾々と人に従っていた。仮にここで友希が無理に反論しても、後でゼフィや他のスピリットたちに当たられるだけだ。悔しいことに、そんな常識があるということも知ってしまっていた。

 それでいいのか、とゼフィに何度も聞いた。そのたび、ゼフィは『仕方ないことですから』と、悲しそうに言っていた。

「なんだ、エトランジェ? 誰が野蛮人だと」
「――っく、用件は何だ」

 口を噤んで、問いただす。

「貴様などに言う必要はないわ。おい、ゼフィ・ブルースピリット」
「はっ」
「伝令だ。急ぎ、城へ出頭せよとの命令である」
「了解いたしました」
「では、準備が出来次第さっさと行け、グズグズするんじゃない」

 悪態をつく伝令に、ゼフィは見事な敬礼を返して、部屋へ取って返した。一分と経たず、神剣を携えて戻ってくる。

「それではトモキ様。行って参ります。明朝までには戻るつもりですが、戻らなかった場合は申し訳ありませんがみんなの朝食をお願いいたします。材料は台所に用意してありますので」
「あ、ああ。わかった。構わないけど、何事なんだ?」

 言ってから、すぐにゼフィも今聞いたばかりだということに思い当たる。案の定、ゼフィは少し困った顔になって、

「……わかりません。私を呼ぶということは、恐らく何かしらの荒事かと思いますが」
「おい、なにを無駄話をしている。早くしろっ」

 伝令にせっつかれて、ゼフィは申し訳なさそうに、『また後ほど』と声をかけて、城に向けて走って行った。
 ふん、と嘆息して、伝令係の兵士も踵を返す。

 ……気に入らない相手だが、他に尋ねる相手もいない。友希はその背中に声をかけた。

「なあ、あんた。一体なにがあったんだ?」
「……貴様に話す必要などない」
「必要ないことないだろ。なにかあったら僕達を担ぎだすくせに」

 イスガルドからは、いざ事が起こったら戦場に出ることになる、と何度も言われている。
 神剣を持った者の力は、それ以外の連中とは比較にすらならない。武器が剣や槍、弓しかない中世程度の文明であるこの世界では、この力関係を覆すことなど不可能だ。戦場に出ることなど納得出来ない友希であったが、自分たちにそういう役割が求められているということは理解していた。

「……ふん、まあいい。すぐにお前も知ることになる」
「なにがあったんだ?」

 兵士は少し悩む素振りを見せた後、その事実を告げた。

「ラキオスにバーンライトのものと思しきスピリットが侵入。ラキオスのスピリットに追撃され……我が領に逃げてきた、との情報が入った」
「――な」

 言葉に詰まる友希に、兵士は言葉を続ける。

「つまり、貴様の初陣となる――かもしれぬ、ということだ」




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