朝日が眩しい。ちりちりと瞼の向こうから目を焼く光に、友希は身体を起こした。
 もしかしたら、と淡い期待を抱きながらゆっくりと目を開けるが、視界に入ってきたのは眠る前と同じく、清潔だがどこか古色蒼然とした小さな部屋。

「はぁ〜〜〜」

 大きくため息をついて、ベッドから這い上がる。
 昨日、しっかりしないと、と決意したはいいものの、夕飯もロクなものを食べられなかった。空腹は、気を弱くする。夜、眠ることになって、友希はなかなか寝付けず、この異世界に来た不幸を嘆いていた。そっと目元を擦ると、まだ涙の跡が残っている。

『おはようございます。いい朝ですね』
『……皮肉か。最悪な目覚めなんだが』
『主には申し訳ありませんが、私にとってはマナが豊富なこの世界は快適です』

 あまりに呑気な言い方に、理不尽な苛立ちが湧いてくるが、友希はなんとかそれを抑えた。が、『束ね』にとってはお見通しのようで、

『空元気も元気のうち、と言います。いくら嘆いても現状は変わりません。なら、前向きにするべきでしょう』
『……わかったよ』

 剣に励まされてしまった。流石に情けなくなり、友希はぱんっ、と頬を叩く。
 ここは、言わば敵地だ。気合を入れ直す必要がある。

 当面の目的はこの国から逃げること。そして、元の世界に変える方法を探すことだ。『束ね』に聞いたところ、元の世界に帰るためには世界と世界を繋ぐ『門』と呼ばれる現象が起きるのを待つ必要がある。いつ、どこでそれが起きるのか……色々と回ってみれば、わかるかもしれない。

 昨日決めた方針を確認し、一つ頷いた。

 部屋を出て、掃除の行き届いている廊下を歩き、階段を降りる。友希に与えられたのはこの屋敷の二階の一室。小さいとは言え、プライベートな空間をもらえたのはありがたい。少なくとも、泣いているところを見られて弱みを握られることはなかった。
 『束ね』にはどうやっても隠せないのだが……ああ、元気づけてくれたのは、それもあったせいか。

『『束ね』……なんだ、その、ありがとう』
『なんですか急に』

 笑う気配がする。なんとなく、それ以上はなにも言えず、そのまま昨日案内された食堂に入った。

「…………」

 と、既に朝食は済みつつあった。最後に食べていた黒髪の女の子が、スプーンを起き席を立つ。
 食堂の入口に立っている友希をじっと見て、俯くように首を傾けると、そのまま出て行った。あれは挨拶……の、つもりだったのだろうか。表情が変わらないので、どこか薄気味悪い。

 少女を見送っていると、台所の方からゼフィが友希の登場に気付いて、ぱたぱたと小走りに出てきた。

「トモキ様。おはようございます。もう少し寝ていらしても良かったのに」
「……いや、あんまり寝付けなかったし」
「そうですか。申し訳ありません。布団は倉庫にしまいっぱなしのものを出してきたので……今日干しますね」

 別に布団のせいではなかったのだが、頭を下げてくるゼフィに文句を言うのも憚られたので、『別に、いいよ』と答えておいた。

「それより、僕の分の朝御飯は……あるのかな」
「はい。あ、お座りになっていて下さい。すぐに持ってきますから」

 言われたとおり、適当な席に座って待っていると、すぐにゼフィが戻ってきた。
 と、言うか、そもそも準備に時間のかかるような料理ではない。木の椀に盛られた野菜、パン。以上である。

「どうぞ。塩気が足りないようでしたら、卓上のそれが塩ですので」
「……了解」

 昨日以上に侘しい食卓だったが、文句も言えない。言ったところで改善されるとは思えないし、立場を悪くするだけだ。
 もそもそと焼いてから随分時間が経っている上、妙に酸味のあるパンを食べる。野菜の方はドレッシングなんて気の利いたものがあるはずもなく、本当に塩だけだ。せめてもの抵抗に、多めに塩を振りかけてやった。野菜自体は割と美味いのがせめてもの救いだ。

「食べながらで結構ですので、聞いてください。トモキ様には本日、私と共に王城に赴いてもらい、イスガルド様にお会いになっていただきます」
「……ん、イスガルド、って誰だ?」
「私たちスピリットたちの訓練を担当していらしている、訓練士の方です。先日の謁見の間にもいらしたのですが……今日は、お城の方で仕事をなさっているのです」

 友希が国王と会ったあの広間には、十人程の人間がいた。イスガルドというのも、そのうちの一人なのだろう。一人一人の顔など当然覚えていないが、どちらにせよあそこにいた時点で友希の敵側の人間だ。

「訓練士、ねえ」

 日本でいう、インストラクターのようなものだろうか。だが、昨日の話によるとスピリットは戦うための存在であるらしい。とすると、むしろ軍隊の教官という方が正しいのかも知れない。なんとなく、強面を想像して、元来余り争いごとの得意でない友希はげんなりとする。

「……その人も永遠神剣を持っていたりするのか?」
「いえ。イスガルド様は人間の方なので持っていません」
「じゃあ、魔法とか使えるのか?」
「神剣を持っていないので、勿論使えませんよ。イスガルド様は普通の人間です」
「? そうなんだ」

 スピリットが神剣を持つ、という事は聞いていたが、人間は神剣を持っていない、というのは新情報だ。漠然と、ファンタジーの世界なのだから、人間にも特殊な力を持っているものと考えていたが、そんなわけでもないらしい。これは、友希にとって明るい材料だ。

 残った野菜と一口分のパンをかきこむ。腹は当然満たされなかったが、気合で我慢した。

「それでは……そうですね、片付けを終えてしばらくしたら赴きますので、部屋でお待ちになっていてください」
「わかった」

 既に他の食器は片付けられているが、自分の分だけでも運ぶことにする。ゼフィは、今日はなにも言わなかった。

「それじゃあ、また後で」
「はい」

 かちゃかちゃと、洗い物を始めるゼフィの背中をしばらく眺めて、友希は部屋に戻るのだった。




























 ファンタジーだ、と、友希はどこか非現実的な感覚を味わいながら、それを見上げた。
 スピリットたちの住む館から、徒歩で三十分ほど。遠目に見える中世風の町並みを横目にしながら到着したのは、まるでヨーロッパの古城のような建物だった。

 思えば、最初にこの世界に来て落ちたのはこの城の中庭だったが、外から見ることなどなかった。だが、改めて見ると、RPGか漫画に出てくる城そのままだった。
 もしかしたら、建築様式は地球のものとは随分違うのかも知れないが、そんな細かいところまでわかるはずがない。

「トモキ様。裏から回ります。付いて来てください」
「あ、ああ」

 ぼけっと城を見ていた友希は、反射的に頷く。ゼフィに付いて行くと、城の裏門らしき場所に出た。
 正門にもいた衛兵が、こちらにもちゃんといる。正門は二人で、こちらは一人だった。守りを固めるべく鎧を纏った兵士が、近付いてくる友希達を訝しげに見てくる。

「おい、スピリットが城になんの用だ!」

 厳しい声。思わず身が竦むが、ゼフィは一歩前に出て流暢に衛兵に話しかけた。

「スピリット隊第二分隊隊長ゼフィ・ブルースピリットです。本日、イスガルド様に命じられて出頭いたしました。ご連絡は来ていないでしょうか?」
「……チッ、少し待ってろ。確認する」

 衛兵は、屋根だけがある素っ気ない詰所に戻り、机の上の紙の束を捲る。来客の予定でも載っているんだろうか、と友希は当たりをつけた。
 しばらく紙を睨んでいた兵士だが、忌々しそうに舌打ちをする。

「そうか、そいつが噂のエトランジェか」
「はい。エトランジェ、ミツルギトモキ様です」
「ふん、連絡は来ている。通れ。……しかし、あまり長居をするんじゃないぞ。城が臭くなる」

 あまりにも酷い言い草だった。ゼフィの味方をする義理はないが、女性に対するその物言いを流石に聞き逃せなくて、友希は前に出る。

「なあ、そんな言い方はないだろ」
「ん? なんだ、下賎な輩同士で慰めあいか?」

 ここまで言われて、ムカつかないわけがない。ただでさえ空腹でイライラしている。言い返そうと口を開きかけると、後ろからそっとゼフィに肩を抑えられた。
 驚いて振り向くと、ゼフィが首を振る。

「失礼いたしました。用件が済みましたらすぐに帰りますので、どうかご容赦のほど」
「ふん。わかっているならいい。エトランジェ、お前もだ」

 思わず悪態が口につきそうになるが、

「……わかったよ」

 ここで揉めても得をすることなどなにもない。引っ掛かるものはあったが、我慢することにした。
 裏門を抜け、若干くたびれた様子の廊下を歩く。丁度誰もいなかったので、ゼフィに聞いてみることにした。

「なんで言い返さなかったんだよ? あんなに酷いことを言われて」
「仕方がないです。私はスピリットですから」
「……例の、人間には絶対服従って奴?」
「はい」

 ゼフィは頷いた。

「それよりも、申し訳ありません。私と一緒にいた事で、不快な思いをさせてしまって」
「いや……別に、いいけどさ」

 確かに腹が立ったが、ゼフィに謝られるというのもなにか違う。友希は短気を起こしかけた自分を少し恥ずかしく思いながら、そう言った。

「……もしかしたら、他になにかを言ってくる方がいるかもしれません。しかし、言われているのは私だけですので、どうかお気になさらないよう」
「え?」

 あの兵士だけが特別だと思っていた友希には、その言葉は聞き逃せなかった。
 思わずゼフィに問い返す。

「もしかして、いつもあんな扱いなのか? 人間はみんな?」
「全員、ではありませんが、概ねそうですね」

 現代日本で育ち、幼い頃から差別は駄目だ、悪だ、と教えられてきた友希にとって、それは憤るに十分過ぎることだった。

「なんだよ、それ。ゼフィたちがなにかしたのか?」
「いえ。でも、私たちはスピリットですから」
「スピリットだから、あんなことを言われても仕方ないって? そんなのおかしいだろ。絶対変だ」

 少し話しただけだが、ゼフィは髪の色以外は人間と変わりがあるように見えない。神剣を持っていることは確かに恐ろしいが、攻撃された友希ならばともかくこの世界の人間が嫌うのは理屈が通らない。ゼフィが言ったのだ、スピリットは人間に絶対服従だと。

「ありがとうございます。トモキ様はお優しいですね。……でも、覚えておいてください。この世界で、スピリットはそういう存在なんです」

 言い切るゼフィに、友希は二の句が告げなかった。

「それより、到着しました。こちらがイスガルド様のお待ちになっている会議室です」

 気付くと、小さな扉の前に付いていた。
 納得はいっていないままだったが、ひとまず後回しにすることにして、扉を開けるゼフィに続いて部屋に入る。

 部屋は、丸いテーブルと椅子があるだけの、シンプルな部屋だった。椅子には、書類とにらめっこをしている三十過ぎくらいの男が座っている。日本人より彫りの深い顔立ち。建物もそうだが、この国はどこかヨーロッパのような雰囲気を感じる。

「イスガルド様、エトランジェ様をお連れしました」
「ん? ああ、よく来たな。座ってくれ」

 ぱさ、と書類を置き、男――イスガルドが、友希を値踏みするように見る。

「な、なんですか?」
「いや。初めまして、異世界の来訪者。私はイスガルド。スピリット達の訓練を仕事にしている」

 初めまして、と言うが、よくよく思い出してみると、確かに昨日、謁見の間で見た顔だった。

「はあ……。御剣友希です」
「トモキ、か。やはり異世界の人間の名前は、不思議な響きなものだな」

 友希からすれば、こちらの人間の名前のほうが不思議だったが、これはお互い様だろう。
 椅子に座ると、イスガルドは続けて話し始めた。

「ゼフィから聞いているかもしれないが、君はこれから、私の元で訓練を積んでもらうことになる。よろしく」
「はあ……聞いてはいますけど」

 イスガルドは友希の想像から少々離れていた。
 戦いの訓練を指導するような人間にはあまり見えなかった。確かに身体を鍛えているのか細身に見えて逞しい。しかし、落ち着いた雰囲気で、どちらかというとデスクワークを主にしているように見えた。

「さて……まあ、今日は面通しをするだけの予定なんだ。気を楽にしてくれ。いくつか質問させてもらっていいか?」
「はい。答えられることなら」
「そうか、ありがとう。じゃあまずは……トモキ。君は今まで、剣を振って戦ったことはあるか?」

 なにを聞くかと思えば。
 友希は首を振った。

「ありません。必要もありませんでしたし……。元の世界は、こちらほど物騒ではなかったので」
「そいつは羨ましい話だ。それじゃあ、身体を鍛えたことは?」
「学校で体育を少し、くらいです。そこでは大体、真ん中から少し上くらいでした」

 イスガルドは興味深そうに突っ込んで聞いてくる。

「学校……教育は受けているんだな。読み書き計算は出来るか?」
「出来ますけど、こっちの文字はわかりません」

 ふむ、とイスガルドは羽ペンなどという古風なものを使って、手元の紙になにかを書いた。盗み見てみるが、やはり友希には文字は読めない。

「なるほど。おいおい文字を覚えてもらえば、書類仕事も任せられそうだ。ゼフィの負担も軽くなる」
「はあ……」
「とはいえ、やはり基礎訓練が先だな」

 続けて、イスガルドは神剣を出すように言った。
 自分の中にいる『束ね』に呼びかけて、手に出現させる。

「ふむ……自在に出し入れ出来る神剣か。便利そうだな。トモキ、その神剣と話はできるか?」
「五月蝿いくらいです」
「マナをよこせ、と?」
「いえ、むしろくだらない雑談が多いんですが。……え? 今、話しかけてきましたが、マナはあれば嬉しいけど、がっつきはしないそうです」

 そこから、イスガルドは矢継ぎ早に質問を重ねる。『束ね』を手に入れた経緯や位階、その能力について。
 ただ、友希も『束ね』の能力などよく知らない。握ったときは凄まじい力を発揮できるが、それが他の神剣に比べてどの程度のものかなど計りようがなかった。
 そう伝えると、予想はしていたのか、イスガルドは、

「まあ、それは訓練の中で自然とわかるだろう。幸いにして、『束ね』は協力的だそうだし、すぐに力を引き出せるようになるだろう」
「はあ……訓練って、どんなことをするんですか?」
「ん? トモキには普通に剣を振ることから始めてもらう。まあ、普段の訓練は個人技の他、部隊としての連携の訓練や模擬戦なんかをやっているかな」

 友希の想像と、それほど変わらないらしい。神剣使いだからって、変な訓練が必要なのかと思っていたが、そうではなくてほっとした。

「さて、私の質問はこんなところだ。機会があれば君の世界……ハイペリアのことも聞いてみたいがな。トモキからはなにかあるか?」
「あ、はい。少し考えさせてください」

 質問することなど、山のようにある。全てを聞いていたら時間がいくらあっても足りないので、今すぐに聞くべきことは……と、いくつも質問が浮かんでは消えて、結局、今最も気になっていることを聞くことにした。

「あの……どうしてこの世界ではスピリットが差別されているんですか?」

 聞けたのは、このイスガルドがゼフィに対して兵士ほど辛辣な態度を見せていなかったからだ。普通に、仕事場での上司と部下、そんな関係に見える。

「差別、か。異世界の人から見ればそう見えるのかも知れないがね。この大陸では、人がスピリットを従えるのは当然のことだ。なにを見たのかは想像がつくが、それも当たり前の光景だよ」
「……そうですか」

 やはり、この世界は徹底的に友希とは相容れそうになかった。
 恐ろしい力を持っているとはいえ、基本的には丁寧な性格で、美人であるゼフィに対してあんな態度を取るのは理解出来ない。

「まあ、それでも全員というわけではない。この世界でも、君と同じようにスピリットの境遇に心痛めている人間は、少ないがいる」
「別に、僕はどうでも……」

 質問しておいて説得力がないと自分でも思ったが、友希はそう反論する。イスガルドは少し笑った。

「そうかい。まあ、慣れることだ。私とて、普段からスピリットに接しているからそれなりに思うところはある。しかし、大半の人間にとってはそうではないということさ」

 友希の感じたとおり、イスガルドはゼフィに対してそこまで隔意を持っていないようだ。しかし、この世界の常識はそうではない。うまく折り合いを付けているんだろう。友希には到底できそうにないことだった。

「納得いかないって顔だな。……そうだな、例えばトモキ。君はあの宿舎のスピリットには会ったか?」
「会いましたけど、でも話もできないじゃないですか」
「そうだ。まあ、そのように訓練を施したのは私だが……じゃあ、何故ゼフィだけが例外だと思う?」

 聞かれて、友希は考えてみた。
 神剣に意思が呑まれる。じゃあ、もしかしたら意思が特別強ければ、呑まれずに済むのではないだろうか。ゼフィは、そういう数少ない例外か?
 背筋をピンと伸ばして座る彼女は、自分のことを話されているにも関わらず、口を挟まずじっとしていた。

「……それは、ゼフィが特別だから?」
「違う。他のスピリットたちとは違う訓練をしたからだ」

 実に単純な理由だった。すると何故そんなことを、という疑問が先立つ。

「本来、スピリットの隊の隊長は人間が務める。しかし、この職は不人気でな。スピリットなんて連中を率いるのは下賎な仕事だそうだ。スピリットは国の財産だから、下手に損耗させると即首が飛ぶしな。身の回りの世話する仕事も、同じく不人気だ。
 そこで、面倒な隊長職や身の回りの世話なぞ、スピリット自身にやらせればいい、ということになった。そのためには、他のスピリットと同じように神剣に呑まれていては不都合が生じる。……要は、ゼフィは指揮官用に鍛えられたスピリットなんだよ」
「――――」

 友希は言葉もなかった。本当に、人間の都合だけで、スピリットたちは好きに扱われている。まるで犬か何かを躾けるような印象を受けた。いや、意味もなく罵声を浴びせられる分、犬より酷い。

「そして、いざ有事となれば人間の命令に従い前線に送られる、と。人間の都合で好きに育てられ、人間の都合で戦わされる。そういう存在だ、スピリットは。納得をする必要はないが、理解はしろ」
「…………」
「君もエトランジェとなればそれに準じる扱いをされる。私の訓練を受け、いつかは戦場で戦うことになる」
「……! できるわけ、ないだろっ」

 友希は歯噛みして反論する。異世界に飛ばされて納得のいかないことや理不尽なことはいくらでもあったが、今回のこれはとびきりだ。友希は人間だ。そんな駒のような扱いは御免だ。ましてや自分が戦う? 誰かを斬る? 馬鹿馬鹿しい。そんなことをする理由なんて友希にはない。

「同情はする。他に質問は?」

 しかし、すげなくイスガルドは流した。更に詰め寄ろうとするが、じ、と睨まれて押し黙るしかなかった。元来、友希は押しの強い方ではない。それに、反論しても立場を悪くする。感情に任せて喋るほど自棄にはなれなかった。

「……ない」

 本当はまだまだあるが、これ以上話しているとボロが出てしまいそうだった。
 いつか逃げてやる予定だが、それまではなるべく従順を装う必要がある。

「そうか。まあ、後で聞きたいことがあるなら、聞けばいい。じゃあ、後一つの用事を済ませよう。ゼフィ」
「はい」

 と、それまで座っていたゼフィが立ち上がって、友希に近付いてくる。なんだ? と思っていると、彼女が手に紐のようなものを持っていることに気付いた。

「失礼します。トモキ様。立ち上がっていただけますか?」
「あ、ああ」

 言われたとおり立ち上がると、ゼフィは紐を友希の胴に巻きつけたり、腕に添えたりする。どうやら、身体の採寸をしているようだった。ふと、ゼフィの体臭が鼻をくすぐり、照れくさくなる。

「……服でも作ってくれるんですか」
「そうだ。スピリットと同じ戦闘服をな。スピリットは女性ばかりだから、既製品は使えない。……デザインも決まっていないから、今着ているその服を参考にするとしよう。異世界の者、と一発で分かって箔も付く」
「ただの学生服なんですけど……」

 しかし、正直ありがたい話だった。先日、兵士の槍によって切り裂かれているし、色々とあって大分汚れてしまっている。

「あの、ついでに下着なんかも……」
「わかっている。後ほど届けさせよう。うちに食料はないが、衣料品は困るほどではない」

 やはり、食料は不足しているらしい。食卓にのぼる食事を見て見当は付いていたが。

「イスガルド様、終わりました。こちらです」

 ゼフィはメモ用紙に友希の身体のサイズらしき数字をサラサラと書き込み、それをイスガルドに渡した。横には簡単な学生服のスケッチもある。

「そうか。じゃあ、発注しておく。トモキ、君の訓練は明日からだ。今日のところは、訓練場を見学して、明日に備えてくれ」
「わかりました」

 頷いて、ゼフィと共に退室した。
 イスガルドには、それほど悪い印象は受けなかった。この世界の人間も、悪人ばかりではないのかもしれない。

 そう気付けたことが、今日の唯一の収穫だった。




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