食堂で無難なメニューとして日替わり定食を頼み、友希はキョロキョロと瞬の姿を探した。
 いくらなんでも普通は一言もなしに帰るわけがないが、瞬はあまり普通では無いので、気が変わって帰ってしまった可能性もある。
 幸い、今日はそんなことはなかったようで、隅のほうの席でつまらなさそうに座っている瞬を発見した。

「よ、お待たせ」
「ふん。遅い。相変わらず愚図だな」

 口が悪い。ちょっと短気な者なら、喧嘩に発展しそうなことをのたまう瞬だが、友希は瞬のこの手の物言いには慣れている。というか、このくらいの悪口を笑って流せないようでは、曲がりなりにも瞬の友人などやっていけない。時々、自分はなんて物好きなんだろう、と思うこともあるが。

「悪い悪い。で、飲み物はどうする? さっきも言ったけど、奢ろうか」
「結構だ。金くらい自分で出す」

 瞬は財布を取り出す。妙に厚いその財布の中がちらっと見えたが、万札が少なくとも二十枚くらい入っていた。これが格差社会というものか、と友希は密かに戦慄する。確かに瞬の家は、この辺りでも有数の名家だが、高校生の子供にあの金額はいかがなものだろうか。
 ため息を付いて、千円札が二枚入っているだけの自分の財布を取り出し、友希も小銭を漁る。

 瞬はカフェオレ、友希は烏龍茶のパックジュースをそれぞれ買った。

「でも、本当に昼ご飯食べなくて大丈夫か?」
「さっきも言っただろう。僕は普段から昼は食べないんだ。食堂のものなんて僕の口には合わないし、弁当なんて持ってくるのも手間だからね」
「そういう理由かよ……。お前はどんだけグルメなんだ」
「グルメ? 単にまともなものを食べようとしているだけさ。……く、考えてみると、悠人のやつは佳織に碌なものを食べさせていないに決まってる。今度、佳織を僕のうちの食事に招待しようか」
「……高嶺んちのご飯は佳織ちゃんが作ってるって聞いたけど。弁当含めて」
「悠人のやつめ。佳織の作ったものを食べられるなんて。あいつには過ぎた食事だっ」

 いきなり怒り出す瞬。手がつけられない。一体、この男はなにをどうしたいのだろうか。
 しかし、羨ましいというのには友希も同意だった。悠人の持ってくる弁当はたまに見るが、いつも彩りも栄養バランスも味もよさそうな立派な弁当を持ってくる。昔、悠人が初めて佳織作の弁当を持ってきたときは、確か地味な海苔弁だったはずだが、あの頃から比べると随分佳織の腕も上がったものだ。
 ……なるほど。瞬の気持ちも多少はわかるかもしれない。

「だったら、高嶺と仲直りしろよ。そしたら、佳織ちゃん、弁当くらい喜んで作ってくれるだろ」

 悠人と瞬が手を取り合うために、君の弁当が必要なんだ――とでも言えば、大張り切りで作ってくれること間違いなしである。

「絶対に御免だね。虫酸が走る」
「……なんでそんなに目の敵にするんだか。高嶺はいい奴だよ。佳織ちゃんのことも大事にしている」
「大事に? あいつは力尽くで佳織を閉じ込めているだけさ。僕に取られたくないから、必死に独占しようとしているんだ。それを大事にしている、って言うのか?」

 お前が言うな、と喉まで出かかったが、友希は口を噤んだ。悠人と一緒にされたら、瞬はキレる可能性が高い。
 無言で日替わり定食の味噌汁を啜る。ついでに口に運んだふろふき大根は味が染みていて美味かったが、あまり味を感じることが出来なかった。

「まあ、瞬が高嶺のことが嫌いなのはよくわかった。でも、今日みたいに揉めるのはやめろよ。佳織ちゃんが迷惑するから」
「迷惑? いや、悠人から離れればきっと佳織も分かってくれるさ。僕がやっていることが結果的に佳織のためになることだってね」
「……言っても無駄だとは思ってたけど」

 ここまで聞く耳持たないとは。友希は大きくため息を付いて、どうしたものかと頭を巡らせた。しかし、瞬を納得させるような言い分は思いつかない。

「あー、っと。それにしたって、もう少しやり方があるだろ。あんな風に喧嘩しちゃ、佳織ちゃんが悲しむから」

 ひとまず、佳織を絡めるしかない。他の理由を持ち出しても、瞬は絶対に納得しないからだ。

「……ふん。まあ、聞いておいてやる。でも、悠人の手から佳織を解放するまで、僕は諦めないからな」
「はあ……」

 とりあえずは、こんなところだろう。これ以上言っても、逆効果になりかねない。
 喋りながらも食事を進め、最後に残ったのは今日の日替わりのメインであるカニクリームコロッケを食べる。あまり食べた気がしないのは、気のせいではないだろう。

「そういえばさっき食事の話が出たが……ここにも碌なものを食べていない奴がいたな」
「お前、超失礼な」
「本当の事を言っているだけさ。仕方ない、今日はお前をうちに招待してやろうじゃないか」

 珍しい……という程のことではない。一、二ヶ月に一度ほど、友希は瞬の家で食事をご馳走になることがあった。
 ついでに、少しくらい遊ぶこともある。瞬は近付きがたく、友人も友希くらいしかいない男だが、趣味くらい持っている。友希が昔教えたヨーヨーがそれだ。とっくにブームは過ぎ去っているが、未だしつこく練習している。理由が、昔佳織に『すごい』と褒められたからだ、というのが実に瞬らしいが。それに付き合って、というか、友希も未だ、小学生の頃の腕を錆びつかせない程度にはやっていた。
 この偏屈な男を見捨てられないのは、その辺りも理由なのかも知れない。

「ああ、ありがたいな。じゃあ、お邪魔させてもらうよ」
「せいぜい、楽しみにしておくんだな」
「……もうちょっと素直に感謝させてくれ」

 友希は嘆息する。と、

(………………………………………よ)

「?」
「どうした、友希」
「いや、誰かに呼ばれたような?」

 キョロキョロと辺りを見回してみるが、知り合いの顔はいない。そもそも、先程聞こえた声は、そんなに近くからした声という感じではなかった。遠く、遥か遠くから響いたような……そう、まるで別の世界からの声のような、

「自意識過剰なんじゃないか? 僕には聞こえなかったぞ」
「そう、かなあ?」

 自分の勘違い。実に安易で納得のいく結論なのだが、どうしてか友希にはそうとは思えなかった。
 確かに聞こえたのだ。誰かが自分を呼ぶ、声無き声が。

「……まあいいか」
「なに言ってるんだ」
「なんでも」

 考えても結論が出ることではない。友希は気のせいだとすることにして、食器を食堂の返却口まで持っていくのだった。


































 瞬と久方ぶりに昼食を共にし、更には瞬の家で夕食をご馳走になった、その夜。自宅のベッドで眠っていた友希の耳に、キィィン、と耳鳴りのような音が聞こえた。

(な……んだ?)

 声が上げられない。腕も足も動かない……そもそも、動かすべき身体がない。
 それなのに視界だけは明瞭で、周りの風景は三百六十度全てわかってしまう。まるで宇宙空間のような場所に、友希の意識はたゆたっていた。

 夢だ、と確信できる状態。明晰夢というやつだったか、と妙に冴えた頭で考えていると、遠く、遠くの方から、声が聴こえてきた。

(……よ。私は……神…『…ね』)
(なに、言ってる?)

 よく聞き取れない。
 男のような、女のような、中性的な声。途切れ途切れの言葉なのに、自分に呼びかけているということが何故かはっきりと分かった。
 それが、昼に食堂で聞こえた声と同じものだ。そう気付いた。

(物……紡ぐ…よ。私の声……こ……貴方。…約を)

 少しだけ、声が近くなる。耳鳴りが大きくなり、同時に声の主がすぐ側にいるような感覚になった。

(契約……。私は力を……代償と……貴方の………語を見る)

 なにか、大きくて暖かな意識が近くにいる。そして、次こそ、はっきりとした声で意味のある言葉が耳に届いた。

(見つけた。主と成り得る人。さあ、私と契約を)

 そして、友希は、

「……っ!」

 ガバッ、と何かに急かされるように起き上がった。
 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、滝のような汗が流れている。

「なん、だ?」

 時計をみると、午前三時。まだ真夜中であった。普段は、一分一秒でも長く寝ていたいと思っているのに、完全に目が覚めている。
 深呼吸をして落ち着こうにも、心臓は相変わらず脈打ち、まったく収まる気配がない。

「くっ」

 何かに急かされるように起き上がって、寝間着としているシャツを脱ぐ。夜にコンビニ等に行くためによく着るジャージを取り出して、身につけた。
 一応財布と、鍵を手に玄関に向かう。

 何故、こんな深夜に外に出ようとしているのか、友希自身にも理由は判然としない。しかし、頭のどこかが『行け』と喚き立てている。

 先程の夢が脳裏に浮かんだ。
 不思議な空間で、不思議な声が聞こえた。ただそれだけの夢。
 しかし、耳にはあの声がまだ残っている。残響のようなそれが、自分を動かしている原動力だと、友希は家の鍵をかけているうちに気がついた。

「なんだって、こんなこと」

 早足で歩きながらひとりごちる。しかし、足は止まらない。はっきりとした目的地があるかのように、行く先に迷うことなくある方向に向かう。
 深夜で人気のない道を早足で歩く。点滅している街灯は、当然全ての道を照らすことなど出来ず、不気味な暗闇がそこかしこに出来ている。普段なら多少は怖がるであろうそれも、今の友希の目には入らない。

(早く……早く)

 急かされている気がする。それが自分の声なのか、それとも夢の中で語りかけてきたあの声なのか、もはや区別はつかなかった。

「……ここか」

 辿り着いたのは、通学路の途中にある神社だった。
 確か、神木神社という名だったと思う。友希はあまり訪れたことはなく、せいぜい初詣に足を運んだことがあるくらいだ。

『主……私はここだ』
「くっ」

 キィィン、と頭に響くような声がする。響きすぎて、少し頭痛までした。ここまで来ると、これが単なる気のせいだったり幻聴だったりという可能性を友希は捨てていた。
 間違いなく、自分を呼んでいる誰かが、この上にいる。

 友希は、一段飛ばしで神社の階段を駆け登っていった。

 登り切ってみると、境内はしんと静まり返っている。
 当たり前の話だが、参拝客は一人もいない。人気のない神社をくまなく見渡す。

 神社の入口となる鳥居。こんこんと清水が湧き出ている手水舎。賽銭箱の置いてある本殿と、その脇にある社務所。
 何の変哲もない、ただの神社だ。

 ――いきなり、境内の真ん中に光の柱が現れたことを除けば。

「……は?」

 それは、あまりにも唐突で、そして幻想的な光景だった。電灯の光とは明らかに異なる、柔らかくも激しい光。眩しいと感じることはなく、ただ光に惹かれて友希はそれに近付いていった。
 不思議と、恐怖を抱くことはなかった。

 近付いてみると、光のなかに一つの影があることに気が付く。
 棒状の、何か。それが、先ほど語りかけてきた声の正体だと、なぜか友希は理由もなく確信した。

 やがて光が収まり、残ったのは中空に浮かぶ一本の……剣。
 そう、それは剣だった。まるでゲームや漫画に出てくるような、両刃の剣。特に凝った装飾が施されているわけでも、宝石が象嵌されているわけでもない……が、しかし、友希はその剣をとても美しく感じた。

 何故、何の支えもなく宙に浮かんでいるのか……それを疑問に思うこともなく、友希はまるで誘われるように手を伸ばし、

「ん」

 ぐ、と剣の柄を握りしめた。
 まるで吸いつくような感触。妙に手に馴染むことに、友希は驚いた。剣など今まで握ったことなかったというのに。

『……さあ、主。契約を』
「そうだな。契約……けい、や、く?」

 そこで、急激に意識がはっきりした。
 今までの靄がかかったような思考がクリーンになる。

 どうして、僕はこんなところに? この剣はなんだ? ていうか、喋ってる?

「はあああああ!?」
『チィ、目が覚めたか』
「目が覚めたかって、お前何をした!?」
『いや、契約者がいないと、私は動けないものだから……ちょっと洗脳を』

 洗脳!? と驚愕の声を上げる友希に、剣は慌ててフォローを入れる。

『い、いや。私は主の行動を制限するつもりはない。今回のは、あくまで特別。この分枝世界はマナが薄くて、主なしだと消滅の恐れがあったので』
「僕は、主とやらになった覚えはない!」

 剣と会話しているという不可解な状況に混乱しながら、友希はとりあえずそう叫ぶ。
 こんな剣、と放り投げようとした気配を察したのか、剣は慌てて、

『待って! お願いだから話を!』
「ぐあわああ!?」

 キィィーーン、と鋭い頭痛が走る。
 思わず剣を取り落としそうになるが、まるで磁石でくっついているかのように手のひらから剣は離れなかった。

 直感的に、この頭痛はこの剣が引き起こしたのだと理解した友希は、遠くに投げ捨てようとするも、やはり頭痛が遮った。

「く、くく……」
『待ってください。主の不利益になることはしません。ですから、お願いですから私と契約をしてください』
「……契約、ってなんだよ、それ」

 話が進まない。頭が麻痺していることを半ば自覚しながら、友希は先を促した。また頭痛を引き起こされては敵わない。

『この私、永遠神剣第五位『束ね』との契約です。契約は魂に刻み込まれ、私と主は一蓮托生となります』
「……お断りだ。永遠神剣ってのがなにか知らないけど、悪魔の契約みたいなものだろ」
『いえいえいえいえ。私が対価として求めるのは主の紡ぐ物語の観察。他の神剣のように、主の自我を破壊したり、無理矢理マナを集めさせたり、戦いを強要したりなどしません』

 率直に言って、胡散臭すぎて鼻が曲がりそうだった。

「なに、それ。他の神剣のようには、って、今まさに頭痛起こしたり、僕を洗脳したりしたじゃないか。神剣、とか言うけど、魔剣みたいなものじゃないの」
『だから、さっきのは緊急避難的なものです。誰だって消滅はしたくないでしょう』

 契約をしないと、この剣――話によると『束ね』――は消滅してしまうと言う。
 必死な様子が伝わってきて、友希は渋々とその点に付いては許すことにした。

「まあ……じゃあ、さっきのはいいよ。でも、なんで僕なんかに」
『波長が合った、と言えばいいでしょうか。私の呼びかけを聞き届けてくれた貴方と私は……そうですね、俗に言う『相性が良い』のだと思ってください』

 なんて適当な話なんだ、と友希は嘆いた。

『『紡ぎ』から派生した私の目的は、本当に主の人生を観察するだけです。お邪魔でしたら、一生貴方の心の隅で黙っていますので……どうか、契約をお願い出来ないでしょうか』
「『紡ぎ』?」

 また、知らない単語が出てきた。ロクな契約書もなしの契約など、不安すぎてとても結べない。

「……わけわかんない。僕はそんなの知らない」
『そんなっ』
「ぐあっ」

 またしても頭痛。この剣は、腰を低く話しながらも、どうやらいい性格をしているらしい。

「ぐぅ……」
『どうでしょう、契約を結んでもらえませんか?』
「二……言目には契約、契約と……これは脅迫っつーんだ」

 しかも、えらくタチが悪い。

『人聞きの悪い』
「剣だろ、お前」
『失礼。剣聞きの悪い……語呂悪く無いですか。これだから日本語は』
「いや、日本語のせいにすんな。日本語は人間が喋るためのもので、お前みたいなモノノケが話すようには出来ていないってだけだ」
『モノノケなどと……あのような下等なものと一緒にしないで下さい。私はこれでも、第五位の神剣ですよ』

 いるんだ、モノノケ。と、友希はこの僅か数分の間にどんどん自分の常識が目の前の剣によって切り崩される感覚がして、頬を引き攣らせた。

『どうです、第五位の剣と契約する機会など、そうそう得られませんよ』
「……五位って、大したことなくないか」
『ふっ、無知な主ですね。私の主としては甚だ不釣合です』

 鼻で笑われた。鼻なんかないくせに。何だ、この剣。

「……そうか。それは残念。それじゃあバイバイ」
『待って待って! 嘘! 嘘ですっ』
「〜〜〜っ! いちいち頭痛を起こすのをやめろ!」

 一喝する。『束ね』から、ビクッ、とする気配がし、痛みは引いた。

「お前ね。自分から契約を頼んできたの、忘れてないか」
『申し訳ありません。少し調子に乗っていました』

 少しか? と友希は疑問に思いながらも、ひとまず『束ね』の相手をすることにした。
 本来なら恐怖の一つや二つ抱くべき状況だが、友希は自分でも驚くほどあっさりと事態を飲み込んでいた。それどころか、この『束ね』とやらに、妙な親近感すら持ってしまっている。これが彼女――声の響きから、恐らく女性――の言う『相性』とやらのせいだとするならば、自分はどんな星の下に生まれてきたのか。

 もしかしたら、自分でも気付かないうちに洗脳されている可能性もあるが。

「それで……契約? もう少し詳しいこと聞かせてくれよ」
『していただけるので?』
「聞いてから判断する」

 しかし、どうにもこの『束ね』はお喋りっぽい。先程は『一生貴方の心の隅で黙っていますので……』などと神妙に言っていたが、まるきり信用できそうになかった。

『では……先程も申しましたが、私の目的は二つ。一つは、マナの薄いこの世界で活動するために主を得ること』
「マナ?」
『ええと、よくゲームや漫画であるオーラとか魔力とか、そういうのをイメージしてください。大差はありません』
「わかりやすいけど……なんでそんな俗っぽい喩えを」
『私は物語を観察するもの……。当然、人の手により紡がれた架空の物語も守備範囲内です。ふふ、意外とどの世界の人間も、考える物語は似たようなものなんですよ』

 誇らしげに断言する『束ね』。
 しかし、神秘的な存在だった剣が、一気に卑近なものになってしまった。

『この世界は、そのマナが少ない。私にとってマナというのは空気や水のようなもの。当然、十分な量が確保できないと活動できなくなりますし、下手をすると消滅してしまいます。ただ、主を得ると、消耗は抑えられるので、このマナ密度でも活動は可能ということです』
「なんとなくイメージは出来るけど……。今は大丈夫なのか?」
『心配ありがとうございます。今はまだ、前の世界からの貯金が残っているので大丈夫ですよ。丁度、ここと似た世界でしたが、あちらはマナが割と豊富だったので』

 似た世界? と聞き返そうとした友希だが、『束ね』はさっさと次の話に移った。

『二つめの目的は、主の紡ぐ物語……要するに、人生の観察です』
「とても断りたくなってきた。っていうか、なんでそんなことを」
『何故、と聞かれれば、それが私の存在理由だから、としか答えられないです。私が生み出されたときに植え付けられた本能ですから。貴方達人間の本能が子孫を増やすことであるように、私にとっては人の物語の収集が本能なのですよ。……今は、私自身の目的でもありますが』
「観察される身にとっちゃたまったもんじゃないな……」

 自分の人生をずっと見る者が現れる。ぞっとしない話であった。その気配を察したのか『束ね』が慌てて付け加える。

『も、勿論プライバシーは万全です。ええ、主が犯罪行為に手を染めようと、人として逸脱した行為をしようと、私はそれを主の物語として尊重しますし、決して誰にも漏らしません。ほら、私は剣ですから、人間の倫理とか関係ないですし。それに、『紡ぎ』と私のリンクは既に切れているので『紡ぎ』にもバレません』
「さっきから言う『紡ぎ』って……」
『親のようなものです。元々は『分身』と言う方が適切でしたが、私はそれなりに進化した個体なので』

 色々と情報量が多くて混乱してきた友希である。
 細かくは色々と疑問点があるが、一つだけ聞かなくてはいかない。

「まあ、『束ね』の目的はわかった」
『それじゃあ』
「待て待て、一つ聞かせてくれ。……で、その契約とやらをして、一体僕にどんなメリットが?」
『め、メリット?』
「そう。契約っていうからには、こっちが一方的に負担するわけじゃないだろ? 『束ね』と契約することで、僕にはどんな利益がある?」

 この剣が超常現象やオカルトの類であることは、もはや間違いない。そうすると、そんな存在と契約することで得られる対価とはどんなものだろう。昔話では願い事をかなえてくれる魔法のランプなんてものもある。
 しかし、こんな状況で契約の対価を聞くなんて。自分のことながら割と冷静だな、と友希は思った。

『ええと、神剣のマスターは、剣の力を引き出すことで常人では到底及ばない戦う力を得られます。力の元であるマナが薄いこの世界でも、主は人では比肩しえない強さを得るでしょう。このように発達した世界の軍隊には、ちょっと勝てませんが』
「ふーん、まあ、剣だしね」

 剣とは武力の象徴だ。近代では武器といえば銃がまず挙がるが、そんな現代においても剣から連想されるイメージが闘争であることに変わりはない。先程の『束ね』の言葉ではないが、漫画やゲームなどにおいてそれは顕著だ。そして、平均的男子高校生である友希も、当然その手のサブカルチャーには親しんでいる。

「他には?」
『強くなるということですから、当然……その、人より丈夫になりますし』
「……他には?」
『私は、普段は主の身体の中に収まる事ができますので、いきなり私を出すことで手品、とか? あ、魔法使えますよ、魔法。この世界だと効果は低いですけど』

 小ネタとしては面白いのかも知れないが、とても友希にとって大きな利益になるとは思えなかった。
 それこそ戦国時代なら、武力で一旗揚げることも出来たかも知れないが、この現代日本に置いて個人の武力などまるで役に立たない。札束の方が余程現実的な力だ。

 そんな友希の内心を読み取ったのか、『束ね』は焦った様子で自分をアピールする。

『そ、それに、私は色々と人生経験豊富です。困った時には頼ってくれて構いませんよ?』

 不干渉とか言っていた気がするが、それはどうなんだろう。
 色々と気になることは多々あるが……こんな短い会話だけでも、なんとなく、友希はこの『束ね』を見捨てる気にはなれなくなっていた。

「うーん……わかった。とりあえず、契約は、する。クーリングオフは効くのか?」
『ありがとうございます。……ここに契約はなされました。我が主が良き物語の紡ぎ手であることを望みます』

 高い音がして、手に収まっていた剣が光の玉になり、友希の胸に吸い込まれる。
 それを受け止めて、するりと自分の中に『束ね』が存在することを自然と感じられた。

「『束ね』?」
『はい、います。ちなみに、クーリングオフは効きませんので、ご承知おきのほど』
「……やっぱやめておくんだった」
『いやですよもう、契約しちゃったんですから』

 先程と同じように、頭の中に響くような声。それが、自分の中から聞こえてくる。
 妙な感覚に戸惑いつつも、友希はひとまず、家路につくことにした。





















 次の日は、友希は学校を休んだ。
 夜中に起きたから寝不足……というわけではなかったが、流石に今は自分の中にいる『束ね』のことを確認しておくべきだと思ったからだ。

 朝、学校に連絡して、いつもより遅い時間にゆっくりと朝食をとる。

「……さて、と」

 皿を流しに入れ、食後の珈琲を淹れる。
 朝の珈琲タイムは、友希にとって至福の時間だ。よく朝寝坊してキャンセルしてしまうが、この一杯があるかどうかでその日のやる気が三割は変動する。珈琲はインスタントの安物だが。
 いそいそと二杯目を飲み干し、付けっぱなしだったテレビを消して、リビングのソファに腰掛ける。

 友希は瞑目して、自分の中に声をかけた。

『……『束ね』』
『はいはい。なんでしょう、主』

 声をかけると、昨日と変わらない声が聞こえてきた。
 朝から、自分の中に自分とは別の存在を感じていたから、昨夜のことが夢ではないことはわかっていたが……改めて声を聞くと、自分の勘違いだったという儚い願望はなくなった。

 ため息を付き、右手を軽く握り締める。その手に、『束ね』の柄があることを強く意識し、昨日出会った剣の姿を思い出す。
 カシャ、と軽い音と共に、次の瞬間には『束ね』が現実に現れていた。
 ここまで、自分でもどうしてかは分からないが、ごくごく自然に行なえた。

「……幻聴とか、僕の妄想とか、そういうのを期待してたんだけど」
『ひどいですね、主。まあ、許します』
「そりゃどうも」

 改めて、友希は『束ね』を観察した。
 両手で握って少し余る程度の柄に、鍔。一メートルほどの刃渡りの両刃の刀身。特に装飾らしいものも、凝った意匠もあるわけではない、普遍的な『剣』という感じ。
 一言で言うと地味である。

「……ロープレの主人公の初期装備みたいだ」
『ひどっ。私は五位ですよ、五位。そんな一山いくらの凡剣と一緒にしないで下さい』

 抗議してくる『束ね』。確かに、この一見凡庸な剣には、神秘的な雰囲気というか『凄み』みたいなのがある。なにより喋る。
 それは友希とて分かっているが、しかしその喋っている人格がこうも軽薄だと、どうにも凄いとは思えないのだった。

「で、五位ってなにさ」
『我々、永遠神剣の格のことです。一位から十位までありまして、数字が小さいほど力が強く、数も少なくなります。三位以上は、通常世界ではまず存在しませんので……私は実質、上から二番目の強さです』
「ふーん……」

 比較対象がないので、それがどれほど強いのかがわからない。

『む、感動が薄いですね。分かりやすく言うと……マナの豊富な世界ならば、人間が何百何千集まろうが負けたりしません』
「嘘臭い」
『……それでは、私の力を少しだけ開放しましょう』

 は? と声を上げる暇もなく。
 突然、右手に握った『束ね』から、熱いものが友希の身体に流れこんできた。

 それは友希が感じたこともないほどの圧倒的なエネルギーだ。全身の筋肉がかつてないほどの活力を得、五感すべてが研ぎ澄まされる。
 今ならば、ただジャンプしただけで家より高く飛べ、走れば車より速く走れるだろう。腕を振り回せば、人間など軽く潰れる。そんな力が宿っていると、試すまでもなく実感としてわかった。それでも、ただの勘違いじゃないかと、テーブルの上のマグカップを軽く力を入れてつまむと……あっさりと、陶器製のマグカップに罅が入る。
 感覚の方も同様だ。若干近視の友希が、壁のカレンダーに目を向けてみると、日付の数字の下に書かれている小さな六曜まではっきりと見て取れた。自分で感じるものだけでなく、『束ね』から人間では感じられない沢山の情報が流れこんでくる。

 あまりの力に、気が遠くなりそうになると、ふっ、と先程までの熱が収まった。

「――っはぁっ!」
『これで、少しはわかってもらえたでしょうか』

 友希はコクコクと頷いた。熱の残滓がまだ身体に残っている。

『この世界はマナが希薄なため、マナを溜めないと中々力は振るえませんが……感じてのとおりです』
「あ、ああ。疑って悪かったよ」

 わかればいいのです、と、少し得意そうになる『束ね』だが、友希はこの剣が恐ろしくなってきた。
 自分のことを主と呼び、少なくとも――昨夜の頭痛のことはともかく――危害を加えてこないが、しかしこの剣が本気になれば友希なんて簡単に殺されてしまう気がする。

『それでは、私を侮った代償として、この世界の物語を見せてください。小説でも漫画でもゲームでもドラマでも、なんでも構いませんので。主が見れば、私も見ることができます。ちなみに、私の好みはラブコメです。ヒロインが可愛いのをお願いします』
「……ああ、わかったよ」

 と、思ったが、どうやら友希の勘違いのようだった。


























 学校をサボって『束ね』と共に部屋にあった漫画を一通り読んだその翌日。
 何日も休むわけにもいかないと、学校に来た友希は、隣の席の光陰から驚くべきことを知らされていた。

「ちょっ、僕が演劇の役もらってんの?」

 もうすぐ行われる文化祭の出し物。友希のクラスはサスペンスものの演劇をやることになっており……そのうち、主要な登場人物の一人を、友希が演じることになってしまっていた。

「おう。主役とはいかないが、けっこう重要な役どころだぜ? 犯人役だ」
「あーー! 適当に大道具とかやろうと思ってたのに」
「役を決めるホームルームの日に休んでいたお前が悪い。意外と、こういうのは誰もやりたがらないもんだからな」

 友希は頭を抱えた。多くの学生の例にもれず、彼も目立つのは苦手である。
 こう言っている光陰も、割と重要なキャラを演じることになっているそうだ。これは、ヒロイン役である今日子の意向とのことだが。

「それに、悠人に比べりゃ御剣はマシだぞ。あいつ、居眠りしている間に主役に決定なんだからな」
「……予定通りに、か」
「おう。居眠りするところも含めてな」

 高嶺家は、両親がいない。そして、家計を支えるため、悠人がバイトをして稼いでいる。
 お陰で学校行事等も適当にこなし、昨年の文化祭など丸々サボってバイトに精を出していた。

 クラスメイトはその苦労を察しながらも、出来れば今度の文化祭は悠人にも楽しんでもらいたい、と思っていた。これでも、意外とクラスの結束は強いのである。
 そこで、悠人の親友である今日子の音頭取りにより、演劇の主役として文化祭を楽しんでもらおう、とこういう次第であった。

「でも、やっといてなんだが、高嶺も嫌がったんじゃないか?」
「いいっていいって。佳織ちゃんに一発格好良いところを見せられるんだから、あいつも本望だろう」
「そうか?」

 自席でぼーっとしている悠人を見る。
 今日は、普通に登校してきたようだが、どうにも寝不足のようだった。ちなみに、友希も夜更かしして『束ね』と漫画を読んでいたため、寝不足である。

「そうだ」
「……そうかもな」

 友希に妹はいないが、佳織みたいな妹がいたとすると……やはり、少しはいいところを見せたいと思うだろう。

「そして、俺ももちろん佳織ちゃんにいいところを見せる。佳織ちゃん以外にも、中等部の子たちがきっと見に来るからな……ふふ、俺の名演に、カワイコちゃん達はメロメロだぜ」
「碧……お前、今時カワイコちゃんって……。それに、お前って岬と付き合ってるじゃ」
「そうだが、何か問題でも?」

 いや、あるだろう、と友希はツッコミを入れられなかった。光陰の顔は極めて本気だったのだ。自分の言動は、天地に恥じるところはない、と確信している顔である。確か、光陰の実家はお寺だったはずだが、どうやら息子には御仏の薫陶は行き渡っていないと見える。
 忠告してやるべきかどうか、友希は迷う。

「あのな、碧。落ち着いて後ろを」
「無論、バレないようにやるさっ。俺も学習しているからな」

 もはや手遅れだと思いつつも、友希は光陰に教えてやろうとするが……碧光陰という男は、普段は何事にも聡いのに、こういう時だけは愚鈍であるのだった。

「へえー。学習ねえ?」

 光陰の後ろから、やたら恐ろしげな声が響く。
 その声に恐る恐る振り向く光陰。途中、顔が恐怖の色に染まっていくのは、実に見物であった。

「碧くーん? 君の言う学習って言うのは、『そもそも手を出さない』って方向には行かないのかなー?」
「お、おおおお、落ち着け、今日子。今のはだな、そう、あくまで男同士のかるーい冗談で……」
「ぃやかましいっ!」

 スパーンッ! と、今日子はどこからか取り出したハリセンを一閃する。

「んごぉ!?」

 別に鉄製でもあるまいに、一発で光陰が沈められる。

「御剣、ごめんねー。この馬鹿が変なこと言って」
「い、いや。別にいいけど……」

 周りは笑って見ていた。このクラスでは、今日子が光陰や悠人に大して情け容赦ないハリセンの一撃を食らわせるのは、もはや日常茶飯事となっているのだ。
 まあ、所詮ハリセン。この幼馴染たちのコミュニケーションの一環なのだろう。にしては、光陰が本気で悶絶しているように見えるが、友希は敢えて目を逸らした。紙製のハリセンにそんな威力があるわけがない。あるわけないんだって。

「ん……どうしたんだ?」

 うつらうつらとしていた悠人が顔を上げ、ぼけーっと声を出す。

「あんたもいつまでも寝てんじゃないの!」

 折角ハリセンを出したんだから、と言わんばかりに、今日子が返す刀で悠人の方もはたく。こちらは、大分力を抜いていたが。

「いたっ」
「ったく。朝っぱらから。アンタは演劇の主役なんだから、しゃきっとしなさい、しゃきっと!」
「……はいはい、わかったわかった」

 そんないつも通りの光景。
 妙な剣を手に入れたとは言っても、日常に変わりはないのだな、と友希は思った。


 この時はそう思ったが、友希は後日、この考えを撤回することになる。その時には、日常という言葉は遥か遠い出来事となるのだが、神ならぬ身の友希にはわかるはずもなかった。




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