竹取物語 僕は今永遠亭に居る。 正確には永遠亭の入り口前、門の下に居る。 なぜ居るのかと問われると、偶然としか答えようがない。 なんとなく幻想郷に来た僕は、なんとなく博麗神社を出て、なんとなくそこら辺をうろうろして、 夕方になったから帰ろうとした時になぜか遭遇した絶好調チルノにボコボコにされ、その時近くにあった永遠亭に、ほうほうのていで逃げ込んだのだ。 「あの妖精、たまに物凄く強いもんねー」 「そうなんだよ。戦歴は互角なんだけどな」 現状は、逃げた先に居たてゐと、こんな感じの会話をしている。 てゐも花の異変の時にボコボコにされて以来、調子良さそうな時は近寄らないようにしているらしい。 大妖の方々や空を飛べる人類(僕を除く)はともかく、普通の妖怪はチルノに負けることも多い。 その後チルノはありえないほど調子にのって、レミリアやスキマあたりに特攻したあげくボコボコにされ、次の日にはすべてを忘れてるのだ。 まあ、つまり厄介な奴なのである。 「あ、そういえば良也は今夜ひま?」 「うん? まあ、特に予定はないけど……」 なんだ? てゐがこんなこと聞いてくるのは初めてじゃないか? なんだかドキドキしてきた。いたずら兎的な意味で。 今日は土曜日だから明日も予定ない。今日を含めて2日間幻想郷でゆっくりできるのだ。 いやー、週末までに仕事が片付いて本当に良かった。 「今日は宴会をやるんだよ、身内だけでね。 せっかくだから良也も参加したら? あんたお師匠様や姫様に気に入られてるし」 「永琳さんはともかく、輝夜は僕をからかってるだけだけどな。 というか、なんの宴会なんだ? 身内だけって……なにか特別なことでもあったのか?」 「えっと……確か永遠亭開放一周年記念…いや、二周年だったかな? ……あれ? 『鈴仙、月から手紙帰ってきて良かったね記念』だっけ?」 「僕に聞くな」 知ってるわけないだろ。 とりあえず、てきとーな理由だということはわかった。 でもまあ、永遠亭の宴会は料理が美味しいから、楽しみではある。 うん、せっかく誘ってくれたのだから、参加しよう。 「何記念かは知らないけど、宴会には参加するよ」 「そう。 だったらお師匠様に報告しといて。私に誘われた、って」 「はいよ。 ありがとなー」 どういたしましてぇ――なんて返事を聞きながら僕は永遠亭の扉を潜る。 ……ふぅ、てっきり何か仕掛けてくるかと思っていたが、杞憂だったようだ。 てゐはノリが良くて、面白いのだが、偶に悪戯を仕掛けてくるのだ。 今回はそれもなく、宴会にも誘われたということで、非常に軽やかな気分で庭を横切り、庭の側面から現れた鈴仙に挨拶をし、 嫌そうな顔をされて地味に傷つくもそのまま屋敷に向かい、鈴仙と一緒に落とし穴に落ちたのだった。 ******************************* 「そう、それは災難だったわね」 「一言で済ませないで下さい。 鈴仙に殺されかけたんですよ?」 「殺されても死なないから良いじゃない」 「……はぁ」 良くねーよ。 屋敷の中で永琳さんを見つけたので、宴会に参加する報告をしつつ、てゐのことでクレームをプレゼントした僕対する回答がこれである。 まったく、なんだかんだてゐや鈴仙に甘いんだから困る。鈴仙とてゐが合わさった時の僕の被害は厳しいものがある。 特に、最近マシになってきた鈴仙の態度が悪化するのが悲しい。まあ、どうせ接し方は変わらないけどね。 「それで…、さっきの話しなんですけど……」 「宴会に参加するのは構わないけど、まだかなり時間があるわよ? 私は準備で忙しいから、時間を潰すなら姫の相手をしててちょうだい」 「……はぁ、わかりました」 輝夜の相手か……。 いや、あいつの相手は楽しいから良いんだけど、どうも僕をからかうのが趣味みたいなところあるからなぁ。 前はそれも困りつつ楽しんでいたのだが…、今はなぁ……。 「ほら、さっさと行きなさい。 あんまりのんびりしてると鈴仙が来るわよ。 また殺されかけたくはないでしょう?」 「さよなら永琳さん。また後で」 迷ってる暇はない。 鈴仙の弾丸型(座薬型)の弾幕をさっき喰らったばかりなのだ。 まだ怒ってる可能性もあるし、恐怖もある。 故に撤退…! 戦術的撤退…! 敵前逃亡に有らず…! そんな感じで僕は永琳さん部屋から出た。 「……あ、輝夜の居る場所を聞くの忘れた」 しまったなぁ……、永遠亭の屋敷って広いから人を探すの大変なんだよなぁ。 廊下を歩きながら周りを見渡す。…うん、誰も居ない。 先ほどから兎達には会うのだが、残念ながら彼らとは意思疎通が出来ない。 うーん……、永琳さんの所に戻ると鈴仙が居るし、てゐの居る場所なんて知らない。 輝夜の自室は知っているけども、あいつがそこに居る確率はかなり低い。 あいつは思いついたように謎な行動をとるのだ(この間なんて布団に包まりながら庭を歩いてた)。 だから騒ぎが起こっている所を探しながら、うろついてみたのだが…、宴会の準備のせいか少数の兎しか見かけていない。 「一応行ってみるか」 なんて言い訳みたいなことを呟きながら輝夜の部屋に向かう。 ……まあ、なんだかんだいって僕は女の子の部屋に行きたいのだ。 例えその結果からかわれようとも、僕は輝夜の部屋に行きたいのだ。 今までうろうろしてたのは、その言い訳。 『周りを見渡しても居ないから部屋に行ってみる』 これをするためだけに、うろうろしていたのだ。 輝夜の部屋に行く途中で見つけたら、きっと悔しがるだろう。 「………風が竹を揺らす音と、虫の音か。 相変わらすここは無駄に風流だな」 廊下を歩く。 今歩いているのは縁側なので、外からの夕日が僕を照りつける。 同じ太陽でも、昼と夕方では感じ方が違う。 僕は夏でも暑くない魔法使いなので、昼の太陽を鬱陶しいとは感じないが、綺麗だとも思わない。 太陽は愛でるには眩しすぎる。 真っ直ぐ見つめると目を焼かれてしまう。 しかし、間に空気の厚みが入ることで、それは美しいものに様変わりする。 そう、夕日だ。 僕は今まで夕日が大好きだった。 決して届かないものが、愛でれないほど眩しいものが、ある条件が揃うと身近に感じる。美しいと思える。 それはきっと、僕がここに来るたび感じていたものだから。 遠くから見ると眩しくて、近寄りがたいのに、隣に立ってみると、とても愛おしく感じる。 そう、つい最近まで、僕は幻想郷を照らす太陽に惹かれていたのだ。 ずっと傍に居たいと思っていた。 その思いに気づいたのは、それこそ指で数えれるほどしか離れていない日のことだったけれど、僕は確かに彼女に惹かれていた。 ……しかし、何の因果か、その思いは、伝える前に消えてしまった。 いや、消えてなどいない。今でも僕は太陽が、夕日が好きだ。 でも、それ以上のものを見つけてしまった。 まったく……どうしてこんな感情が芽生えたのか、今でも良く分からない。 しかし、感情とは制御できるものではない。 好きだと思ってしまったら、愛おしいと思ってしまったら、手に入れたいと…思ってしまったら、それはもう、どうしようもない。 それが、古来より日本人を魅了してやまないものならば、もうそれは必然…なのだろう。 「……早く昇らないかな、月」 僕は、月に魅了されていた。 ************************* 「あら、良也じゃない。久しぶりね」 「いや1週間前に会っただろ」 「そうだったかしら?」 輝夜を探して部屋にたどり着いた僕に対して発した一声がそれだった。 なんというか、凹む。 一週間前のことくらい覚えておけよ。 「えっと、それで何の用なの良太?」 「いや、名前間違ってるし」 ニヤニヤしながら言いやがって……。 そんなに僕をからかうのが楽しいか? 僕は今凄く楽しいけどなっ! 「あら、築地良太じゃなかったっけ? 名前」 「ちげーよ。 つーかさっき僕の名前呼んでたじゃん。 3歩歩く前に忘れるとか鳥頭にも程があるだろ」 売り言葉に買い言葉。 しかし、輝夜はどうやら『鳥頭』という単語が気に食わなかったらしい。 その気になれば国を崩せる美貌を保ったまま、目を細めて僕を睨みつける。 「無礼ね、打ち首にするわよ?」 「怖いよっ!」 真顔で言うな。 あとその目を止めろ。なにか駄目な領域に入ってしまいそうになる。 「良いじゃない首を落とすくらい。別に死なないでしょ?」 「だったら僕の首を落とした後、輝夜の首も落とすからな。 別に良いだろ? 死なないから」 「嫌よ、痛いもの」 「……本当に良い性格してるなお前」 にっこり笑っても駄目。 まるでマリーアントワネットみたいなやつだ。 婚儀を結ぶ男が居ないなら家で待ってればいいじゃない、そのうち来るわよ。とか言いそうである。天然込みで。 婚活の敵だな。 「あら、ありがとう」 「褒めてねーよ」 言いながら、僕は輝夜の部屋に腰を下ろした。 以前に入ったときと何も変わらない、畳張りの部屋である。 特別な掛け軸や壷などもないし、何か工夫がしてあるでもない。 ほんの少し良い香のする、普通の部屋だ。 宝物集めが趣味の輝夜が部屋にそういったものを飾らないのに、最初は違和感を感じたが、貴重品の管理を考えれば、 部屋に置いておく方が危険である。 倉庫のような場所にひとまとめにでもしてるのだろう。 よって、輝夜の部屋は何もなかった。 よって、僕と輝夜は1mくらい離れて向かい合う形になる。 「それで? なんで宴会に参加しようと思ったの?」 「いや、別に僕はお酒好きだから、機会があれば参加するぞ」 永遠亭の料理は美味しいしなっ。 「ふーん……」 急に胡散臭い笑みを浮かべて、前かがみになる輝夜。 これはアレだ。僕をからかおうとしてる目だ。 立てば芍薬、歩けば牡丹、座る姿は百合の花を地でいくこいつは、少し体勢を崩しただけで、破壊的に色っぽくなる。 つまり、僕の目線が様々なところに奪われるのだ。 具体的に言うと、顔にかかる髪とか胸元とか足とかに。 「私に会いに来たわけでないの? わざわざ謁見しに来たということは、何を持ってきてくれたのかしら……、仏舎利とか?」 「なんで会いに来る=貢ぐなの? 馬鹿のなの? 死ぬの?」 というかそんなものどうやって手に入れるんだよ。 あれか? 体に埋め込むのか? 埋め込んだ場所が無限に再生するのか? そういうのはバトル物に任せておけ。僕は嫌だぞ。 「そう、残念だわ」 何でもなさそうに返答する輝夜。 しかし、何故か襟を緩める。 ……くそっ! からかわれてるのは分かってるんだ! でも目が勝手に胸元に行っちゃう、不思議! そんな感じで、自分で確認できないまでも、不甲斐ないことは確実であろう表情をしながら輝夜を見ていた僕は、 背後から謎の襲撃を受けて床に沈んだ。 ちなみに襲撃者はこんなことを言いながら蹴ってきた。 「姫様から離れろこのセクハラ野郎!」 ……女の子はもっと言葉遣いに気をつけたほうが良いと思うよ、鈴仙。 **************************** 目を覚ましたころには、宴会がすでに始まっていた。 僕は料理を一通り楽しみ、少し酔ったと言って席を外した。 今は縁側に座り、1人で月を見上げている。 「……静かだな」 先ほどここを通ったとき同様、虫が鳴き、風が竹や雑草を揺らし音を奏でる。 しかし、先ほどより虫の数は少なく、風も弱くなっていた。 …以前は騒がしいくらいが好きだった。 太陽が照りつける中虫だけでなく動物の息吹を感じ、強い風で揺れる草木や水などの音が好きだった。 でも、今は静けさの中で感じる、かすかな音に魅力を感じている。 ……まあ、そのせいで僕は半刻ほど気絶していたわけだが……、それは置いておく。 ふと、月を見上げる。 昔の日本では月を直接見上げるのは下品であるとされていたらしい。 しかし、今の日本ではそんな価値観はない。だから、もっと不遜なことだってやってみる。 「……ああ、隠れちゃった」 月に手を伸ばしてみた。 結果月は僕の手に完全に隠れてしまう。 少し手の位置を変えて、月を掌に乗せるように調整する。 遠いのに近い。 そう錯覚する。 近く感じる。手を伸ばせば届きそうだ。 実際、届いてると錯覚することはできる。掌に乗せて、手中に収めたと錯覚できる。 でも……届かない。 難しいものだ。魅了されてやまないのに、決して届かない距離がある。 伸ばした手を引っ込める。 今度は杯を掲げ、位置を調整する。 すると、杯の中の酒に月が写る。 以前スキマは湖に写る月から、裏の月に侵攻したらしいが、残念ながら僕では酒に写った月に触れることはできない。 風が吹く、酒が波打つ、月が歪む。 残念ながら、手元に持ってこれる月は珠を維持できないらしい。 僕は酒を飲み干す。 まがい物とはいえ、月を手に入れることができた。 「…と思ったんだけどなぁ」 しかし、杯には月が写ったままだ。 酒に写っていた時より歪だが、それでも月には違いない。 どうやら、まがい物でさえ、僕には触れることが叶わないらしい。 近いのに遠い。 触れられてるのに、触れられない。 まるで禅問答だ。 僕では月に届かない。 一度知ってしまえば、麻薬のように僕の心に入り込む悪魔のような月だが、忘れた方がいいのだろうか。 分不相応なのだろうか。 「まあ、悩んでもしょうがないな」 酔いも覚めた。 宴会に戻ろう。 そう思い、体を起こしながら振り返った僕を待ち受けていたのは……、月だった。 「……ぁ」 「月に手を伸ばすなんて、品がないわね」 僕を見据えて言った後、そのまま僕の隣に座る。 あんなに遠くに感じた月が、今はすぐ隣にある。 しかし、それは近くて遠いものだ。 僕が手を伸ばしたところで、指の隙間を潜り抜けるように、零れ落ちてしまう。 「……それで? 手は届いたのかしら?」 「…いや、届かなかった」 「そう」 簡単に返事をして、そのまま月を見上げる輝夜。 着物が少し緩んでいるからか、服の隙間から覗く鎖骨が妙に色っぽい。 「…月を直接見上げるのは下品じゃないのか?」 「今日は宴会だもの。無礼講よ」 そう言って、先ほど僕がしたように月を杯の酒に移し、それを飲み干す。 こんなに間近で輝夜を見るのは久しぶりだ。 酒を飲む為に持ち上げた顔が、鳴る喉が、杯を持つ手が、すべて美しく感じる。 流石はなよたけのかぐや姫。 月が人を魅了するように、動作ひとつひとつが僕を魅了する。 風が吹いた。 輝夜の髪を揺らした。 風に靡く髪はとても美しく、それは輝夜の魅力をよりいっそう引き立てるだけだった。 先ほどまで感じていた風や虫の音が、僕の感覚から外れいていることに気づく。 それらは月を装飾する大切なものだが、これほど近くに月があると、気づかない存在らしい。 「……月に手を伸ばすのは諦めるの?」 「…え?」 なんでそれを聞く? 意味が分かって言ってるのか? それとも何か勘違いをしているのか? 「さっきまでの良也はそんな表情をしてたわ。 諦めに似た表情を、ね」 「…まだ諦めてない」 「……そう」 まだ……諦めていない。 諦めきれない。 愛は永遠だとか、思いは揺るがないとか言うつもりはないが、簡単に諦めれるものでもない。 おそらく、手が届かぬままゆっくりと風化していくのだろう。 そう思うと少し寂しいが、月が見れるだけでも他より恵まれているのだ。 欲張るのは良くない。 まあ、今それで満足するつもりは毛頭ないけど。 そんなふうに片思いの折り合いをつけようとしていた僕に、突然の声がかかる。 「百年ね」 「……は?」 なにが? 僕の寿命が? 一応輝夜と同じで、僕も不死なんだけど。 「今の地上人の一生は長くて百年近くなのでしょう? だったらそれくらいの期間は頑張ってもらわないと困るわね」 「なにを言って……」 「あなたの月に手が届くまでの話よ。 最低でも百年は手を伸ばし続けてなさい。 百年間その思いが消えなかったら……良也の手は月に届くでしょうね」 …いや、それは。 待て僕、落ち着け。 勘違いしている可能性がある。 スキマよろしく1人で裏の月に行きたいと思われてるかもしれない。 最悪、月を占領したいと思われてるかもしれない。 それはつまり、レミリアと同レベルということだ。 あいつの子供っぽい部分と同じって、それは小学生並ってことじゃないかっ。 「待て輝夜。 意味分かって言ってるのか? 僕は別に裏の月を占領したいとか、そういうのじゃないぞ?」 「当然でしょう? 良也の浅い思考なんて、15日前に気づいたわよ」 ……15…、っておいっ! それって僕が思いを自覚した正にその日じゃん! 僕ってそんなに分かり易いの? 考えてることが顔に出るってよく言われるけど…、そんなに致命的なの? 僕のそんな不安を知ってか知らずか、輝夜は初めて月から目を外し、僕の目を見据える。 表情はいつもどおり、僕をからかうときのそれだ。 しかし、声の質はいつもと違った。 聞いたことがないほど、真剣なそれだった。 「今一度問うわ、蓬莱人。 月に手を伸ばすのは諦めるの? あなたの思いは揺るがないの? 恋は永遠なの? 愛に勝るものはないの? そもそも思いは本物なの?」 輝夜が一呼吸おく。 その口から発せられる言葉は、杭であり、鎖であり、林檎であり、指環だった。 「良也は、生がある限り、月を思い続けるの?」 それは確認の言葉であり、誓いの言葉でもあった。 なんだか……、凄く情けない気分だ。 何が思いは風化する、だ。 経験も無いくせに知ったかぶって…、ダサいったらない。 永遠は……あるんだ。 僕は既に永遠の命を手に入れている。 これは偶々手にしただけのもので、そこに僕の意思も努力もなかったけれど、だったら今度は自分の力で永遠を手に入れればいい。 永遠の思いを、誓えばいい。 「ああ、誓うよ。 僕の月に対する思いは本物で……、永遠だ」 「そう」 僕の言葉を聞いて、輝夜は目線を月に戻す。 僕もそれに倣い、空を見上げる。 頭上の月には少し雲がかかっており、その姿の6割が地上に届いていなかった。 しかし、僕の月には雲なんてかかりようがないし、かかったとしてもそれを魅力の一部にしてしまうだろう。 頭上の月に手を伸ばす。 僕の月に対する思いの誓いを込めて。 「止めなさい良也」 「…ああ、ごめん。 マナー違反だったな」 「そうだけれど、そうじゃないわ。 あなたが手を伸ばす月は頭上ではなく、隣にあるのでしょう?」 「……そうだな」 ……綺麗な笑顔って単語がここまで適切に使えるとは思わなかった。 美人は3日で飽きるとか、誰の言葉だ。 こんなの百年たっても、千年たっても慣れる気がしないぞ。 それこそ永遠に魅了され続けるっつーの。 「それじゃあ、頭上の月を見上げるのは百年後までとっておこうかな」 「あら、隣の月を手にしたら、次は月の支配者でも目指すの?」 ――傲慢ね――なんて言いながら、からからと笑う輝夜。 それはとんでもない冗句だ。 スキマに出来なかったことをやってみせるというのは確かに痛快だが、今の言葉はそういう意味ではない。 「いや、百年後に隣に居る人と一緒に月を見上げたいんだ。 その人と見る月は、きっと、とても綺麗だと…思うから」 ……すっごく恥ずかしい。 なに文豪の逸話を引用してるんだ僕。 そもそも通じるのかこれ? 『…そうだね?』とか言われたら少し悲しいぞ。 なんというか、空回りする自分が悲しい。 しかし、まあそんな心配は杞憂だったわけで……、 「……そうね。 それはとても素敵だと思うわ」 そう言いながら、輝夜は僕に笑顔を向けてくれた。 僕もそれに笑顔で返して、立ち上がる。 輝夜はもう少し縁側で休むらしい。 僕は小さく、ぎりぎり聞こえるくらいの声で礼を言って、宴会に戻った。 「……まったく、思い人に背中押されるとか、情けないなぁ…僕は」 そろそろ憧れは止めよう。 手を伸ばすという行為が、慰めでなくなった以上、憧憬は捨てるべきだ。 僕は月に手を伸ばし続ける。 それは決して届かないことを嘆く行為ではなく、届くことを信じる行為なのだ。 この思いを忘れない。色褪せない。風化させない。 だって、この思いは永遠なのだから。 「うん、百年なんてあっという間だ。 だって……こんなにも楽しいのだから」 今日僕は月に対する憧憬と、無意識の諦めを捨てた。 そして僕は、月に恋をしたのだった。 ―あとがき― 『月』にライトってルビ振るとカオスになりますね。 |
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