20 year's later 「そういえば、お兄ちゃんは外の世界に住んでたのよね?」 薄暗い地下室と思われる部屋。数々のぬいぐるみや人形が置かれた少女的な部屋に幼い声が響く。 「ああ。あまりいい所とは思えないが、それでも物に関しては無駄に便利な世界だったな」 幼声に青年の声が答える。 「ふーん…一度、行ってみたいかな」 「よし来た。こっちに来な」 ――――― 「妹様ー。お茶をお持ちしましたよー」 あれから時が経ち、引退したメイド長の代わりを務めているパチュリー・ノーレッジの使い魔である小悪魔が盆に紅茶を乗せて紅魔館領主、レミリア・スカーレットの妹であるフランドールの部屋に入る。しかし何も返事が無い。 「妹様?」 不審に思って小悪魔が盆を近くの台に置き、酷く少女チックな部屋を隈なく探す。しかし、そこにフランドールの姿は何処にも無かった。 「そんな…お嬢様!フラン様が!」 ≪妖夢が現代に落ちてきた≫ 『フランドール現代稀行』 20 year's ago 「お待たせしました。やはり、少なくとも日本国内にあの子の親族は居ませんね。そこは本人の証言とも一致しますし」 「そうですか…」 八月某日。世間的には夏休みとなっている中、彼、村居隆弘は一つの懸案事項を抱えていた。 金の髪に紅い瞳。銀色で縁取られた、瞳と同じく紅い服に身を包んだ、恐らくは十二歳程度の少女。 深夜に隆弘がコンビニからの帰りに話しかけられ、どう帰ればいいのか分からないという事で近くの交番に連れて行ったのだが…名前がフランドール・スカーレットで、親族は日本国内に居ないという事以外何も分からなかった。これではお手上げ状態である。 「一応こちらで預かる事も出来ますが、どうします?」 割と若い警官が尋ねる。隆弘にとってはそれでも悪くは無かったが、やはりここは本人の意思を尊重すべきだという彼の仕事柄故の精神がそれに歯止めを掛け、フランドールの傍に近寄った。 「フランちゃん?このままだとしばらくこの人達の御厄介になる事になるけど、どうする?」 ソファーに座っているフランドールの視線に合わせて姿勢を落とす隆弘。そして隆弘が買ったジュースを飲みながらフランドールはこう答えた。 「んー…私は、おじさんと一緒に居たいな」 「…ん。そっか」 内心渋りながらも承諾し、先程の警官にその旨を伝えると――― 「いいんですか?ご家族は?」 「どうせ独り身です。それに昔の仕事で資金だけは腐る程ありますから」 そう警官に返す。そしてこの時から彼、村居隆弘とフランドール・スカーレットのたった一日だけの共同生活が始まる事になった。 20 year's later 「御免下さい。八雲紫様はお見えでしょうか?」 死神、小野塚小町と共に居た人間、今野雅彦を捕まえ、八雲紫の住処を聞き出した小悪魔が玄関で叫ぶ。すると紫の式神である八雲藍が奥から九尾を揺らして出てきた。 「どうした?」 「すいません。紫様はいらっしゃいますか?」 「ああ、紫様なら起きておられるよ。お前も中々運が良い」 上がっていけという藍の言葉に従い、共に奥へと入っていく小悪魔。そしてとある襖の前に立ち止ると藍が正座し、両手を少しだけ床に付けて頭を下げた。 「紫様、御客人でございます」 「そう。入れなさい」 「御意。失礼致します」 そこまでしてから藍が襖に手を掛ける。そして器用に正座したまま位置取りを変えて小悪魔に入室を促した。 「失礼します」 一礼してから入る小悪魔。その少し後に藍が襖を閉め、小悪魔は改めて正面に居る紫の姿を視界に入れた。 金の流れる髪に六四卦の萃が描かれた服。妖怪の中でただ一人人間と全く同じ瞳をした麗人、八雲紫が膝の上に二尾の大きな狼犬の頭を乗せて頭を撫でていた。 「いらっしゃい。では、貴女の要件を窺いましょう」 「はい。実は、フランドール様が…」 20 year's ago 「ここが俺の家。部屋は好きに使っていいよ」 フランドールを連れて帰宅した隆弘が言う。とても独り身とは思えない程に広い家は以外にも小綺麗にされ、壁にはいくつもの写真が飾られていた。 「隆弘、この写真は?」 真っ先に写真の前に向かい、ざっと眺めてからフランドールが問う。その下にはいくつもの盾が並んでいる。 「ああ、俺は昔海上自衛官だったんだ。これの殆どがその頃の写真」 そう言って写真の一枚を指差す。そこには護衛艦の甲板端に整列し、見事な敬礼をしている光景があり、確かにその中に隆弘の姿もあった。 「自衛官?」 「フランちゃんには分からないか…?簡単に言うと、お国を守る人達の事さ」 「へぇ〜。凄い…」 ぼ〜っとした顔で心底驚いたという様に声を絞り出す。しかし隆弘にはそう見えただけで、実際にはフランドールは自衛官がどういう物なのかを既に知っていた。幻想郷に居た時点で“隆弘の事も含めて”話に聞いていたからである。 「よく言われる。でも、普通の人と自衛官との大きな違いは、『誰であろうと命令されたら殺さなければならない』事かな」 「誰でも殺す?」 神妙な声になった隆弘の顔をフランドールが仰ぎ見る。 「うん。だから自衛官は、合法的な殺人者でもあるから、凄いと言われた本人達は正直複雑な気持ちだよ」 「でも、それはお国を守る為なんでしょう?ならそれは、正しい事だと私は思う」 小さく、しかししっかりとした声で反論する。あれから時が経ち、曲がりなりにも成長したフランドールに無意味に誰かを殺すという発想が薄れていたからこその答えであり、隆弘もそれに頷いた。 「そうだ。でも、正義の対義語は正義という言葉があるぐらい、世の中は複雑なんだよ。それに、例え無意味でなくとも人を殺すという事に変わりは無いし、多分、それは正しい事とは言い切れないと思う。それでも―――」 そこで隆弘の言葉が一度途切れ、写真を直視しながら続けた。 「人から感謝される事をしていた事も、それを仕事にしていた事も、事実だ」 20 year's later 「話は分かりましたわ。善処しましょう」 「ありがとうございます」 フランドール失踪。 八雲紫に事の次第を全て話し、捜索する事を承諾した紫に小悪魔が礼を言う。しかし――― 「貴女は聡明だわ。闇雲に私の居所を探そうとせず、より近しい相手から探した。その方が寧ろ効率がいいと判断したからでしょう?そして私の不満を買わない様に博麗の巫女を使って呼びつける事も避けた。でも、貴女は二点程勘違いをしている」 「どういう事ですか?」 紫が右手を挙げて指を立てる。 「まず一つ目。貴女に言われる前から私はフランドール・スカーレットの失踪を察知していた。つまりここに来たのはある意味無駄足だったって事ね。そしてもう一つは―――」 そこでまた指を立てる。 「自在に境界を操れるのは、私だけじゃないという事よ」 そう言って唐突に紫が両の手を二回叩く。まるで誰かを呼ぶ様に。 「呼んでから来るのに少し時間が掛かるのよね〜」 そう言って紫が不敵に微笑み、その数秒後、突然紫の背後にスキマが現れ、中から黒いコートを着た青年が飛び出した。 「母上。神田修平、ただいま参上仕りました」 神田修平と名乗った青年が立て膝を突き、拳にした右手を床に付ける。 ほぼ黒に近いこげ茶の髪に天狗装束の上から着込んだ黒いロングコート。日本妖怪特有の赤い瞳をした青年、神田修平。ここ五年間、よく紅魔館に来てはレミリアと戦いを繰り広げていた為に小悪魔もよく知っている、鴉天狗の一人だった。 「よろしい。フランドールの捜索を依頼します。恐らくは現代に居る事でしょう」 「はっ!他にはよろしいでしょうか?」 「今はいいわ。でもまだここに居なさい」 「はっ!」 突然の修平の登場に半ば呆然としている小悪魔。それを見て紫がすぐに状況を説明した。 「彼は私の義理の息子。そして五年前に私が与えた能力の“種”をようやく開花させて、自分だけの境界術を操れる唯一の存在。彼女の捜索はこの子に行わせるわ」 「そ…そうですか…」 若干事態に追いついて居ないながらもどうにか理解した小悪魔が立ち上がり、部屋を後にする。それを見届けてから紫が砕けた口調で修平に話しかけた。 「ふふふ…中々板についてきたじゃない?修平君」 「そう言う母さんも、中々人が悪いな。今回の失踪事件、俺達が黒幕なのに」 砕けた口調の紫に合わせて修平も口を開く。 「二十年前、俺は確かにあの子に会った事がある。そして今の俺は過去の世界に繋ぐ事が出来る」 「でも、今と過去未来を本当の意味で繋ぐ事は不可能よ。その世界に同一人物は存在出来ない。それこそ並行世界に跳ばない限りは、ね」 「知ってる。同じ存在は同じ世界に同時に存在出来ないってやつだろ?それは人間から鴉天狗になった俺とて例外ではない…でもな」 そこまで来て自分のスキマを開く修平。 「一時的ながらも、“同じ世界に同じ存在が同時に存在しなければならない”という歴史があるのなら、どうだろうな?」 20 year's ago 「ここが、今俺が働いてる学校だ」 翌日、流石に一人で自宅に置いておくのは不味いと判断した隆弘がフランドールに言う。その視線の先には文字通り丘を切り開いて建てた校舎があり、その奥に工場を思わせる煙突のある建物も見えた。 「ここは工業と商業を教えてる学校で、俺は機械設計を教えているんだ。他の先生方にはもう話を通してあるし、付いてこい」 そう言う隆弘に手招きされて奥の工場へと付いて行くフランドール。夏休み真っ只中の校内は幾らかの盛りを見せ、生徒の幾らかが活動をしている事を窺わせた。そして隆弘と共にフランドールが入ったのは――― 「あ、こんちわっす。先生」 「おうお前等」 流線型をしたカウルに包まれたアルミのシャーシ。床に長年染み込んでいると思われるエンジンオイル。そして無数の金属パーツが置かれた机のある狭く、長細い部屋だった。 「先生、その幼女はどうしたんですか?………ジュルリ………」 「反応してんじゃねぇよ」 フランドールの目の前でややわざとらしく舌なめずりをした灰色のツナギの少年が黒いツナギの少年に頭を叩かれる。 「ああ、この子は俺の知り合いの子供で、訳あって今預かってるんだ。ほら、皆に挨拶しな」 「フランドール・スカーレット。よろしくね、お兄ちゃんたち」 そう言ってやや不慣れと思われる笑顔を作るフランドール。しかしその笑顔が大受けだったのか、先程頭を叩かれた少年がフランドールの目の前で跪き、その右手を取った。 「スカーレットとは、その御召し物に相応しき御名前…いや、その御名前に相応しい御召し物と言ったところですかな?私の名は神田修平。ここ、機械部にて副部長と技術教官を兼任しております。以後お見知りおきを…」 まるで執事か何かの様にノリノリで自己紹介する修平。その光景を見て隆弘が深い溜息を吐き、腰に手を当てて叫んだ。 「神田三等海士!」 「のわっ!?サー!イエスサー!」 「貴様に任務を与える!彼女、フランドールに当部活の説明及び案内、そして全部員の紹介をせよ!復唱!」 「サー!神田三等海士、フランドール嬢に当部活の説明及び案内、そして全部員紹介の任に就きます!復唱終わり!」 隆弘の叫びを聞くと同時に即座に立ち上がって敬礼した修平に矢継ぎ早に指示を出す隆弘。その光景を見てこれが自衛官の繋がりのある者達なのかとフランドールは思っていた。 「さて、じゃあフランお嬢様。まずはこの部屋に居る人員から紹介させて頂きますが、よろしいですかな?」 頷く。 「承知いたしました。ではまず当部活の案内から行わせて頂きます」 *** 「以上で当部活の案内を終了とさせて頂きます。フランお嬢様」 機械部と呼ばれている部活動が使用している実習棟や教室を渡り歩き、締めとして修平が恭しく頭を下げる。するとそこに先程修平の頭を叩いた黒いツナギの少年が近付いてきた。 「神田、終わったか?」 「ん、ああ速人。たった今な」 「うん。ありがとね、お兄ちゃん」 修平に礼を言いつつも修平を見て改めて時の流れという物を実感するフランドール。彼女にとって修平は鴉天狗である事が当たり前であったが、目の前の修平はどう見ても人間でしかも二〜三歳程幼く見える。過去に送られる前の記憶が正しければ、この時修平はまだ十八歳であるという事になる。 「それにしても、お兄ちゃん達って本当に仲良さそうだね」 「お?そう見えるか?」 フランドールの何気ない一言に反応して修平が速人の肩を豪快に抱く。 「なっ!おいやめろって!」 「いーじゃねーかよー。俺にとってお前は親友って奴なんだからよ!」 そう言いながら更に腕の力を強める修平。そして速人の方もやめろと言いながら満更でもなさそうに見え、フランドールは思わず呟いていた。 「…これなんてBL…?」 どこでそんな言葉覚えてきたのだろうか。しかし――― 「あっと速人、ガノンドルフが今日来るかどうか村居ティーチャーに聞いて来てくれるか?それ次第で俺のこの後の予定が変わるからよ」 「分かった。じゃ、後でな」 というやり取りの後速人は最初の部室へと戻っていき、フランドールは再び修平と二人きりとなった。 「さて、フランお嬢様」 「なに?」 大きく腰を降ろし、片膝を突いてフランドールの顔を下から見上げる形になった修平が質問をしてきた。 「その左手の指輪、随分とシンプルだね?見たところ、十八金の白金系か…」 「え?まぁ…確かに本物の金を使った指輪だけど…」 修平に指摘された指輪を見せる様にフランドールが左手薬指を目の前にかざす。 「成程…結婚指輪か…フランちゃん。頭おかしいと思われるのを覚悟で聞くよ?」 突然真剣な目つきになった修平に頷き返す。 「君、本当に村居先生の知り合いの娘?」 一瞬だけフランドールが驚愕する。だがそれも想定していたフランドールはすぐに表情を変え、修平の問いに答え始めた。 「何言ってるのお兄ちゃん?隆弘の言ってた事は本当よ。この指輪は、私の本当のお父様とお母様がしてた指輪なの」 「本当の………詳しく聞いても?」 「うん。今の私のお父様とお母様は、私達姉妹の本当の親じゃない。本当のお父様とお母様はもっと小さい時に死んじゃったのよ。だからその形見として、お姉様はお父様の指輪。私はお母様の指輪をはめる様にしたの」 ありもしない事を次々と口にするフランドール。実はこれは全て幻想郷の修平に吹き込まれた事で、そうした方が色々都合がいいと言われていたのだ。 「そっか…じゃあ、後の時間は好きにしていいよ。ただし、さっきまでに俺が紹介した場所以外には行かない事。よろしいですかなお嬢様?」 フランドールが頷き、それを確認した修平がその場を去る。そして一人になった途端に謎の感覚がフランドールの胸中に渦巻き始め、フランドールは思わずその場で少しだけ身を竦めた。その感覚こそ、見知らぬ世界にただ一人取り残されたという不安感であり、孤独感だったのだが……… 「…私、うまく過ごせるかな…?」 左手薬指にはめられた指輪に片割れの持ち主に語りかける様に問う。しかしその問いに誰かが答えるという事は無く、ただ風と蝉の音のみが聞こえるだけだった。 20 year's later 「調子はどうですか?修平様」 「おう、悪いな藍。色々用意してもらってよ。ちなみに調子はそこそこだ」 八雲の屋敷の一角。そこに置かれたあまりにも場違いな一台のバイクの状態を確認している修平と、その為の道具一式を用意した藍。今でもたまに結界の外に出て愛車を動かしている修平だが、かれこれ二十年以上前のバイクになる為こうして整備する事が多くなっているのだ。そしていつもは自分で整備道具を用意しているのだが、今回はそれを藍に頼んでいたのだ。 「しっかし藍よぉ」 「何でしょうか?」 男用の鴉天狗装束に身を包んでおきながらバイク用ブーツを履き、元は航空パイロット用であるフライトグローブを手に嵌めてエンジンの空気吸入孔を掃除しながら修平が藍に問う。 「幾ら俺と八雲紫が親子関係だからって、実際は義理息子だぜ?こんな奴にそんな畏まる必要は無いんじゃないのか?」 修平がエンジン周りの整備を終える。 「そんなとんでもない。例え義理であろうと、貴方が紫様の息子であるという事は間違いありません。そんな御方に畏まらないで、誰に畏まるというのです?それに、これでも私は紫様を尊敬しておりますから」 「そっか…ぉし!今度こそ行けるか?」 バッテリーの状態を確認した後に修平が座席に跨り、キーを入れて電源が入る事を確認してからコックとチョークを開け、キーを回してセルを回す。すると少し苦しそうな音を立ててから250CCV型エンジンが自立回転を始めた。 「おし来た!流石に前任のGT程の耐久性は無いからな。というか、アレの耐久性が異常なだけだな」 YAMAHA DS250 ヤマハ発動機が製造した250CCアメリカンバイクであり、小型軽量でありながら本場アメリカンと遜色ない走行性能を誇る名車の一つである。修平は本機を学生時代に既に導入していたが、長く乗る様になったのは鴉天狗として再び生を受けた後である。そして――― YAMAHA GT50 修平がDS250に乗り換える前に乗っていたバイクであり、購入時点で既に三十年物の骨董品であったバイクでもある。しかし乗り手に素直なその操縦性は三十年以上経とうとも色あせる事は無く、時代の流れに流され消えて行った2ストロークエンジンを搭載する事で一部の車に匹敵する初動加速性能も持ち合わせている、バイク初心者の修平を育てた最初のバイクである。 「じゃ、予定時刻になるまで一走りして来るぜ」 「承知しました。いってらっしゃいませ」 ジェットタイプヘルメットのバイザーを降ろし、数回スロットルを引いてエンジンを吹かしてからスタンドを収納してクラッチを引いてローギアに落として走り出す。その光景を見て藍はあんななりでもまだまだ子供なのだろうかと思い、すぐに自らの主の子供であるのならそれが当然なのだろうと結論付けて屋敷へと戻っていった。 ――――― 「さっきのエンジン音、修平君はどこ行ったのかしら?」 「は。予定時刻になるまで一走りして来るそうです」 幻想郷側にある屋敷の屋内に居た紫に藍が報告する。するとすぐに紫の顔に笑みが浮かび、何処か慈悲の籠った声で喋り始めた。 「全く、あの子も本当に好きねぇ…まぁ趣味を持つ事は良い事よね。妖怪であろうと、人間であろうと…」 「はい。それにしても前から気になっていたのですか…その、紫様と修平様って仲睦まじ過ぎませんか?まるで―――」 「恋人同士みたい?」 藍の思考を紫が先読みして口に出す。 「はい。この前も紫様の髪を修平様が結い直しておりましたし、紫様も修平様が風呂の時に乱入してたり………白玉楼の妖夢という存在が居ながらと、思う事が多々ある程には…」 言葉を選んでいるという事がはっきり分かる程に藍が時々詰まりながら話す。しかしその藍の神妙さに反して紫はのほほんとした空気であっさりと答えた。 「まぁ周りからしてみればそんなもんよね。ハッキリ言って、修平君ってマザコンだし。でもね―――」 何処からか取り出した分けられた蜜柑を四つ机に置き、その内の一つを離す。 「あの子は多感な少年期に実の両親が離婚して、父親と離れざるを得なかった。そしてその父親から母親と兄を頼むと言われ、それ以降家族を始めとした自分以外の存在全てに甘える事を許さなくなった」 更に二つ、離す。 「更には兄も海上自衛官としての道を歩み、修平君自身もその兄の恥とならない様、誰かに頼るという事も律する様になった。そうして母親と二人きりになった上、専門学校へ進学する関係からその母親も修平君の元を去り、出稼ぎをする様になった。本当はもっと細かい経緯もあるんだけど、大まかに言えばこんなところね。他にも叔父や叔母を始めとした誰にも修平君には何も期待していなかったから、修平君がより近しい人から信用しなくなったのは無理も無いし、丁度その時に友人達全員に関係を断たれたという事もあったからね。あの子の心は、二十歳にも満たない程で、もう疲弊しきっていたのよ」 「だから、その穴埋めとして今、紫様に甘えている…と?」 「そうねぇ。あの子は甘えたい盛りの時に誰にも甘えられなかったからね。その反動で今、私に目一杯甘えているのよ…ま、私としてもそれは満更でもないし、妖夢もその事は知ってるから…」 そこで一旦言葉を切って先程の蜜柑を口に放り込む。 「今、あの子は置き忘れた少年期と青年期を謳歌してるのよ。大目に見てあげなさい」 「はぁ…承知致しました…」 そう言って紫から差し出された蜜柑を取る為に藍が手を伸ばす。しかし直前の所で差し出された手が上に逃げ、そのまま紫の口に蜜柑が放り込まれた。 「…はぁ………どっちも子供だ………」 20 year's ago 「フランちゃん、今日は楽しかった?」 「うん。お兄ちゃん達に良くしてくれたからね」 帰宅後、仕事の資料を片付けながら隆弘がフランドールに訊く。フランドールもその問いに笑顔で答え、そのまま部屋のカーテンを開けて空を見た。 「…綺麗な空…」 夏特有の日の長さ。それが夕焼けの長さにも影響を与え、夜空が見えながら藍と橙、そして紫のグラテーションのかかった夕焼けが窓の外に広がっていた。もう日傘に頼る時間ではない。 「ん?ああ、この辺りはまだ空気が澄んでるからな。こういう景色も珍しいものじゃない」 「そうなの?なんだか、羨ましいわね」 そう言ってフランドールがカーテンを閉める。だがそのすぐ後にバイクエンジン音が近付いてきたかと思えば家の前でライトを点滅させ始めた。 「何?」 「なんだ?」 ライトに照らされる度に明るくなるカーテン。一定の規則性を持って照らされるそれは、隆弘だけに分かるある通信手段だった。 −−・・ ・・・ ・−・−・ ・・−・・ ・・ ・−−・− −・−−・ −−−・− ・−・・ ・−−・− −−− ・−−・ ・・−・・ 「何?この光?」 「…モールスか?…封筒貼ル、ラムネ、旨メー旨メーナ、特等席、濁点、長ウ棒書コウ、ルール修正ス、数十丈下降、下等席、長ウ棒書コウ、礼装用、都合ドーカ、特等席……!」 封筒貼ル・ラムネ・旨メー旨メーナ・特等席・濁点・長ウ棒書コウ・ルール修正ス・数十丈下降・下等席・長ウ棒書コウ・礼装用・都合ドーカ・特等席 フ・ラ・ン・ト・濁点・ー・ル・ス・カ・ー・レ・ツ・ト フランドール・スカーレット かつて隆弘が覚えた早見表に書かれていた単語群。その頭文字を取る事で一つの文としてようやく読む事が出来る、モールス信号。例え通りすがりであろうとこれだけの芸当が出来る人物は隆弘の記憶には一人しか居らず、すぐにカーテンを開けた。そこには――― 「あ!お兄ちゃんだ!」 バイクに跨ったまま、ヘッドライトを窓に向けて点滅させていた鴉天狗装束の修平がモールス早見表を持って部屋の中の二人を見ていた。 Joint Time Travel. 「迎えに来てくれたのね、ありがと!」 「よしよし、いい子にしてたか?」 「もう、私はもうそんな歳じゃないわよ」 玄関を飛び出す様に修平の元へと駆け寄るフランドール。その頭を撫でながら修平はかつての恩師である隆弘を見た。 「久しぶりです。村居先生」 「お前…本当に神田なのか?」 修平の格好と瞳を見て隆弘が問う。黒いコートの下の、山伏を思わせる白と黒の和服に黒い袴。そして何より、今まで一度も見た事の無い純粋な赤い瞳。同一人物と言うには違い過ぎ、別人と言うには同一過ぎるその姿。間違いないのは、本当の意味で隆弘の知っている修平ではないという事だった。 「そう思うかどうかは先生次第です。昨日の夜、フランちゃんに先生と会う様に指示したのは僕で、こうして迎えに来たのは今ここに居る神田修平ですから。今頃家で遊び倒している神田修平ではありません」 よく分からない。それが隆弘の正直なところだった。そして同時に、目の前の人物からはこうも感じていた。 胡散臭い 「正直に話せばいいじゃん。全く、本当にスキマ妖怪に似て来たんじゃない?」 「あの人は俺の母親なんだから、子が親に似るのは当たり前だろ?とにかく先生。この一日フランちゃんが先生の世話になったのはフランちゃんが外で何にも縛られずに遊びたいという本人の望みによるものです。フランちゃんは一種の箱入り娘状態で、生まれてから外に出て遊んだ回数なんて数える程なんです。だからこうしてフランちゃんが先生に会う様に仕向け、こうして二四時間後に迎えに来るという条件付きで認めたんです」 次々と耳に入ってくる言葉。しかしその全てが隆弘には理解出来ず、ただ漠然と別れの時が来たのだと悟っただけであった。 「さ、フランちゃん。帰るよ」 「うん。でもその前に………」 そう言ってフランドールが修平から離れ、隆弘の元へと近付く。そしてどこか陣羽織の様な服の裾を持ち上げる様に左手で摘み、右手を腹の前にかざして麗しく頭を下げた。 「村居隆弘殿。今日一日限りでありましたが、私に対して良くして下さった事、感謝致します。これにてお別れで御座いますが、どうか息災でありますよう、お祈り致します」 どれ程高貴な生まれなのか分からない程の丁寧な挨拶。そしてその最中に背中から樹の枝を思わせる程細い翼らしきものが露われ、更に宝石を思わせる物体が吊り下げられた。 成程、この二人は人外なのかと隆弘は何処かずれた認識をし、昼の修平の様に立て膝を突いた。その行動の意図にフランドールも気付き、右手を差し出す。そして、隆弘はその手を取って甲に軽いキスをした。 「俺も、今まで話せなかった事が話せた。ありがとう、フランちゃん」 「…うん」 どちらともなく手を離す。そして修平が既に跨っていたバイクの後席にフランドールが乗り込み、名残惜しそうに二人共視線を絡ませたまま修平がバイクを発進させ、そのまま闇の中へと消えて行った……… 1 year's later 「修平さん、夕飯が出来ましたよ」 「ん?おう」 妖夢の呼び掛けに短く答える。しかし実際はまだ意識が公園内で拾った幻想郷縁起に向いており、すぐに食事にありつくとは思えなかった。そして――― 「…ん!?」 「どうしました?」 「…いや、俺が幻想を見たのはこれが初めてじゃないらしいって事をな…」 「え?」 幻想郷縁起。第七九頁。 吸血鬼:フランドール・スカーレット The END. ※東方求聞史紀においては第八十頁 |
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