「じゃあ今日の授業はこれで終わりだ。解散」
その言葉を合図に週番が号令をかけて教師に一礼する。そして一気に教室内がざわつくのを尻目に俺はそそくさと帰る準備をしていた。
「神田もう帰るのかよ?これから女の子ひっかけに行こうぜー」
「悪いがその手の誘いならパスだ」
教材が入ったカバンを背負い、グローブを放り込んだヘルメットを小脇に抱えて教室を出る。そして生徒用出入口から校舎の外に出て駐輪場に置いてある愛車を動かした。
「さて、帰るか」




     『妖夢が現代に落ちてきた 弐』




「た〜だいま〜」
玄関の鍵を開けて家に入る。それと同時に晩飯を作っていると思しき音と匂いを感じ、今日は来てるのかと思いながら荷物を部屋に置いて居間に出た。
「あ、おかえりなさい修平さん」
「うぃっす妖夢」
台所で料理をしている彼女と挨拶を交わす。
魂魄妖夢。以前俺が成り行きながらも保護し、そこから始まる事件を経て俺の彼女になった少女だ。だが前回の一件で妖夢は二週間以上現代に居座ると危篤に陥るという事が判明し、大体二週間経つ前に一度幻想郷に戻るという、一種の通い妻と化している。ちなみに半霊は白玉楼に置いて来ているとの事。何故かと聞いたら庭師の仕事をサボる訳にはいきませんという答えが返ってきた。成程ね。
ちなみに何故こっちに来れるのかも聞いてみた。どうやら俺が帰った後すぐに白玉楼に戻ってこっちに来れる様に主の西行寺幽々子に懇願したが、妖夢を取られるぐらいなら俺を取り殺すとか言い出しはじめ、ならばと妖夢も力勝負で挑み、一週間かけてようやく勝利を収め、ある人物を常に同伴させるという条件付きで俺の所への行き来を許されたという事らしい。また殺されるところだったのかよ、俺。
「あ、修平君おかえり〜」
「あんたは自分の家に帰れ」
「ええ〜」
ソファーでくつろぎ…ぐうたらしながら妖夢の飯を待つ金髪の麗人と会話を交わす。
八雲紫。幻想郷の最重要人物の一人であり、妖夢を即座に幻想郷へ送り返せる唯一の人物。先程出てきたある人物の張本人であると同時に根城を現代に構えている唯一の妖怪だ。表向きは俺ん家のお隣さんって事になっており実際そこに住んでる。どうやら、幻想郷縁起の予想は正しかった様だな。
「今日もまた和食だけですけど…」
「気にするな。あ、でも味噌汁は白味噌、具沢山、じゃがいも入りにしてくれよ」
「はい、分かりました」
満面の笑みで返す妖夢。すいません、ここで襲っていいですか?
「え、ええっ!?」


   ―――――


さて、ここいらで俺の事について再度紹介し直そう。前回もいい加減な紹介しかしなかった記憶があるしな。
俺の名前は神田修平。よく間違われるがKandaではなくKamitaだ。趣味は小説執筆を始めとして超多数、特技は剣道三級。最近は棒手裏剣等のネイルダーツ系の訓練も始めた。特に意味は無いがな。家族構成は出稼ぎ中の母親と、既に独り立ちした兄が一人。故にここ二年ぐらいは一人暮らしだったが、今はご覧の有様だ。
で、今の状況なんだが―――
「もういっちょ!」
絶賛剣の修行中だった。大刀を肩に担いで妖夢に肉薄し、間合いを見計らって一回転しながら右斬り上げを繰り出す。
「ちぃ!」
予想以上に一撃が重かったのか、防御姿勢を崩されて一歩後ろに下がる。だが全快している妖夢がそこで反撃に移らない訳が無かった。
「結跏趺斬!」
一歩下がった反動を利用して逆の足を踏み出し、同時に楼観剣を振り降ろす。すると刀身に溜まった霊力が一気に解放されて縦一閃の衝撃波が繰り出された。だが残念、それはもう見飽きた!
「躱した!?」
「当たらなければどうという事は無い!」
敢えて一気に踏み込んで結跏趺斬を繰り出す為の楼観剣を受け流し、鞘を抜きながら受け流した遠心力を利用して左薙ぎを繰り出す。当然妖夢はそれを躱そうと俺の左手側に跳んだが、読めてるよ!
「なっ!?」
「双龍閃!」
抜いておいた鞘をそのままの遠心力で大回りに振るう。妖夢はどうにかそれを楼観剣の柄で防いだが、割とギリギリだったらしく、そこで一瞬動きを止めた。
「今だ!」
剣を引き戻して右薙ぎを繰り出す。だが―――
「炯眼剣!」
白楼剣で見事に受け止められると同時に楼観剣が正面から迫る。どうにかギリギリで脇差を抜いて防ぐ事は出来たが、あまりの反動に何歩か下がってしまった。ついでに大刀の鞘も落ちしちまったぜ………
「ふぅ…出来る様になりましたね、修平さん…」
「まだまだ、お前を完封出来る様になるまでやめねぇよ」
小刀を鞘に収めて大刀を両手持ちで正面に構える。剣道中段の構えだ。さぁ、行くぜ!
「燐気斬!」
楼観剣を右に薙いで三つの剣波を飛ばす。それを前転で接近しつつ躱して逆風に剣を振るうが、妖夢は跳躍で回避し、更に弾幕と呼ばれる青い弾を楼観剣を一閃させてばら撒いた。だが一直線であるが故に撃墜するのは割と容易く、一振りで全弾打ち落としてから鞘を回収し、ダッシュで接近してから一気に飛び上がった。
「龍槌閃!」
「弦月斬!」
唐竹からの重力加速度も加えた一撃と逆風からの鋭い一閃がぶつかり合う。そして―――
「はぁ…勝負、有りです…」
「ちっ…行けると思ったんだがな…」
俺の剣が弾かれ、着地と同時に首筋に楼観剣を突き付けられた。これでホールドアップ、試合終了だ。
という訳で妖夢が楼観剣を引き、俺も立て膝から立ち上がって弾かれた剣を回収した。ちなみにこの剣は刃の全く付いていない鉄刀という種類の刀なんだが、ただの鉄刀じゃない。ボーダー商事スポンサーの河童印と言えば大体想像は付くだろうか?まぁ楼観剣の一撃に何度も耐えながらびくともしない時点で相当な代物ってのが分かるけどな。だが構造上刺突は厳禁との事。その証拠にさっきまで地面に突き刺さっていやがった。おぉ、怖い怖い…と、そんな時この場に似つかわしくない犬の鳴き声が響いた。
「ん?犬?」
「お、お前か。よく来たな」
公園入口で尻尾を振って座っていた犬に近付き、頭を撫でる。灰と銀の中間の様な毛に覆われた身体は温かく、明らかに日本の気候で手に入れるものでは無い。
「随分と大きな犬ですね」
「ああ。こいつは元々ハスキーとオオカミの混血でな、敢えて言うならクォータードッグ。四分の一だけが犬なんだ。正確にはこいつはその犬の二代目で、また違う血が混じってるけどな」
簡単にこいつの説明をしてやる。先代は俺が中学生の時に初めてここで見て、それ以来定期的に世話をしてやったら親子二代で俺に懐きやがった。まぁ俺もハスキー系は好きだったからどうとも思わなかったんだけどな。ちなみにこいつは俺が高校二年の時に先代が連れて来た。
「特に何か芸を仕込んでる訳じゃないが、人語を解してるんじゃないかと思うぐらい命令には忠実だ。例えば…」
そこで小刀をコートの剣帯ベルトから抜いて放り投げる。そして取りに行くよう指を指すとすぐに走っていき、鞘紐の部分を咥えて俺の手元に運んできた。よし、いい子だ。
「ただ、まだ名前が決まってなくてな…メスなんだがイマイチしっくり来る名前が浮かばない。トゥルとかバルドとか、幾つか候補はあるんだがこれはメスの名前じゃないしな。ナルヴィは先代の名前だし、シギュンやクレオはしっくり来ない…何かいい名前無いか?」
妖夢を見上げて唸り出したのを見て妖夢の手を取り、俺の大切な人だという事を示しながら訊く。妖夢も尻尾を振りながら自ら近付いてきたこいつの頭を撫でながら唸り、しばらくしてからぽつりと呟いた。


「………さくや………」


―――命名

二代目狼犬、さくや



   ***



―――兄貴?

『シュウか』

―――どうした?なんでこんなところに居るんだ?今は海上任務中だろ?

『お前に、言わなきゃならない事があってな……』

―――兄貴…?

『悪いな、シュウ…お別れだ…』

―――待ってくれ…兄貴…!

「…ん!…さん!」

―――兄貴…!…兄さん!待ってくれよ!兄さん!

「修平さん!」

叫び声に目を一気に見開く。そこには妖夢の可愛い顔がドアップで映っていると同時に妖夢の小さな手が俺の肩を掴んでいた。相当揺さ振られていたのだろうか…?
「妖夢…」
「大丈夫ですか?随分とうなされてましたよ」
「あぁ…すまん、自分でもよく分からんが、とりあえずは大丈夫だ」
言われて寝汗がマッハな事に気付く。ここまで寝間着が汗で濡れたのは初めてだ…ヤる時は互いに服脱ぐし…って、これは今どうでもいいな。

「…なんだったんだ…今の夢…」



   ***



さくやを連れていつもの公園。普段なら既に剣の鍛錬に入ってるが、たまには休みも必要だという妖夢の提案で鍛錬では無くさくやの遊びに付き合っている。ハスキー系は一日の運動量を半端無いレベルにまで引き上げないとストレスがマッハで死んじまうらしいからな。
「それ、取ってこい!」
適当に荷繕った木の枝を投げる。その軌跡を追ってさくやが駆け出す。うむ、非常に微笑ましい光景だ。
「本当にいい子ですね」
「だろ?」
すぐ後ろのベンチに座って控えている妖夢の顔を流し目で一度捉え、枝を咥えて戻ってきたさくやを撫でてからもう一度枝を投げる。ただひたすらにこれを繰り返すだけだが、人程複雑に出来ていない動物にはこれでも十分だろう。
「そういえば修平さん」
「んあ?」
後ろで控えている妖夢が切り出す。
「以前、私の事について訊かれましたけど、私はまだ修平さんの事について何も訊いてませんから」
あ〜…そういやぁそんな事あったな。正確には幻想郷に居た頃の話だったが、もう何年前の話やら………
「まだ半年も経ってませんよ。それで、どうだったんですか?」
「ああ、少し長くなるし、あまり気の良くなる話でもないが―――」


   ―――――


俺はずっとこの町で生きてきた。
生まれもこの町だったし、一度も外の町に出て居を構えた事も無かった。だから俺はこの町しか知らないし、外の町を知ろうともしなかった。

そんな高校生のある日、俺はとある奴と知り合ったんだ。

そいつはちょっとだけ変わった奴で、せっかくの工業高校だってのに手先は不器用。技術そのものに興味無し。でも計算の速さには定評があった。俺とは完全に真逆だったんだが、それ故に俺達はいつの間にか惹かれ合い、親友と呼ぶに相応しい間柄になっていた。

楽しかった。

灰色にしか見えなかった世界に、あいつが居るというだけでプリズムを通したかの様に色が付いたんだ。そいつのおかげで何人もの友達が出来た。内向的な俺が、これだけ友達が出来たんだと、周りに胸を張って言えるだけの信頼できる仲間が、そいつのおかげで出来たんだ。


それが、たった1ヶ月の間に跡形も無く崩れ去った。


切っ掛けはたった一つの恋と、失恋だった。俺はとある一人の娘に恋をしたんだ。でも、その親友もその娘の事が好きだった。しかも不味い事に、俺の方が後出しな上にその恋を応援するとそいつに宣言した後だったんだ。
俺はひたすら悩んだよ。自分の恋を優先するか、親友の恋を優先するか。
結局、その時信用出来る友人全員と相談した。その結果が自分の恋を優先しろって事だった。俺はその結論を信じて告白する事を決めたんだが、その前に一つだけやらなきゃいけないと思った事があった。
その親友に、先に謝ろう。そう思ってた。
そしてそれを実行した。結局、許してはくれなかったがな。でもまぁ、それは想定の範囲内だったから、どうって事はなかった。ちなみに告白は負け。その娘にはもう恋人が居たから、当たり前だった。

ここまでで終わってたら、良かったんだ。

その娘に俺が何をしていたのかが全部筒抜けだったんだ。原因は不明。相談した全員と、親友が容疑者だった。その事でとてつもなく酷い振られ方をされた。まるで俺が存在してる事自体が悪だと言わんばかりだった。しかもそれで終わりじゃなかった。


友達、いや仲間だと思っていた奴等全員が、手の平を返す様に反旗を翻した。


俺の事を応援してくれた筈の奴等が全員親友とその娘の側に付き、傷心状態で救いを求める俺の手をことごとく払い除けた。“それでも”と俺は諦めずに手を伸ばしたが、ある日とんでもない物を見せつけられたんだ。

親友と、他の仲間達とが笑い合っていた。俺だけを除いて、俺だけが居ない状態で。

そこまで来て俺はようやく気付いた。
俺は、もう必要のない存在なんだ、と。


   ―――――


「―――こんなところか。ここまで俺の事を話したのは初めてだな…今まで、話をする相手そのものが居なかったから当たり前か…」
信じていた存在全てに裏切られるあの感覚。もう二度と味わいたくない。
「…なんというか…その…すいませんでした…」
バツが悪そうに妖夢が謝る。何故謝る?お前には責任も罪も何も無いのに?
「知らない事を知ろうとする事は別に悪い事じゃないし、知らずにタブーを踏む事に責任は無い。気負うな」
「………はい…」
…いい子だ。ついでだ、もう少しだけ話してやるか。
「妖夢は『アポトーシス』という言葉を聞いた事があるか?」
「いいえ。それがどうかしましたか?」
「医学用語の一つでな。日本語では『自殺細胞』と呼ぶんだ。極度に負荷のかかる、例えば記憶等は自ら死を選ぶ事で生命全体としての活動を維持させる。これが丁度俺に当てはまると思ってな…」
「自殺細胞…」
枝を拾ってきたさくやの頭を撫でまわしてから再度投げる。それを繰り返す。
「あいつ等が一つの世界として生きていくのに俺が負荷になった。だから俺は自ら身を退く事でアポトーシスとならなければならなかった。俺はそう考える。もう、誰かに傷つけられるのはごめんだ」
「それは、本当ですか?」
少しだけ語調を強くして妖夢が訊く。
「僭越ながら、私はそれなりの時間を修平さんと共に過ごしました。そうする事で、少しは修平さんの心を読み取る事も出来る様になったと自負しております。本当に修平さんは、ただ自分が傷つきたくないと言うだけでアポトーシスとなり、ご友人達との関わりを断たれたのですか?」
「本当だと言ったら、どうする?」
少しだけ振り向いて逆に訊く。そこには―――
「だとしたら、私はその程度の男を選んでしまったという事です」
俺の顔に視線だけで穴を空けようとするが如く一心に見つめる妖夢の真剣な顔があった。これは、話さないと即座に別れようとか言われそうな状況だな。
「………はぁ…こっちは到底、お前には勝てそうに無いな。いいぜ、お前には本心を話そう」
そう、何故俺がアポトーシスとなろうと心に決めたのか。それを語らないとこの出来事のピースは埋まらない。本当は誰にも話さず、遺言にでも残すだけにしようと考えていた、本当の俺の考え。
「本当は、傷付けられるのは嫌だったんじゃなく、これ以上誰かを傷付けるのが嫌だったんだ。俺が居るだけで誰かを傷付けるのなら、俺なんて居ない方がいい。俺が誰かと関わるのは駄目なんだと定義して、残りの生涯、一人として友人を作らず、ただ孤独に生きる事が周りにとって最上だと思った。だから、アポトーシスとなって身を退いた。これが真相だ。勿論、もう誰も信用出来ないってのもあるがな」
「傷付けたくないからって…そんな…ご友人だったのに…」
「友人だったからこそだ。より近しい相手程、傷付けたくない。例え誤解されようとも、最期に分かってくれればそれでいい。これは妖夢、お前にも言える事だ。この言葉、忘れるなよ」
再び枝を加えて戻ってきたさくやの頭を撫でまわしながら言う。これも本心からだ。近しい存在である程傷付けたくない。だから身を退く。俺はそうしてきた。
とても後ろ向きだと分かっていても、不器用な俺にはそうする事しか出来なかった。その哀しみと孤独に押しつぶされそうになった事も数えきれない程にある。そしてその度に周りに誰も居ない事に気付いて、より絶望するんだ。それが、今回も続くんだと思っていた。
「…嫌です。覚えていたくありません」
その言葉と同時に背中にぬくもりを感じた。同時に胸に回される腕の感触も。そこで俺は背中から妖夢に抱き締められているという事に気付いた。
「修平さんが今までそうして生きてきた事は分かりました。そして、そうするしか出来なかった事も…でも、私にはそうせず、全てを私に打ち明けてください。私は修平さんと共に生きていきたい…例え傷付けられても構いません。それが修平さんと共に居続ける為のものだったら、私にとっては…本望です…!」
本望。
その最後の言葉を聞くと同時に突然何かが身体の奥底から込み上がり、溢れ出るのを感じた。

そして気が付けば、俺は泣いていた。

込み上がり、溢れ出てきた何かが何なのか分からないまま、俺はさくやの頭に涙を落とし続け、背中から感じるぬくもりと、さくやが俺の涙を拭う様に舌で頬を舐める温かさに、これが充足感というものなのだろうかと小さく思った。



   ***



「ふあぁ〜…」
携帯の目覚ましに急かされる様にベッドから這い出し、居間に出る。現在時刻は0735時。いつもなら学校に行く準備を始めてるが、今日は休みだ。
「ただいま〜…」
背後から紫の声が届く。ただいまって事は、幻想郷に行ってたのか?
「さっき妖夢を白玉楼に送り届けてきたのよ。ていうか、物凄く眠いから寝てもいい?」
「勝手にしな〜。ただし、寝る準備は自分でしろよ」
部屋干ししてある着替えを手に取って着替えを始める。妖夢もおらず、紫ももう寝るとなれば周りの目を気にする必要もあるまい。とりあえずいつものシャツとズボンを引っ張り出して身体を通す。後は出かけるか否かに分かれるが、いつものコートを着ればいつもの俺だ。
「…って!俺の部屋で寝ようとするなー!」
「う〜ん…修平君の匂いがする…」
「自分の部屋で寝やがれー!」

現在は、こんな日常が続いている。平和だ………



   ***



もうすぐ夏だ。誰が何と言おうと夏だ。既に六月下旬だ。でも梅雨真っ盛りで何処にも行く気がおきねぇぜ。折角新たなバイクが納入されたってのに………
「異変だぁ?」
「そ。異変そのものはもう大分前に解決して、収拾もついてるんだけどそれと同時に新たな住人が増えたから、その関係で妖夢も招集されたって訳」
丁度昼前、紫がソファーに腰掛けながら妖夢を幻想郷に送り返した理由を俺に語った。しかし、異変か………
「髪型が変わったのは男を知ったからだと思ってたが、そんな事は無かったぜってか…」
「男?なぁに、貴方妖夢に手出しちゃったの?」
俺の言葉に反応して紫がふざけ口調で聞いてくる。だがこういうのは下手に冗句で返さずにマジ返しする方が賢明だ。
「ああ。入学式の前日に抱いたよ」
「…え?マジで…?」
案の定言葉に詰まる紫。しかしその後の言動は俺の予想を遥かに超える物であった………
「それマジな話?じゃあ、その…妖夢とヤっちゃってどうだったの?」
「ど…どうって…お前は何を言っているんだ」
「だから妖夢の身体とか胸とかアソコとか色々、どんな味がしたとかどんな形だったかとk」

おいバカやめろ誰かこの百合女止めろ!

五秒後。
「なにもぶたなくてもいいと思うわ…痛い…」
あまりにも暴走が過ぎると判断した俺は脳内COMが提示した、ぶん殴って正気に戻すという採択して正面から全力の手刀をかましていた。
「ぶってないチョップだ。ていうか色々聞いてきやがって…何だ?あんたは向こうじゃ夜な夜な☆百合フィーバーでもしてんのか?」
「ん?割と結構な頻度で幽々子といちゃいちゃしちゃってるけど?」
平然と百合疑惑を認める紫。誰かこの百合女をどうにかしろ!何?もうなんともならない?
しかし、俺はこうして紫と共に居る事に正直、かなりの充足感を得ていた。なんというか………
「全く………あんたが母親だったら、どれだけ良かった事か………」
「え…?どういう事?」
何気なく漏らした言葉に紫が反応する。そう、俺は実の母以上に、紫に対して母親への愛情を抱いていたのだ。
「言葉通りの意味だ。家が母子家庭なのはあんたも知ってるだろ?俺の母親は、不況の波に呑まれてリストラされた親父を見限って離婚した、裏切り者だ。愛なんて無かった。親父にも、兄貴にも、俺にも…表面上は何も変わらなかったがな」
「それだけで、私を母親と…?」
表情こそ変わらないものの、いつもと違う声色で紫が訊いてくる。
「更に言えば、俺がまだ小さい頃の母親と、今のあんたがどことなく似てる気がした。表面的な事でも、性格的な事でも無く、もっと…言葉に言い表せれない程に感覚的な何かが…な。それに、俺が身内と認めてるのはもう兄貴ただ一人だけってのもあるかな…ただの戯言だ。スルーしてくれ」
そう言って飲み物を欲して立ち上がる。しかしその瞬間に固定電話が鳴り響き、俺は内心舌打ちしながらも受話器を手に取った。
「もしもし神田ですけど?」
≪あ〜もしもし?私、海上自衛隊広報課の古嶋という者ですが…≫
「なっ!?古嶋一曹でしたか!?」
コジマは…マズイ…と脳内再生する間も無く目の前に居る訳でも無いのに姿勢を正し、敬礼しかける。幾ら兄貴が海上自衛官だっつっても俺が直接隊の人間と話すのは何気に初めてだ。
≪はいそうです。そちらは神田修平さんで間違いありませんか?≫
「はいっ。いつも兄がお世話になっておりますっ」
サー!イエスサー!と言いかけながら答える。だがその後に続いた古嶋一曹の言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中が真っ白になり、手に力が入らなくなって受話器を落としていた。
≪もしもし?大丈夫ですか?≫
「お電話替わりました、親戚の者です。何かありましたか?」
有線故の単振子運動を行っていた受話器を手に取って紫が替わりに話しかける。しかしその話の内容も全く耳に入ってこないまま俺は無意識に呟いていた。

「兄貴が……死んだ……?」



   ―――――


兄貴は海上自衛官だった。
高校卒業後、すぐに曹補生として入隊し、順調にカルキュラムをこなしていった。そして最近就航した護衛艦に配属となって、世界の海を仕事場にしている筈だった。実際、仕事場にしていた。だが、戦闘訓練終了後に引き上げた訓練用魚雷の懸架ワイヤーが切れ、振子になった魚雷の側面に頭を持って行かれた。

即死だった。

享年二十一歳。俺より一週間半誕生日が早かった。


   ―――――


忘念自失とはこの事を言うのだろうか?俺は何とか身体を動かしてソファーに座り込み、頭を抱えていた。

兄貴が…死んだ?

あり得ない話じゃない…でも、こんな早くに…?

これは現実だ…認めたくない…認めなければならない…認められる筈が無い…!

大体、俺はまだ死体をこの目で見た訳じゃない。だから本当かどうかは…!

いい加減認めろ。今この時点で認めなければ、死体を見た日には気が狂うぞ…!

「修平君…」
「っ!?」
突然名を呼ばれて顔を上げる。そこには八雲紫の顔があり―――妖夢といちゃつく時程では無いにしろ―――かなりの至近距離で少々驚きつつも妖夢とは違う大人の香に少しだけ冷静さを取り戻していた。
「ゆ…紫…」
「大丈夫?顔色が真っ青よ…?」
「……紫…兄貴が死んだって…本当なんだよな…?」
俺の左頬をを覆う様に触れていた紫の手に触れて訊く。嘘であってほしい。だが、事実ならば今認めなければ自分の中で取り返しがつかなくなる。自分の根底に刻まれた律儀な性格が事態を認めろと叫び、感情がそれに反論する。そんな板挟みの中、俺は恐怖と不安を出来る限り抑えながら紫の返答を待った。
「残念だけど、事実よ」

「………お兄さん…神田雅彰は…殉職したって………」

「っ……そうか……」
50カリバー弾で心臓を木端微塵にされた様な衝撃を受けつつもどうにか堪える。そうだ、取り乱しては駄目だ…運命を受け入れろ…俺はあいつの弟なんだぞ…!
しかしそう言い聞かせても身体の奥から何かが溢れてくる。いやむしろ自分があいつの弟なんだと自覚する度に何かが大きくなり、抑えきれなくなる。
「泣きたい…?」
焦点の合わない視界がその言葉で一点に集中する。そこには憂いの籠った紫の顔があり、身体が勝手に動いて俺は紫の豊満な胸の中に飛び込んでいた。
「兄貴がっ…!俺のっ…!誇りがっ…!」
「泣きたいのなら、泣きなさい。貴方は、誰かに甘えてもいいのよ?私がそれに気付いてないとでも思ってた?」
瞬間、身体が時効効果を起こしたかの様に硬くなった。
誰かに甘えてもいい。
それは、両親が離婚した時に俺が自分で自分に科せた枷。父親とは会えず、母親は家族と認めず、そして唯一肉親と認めていた兄貴に迷惑が掛からない様にと、誰かに甘える事を止めて生きて行こうと決めた事。誰にも甘えず、生きて行こうと………
しかしこの妖怪は、自分に甘えてもいいと言った。それも、今まで俺が俺に科した枷に気付きながら………

俺は…甘えていいんだ…!

それを確認した時には、もう涙を堪える事は出来なくなっていた。
ただひたすらに泣きじゃくる。こんなに泣きじゃくったのはフラれ、拒絶された時以来かもしれない。そして彼女は、恐らく俺が今最も欲していたであろう言葉を俺に掛けた。
「それに、私でいいのなら…貴方の母親になってあげる。誰にだって、親に甘える権利はあるのだから…」
「……母、さん……!」
哀しみと歓びが同時に涙となって溢れ出る。いや、そんな事はもうどうでもよかった。

俺の誇りが服を着て歩いている様な俺の兄、神田雅彰が死んだという事と、八雲紫が俺の母親となってくれたという事実のみが、俺の中に残った。



   ***



「ふあぁ…もうそろそろ寝ようかしら…?」
早朝。幻想郷から帰ってきた私は完全に睡魔に襲われていた。
「ああ、こっちじゃ平日だっけ?向こうにはあって無い様な概念だし…」
修平君の家の庭に干してあるツナギやらなにやらを見てふと思い出す。確か今日は水曜日だから、修平君は機械加工実習があった筈だわ。起きたら取り込む訳ね。
「…ん?」
ツナギの袖の端から糸が出ているのが何故か目に留まり、そのまま注視する。特に何の変哲も無いただの糸の筈なのに、変な気分がする………
「…ま、いっか…眠い…」
だが三大欲求の睡眠、食、睡眠に勝てる訳が無く、私はそのまま自分の家へと向かって行った。

これが、この事件における私の最大の失態だった。


   ―――――


さて、兄貴が死んで、気が付けば早二週間。もう七月に突入し、そろそろ夏服でも暑くなってまいりましたぁ!
母さんのおかげで―――勿論妖夢にも事情は説明した―――兄貴の死に執着する事も無く、随分とすっきりした気持ちで学校に登校した訳だが、なんか妙な胸騒ぎがする。俺のこういう感覚はよく当たるから困る。まぁ、何を指して胸騒ぎがするのか起こるまでよく分からんのが一番の欠点で、ぶっちゃけ相当致命的な欠点である。
「神田〜次何?」
「実習だよ。格納庫横の第一実習棟。いい加減覚えろ」
クラスメイトの一人に聞かれ、荒く答える。その間に俺は制服からいつものツナギへと着替え…というか夏服の上からツナギを着込み、実習棟へと向かった。内容はどうやら旋盤実習らしい。
「旋盤二級を持ってるこの俺に勝負を挑むとはいい度胸だ、とか言ったら死亡フラグかもな」
とかなんとか言いつつ工作物をチャックに挟み、電源を入れてバイトを少しだけ食い込ませる。まずは表面を仕上げないと径も測れねぇ。
次に端面を整える為にバイトに少し角度を付けて送り込む。これでデプスバーを使った長さ測定も出来る様になる。
「さて、お前のサイズは何mmだー!」
とか言いながらノギス測定を行う。これで最初の大きさが判明した訳だが、さて、どこからどうやって整形していったものかね………
「とりあえずセオリー通り一番太い部分から削るか」
設計図を見て即座に判断を下し、再び旋盤を稼働させる。そしてさっきよりも多くバイトを食い込ませ、同時に切削油を滴下させる為に隣の台からオイル差を手に取って切削油を滴下させようとした、その時だった。
「っな!?」
チャックの回転に何かが巻き込まれたのか、恐ろしい速さで俺の左腕が引き込まれる。瞬間的にブレーキペダルを踏んだものの、電源がオンになるかオフになるかの違いしか出ず、引き込まれた勢いのまま惰性で高速回転するチャックに思いっきり額を打ち付け、更にその反動で弾かれた身体が後ろに倒れて硬い床に強く後頭部を打ち付け、何が起きたのかもよく分からない内に俺の意識は完全に途絶えた………



   ***




なんだ…ここは…?確か俺は旋盤作業をしてて―――ああ、死んだのか。

見渡す限りの草原。正確には遠くに山が連なっているが、歩いて行けるような距離にある訳じゃない。だが三途の川が見当たらないとなると、まだそこには辿り着いてないのか。そして、一通り見渡している最中に一人の人影を見つけた。

見つけた。ようやく会えたな…兄貴。

「……シュウ……」
兄さんがこっちに近づいて来る。俺もそれに応える為に歩こうとしたが、身体が動かなかった。いや、今の俺にまともな身体があるかどうか微妙だ。
「こうも早くお前まで来るとは思わなかったが…まぁいい」

兄貴、俺はあんたにどうしても聞かなきゃならない事があるんだ。

「なんだ?」
俺の目の前で立ち止まる兄さん。あの時と変わらないポーカーフェイスが少しだけ高い位置から俺を見下ろしている。

どうして、俺達家族の元を離れたんだ?何で、俺を置いて自衛官になったんだよ!?あんたは、俺の事なんかどうでもよかったのかよ!?ただの邪魔な存在だったのかよ!?

「…これを聞いたら、お前はなんて思うだろうな?」

どういう事だよ?

僅かな苦笑を浮かべながら答え、そして俺の頭に手を乗せた。
「お前を一人前と認めたからだよ。お前はもう、俺よりよっぽど男になった」

なに…言って…?

「俺はいままでお前を護り、育ててきた。だがある日を境に、お前は誰かに甘える事を止めた。そしてもう、お前は誰かを護れるだけの存在になっている。それが目指した姿だったんだろう?」

確かに、俺はあんたを超えたいと思ってた。でも、まだ俺はあんたに追いついてすらいない!あんたの背中が、見えてすらいない!まだ、俺にはあんたが必要なんだよ!なぁ!戻ってきてくれよ!もう一度、兄弟として暮らせないのかよ!?

「そう思い、日々成長を欠かさない時点で、お前はもう俺を超えてるよ。後は、その思いを絶やさずに生き続ける事だったんだが…死んだのならどうしようもないか」
そう言って笑う兄さん。本当に、久々に見る、兄さんの笑い。そして同時に、その背後に人影が映るのが見えた。あれは―――

赤い髪、巨大な鎌、三途の水先案内人…小野塚小町…!

「どうやら、時間らしい」

時間?どういう事だよ!?

「悪いなシュウ。これで本当に最後だ」
紡がれる兄さんの言葉。それに合わせて振り上げられる鎌。そして、俺が待てと言う間も無く鎌が振り降ろされ、兄さんの魂は幾つもの光になって死神小町の掌に集まり、消えていった。
「悪いけど、上からの命令だ。あたいについて来てもらうよ」
有無を言わせず俺を連れて行く死神小町。だが俺は忘念自失と言った具合にだらしなく手を伸ばしているだけだった。

―――兄さん―――



   ***



走る。息が上がるのも気にせずに走る。
「はぁ…神田、修平さんの部屋は何処ですか!?」
「そ…それなら、403号室ですけど…て、あの!院内は走らないでください!」
受付の看護婦から病室番号を聞いて走り抜ける。エレベータなるものを私は使えない為、ただ全力で階段を駆け上がって403号室を探した。そして―――
「修平さん!」
403号室の扉を開ける。そこには静かに眠る修平さんと、その顔を注視し続ける、修平さんの母親代わりとなった紫様の姿があった。
「妖夢…」
「紫様、修平さんの容体は…?」
家で連絡を受けた時に大体は聞き及んでいたが―――
「はっきりと言って、最悪の事態一歩手前よ。身体は奇跡的に無事だけど、打撃の衝撃で修平君の魂が先に剥離してしまっている。このままじゃ、この身体もあまり長くは持たない」
「あの、助けるには…やはり…」
今修平さんを救うただ一つであろう方法を思いついて恐る恐る聞く。事態の中心に居る筈の修平さんは、とても安らかな寝顔をしていた。
「ええ…三途の川に向かって、修平君の魂をこちらに呼び戻す他に無い。でもこれは、生物の輪廻転生を犯す、いわば一つの禁忌。仮に修平君の魂を呼び戻したとして、その後に私にも予測できない様な不幸が起きてもおかしくは無い。場合によっては、助かった傍から即死するかもしれない。それでも、貴女は助けたい?」
紫様の鋭い視線が私を貫く。だが、そんな覚悟など初めから決めていた。なぜなら―――
「……はい。確かに、助かったと同時に死ぬかもしれない。それは分かってます。そして、それを最後に修平さんの魂が消えてしまうかもしれないとも思ってます。でも、それは同時に何の変化も無く平和に生きられる可能性もあるという事です!」
助けてどうなるか分からない。なら、試してみる他無い。分からないからこそ調べるのだという言葉がこちらの世界にはあるらしい。なら、私もその言葉通りに、試してみたい。本当に修平さんが助かるのかどうか…!
「ふふ、やっぱり血筋ね。今の貴女、妖忌にそっくりよ」
「それは…師匠は私の祖父ですから、当たり前です!」
からかう様に笑う紫様。そして今の私が師匠にそっくりと言われ、私は思わず叫んでいた。師匠とそっくりと言われて、嬉しく思っているなんて事を悟られたくなかったから。
「…いいわ。私も貴女の考えに同感。目的地までは私が送ってあげるから、後は貴女が頑張りなさい」
言うと同時に私の背後でスキマが開く。そして同時に傍にも小さなスキマが開かれ、そこから楼観剣と白楼剣が少しだけ姿を現した。いや、それだけじゃない。
「これは……」
同時に差し出された三つ目の品。それは、いつも修平さんが着ているあの黒いコートだった。それを何の迷いも無く着込み、私は初めて修平さんとの体格差を実感した。
膝下程度までにしかなかった裾は足首にまで届き、常に捲り上げて肘程の長さにしていた袖も少し短めの長袖になってしまっている。しかしそれを気にするつもりは無く、すぐに帯を締めて楼観剣と白楼剣を見につけ、スキマから出てきた半霊を従えた。そして、忘れてはならない物…修平さんが私に託してくれた弾のペンダントを最後に首から下げ、私は修平さんの魂を追って足を踏み出した。



   ***



「くれないの 舞い散る旅で 土となる 風は河波 私は渡し……どうも、この句を唄っている時は誰かに会う確率が上がるみたいだね」
こちらに背を向けていた一人の赤髪の少女が振り返る。私は、彼女の事を知っている。

死神、小野塚小町

「お前さんの目的は大体想像がつく。もし想像通りなら、あたいはその目的を邪魔しなきゃいけないらしい。魂魄妖夢」
肩に担いでいた大鎌を両手に持ち、更に一度回す。彼女の癖の一つだ。
「なら、言葉は不要という事ですね」
楼観剣の柄に手を添え、同時に襷にも手を掛ける。これでいつでも抜刀が出来、攻撃にも防御にも即座に対応可能だ。
「そういう事ならいつでも来な。力ずくでもあの青年の魂を取りに来い」
「なら…いざ!」
私が死にかけた時、修平さんは私の為に必死になってくれた。なら、今度は私が、修平さんを助ける!



「魂魄家のこの二振りの剣に、斬れぬものなどあんまり…いや、一つしか無い!」



楼観剣を引き抜いて一気に小町に接近する。そして袈裟斬を全力で繰り出すが、躱すと同時に背後に回られていた。しかしそれは織り込み済み。
「後ろとったりぃ!」
「甘い!」
袈裟斬の勢いをそのままに、更に足を踏み込んで今度は右斬り上げを繰り出す。その際に楼観剣に大鎌が掠め、わずかに彼岸花の様な火花を散らして互いに過ぎ去る。
「ハハハッ!いい動きだ!今までお前さんがそんな動きをするのを見た事が無いよ!」
当たり前だ。私も修平さんに稽古をつけると同時にあの人の動きを分析していた。私は直線的に相手を追い回し、馬鹿正直に一撃を繰り出していただけ。でも修平さんは、一撃を繰り出しても次の一撃を無理矢理ねじ込み、相手に予測させない攻撃を繰り出していた。そして体勢を崩しても、その攻撃を相手に当てる事で軌道修正を行っていた。ただの人間でも出来た挙動が、私に出来ない筈が無い。
「でも、そうと分かれば一気に行くよ!」
「一気に行くのはこちらだ!」
相手が動く前に結跏趺斬で牽制を掛ける。小町はそれを飛ぶ事で簡単に躱したが、初めから当たる事は考えていない。飛んだ方向へと先回りして楼観剣を唐竹に振り下ろす。
「ぅお!?」
桜を思わせる火花が散って小町の鎌を大きく逸らす。そしてその瞬間の攻撃は諦めたのか、着地と同時に振り向き様に鎌の柄尻周りを持って最大限の遠心力を掛けて振り降ろすのを目の端に捉えながら、私は予め手に掛けていた楼観剣の鞘の襷を引っ張り、後ろに振り向く事無く鞘を振り回して鎌の軌跡を逸らした。
「っだぁ!」
片膝を突いたままの姿勢で身体を捻り、楼観剣に遠心力を掛けて斬りかかる。しかしそれを高下駄で蹴って防いだ後、小町は一度大きく距離をとってから大鎌を大きく振りかぶって地面に突き刺した。すると―――
「ちょっと通りますよ!」
霊力の塊が地面を這いながらこちらに直進し、避けると同時に宙に浮いて追尾してきた。しかし、迎撃は容易だ。楼観剣を振るって塊を迎撃する。
「その隙にスプラッシュ!」
「ちぃ!」
いつの間にかかなりの近距離にまで接近していた小町が大鎌を回してからカマイタチと思しき衝撃波を飛ばす。それをどうにか私は躱したが、それは判断ミスだった。
「デッドスパイク!」
「くっ!?」
着地の瞬間を狙って下からのすくい上げを貰う。ギリギリのところで防ぐ事には成功したが、あまりの衝撃に体勢を立て直す事が出来ず、正面から地面に落ちてしまった。
「あたいだってあまり長く戦う気は無いんだ。悪いけど、そろそろ決めさせて貰うよ」
「短期決戦には同感です。ですが、そろそろ決めるのは私の方です!」
すぐに立ち上がり、鎌を両肩に渡らせる様にして担いだ小町を正面に捉えながら左手に持ち直した鞘に楼観剣を納める。抜刀の構え。修平さんが得意としていた戦い方の一つ。
「返し技であたいを一撃で沈める気だね。でも、その手には乗らないよ!」
攻撃の為に一気に接近してくる。まだだ、まだ遠い…この技を使うには、もっと引き付けなければ…!
『お前になら、この技を使いこなせるかもしれない』
相手が近付くと同時に修平さんの声が脳裏に去来する。
『この技は、抜刀の際に右足では無く、左足を絶妙のタイミングで踏み出して抜刀する、超神速の攻撃だ』
「魂符[生魂流離の鎌]!」
小町がスペル宣言をする。まだだ………
『この技を当てられれば、確実に相手を倒す事が出来る。だが、例え外れる事が分かっていても、絶対に速度を緩めたりせず、完全に技を出し切れ』
………今だ!
「ぅおおおおおおおお!」
抜刀とほぼ同時に左足を踏み出し、自らの持てる最大の速度で抜刀する。だが、超神速で繰り出された筈の一撃は紙一重で躱されていた。
「あたいの能力、忘れた訳じゃないだろう!?」
小町の能力。距離を操る事の出来る能力。恐らくは攻撃の際に彼我距離が一定以内にならない様に調節していたのだろう。普通なら嵌められたと思う。だが―――
「…ふふっ」
嵌めたのは私の方だった。
「って、ぉお!?」
『完全に出し切れば、超神速の抜刀で弾かれた空気が元に戻ろうとして同時に自分と相手を引きずり込む。そうなれば相手は体勢を崩し、自分は引き寄せられる勢いを上乗せして次の一撃を繰り出せる』
スペル発動の為に踏ん張った足をすくわれ、見えない手に引っ張られる様に小町の身体が近付く。それと同時に私の身体も引き寄せられるが、その間に二撃目の準備を終えていた。これで、決める!
『隙を生じさせぬ二段構えの超神速抜刀術。その技の名前は―――』
「奥義[天翔龍閃]!」
身体の回転と引きずり込まれる勢いを利用した横薙ぎが小町の脇腹に直撃し、現世斬とは比べ物にならない勢いで吹き飛ばす。そして、大鎌が地面に突き刺さる音が、私の勝ちを辺り一面に知らせた。
「―――っかーーーぁ!今のは効いたぁ!」
小町が仰向けに倒れたまま盛大に叫ぶ。それが痛みからなのか、変に高まったテンションからなのかは判別出来ない。とりあえず傍に近寄ってホールドアップをする。
「私の勝ちです。修平さんの魂は頂いて行きます」
「ああ、勝手にしな…でも、それが何を意味するのか分かってるんだろうね?」
急に小町の目つきが変わり、私の目を見返す。

輪廻転生を断つ。

それがどれだけ大逸れた事か、そんな事はよく分かってる。それでも―――
「分かってます。これが、正しくない事だと…それでも!」
楼観剣を小町の顔の近くに突き立てる。
「ぅお!?」
「正しさだけが、人を救うとは限らない!それに、何を用いようと私達の繋がりは…愛は決して断ち切れない!」



それこそが、例え魂魄家の二刀を以てしても断ち切れないもの…師匠、私も、ようやく見つけました。
「…はぁ、まさかそんなお惚気を聞かされるとはねぇ…もう、何も言うまい」
その言葉を聞いてから修平さんの魂を見つけ出し、私は紫様と修平さんの待つ病室へと戻っていった。



   ***



「紫様!」
「来たわね。さあ、魂をこっちに」
三途の川から戻ってきた妖夢から修平君の魂を受け取る。後は魂と一緒に私の精神を修平君の身体の内にダイブさせるだけ。
「さぁ、ここまで来れば…」
扇子を修平君の額に当ててダイブする。だが―――
「っ!?」
何らかの強い力に弾かれ、扇子が部屋の端に吹き飛ばされる。一体何が……!?
「紫様!?どうなされたのですか!?」
「…分からない。今から調べるわ」
修平君の額に手をかざし、今度は身体その物を調べる。
≪これは…!?≫
修平君の身体その物に強力な結界が張られている。恐らくは霊的因子を全て否定する防御用の防壁…どう考えても普通の人間に出来る結界じゃない…何故こんなものが…?
≪まさか!?≫
精神を引き戻して一つの仮説を立てる。そしてそれを確かめる為に私はかなりぶっ飛んだ事を妖夢に訊いた。
「妖夢、真面目に答えて頂戴」
「あ、はい」
「修平君と何回エッチした?」
「ぶっ!?」
顔を真っ赤にして吹き出す妖夢。至極当然な反応だが、今はそれに構っている訳にはいかない。
「真面目に答えて!貴女の答え次第で修平君の事態に説明が付くかもしれないのだから!」
「はっはい!……えっと…正直言って…二桁から、数えてません……一番最近は、昨日…です…」
「…やっぱり…」
妖夢の言葉を聞いて真っ先に立てた仮説が正しいと確信し、赤面している妖夢に今の修平君の状態を伝える事にした。
「いい?よく聞いて。今修平君には外部からの霊的因子を弾く結界が張られている。それも私が侵入出来ない程の強力な、最早防壁と呼べる代物よ。ただの人間にこんな芸当が出来る訳は無いけど、修平君は幾度にも渡って貴女と交わっていたわ。その時に貴女の力が修平君の身体に流れ込み、それがどんどん累積して現在に至っていると思われるわ。そして何より、この結界はかなり精神が作用していて、貴女達が互いを想えば想う程より強固になる仕掛けよ。本来は怨霊に対する耐性が大きく向上する物なのでしょうけど、強力過ぎて自分の魂も受け入れないわ」
「そんな…じゃあ…」
みるみる内に妖夢の顔が青ざめていく。出来れば伝えたくない…でも、伝えなければどうなるという問題でも無い。
「残念だけど…私じゃ修平君を助ける事が出来ないわ。それこそ霊夢以上の結界師でも無い限り…それも、貴女達が愛し合っていたが故に…」
認めたくは無い。でも、それが現実……この子の母親代わりになってあげると言っておきながら、このザマとは…妖怪の賢者とはよく言えたものね………
「そんな…そんな…私のせいで…修平さんは…助からない…」
脱力し、その場にへたり込む妖夢。違う、責められるべきは貴女では無い。へたり込んだ妖夢を正面から抱き締める。
「貴女が原因なのは確かだけど…貴女のせいではないわ…責められるべきは、私よ…」
あの時、確かに私は今回の事件の可能性に気付いていた。しかし、気付いていながらもそれを放置してしまった。私以外誰を責めるべきだというのだろうか…?


「確かに、責められるべきは貴女ね、紫。でも、まだ諦めるには早いんじゃないかしら?」


突然病室に響き渡る声。ゆるく、そしてどこか凛としているこの声―――!
「幽々子…!?」
「だって、まだこの子死んでないじゃない」
いつもと変わらない笑みを浮かべながら修平君へと近付き、私と同じ様に手をかざす。何故彼女が此処にと思ったが、すぐに三途の川と病室をつなげっぱなしにしていたのを思い出した。
「貴女は責められればそれでいいかもしれない。でも、それで妖夢が救われるとは、私は思えない。だから、最後まで諦めずに頑張りましょう?」
幽々子の満面の笑み。確かに、このまま終わる気はさらさらない…それに、この場には妖怪の賢者と、華胥の亡霊が居るじゃない。諦める必要が何処にあるというの…?
「…ええ、そうね。そうよね…!」
もう一度立ち上がってダイブの用意をする。だが、やはりこの結界を破る術が思いつかない。
「これを破壊出来れば後は楽なんだけど…どうやれば破壊できるのか、私には分からない。幽々子には分かる?」
「ん〜そうねぇ〜…」
目から一切の笑みが消えた笑みで思考する幽々子。そして出た結論は、あまりにも予想を飛び過ぎているものだった。
「一度取り殺しましょう」
「…へ!?」
「ゆゆっ!?幽々子様!」
後ろで控えていた妖夢が大声を上げる。院内で大声を上げるのは厳禁と突っ込みたかったけど、私もそれをするだけの平静さを欠かしていた。
「何を言っているの!?そんな事して何の意味があるというの!?」
「あら、言わなかったかしら?“まだこの子死んでない”って」
まだ、死んでない…?確かに今の修平君の肉体は生きているけど…何故殺す必要が…まさか!
「…貴女、この場で転生用の肉体を作りだす気!?」
「ご名答〜。死を操る、私の能力を甘く見ちゃ駄目よ〜」
「でも、そんな事をしてもし失敗したら…二度と修平君は元の身体に戻れなくなるわよ!?」
「なら、失敗しなきゃいいじゃない」
掌に死蝶を呼び出して取り殺す準備をする。それを見て最早それ以外の方法を採る気は無いのだと悟ると私も扇子を拾い上げてダイブの体勢に入った。
「やれやれ……病院の人間に感付かれたくないから、一瞬で決めるわよ」
そう言って修平君へのダイブを再開する。弾かれるギリギリで止め、幽々子が修平君を取り殺すのを待つ。そして―――
≪…来た!さぁ、自らの身体へとお帰りなさい≫
肉体が転生用の器に作り替えられた証拠に結界が崩れる。それに合わせて半同化させて肉体にダイブさせていた修平君の魂を放つ。これで助かる筈………お願い、目を覚まして!私の愛しい息子…!




「―――ここ、は―――?」







   ***



それにしても、よくもまあ上手く行ったものね。
「何言ってるの?貴女と私の手にかかればどんな事態も余裕じゃない?」
とは言ってもね、幽々子?あれはあれでかなり危なかったのよ?死んだ身体はその場で腐敗を始めるし、病院では心停止と同時に医者が慌てだすから、少しでも手違いがあったら確実に失敗していたのよ?
「まあいいじゃない?全部過ぎた事なんだし、ね?」
それはそうだけど…それでも、転生用の肉体に転生前の魂を入れるなんて、前代未聞よ?
「あら?あの子はもう転生を終えてるわよ?」
え?それはどういう事?幽々子。
「ふふふ、これからじっくり話してあげるから、急かさないの。紫」



   ***



「ふぁ〜ぁ…やっと一仕事終えたよ…」
妖夢があの青年の魂を持って行って暫く。ようやく一息つけられると思ってあたいは大の字に寝直した。ところが。
「小町」
「え?あ!?し、四季様!」
あたいの直轄の上司、四季様に呼ばれて慌てて上体を起こした。
「いいいいいいや、あの、これは―――」
「弁解の必要はありません。貴女の働きぶりは見ていましたから」
「なんだ…全部見てたんですか…」
四季様の言葉にとりあえず安心する。ちゃんと働いてるところを見せれば文句は言われまい。
「っと、そういえばなんであの魂をあたいが回収しなきゃいけなかったんですか?あたいは幻想郷担当なのに」
命令を受けた時から気になっていた事。神田修平という名の霊魂を見つけたら管轄に関わらず回収する事という内容だったが、何故担当の違うあたいをわざわざ回収に向かわせたのだろう?
「そうですね。この場でちゃんと話しておきましょうか」
そういうと四季様が珍しくあたいの隣に腰を降ろした。
「簡単に言うと、遺言です。貴女が神田修平の霊魂を連れて来る前に一つの霊魂を狩ったでしょう?」
「はい。確か神田雅彰とか言う霊魂でしたね」
「あの霊魂は神田修平の兄上でした。実は彼が死んだ後、交代で非番になっていた私の元へと迷い込んできていたのです。どうやら、私の様な閻魔を探していたようです。私も非番でしたが、仕事柄こうした霊魂を放っておく事もできませんでしたので、致し方なくその場で裁判をする事になりました。ですが、その霊魂、神田雅彰は裁判を始める前に『遺言』を残したのです」
「その内容は?」
「よくある事です。自分を有無を言わせず地獄へ堕とす代わりに弟に何かあったら助けてやってくれ、と。本来ならこんな事聞き入れませんが、今回は事情が違いました」
「事情?どういう事ですか?」
「彼はあくまで『遺言』しか遺していません。閻魔の約束事の中に、霊魂の懇願を受け入れてはいけないとはありますが、遺言を受け入れてはいけないとはありません」
「…それ、閻魔的にいいんですかね?」
「約束事になければ守りようも破りようもありません。大丈夫です」
いや、どうだろう………
「そして私は、彼を地獄に堕とす代わりにその弟の霊魂にちょっとした細工を施しました。それは、肉体が死を迎えると同時に転生を完了するというもので、西行寺幽々子が肉体を取り殺しすのが発動のきっかけになるという算段です」
「…あなた方、初めからグルだったんですね…わざと妖夢に負ける様に命令したのもその為だったんですか…」
「全ては計算通りです」
いやそんな笑顔でそんな事言われても………はぁ。
「ところで小町?」
「はい?」
「貴女の功績を認めるという事で、正式に貴女に休暇を与えます。貴女の大切な“彼”と、ゆっくりして来てはどうですか?」
「…ええ、勿論!ありがとうございます!」



   ***



夏の夜空に花が開く。人が作りだした花火と呼ばれるその一瞬の造花は空に光の花を灯し、後に火薬の匂いを残して消えた。
「すごいですね…」
「こっちの世界の花火も、捨てたもんじゃないだろ?」
しゃがみこんで手持ち花火をしている妖夢が呟く。一方の俺と言えば、妖夢と同じ手持ち花火を口に咥えて火薬の匂いを全力で嗅いでいた…ってあっちぃ!あんま続けてらんね!
「だ…大丈夫ですか…?」
「やっぱりこれは駄目だ…光的な意味でも拷問にしかならない…」
ぺっとプラバケツの中の水に手持ち花火を吐いて消火する。それと同時に視界を埋めていた光が消え、緑の浴衣姿の妖夢が鮮明に視界に映った。そういえばあの時の写真どうなったんだろうな?さくやが何処かに埋めちまったのか?
「そう思うなら初めからやらないでください。見てるこっちはヒヤヒヤするんですよ?」
「すまんすまん」
やや怒り顔の妖夢に謝る。あれから更に時が過ぎ、俺は完全復帰していた。しかし無傷で復帰できたかと聞かれればそうとは言えず、チャックに直接ぶつけた額の影響で左目は光を失った上に二度と開かないし、持って行かれた際に引きちぎれた左手薬指は第一関節から途切れてる。おかげで一生結婚指輪付けれないな。ある意味生涯独身だ。
「あ、終わってしまいました」
「お、もう一本やるか?」
「はい」
見てるこっちが溶けそうな柔らかな笑顔で答える妖夢。そして立ち上がる拍子にさりげなく手を取ると、それに応えて妖夢も手を握り返してきた。
「妖夢…」
「修平さん…」



そして俺達は、もう離れないと心に決めてキスをした。





                         妖夢が現代に落ちてきた

                                    −完−

                                 ...and To be continued



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