「見えたわレミィ。あれが、彼女の居城よ」
案内の為に前を歩いていた結良が立ち止まる。レミリアもそれにつられて足を止め、柚咒とチルノも足を止めた。
「…国会議事堂か…また分かりやすい所を根城にしたな」
視線の先にある白い建物を見て柚咒が呟く。以前まで日本の国会議員達が議論を交わし合っていた石造りの巨大な建物は、今は外観だけをそのままに、どこかの要塞の様な物々しい空気を際限無く放っていた。
「ここで待って。皆をあの中に向かわせて、内部偵察させるから」
結良が露西亜人形を呼び出し、議事堂へと向かわせる。既に接合修復の終了した左腕や、かつての柔肌を取り戻した結良の肌を見てこういうところは便利な身体だなと、柚咒は暢気に思っていた。
そしてそのまま数十分が経過し、全ての露西亜人形が戻ってきたところで結良が露西亜人形の剣を使って地面に議事堂の見取り図を描き出した。
「これが、今の議事堂の内部構造よ。実際に前の議事堂の内部を見た訳じゃないけど、あからさまなまでに内部構造が変わってる。入口から見て右側が兵員詰所と居住区、武器庫になってて、左側が食堂や食糧庫。裏側には兵器開発及び生産工場が併設されてるわ」
ドラフターを使った訳でも無いのにきっちりと直角で描かれた見取り図の部屋にそれぞれ詰所、居住区、武器庫、食堂、食糧庫、工場と綺麗な明朝体で書き加える。そして入口すぐの大きな空間にホールと書き加え、その先にある同じ大きさの空間には「Unknown」と綺麗な行書体で書き加えた。
「残念だけどここだけは入り込む事が出来なかったわ。空気の流通すらも怪しくなる程にまで密室になってて、様子を窺い知る事も無理だった。でも内部の兵達の言葉を聞いた限りじゃ、ここにパチュリーか、彼女が居る筈よ。或いは両方か…」
Unknownと書かれた空間を剣で示しながら更に敵戦力の説明する。
「敵戦力も今までの比じゃなくなってるわ。外には新型の重装スーツを着込んだヘビーフィティング兵が厳重な警備をしてるし、内部にはスタンダード兵が警備をしてる。更に詰所にはハイマニューバ兵が待機してて、突入戦となると何重にも防衛網を張られて彼女のところに辿り着けなくなる。そこで皆に提案があるの」
そこで一度言葉を切り、見取り図の入口に向けて矢印を描き加えてから作戦の提案をした。
「まず、レミィとチルノのグングニルで私と柚咒を一気に議事堂のホールへと突入させる。その時に柚咒が入口を破壊して、私が初期配置の兵員を撹乱する。残ったチルノはレミィのグングニルで同じく一気に突入して。レミィには悪いけど自力で突入をお願い。吸血鬼なら出来ると思うんだけど…」
「ふん、よく言うわね。私のグングニルはあんた達三人を一度に移送する事も可能だし、私一人での突入も余裕よ」
暗に吸血鬼の力を認められ、満更でもない様子を浮かべながら豪語するレミリア。しかし霊夢であった頃から彼女を見てきた結良にとって、それはあながち嘘でも無いという事がすぐに分かった。
「なら大丈夫ね。柚咒は入口を破壊した後、常にレミィの様子を見ながら暴れまわって。それでこのUnknownに突入する時にレミィの傍に付いて、常に援護出来る様に。突入後は好きに暴れて」
「おう!」
「チルノは突入後、このUnknownに通じてる扉以外の通り道を全部凍らせて。そうすれば増援を遅らせる事が出来るから。破壊された後もめげずに凍らせて。これはチルノにしか出来ない事だから」
「あいよ。そんな事言われちゃ、こっちもやらない訳にはいかないわね」
「よし、それじゃ準備して!」
そこで剣を露西亜人形の身体の中へと戻す。それと同時にチルノと柚咒がそれぞれこおりパワーと霊力を蓄え始め、レミリアも以前結良が斬殺した人間達から抽出した血液を飲み始めた。
「…本当に、世界を助けられるかもしれない…この子達となら…」
チルノ、柚咒、レミリアの順に顔を見据え、無意識に呟く。しかしその呟きは降ってきた雪に舞い上がったチルノと柚咒の喧騒に遮られ、誰の耳にも届く事が無かった。


そして、全員の準備が整った。





   哭き王女の為のセプテット 〜 Scarlet revenge





       最終章 『―――Scarlet revenge―――』





「それじゃ、行くわよ結良」
「ええ、いつでもいいわよ」
彼女の代名詞である紛い物のグングニルを生み出し、結良に投擲の合図を掛ける。また同じ様にチルノも投擲の合図を柚咒に掛けた。
「柚咒、準備はいい?」
「良くなかったら、こんな事してないだろ?」
まるで立ち幅跳びでもする様に腕を振ってスクワット運動をする柚咒。その一定のリズムが全員にタイミング合わせを促し、全員が同じタイミングで数を数えた。
五、四、三、二、一―――
「行け!結良!」
「いけぇ!柚咒!」
その叫びに反応して結良と柚咒が先んじて同時に飛び、遅れてレミリアとチルノが同時にグングニルを放った。そしてそれは上手く行き、紅いグングニルには結良が、青いグングニルには柚咒が飛び乗って一気に議事堂へと接近していった。
「思ったより勢いが強い…!」
グングニルに乗っている結良が呟く。それもその筈、レミリアのグングニルとチルノのグングニルは形は完全に同じだが、氷かそうでないか以外にもう一つ、決定的に違う所があった。
レミリアのグングニルには何一つ小細工が無く、平たく言えば吸血鬼の持てる力を以て全力で投げるだけである。対してチルノのグングニルは投擲と同時に冷気と氷片を巨大な穂先から後ろへ向けて強力に噴射してレミリアのグングニルと同等の加速と精度を獲得していた。最も、当のチルノがそれに気付いているかどうかは甚だ疑問であるが……
そしてそれは言い方を変えれば、吸血鬼の全力で結良と柚咒は議事堂へと投げられたというのと同義であると言えるのである。
「なっ!?来たぞーーー!!!」
周辺を警護していたヘビーフィティング兵が接近に気付き、手に持っている4.7mm四銃身のライトガトリングを斉射し始めた。しかしあまりの突入の速さに照準が定まらず、一発たりとも二人に当たる事は無かった。
「よし!行けぇ!」
議事堂の入口を射程に捉え、柚咒が左腕を前に突き出してレーザーを放つ。完全に火力重視の八卦炉から放たれたレーザーは固く閉ざされた扉を容易く溶解させ、直前で二人はグングニルから飛び降りてグングニルを扉へと突入させてから飛び降りた際の慣性に従って内部のホールへと突入した。
「よし!私が撹乱するから柚咒はチルノが来たかどうか見て―――」
「おいもう来たぞ!?」
「ええ!?」
予想より随分と早くチルノがグングニルでホールに突入し、敵兵どころか結良達まで困惑しかけたが、その直後にレミリアも突入を完了し、もうなんでもいいやと半ば諦めのついた二人はすぐにいつもの調子を取り戻した。
「…よし!チルノ!すぐに入口や扉を全て凍らして!」
「あいよ!冷符[瞬間冷凍ビーム]!」
チルノが予定通りにあらゆる扉を完全に凍らせる。それにより一時的にホール内へ立ち入れる者が皆無となり、その隙にレミリアがハートブレイク・ハモニカを放って奥への突破口を無理矢理に開いた。
「よし!行くぞ!」
レミリアの援護を任された柚咒が先行して残ったスタンダード兵を蹴散らす。それに続いてレミリアも奥へ進もうとしたが、突然結良が引き留めた。
「レミィ。いってらっしゃい」
「…ええ。いってくるわ…!」
それは、十秒にも満たない僅かな間の会話。しかしその一言に込められた、必ず帰ってこいという想いをレミリアはしかと受け止め、今度こそ柚咒の後に続いて奥へと足を踏み入れた。



   ***



「扉は私がぶっ壊す!レミリアはあいつとのバトルの為に少しでも力を温存しとけ!」
時折出てくるスタンダード兵を蹴散らしながら、入口の正反対に位置していた扉からUnknownへと通じる廊下を走り抜ける。そしてついに最奥の扉を見つけ、柚咒がレーザーを放ってから新たに会得した技で扉を完全に破壊した。
「断霊剣[成仏得脱斬]!」
左掌に出した光の弾を勢い良く地面にぶつけ、そのまま跳ね返る前に白楼剣で斬って炸裂させる。すると桜の花弁の様な欠片と共に大量の霊力が前方に指向性を持って放出されて扉は破壊された。
そしてそのまま内部へと侵入するレミリア。そこで彼女が目にしたのは―――――
「…見つけた」
「ようやく来たわね……スカーレットデビル……」
紅い髪と黒い服を翻してこちらに振り向いたクリニィと、その傍で筐体の中に閉じ込められたパチュリーの姿だった。
「…柚咒、チルノに言って此処へ通じる扉も凍らせて。変に増援を呼ばれたくないから」
「分かった……レミリア、死ぬなよ……」
名残惜しくはあるのだろうが、即座に振り返って来た道を戻っていく柚咒に誰がとまるで悪友に答える様に内心思いながら、レミリアは一歩ずつクリニィに近づいた。
「こんなところで、あんたは一体何がしたかった訳?まあどうせ世界征服だとかそんなところだろうけど…何故パチェを攫ったの?私達姉妹の宝具を狙った理由は?」
レミリアの立て続けの質問。一方のクリニィはその問いに少しだけ逡巡する様な間を設けた後、いつもの冷たい笑みと口調で答え始めた。
「―――貴女の言う通り、世界征服ね。いままでの世界は私が住むには狭すぎたの。だから私が、一から創り直してもっと住みやすい世界にしてやろうと思ったのよ。その為に、この魔女だけが扱える賢者の石と、貴女達姉妹が持つ宝具が必要だった。要点だけを言えば、それだけよ」
「じゃあもう一つ。あんたはどうやって、私達吸血鬼の絶対の秘密を知り得たの?」
「答えが知りたい?」
逆にそう問われて足を止めるレミリア。それを見てクリニィが筐体の対弾シャッターを降ろしてから完全に正対し、レミリアもまた戦闘態勢を取った。
「なら、私の身体に直接聞くのが早いかもね。Lady?」
その言葉を合図にレミリアがクリニィに飛び掛かる。しかしその速度は尋常な物ではなく、飛び立った音が聞こえた瞬間には既に背後に回っていた。
「悪魔[カリスマブレイク]!」
宣言と同時にあまりの筋力増強について来れない皮膚が内圧で割れ、多少出血しながら内部の筋肉が割れ目から丸見え状態になる。それ程までに強化された筋肉を持ってしてレミリアは紅い魔力を掌に凝縮してから大きく振りかぶり、そして弾ける様な速さでクリニィに叩き付けた。だが一撃で終わる筈が無かった。
「夜王[ドラキュラクレイドル]!」
カリスマブレイクと逆の手を振り回し、その勢いで身体を回転させてクリニィの懐から襲い掛かる。そして止めと言わんばかりに次のスペルカードを容赦無く発動した。
「紅魔[スカーレットデビル]!」
クリニィの身体を至近距離に捉えたまま紅い奔流がレミリアの周りを覆う。当然クリニィもその奔流に焼かれ、そのまま勝負が着くかの様に思われた。だが―――――
「っ!?ぐふっ!」
背中から何かで身体を貫かれる。それがクリニィの腕だと気付く頃には先程まで攻撃していた筈のクリニィの身体が見当たらず、最初の時点で分身にしてやられたという事を悟った。
「ふふふ…この程度の変わり身が見破れないなんて、とんだ期待外れね。スカーレットデビル、その名前は返上した方が良くて?レミリア・スカーレット」
「同感ね」
クリニィが言い終わると同時に後ろから新たな声が響いた。それは紛れも無くレミリア・スカーレット本人の声であり、クリニィは完全に焦りを見せていた。
「!?」
「この程度の変わり身が見抜けないなんてね、とんだ期待外れよ。世界征服なんて初めから無理なんじゃないのクリニィ?」
後ろを見て確かにそれがレミリア本人である事を確認するクリニィ。そして今背中を貫いているレミリアの姿が一度魔力の炎となってからもう一度形作られ、その姿が紅い炎で出来たフランドールの姿になる、声の無い不気味な笑いを見せると同時に完全に腕が拘束されている事に気付いた。
「なっ!?」
「私達姉妹を敵に回した事、じっくりと後悔させてあげるわ!魔剣[ソード・オブ・テルヴィング]!」
以前結良を殺しかけた紅い剣を両手に持ち、有無を言わせぬ連撃を繰り出す。そして最後の攻撃の際にハートブレイクも同時に発現させて肘に沿わせる様に装備し、テルヴィングを投げつけてからハートブレイクを投げ付けた。そしてそれだけに飽き足らず、更にレーヴァテインで二度すり抜け様に斬った後、三度目の後に腰に巻きつけていた、水色の四角分銅の付いた萃香の鎖を手に持って即興のスペルを発動した。
「宿命[ミゼラブルデーモンフェイト]!」
疎密の力の宿った鎖が思いのままに伸び、クリニィの身体を縛り上げる。そして先程分身に使用したフランドールをグングニルの形に変え、鎖を思い切り引っ張ってから全力でグングニルを至近距離から放った。
「神槍[スピア・ザ・グングニル]!!!」
珍しく両手で放ったグングニルがクリニィの身体を穂先に突き刺したまま飛び、壁に激突すると同時にクリニィの身体だけを残して貫通していく。そして完全に壁にめり込んだクリニィを見つめ、動かない事を確認してからパチュリーの元へと歩き出した。
しかし、まだ終わってはいなかった。
「…やるわね…」
「なっ!?」
壁にめり込み、着ている服も既に見る影が無い程に破れていながらもクリニィは確かに冷たい視線をレミリアに送った。
「ちょっと貴女の実力を、甘く見ていたかもね……」
めり込んだ身体を抜き出す。そして悦びが抑えられないとでも言いそうな含み笑いを上げ、クリニィはついにその正体を暴いた。
「そんな…あんたも…?」
頭から生えた小さな一対の羽。そして背中から複雑に生えた八枚二対の翼。明らかに少女の身体から女性の身体へと成長を遂げたその姿は、正しく吸血鬼のそれであった。
「そう。私は吸血鬼、クラリス・デティーク・ド・カリオストロ。まあ名前は幾つでもあるのだけれど、これが一番ポピュラーね。ヴラド・ツェペシュよりも遥か昔に存在していた…言わば吸血鬼のオリジナル」
異様に成長した犬歯が冷たい笑みをこぼした時に顔を覗かせる。そして先程の攻撃の際に破れて、誰もが羨む程に大きな乳房が丸見えになっていたが、クリニィが左手を一閃させただけで元の姿へと戻っていた。いや、その乳房の大きさの影響でネクタイは締められず、第一ボタンも外れたままだったが。
「あんたが…ヴラドより昔に存在していた吸血鬼…?だから、宝具の事も…」
「その通り。あれは私から発祥した習わしなのよ」
その言葉の証と言わんばかりに右手を胸に当てる。そしてそこから取り出したのは、レミリアですら一度も見た事の無い、かの聖剣であった。
「エクス…カリバー…!?」
白銀の刀身にシンプルでいて神々しさを一目見ただけで感じさせる揃え。そして密かに当時の時代を感じさせる片側だけの刃。それは正しく何千年もの昔から存在し、アーサー王が石から引き抜いたとされているエクスカリバーその物であった。
「一時期はアーサーとも呼ばれてね、この剣を正式にウーゼル・ペンドラゴンから受け継いだ、という事になっているけど…おかしな話よね。クレオパトラの時にこの剣をこの身に受け入れ、もう使う事も無いと思っていたのに、再びこの手に戻ってくるなんてね」
アーサー、ウーゼル、そしてクレオパトラ……どれも歴史の教科書に出てきても何ら不思議ではない名前が連なり、その全てが目の前の吸血鬼ただ一人であるという事に戸惑いを隠し切れなかった。だが何が可笑しいのか、レミリアはすぐに小さな笑い声を上げ始めた。
「…?何を笑っているの?」
「ちょっとね、今までのあんたの謎が、こんな簡単に明らかになるなんてね…初めて会った時、あんた私に壁に叩き付けられたでしょ?」
無言。だがそれに構わずレミリアは続ける。
「謎と言えば、あんたの異常な身体能力や再生能力もそうだけど、一番はそこよ。私はあんたを壁に叩き付けた。その時の壁は紅色だったけど、あれは、全部あんたの血の色だったのよ。それこそ瓦礫の全ての隙間を埋める程にまでの出血。パチェの趣味でね、あの図書館に紅い壁は存在しないのよ。あれだけの出血をしながら、生きていられる存在は少ない…それこそ、吸血鬼でも無い限りはね…それを今、私は証明した訳よ。それに…」
そんな事はどうでもいいとでも言う様にレミリアはスペルカードを腰のカード入れから取り出す。
「そんな話を聞かせてどうしたいの?私はそんな話、聞かせて欲しいなんて一度も言ってないのだけれど?そして、もうあんたに喋らせる気は全く無いわ!」
スペルカードをいつもの様に発動し、同時にレーヴァテインも解放する。しかし、それを扱うのはレミリア本人では無かった。
「禁忌[フォーオブアカインド・シスターズ]!」
フランドールのスペルと同じく三人の分身が現れる。しかしその姿はレミリア本人の姿ではなく、フランドールの姿を紅い魔力で最低限再現しただけのものだった。そしておもむろにレミリアがレーヴァテインを上に放り投げる。するとレーヴァテインが四つに分裂し、フランドールの手に握られるとその全てが本来の力を取り戻したかの様に激しい炎を吐き出し始めた。
「…へぇ…」
「この子達はその姿と引き換えに、本人と同等の戦闘力を持っているわ。当然宝具の解放も可能という訳よ!」
最低限の説明を終え、すぐにいつものグングニルを発現させてから宝具を解放した時と同じ、魔力の鎧を纏う。そしてそれに合わせてフランドール達もレーヴァテインを解放し、背中の七色の翼が一つ残らず炎の剣を吐き出した。
「あんたも同じ吸血鬼なら、殺し方は心得てるわ!ついでに、私はヴラドの血は引いてない!」
フランドール達と共にクリニィへと襲い掛かる。まるで議事堂ごとクリニィを塵にする様な猛攻だが、レミリアがまたも至近距離でグングニルを放とうとした瞬間、宝具を解放してもいないクリニィの魔力の爆発が全てを吹き飛ばした。
「くっ!?」
「言い忘れてたけど、私の能力は『星の力を操る』事。つまり、この地球の活動エネルギーを全て自らの魔力に変換して扱う事が出来るのよ。そして、私の魔力を使って天変地異を起こす事もまた然り……その為に賢者の石と、貴女達の宝具が私の魔力の増槽として必要という訳」
シスターズが体勢を整えるのを待つ様に余裕の笑みを浮かべて説明する。それは自身の力に対する絶対の自信の表れであり、同時にレミリアとシスターズを同時に相手しても確実に勝てるという余裕の表れでもあった。
「ああそう。だったらあんたを根負けさせるまで、何度でも立ち上がって見せるわ」
宝具の魔力解放を維持しながら立ち上がり、今度は武器を生成する筈の魔力を四肢に纏わせた。
吸血鬼を殺すには幾つかの方法がある。その代表例として白木の杭を心臓に打ち込まれる事と、銀の武器を使われる事である。その他は力を弱める事は出来ても、根本的に息の根を絶つ事が出来ず、以前レミリアが捕まった時の様にずるずると弱った状態で引きずるだけである。
だが例外として魔力を全て失うとその回復の為に体内の宝具が魔力の補充と身体の再生を最優先で行う様になり、その間吸血鬼の身体能力は人間と大差が無くなる。そしてそれは持ち主の魔力の保有量が多ければ多い程時間が掛かり、身体能力の低下もより著しい事となる。更にクリニィはこの後世界改変を行う必要がある為、幾ら地球の活動エネルギーを魔力に変換出来ると言っても、その活動エネルギーが絶対的に有限である以上ある程度の所で使用を抑える必要がある。
レミリアはその状態になるまでクリニィと戦う気で居るのだ。最も、クリニィが未だに地球に固執していればの話ではあるが………
「…お間抜けな話ね…私が根負けする前に貴女が根負けするのは目に見えているでしょうに…」
「そんなのはハナから承知よ。でも、これは負けられない戦いなの。私達の家族を…友人達を…そして何より、私の誇りを…プライドを賭けた戦いだから!」
シスターズが身構え、レミリアも腰を落とす。相手が宝具を使う気が無い以上、魔力武器を用いた戦いになる前に近接戦に持ち込んで倒す必要がある。そうなれば互いの拳の重さで優劣が決まり、一瞬の魔力武器による一閃が勝負を分ける。ならば初めから魔力を四肢に溜め込み、攻撃の瞬間だけ実体を持たせるしかないとレミリアは結論付けた。同時に、一々魔力武器を形成して投げていたら長時間の戦闘に響くとも。
「プライド。そんな安いもので戦うなんて…愚かね…」
「あんたは知らない様ね。プライドを、最後まで貫き続けた者こそが…」
懐から龍紋の星を取り出し、コートの右胸に取り付ける。
「…最強なのよ!」



   ***



「柚咒!後ろだ!」
チルノの警告に従い、後ろを見る事無く白楼剣でスタンダード兵を一突きして倒す。しかしその瞬間にハイマニューバ兵が二人同時に柚咒へと斬りかかり、柚咒はやむなく防戦を強いられる事となった。
「くっ!」
二人同時の剣戟を白楼剣でいなし続ける。しかしそれを長く続けていては先にこちらが息切れしてしまう。そんな時にチルノが手に持っていたアイシクルソードを柚咒に投げ渡した。
「柚咒!これ使え!」
「っでぇい!」
左掌からレーザーを照射して無理矢理隙を作り、アイシクルソードを受け取る。しかし吸血鬼並の運動性能を持つハイマニューバ兵が大した隙を作る訳が無く、受け取ると同時に斬りかかっていた。しかし、戦い方は柚咒の方が一枚上手であった。
ハイマニューバ兵の剣戟を瞬時に分析して当たらないぎりぎりの空間を見つけ出して入り込み、突撃の勢いを利用して白楼剣とアイシクルソードを突き立てる。それは正しく今までに培ってきた戦闘勘とでも言えるものであり、柚咒は同時に二人倒す事に成功した。だがその程度でいちいち喜んでいる暇は無かった。
「!チルノ上だ!」
二階連絡通路で数人のスタンダード兵がチルノを狙っている事に気付き、アイシクルソードをチルノに投げ返す。そしてそのままアイシクルソードに向けてレーザーを放ち、チルノも柚咒の思惑に気付いてアイシクルソードの角度を微妙に変えていった。その結果、光の全反射に従ってアイシクルソードで進路を変えたレーザーは連絡通路の兵を全て薙ぎ倒す事に成功した。
「うへぇ…まだこんなにいるの!?」
「レミリアがあいつを倒すまでの辛抱だ!持ち堪えろ!」
そこでチルノから視線を外し、聞こえてきた足音の方向へと身体を向ける。そして最早冷凍が追いつかない扉に向けて数少ない範囲攻撃を敢行した。
「[待宵反射衛星斬]!」


   ―――――


「回霊[夢想封印・侘]!」
結良の袖口から幾つもの光弾が飛び出し、ハイマニューバ兵達を追いかける。そして少し時間を置いてから次の夢想封印を発動した。
「散霊[夢想封印・寂]!」
霊夢にしては珍しい直球勝負のスペル。それが明確な殺傷能力を持ってハイマニューバ兵達に正面から襲い掛かり、目論見通り撃墜したが幾つもの発砲音が聞こえ、それが身体に銀の弾を突き刺す前に結良は霊力の糸で自身の身体を天井から吊るし、幻想郷の中でも無いのに一時的に身体を飛行させた。
「黙らせる!上海!蓬莱!」
アリス謹製の人形達が発砲音の元へと向かって行き、即座に背後に回って手に持っている武器で頸動脈を断ち切る。だが既に用意した露西亜人形の数も二桁を下回り、上海と蓬莱も今使用した一体ずつが最後であり、その損耗度は想像する事がむしろ難しい程であった。
「はぁ…はぁ…まだなの…?レミィ…」
脚にも仕込まれた、腕部と同等の霊力刀の合計四つを発振させる。しかし幾ら肉体的に疲れる事の無い造り物の身体でも、自身を動かしている霊力を使い過ぎれば当然人間で言う所の疲労状態に陥るらしく、明らかに息が上がっている事に少々の驚きと焦りを見せながら再びスタンダード兵で見えなくなった奥へと繋がる扉を見つめて呟いた。



   ***



「はぁ…はぁ…まだ、まだぁ!」
クリニィの攻撃に破壊され、残り一体となったシスターズを魔力として己の身体に取り込む。だがその短い隙をクリニィは突き、右腕に形成したブレードでレミリアを右に一薙ぎした。
「っぐぅ!」
もう何度目か分からない裂傷を遅くなった再生を行って塞ぐ。そして傷の名残で痛む身体を捻りながら体勢を整え、その瞬間に大量の正拳突きを放ったが、既に満足の行く威力を出す事が出来ず、簡単に耐え凌がれてしまった。
「MoonLight」
カウンター気味にクリニィが魔力のブレードを再び振るい、それを躱す事が出来ずに身体を右下から斬り上げられ、レミリアの身体が後ろに倒れ込む。だがクリニィは更に左手に溜めた魔力をレミリアの顔面目掛けて容赦無く放った。
「Canopus」
「ぐぶっ!」
着弾の反動で後頭部を地面に強打し、完全にめり込むと同時にレミリアの後頭部から大量の血が弾ける様に飛び散った。そして―――――
「捕まえた」
Canopusで幾らか崩した体勢を整え、レミリアの顔面を右腕で指がめり込む程に強く掴み上げると何度かその場で回転し、遠心力をも加えて全力でレミリアを壁に投げ付けた。
「ぐはぁっ!」
今まで相手にした事のあるどの相手よりも強い力で壁に投げつけられる。その際に何があろうと背中に付けていたレーヴァテインをついに引き剥がされてしまい、以前捕まった時とは違う、解放状態のレーヴァテインが地面に突き刺さった。
「…フ…ラン……」
レミリアの身体が地面に落ちる。その姿は見るのも躊躇われる程にまでぼろぼろで、ルナサから受け継いだ服も破れていない箇所が無い程にまで破れ、擦り傷や切り傷、更には翼に穴まで開いていたが既にそれを再生するだけの魔力ももう彼女には残されていなかった。一方のクリニィは幾度もの手傷は負ったものの、その全てがその場で再生しきり、見た目にはまるで無傷の様にしか見えなかった。
「くくくく……その程度?それで本当に、貴女は吸血鬼なの?くくくく…だったら、とんだお笑い物ね!その程度の力しか持っていないのに、誇り高き吸血鬼?紅魔館の主?ハハハハハハハハっ!これじゃ、その辺の雑魚と変わらないじゃないの!」
まるで豹変した様に嗤い続けるクリニィ。そしてゆっくりとレーヴァテインに近づき―――本人ではあるのだが―――まるでアーサー王がエクスカリバーを引き抜くかの様にレーヴァテインをその手に取った。
「これで、私の夢が叶う…二千年願い続けた夢が…これで、世界を…」
暗く霞み始めた視界の中でクリニィの姿を捉える。それこそ悪役面としか言い様の無い笑みを浮かべていたクリニィだったが、何故かその目は泣いている様にしか見えなかった。
「く…そ……」
身体が重い。まるでこれは誰かの身体で、自分の身体は別の所に移されてしまったのだろうかと思う程に重く、レミリアは最早諦めてしまった心で必死に謝罪の弁を心で紡いでいた。
―――ごめんなさい、美鈴―――ごめんなさい、パチェ―――ごめんなさい、フラン―――もう、自分には打つ手が無い、と……だがそんな時、ふとある一言がレミリアの脳裏に過ぎった。
『私が居た頃の貴女様を思い出してください』
『レミィ。いってらっしゃい』
その瞬間だけ視界が明るくなり、自分の左脇に落ちていた物が目に入る。それは、咲夜が最期に自分に遺した物であり、吸血鬼を殺せる、今では最後の手段である銀のナイフであった。
「……結良……咲夜……」
咲夜の心と、結良の言葉に乗せられた想いがレミリアの身体に行き渡り、更に戦いの中で自分が言い放った台詞を思い出し、かろうじで動いた左腕がナイフを手に取る。そしてその瞬間、諦めるにはまだ少しだけ早いという実感がナイフの冷たい感触で湧き上がり、レミリアに最後の攻撃を決意させた。

―――吸血鬼の、誇りに賭けて―――

―――吸血鬼の、誇りを賭けて―――

「―――ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
痛む身体に鞭を打って立ち上がり、魔力を絞り出す為に雄叫びを上げる。それに呼応するかの様に周りに落ちた瓦礫が魔力の波によって弾け飛び、その姿を確認したクリニィがうざったそうにレミリアを見据えてからレーヴァテインを向け、何十倍もの密度の魔力の波でレミリアの魔力の波を打ち消した。。
「まだ立ち上がるの?いい加減懲りたら?」
「黙れ……それは妹の…フランの物だ…!貴様などに渡しはしない!!!紅魔郷[エンボディメントスカーレットデビル]!!!」
叩き付けられた壁を蹴って一気に接近する。その際にスカーレットデビルの魔力を放ちながらバッドレディスクランブルの要領で回転を加え、とんでもない威力を叩き出してクリニィに激突した。
「くっ!この程度じゃ意味が無い事が、まだ分からないのか!?」
「必殺[ハートブレイク]!」
懐に潜り込んだまま右手でハートブレイクを放つ。しかしそれはクリニィの顔の脇を通り、天井に突き刺さって瓦礫を落とすだけに留まった。しかしそれこそがレミリアの狙いだった。
「悪魔[レミリアストレッチ]!!!」
最初のカリスマブレイクと同じく凝縮された魔力が左手に集中する。当然クリニィはそれを回避する為に後ろに下がろうとしたが、先程落下してきた瓦礫に阻まれて下がる事が出来なかった。
「なっ!?しま―――!!」
レミリアのスペルがクリニィの胸に突き刺さり、何の躊躇も無く心臓を引きずり出す。そしてそれを目くらましとしてクリニィの顔にぶつけ、そのまま懐からナイフを無理矢理引き抜いた。
「っ!?まさかそれは!?やめ―――!」
「っ!JACK POT!!!」
左手でクリニィの顔を万力が如く掴み、放す事無く左手ごとナイフを突き立てる。その瞬間、まるで身体の中から焼かれる様な痛みが二人の全身を襲い、レミリアは思わず絶叫した。更に先程のハートブレイクが水道管か何かを傷付けたのか、大量の水が降り注ぎ、そして―――――

   ―――――これで、全て終わるというのか―――――

その言葉が頭に響いた直後、レミリアの意識は完全にブラックアウトした。



   ***



―――なんだ、これは…?
目を閉じれば完全な暗闇。しかし、目を開ければ完全な白。全く距離感の掴めない空間で、極めつけは無重力と来た。
「ここは…?」
「一体…?」
続け様になる様に二人の声が響き、吸い込まれる。そして自分の他にもう一人居るという事実に互いに酷く驚き、そして即座に身構えた。
その声は、ついさっきまで互いに聞いていた物で、互いに殺し合っていた者の声だったからだ。
「クリニィ…いや、クラリス!?貴様、何故ここに…!?」
「それはこっちの台詞よ、スカーレットデビル!でも、事態はどうやらそんな事を言っている場合じゃない様ね…」
先にクリニィが構えを解き、それに倣ってレミリアも構えを解く。
「事態…どういう事だ?」
レミリアの至極当然の疑問にクリニィが手を突きだして制する。
「気を立てる前に私の話を聞きなさい。私の記憶が正しければ、確かにあの時私は貴女に銀を打ち込まれて死んだ筈。しかし、こうして意識を保ったまま、謎の空間に貴女と共に居るとなると、ある一つの仮説が立つわ」
「仮説…だと…?」
「ここは貴女の精神世界。恐らく最後の一撃の際に私の精神が貴女の身体の中に流れ込み、此処に至ったんでしょうね。そして現実世界では、私の身体は既に使い物にならなくなってる筈…そうね、ついでだからちょっと私の話をしましょう。貴女に話していない事を…ね」
―――話していない事…?
そう言ってクリニィがおもむろに背中を向ける。攻撃する絶好の機会であったが、先程までの戦闘状況から推測するに例え今不意打ちを仕掛けても返り討ちに遭うのが関の山だとレミリアは判断してそのままクリニィの言葉を待った。当然、そこには己のプライドが不意打ちを許さないという考えもあったからでもある。
「私が最古の吸血鬼であるという事は話したわよね?私は紀元前から今に至るまで、ずっと貴女の居た箱庭の外に居た。自身の力を隠し、人に擬態する為にわざわざエクスカリバーを自らの意思で手放した…それは、人と違いいつまでも生きている事による哀しみの積み重ねに嫌気が差したからよ」
真っ白だった筈の空間にいきなり景色が付き、幾人もの人間が争う姿が映し出される。彼女の仮説通りなら、精神世界だという事を利用して自らの記憶を投影したのだろう。その証拠に球体モニターの中身に居る様に、不自然な景色しか映し出されていない。
「私はその時代時代の夫と共に国政を尽くした。しかしいつまで経っても争いは絶えず、憎しみが憎しみを呼ぶ負の連鎖に囚われたまま…それは数千年も続き、今も尚戦い方が近代的になった以外に何も変わらず続いている…そこで私は思いついた」
紀元前から現代に至るまでの争いの映像が切れ、幾人ものクリニィ私兵達―――どことなく武士を彷彿とさせる高機動装備を施したハイマニューバ兵…順当に装甲化し、汎用性を最優先した装備のスタンダード兵…重量度外視で装甲化と高火力化、マッスル化を図ったヘビーフィティング兵―――の統一規格化されたヘルメットと装甲バイザーを装備した姿が映し出される。
「私自身が世界共通の敵となり、手を取り合った世界の人々によって討ち倒される。そうすれば人々は互いを敵として認識する必要が無くなり、今度こそ本当の平和を作りだす事が出来ると…」
「―――そんな事が本当に可能だと…?」
―――討ち倒される為に世界を破壊したと…?世界を平和にする為に世界を…?
「賛同してくれた者達も居る。事実私の私兵達は皆賛同者で、世界から社会不適合者の烙印を押された者達も居る…特にハイマニューバ兵達は…彼女達は自らの身体が破壊されるのを承知で薬物による肉体強化を受け入れてくれた…皆、争いの無い世界を欲していたから…しかし、それらを貴女が全て台無しにした…!」
台詞の終わり際に初めてクリニィが怒気を込め始める。
「霊烏路空を使って箱庭を内側から破壊する事は容易だった。渚結良…いや、博麗結良を事実上の人質に取って八雲紫を押さえつける事もどうにか出来た…封印呪石を使って貴女を機能不全に陥らせれば、いつでも箱庭再建の鍵である、現行最後の博麗の巫女候補である結良を破壊する事が出来ると…そして確実に封印呪石を貴女に埋め込む為に紅美鈴を殺し、フランドール・スカーレットにも保険として気絶した状態で封印呪石を埋め込み、パチュリー・ノーレッジを誘拐した」
「なら、パチェはただの餌だったとでも?」
クリニィ私兵の映像からパチュリーと賢者の石の映像へと切り替わる。
「賢者の石に関してはそうでもないわ。再度の世界改変の為に賢者の石が生み出す魔力が必要だったし、貴女達姉妹の宝具もその為に必要だった。でもまぁ、確かにパチュリー・ノーレッジ本人はただの餌だったわね…しかし私は一つの誤算をしていた…」
再び映像が切り替わり、フランドールが映し出される。
「図書館での死闘、あそこで生き残るのはフランドールだと思っていた。彼女には破壊の能力がある上、五五〇年もの軟禁生活故に私が始末する時は容易くなるだろうと…だが結果は―――」
―――私が、生き残った…フランのお蔭で…
「貴女という結果から、私は総合的な戦闘能力は貴女の方が上ではないかと判断して計画を修正した。ここまでなら別に誤算でもなんでもなかった。本当の誤算は、貴女に同調する者達が現れた事よ」
博麗結良、竹内柚咒、チルノの三名が映し出される。
「八雲紫を縛る要である結良が貴女に同調し、更に竹内柚咒とチルノという戦力まで加わり、それを防ぐ事が出来なかった。八雲紫にしてやられたわ。境界術を使って完璧な偽情報をこちらに送り込むなんて…スタンダード兵を派遣しなければ最後まで気付けなかった」
―――私が暴れ回る原因になった、あの時の私兵達か…
「そして最終的にはこの有様…私の計画は最終段階で失敗する事になった…そう、貴女のせいで…!」
映像が完全に途切れ、一度暗転してから再度真っ白の空間へと戻る。それに合わせてクリニィがレミリアへと振り返った。

「個人的な決着を付けましょう!スカーレットデビル!現実側の、貴女の身体を賭けて!」

議事堂内部の時の様に正面から正対する。奴は始めから何も武器を使っていなかった。しかし自分は様々な武器を使用してようやく彼女を討ち取った。それが今は無い…幾ら戦いの傷がいつのまにか癒えているとはいえ、恐らく正面からの打ち合いでは勝ち目は無いだろう…しかし―――――
―――やるしかない…!
小悪魔の物としか思えない声に顔。そして頭の小さな羽に、その体躯に若干不釣り合いな程の大きな乳房…そして、八枚二対という複雑な形状をした吸血鬼の黒い翼…一対しかない自分のごく普通な翼―――つまりは魔力の強さの簡易的なインジケータ―――…その姿を目に焼き付ける様に見つめてから、レミリアはクリニィより先に動いた。
自らの魔力を全面開放して、四肢に黒い魔力の鎧が纏われる。その状態で最速最強の拳をクリニィに打ち込んだが、クリニィはこれをいとも容易く回避して脇腹に拳の数倍以上の速さと重さの鋭い蹴りを突き刺した。
「っ!!!」
文字通り声が出ない程の激痛と衝撃が襲い、一瞬で遠方へと吹き飛ばされる。しかし体勢を立て直してもクリニィの左手から青白い魔力が立ち上がり、回避が間に合うかどうかなどと言う次元以前の速さでレミリアに突き刺さった。
「ぐぅっ!?」
カァオ!という耳に突く音が届くよりも速く、反射的に回避行動を起こしたレミリアの左肩を徹甲弾状の魔力が撃ち抜き、五十口径BMG弾の直撃を頭に受けたかの様に砕け散って肉片と骨片がばら撒かれる。更にはそれをまるでハンドガンを連射するかの様に軽々と連射し、次々とレミリアの身体に突き刺さって更なる肉片と骨片をまき散らし、時々腕や脚が引きちぎれて吹き飛んで行った。
―――勝てない…ここまで一方的に蹂躙されたのは初めてだ…
側頭部を掠めた魔力の弾が直撃していないにも関わらず肉と骨を抉り、左目ごと削り取られる。
―――議事堂中央ホール内での戦い…あの時クラリスは私兵達を気にして、全く本気を出していなかったのか…
クリニィからの更なる魔力の弾が撃ち出される。その軌道は間違いなくレミリアの頭を狙っており、今度こそ食らえば投了であった。
―――私一人じゃ勝てない…誰か―――助けて―――


≪なら、私達含めた四人なら?≫


「!?」
頭を撃ち抜く筈だったクリニィの弾がレミリアの正面で弾かれ、青白い魔力となって霧散する。
「―――何…が―――?」
「あれは…シールド!?私のカノープスを防ぐなんて…!?」
生き残った右目を使ってどうにか状況を確認する。そこにはバイオリン、トランペット、キーボードの三つによって形成された魔力のシールドがあり、更に四角い謎の匣を後ろに使って立体正三角形を形成して全方位を覆っていた。
―――何…これ…?
≪私達が攻撃を防いであげる!リリカがこっちに居ない分、余計に張り切っちゃうよ!≫
≪にしてもアレはすごいな…何発も受けたらと思うと…テンションだけ下がる。行くよ二人共≫
―――プリズムリバー…
「―――!よしっ!」
頭に直接響いてくるプリズムリバー四姉妹の長女と次女の声から、自分に起きている事態を理解したレミリアが引きちぎれた四肢をミゼラブルフェイトで無理やり回収、繋ぎ合わせ、欠損部分を魔力の鎧で補填してから再度クリニィに肉薄する。
「ちぃ…小賢しい真似を!」
右手に溜めた青白い魔力が剣を形成し、クリニィが近接戦を挑んでくる。それに対抗する様にレミリアも右肘から幾度も使用している紅い魔力剣[ソード・オブ・テルヴィング]を発生させて肘打ちをする様にクリニィの魔力剣と競り合った。だが、レミリアの方が格段に力を入れやすい攻撃方法の筈なのに完全に競り負けていた。
「ぐぅ…!」
「近過ぎてシールドが機能してないようね?そしてその紛い物の剣も、私のムーンライト程の力は無い…貰った!」
一度レミリアを弾き飛ばしてから一回転して胴を薙ぐ。その瞬間に距離を取って躱そうとしたが、刀身からカノープスと呼ばれた魔力弾の様な光波が飛ばされ、シールドの再展開が間に合う前にレミリアの胴へと直撃し、胴を両断した。

筈だった。

≪おいおい、私達を忘れて貰っちゃぁ困るよ。同じ鬼なんだし≫
「―――これは…?」
完全に切断されたと思っていた胴には軽傷程度の裂傷しか無く、腹部に筋力という名の自然の鎧が出来上がっている感覚があった。
―――これは、疎密の力…?
≪近接戦なら私達の本領さ!見せてやんな勇義、怪力乱神の力を!≫
≪おう!私の能力があれば文字通り百人力だよ!いや、百鬼力か?≫
萃香と勇儀の声が頭に響くと共にとんでもない程の物理的攻防性能が自らに宿った事を実感しつつ、しかしレミリアは戸惑うクリニィを目の前にして動かなかった。

既に、彼女には確信があった。

―――そういう事か…なら美鈴。居るんだろう?
≪お呼びですか!?お嬢様!≫
案の定、心内での呼びかけに美鈴が応じる。
―――美鈴、既に死んだ貴様に最期の命令を与える。私に、拳打を用いた戦い方を教えろ…!
≪御意!時間がありませんので質問無しで私の言う通りにしてください!私を信じて!≫
―――無論だ。そうしなければ奴には勝てん!
「行くぞ、クラリス!」
かつて鬼神が行った怪力乱神と引力斥力を組み合わせた攻撃を応用し、自らの筋力の限界を超えた速さでクリニィに正面から突っ込む。
「わざわざシールドの機能しない近接戦…!?何を考えている、スカーレットデビル!」
美鈴達との会話は彼女には聞こえていないのか、自ら接近してきたレミリアを回避する様にクリニィが距離を取り、カノープスを再び連射する。しかしその全てがプリズムリバーによるシールドによって弾かれ、まるで意味を成していなかった。
≪拳打という物は実は殴り、蹴り飛ばすものではなく『打ち抜く』ものなんです。だからここは相手が接近戦を挑んで来るのを待って―――≫
「ちっ!ならムーンライトで…!」
カノープスが無効化されている事から近接戦しかないと踏んだクリニィが再び剣を形成して接近してくる。
≪相手の内側に入る様にして身体の線中線上を―――≫
袈裟斬に振り降ろされたムーンライトを左腕の魔力の鎧を利用して内側に入り込む様に防ぐ。そして―――
≪―――打ち抜く!≫
「だぁっ!」
再度鬼神と同じ要領で拳の威力を底上げしてクリニィの線中線上―――顔面の真ん中を『打ち抜いた』
「ぬあっ!?」
流石に萃香と勇儀の力を合わせた攻撃は堪えたのか、大きく仰け反ってから顔を抑えて頭を垂れる。そしてその瞬間をレミリアと美鈴が逃す筈が無かった。
≪踵落としは足を上げるのではなく、自然且つ限界まで上に『伸ばす』んです。そこから身体のバネを利用して―――≫
いつもより相当上に足が上がっている事に若干驚きつつもクリニィの後頭部に狙いを定める。
≪―――打ち抜く!≫
「はぁっ!」
最早常套手段となった威力の底上げを行いつつクリニィの後頭部を打ち抜く。無重力空間故に何度も身体を回転させながら下に落ちていくのをクリニィが自力で立て直し、右手に今までに無い―――色が青白から緑に変わる程の―――議事堂内で自分中心の爆発にも使用した圧倒的なまでの魔力を溜めこみ始めた。
「―――負けられない…私に協力してくれた彼等の為にも…貴様如き弱小吸血鬼などに…負けられない!」
「私だって負けられない…皆の為に…パチェの為に…!」
クリニィに対抗する様に左手に紛い物のグングニルを生み出す。当然それ単体では確実に力負けしてグングニルが砕け、プリズムリバーのシールドでも耐えられない彼女の攻撃によって躱す前に消滅させられる事をレミリアは理解していた。そして同じ様に、力を貸してくれる存在が居る事も理解していた。
≪お姉様…私を使って…≫
―――フラン…私は駄目な姉ね。護る為に軟禁しておきながら、二度も妹を犠牲にするなんて…
≪いいのよ。貴女は私のお姉様で、私の誇りなんだから!≫
左手から生み出したグングニルがフランドールのレーヴァテインを取り込み、左腕を貫通する様にセッティングされながら身体を補填していた魔力の鎧がはじけ飛んで内側からフランドールの身体が盛り上がって欠損部分を補填する。それと同時にフランドールのサイドテールが生え、背中の翼もレミリア自身の翼の下からフランドールの翼が出現した。当然それに合わせてグングニルに込められていく魔力も爆発的に増大する。しかしそれは最早反動制御を考慮していない領域であり、放てば自分も砕け散る程の量と密度であった。
だからこそ、彼女は最も信頼できる存在を呼び出した。
―――咲夜。私の身体をお前に預ける。なんとか持たせろ。
≪承知致しました。御武運を…≫
最早語る事も無い。咲夜による加護に絶対の信用を持ったレミリアが迷う事無く大きく形状を変えたグングニルをクリニィへと向ける。その髪に金のサイドテールと銀の三つ編みを垂らし、紅い右目と蒼い左目で仇敵を見つめながら………
「貴様に、私の夢は渡さない!EXUSIA!!!!」
「貴様に、私達の幸せは渡せない!七重奏[セプテット・グングニル]!!!!」
完全に爆音以外の何物でもない発射音が二つ同時に響く。そして、その場に残ったのは―――――










―――――反動で吹き飛ばされた、レミリアだけであった。










―――終わった…何もかも………
左腕の感覚が無い…形は保っている様だが、自力で動かせない。そもそも、身体そのものが上手く動かせない。
―――ようやく、全てが片付いた。それに、私の記憶が正しければ奴に銀を打ち込む時に自分の手ごと貫いた筈。どうせ、長くは持たない…パチェを出してやる事は出来なかったけど、結良達なら…任せてもいいか………
『いいえ、貴女様はこちらに来てはいけません』
―――咲夜?
目を開ける。するとそこには自分の身体から抜け出ていく咲夜の…いや皆の姿があり、レミリアは反射的に右手を伸ばしていた。
―――皆…みんな…!
『お嬢様、今度こそ私達はお先に失礼させて頂きます』
―――いや…いや!私も貴女達のところへ行く!私だけを置いて行かないで!私を独りにしないで!
命を散らした者達の元へ急ごうともがく。しかし未だに身体の感覚が戻り切っていない状態では移動する事もままならず、その場でじたばたするだけに終わっていた。
―――お願い!待って!寂しいのはもう嫌なの!お願い!!!
『お姉様も、まだ独りじゃないでしょ?』
そう言ってフランドールが指さした先―――自らの背後へと振り向く。しかしその瞬間に背後に居た者によって左腕を、全くの突然に引きちぎられた。
―――っ!?何を…!
『あんま世話焼かせないでよね。私だって、まだ向こうに逝けないんだから』
―――霊夢…?
左腕を引きちぎった張本人である霊夢が呟く。それと同時に引きちぎられた左腕が見る見るうちに結晶化して行き、レミリアに残された部分は全く結晶化していなかった。
―――あ………
『さ、行くわよレミリア』
―――…あ、待って!フラン!せめて貴女だけでも…!
金のサイドテールや銀の三つ編み等が剥がれ落ちながら、もう一度右手を伸ばす。しかしそれを嘲笑うかのように皆の身体が光となって消えていき、レミリアが掴んだのはフランドールの帽子だけであった。

『さようならお姉様…幸せになってね!』



   ***



「ぅ……フラン……」
「あ、レミィ!私が分かる!?」
ゆっくりと目を開ける。まだいまいち回復しきっていない視界の中、レミリアはよく見慣れた大切な友人の顔を正面に捉え、か細い声でその名前を呟いた。
「…結良…」
「レミィ…ええ、そうよ!そうよ!」
レミリアを抱き上げて泣き声を上げる結良。そこでようやくレミリアは右手に帽子を握っているという事に気付き、次にその異様な暑さと光景に自身の感覚を疑った。
「暑い…それにこれって…」
真夏を感じさせる暑さと湿気。自分の目に視えるあらゆる物事の運命。そして至る所に植物が生い茂り、白い建物であった筈の国会議事堂が緑に覆われていた。日光を感じないのは木陰に居るからか。
「レミィがクリニィを倒した後、世界に自然が戻ったのよ。残念ながら死んだ人は生き返らなかったけど、これだけ自然が戻れば必ずやり直せる…!」
結良がレミリアの身体を支えながら事情を説明する。そこまで来てレミリアは何故銀を受けてなお自分が生きているのか気にかかったが、それを見越した様に仲良くチルノと共に木に背を預けて座っている柚咒の声が耳に届いた。
「しかしこの野郎、無茶しやがって…私が機転を利かせて左腕を斬り落とさなかったら死んでたぜ?お前」
「…ああ、成程…」
そこで夢の中の現象と、今自分が生きている事に納得する。そして未だに本来のテンションが戻らないまま結良に一番の心配事を訊いた。
「そういえば結良…パチェは…?」
すると結良はただ温かな微笑みだけを返し、レミリアの身体を後ろに向けた。
「…パチェ…?」
「お久しぶりね、レミィ…」
そういえば目を開けた時、誰かに膝枕をされていたという事を思い出す。だが結良は自分の左側に居て、柚咒とチルノは木にもたれている。となると一人しか膝枕を行える存在はおらず、その人物、パチュリー・ノーレッジが今、レミリアの目の前に居た。
「助けてくれてありがとう、レミィ」
「パチェ…パチェぇぇぇ!!!」
パチュリーに抱きついて泣き叫ぶレミリア。その感動の再会に結良も思わずもらい泣きをし、柚咒とチルノも微笑まずには居られなかった。

だが―――――

「見つけたぞ…スカーレットデビル…!」
「!?」
突然聞こえた声の方向へと結良が銃―――スタンダード兵が装備していたアサルトライフル―――を向ける。そこには全身ボロボロでヘルメットも装甲バイザーも破損している、スタンダード兵と呼ばれていた男の姿があり、木に寄りかかりながらも右手でハンドガンをレミリアの眉間に向けていた。
「よくも…彼女を…クラリスを!」
「お前等しつけーぞ!」
柚咒も白楼剣を抜いて戦闘態勢を取り、チルノがその身体を支える。しかし―――――
「皆、待って。結良、肩貸して…」
「レミィ…?」
アサルトライフル下部のAgブレード基部から左手を離してレミリアの手を引いて肩に回し、自分の身体にもたれ掛けさせる。
「…事情はクラリス本人から聞いた。本当に、済まない事をしたな…」
「うるさい!」
発砲音。45口径ACP弾がレミリアの頬に直撃し、骨は逸れたものの血と肉片を撒き散らした。しかしそれに動じる事無くレミリアは自分の意思で膝を突き、手を突いて頭を下げた。
「お前達を受け入れてくれたのは、奴だけだった。そして私達が、お前達の最後の居場所をも奪った…謝る。そして提案させてもらおう」
下げた頭を上げる。
「お前達を、私達の故郷である幻想郷へと受け入れたい。この世界を追われた者達の樂園…それが幻想郷。受け入れてくれるか…?」
その言葉を聞き、暫く硬直する。そしてついには銃を構えていた腕を降ろし、持っていた銃そのものを手放してその場へと座り込み泣き崩れた………



   ***



「それじゃ、私達は帰るわね」
レミリアの調子が戻った後、夕暮れになるのを待ってから結良は柚咒にそう言った。結局柚咒とチルノは外の世界に残る事になり、幻想郷にはレミリア、パチュリー、結良の三人が戻る事となった。
「でも、柚咒はともかくとして、チルノもいいの?」
「うん。これだけ自然が戻ったんなら、もしかしたらみんな戻ってきてるかもしれないし。それに、柚咒と一緒なら何でも面白そうだから」
昔と比べ、随分と大きくなった胸を張って答えるチルノ。その溌剌とした性格は間違いなくチルノの物で、どれだけ成長しようともこの魅力だけは変わらないなと結良は思った。
「結良、そろそろ行くわよ」
黒い杖の姿に戻ったレーヴァテインを背につけ、結良が最低限修繕した服を着て呼ぶレミリア。結良もすぐにレミリアの元へと向かったが、呼び止める声が響いた。
「あ、おいレミリア!忘れ物だ!」
と言って鞘に納めたままの白楼剣を差し出す柚咒。だがレミリアは柚咒と正対するととんでもない事を口走った。
「やるわ」
「…は?」
「それは私の物じゃないから、ちゃんと自分で持ってなさい。それにそれの持ち主は冥界に住んでるし」
完全に困惑する柚咒。その様子を見かねたレミリアが少々苛立ちながら分かりやすく言い直した。
「死ぬまで貸してやるわ。それで、死んだら冥界まで自分で返しに行きなさい」
そう言われて納得し、頷く柚咒。レミリアもすぐに踵を返し、もう振り返る事は無かった。



   ***



「さて、結良はどうするの?帰った後」
歩き出して暫く、暇つぶしにでもとレミリアが結良に訊いた。特に意味は無い。
「私は…まず幻想郷を再建しようと思うの。マスターはその為に私に彼女の力を与えたのだから」
そして歩きながら残った三体の人形を取り出し、続きを話し始めた。
「マスターの人形も、この上海と蓬莱だけになっちゃったし、私の露西亜人形もこの一体だけになっちゃったから、再建した後は…マスターの意思を継いで、人形師になろうと思うわ」
そこで二人に満面の笑みを浮かべる結良。その笑顔は霊夢の物にも似ていて、尚且つアリスの物にも似ていた為に、渚結良というただ一人の笑顔を作り出していた。
「へぇ…とてもいいと思うわよ。それ」
その笑顔に微笑みを返し、レミリアは次にパチュリーに今までどうしていたのかを訊く事にした。こちらも意味は無い。
「パチェは捕まっている間、どうしてたの?」
「私?」
すると突然顔を少しだけ赤らめ、何かを恥ずかしがる様な仕草を取るパチュリー。そして意を決する様に視線をレミリアの目に合わせると、やや戸惑い気味に話し始めた。
「…夢を、見ていたわ」
「夢?」
「ええ…一人の誇り高き吸血鬼が、大切な友人を助ける…夢…」
そこで結良が少しだけ笑い、レミリアは当たりくじでも引き当てたかの様な笑みをしてパチュリーに続きを促した。
「興味深いわね。詳しく聞かせて貰おうかしら」
「仕方ないわね。いいわ、話してあげる」
そしてパチュリーは帰路についている間、ずっと二人に話し続けた。永遠に幼き紅い月の二つ名を持つ、誇り高くも心優しい、一人の吸血鬼の物語を………



   ***



『……あんたか……』

―――こんばんわ、お久しぶり。

『わざわざこんなところに来るなんてね。上海、客人よ。もてなしてあげなさい』

―――いいえ、結構よ。ところで、訊く必要は無いと思うけど、それは…?

『答える必要は無いと思うけど、私の…大切な家族が、ここに永眠っているわ…』

―――大切な、家族、か……




   ***



「…リー。メリー!どうしたの?」
目を開ける。そこには親しき友人にして我らが秘封倶楽部の部長、宇佐見蓮子の姿があり、電車特有の等間隔刻みで揺さ振られる身体と痛みを訴える首から自分は寝てしまったらしいという事をメリー―――マエリベリー・ハーン―――は寝ぼけた頭で思った。
「ぅ、ん……ああ蓮子、どうしたの……?」
「それはこっちが聞きたいわよ。貴女、なんで泣いてるの?」
「え…?」
言われて頬を手で覆う。すると指の先に液体が付着する感覚が伝わり、その時に初めてメリーは自分が泣いていたという事に気付いた。
「どうしたの?なんか変な夢でも見たの?」
「…いいえ、ちょっと懐かしい夢を見たから、それかも」
涙を拭ってからそう言って微笑む。蓮子もその顔を見て素直に退いたが、メリーが見た夢は懐かしいものでは無かった筈だった。
暗い部屋、紅い壁、一冊の紅い本を読む背中から翼が生えた一人の少女、そしてそれぞれ楽器、星型、ナイフ、剣、御札の装飾が施された十字架の墓達……あれは一体なんだったのかと思いながら心のどこかでは懐かしい夢だと感じている事にメリーは戸惑っていたが、それを悟られない様にすぐに蓮子に疑問を投げかけた。
「それで、なんで私達が今岐阜に向かってるのか、まだ私は何も聞いてないんだけど?」
「ああ!そういえばそうだったわね!」
自分で言い出した事だろうにと思いながらややジト目気味にメリーは蓮子が何かを鞄から取り出す様を眺めていた。
「あった!はいメリー、メリーはこれ読んだ事ある?」
そう言って蓮子がメリーに見せた物。それは児童達が読む様な薄い童話の本であった。
「『あかいあくま』…そりゃあるわよ。吸血鬼の女の子が旅をして、その道中で様々な出会いをしていくっていう話で…確か原作が『Remilia Septet』っていう著者不明の御伽噺よね?出自は完全に不明だけど、恐らくフランスが発祥だろうって言われてる…ていうか原作も読んだ事あるし」
「そこまで知ってるんだ……まぁいいわ、メリーも知っての通り、この『あかいあくま』の原作の『Remilia Septet』はフランスで書かれたと言われているが確たる根拠は無く、著者は不明…でも私は『Remilia Septet』はフランスでは書かれていないと思うのよ。書かれた場所は正しく此処、日本!」
声高にそう言い放つ蓮子。しかしメリーは蓮子が次の言葉を発する前に手を突き出しながら反論した。
「ちょっと待って、なんで『Remilia Septet』が日本で書かれたと思うの?あれは外国語で書かれていた筈よ?」
「いい質問ねメリー。じゃあ逆に訊くけど、メリーは『Remilia Septet』を読んだ事があるのよね?それは何語で書かれていたの?」
「そんなの…英語だったわよ。それのどこがおかしいの?」
頭に疑問符を浮かべながら答える。そして蓮子はすぐに自身の推論を述べ始めた。
「そうよ。そしてフランス発祥の英語で書かれた御伽噺は少なからず存在する。でもその全てが何らかの理由で英語「しか」書けない人達なのよ。しかもそんな人達は皆、記録に残って当たり前の時代に御伽噺を書いている。まあ流石に三百年以上前の物とかもあるけど、せいぜい十九世紀よ?二十二世紀初頭、今となっては著者不明の作品は『Remilia Septet』しか存在してないの。そしてフランス発で英語で書かれた御伽噺は、十九世紀以降に書かれた物しか残っていない。更にあまり古いとフランス語の御伽噺しか書かれていない。なのに『Remilia Septet』は著者不明且つ英語の御伽噺で何時書かれたのかも分かってない。この時点でもう『Remilia Septet』のフランス説は完全に怪しくなるのよ!」
うなぎ上りのテンションに合わせて大きくなる蓮子の声。そして同時に勢いよく顔をメリーの側に突き出したせいで飛んだ唾が幾らかメリーの顔にかかっていた。
「分かったから顔近すぎ…唾かかってるって…」
「めんごめんご。それで、発祥の地が何処なのか完全に分からなくなった『Remilia Septet』だけど、私には日本の何処かの見当もついてるのよねぇ…」
顔を離してまともに席に座りなおしてからもう一度鞄の中を漁る蓮子。そうして出てきたのは紅い表紙に黒で題名が表記された一冊のハードカバーだった。
「はいメリー、これ読んで」
「『Remilia Septet』…日本語訳版ね。私が読んだのは原版だったけど」
そう言いながら蓮子からRemilia Septetを受け取り、ページを開いて読み始める。
「…≪長い夢を見ていた。いや、正確には長い夢を見ていた気がする…分かっているのは私は彼女達の顔をよく覚えていない事、彼女達は私のかけがえのない友人達であったという事、そして、その中の筆頭の吸血鬼が“Remy”と呼ばれていたという事だけである。これは、そんな私の夢だったかもしれない噺である≫…」
「それは冒頭の台詞ね。アニメ化もされて今や小学生でも知ってるわ」
蓮子がどこかの教授の様に指を宙で回転させる。そんな蓮子の様子を気にする事も無くメリーは一度本を閉じ、反対側から開いて著者のあとがきに目を落とした。

―――これは私が見た夢である。その為、この物語はフィクションの筈である。しかし私には、これがただの夢だとは思えないのだ。夢の中で“Remy”と呼ばれていた吸血鬼…奇しくも私の実在する友人の愛称と同じ名前である。後の三人については、どんな人物だったのか…最早よく覚えていないが、彼女達も私の実在する友人達によく似ていたと思う。その事から、私はこの本の題名に彼女の名前を冠し、私を含めた物語の中心人物の人数に因んで七重奏、セプテットと名付けさせてもらった。レミリアセプテット…彼女が奏でた七重奏…さしずめ『哭き王女の為のセプテット』と言ったところだろうか。私はこれが遠い未来、あるいは遥か昔に起きた、ノンフィクションであると思っている。いや、私は信じたいのだ。この物語がただの御伽噺ではなく、実際に起こりえた心温まる出来事であったのだという事を。   P.K―――

「……それで、幾つもの戦闘描写から私はこれは主人公達が岐阜から東京まで向かったと思った訳で…って、ちょっとメリー聞いてるの?」
「あ〜はいはい聞いてたわよ。つまり蓮子はこれが岐阜から発祥したと言いたいんでしょ?」
「何よ、ちゃんと聞いてるじゃない」
蓮子の言葉を軽く流しながら考えるメリー。今自分達が向かっている先が岐阜県である時点で蓮子の最後の言葉はすぐに予想出来たが、メリーにはイマイチ納得出来ない事が幾つもあった。
―――P.K―――Patchouli Knowledge―――最後のイニシャルを見た瞬間に浮かんだ名前…聞いた事が無い筈なのに酷く懐かしく感じる名前。そして、夢の中で少女が読んでいた紅い本…あれはもしかしたら、正しくこの本だったのでは無いのだろうか?彼女の友人が書いた、彼女の物語。そう考えるなら、彼女がこのP.Kの友人、Remy…その名前は―――
「―――“Remilia Scarlet”―――」
「ん?何か言ったメリー?」
「いいえ、何も…」
そう言って窓の外を見る。既に琵琶湖を通り過ぎている為か、どこを見ても必ず最後には山の連なりが見える風景に少々物珍しさを感じながらメリーは蓮子の言葉を華麗にスルーし続けながら流れていく風景を眺め続けていた。



―――――世界は…とても平和だ―――――











                  哭き王女の為のセプテット 〜 Scarlet revenge

                                        −完−



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