「もう一度行くわよ!柚咒!」
東海道を歩き続けて一週間以上。暗澹たる雲が空を支配し始めて久しくなった頃、結良と柚咒はレミリアと共に先を急ぎながら突貫修練を行っていた。その理由も単純明快、確かに白楼剣は単体でも強力な刀である。しかし人の迷いを断つというその性質の関係上生身の人間に対しての攻撃力は恐ろしく低く、特に切れ味の悪さは死活問題となっていた。そこで結良が即興考案し、今修行をつけているのが、かつての冥想斬をより簡略化したものを常に発動するというものだった。
「ていっ!」
結良が落ちていた瓦礫片を柚咒に向けて投げつける。柚咒も白楼剣を一気に引き抜き、白楼剣の力を利用して霊力を刀身に宿してから迷わず唐竹に振り下ろした。すると僅かに蒼色がかった刀身が瓦礫片を両断し、更に立て続けに投げられた瓦礫片も一刀の下に斬り伏せた。
「行くぜ!」
踏み込みの勢いのまま一気に前進する。そしてその場で高く跳躍した結良を無視して背後にあったビルの残骸を完全に一撃で両断した。
「…おっしゃ…出来た…出来たぜおい!!」
綺麗に横に両断された残骸を見て柚咒が喜びの声を上げる。結良も地面に着地した後、綺麗に斬られた痕を見て感心の息を吐いていた。
「これはすごいわね…ようやく実験レベルってところかしらね」
「えぇ〜…こんだけ綺麗にぶった切ったのにまだ実験レベルとか言うのかよ〜…」
白楼剣を鞘に納めながら肩を落とす柚咒。しかし鞘から抜くと同時に霊力の放出、形成、そして維持をこなす事に成功している分、その辺の妖怪なら出会い頭に斬り伏せる事が出来るであろう事は誰の目にも明らかであった。だが―――――
「確かに技術は十分よ。でもこれを実戦で、しかも動揺してる状態からでも確実にこなせる様にならないと意味は無いわよ」
「うげぇ……」
「そんな事言わない。さ、次行くわよ!」
今度は直接柚咒に襲い掛かる結良。しかし両者が相手を間合いに入れる前にレミリアが制する様に手を伸ばし、その場に立ちつくした。
「レミィ…?」
「…何か聞こえる…」
そう呟き、まるでその先に何かあるかの様に遠くを眺める。しかし結良も、柚咒にもただアスファルトとコンクリートの荒野がどこまでも続き、より厚くなった雲が空を覆っている光景が見えているだけだった。
「…なんにも見えねぇし、聞こえねえぞ…」
「何が聞こえるの…レミィ?」
自分達には聞こえない程小さな音だと気付き結良が尋ねるが、そのままふらりと何処かへ歩き出してしまうレミリア。その行動に不審感を抱きながらも二人はレミリアについて行った。
そしてそのまま歩き続け、二人にもレミリアに聞こえていた音が聞こえ始めた頃、突如レミリアが瓦礫の影をくまなく探し始め、そして思わぬものを見つけた。
「…チルノ?」
「ぅ…あんたは…」
先程から聞こえていた音…誰かの泣き声を頼りに瓦礫の影を探し続けた結果、そこで見つけたのは…随分と成長し、かつて馬鹿馬鹿と言われ続けた妖精、氷の妖精チルノが一人でうずくまって泣いている光景だった。





   哭き王女の為のセプテット 〜 Scarlet revenge





       第四章 『宝具』





「……そういう事だったの…」
「うん…皆ぁ…みんなぁ……」
再び泣き出すチルノ。結良が彼女から聞いた話によると、彼女もまた幻想郷崩壊の折に外の世界に放り出された存在の一人であり、それと同時に始まった寒冷化により生き残った妖精であった。
命からがら助かり、他の妖精を十日間近くに渡って探し続けた。しかし、自然が一切消えてしまった世界に自然の具象化である妖精が生きられる訳が無く、その全てが完全に存在を消していた。ただ一人、チルノを残して……
「辛かったでしょう、チルノ…ほら…」
「ぅぅ…霊夢ぅ…」
泣き崩れ、そのまま結良に抱きつくチルノ。結良もまたそんなチルノを慰める為に優しく背中を撫でた。
「…っ」
その光景を見て怒りを隠す事無く振り向くレミリア。そして一旦降ろしていたレーヴァテインを持ち、いつもの様に背中へと装備すると何の迷いも無く東京へと足を進め始めた。
「レミリア?」
「結良、柚咒。行くわよ。どうやら、返さなきゃならない借りが増えたみたいだから」
「あ、おう。分かった」
「借り?」
歩を進め始めたレミリアに問うチルノ。レミリアもその問いに答えるべく一度足を止めて振り向いた。
「世界をこんな姿にしたのはクリニィっていう奴よ。私はそいつに皆を殺された借りがある。美鈴を、パチェを、フランを私から奪った事を後悔させてやる…」
「パチェって、あの紫もやしの事?」
「ええそうよ。紫もやしってのはいただけないけどね」
話すのもそこそこに前に向き直って歩き出す三人。だがそんな三人にチルノは意外な一言を投げかけた。

「それなら、赤髪の黒いのが連れてくの、あたい見たよ」

レミリアの足が止まる。それと同時に結良と柚咒の足も止まり、結良がどういう事かとチルノに訊こうとした時にはレミリアがチルノの肩を掴んで問いただしていた。
「どういう事チルノ!?それは本当!?何処!?何処で見たの!?」
「あだだだだだだだ!肩痛い!首痛い!全力で揺すんないで!!!」
その言葉にようやく我を取り戻してチルノの肩から手を放す。吸血鬼としての力を惜しみなく発揮して握られたチルノの肩はやや凹んでおり、更にとてつもない勢いで揺さ振られた為かしばらく目が回ったかの様に頭を揺らしていた。
「うぐぅ…確かその辺りよ。随分前だけどそこで一旦休んでいったからよく覚えてるしよく見てる。それで、あの紫もやしがどうしたのよ?」
酷く揺さ振られた首を回しながらレミリアに訊く。しかし当の本人は放心状態といった様相を呈しており、まるで何も耳に入っていなかった。
「パチェが……生きてる……?パチェ……パチェが……?」
うわ言の様に繰り返すレミリア。そして数歩放心状態で歩いた後、不自然なまでに身を固めてから二人に言い放ち、再び歩き始めた。
「結良、柚咒。行くわよ。どうやら急ぐ必要が出来たみたいだからね」
「え?あ、おい!どういう事か説明しろよ!」
「パチュリー・ノーレッジ。レミィの大切な友人で、魔女よ。多分、レミィにとってはただ一人生き残った大切な人」
結良が大雑把な説明をする。柚咒も深い事まで聞く気は無いのか、それだけの説明で納得して口を噤んだ。だが納得できない人物が真後ろに一人存在した。
「ちょっと、どこ行くのよ?」
「パチェを助けに行く。そしてあの馬鹿を倒す。それだけだ」
チルノが明らかに不満げな顔を見せる。答えたレミリアもチルノが何を言いたいのかを既に予測しており、その先手を先に打った。
「着いて来ても無駄よ。あんたみたいな妖精の力じゃ、あいつには太刀打ち―――」
出来ない。そう続ける筈だったレミリア言葉は投げつけられた氷塊によって遮られた。
「じゃあ、あたいと弾幕勝負してよ。これでも、妖精最強は伊達じゃないんだからさ」
氷塊が掠めた左頬を手で覆い、掠めただけだというのに凍傷を引き起こしそうな程に冷えている事に少々驚きながらレミリアはまたこの強引な展開かと思って溜息を吐いた。
「分かったわよ…でも、もうまともに弾幕勝負出来るカードを持ってないから、覚悟しなさいよね」
弾幕勝負の出来るカードを持っていない。それは即ち下手をすればこの場でチルノを殺してしまいかねないという事だったが、幻想郷の住人がそんなヤワな神経をしている筈が無かった。
「当たらなければどうって事はないでしょ。弾幕勝負も、殺し合いも」
「…ふふ、言われてみればそうかもね」
向かい合って構えとも取れない構えを取る二人。それこそが遊びでしかない弾幕勝負《スペルカードバトル》の基本姿勢であり、レミリアは周りにオプションのサーヴァントフライヤーを、チルノは冷凍光線やアイシクルフォールを生み出す為の氷塊を出現させた。そして二人の様子を見ていた結良が右手を挙げ、決闘開始の合図として勢い良く振り降ろした。
「弾幕勝負…開始!」
「あんたにこれが躱せるかしら!?滅殺[ハートブレイク・ハモニカ]!」
最早レミリアの十八番であるハートブレイク・ハモニカを撃ち出す。しかし扇状に放つが故の弱点を見抜いたのか、はたまた知っていたのかチルノは身を捩じらせて間をすり抜け、彼女の代名詞の一つであるスペルを発動した。
「氷符[アイシクルフォール]!」
周りに出していた氷塊から氷柱状の弾幕が左右から挟む様に撃ち出され、本人からも弾幕が撃ち出される。しかし仮にも紅魔館の主であり、誇り高き吸血鬼であるレミリアにその程度の弾幕が通用する訳が無く、あっさりと避けられてしまった。しかし、むしろそうでなければ面白くないとでも言わんばかりにチルノの顔には笑みが貼り付いていた。
「「その程度の弾幕じゃやられないわ!」」
同時に叫び、そして同時に技を使う。
「天罰[スターオブダビデ]!」
「凍符[パーフェクトフリーズ]!」
レミリアが巨大な魔方陣を形成し、そこから吐き出された大量の弾幕をチルノが全て凍らせる。そして一度停止したと思われた弾幕が不規則に動き出し、全く予想のつかない弾幕として双方に襲い掛かった。だが弾幕の発生源であるレミリアの方が断然回避難度が高く、その隙にチルノは次のスペルを発動した。
「凍符[マイナスK]!」
先程アイシクルフォールを生み出した氷塊がチルノの周りを回り出し、段々と半径を広げてから同時に炸裂する。そこから新たにばら撒かれた弾幕がレミリアに襲い掛かったが、それを一々避ける様な性格でも無いのがレミリアであった。
「紅符[不夜城レッド]!」
以前クリニィの施設を消滅させた紅い奔流がチルノの弾幕諸共全てを吹き飛ばす。そして宙に上がった拍子にフランドールのスペルを発動した。
「禁忌[禁じられた遊び]!」
十字の紅く巨大な弾幕を投げつける。それらは全て車手裏剣の様に回転しながらチルノへと襲い掛かり、マイナスKの使用によって一度氷塊のストックが必要だった為にチルノは躱すしか無かった。
「まさか背中のヤツも使うんじゃないでしょうね!?」
「ご明察!禁忌[レーヴァテイン]!」
お望み通りと言わんばかりにレミリアがレーヴァテインを炎の剣と化した状態のまま振るう。しかしその判断は間違いで、それはチルノの仕掛けた挑発であった。
「氷符[ソードフリーザー]!」
右手に氷の剣を作り出してレーヴァテインと真っ向からぶつかり合う。しかし鍔迫り合いが発生した時点で氷の剣は溶けてしまったが、それこそがチルノの狙いだった。
「しまった!」
水をかけられた焚き火が如くレーヴァテインの炎が消える。そしてその隙に距離を取ってこおりパワーを十分にチャージしたチルノが思いがけない物を氷で作り出していた。
「こいつで終わりよ!」
「なっ!?…ふん!そんな紛い物の紛い物で、私に勝てるとでも!?」
「偽物が本物に勝てない道理は無いわよ!」
レミリアもチルノに対抗して右手を宙に突き出す。そうして両者の手に握られた二つの物は、氷かそうでないか以外、全く同じ形をしていた。
「「神槍[スピア・ザ・グングニル]!!!」」
氷のグングニルと紅い奔流のグングニルが同時に放たれる。そして二つはぶつかり合う事無く脇を通り過ぎ、互いの頬を掠めて飛んで行った。
「……あんた、わざと外したわね?」
投げた姿勢のまま、完全に凍り付いている頬と髪の一部も気にせずレミリアが話しかける。
「あんたこそ、わざと外したじゃない」
一方のチルノも頬と髪の一部が溶けており、性質は違えど両者がほぼ互角のグングニルを放った事は明確であった。それはつまり―――――
「これなら、着いて行ってもいいわよね?」
「はぁ…好きにしなさい」
頬に付いた氷を髪の一部と共に引き剥がし、渋々ながらチルノの同道を認めるレミリア。一方のチルノも溶けた頬と髪を氷で補填し、恒例行事となった結良の紹介を受けていた。

パチュリーの生存が確認出来た今、目指すは鎌倉にある次のクリニィの施設である。



   ***



―――貴方、また戦なのですか…?
『あぁ…いつもの事だが、帰って来れるかどうかは分からない。いつもの様に、祈りを頼むよ』
―――分かりました。いってらっしゃいませ………


   ―――――


「ん…」
懐かしい夢を見ていた。その証拠に、周りは大量の備え付けの机と椅子を撤廃した跡がある階段状のホールとなっており、その中央部…つまり今私が腰かけて寝入っていた椅子がある所に“要人確保用の”スリープカプセルがあり、その中に例の紅い館から拉致した魔女が押し込まれていた。
あの夢の光景…あれは恐らくローマに居た頃の記憶………結局、あの人は戦から帰って来なかった………
「―――あと少しで、全てが変わる―――」
いや、私が変えなければいけない。この世界を―――――
「その為に貴女をここへ連れて来たのだから…今度こそあの吸血鬼から二つの宝具を奪い、計画を最終段階へと移行させてみせる」
「失礼します。クリニィ、彼女達が鎌倉へと辿り着きました。これより迎撃態勢を敷きますが―――」
私が独り言を言い切ったと同時に女性スタンダード兵が報告の為にホールに入ってくる。しかし鎌倉へ来たか…ならば、アレを起動させてみるか。
「分かった。“鬼神”の起動を許可するわ、彼女達を迎撃しなさい。レミリア・スカーレット以外は殺しても構わないわ。必ず彼女を捕獲して、今度こそ宝具を奪うのよ」
「はっ!」
来た道をそのまま引き返していく。それを見届けてから私はカプセル内の魔女の顔を眺めながら座る姿勢を変えて深く腰掛けた。

「もう少しです…もう少しで、戦の無い世界を私が作り上げる事が出来ます………」



   ***



「まあ、こんな事になるだろうとは思ったけど…」
杖のまま背中に装備したレーヴァテインに手を遣りながら呟くレミリア。その視線の先には何人ものスタンダード兵が銃を構えて立ち並んでおり、その銃口の全てがレミリア達に向けられていた。
「…ここまで準備万端だと軽く引くわね…」
「まあ向こうにしてみればここが最後の砦だからな。こうもなるよな」
レミリア、結良、柚咒、チルノがそれぞれ背を預ける様にして立つ。しかし彼等の様子が少しおかしい事に結良が気付いた。
「待って。何かおかしくない…?」
結良の言葉に残りの三人も兵達の様子をもう一度見る。すると彼等が戦うというよりは何かを待っている様に小刻みに後ろの施設を一瞥している事に気付いた。
「…これは、何か来るわね…」
「レミリアもそう思うか…」
「隠し玉か何かって訳?」
それぞれが思い思いの事を口に出す。そして数十秒程経った後、施設から身長がゆうに2mは超えているであろう巨人が出てくるのが見え、四人は一斉に戦闘態勢に入った。しかし―――――
「…え…?あれは……」
巨人の姿を見たレミリアが呆然とする。額から起立した黄色い星のある赤い角、そして側頭部から斜めに生えた木の様な見た目のリボンの結ばれた歪な形の角……そして金とも茶とも取れない長い髪を見て、レミリアはかつての友人達の姿を思い出した。
「萃香…?勇儀…?」
「あれは…まさか“鬼神”!?」
「知ってるのか結良!?」
結良が驚愕の声を上げると共に柚咒が問う。
「あれは萃香と勇儀を融合させるというおぞましい実験の果てに生まれた…いわば鬼神よ…彼女はその弐号機で、実戦を前提とした調整を受けた鬼神……」
疎密の萃香に怪力乱神の勇儀。同じ鬼であり、山の四天王の二人。恐らくは事情を知っているであろう結良が説明を始めた。
「彼女が初期の内に発案した鬼の融合計画。山の四天王を全員捕まえて、その内の二人づつを融合させて地上最強にして最高の僕を造り出すというマッドサイエンスな計画……あの一体はその前に造り出された壱号機目の鬼神のデータをフィードバックして調整されてる筈だから、命令には忠実で、戦闘能力は絶対……実験は壱号機の自滅事故で終わったと思ってた…まさか、弐号機を造り出すなんて…まともに殺り合ったら勝ち目は無いわよ……!」
悲観的な台詞とは裏腹に好戦的な口調で話す結良。何故なら彼女には、いや彼女達には確信があった。
「レミィ、鬼神はあの二人の強さを足して二で割ってない強さがあるから気を付けて…!私達は周りの奴等を片付けるから」
「…全く…同じ鬼と正面から殺り合うなんて、あまり喜ばしくないわね…」
結良が柚咒とチルノを連れてレミリアの傍を離れる。そして一対一で向き合い、いつの間にか三人の事を無条件で信用している事に僅かに苦笑しながら、明確な敵として倒すという覚悟を決めたレミリアは姿勢を落としながら鬼神に向かって大声で叫んだ。
「行くわよ!萃香ぁ!!勇儀ぃ!!!」
全力で足を踏み込んで一瞬で鬼神との距離を詰めるレミリア。対する鬼神も叫び声を上げながら大砲と遜色無い程の右ストレートを繰り出して迎撃する。
「くっ!?」
ハートブレイクを形成して攻撃する寸前でストレートを繰り出され、その衝撃波に煽られて体勢を崩す。そこを鬼神が逃すまいと噴火の如き左膝蹴りを繰り出すが、その勢いをレミリアは逆に利用して足で蹴って一気に距離を開き、追い打ちを食らう前にハートブレイクをスティグマナイザーと呼ばれる十字状の飛び道具に作り替えて投げつける事で牽制とした。しかしスティグマナイザーが直撃したにも関わらず鬼神の身体には一切の傷がついておらず、それどころか投げつけられたスティグマナイザ―が完全に砕けていた。
「まるで効果が無いわね…くそっ!」
着地に成功した後、レミリアが両手を上に突き出して同時にハートブレイク・ハモニカを発動する。そしてそれらを一気に投げる事無く恐ろしい速射性で一つづつ鬼神に向けて投げつけるが、やはりそれすらも無傷でやり過ごし、左手に青白い炎を蓄え始めた。
「鬼神燐火術か!」
炎の色だけでかつての萃香の技だとレミリアは判断し、させまいとグングニルを形成して投げつける。しかしそれを鬼神は右ストレートで破壊し、その勢いのまま鬼神燐火術と呼ばれた青白い炎を投げた。そして投げられた炎もまるで意志があるのかの様にレミリアを追尾し、その機動性を分析してからレミリアは一度大きく飛び、着地してからギリギリまで引き付けて鬼神燐火術を飛び退いて回避した。
「遠距離戦じゃ埒があかない…ならいっその事、接近するしか…!」
意を決してもう一度鬼神にアプローチを掛けるレミリア。鬼神ももう一度レミリアを迎撃しようと身構えるが、今度は鬼神の周りを超高速で動き回っている為に身体が追いつかず、幾度も繰り出された拳はただ宙を突くのみだった。
「そこぉ!運命[ミゼラブルフェイト]!」
そんな鬼神の隙を突いてミゼラブルフェイトと呼ばれた三本の魔力の紅い鎖が左腕の袖口から意思を持っているかの様に這い出し、鬼神の身体を完全に雁字搦めにしてから先端の楔が地面に突き刺さった。しかし―――――
「これで…っな!?」
再度地面に着地して次の手を打とうとしたレミリアだったが、あろうことか鬼神はレミリアの腕力を完全に上回る怪力で地面に刺さったミゼラブルフェイトを引き抜いた。その拍子にレミリアの小さな体躯がミゼラブルフェイトに逆に引っ張られて体勢を崩し、その瞬間を待ち侘びたかの様に鬼神が力を溜める様な姿勢を取った。鉄下駄を履いた足が地面をしっかりと踏みしめ、それに合わせて円陣が組み上がる形で地面が盛り上がる。
「…!まずい!」
瓦礫の円陣が一本、二本と出来上がるのを見てミゼラブルフェイトを手元で断ち切ってから全力で飛び退くレミリア。そして三本目の円陣が出来上がった瞬間、核爆発にも例えれる程の爆発が円陣内部で起こった。萃香の疎密の力と、勇儀の怪力乱神の力が組み合って初めて完成された技。爆発が収まり、鬼神を中心とした半径二五mの地面が砂塵に帰したのを見て、さしずめ[三歩壊塵]と言ったところだとレミリアは思った。
「あんなの食らったら、堪ったものじゃないわね!」
牽制弾としてグングニルを放ち、レーヴァテインを引き抜く。そして突撃する勢いを利用して逆袈裟に振り下ろしたが鬼神はそれを腕で直に防ぎ、払い除けると同時に左回し蹴りを繰り出した。だがレミリアはそれを柵を飛び越える要領で躱した後、今度はレーヴァテインに炎を纏わせて斬りかかった。
今度ばかりは防ぎ切れないと判断したのか、鬼神は炎を纏ったレーヴァテインをぎりぎりのところで躱し、反撃とばかりに上から得物でも叩き付けるかの様に右腕を振り降ろした。レミリアもレーヴァテインを全力で振るうと同時に攻撃されて回避が間に合わず、瞬間的に発現させたグングニルで防ぐ。だが―――――
「なっ…しま―――っ!」
着地して踏ん張った瞬間に足が三歩壊塵で出来上がった砂に取られて致命的に体勢を崩すレミリア。そこに鬼神の左ボディーブローが腹部に食い込み、息どころか五臓六腑が砕かれる程の衝撃を受けた直後に今度は胸部に右ストレートが突き刺さった。
五体が衝撃だけで引き裂かれる感覚を受け、更に数百m先の巨大な岩に激突するまで幾つものビルの瓦礫等をレミリアの身体が貫通していく。
「っ!がはっ!!」
そして岩に激突した時点でようやく貫通が止まったが、後ろの岩も砕ける寸前にまで罅が走り、更には腕や足が途中から欠落している事にようやく気付いた。
「はぁ…はぁ…にしても、あの攻撃は厄介ね…」
口から血を吐きながらも殴られる瞬間に見えた鬼神の攻撃のトリックを分析する。鬼神の異常なまでの膂力…幾ら怪力乱神、力の勇儀と伊吹の鬼、疎密の萃香が融合しているとはいえ、ただぶつけるだけではあれ程の馬鹿げた怪力は発揮出来ない。そこで鬼神は攻撃の瞬間のみ、疎密の力を使って拳と肘の後ろの空間にそれぞれ真逆の引力と斥力を生み出し、相手を引き寄せながら自身の拳を加速させる事で更なる威力向上を図っている。そこに怪力乱神の力を上乗せすればあれ程の威力が出ても何ら不思議ではない。そしてそれを膝と足の裏に応用すれば、同じだけの破壊力を秘めた膝蹴りを放つ事も容易だ。
「速度5m/s、距離1mと仮定して、端数切り捨てた場合…拳の面積を考えた時、ざっと60125N/uってところね…しかも、静止した対象に対してで…」
当然、相手が動いていれば数値は変動する。特に向かって行った場合、速度の5m/sが爆発的に高くなり、例え吸血鬼でも拳が貫通しかねない。
「参ったわね…全く…」
少々霞みがかって見える視界の先に鬼神の巨躯を見据えながら呟き、再生が完了した身体を引きずり起こす。
「遠距離技は役に立たない…でも長時間の近接戦も危ない…なら、次の一撃に賭けるしか無い…!」
右掌にハートブレイクを生み出し、指を開いて五本に分裂させてハモニカ状に広げる。幾度と無く使い続けたハートブレイク・ハモニカだが、今回に限ってはまともな使い方は出来そうに無かった。
罅の入った岩を蹴って一気に鬼神に肉薄し、その際に腕ごと落としたレーヴァテインを回収するレミリア。その時に鬼神も腕を巨大化させて超絶的なラッシュを繰り出したが、レミリアは攻撃を躱す度に拳の引力を利用して加速と進路変更を繰り返し、数十回程躱したところで僅かな隙を見つけ出して一気に突撃してからハートブレイク・ハモニカを叩き付けた。
放たれる事無く紅い槍が鬼神の表皮の鎧に突き立てられる。更により強く鬼神の身体に抑えつけられた結果、ついにハートブレイク・ハモニカが鬼神の身体を貫き、その勢いのまま巨体を押し倒してから突き刺さったハートブレイク・ハモニカでレミリアは鬼神の身体を地面に磔にした。


   ―――――


「はぁ…はぁ…くっそぉ…どんだけいるんだよ……」
レミリアと別れてすぐ、結良達三人は残りの兵達を掃討する為に何十人もの人数を同時に相手にして獅子奮迅の活躍を見せていた。しかし何人倒そうとも全く終わりが見えて来ず、三人の体力や霊力も限界を迎えていた。
「全く…多勢に無勢とは…この事かよ…」
両膝に手を付いて肩で息をする柚咒。その背後にも同じく膝に手を付いて肩で息をするチルノがおり、傍に立つ結良も荒い呼吸を繰り返していた。そして彼女達の前には未だ二桁は下らない程の人数のスタンダード兵が銃口を向けて立っていた。
「あたいも…ここまで疲れたのは…何十年ぶり…だって…」
「どうする結良…?マスタースパークをぶっ放せば確実に半分は消せるが……ま、ぶっ放せればの話だけどな……」
提案してから試しに八卦炉に霊力を送り込んでみる。しかし今送り込める量では八卦炉は全く反応せず、とてもマスタースパークの様な大技が撃てる状態では無かった。
その様子を視界の端に捉えた結良。更にチルノの様子もどこか冷めた目で確認し、このままでは確実に全滅すると思った彼女は自身に仕掛けられた最強の禁忌を犯す事を決めた。
「柚咒、チルノ…ちょっと下がってて…」
「え?あ、おい…!」
そう二人に指示を出し、まるで庇う様に前に出る。そして残った露西亜人形達を傍に寄せると自身を滅ぼしかねない禁忌を犯す『言の葉』を呟いた。
「―――[殺戮の天生人形]―――」
言い終わると同時にカチリとしか表現出来ない音が結良から聞こえ、それを打ち消すかの様に銃声が幾つも鳴り響き、スタンダード兵の持つ銃から放たれた銀の弾丸が結良の身体に幾つも突き刺さった。
「っ!?結良!!」
「結良!!」
結良の後ろに位置していた柚咒とチルノが叫ぶ。だが確実に数十発以上弾丸が突き刺さった身体は微動だにする事無く、それどころか数秒間身じろぎした後に糸繰り人形…マリオネットの様な動きを始めた。
殺戮の天生人形…短い寿命を更に削り、自らの身体を物言わぬ無敵の操り人形とする機能。それが、結良の身体に仕込まれた禁忌である。
「なっ…なんだあれは!?」
あまりの異様な光景に狼狽え始める兵達。そして動揺から回復する前に結良が一気に部隊の懐に潜り込み、腕の籠手内部に仕込まれた霊力刀を展開して露西亜人形達と共に次々と斬り裂き始めた。
「うっうああああぁぁぁぁ!」
「くそぉ、墜ちろぉ!」
兵の一人がライフルをワンダースフルオート発砲する。しかし確かに全弾結良の胴を捉えた筈のシルバージャケット弾はまるでどこかに消えてしまったかの様に効果が無く、次弾を発砲する前に後ろから露西亜人形に首を斬られて事切れた。
「ちくしょうがあぁ!!!」
仲間の死に逆上した兵がAgブレードと呼ばれる銀製ブレードを展開して結良に斬りかかり、その胴体を上下二つに分断する。その拍子に一旦は動きを止めた結良の身体だったが、しかし次の瞬間には上半身と下半身の二つに分かれて動作を開始した。
その光景に悲鳴すら上げる事が出来なくなる。そして霊力刀で斬り殺される瞬間に彼が目にしたのは、まるで戦う事だけを想定して作られたかの様な、人としての作りを最低限にしか再現していない変わり果てた結良の顔であった。
そしてそのまま暴走とも取れる斬殺を続ける結良。銃は効かず、剣も独立して稼働する個体を増やすだけだという事が分かり、即座に退避を始める兵が何人も居たがその全てが結良と露西亜人形達に捕まり、一人の例外無く首を斬られて物言わぬ骸を化していった。
「結良……」
思わず柚咒が呟く。その頃には何十人も居たスタンダード兵が全て死体へと姿を変えており、結良もまた元の姿へと戻っていたが―――――
「っ!結良!」
身体を吊っていた糸が切れたかの様に倒れこむ結良。そこへ柚咒が駆け寄って結良の身体を抱き上げたが、女の柔肌が覆っていた筈の腕は硬質樹脂の様に硬く、更には抱き上げた瞬間に左腕が肘からもげ落ちて地面に乾いた音を立てた。
「結良…お前…」
「…大、丈夫…」
結良が弱々しい声を吐き出す。
「私は、人形だから…何をされても、何をしても…大丈夫、だから…」
まるでうわ言の様に自分は人形である事を言い続ける結良。しかしそんな結良を見かねた柚咒が強く叱咤した。
「馬鹿野郎!」
「!?」
「そうやって、自分は人形だなんて言うんじゃねぇ!確かにお前は人間じゃない。お前は造られた存在だからだ。でも、だからと言ってお前はお前以外の誰かとして造られたのか!?違うだろ!?お前はお前だ!お前のマスターは、お前の元の人間の代わりにお前を造った訳じゃないだろ!ならお前はただの人形でもなければ誰かの代わりでもない。博麗結良という、たった一つの命だ!あんな滅茶苦茶な事して、自分の心を殺す様な事するんじゃねぇ!!」
「たった一つの…命…」

―――マスター、何故私を作りだしたのですか?

『ん?あぁ、古い友人の頼みよ。作りだしたという理由だけならね』

―――どういう事ですか?

『貴女はもうただの人形じゃない。思考、感情、心、挙句魂と呼ばれるものまで吹き込まれてる。それは失くすのは簡単だけど、もう一度手に入れる事は極めて難しい代物よ。そんな相手、ただの実験の成果だと割り切れる?』

―――なら…私は…

『娘とでも言えばいいのかしらね?私の。もしもの時は、博麗の巫女に代わってこの幻想郷を護ってあげなさい』

マスターであるアリスとの会話を思い出して思わず涙しそうになる結良。しかし彼女に涙を流す機構は搭載されておらず、また人間として当たり前の事が出来ないのだと結良は思いそうになったが、直後に降ってきた“それ”によって思考を中断させられた。
「あ……」
「…雪…」
遅れてやってきたチルノが空を仰ぎ、結良も視線を柚咒から外して暗い雲を見上げる。すると確かに白く柔らかな結晶塊である雪が降ってきており、それが目尻について溶け、まるで涙を流している様になっている事に結良はようやく気付いた。
「…泣いてる…」
「え?」
結良の呟きに柚咒が気付く。
「…私…泣いてる……人形の筈なのに…泣く事が出来てる……」
「…ああ、そうだな…ただの人形は涙を流さない。お前はもう、ただの人形じゃないんだ…泣きたいだけ泣け……」
「ぅ…柚咒…柚咒ぅ!!!」
残った腕で柚咒の身体にしがみ付いて泣き声を上げる結良。本当はただの真似事でしかない泣き声。しかしこの時だけは、結良は本当の意味で泣けていた。そしてその様子を見てよくわからないがよかったと思うチルノだったが、直後に響いた重低音に思わず三人は身を縮めた。
「な、何!?」
「レミリアか!?」
突然の重低音に周囲を見渡す。そして遠くで鬼神の上にレミリアが立っているのが三人の目に映った。



   ***



ハートブレイク・ハモニカで磔になった鬼神を見下ろすレミリア。そんな彼女の目には磔になりながらもどうにかして反撃しようともがき続ける鬼神の姿がやや滑稽に見えており、傷口から止めどなく流れ出る血が赤い事に改造されても血は赤いのかと若干驚いていた。
「萃香…勇儀…」
呟くと同時に鬼神が何かを飛ばす様に目を見開く。そうして飛ばされた霊力の不可視の弾は見事にレミリアの額に直撃し、首を大きく仰け反らせて帽子の取れたレミリアの額に赤い血が川の様に流れ出し、幾つも枝分かれをした。
「…忘れない…あんた達の事…この傷も、すぐに癒えてしまうけど…」
更に言葉を重ねて右手を胸の中心に当てる。そして吸血鬼最強にして最も危険な代物を取り出した。
「…宝具…『グングニル』…」
その瞬間、紅い槍の柄の一部が胸の中心から飛び出し、それを体内から引き抜く様にレミリアは右腕を一閃させた。
右手に握られた巨大な紅い槍。それこそが宝具と呼ばれるグングニルの姿であり、いつの間にか腕や脚に魔力の鎧の様な物が形成されていた。
「…さようなら…」
グングニルを逆手に持ち替える。その様子を見てさせまいと鬼神が首を振って長い髪の先についた鎖分銅をレミリアにぶつけようとしたが、鎧を纏った左腕に難無く止められしまった。そしてレミリアが右手に持ったグングニルを振り降ろして突き刺さった瞬間―――――


一撃で直径1km程の巨大なクレーターが姿を現した。


「うわ!?」
「きゃあ!」
「むぎゃ!」
その大きさのあまり結良達も突然出来上がったクレーターの中へと落ちる。そして中心に立つレミリアの姿も元に戻り、グングニルが突き立てられた筈の鬼神の姿は塵程にも残っておらず、ただ物哀しげにグングニルが地面に突き立てられているだけだった。
落ちた左腕を隠す様に抑えた結良がレミリアの元へと歩み寄る。すると突然レミリアが両膝をついてから座り込み、噛み殺す様な嗚咽を上げて泣き出した。
「ぅ…ぐ…萃香…勇儀……ごめんなさい……」
「レミィ…」
結良が肩に手を置こうとする。しかしその寸前で何かを踏んだ事に気付き、それがレミリアの帽子であると分かると手を置くのをやめて帽子を拾い上げた。
「ねぇ結良。教えて…!なんでこうなってしまったの…!?なんで友達を殺さなきゃいけないの!?なんで運命が視えなくなっちゃったの!?なんで、あんなにも大切だった実の妹を…フランを殺さなきゃいけなかったの!?」
答えが出るのを期待する訳でも無く、ただ喚き叫びながら結良に問い質す。初めてクリニィが襲撃したあの日からずっと…妹を殺し、視えていた筈の運命が視えなくなり、そしてまた友人を殺した…その胸の詰まりがいよいよ決壊し、レミリアはそれを最低限の言葉にして結良にぶつけた。そしてそのまま沈黙が過ぎるのだろうとレミリアは思っていたが、思わぬ答えを結良は即座に口にした。
「世界を、奪われたからよ」
「え…?」
レミリアが振り向く。その目からは涙が流れており、結良の目にも涙が流れたかの様な跡が見て取れた。
「ここはもう私達の世界じゃない。だから運命も視えないし、殺しちゃいけない人も殺さなくちゃならなくなった。レミィ、取り戻すんでしょう?私達の世界を……確かに、私達の居た世界に幸せじゃなかった人達も居ないとは言い切れない。もしかしたらクリニィもその一人だったのかもしれない。でも、だからといって柚咒や、貴女や、私の様な…あの時確かに幸せだった人達の幸せを踏みにじってまで自分だけ幸せになろうとしていい訳が無い!だからレミィ!一緒に取り戻しに行きましょう!皆と一緒に、私達の世界を!」
珍しく熱の入った結良の言葉が切れると同時に帽子が差し出される。かつて自分こそが紅魔館の主であったという事を忘れない為に結良が補修を繰り返しながらも被り続けた愛用の帽子…その中に自分の想いだけではなく、いつの間にか結良や柚咒、チルノの想いも詰まっていたという事に気付くと恐る恐るながらそれを手に取り、その想いの重さと強さを改めて感じ取りながらもう一度被り直した。
「…結良…わかったわ。柚咒!チルノ!行きましょう。あの馬鹿はもうすぐそこよ」
グングニルを身体に入れ直し、左腕に絡まったままの鎖を腰のベルトに縛り付け、そして改めて自分に託された物と想いを確認し直した。
……自らの命と引き換えに自分を生かしたフランドールの宝具と帽子、レーヴァテイン。クリニィの犠牲であると同時に反旗を翻す存在である事を明確に証明する、ルナサの服。改造と実験を繰り返され、レミリアの手によってでしか安息を得られなかった萃香の自身を表す、四角の鎖分銅。そして今も懐に隠し持っている美鈴の龍紋の星型に、咲夜が死の寸前に託した銀のナイフ……この身に八人もの形見と想いを抱き、そして渡された帽子に結良と柚咒、チルノの想いも合わせ、そして自らの想いを以てクリニィを倒すと、永遠に幼き紅い月…レミリア・スカーレットは決意して歩き出した………



戻る?