「……よろしいのですか?」
暗い部屋に一人の女性の声が響く。無線機器を使用しているのか、他には誰の声も聞こえない。
《ええ、あの子がもっと役に立ってくれるかと思ってたんだけれど…やっぱり“造り物”には荷が重かったようね。特に、昔の友人なら尚更…》
「承知致しました。では、此処からも何人か派遣致しましょう。捕縛が本来の目的なら、より人数が必要でしょうし」
《お願いするわ。それと、収監施設の方もより強固な出来にしておいて。私の施設で収監能力があるのはそこだけだから》
「ええ、その通りに」
白い手袋に包まれた手が右から左へと子機を持ち直す。それと同時に長い金の髪をうとましそうにかき上げ、彼女は相手の言葉を待った。
《何かあったらすぐに連絡要員を寄越しなさい。無線は簡単に妨害されやすいし、連絡塔が完成していない今、アンテナがやられたら終わりだから》
「そこは承知しております。此処が全滅ないし完全破壊させられない限りは大丈夫でしょう」
《そう…なら、期待しているわよ。『ミス・マエリベリー』》
そこで通信は一方的に切れ、ミス・マエリベリーと呼ばれた女性は子機を置いて小さな溜息を一つ吐いた。
「……造り物、か……酷い言われ様ね…“霊夢”……」
デスクの中から一枚の写真を取り出す。つい最近撮られたと思しきその写真には、レミリアと行動を共にする結良の姿が鮮明に捉えられていた。そして言い終わるが早いか、マエリベリーの部屋の扉が開き、野戦用の薄手の服を着た男が一度敬礼をして入ってきた。
「失礼します。ミス・マエリベリー、当直要員全員、スタンダードスーツへの換装が終了致しました」
「分かったわ。ハイマニューバ兵を何人か用意させておいて。『彼女』が予定を繰り上げたいそうよ」
「はっ!」
手に持った写真を見られない様に背を向けながら連絡に来た部下の男に素早く命令を下す。それに敬礼で答えた男はすぐに来た道を引き返し、命令の伝達へと向かった。
「全く…なんでこうなったのかしらね……そもそも、『彼女』は何処から来て、何処へ向かおうとしてるのかしら…?」
部屋の窓から天気を窺う。相変わらずの厚い雲が空を全て覆い、太陽光がかなり遮断されているのが分かったが、それ以外の事は情報不足で何も分からなかった。
「レミリア・スカーレット……あの子がどう動くのか、そこに注目した方が面白そうだけど…そうは行かないのが現状、か……頼りにしてるわよ……」





   哭き王女の為のセプテット 〜 Scarlet revenge





       第二章 『Running away sisters』





「割とどうにかなるものね」
レミリアの言葉に疑問符を浮かべる結良。しかしその口にはパンが銜えられており、言葉を発する事は出来なかった。
「世界があの馬鹿に作りかえられてからまだ数週間も経ってないのがその理由かしらね。多少なりともかつての食糧庫に食糧が残ってるとは思わなかったわ」
前を見る。その先にパン数斤を拝借した食糧庫が見え、結良は銜えていた分を飲み込んでから口を開いた。
「でも、これじゃ一日しか持たないわよ。それにパン一斤の栄養価なんて高が知れてるし」
「文句言わないの。その大きさの関係上、私は血しか口に出来ないんだから」
言葉を詰まらせる結良。しかし結局は自分の血を彼女に吸われるのだと思い出すと、結良は思わずパンを口に運ぶスピードを落とし、溜息を一つ吐いた。
「さて、それを食べ終わったら行くわよ。あまり時間は無いのだから」
立ち上がり埃を払うレミリア。その動作に思わずパンを食べるスピードを上げる結良だったが、パンに口の中の水分を吸われきった状態ではまともに飲み込めず、多少むせてからどうにか全て食べ切った。



   ***



再びコンクリートの荒野を歩く二人。既に三日間歩き詰めていたが途中雨に降られたりしていた為か、そこまでの疲労は溜まっていなかった。しかしそれは同時に移動距離の短縮を表しており、足行きをレミリアは速めていた。
「ちょっと速くない?」
「あまり時間は無いって言ったでしょう?このぐらいが丁度いいのよ。都合良く下等妖怪も出てこないし」
うぇ〜…とでも聞こえてきそうなオーラを漂わせる結良。だがまともな人間からしてみればそう思うのが普通かとも思いながら、レミリアはそのままの速さで歩き続けた。だが―――――
「―――それがそうも行かないのよ―――」
「っ!?」
クリニィの声が聞こえ、一瞬で身構えるレミリア。だが周りが既にクリニィ配下の部隊で囲まれている事を知るとすぐに動きを止めた。
「…成る程…既にこっちの動きが掴めていたって訳ね…」
「そういう事…まあ最も、その子が居なければそうも行かなかったんだけれど」
クリニィが姿を現す。そしておもむろに左手で結良を指差し、レミリアは少しだけ目を見開いた。
「こいつが…?」
「そう。渚結良は初めから私の仲間の一人、下等妖怪に襲われる様にして貴女に接触させた…勿論、その妖怪を召喚したのは私だけど」
顔を俯ける結良。その表情には複雑に感情が入り交ざっており、何を考えているのかが分かり辛くなっていた。
「騙していたのね…」
「ええ、最初はそうだった…でも、あの話を聞いてからは違う。それに私が受けた命令は『レミリアと接触し、こちらの施設まで誘導する事』だけ。こんな話は聞いてない!」
多少の身振りを交えて主張する結良。だがクリニィはそれを嘲笑うかの様に唇を歪ませ、言葉を紡いだ。
「残念だけど、私は気が短いの。貴女が中々あそこまで連れて来ないから私から出向いたわけ。それに、こうした方がより確実に彼女を捕まえられるもの…」
「…っ!」
クリニィからの殺気を感じ、咄嗟にグングニルを呼び出そうとするレミリア。だがそれよりも速くクリニィがレミリアの背後に回り、レミリアがそれに気付くのと同時にグングニルを呼び出した右腕を素手で千切り落としてから正面に回り直して左手の五指を何かを握る様に開いた状態でレミリアの下腹部に突き刺した。その瞬間―――――
「うっ…!」
何かに意識を吸い取られる様に気絶し、倒れ込むレミリア。その姿を見て“封印呪石”を使用したと直感した結良だったが、何かを言う前に兵の一人に肩を掴まれていた。
「結良様、お気持ちは分かりますがアレを使わねば捕縛はおろか殺す事も難しいのです。ご理解の程を…」
「…あんた達ハイマニューバ兵も、女でしょうに……!」
ハイマニューバ兵と呼ばれた兵の手を振り切り、倒れたレミリアの元に駆け寄る結良。そしてそのままレミリアの小さな身体を抱き上げると歩みを進めた。
「この子は私が運ぶわ。ハイマニューバ兵は私の警護を」
「はっ!」
一瞬だけ敬礼して集まりだすハイマニューバ兵。一方のクリニィは多数のスタンダード兵と呼ばれる兵を引き連れて元来た道を歩き出だしていた。



   ***



「こちらでおくつろぎください。後は我々が処理致しますので」
「分かったわ。ご苦労様」
標準装備であるヘルメットの装甲化バイザーを上にあげた当直のスタンダード兵に案内され、一人部屋に足を踏み入れる結良。そしてゆっくりと扉が閉じられるのを確認してから結良は背中からベッドに倒れこんだ。
「ふぅ……何、やってんだろ…私……」
右腕を頭に乗せて呟く。誰にも聞かれていないと思って呟いた言葉は、しかし一人の人物の耳に届いていた。
「同感ね」
「あ…ミス・マエリベリー…」
「その呼び方は出来れば止めて欲しいのだけど…最初に言い出したのは私か…」
部屋の片隅から現れて近寄るマエリベリー。その顔には常に微笑が湛えられ、何を考えているのか分かり辛くさせていた。
「にしても、相変わらず胡散臭い格好ね。彼女はいつもそんな格好のあんたを見てたの?」
紫と白を基調としたワンピースの上から、六十四卦の沢地萃の紋様が描かれた薄手の和服を陣羽織の様に羽織っているマエリベリーを見て結良が口を開く。
「お言葉ね。ていうか、貴女はあの子でもあるんだから、覚えてるんじゃないの?」
「まあ、確かに」
扇子を口元で広げて笑うマエリベリー。そしてそんな他愛も無い会話で結良も久々に口元に笑みが浮かび、この身体の中に間違いなく“彼女”が生きているのが分かった。
「それにしても…毎度見る度に思うけど、随分と髪を切ったわね。昔はそんなに短くは無かったわよ、“霊夢”?」
「その呼び方は止めて。私は彼女だけじゃないんだから…それにこれは“マスター”の趣味よ。私の身体は成長しないし」
「アリスの?まあ確かにあの子もそのぐらいの髪だったけど…」
マエリベリーが若干キョトンとした顔になる。そしてアリスと呼んだ記憶の中の存在と結良を比較し、まるで双子の様だと思い、更に霊夢と比べてもそうだと思うと少しだけ吹き出した。
「何よ?なんか変な事考えたでしょ?」
「いいえ、これと言って特に…それじゃ、邪魔したわね、結良」
と言って空間を開く様に扇子を動かす。そこに大量の目が覗かせる真っ黒の隙間が出来上がると、何の躊躇も無くマエリベリーは身を入れた。
「また、会いましょう」
「ええ、“紫”」
その言葉を聞いてから彼女はスキマの中へと完全に身を隠し、それを確認した結良はもう一度右腕を頭の上に乗せた。
「……はぁ」
目を閉じて聞こえてくる全ての音に耳を傾ける。それと同時にあらゆる場所に張り巡らした“神経”に精神を集中させて“皆”の景色を視る。こうする事でこの施設の構造と配置されている兵の会話等を聞く事が出来るからだ。
『…あの吸血鬼、まだ見た目は十二歳ぐらいにしか見えなかったが…』
『…油断するなよ、あれでも五五〇年以上生きてるんだからな…』
レミィの話…どこもその話題で持ちきられている…二〜三体程視てから牢獄の方にも意識を凝らす。しかし、そこで視えたのは酷い拷問に晒されて全身を血で汚しながらも無理矢理にでも宝具を発現させられようとしているレミリアの姿だった。
衣服を全て脱がされ、高圧電流を流されながら更に鋼鉄の刃に柔肌を晒される。そしてある程度時間が経ったら流水を浴びせかけられ、感電しやすくなった身体に更に電流を流される…その繰り返しだった。
「……っ…」
吐き気を催す程の拷問だった。簡単には死なない事を利用した方法…普通の人間ならものの数分と持たずに死ぬ程のやり方…しかし、造られた存在である結良には人間と同じ様に気分を害する事が無く、それに対しても結良は自己嫌悪が自らの中に広がるのを感じた。
なんで、こんな事をしているのだろう…自分は、こんな事をする為にマスターに造られた訳じゃないのに…何が、完全な人形だ…友人一人助けれずに、何が完全だ…マスターはこんな事の為には絶対に造らない。彼女だって、それを望んでない。やろう、どうせこの身は寿命でしか死なないのだから………そこまで思い至った結良はベッドから起き上がり、目的の人物の待つ部屋へと歩き出した。


   ―――――


「…どうしたの?」
結良が向かった場所、それはマエリベリーが使用している執務室だった。そして案の定そこにある机は一切使わずに立っている彼女に結良は自らの決意を語った。
「単刀直入に言うわ。ミス・マエリベリー、私はクリニィから離反する」
「…そう、やっと決意したのね」
結良の告白にも背を向けながら答えるマエリベリー。しかし窓に反射して見える双眸は明らかに結良のみを見ており、結良は身を固くして次の言葉を待った。
「それがいいわ。貴女の力は本来、この為のものじゃない。霊夢とアリスの意思と力を受け継ぐ貴女は、私の夢をもう一度再建出来る唯一の存在…行って来なさい、此処は私が何とかしてあげるから」
「マエリベリー…分かった」
踵を返す結良。その後姿を見て、かつての“彼女達”を幻視したマエリベリーは思わず振り向いてから手を伸ばし、その掌が宙を掴んで視線を下に向けた。
「……霊夢……蓮子……」



   ***



痛い…身体中が常に剣山で刺されているかの様に痛みが引かない…未だに意識がぼんやりとしたまま戻らず、レミリアは血と水で濡れた自身の身体を見た。
「…おい、交代の時間だ」
「おお、ありがてぇ…まだ昼飯食ってねぇんだよ」
看守達の声が聞こえる。その声を聞いて身体が僅かに反応してレミリアは磔にされた四肢を動かしたが、銀で出来た鎖は吸血鬼に対して非物理的効果を発揮しているらしく、擦り付ける度に力が抜けていくのが分かった。
「おい、こいつ起きてるじゃねぇか」
「大丈夫だ。例え脱出しようとしても、四肢を固定した銀の鎖があいつの力を押さえつけてくれる。それでも無理だと思えた時の為に…」
「ぐあぁっ!」
銃声が鳴り響く。それと同時に脇腹に熱く鋭い痛みが走りそこでようやく撃たれたのだという事をレミリアは知覚した。
「俺達がこうやってあいつの動きを止める。ハンドガン用はただの銃弾だから、あいつが死ぬ心配も無いって訳だ」
「たかが女の子一人の為に、ここまでやるとはねぇ…ま、相手が吸血鬼とやらじゃ、仕方ない」
「そういう事だ。早いところ昼食を採って来い」
「おお、すまねぇ」
看守の足音が遠くなり、もう一人が常にこちらを見る。これでゲームオーバー…奴等は吸血鬼への対処法を心得ている。脱出はほぼ不可能だ……ごめんなさい、美鈴……ごめんなさい、パチェ……ごめんなさい、フラン……顔を俯かせて諦めるレミリア。そして人知れず涙を流し始めた頃、外の様子が少しおかしくなっている事に気付いた。
「な、なんだこれは!?くそっやめろ!ぐあぁっ!」
視線を上げて看守の方を見る。そこには首から血を流して死んでいる看守の姿と、それを取り巻く複数の小さな人影が見え、更にもう一人の人影が鍵を開けてこちらに歩み寄ってくるのが分かった。その姿が完全に霊夢のものと重なり、レミリアは思わず口を開いていた。
「…霊夢…?」
「そうよ、レミィ。貴女を助けに来たわ」
博麗の巫女服に身を包んだ結良。ようやくその事に気付いたのは結良が四肢の鎖の取り外しにかかった頃であったが、細かい事は脱出してからでも遅くないとレミリアは思い、何も喋る事は無かった。
「…よし、これで大丈夫よ」
最後の鎖が外れてやや前のめりに立つレミリア。傷の修復にかなりの魔力を消費していた為、背中の翼が幾分か小さくなっている。
「さ、早くこれを着て。レーヴァテインもあるから、すぐに此処を脱出しましょ」
と言って此処に連れ込まれた時と同じ服と杖の状態のレーヴァテインを差し出す。だが異変に気付いたのか、既に何人か牢獄通路へと入って来ていた。
「おい何があった!?なっお前!何をしている!?」
「くっ!上海!咒符[上海人形]!」
上海と呼ばれた一体の人形が結良の前に出る。そして一つの魔方陣を形成してから前方にレーザーを放ち、通路に入ってきた兵達の内の一人を射抜いた。
「くそっ構わん、撃て!」
一人が声を荒げて命令し、それに従って残りの兵が一斉に銃を構える。通常のアサルトライフルの全長を最適化して更に小型化した彼等のライフルは、閉所での取り回しに支障を来す事無く結良へとその銃口を向けられ、結良は下手に動けない事に内心舌打ちしながらも、更にスペルを発動した。
「行け!宝具[陰陽鬼神玉]!」
結良が手を突き出す。その掌に巨大な陰陽玉と呼ばれる玉が形成されると通路の端を若干抉りながら兵達へと転がっていった。
「なっ!?」
「ちくしょう、これでぇ!」
一人がライフルのハンドガード下部に装備された銀製のブレード―――正確にはチタン合金系の刀身に銀を塗布して再度研磨し直した物―――を展開し、陰陽鬼神玉に斬りかかる。それはぎりぎりのところで陰陽鬼神玉を破壊したが、それを見越していた結良は立て続けにスペルを発動していた。
「霊符[夢想封印]!」
袖口から複数の光弾が飛び出し、緩いカーブを描いて兵達へを殺到する。そしてそれら全てが爆発して直撃を知らせると、辺りに立っている人間は一人も居なくなっていた。
「ふぅ……レミィ、大丈夫?」
「あんた……どういうつもりなの…?」
服を着込み終え、レーヴァテインを背中に付け直したレミリアが問う。その質問に結良はレミリアの傍に歩み寄ってから笑顔で答えた。
「言ったでしょ、あの話を聞いてからは違うって。それに、あれは私の本当にやりたい事じゃなかったし……一緒に行きましょ、クリニィを倒しに。そして一緒に帰りましょう…幻想郷に…」
「…結良……分かったわ」
いつの間にか差し出されていた手を取るレミリア。その手はとても柔らかく、本当に霊夢の手を握っている様だと思いながら立ち上がったその時だった。
《警報!警報!不審人物三名の接近を確認。武装はチェーンソーのみと思われる。当直のスタンダード兵各員は速やかに迎撃に当たれ!繰り返す、不審人物三名の接近を確認。武装はチェーンソーのみと思われる。当直のスタンダード兵各員は速やかに迎撃に当たれ!》
敵襲のサイレンが鳴り響き、天井のスピーカーから放送が流れる。それは二人の耳にも届き、先程倒した男から吸血しているレミリアを一瞥してから結良は思案した。
「敵襲…?わざわざこの施設を襲いに来るなんて……それもチェーンソーだけなんて……」
「私みたいによっぽど自分の実力に自信があるか、それともただの馬鹿かのどちらかね」
吸血し終えたレミリアが口を開く。その姿は捕まる前の威厳に満ちた吸血鬼のものに完全に戻っており、懐かしい物を見る目で結良はレミリアを見たが、すぐに歩き出した為あまり長くはレミリアの顔を見る事が出来なかった。
「どちらにしても、これは好都合だわ。結良、ここの施設の中心に行くにはどうすればいいのか教えなさい」
「中心?そんなところに行ってどうする気よ?」
「…私のやりかねない事なんて、分かるでしょ?」
結良の顔を見る。理由や経緯は分からないが、こいつは私の事を知っている、ならこちらも色々取り繕う必要も無いと直感し、レミリアは結良の顔を見ながら微笑んだ。その目を見返す結良の顔にも笑みが零れており、歩くスピードを上げて結良はレミリアの前に出た。
「此処の構造は大体調べたわ。私が周辺警戒しながら進むからついてきて」
走り出す。それに続いてレミリアも走り出し、いつの間にか回りに人形達が取り巻いている事に気付きながらも巫女姿の結良の後を追った。


   ―――――


「待って!」
幾つ目か数えるのも億劫に成る程の曲がり角に再び差し掛かり、壁に張り付いて慎重に周りの様子を窺う結良。近くに誰も居ない事を確かめると人形を天井に張り付かせて先に向かわせた。
「全く、中心部はまだなのかしら…?」
「喋らないで、上海に意識を集中させてるんだから…」
目を閉じながら何かに意識を凝らす結良。恐らくは先程の人形の視界を見ているのだろうが、レミリアにとっては自分の事では無い為割とどうでもよかった。
「……よし、行ける。次の曲がり角を右に曲がれば中心部よ」
再び走り出す。何も言わずレミリアもそれについて行き、曲がり角を曲がって天井から降りてきた上海人形を回収した所で突然結良が立ち止まった。
「どうしたのよ?」
「ここよ、ここがこの施設の丁度中心地点。元々中心に何かを隠すという構造にはなってないから、真ん中がただの通路になっていても特におかしくは無いわ」
「成る程ね…なら、始めるわよ。私に掴まりなさい」
レミリアが一枚のカードを取り出す。それを確認しながら結良はレミリアの背中に身体を密着させ、更に目を閉じた。
「行くわよ…紅魔[スカーレットデビル]!」
両腕を大きく広げ、レミリア自身から紅い奔流が溢れ出す。そしてそれはすぐに十字の形になると恐ろしく巨大な十字架となって施設を中から破壊し始めた。
周囲の影という影を全て侵食するかの様な紅い光。それは瞬く間に範囲を広げ、やがて施設全体を内側から完全破壊した。
「…すごい…」
スペルの発動が終了して空中をゆっくりと降りていく中結良が呟く。
「今回は随分と調子良く使えたわ。これでもかというぐらい血を飲んだからかしら?」
地に足を着ける。しかし、一瞬で廃墟と化した施設跡の周りにスタンダード兵の姿は見当たらず、代わりにチェーンソーをその手に携えた三人の人影が二人を見下ろしていた。
「どうやら、当直員とやらは全滅した様ね」
「という事は…あいつ等も妖怪か何かと考えた方が自然ね」
黒いコートを着た、頭部を巻き布で巻いた敵がチェーンソーを振り上げて叫ぶ。それに続いて紙袋の様な物で顔を覆った白い服の敵が雄叫びを上げ、更にそこに赤い服を着た歪な仮面をつけた敵がチェーンソーを掲げる。そしてほぼ同じタイミングで二人に飛び掛り、レミリアは前方に、結良は後方に跳んで最初の一撃を回避した。
「なかなか速いな…でもまだまだよ!」
三角跳びの要領で一瞬で巻き布の敵の後ろを取るレミリア。しかしそれについては行けるのか、チェーンソーを振り回して攻撃を事前に防いだがレミリアは電動式と思われるチェーンソーの本体を蹴って一気に後退すると、そのままの姿勢でハートブレイクを呼び出した。
「必殺[ハートブレイク]!」
力一杯頭部目掛けて投げる。その軌道は正確に相手の額と思われる部分へと飛んで行き、一撃で相手の頭部を粉砕する事に成功した。
命令系統が完全破壊された身体が力無く地面へと落ちる。それと時を同じくする様にして結良も白い敵と戦闘を繰り広げていた。
「くっ!」
雄叫びを上げながらチェーンソーを振り回す敵。スピードにそこまでの自信が無い結良はギリギリでの回避を余儀無くされていたが、既に攻撃の“種”はほぼ配置し終えていた。
「さあ、来い…!」
わざと着地の隙を見せて背後に回る様に仕向ける結良。そして目論み通り敵が雄叫びを上げながら背後に回った事を確認すると全員に攻撃合図を送った。
「蓬莱!咒詛[蓬莱人形]!」
ありとあらゆる所に隠れていた蓬莱と呼ばれた人形が飛び出し、白の敵に向けて一斉にレーザーを放つ。計十数本ものレーザーに身を晒された相手は悲鳴を上げながら身悶えし、最終的には体表面の殆どを焼かれて命を落とした。
「ふぅ、レミィ!」
既に仮面の敵と戦闘を始めたレミリアに声をかける。レミリアもレーヴァテインを発現させすぐにでも終わらせようとしていたが、仮面の敵が一気に飛び退き、手に持っていた鎖を利用して袋の敵のチェーンソーを回収し、更にすり抜け様に巻き布の敵のチェーンソーを回収して無理矢理右腕にチェーンソーを二つ装備した。
「その程度で私に勝てるとでも!?」
間髪入れずに接近するレミリア。それに合わせて相手は右腕のチェーンソーを振り下ろし、レミリアはそれをかわして後ろから首を切断しようとした。だが、彼女は見てしまった。チェーンソーに名前が書かれていて、そこに“Lunasa Prismriver”と書かれているのを。
その名前を見てはっとするレミリア。かつて紅魔館に居た時にしばしば演奏に来ていた三姉妹…そう、確か名前は―――
「ルナサ…!貴女、まさかリリカ!?」
黒と白、そして赤のプリズムリバー三姉妹の演奏している姿を思い出す。言われてみれば三人の服の色も合致し、さっき即死させた相手の僅かに飛び出た髪は確かに金髪だった。そしてこの敵の髪も、末女であるリリカの髪と同じ茶色である。
「レミィ何してるの!?呪符[ストロードール…」
「駄目よ結良!あれはリリカよ!リリカ・プリズムリバー!殺しちゃ駄目!」
「えっ!?」
結良も彼女達の記憶からプリズムリバー三姉妹の事を思い出し、スペルの発動を止める。しかしその隙にリリカは結良に突進し、ギリギリの所でレミリアの飛び蹴りに身体を飛ばされた。
「あの子は私が相手をする!あんたは少し下がってて!」
レミリアの動揺に反応して姿を杖に戻していたレーヴァテインを再度呼び出す。そしてリリカに肉薄するレミリアだったが、これと言って殺さずにリリカを無力化する方法が思い当たらず、ただレーヴァテインを当たるギリギリのところで掠めさせる事しか出来なかった。
「目を覚まして!貴女達は何の為にこんな事をしているの!?何で幻想郷に留まっていなかったの!?」
必至に呼びかける。だがリリカは全く反応を示さず、更にチェーンソーを振り回してレミリアを牽制した。
「くっ…!リリカ!」
リリカの移動先を読んでハートブレイクを投げる。それに動きを阻害されたリリカだったが、相手が他に何もして来ない事を知ると更に攻撃の手を激しくし始めた。
チェーンソーが幾度と無くレミリアに向けて振り回される。当たればただでは済まないという事は明々白々だったがそれ以上に殺すような技しか今の自分には無いという事がレミリアを更に焦らせていた。どうする…?体術はチェーンソーのせいで無傷で当てれそうに無く、ハートブレイクを当てれば向こうがただでは済まない。だからと言って何もしなければジリ貧になり、他の技はどれもこれもハートブレイク以上の威力があり即死させてしまう。疲労と焦りが蓄積されていく中レミリアは攻撃をかわしながら考え続け、カード入れに手を突っ込んで考えていると、ある事を唐突に思い出した。
「…そうよ…まだ、“アレ”があるじゃない…!」
カード入れから一枚のカードを取り出す。初めて霊夢達と弾幕勝負をした時に使用したスペルカード…これを使えばまともに傷つけずにリリカを無力化出来る…!そう確信したレミリアは右手にカードを持ち直してリリカに再度肉薄した。
「行くわよリリカ…!これで目を覚ましなさい!」
チェーンソーを袈裟に振り下ろすリリカ。吸血鬼であるレミリアならかわせる速度だったが、全弾当てなければ意味が無いとレミリアは思い、両断されるが早いかのところでスペルカードを発動した。
「紅符[スカーレットシュート]!」
レミリアの手から紅い弾幕が大量に放出される。そしてそれら全てがリリカの身体に当たり、その内の一発が仮面を破壊して、勢いの衰えきらないチェーンソーがレミリアの肌を蹂躙する前に蝙蝠化してレミリアは難を逃れたが、流石に服まではその被害を避ける事が出来ず、左肩口から斜めに切断された服の一部が元の姿に戻ったレミリアの首回りに掛かっていた。
「レミィ!大丈夫!?」
「なんとかね…リリカは?」
走り寄って来た結良に答えながら正面を見るレミリア。その先に見えたリリカの身体は地面に倒れたままピクリとも動かず、ただ未だに幼い顔を露にして気を失っていた。



   ***



「ん……姉、さん……」
「あ、起きたみたいね」
リリカが目を覚まし、結良が傍に近寄る。その姿を視界に捉えながら周囲を見渡してここはどこかの建物跡か何かだとリリカは理解し、ゆっくりと上体を起こした。
「痛っ!」
「ああ、まだ無理しないで。全く、レミィもあそこまで強力なスペルを使う事は無いじゃない」
「仕方ないでしょ。あそこでやらなきゃ、こっちが殺られてたんだから」
結良の言葉にレミリアが反論する。その服装は先程までの斬られた服ではなく、ルナサが着ていた黒いコート姿であった。
「目が覚めたのねリリカ」
「レミリア……あんた、なんで…?」
リリカに視線を寄越すだけで、顔もリリカに向けようとしないレミリア。だがその表情はどこか後ろめたさの様なものによって曇っており、その服装を見てリリカもおおよその事態を理解した。
「そっか……私達を、止めてくれたんだ……」
「…すまんな、姉の二人は、もう………」
視線をあらぬ方へと向ける。その先に二つの十字架が立てられており、傍にチェーンソーから元に戻った二人の楽器が置かれているのをリリカは見た。
「やっつけだけど、墓は作らせて貰った…せめてもの罪滅ぼしとでも思っておいてくれるとありがたい」
レミリアの珍しく小さな声にただ頷くリリカ。そして―――――
「…ありがと…幻想郷が壊されて、皆許せなくて…でも演奏はしようって思ったんだけど、怒りが収まらなくて…それで…」
涙が限界量を超え、泣き出す。その涙は自責と後悔の念で満ちており、結良は上海にその涙を拭わさせた。
「ポルターガイスト故の不安定さね…でも貴女達は悪くない。悪いのはそうさせた奴よ…」
唐突に立ち上がるレミリア。腕まくりをして露になっている腕が静かに怒っている様に見え、結良も静かに立ち上がった。
「リリカ、二つ程お願いがあるんだけど…」
「何?」
リリカに向き直る。そして彼女を視界の正面に捉えてからレミリアは口を開いた。
「貴女に斬られちゃったから、この服は頂いていくわ。それと、もし幻想郷に戻ったら…そこの楽器で二人の墓を作り直してあげて頂戴…」
「うん。気をつけて…」
リリカの言葉を聞いて踵を返すレミリア。その後ろ姿を見送りながら、リリカは二人の姉の墓の前でもう一度目を閉じた………


   ―――――


「……ん?」
リリカを置いて暫く、東海道線に乗り始めた頃にレミリアは誰かの声を聞いた気がして後ろを振り返った。
「どうしたの?」
「…いえ、ただの空耳だったようだわ」
疑問に思う結良に微笑みながら答えるレミリア。だがレミリアは確かに聞いていた。リリカ、いやあの三姉妹にとてもよく似た声を。
―――ありがとう…
プリズムリバー“四”姉妹の末女の声を、確かに………
「…どう、いたしまして…」



   ***



「随分と歩いてきたわね…」
東海道線に乗って暫く…あれから雨に降られる事も無く、睡眠以外は常に歩いてきた二人は多少の肌寒さを感じながらコンクリートの荒野を歩いていた。
「東海道線をずっと辿っていけば必ず東京に辿り着けるわ。でもなんで東京にあいつ等の本拠地があるって分かったの?クリニィがそう言ったの?」
「違うわ。館を出る時に襲ってきた奴等の装備を漁ってたら辞令書らしき物が出てきて、そこに『帝都本部』って書いてあったのよ。帝都は昔の東京の事、本部という事はそこにあの馬鹿が居る可能性が非常に高い。それだけよ」
「成る程ねぇ…」
頭の後ろで手を組む結良。そしてそのまま少しだけ空を見ていると、遠くで何かが落ちる音が耳に入った。
「何の音?」
「…誰かが下等妖怪と戦っているようね…」
聴覚に自信のあるレミリアが判断する。言われてみれば妖怪の叫び声の様なものも混じっており、それはこの先の東海道線沿いから聞こえてきていた。
「行ってみましょ。もしかしたら何か情報が手に入るかもしれないし」
「あまり気が進まないけど…確かに情報は欲しいわね…」
渋々承諾するレミリアを率いて急ぎ出す結良。そしてその先に見えたのは、下等妖怪相手に一振りの日本刀で戦っている女性の姿だった。
「…はあっ!」
右上半身部分が破れて無くなっているロングコートと銀の髪をなびかせながら刀で妖怪を斬る。そしてそれでは足りないと直感して更に渾身の刺突を繰り出して女性は妖怪を全て倒す事に成功した。
「あれ…もしかして白楼剣じゃ…て、レミィ!?」
隣にレミリアが居ない事に吃驚する結良。一方のレミリアは彼女が持っているのが白楼剣だと確認するとレーヴァテインを発現させて斬りかかっていた。
「ぅお!?」
ギリギリのところで鍔迫り合いに陥る。レミリアはその隙に相手の刀を舐める様に見て、間違いなく白楼剣である事を確認した。
「間違いない、それは白楼剣ね」
「何訳の分かんない事言ってやがるんだっ!」
白楼剣を振り抜いてレミリアを弾き飛ばす。一方のレミリアもその勢いを利用して相手との距離を十分に取った。
「ちょっと!何してんのレミィ!?」
「ちょっと遊んでくるわ。結良はその辺で見てて頂戴」
レーヴァテインを構え直して再度突撃するレミリア。そしてもう一度鍔迫り合いに陥りながら、レミリアは幻想郷を出る前に聞いた“彼女”からの願いを思い出していた………



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