「初めまして。俺の名前は門倉甲斐って言うんだ。アンタの名前も、教えてくれないか?」 名称:門倉甲斐。推定種族:人間。記憶域に一件の該当項目あり。現在のマスター候補第一位。優先度、暫定高。優先度の変更をしますか? →No 「門倉……門倉、甲斐様? わたくしは……わたくしの名前は、み〜ことと申します。初めまして、門倉甲斐様」 み〜ことが初めて目覚めた時、一番初めに口にしたのは自分の名前ではなく、甲斐の名前だった。その事実がなんとなくみ〜ことには何か意味があるような気がして、この後甲斐が口にした自分の所に来るか否かという問いに是と答え、門倉家のメイドとして仕えることになる。それが、初めてのみ〜ことの『思考』だった ガチャリと甲斐が家の鍵を開け、玄関の中へと入る。それに続いてみ〜ことも家へとはいってその中を見渡した。 「さ、ここが今日からアンタの家だ。俺はちょっとこれから前のバイト先に行って色々やってこなきゃならないことがあるから、悪いけど適当にくつろいでてくれ。中にあるものは好きに使ってくれていいから、テレビでも食いもんでも……あ、物は食べれないのか。まあ、ともかくそんな感じで」 「畏まりました、マスター」 甲斐の言葉の後に、恭しい態度で頭を下げるみ〜こと。 「マスター、マスターね……。まあ確かにそういう事になるんだろうけど……出来ればその呼び方はやめて欲しいな。名前で呼んでくれ、名前で」 「畏まりました。では、今後は甲斐様とお呼び致します」 「様、ね。まあいいか。んじゃまあ、行ってくる」 「はい。行ってらっしゃいませ、甲斐様」 深々とお辞儀をして、軽く手を振って背中を見せた甲斐の見送りをする。そしてバタンと扉が閉まって完全にその姿が見えなくなった後に、み〜ことは早速動くことにした。 眼球のモードを写真記憶に変更。もう一度そこをぐるりと見渡すと、まずは間取りの把握と他の部屋も同じく隅々まで記憶していく。そして周辺地図も組み合わせて通常時、危急時、災害時などの最適なルートを構築すると、次に家にある家具や家電などの把握を開始した。 家の大きさに対して総じて置いてあるもののランクが少々低めで、充実度もあまり高い方ではない。その上靴箱の中にも靴が一人分しか存在せず、冷蔵庫の中の食材があまり多くはなかったことから、一人暮らしと断定。次に清掃、洗濯、料理などの作業の効率化を図るために道具の位置や種類を把握。不足物があればリスト化する。 それで大体の準備が終わったので、み〜ことはまず家の中の掃除から開始することにした。 初めに家全体のホコリの処理。さらに念のために内蔵されている対防虫低周波発生装置を使用し、発見した死骸の処理。次に清掃用無菌布とバケツを用意して窓の拭き掃除。その後も風呂掃除や洗濯、料理の下ごしらえなど、大凡思いつくすべての家事を驚くほどの短時間で済ませていく。 そしてちょうどすべての作業が終了して、み〜ことがすぐに出来ることはだいたい終わらせた頃に、み〜ことの聴覚センサーに反応があった。どうやら甲斐が用事を終えて帰ってきたようだ。 み〜ことはすぐに使い終わった道具をしまうと、玄関へと移動して己の主人を迎えるべく待機する。 「ふう……、――ん?」 「おかえりなさいませ、甲斐様」 そして扉が開いて甲斐が玄関へと入ってくると、すぐにみ〜ことは深々と頭を下げて出迎えた。 すると一瞬甲斐はきょとんとして首をかしげて動きを止めたが、 「ああ、そうか。今日からアンタが居るんだったもんな。……ただいま、み〜こと」 ふっとどこか嬉しそうに表情を緩め、目を細めてそう口にする。 その表情と声を聞いた瞬間み〜ことは、初めて名前を呼ばれた時と同じ何かを感じて、そっと自分の胸に手を添えた。 「み〜こと?」 「え、あ……」 「どうした、いきなりぼーっとして。なんか合ったか?」 靴を脱ぎながら首を傾げた甲斐に、み〜ことは少し慌てながら首を横に振って、 「い、いえ。なんでもございません。……甲斐様。先ほど甲斐様がお出かけしていた間に掃除やお洗濯はすませておきましたので、もう他にお出かけする予定がないのであれば、後はごゆっくりお休みくださいませ」 「あん? 掃除も洗濯もやっといたって、この短い時間に全部か? そりゃすごい。どれどれ?」 そう言いながら居間へと移動すると、甲斐は一度部屋の中をぐるりと見回して、ほうと感心のため息を漏らした。 「おお、すげえ。どこもかしこもピカピカだ。まるで新築の頃に戻ったみたいだぜ。ありがとな、み〜こと。こりゃ今晩は気持よく眠れそうだ」 その後甲斐はみ〜ことに向かってにっと明るい笑顔を見せると、ぽんとその肩を軽く叩いて着ていた上着を脱ごうとする。 「いえ。この程度、メイドとして当然の務めでございます。それよりも甲斐様。お召し物はわたくしにお任せ下さい。お手伝いします」 み〜ことがそう言って上着を脱ぐのを手伝い受け取るが、甲斐はそれに思わず苦笑して、 「いやいや、み〜こと。家は上流階級でもなんでもないから、そういうのには抵抗があるんだ。だから家事手伝いはありがたいけど、必要以上の世話はいらないから」 と言葉を告げる。 それにみ〜ことは「畏まりました」と口にしながら恭しく頭を下げた。その態度に甲斐はもう一度小さく苦笑を浮かべた後、居間から出ていき部屋へ戻ろうと廊下に出る。 「甲斐様。お部屋にお戻りになられる前に一つ、お聞きしたいことがあったのですが、少々よろしいでしょうか?」 「ん、なんだ? 別にいいけど、まだなんか気になることでもあったか?」 「ありがとうございます。では……」 み〜ことはもう一度静かにお辞儀をすると、甲斐に確認事項を告げる。 「お部屋にあった、奥に積まれていた雑誌類はまだ読まれることがあるのでしょうか? もしもそうではないのなら、紙は埃がたまりやすいのでできるだけ廃棄をしたいのですが」 「部屋の奥にあった、雑誌……? ――あっ」 甲斐の脳裏に、自身のコレクションたちの姿が浮かぶ。一人暮らしで誰に見られることもないものだから、特に隠しもせず積んであったのがまずかったかと顔を引きつらせて肩を落とした。若い男が"そういう類い"を持っているのは当たり前だが、実際にそれを女性に見られてしまうというのはさすがの甲斐も多少きついものがあった。 「あ、あー……、悪いけど、あの辺の本は今後ノータッチでお願いします、はい。一応今度からは、人目にはつかないところにおいておきますので……」 「? はい、畏まりました」 とまあ、そんなこんなでこの日から、甲斐とみ〜ことの共同生活が始まったのであった。 初めのうちは、初日のようにそれぞれの認識をすり合わせる必要があった。上着の時のように、彼女の過剰なおもてなしを控えてもらったり、バイトが無くなって暇が増えたからと少し家事を回してもらったりと色々だったが、み〜ことはともかく優秀で、何をするにも卒がなかった。そのたびに甲斐は感心したり驚いたり、ついでにみ〜ことに頼まれたものを買って揃えてやったりしながら、同時にその機械的な態度に少しだけ不満を覚えてしまう。 甲斐はいつも、他人に対して自分から何か干渉をするということが少なかった。それは甲斐の根本にある、何でもすぐに受け入れる気質の弊害とも言えるものだったのかもしれない。その相手を、世界をそのまま受け入れてしまうからこそ、余程のことがない限りそこにそれ以上の干渉をせずに自然の変化のみを受け入れる。 とは言えやはり、甲斐とて人間だ。仮にみ〜ことが他人だったら、これまでのように甲斐は何も思わなかっただろう。しかし甲斐は早くに家族を亡くしており、その孤独を受け入れながらも忘れることはしていなかった。だから―― 「なあ、み〜こと」 「はい。なんでしょうか、甲斐様?」 「そう、それだ」 甲斐はピッとみ〜ことを指でさしてそう言った。 「……?」 み〜ことは訝しげに首を傾げて甲斐を見る。 「前はそれ、スルーしたけど……なあ、み〜こと。お前は当然、これからもこの家に居るつもりなんだよな?」 「甲斐様の質問の意図が理解できませんが……、はい。おそらく甲斐様がわたくしを返却しない限りは、こちらにいさせていただくことになると思います」 「そりゃありえないし、んじゃあみ〜ことはもう俺の家族ってことだよな? それならやっぱり、お前さんは今後様付けで俺のことを呼ぶのはやめてくれ。できれば口調ももう少し崩してくれると嬉しいんだけど……まあ流石にそれは今は置いとくか」 「……しかし、マスターのお名前をメイドのわたくしがそのように呼ぶわけには……」 「さん付けでもダメか?」 「……」 無言で眉尻を下げて、目線を伏せるみ〜こと。そんな初めて見る彼女の困り果てた表情に、甲斐は一度残念そうに吐息を漏らすと小さく肩をすくめた。 「仕方ない、今は諦めるか。別にお前を困らせたかったわけじゃないからな。まあ、いつか自然に呼び方が変わることを期待するよ」 そして最後にそう告げると、み〜ことから視線を外してソファーでテレビの続きを見始める。み〜ことはその様子を横目に見ながら、呆っと考え事をしつつ掃除の続きをするために手を動かせ始めた。 (家族……) 本来は、共に住んでいる直接の血縁者に対して使用する形容詞。 (わたくしはロボットで、甲斐様は人間。血縁どころか機械と人……何もかもが、違うというのに……) そしてガシャンと、大きな音がする。続いてバシャリと大きな水音が。考え事をしていたせいなのだろう。み〜ことは手元が疎かになってしまい、その時磨いていた半円級の水槽をつい手落としてしまったのだ。 「あ……!」 「ん?」 その音に甲斐が振り返ると、珍しく失敗してしまったみ〜ことの姿が。それを見た甲斐は目を丸くして驚きながら、「大丈夫か?」と反射的に声をかけていた。 するとみ〜ことは、 「申し訳ありません、甲斐様。すぐにお片づけを……」 と言いながら深々と頭を下げた後、手早くそれの処理をし始めた。 表情は無表情。同時に死んでしまった水槽の中の金魚達は手際よく処理して"ゴミ箱"へ。その様子を見た甲斐は一瞬眉を顰めて、「なるほど」と小さくひとりごちた。 先ほどみ〜ことが頭を下げたのは、ただの反射行動。悪いと思っているから謝っているのではなく、悪いことをしたのなら謝らなければならないから謝っている。そこに介在している感情はなく、"失敗"に関しては謝罪していても、それで失われてしまったものには何も感じていないのだろう。 先ほどの表情を鑑みるに感情が全くないということはないのだろうから、これはやはり単純に教授の言っていた情緒の未発達が原因なのだろう。 「……ふむ。なあ、み〜こと」 「はい。なんでしょうか?」 すべて片付け終えたみ〜ことに向かって甲斐は声をかけると、ソファーから立ち上がって、 「ちょっと出かけるぞ。悪いけど、少し付き合ってくれ」 「それはつまり……わたくしも一緒に、ということでしょうか?」 「ああ、そういうこったな。よし、行くぞ」 「……畏まりました」 そう言って上着を取って玄関へと向かった甲斐を追いかけて、み〜ことも玄関の方へと歩いていった。 |
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