岡崎夢美は、門倉甲斐を気に入っていた。少なくとも、甲斐に手を出されて平然と無視できない程度には、気に入っていたのである。
 それはなぜかというと、甲斐があっさりと『魔力』そして『魔法』を信じたから……というわけではない。
 さすがの甲斐とて、証拠も実例も理由もなしに何でもかんでも信じるわけではないのだから、初めからまるっきり全て信じていたわけではないのだ。
 では、それは何故なのか。

 岡崎教授が甲斐を気に入ったその理由は、"岡崎夢美が"本気で『魔力』と『魔法』の実在を確信しているという、岡崎教授にとっての世界を否定せず受け入れてくれたからというものであった。

 おまけに今回の相手は、あの自分の研究を信じようとしなかった老害たちよりもある意味で更に憎たらしい、岡崎教授にとっては宿敵のようなものだったのだ。それが自身のテリトリーに無遠慮に侵入してきたというのに、無抵抗でいるはずなどあろうはずがない。
 だから彼らが甲斐とその周辺に手をだそうとしていることを知った時、岡崎教授は部外秘も良いところである自らの再秘奥の一つすら持ちだして、それを放った。

 ――科学魔法――

「――苺クロス!」
「なに!?」

 その名の通り、苺色の巨大な十字架。それが岡崎教授の宣言後に、わずかに残っていた数人の黒服を巻き込んで地面を抉りながら弾丸のように飛んでいく。しかし黒スーツの女は声と同時に背後へと振り返り、すぐにまたそれに手をかざすと弾き返した。
 そして教授の放った十字架は、その後まるで空気に溶けるようにして消えていってしまう。
 その光景を目にした瞬間、岡崎教授はフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。

(確か……硬と軟を操る程度の能力、だったわね。予定通り防がれたか)

 そして教授はそのままの体勢で多少わざとらしく首をかしげて、

「うーん……魔法が素晴らしいのは間違いないんだけど、名前を宣言しなきゃいけないことだけは難点よね。そこは科学魔法でもおんなじだし、奇襲には使いにくいわ」
「ちっ、岡崎夢美か……!」



◆◇◆◇◆◇



 甲斐は驚いていた。岡崎教授が何故かここにいることや、突然よくわからないものを放ったから、ではない。岡崎教授がレーザーだろうが十字架だろうが何をだそうと正直今更だったので、それは大して驚かなかった。この人はあのみ〜ことの生みの親なのである。常識が通じないのは元からなのだ。
 だから問題は、そこではなく――

(もしかして岡崎教授には、雛が見えてないのか!?)

 門倉家、もしくは甲斐のそばにいる時は、外の世界でも力の有無にかかわらず雛は誰にでも見える。そして数日を共にしたことで、甲斐とみ〜ことには雛との繋がりができていたから、もはや外の世界のどこにいようとその姿を視認することができるが、果たして岡崎教授はどうなのだろうか。
 その可能性に思い当たった瞬間、甲斐は慌てて黒スーツの女越しに岡崎教授に叫んだ。

「教授! 今俺達は人質を取られてるんだっ。だから手を出さないでくれ、頼む!」
「えー、人質? 全く、わざわざ来てやったってのにいきなり指図されるなんて、面白くない上に面倒くさいなー」

 と同時に岡崎教授は言葉通り本当に面倒くさそうな顔をして、はあっとため息を吐いた。

(……?)

 なんだか随分と、岡崎教授らしくない発言だ。それに、

(今の、目配せは……)

「まーったく、今ごろちゆりはどこで油売ってるのかしらね。ちゆりもいたら大分楽になったのに、肝心な時にいないなんて……相変わらず使えないんだから、ホント。あとでお仕置き決定ね」

 それはもしかして、ちゆりが来るまでの時間稼ぎをしろということなのだろうか。
 だが、この状況で甲斐が動かせるのは口のみだ。そしてあの黒服たちと会話する材料なんて、甲斐にとってはないに等しい。時間稼ぎをする以上、黒スーツの女が聞く必要のある内容の話をしなければならないのにもかかわらずだ。

(……可能か? いや……)

 今のこの状況は、ほぼ三竦みとなっていると言ってもいい。
 甲斐たちは言わずもがな動けないが、教授には人質の意味がないのだ。岡崎教授が今止まっている理由は、偏に甲斐の言葉のみが原因。そして黒スーツの女にはもはや手勢は存在せず、何らかの要因で人質を失えばその瞬間に挟み撃ちされる状況にある以上、迂闊には動かないだろう。

(これなら、話しかけるのを黒服にする必要はないかもしれない)

 そして甲斐は黒スーツの女への警戒を怠らないように気をつけながら、岡崎教授に向かって、

「ところで岡崎教授は、どうしてここに居るんですか? もしかして、こいつらが誰かを知って?」

 と疑問をぶつけて見ることにした。

「もちろん知ってるわ。いえ、知ってるどころの話じゃないわね。言っちゃえば私にとっては、目の上のたんこぶみたいなものなのよ、この連中は」

 岡崎教授が学会へと研究成果を発表した時、その多くの人間はそれを一笑に付した。しかし、学者という人種全てが誰一人例外なくそれを否定するということなど、本当にあり得るのだろうか。
 答えは、否である。
 一部だけ、本当に一部の数少ない人間だけではあったが、岡崎教授の研究に興味を示したものは確かに存在したのだ。しかし、そんな彼ら彼女らの意見と興味は全てなかった事にされた。

 それを行ったのが、今ここに居る黒服たち。それを知る者にはただ『監視者』とだけ呼ばれている、日本政府直属のブラックボックス。
 『監視者』の目的はただひとつ。現実を守り幻想との均衡を保つこと。現実が幻想に侵食されないために結界が誰にも暴かれないよう監視し、そして再び現実が幻想へと至るのを阻止するために幻想を否定することだけが目的の組織だった。

「あれが本当は正しいことだってことを知っていながら否定してくれちゃったこいつらは、学者という真実を正義とする人種全てにとっての敵。だからこいつらは、私にとっては障害であると同時に最大の天敵なのよ」
「ふん。なんだ、今までなかなか尻尾を見せなかったが……やはりあの研究は続けているのか」
「当たり前でしょうが。あれが間違ってたんなら素直に諦めただろうけど、ホントは正しいのに否定されるだなんて冗談じゃない。私たち学者っていう生き物は、知識欲と諦めの悪さだけが心情なのよ。舐めてもらっちゃ困るわね」
「そうか。だが……」

 とその時黒スーツの女はもう一度ふんと鼻を鳴らすと、思わず見る者の背筋を凍らせてしまうような苛烈な視線を雛に向けた後、

「まずはこれを処理するのが先だ。――時間を稼いでいたのは、何も貴様達だけではない」

 ――手榴弾グレネード

 最後に女がそう呟いた瞬間、甲斐たちの眼前に禁断の果実アップルの別名で呼ばれる金属塊が何処からか転がり込んできた。
 直後にみ〜ことは刹那の間もかけず瞬時に甲斐を庇うようにして地面に押し倒したが……しかし次の瞬間その場に溢れたのは、爆炎と共に生じる破片の雨……ではなく、

「煙――発煙弾スモークグレネード!? あ、まさか……逃げるつもりか!」

 元々黒スーツの女は雛が身に纏うそれを認識していたために、この場でどうにかするつもりはなかった。
 雛の厄は厄災の元。今すぐに雛を消してしまえば、それは制御を失いあたりに撒き散らされてしまうだろう。よって経過は違えど彼女がここで撤退という二文字を選択したのは、むしろ予定調和だとも言えるもの。

 しかし人ならざる瞳を持つみ〜ことにとっては、これはむしろ好機となり得る。

 そしてあたりに煙が充満する中何時の間にか立ち上がって前へと一歩踏み出したみ〜ことの足を――本来は硬いはずのアスファルトの地面が、グニャリとまるでぬかるんだ泥のごとく絡めとった。

「――!?」

 これにはさしものみ〜ことも流石に転倒せざるをえず、屋外であったことから視界が晴れるまでにはさほど時間がかからなかったというのに、その時にはもはや黒スーツの女と雛の姿はどこにもなかった。
 直後に甲斐はふらふらと立ち上がりながら周囲を見渡しそれを確認すると、一度「クソ!」と悪態をついた後己のメイドへと向き直る。

「み〜こと!」
「はい!」

 そして甲斐はみ〜ことからすぐに返事が返って来たことを確認すると、次にとんでもないことを口走った。

「お前、俺を抱えても!?」

 だがしかし……み〜ことの生みの親は、独力で現代に魔法というものを擬似的にとはいえ再現させたあの岡崎教授なのだ。

「主人に求められればそれを果たすのがメイドの務め。そのくらい、お茶の子さいさいでございますわ」

 ――故にその程度のことが、出来ないはずがないのである。

「なら、追うぞ!」
「承知いたしました!」

 そして甲斐の身体を軽々と抱え上げたみ〜ことは、すぐに空へと向かって飛び上がったのであった。



◆◇◆◇◆◇



 岡崎教授は雛を連れ去った車を追うべく頭上へと舞い上がった甲斐とみ〜ことの姿を見上げながら、内心でほくそ笑んでいた。

 甲斐とみ〜ことにとって最も危険なのは、今回のように一度に相手取る人数が多すぎる状況である。
 しかしこうなってしまえば、後はあの女とのタイマン勝負。この場にいる黒服たちが復活して援護に向かわないように拘束しておけば、後はあの二人が片付けてくれるだろう。
 さらに『監視者』からの新しい人員の導入はないように、昼間の内にすでに岡崎教授は『監視者』との交渉を終えている。そして今回の件がこちらの勝利で終わってしまえば、これ以上甲斐や自分には少なくとも当分の間手出しは出さないという条件も飲ませていた。

 しかも、

(今回は色々と、素敵なデータがとれたわね♪)

 というように、ちゆりにはそれデータ収集に専念させていたので、教授にとってはかなりの収穫が見込めるだろう。
 そしてそれに専念させていたということはつまり、多少露骨に時間稼ぎをしようとしているように見せかけていたのは、実は黒スーツの女にこの場に留まっていてはこちら側の援軍があると勘違いさせるためのブラフだったのだ。
 そのお陰でもう、これで万が一にも他の黒服の援護はあの女に届くことはないだろう。

 確かに岡崎教授は甲斐のことを気に入っていて、そしてそれを助けるために自身の秘密兵器の一つまで明かしてしまった。しかし逆に言うと、手札を一つ明かしただけでこれだけの様々なリターンを得ているとも言える。
 この岡崎夢美という人間は、基本的に転んでもただでは起きない性格と頭脳の持ち主なのであった。

 ということで、

「あ。あのメイドさん、とうとう空飛んじゃったわよ」
「なんか、わたしの知ってるメイドと違う……」
「なんていうかわたしたちって、今回完全に置いてきぼりの蚊帳の外よね……」

 もっとも割を食ったのは、もしかしたらこの二人かも知れなかった。












<あとがき・一言メモ>

親方! 空にメイドが!

み〜ことの廃スペックっぷりがヤバイです。そして教授ェ……。



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