甲斐達の通っている、とある大学の奥にある研究室。その更に奥にある冗談のように広い部屋で、岡崎教授は何やらよく分からない機械の前で作業をしていた。しかししばらくするとその手を止めて、がんっと軽く八つ当たりするようにそれを叩く。

 岡崎教授は、苛立っていた。それはいつも警戒し監視を怠っていなかったはずのそれが、少し目を離していた隙にとんでもないことをしようとしていたからだ。
 これは到底、許せることではなかった。
 これ以上、その好き勝手を許すことはできないのである。
 そして岡崎教授は自身の助手の名を、まるで今感じている苛立ちをぶつけるような鋭い口調で呼びつけた。

「ちゆり」
「ん、何だ? 呼んだか、教授?」
「呼んだわ。ちゆり、すぐに出る用意をしなさい。装備はMの1型よ」
「M−1!? それって……!」
「ええ、そうよ。つまりそれだけの事態だってこと。ほら、グズグズしないでさっさと準備してきなさい。40秒以上かかったらお仕置きね」
「ええっ、そんな理不尽な!?」
「いいから早くしなさい。すぐに行くわよ」
「いやだから、行くってどこに!? せめて少しくらい説明してくれよ!」
「……はあ、仕方ないわねえ。それじゃあ行く場所くらいは教えてあげる。これから私たちが向かうのは――」



◆◇◆◇◆◇



 ――南海山公園前プール

 そこは近年少しずつ作られるようになってきた、パノラマ型の水泳場である。
 パノラマ型水泳場とは、簡単に言ってしまえば映画のセットのようなものを楽しむことのできるプールのことだ。場内のそこかしこに映し出された立体映像と演出効果。更に設備機器と砂などの小道具を組み合わせて擬似的に特定の環境を再現する。
 再現する環境はそのプールによって違いがあるのだが、ここ南海山公園前プールでは南の島――恐らく沖縄あたりだろう――の海を再現していた。
 天井に広がる、まるで本物のようにしか見えない抜けるような青い空。透き通ったエメラルドの珊瑚の海にしか見えないプール。さらに足の裏にサラサラとした感触を感じる、白い砂浜。

「ねえ、蓮子。わたしはたしかに嫌だって言ったはずなのに、どうして今ここに居るんだと思う?」
「そりゃあわたしがあんたを無理やり連れてきたからに決まってるじゃない、メリー」

 そしてその砂浜にビーチセットを出して寝そべりとてもイイ笑顔を浮かべているメリーと話しながら、蓮子はイタズラっぽくニコリと笑った。

「じゃあどうして嫌がるわたしを無理やり連れてきたのかしら、蓮子」
「それはもちろん、嫌だと言われたら多少無理やりにでも連れてきたくなるのが人情だからよ、メリー」
「……そう。なら、もしもわたしがいいって言ってたらどうしてたの?」
「え? 何言ってんの? いいって言ってるのに連れてこないわけ無いじゃん」

 蓮子がさも当然のように答えると、メリーはとうとう「この天邪鬼め……」と呟いて押し黙った。

「……」
「……」

 そして蓮子も沈黙すると、二人は無言でじっと見つめあう。

「蓮子」
「なに、メリー?」

 その後しばらくするとメリーは、まるで男女問わず見るもの全てが蕩けてしまいそうな極上の笑みを浮かべて、

「向こう一ヶ月わたしに無視され続けるか、今すぐここで謝るか……どちらか選んでくださる? もちろん、今すぐに」
「ゴメンナサイ!」

 それを聞いた瞬間、蓮子はほとんど反射的に土下座する勢いで謝っていた。甲斐のことが苦手であるということからわかるように、蓮子のようなタイプにはなにより無反応が一番きつかったりするのである。

「よろしい」

 まあメリーも元々本心から怒っていたわけではないし、それで水に流すことにする。こういったやり取りはある種日常のようなものであるし、二人にとってはじゃれ合いに近いものなのであった。
 というかそもそも本当の理由は、三人よりもメリーを含めた四人のほうがいろんな意味で都合がいいと考えたから誘ったのだろう。それなら納得はできなくもないし、仕方ないと妥協してあげなくもないのでメリーも本気で抵抗はしなかったのだ。
 とメリーがそんなことを考えていると、その時ふと蓮子は顔を上げて、

「ところで……」

 小さく呟きを漏らしながらプールの方へと視線を向ける。
 そしてその視線を辿っていくとその先には――

「あの二人って、やっぱり付き合ってるのかな? なんか合流した時からずっとびっくりするほどくっついてるし、しかもやたら仲いいし」

 ――ばしゃりばしゃりとバタ足をして一生懸命泳ぐ練習をしている雛の姿と、その手を引いて補助をしている楽しげな甲斐の姿があった。

「ああ……」

 メリーもその疑問の声を聞いて、思わず納得したように小さく首を縦に振ってしまう。
 多少事情を知っているメリーからすれば恐らく付き合っているということはないと予想できるが、それでも蓮子がそう思ってしまうのも無理もないと思ったからだ。
 なにせ二人と合流した時もその後も、雛が水着を持っていないからと直前に入ったショップの中でも、その試着の時でさえも試着室の側に待機して甲斐は片時も離れようとはしないのだ。しかも合間合間に見せる雛のギャップのある反応が余りにも初々しくて、何度かメリーまで勘違いしてしまいそうになったほどである。

 ちなみに余談ではあるが、甲斐が持ってきた水着が普通のトランクスタイプだったのを見て蓮子が、

「何だつまんないなー。どうせならブーメランとか持ってきてよ、ブーメラン」
「いやいや、んなもん持ってないから!」

 などとという一幕があったのだが、それはまた別の話。

「むむむ……。可愛くて彼氏もいてしかもスタイルが良くてその上おっぱいもおっきいなんて――」

 とその時急に蓮子が何やら呻くように喋りだしたので、メリーが考え事を中断してそちらを見ると、

「――わたしなんて大学に入ってからさっぱり恋人なんて縁がなくて、密かに裏で百合サークルとか実は二人でデートしてるだけの不良サークルとか言われてるくらいなのに……リア充爆発しろ!」

 くわっと目を見開きながらそんなことを叫んでいたので、思わず呆れ顔で小さくため息を吐いた。

「あの大きさ、多分C以上……いやさ、Dはあると見た!」

 しかしメリーのそんな反応も意に介さず、直後に蓮子はフリルのついた上下一体型の赤っぽい水着の胸部部分を押し上げる雛の双丘を睨みつけながら、びしっとそう言い切った。

「髪に隠れてて最初は分からなかったけど隠れ巨乳だなんて、お雛ちゃん……恐ろしい子!」
「はあ、全くもう……。蓮子、別に女性の魅力ってそこばっかりじゃないでしょ。あんまりそういうことばっかり言ってると、人間が安っぽく見えるわよ?」
「むかっ」

 その痛烈な皮肉を聞いた瞬間蓮子は唇を尖らせて、

「それはメリーもスタイルがいい上にそんな立派なもの持ってるから言えるんだからね! くー、こうなったらそのけしからんおっぱいに持たざる者の怒りをたっぷりと思い知らせてやる!」

 そんなことを叫びながらすぐ横にいるメリーに飛びかかると、むにゅむにゅと言葉通りに大きなメリーの胸を揉みしだく。

「え!? きゃっ! ちょ、ちょっと……ひうっ、やめ! あっ、もう、いい加減にしなさーい!」

 水着姿で絡みあう、二人の美少女の姿。その様子は完全に、いちゃついて百合百合しい花がその場に咲き誇ってしまっているようにしか見えなかった。
 こんなことばかりしているから、周りから百合サークルなどと言われてしまうのだが……しかし蓮子にはそのあたりの自覚が、さっぱり足りていなかったのである。



◆◇◆◇◆◇



「……? 二人とも、なんかあったのか?」

 元々最低限溺れてしまわない程度に泳ぎを教えてくると言って一旦離れていただけなので、その後メリーと蓮子に合流するべく浜辺へと戻ってきた甲斐は、直後に二人の様子を見て目を丸くする。
 胸を腕で隠すようにしながら顔を赤くしているメリーと、頬に真っ赤な紅葉マークをつけている蓮子。ちょっと見ただけでは何があったのかさっぱり想像のつかないその状況に、甲斐と雛は二人揃って首を傾げた。

「なんでもないから、聞かないでちょうだい……」
「にゃはは……」

 そして疲れたようにため息を吐くメリーと誤魔化すように明るく笑う蓮子にもう一度首を傾げた後、甲斐は「そうか」と頷いてスルーすることにした。
 すると直後に蓮子が少々不自然なくらいにテンションを上げて、

「あ、そうだ! それよりさ、向こうにウォータースライダーがあるから今度はわたしと一緒に行こうよ、お雛ちゃん!」

 と言って雛の手を取ろうとする。
 しかし雛はススっと自然な動作でそれを避けて蓮子から距離を取ると、

「えっと、ごめんなさい蓮子。私、甲斐と一緒じゃないとダメなの」

 と申し訳なさそうに口を開いた。
 その雛の激しく誤解を招く言い方に、案の定蓮子はすっかり勘違いして驚いたような表情を浮かべると、

「おお、まさかそこまでとは……! ごめんねお雛ちゃん。もうお邪魔はしないから、ウォータースライダーにはみんなで行こっか。それならいいでしょ?」

 と確認してきた。

「? それはいいのだけど……お邪魔って?」

 その言葉の意味が分からなくて聞き返した雛に、蓮子はきょとんとした表情で、

「え? だってお雛ちゃん、門倉のことが好きで好きでたまらないから一瞬でも離れたくないんでしょ? さっきのはてっきり、そういう意味だと思ったんだけど」
「確かに、今のセリフはそうとしか聞こえなかったわね」

 メリーもすぐにそれに同意すると、うんうんと頷いてにこりと微笑んでいた。ちなみに内心では、ものすごくこの会話を楽しんでいたりする。
 そしてその瞬間、雛はまるで瞬間湯沸かし器で沸騰させられたかのようにかあっと頬を紅潮させると、

「え!? あ、ち、違うわっ、今のはそういう意味じゃなくて! これはその、あの――」

 と慌てて否定するが、蓮子はまるで効いた様子もなく分かっていると言わんばかりに手を振った。

「あはは、いいっていいってそんなに照れなくてもー。それじゃあメリー、行こっか」
「そうね。そうしましょうか」
「ああっ、ふたりとも全然聞いてくれない!? 違うのよー!」

 ちなみに甲斐はそのやりとりを無理に否定するわけにも――蓮子になんと事情を説明したものかわからなかった――行かず、さりとてうまく助け舟をだすこともできなくてぽりぽりと頬をかきながら眺めているしかなかった。

 いつの世も、女性の会話に男が入り込む隙間などないのが常なのである。



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