待ち人が待つ。 紫の言葉のままに慧音は指定された場所へと行き着いていた。 そこに待ち人はいた。 慧音とは色違いの特徴的なスカートの衣服を身にまとい 肩までかかる髪を一本縛りにした上から白い魔女帽子を被った少女。 彼女のよく知る人物だった。 古河音。 慧音が人里の外れで倒れているところを拾った、記憶を失った外来人。 拾った当初は人見知りで遠慮がちで、とても大人しい少女だった。 しかし、オタク知識を開花させるにつれてとんでもない暴走少女へと変貌を遂げた。 そしてその正体は八雲紫のかつての友、月詠鈴芽の生まれ変わり。 何よりも大切な たった一人の妹。 月詠鈴芽、彼女の放っていた特有の胡散臭い雰囲気が消えていた。 彼女お気に入りの帽子を被り、解けていた髪も再び結っている。 慧音のよく知る“古河音”の出で立ちだった。 なのに慧音は、彼女に話しかける事を心のどこかで躊躇してしまっていた。 本当に彼女が元に戻った保証がない。 深くかぶった帽子のせいで表情が見えない。 それもあるだろう。 しかし、それとはもっと別の何かが慧音の口から言葉を遮っていた。 「古河……音?」 おそるおそる彼女の名前を呼ぶ。 本当に彼女が元に戻ったなら どうしたの慧音お姉ちゃん と、快活で呑気な声でそう返してくれるはずだ。 「…………………………ちがいます」 返ってきた言葉は彼女の不安を見事に的中させた。 こうなると、分かっていたのかもしれない。 だからこそ、躊躇したのかもしれない。 いつかこんな日が来ると、ずっと頭の隅で考え続けてきたのだ。 「私は、星神すずめ……。それが私の、本当の名前です………」 “本当の”、彼女がこの世に生を受けて幻想郷に来る以前の、そういう意味なのだろう。 皮肉にも前世の彼女の名前とひどく類似している。 払われた記憶は、あくまで“月詠鈴芽”のものだけだ。 ならば彼女自身が起こした異変についての記憶はどうかと尋ねたが、それに関しても記憶はないと紫の口から語られた。 古河音が元の記憶を取り戻したなどと一言も聞いていないが、彼女らしいと納得できた。 「……そ… そうか…!やっと記憶が戻ったんだな。おめでとう! この1年記憶がずっと戻らなかったから正直不安だったが、よかった!」 何を悲しむ事があろう。 ずっとこの時を待っていたのだ。 姉として、彼女の世話をしてきた者として、これを喜ばずしてどうする。 彼女自身のためにも喜んであげるべきなのだ。 だから、悲しむ必要などないのだ。 彼女から、“古河音”を否定された事など 彼女から、敬語で話される事など 悲しいなどと、思ってはいけないのだ。 「………紫さんって人に言われたんです。 私は“ある理由”から外の世界にはじき出されて、この幻想郷に来たみたいです。 でもその“ある理由”が消えた今、私はまた向こうの呼び戻されて今日中には幻想郷から いなくなるそうです」 その“ある理由”が何かは教えてくれませんでしたけど、と小さく呟く。 一度世界に異物と判断された月詠鈴芽の記憶。 それが完全に払われた今、本来くるはずのなかった幻想郷からいなくなり、外の世界へと呼び戻される。 幻想入りの真逆、現代入りである。 鈴芽が紫に託した言伝とは、つまりは記憶を失くした後の“自分”へと宛てたものだった。 「……………………………」 言葉以前の問題に、頭がついていかなかった。 後味の悪い結末だったと思いながらも、どうにか飲み込む事はできた。 古河音…すずめの記憶が戻り、姉妹関係に終わりが来る事も覚悟はしていた。 けれど、それでも………その別れは突然過ぎた。 「………ありがとう、ございました!」 ずっと俯いていた彼女が初めて顔を上げた。 ようやく帽子からその表情が見て取れる。笑顔だった。 「慧音さんに拾ってもらって……迷惑かけて、馬鹿やって……。 魔法を覚えて、良也さんに出会って、魔理沙さんに出会って、色んな人達に出会った………」 一言、一言、その時を噛み締める様に、懐かしむ様に。 たしかにあった幻想郷での日々を自分に向かって言って聞かせる様に。 慧音に向かって話してみせた。 「本当に楽しくて、慧音さんに拾ってもらって、良かった…………けど、だから。 私の事、忘れてください 私なんて……最初から幻想郷にいなかった。そう、思ってください」 「――――――――………ッ!!」 手のひらをかざすその感覚に慧音は思わず飛び退いた。 その感覚に覚えがあったからだ。 “記憶を操る程度の能力” 鈴芽の記憶が彼女の中で蘇り、悪戯に使ったその能力。 弾幕ごっこの最中にも味わったものだ。 鈴芽はまだこの世から消えてはいなかった。 そんな考えが慧音の中に一瞬過ぎったが、違う。 彼女の目を見て断言できた。あれは古河音であり、星神すずめという少女なのだと。 「わはは……。まさか私がこのセリフをリアルに言う日が来るなんて………。 これも紫さんに聞いたんです。今の私には記憶を操る能力があるって。一回限りみたいですけど……」 合点がいった。 恐らくは意識の消えた月詠鈴芽の、最後の置き土産なのだ。 しかし、そこからが合点がいかない。 「なん……で……、なんで私がお前の事を忘れなくちゃいけないんだっ!! どうして………!?」 別れる事に納得が訳ではない。 けれどいつか来ると分かっていた。だからそこは仕方がない。 けれど、その別れから思い出すらも奪おうというのは、あまりに残酷だ。 ましてやそれが、彼女自身の手で行われようとしているという事が、更に残酷だ。 だから紫も鈴芽に言い放った。 悪趣味な女だと。 「………会えないなら、寂しくない方が良いに決まってるじゃないですか………。 寂しく思ってほしくないからに決まってるじゃないですか……っ!」 作られていた少女の笑顔が、消えた。 絞り出すように、それでもかざした手は上げたまま、必死に能力を継続させようとする。 他人という仮面が、星神すずめという仮面が、少しずつ彼女の顔からぽろぽろと音を立てて剥がれ出す。 「ふざ……けるな!!」 かざした手が慧音に握られて、能力が中断する。 続けようと思えば続けられるが、あまりに突然の事で思考も能力も止まらざるを得ない。 「私の事忘れてください!? 寂しくない方が良い!? そんな訳あるかっ!! 家族だから……大好きだから、辛いんだ!! ずっと一緒に居たいと思うし寂しいんだ!!」 手を取り肩に手をかけ必死に叫ぶそれは、説教でも何でもない。 ただの、姉妹喧嘩だ。 「それでも忘れてほしいならやってみろ! それくらいで寂しさがなくなる訳ないだろ!? 記憶がなくなるくらいで、私がお前のことを忘れる訳がないだろ!! 私は、お前のお姉ちゃんなんだから!!」 パシンッと音を立てて慧音の手が払い除けられた。 突然の事に呆気に取られる。 そんな慧音に対して彼女は目にいっぱいの涙を溜めて、歯を力いっぱい噛み締めて彼女を睨みつけていた。 「私が……私だって 私だって慧音お姉ちゃんに忘れてなんかほしくないわよっ!! 本当は……ずっと私の事を毎日思い出してほしい! その度に寂しがって苦しんでほしい!! また会える方法を必死に駆けずり回って探してほしい………けど、そんなの間違ってる! そんな風に思う自分が、嫌だから………!!」 そこから先は言葉にならなかった。 記憶を取り戻した外来人・星神すずめの仮面は跡形もなく砕け散っていった。 ただもう、泣きじゃくるしかできなかった。 大切な姉との別れに、その別れに耐えられない弱い自分に、その弱さを否定するために姉の記憶を奪おうとした行為に。 そんな彼女を慧音はそっと抱きしめた。 もう抵抗もない。ただ慧音の胸の中でずっと泣き続けるだけだった。 言いたい事は、お互いに全部言って、全ての言葉を吐き出した。 「言っただろ。大好きだから寂しいんだ。 私はお前のことが本当に大好きだ。だから大丈夫、寂しいことは間違いじゃない。お前なら大丈夫。 お前は私の自慢の妹、上白沢古河音なんだから……」 とある一軒家、そこに一人の青年が封筒を持って立っていた。 その家の庭先で猫が二匹じゃれ合っている。 飼い猫なのかとも思ったが、どちらも首輪をつけてはいない。 どうやら野良のようだ。 チッチと口を鳴らしてみるも二匹は揃って仲良く逃げていってしまった。 猫好きな彼の心が地味に傷つく。 気を取り直して玄関のチャイムをひと押しする。 誰も出てこなかったのでもう一度押してみた。 すると、ドタドタという非常に騒がしい音が徐々にこちらに近づいてきた。 どうやらその人物以外在宅ではなかったらしい。 「はいは〜〜い、どちらさ……ま」 バタンっ! 音を立てて扉が閉じられた。 鍵がかけられるその前に、再びその扉を青年は開こうと力を込める。 「すみませぇ〜ん……!ウチは新聞の勧誘はお断りなのでぇ〜〜!!」 「まぁまぁ、そう言わずに……!せめてお話だけでも……!!」 扉を閉じようとする少女、それに抗い扉を開こうとする青年との拮抗がしばらく続いた。 そんな拮抗も、青年の「あ、犬耳生やした男の娘!」の一言であえなく崩れ去る。 「あのなァ〜〜…。人がせっかく慧音さんからの手紙持ってきてるのに、門前払いってどういう事だよ?」 青年、土樹良也は未だ犬耳の男の娘を必死に探し続ける少女に向かって疲れた様な息をつきながら侮蔑の視線を送る。 良也の“自分の世界に引き篭る程度の能力”はあらゆる概念を無視する事ができる。 概念を無視する事ができるという事は 幻と実体・常識と非常識という概念によって作られた幻想郷の結界を無視できるという事。 彼にのみ許された反則技である。 少女、上白沢古河音であり星神すずめはそんな彼に対して恨めしげな目で睨みつける。 男の娘…という未練がましい声を上げながら。 「世間一般で言う『手紙』って代物はですねぇ〜〜……相手の安否を気遣ったり、近況を報告したりする物の事を言うんです………! こぉーんなテスト用紙の下に一行だけのメッセージのついた紙を『手紙』なんて呼ばないんですよ!!!」 良也の封筒から取り出された一枚のメッセージ付きテスト用紙をバンッと見せつける。 コピー用紙などあるはずもない幻想郷。 問題文の一文一文が丁寧に手書きで書かれてあった。 それを生徒人数分作成しなければならないのだから大変だ。 同じく教職に身を置く良也としては唯々感心させられる。 「おまけに赤点とる度に漫画一冊捨てられるってこのペナルティどうにかなりません!!? この1ヶ月で良也さんに何冊漫画捨てられたと思ってるんですか!!」 つまりは、それだけ赤点を取り続けているという事だ。同情の余地はない。 ダメだこいつ、早くなんとかしないと……。 来年は受験を迎えているであろう少女に向かってそう思わずにはいられない。 「あ、また赤点とってるからペナルティな」 もう何度目になるのか、彼女の部屋とは別に漫画“のみ”が収められた部屋に訪れる。 漫画喫茶にでも寄付したくなる。 どうも彼女の祖父が孫に甘いらしく次々と漫画を買い与えているらしい。 完全に孫とおじいちゃんのダメな図だ。 変わらない圧倒的な数の漫画に気圧されながら周囲を見渡した。 漫画やゲームには良也も理解はある。ラノベだって読む。一応は古河音の気持ちは分かるつもりだ。 なのである程度選別する。 例えば布教・保存などを目的に重複したもの。教育によろしくなさそうな“そういう”本。 目についた一冊の本、良也はそれに手をかけた。 「ダメっ!!!」 獣のような速さで良也の手からひったくり、その本を抱き抱える。 「……ダメ…。これだけは、ダメなんです………」 その姿はとても弱々しく見えた。 肩を震わせ、愛おしそうにぎゅっとその本を抱えている。 思わぬ彼女の変化に、良也としても居心地が悪い。 何か、とても思い入れの深い品なのだという事は言われずとも分かってしまう。 「そっか…。良也さんにはまだ言ってなかったですよね。 実は、私―――――……… 緊縛って大好きな人なんですよね!!」 突如声を大にして、本の中身を良也に見せた。 オイ、中学生! そう叫ばずにはいられない不健全な内容だ。 「あ、ひょっとして良也さんもこのシリーズご存知でした? そうですよねぇ〜〜、この作者って一部の層に大人気ですもんね!いやぁ〜〜、この人の描く緊縛ってもう芸術の域ですよねー…。服の上からっていうのがポイントなんです!そうする事によって身体のラインがけしからん事に―――――……」 良也は内容を見せつけるその本をすっと力なく取り上げ。 「あ……」 彼の手のひらから出現する火球によって燃やし尽くされた。 パラパラと跡形もなく灰になったそれは、彼が予め用意してあったゴミ袋の中へと収まってゆく。 「ああああぁぁぁぁぁァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」 原作:東方Project 東方奇縁譚・三次創作 『東方忘却記』 完 「みんなっ!これからも緊縛シリーズに愛の手を…(強制終了) |
戻る? |