桜の花が散り、緑葉がちらほらと顔を見せる頃合い。
縁側に、1人の少女が団子を傍らにお茶を啜っていた。

ただ菓子を食べるだけのその所作が、少女の容姿も相まって優美なものへと昇華させている。
辺りの木々と少女の姿が溶け込んで、まるで一枚の絵画と化していた。




「あらあら、美味しそうなお団子ですわね。私の分はないのでしょうか?」

そんな絵画の中に一人の少女が土足でズカズカと入り込む。
彼女の名は月詠鈴芽。記憶を操る程度の能力を持った魔女である。

「……結界は破られてない様だけど、どうやって入り込んで来たの?」

「入り込むだなんて人聞きの悪い。妖忌さんが快く私を通してくれましたわ」

この屋敷の主である少女、西行寺幽々子。
死霊を操り生物を死に誘うという鈴芽同様に人には過ぎた能力の持ち主だ。

「また人の記憶を勝手に弄ったのね……。ある意味紫よりタチ悪いわよ貴女?」

「あんな妖怪と一緒にしないでくださいまし。私達『幼少の頃より共に過ごした大親友』じゃありませんの。そんな言われ方をされると私傷ついてしまいますわ……しくしく」



わざとらしく裾で顔を隠して『しくしく』と口に出す少女を前に、『あぁ、今回はそういう設定なのか…』と幽々子は乾いた視線を送っていた。
この年の始めに突如として彼女の目の前に現れた妖怪、八雲紫。
厚かましく図々しく、それでいて真意の掴みにくい実に胡散臭い女であった事は未だに記憶に新しい。
唯一酒に関しての趣味が合い、いつの間にやら飲み友達となってしまっていた。

そんな彼女が連れてきたのが目の前にいる少女、月詠鈴芽だった。
珍妙な喋り方をする自称淑女。
肩までかかった艶のある黒髪と、日に当たった時にのみ黄金色に彩られる瞳が特徴的な女だった。
周囲の者の記憶が自由に操れるらしく、その能力を使って好き勝手に人生を送っている。
流石は紫の斡旋だけあって彼女に負けず劣らずの傍若無人ぶりである。






「あら、美味しそうなお団子ね。私の分はないのかしら?」

「………………………………」

噂をすればなんとやら。
いや、タイミングを見計らっていただけなのかもしれない。
どちらにせよ、これで幽々子の前には面倒な来客が二人になってしまった訳だ。

「空気の読めない妖怪ですわね…。私のお団子の取り分が減ってしまうではありませんの」

「随分とがめつい淑女もいたものね。それに幽々子は貴女にあげるだなんて一言も言ってないわよ?私が貰うのは決定事項として」

「言葉を聞くまでもありませんわ。幽々子はきっと大親友である私に快くお団子を差し出してくれるにちがいありませんもの」

なんと自分勝手な言い合いか。不毛とはまさに目の前の光景を表すために作られた言葉の様だ。
皿に置かれた最期のひと串を食べ終えて、余韻に浸りながらもお茶で喉を潤してゆく。
できればもっと静かに食べたかったものだと、心の中でひとりごち。



「悪いけど私が食べたのが最後よ。残念だったわね」


幽々子の言葉に先ほどまでの喧騒は嘘の様に静まり返り、紫も鈴芽もぽかんと口を開けていた。
ようやく静かになった、そんな風に幽々子が思ったのもつかぬ間。

「嘘でしょ!?嘘なんでしょ!?ホントはまだたくさん隠し持ってるんでしょ!?そうなんでしょ!!?」

「貴女には失望しましたわっ!貴女は心の友にお団子ひとつ分けられない卑しい女でしたのね!!」




つい数ヶ月前まで静かすぎたくらいだったこの屋敷が、随分と騒々しくなってしまったものだと、心の底から痛感する幽々子だった。
















人里の一望できる崖の上。
そんな崖に腰かけて八雲紫は何をするでなくぼぅっと人里を眺めていた。
喪失感。
安直ではあるが、今の彼女が胸に抱いている気持ちに名前をつけるなら、まさしくそれなのだろう。

西行寺幽々子が、亡くなった。

いつの頃からか西行寺家に存在した人の生気を吸う桜の木。西行妖。
その力は常軌を逸しており妖怪の賢者と謳われる八雲紫ですら、手が出せない程の凶悪な存在だった。
もちろんそれでも彼女は封印する手立てを必死に探した。
人のためなどではない。彼女を、幽々子を救うために他ならない。

なぜなら、幽々子はその自らの命を糧に西行妖を封印しようとしていたからだ。
人の命などどうでもいい。
しかし、友人の命をそんな妖木に奪わせたりなど断じてしたくない。
そんな彼女の願いも敵わず、幽々子は自らの命を絶ってしまった。




元々、西行寺幽々子は自らの能力を疎んでいた。
死霊を自らの支配下に置き、生ある者を死へと誘う人には過ぎた能力。
それは幽々子自身が自覚していた事であり、だからこそ彼女は自らの能力を好んではいなかった。
今回、彼女が自らの命を絶つ事に躊躇いの気配を見せなかったのはそういう事も一因していたのかもしれない。
彼女は、優し過ぎた。

ある意味紫や鈴芽とは真逆と言っていいだろう。
自らの能力を使う事が当たり前と考え、ほぼ日常的に能力を使い、結果同族から浮いた存在になる。
それでも尚、能力を使い続けるその神経の図太さに紫が鈴芽に共感を覚えたのも事実だ。




ともあれ、それで彼女がこの世から存在しなくなった訳ではない。
彼女は『亡霊』として未だ現世にいた。
それどころか、死霊を操るというその能力から閻魔から冥界の管理まで任されている始末。

彼女の死に関しては悔やんでも悔やみきれない。
それでも彼女が、友人がこの世に存在しているならば問題はない。
問題はない。

――――西行寺幽々子が自分含め生前の全ての記憶を失くしてしまったという事以外は。







彼女がこの世に存在している。
それで良いではないかと何度も自身に言い聞かせてきた。

それでも得も言われぬ喪失感は、ずっと紫の中につきまとっていた。




「お気持ちは分かりますが貴女らしくもない。記憶が丸分かりですわよ?」

背後から聞こえる声に覇気のない目で振り返る。
本当は振り返るまでもなく珍妙な口調で分かってしまうが、様式美だ。

「記憶の境界を弄る余裕もないところを見ると、貴女も重傷ですわね……」

鈴芽の能力とは、まず相手の記憶を読みとる事から始まる。それは心を読む事と何ら遜色ない。
読みとった記憶を消す、または別のものへと書き換える。
それが彼女の能力だ。
普段はそれを紫が『境界』を操る事によって無効化しているが、今の彼女にそんな余裕はないらしい。




「まったく貴女ともあろう方がとんだ失念を。記憶の事でしたらこの私に―――」

「出来ないんでしょ?」




「………知ってるわよ?貴女の能力は無から有は作りだせない。あくまで元ある記憶を『書き換える』だけ。だから元から存在しない今の彼女の記憶を作りだす事は――……」

「出来ますわよ?」

「え……っ!?」

驚く彼女の様に、さもしてやったりといった表情で紫に向かって宣言する。
友人が亡くなった直後にそんな顔を浮かべる鈴芽に軽い怒りを覚えながらも彼女の言葉に食い入る様な表情を見せていた。


「たしかに私の能力は消すか書き換えるかしか出来ません。ならば書き換えてしまえば良いのですわ。彼女の真っ白な記憶を、紫……貴女の記憶を元に」

頭の切れる紫は瞬時に理解した。彼女の言わんとする事を。
同時に、とてつもない寒気を感じた。彼女の言葉に含まれる狂気に。





「そう…。今の彼女は真っ白な記憶の状態ですわ。ならば、貴女の記憶で彼女を塗りつぶしてしまえば良いではありませんの……。今なら特別に、貴女好みの彼女に―――……」

「ふざけないでっ!!!」

先ほどまでは覇気のなかった紫の表情は一瞬にして怒りに染められる。
少なくとも彼女を知る者が、これほどまでに感情を露わにした姿を見た事はないだろう。

「貴女自分の言ってる事を理解してる!?それはもう幽々子じゃない!私の記憶から作られた幽々子の形をしただけの人形よっ!!そんな事が許される訳ないでしょ!?いや……私が許さないッ!!!」





「何を、そんなに怒っていらっしゃいますの?」

激昂する紫に対して鈴芽は心底理解できないといった表情でキョトンとする。
はぐらかしている訳でなく、皮肉を言っている訳でもない。
ただ純粋に理解できていないのだ。紫の怒りを自分の中の狂気を。

「人間…いえ、この世に住む人妖神鬼など所詮みんな『記憶を持っただけの人形』じゃありませんの。そんな人形だらけの腐敗した世界で、貴女や幽々子そして私は選ばれた存在。
幽々子の事はもちろん私も心を痛めておりますわ。だからこそ、早く記憶を戻してまた3人で飲みましょう♪」

その言葉に初めて紫は気づいた。
彼女は、月詠鈴芽は図太くなどなかった。ただ飲まれていたのだ。
人には過ぎたその自身の能力に。



「…………貴女が世界をどう捉えようと勝手だけど、その案は却下よ。これ以上私の友人を愚弄するのなら、そろそろ本気で怒るわよ?」







――――つまらない。 何だこの女は?




鈴芽の中で何かが、崩れ去った。

世界など本当に脆いものだ。少し記憶を書き換えるだけで人の心などどうにでもなる。
愛が憎しみに、悲しみが喜びに、希望が絶望に、罵倒が感謝に、憧れが失望に。

捻くれている訳でも皮肉を言っている訳でもない。
今までの人生で幾度となく見てきたのだ。そんな滑稽な人の様を。


そんな光景を傍観する鈴芽は、いつしか自分は世界の枠から外れた存在なのだと考え始めた。
世界が狂っているのか自分が狂っているのか、それすらも分からなくなっていった。




そんな彼女の前に現れたのが、八雲紫だった。
初めて自分の能力が通じない相手。
最初は単に鬱陶しいと感じていたが、彼女もまた世界の枠から外れた者だと思った。

そして彼女の紹介で人の死を手に握る幽々子に出会った。
彼女もまた自分と同類なのだと感じた。
こここそが、自分のいるべき場所なのだと心のどこかでそう思う様になっていった。






―――――だというのに、目の前の女の様は何だ?

世界に捉われ、倫理に捉われ、友の死に嘆き友のあり方に怒る。
世界の枠から外れた?冗談じゃない。
これではまるで、ただ能力を持っただけのどこにでもいる普通の少女ではないか。



―――――呼鳴…。そうか。

最初から狂っていたのは自分だけだったのだ。
何が選ばれただ。何が世界の枠だ。何が自分のいるべき場所だ。
最初から自分は一人だったのだ。
たった一人で世界を傍観し、勝手に見切りをつけ、挙句無様に踊り続けていた。ただの道化。





――――――もう、どうでもいい。  何もかもが。

















「くすっ……」

「何がおかしいのよ?」

突如力なく笑う鈴芽に紫の怒気の含んだ視線が彼女へと向く。
今の紫にとって彼女は幽々子に何をしでかすか分からない『敵』へと化してしまっているからだ。


「失礼…。紫、今までありがとう」

喪失に彩られた黄金色の瞳で、ただ静かに笑って宙に浮かぶ。

「貴女達との“友達ごっこ”は、とても楽しかった」

人差し指をゆっくりと天へと向ける。
それに呼応するかの様に雲ひとつなかった晴天は徐々に曇天へと変わっていく。
間もなくして雨が降り始めた。



「…………っ!貴女、この雨!!」

「幽々子だけが全てを失うのは可哀そうでしょう?ならばこの幻想郷に住まうもの全ての記憶を、この忘却の雨で洗い流しましょう。私も、少々疲れましたわ………」





「……………悪戯にしては度が過ぎてるわよ。月詠鈴芽」

見る者全てを凍りつかせる様なその鋭い瞳から、一滴の水が流れ落ちる。
それが雨水だったのかどうかは、誰にも知る由もない。





その後、神ですら手出しの許されない力と力の衝突が起き
やがて月詠鈴芽は破れ去る。
そして、全ての能力を八雲紫に封じられ幻想郷から追放される。

彼女が転生し、再び幻想郷に訪れるのは
その千年後のお話。










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