「ふぅ……」

人も獣も立ち寄らぬ寂れた小屋の中で、1人の娘が佇んでいた。
どこにでもいる村娘の様な代わり映えのない衣服を身にまとい、薄暗い小屋から指し込む日差しが彼女の片目を黄金色に照らしていた。

足元には、どこぞの貴族かお姫様が身にまとう様な豪勢な着物が。
そして、娘のものだったと思われる長く艶のある黒髪が落ちていた。
どちらも女性にとって命ともいえる代物を、娘は興味を失くした様な冷めた目で見降ろしている。






「これはこれは、ずいぶんと豪快なイメチェンねぇ」

1人だったはず、の小屋の中にいつの間にやらもう1人増えていた。
時代にそぐわぬ西洋の衣装に身を包んだ女性は娘に対して興味深そうな、品定めでもするかの様な目で彼女を見つめていた。

「使用中ですわ。一声あっても宜しいでしょうに…」

女性の突然の出現に驚く事なく、娘は迷惑そうな視線を返した。
知り合いという訳ではない。
だが、彼女の様な非常識を司る存在は娘にとって驚く程のことでもなかった。
なぜなら娘自身もまた、非日常を司る者なのだから。



「これは失礼。それにしても格好と言葉が随分と不釣り合いね。まだ前の役が抜けきっていないんじゃないかしら?」

「お気になさらず、気に入ってるだけですわ。それに不審に思われても私なら――…」

「その記憶を消せば良い?」


面倒なのが現れた。
娘は、記憶を操る程度の能力を生まれ持った魔女、月詠鈴芽は心の中で呟いていた。
鈴芽はその能力から、どんな身分も思うがままだった。
周りの記憶さえ操ってしまえば、どこに行こうともどんな待遇も彼女の気分次第で受けられる。

生まれた時から望めば全てが手に入った。不可能などなかった。
記憶を操れるという事は記憶を読み取れるという事。
消せる・変えれる・読み取れる。全ての記憶は彼女の思うままだった。
元々魔力にも恵まれて、苦労する事なく長寿の術も会得した。
現時点で彼女は既に百歳は有に超えている。

だが、先ほどからどうしても目の前の女性の記憶が読み取れない。
つまりは彼女の記憶が操れない事を意味する。
そんな事は生まれて初めてだ。挙句、彼女の口ぶりから鈴芽の能力は知られている様である。



「用がないのでしたら失礼しますわ。私、今日からしがない村娘ですので…」

例え記憶が読み取れなくとも、彼女が人でない事くらいはすぐに分かった。
得体の知れない人外にこれ以上の情報与えては不利と判断した。

女性を横切り出口へ向かう。彼女の方も特に追ってくる気配もない。
二度と会わない事を心の片隅で願いながら鈴芽は小屋の扉を開いた。






「あら、おかえりなさい」



開いた先には女性が先回りしていた。
違う、扉を開いた先には再び小屋が存在していたのだ。

うしろを振り返ると、やはり彼女は立ったまま。
再び前を見るとそこにもやはり女性はいる。
分身・という訳でもないのだろう。それでは小屋の先に小屋がある説明がつかない。
何より自分の捨てたはずの髪と着物が前後に二つ存在している。

「随分と……」

諦めた様に息をついて。扉を閉めた。
これ以上気味の悪い光景を見ていたくなかった。

「おかしな能力をお持ちのようですわね?」

「謙遜しなくても良いのよ?貴女ほどおかしな能力じゃないから」

もどかしかった。
普段なら相手がどんな能力を使ってこようと記憶を読めばすぐに攻略出来る。
それ以前に相手の記憶を弄れば無益な争いを避ける事だって出来る。

加えて、お世辞にも性格が良いとはいえなかった。良い性格はしていそうだが。













「で、何かご用ですの?」

「実は私の飲み友達が病に伏してしまったのよ……。だから、飲みましょう♪」

こういう奴なのか。会って数分で鈴芽は彼女の性格を粗方把握できた気がした。

友達が病に伏しているのなら看病にでも行けば良いではないか。
なぜその状況下で酒を飲もうという発想に至れるのか。
そもそも何が悲しくて見ず知らずの相手と飲まなくてはいけないのか。
友達が少ないのか?
というかまだ日も高い内から酒なんて飲むな。

「お断りします」

色々と言いたい事はあったが、それらを一言にまとめて言い放った。
彼女の言動からは真意が一切読みとれない。
飄々とした振る舞いはまるで雲。文字通り掴みどころがない。
どこから本当でどこまで嘘なのか分かったものではない。

相手の記憶が読み取れない事も相まって、鈴芽の疑心暗鬼はピークに達していた。

「こんな日も高い内からお酒なんて、淑女にあるまじき行為ですわ」

「『今日からしがない村娘』じゃなかったの?」

「………村娘でも飲みませんわ」

記憶を読めない相手との会話がこうも疲れるものだとは思わなかった。
友人が病気云々は口実なのか、はたまた本気で友人が病気で暇だから鈴芽を誘っているのか。
彼女ならば後者も充分にあり得るから困る。



「それに、そもそも『娘』なんて実年齢でもないでしょうに…」

くすくすと笑いながら酒を口にする女性に月詠鈴芽。初めて殺意を覚えた瞬間だった。

結局酒につき合わなければ小屋から出れず、鈴芽は彼女、八雲紫につき合う事にした。
その日を境に何故か鈴芽は紫に付きまとわれるようになってしまった。
やれ雑用、やれ泊めさせろ、たまに飲み会宴会、稀にプライベートにまで首を突っ込んでくる始末。

端的に言えば鈴芽は紫が苦手だった。
彼女特有のノリが疲れるというのもあるが、何より能力が通じない。
常日頃から人の記憶を躊躇なく読み・弄り・消している鈴芽は悪い言い方をすれば能力に依存していた。
それがいけない事だと感じた事は一度たりともない。
生まれた時からそれが自然で当然。それが普通。生まれ持った四肢を行使しない人間がどこにいようか。

だからこそ、それが通じない紫に対して鈴芽はどんどんとペースを崩されてしまう。






















「また貴女ですの?冷やかしなら帰ってくださいまし……」

「あらら、せっかく良い酒持って来たっていうのに随分な言い草ねぇ、人の悩みと解決した記憶を捏造するインチキ占い師さん?」

「おほほほ、人々の笑顔あっての占いですわ。悩みが解決した気分で幸せになれるなら安いものかと」

今の鈴芽は導師の様な服を身にまとい、顔をフードで隠していた。
何せ彼女の転職率は尋常ではない。飽きた時点で転職である。
一見不可能なその無茶な転職を可能にしているのは言わずもがな彼女の能力。
それひとつからお姫様から村娘、色々あって占い師だ。



「どうでもいいけど、貴女どの職についてもその喋り方なのね?」

「人間やはり一つくらいは信念を持って貫くべきかと」

よほど気に入っているらしい。
不審に思われる度に相手の記憶を弄るという念の入り様だ。





「で、この度は何のご用ですの。妖怪の賢者様?」

意趣返し。大きめの声で『妖怪』の部分を強調する。
もちろん紫がそれで動揺するはずもなく、そうそう とけろりとした表情で話しだす。

「面白いのを見つけたのよ。貴女とは人間同士、気が合うんじゃないかしら?」

「止めてくださいまし。貴女の斡旋という事はまた飲み仲間でしょうに。私は優雅にお茶とお菓子を1人で楽しむのが好みですの」

「この……格好つけが」 「何とでも」

もはやそこに人か妖かの差などなかった。
元々人であろうと妖であろうと自由に記憶を操れる鈴芽にとって種族の差などあってないようなもの。
重要なのはただ一つ。記憶を操れるか操れないかの差である。
決して酒が嫌いではなく、むしろ好きな鈴芽ではあるが、彼女は昼夜問わず酒を煽る紫の性質を好ましく思っていなかった。
つまりは紫の言葉通り『格好つけ』なのだ。
鈴芽曰く『淑女たるもの淫らな姿を見せるなかれ』との事。

「まぁ、貴女の意思なんてどうでもよくて『スキマツアー』にご案内〜」

「ちょ…待ちなさい紫っ!」























気づけば見知らぬ屋敷の中、もう諦めたのか顔を隠していたフードを脱ぎ捨てる。
この手のパターンは既に1度や2度ではない。
またいつかの小鬼の時の様に抵抗してはムリヤリ飲まされるのだろう。

その能力故に何の不自由もなく過ごしてきた鈴芽は、逆に能力を無効化する相手にはとことん相性が悪かった。

季節は春。桜が降り注ぐ中に、縁側にて読書をする1人の少女が目に入った。
鈴芽はひと目で直感した。彼女が紫の言う『面白いの』であると。




「うちの結界が破れたからまさかと思えば……。また来たの?」

紫の来訪に気づいた少女は読みかけの本にしおりを挟んでぱたりと閉じる。
彼女の出現を心底迷惑そうにする少女に、鈴芽は妙な親近感を覚えた。
今回ばかりは紫の言う通り、本当に彼女とは気が合うのかもしれない。主に紫に対しての不満という意味で。


「あら…今度は連れも一緒なのね?」

紫にばかり目が行っていたせいか、鈴芽の存在に気づくのが遅れた様だ。
無駄に存在感のある紫に意識が偏ってしまうのは同意せざるを得ない。
だからといって紫の『連れ』扱いされる事に、どうにも釈然としない鈴芽だった。


「そう、前に話したでしょう?貴女と同じように人間にしておくには勿体ない能力を持った女よ」

紫の言葉を聞きながら鈴芽はなるほどと納得する。
妖怪の中でも特出した彼女の能力に関しては出会って初日から既に体験済みである。
それ故に、同族からも距離を置かれたであろう過去は想像に難くない。
鈴芽自身、そういう過去を持っているからだ。
それを踏まえると、何故彼女が自分の前に何の前振りもなく現れたかにも合点がいく。

そして、あとは容易に想像できた。
目の前の少女もまた鈴芽や紫と同じく同族からも忌まわれる『異端』であるのだと。





「あぁ、じゃあ貴女が例の――…」

正直、未だに紫の事が苦手な事には変わりない。が、少しだけ認識を改めても良いかもしれないと鈴芽は思い始めていた。
まして同じ『異端』で『紫に迷惑している』という自分と同じく人間である少女とは、初めて能力を抜きに仲良くできるかもしれない――――…。



「エセお嬢様ね?」

全前言を撤回。 しょせんは彼女も紫の斡旋であり、紫に気を許すべからず。
改めて鈴芽は紫+アルファに対しての認識を改めた。




















―――――少女は自身の『異端』を疎んでいた。

―――――妖怪は少女の『異端』を好んでいた。

―――――そして魔女は、『異端』こそが世界のあるべき姿と妄信していた。








自らの『異端』を忌む少女。 人を想う少女を嘆く妖怪。 嘆く妖怪を理解できない魔女。
同じ『異端』でありながら、その亀裂は少しずつ、しかし確実に広がってゆく。









悲劇は再び、繰り返される。




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