吹けば揺らぎ、撫でれば折れる。 触れれば崩れ、灰となる。 脆く単調、危うく質素。 世界とはこんなにもつまらなく、不安定。 こんなものが世の基盤のはずも無し、それを世界と信じて生き続ける人妖神鬼。 酷く醜く哀れで滑稽。 世界とはこんなにも狂っている。 世界とは狂っている事が前提で廻り続けているのだろうか? でも 本当は分かっていた。 狂っているのは、自分の方なのだと………。 「――――がね」 「古河音!いい加減に起きろ!」 「…………」 寺子屋も兼ねた上白沢宅にて、家主である慧音の声が鳴り響く。 その成果もあってか、対象である古河音は寝ぐせの残った髪のままむくりと起き上がった。 が、その体勢のまま動く気配が見られない。 そんな様子に慧音は呆れた様にひとつため息、その後に大声を出すべく息を吸う。 「こが………っ」 言いかけて言葉が止まった。 自分の呼ぼうとした名前の少女と、目の前の少女とはまるで別人に思えた。 その雰囲気が、その瞳が、その霊力までもが、異質だった。 「こが……ね?」 「あっ、私寝オチしてた!?……ってそんな訳ないよね?なんか夢見てたからボーっとしてた……ふぁあ……」 そんな違和感が、まるで勘違いだったかの様に一瞬にしていつもの古河音の様子に戻った。 起きて早々に着替えもせず顔も洗わずに朝食に向かっていく古河音の姿に、慧音は目を細めていた。 これで三度目。 古河音の先の症状は今回が初めてではない。 彼女が幻想郷で過ごして1年近く。初めてその症状がでたのはつい数週間前の事だった。 とはいえ、先ほどの様にすぐに何事もなかった様に元に戻るので最初は勘違いだとだろうと軽視していた。 しかし、回数が増すにつれて慧音としても見過ごせなくなってきた。 「古河音、今日は私もついて行くから永遠亭に行かないか?………あと爪楊枝で食べカスを取るのは止めろ」 「ふぇ?」 「はい?」 永遠亭の門からうさ耳が、否。鈴仙・優曇華院・イナバが顔を覗かせる。 「すまない。永琳殿はおられるか?」 「あ…あぁ、はい。ただいま……」 突然の来客に気後れした様子で回れ右、そのままおずおずと薬師の下へと案内を始める。 人見知りな性分なためこうした接客の類は苦手なのだろう。 「鈴仙さん鈴仙さん!私この間ついに貯めたお金で長ラン(by香霖堂)をゲットしたんです!ぜひ着てみませんか!?もちろん下は普段のスカートのままでね?コレ基本!そのままハチマキと白手袋とかつけてフレーって絶対人里の男性票獲得しますよ。私が保証しますっ!!」 「…………」 嬉々として語る古河音を視野にも入れずスルー。 割と生傷の絶えない彼女は永遠亭の世話になる事も少なくない。 その度にこうして鈴仙に絡んでいるため、いつしか鈴仙も彼女への対処を覚えていったのだ。 「あれ、慧音さんに……古河音?」 八意永琳の下へと案内された先には先客が、土樹良也の姿があった。 永琳から薬を受け取っている様子から、すでに診断を終えたのだろう。 「この子が少し…。私はそのつきそいだ。良也くんの方は……その封筒を見るに、また飲み過ぎかい?」 「まぁ、周りが飲兵衛ばかりだとどうしても」 「君も十分飲兵衛だと思うがな……」 「良也さんからも言ってあげてくださいよ。もったいないって!絶対鈴仙さんの長ラン応援団コス(下はスカート)はとんでもない破壊力を発揮しますって!」 慧音から酒は程々に、と注意されたのもつかの間。 古河音から投げかけられる話題の差に呆気にとられてしまう。 妹がちゃらんぽらんだと姉はしっかりする。 慧音がしっかりしているのは元からだが、2人を見比べて思わずそんな言葉が浮かんでしまう。 「露出なんてのはですねっ、多ければ良いってもんじゃないんです!ポロリもあるよ?冗談じゃない!私は声を大にして言わせてもらいますよ!?『隠れてるからいいんじゃないか』!!!」 叫んだ後に、慧音によって強制的に黙らされる。 永琳曰く 仮にも医療の場でケガ人をださないでもらえる? と注意される慧音という珍しい絵面だ。 「で、今日はどんな御用なのかしら?……その額の腫れ以外で」 前髪で隠れていても分かる赤く大きな額の腫れを眺めながら、永琳は苦笑気味に薬師として務める。 たまに人里で耳にする寺子屋名物『慧音先生の頭突き』。 良い物が見れたと内心思いつつも、そこは薬師として口には出さない。形式上でしかないのだが。 「って言っても最近夢見が悪くて朝よくボーっとするってだけなんですけど。慧音お姉ちゃんが念のためって」 そう答える古河音に対して、永琳の視線が一瞬だけ慧音に向けられる。 実の所、彼女の症状についてはすでに慧音から伝え聞いている。 事前にそれを伝えたのは本人の前で『まるで別人の様な雰囲気に変わる』などと彼女の耳に入れない様にするために他ならない。 「夢ねぇ。それってどんな夢なのか覚えているかしら?」 「う〜〜ん…。夢見の悪い夢って事しか…………あ、雨が降ってたような」 考え込んで、ふと思い出した様に古河音はつぶやいた。 細い記憶の糸を辿るように、視線は天井に向けられて夢の内容を語りだす。 「雨の降る中で、誰か……女の人が立ってました。とても冷たい、でもどこか悲しそうで。 私はその人に………失望………して、た?」 『っ!?』 彼女の変化に、その場にいる慧音も永琳も良也も気づく。 雰囲気はおろか霊力そのものが、その場の空気までもが変わり始める。 まるで夢の中に入り込んだ様に、彼女の語りは止まらない。 「そうだ…。滑稽な世界の中で私は彼女を認めていた……。 でもそんな彼女も……所詮小さな世界の一部でしかなかった。 私は最初から、1人だった。もうどうでもよかった……自分も。世界も。彼女も……」 「古河音っ!?」 完全に入り込んでしまっている彼女を見かねた慧音は、古河音を自分の方へと振り向かせた。 兎にも角にも、まずは彼女を正気に戻す事を優先した。 しかし、それでも古河音の瞳は戻る事無く……。 「――――――紫もっ!」 ぷつりと糸が切れた様に古河音の身体から嵐の様な霊力が溢れだす。 それは彼女を中心に渦を巻いて一室を、その場にいた者を吹き飛ばしていった。 「懐かしい気配を辿ってみれば、随分面白い事になっているわね」 未だ霊力の嵐が吹きつける中で、1人の女性が悠然と立っていた。 どういう理屈か、手にした傘は嵐の中揺れることなく持ち主の下を離れないでいる。 「スキマ!?どうなってんだよこれ!」 対照的に立つのがやっとの良也は女性に、八雲紫に問いかけた。 「あら、私は言ったはずよ?『彼女には、気をつけておきなさい』と」 まるで現状を楽しんでいるかの様に、まるで全てが分かっているかの様に、扇子で口元を隠してくすくすと笑う。 焦る良也の姿を一頻り楽しみ終えると、パチンと広げた扇子を閉じて視線を嵐の中心に向けた。 「お久しぶり。記憶の魔女――――月詠 鈴芽(つくよみ すずめ)」 くすくすくす 荒ぶる風の中心から、まるで紫の笑い方を真似た様な笑い声が辺りに響く。 声だけならそれは古河音のもの。 しかし現状でその笑い声が彼女のものとは、この場にいる誰もが思ってはいない。 「止めてくださいまし『記憶の魔女』だなんて……。今時二つ名だなんて中二病と笑われるのがオチですわ」 霊力の風がゆっくりと静まり、それは『彼女』の身体へと収まってゆく。 「失礼。幻想郷で『中二病』などと言っても、通じませんわよね?」 先ほどまでの嵐のせいなのか自分で取ったのか、普段被っている白い魔女帽子はつけておらず結っていた髪も解けている。 姿形は古河音と同一人物でありながら、その容貌が更に別人と思わせるに手伝っている。 「ですが、ここは例に倣って然るべき。 お久しぶりですわ。妖怪の賢者・八雲紫。少々……お老けになりました?」 「この時期は眠いのにわざわざ来てみれば……。相変わらず口が減らないこと」 「ご謙遜を。減らず口で貴女の右に出る者など存在致しませんわ」 会話だけを聞くならば、それは旧友同士の軽い談笑に聞こえるかもしれない。 だからこそ異常。 『あの』八雲紫と旧友関係になれる者など、そうはいない。 ましてや彼女は幻想郷に来て1年そこそこの霊力が少し強いだけのただの人間。 の『はず』なのだ 曲がりなりにも幾多の異変に遭遇した良也は感じていた。 今の『彼女』の雰囲気は今まで経験してきた異変の起こし主のソレと何ら遜色ないという事に。 「八雲紫!アイツは一体……!?古河音は……!?」 「落ちつきなさい。貴女は仮にも人里の守り手でしょう?」 瞳を鋭くした紫の視線に慧音も言葉に詰まる。 異常な事態だからこそ冷静さを失くしてはならないという事くらい慧音にも分かっている。 それでも焦ってしまうのは、人間が、ましてや妹分がその異常の渦中にあるからこそ。 「『アイツ』だなんてひどいですわ、慧音お姉様。勘違いされては困ります。 私は正真正銘の『古河音』だというのに……」 「ふざけるなっ!!古河音を一体どうしたんだ!?あの子は私と血を分けた大切な妹なんだぞ!!?」 慧音の発言に場が静まりかえる。 気圧された訳でなく驚く様な表情の良也と永琳、呆れた様な表情の紫。 「良也、彼女のそばに寄りなさい」 「は?なんで……」 「いいから」 有無を言わせない紫の様子に慧音のそばに寄る。 意識的なのか無意識なのか、彼女の後ろに隠れる様な位置に移動するのは良也の生存本能のなせる業か。 「………!今、私は………!?」 「彼女相手でもちゃんと良也の能力は効くようね。それが彼女の“記憶を操る程度の能力”よ。悪趣味でしょう?今あなたは自分とあの子は本当の姉妹だと『錯覚』ではなく『記憶』してたはずよ」 慧音の表情がわずかに青ざめる。 紫の言う通り、良也が慧音のそばに寄るまで彼女は本当に古河音が実の妹だと『記憶』していた。 思い込みや勘違いという一時のものではない。 ご丁寧にも『幼い頃から一緒に過ごした記憶』というありもしない記憶まで頭の中に用意されていたのだ。 おほほほ 口元に手を当てて楽しそうに、無邪気に笑う。 能力の一端を使うだけで慌てふためく慧音の様は、『彼女』の興をさかせたようだ。 「そんなに怯えないでくださいな。可愛い妹の可愛い悪戯じゃありませんの♪」 浮かべる笑顔はまさに狂気。 人の記憶に、人の過去に、土足で踏み込み弄ぶ事に対して何の躊躇もない。 「………もう一度聞く。古河音はどうした?」 相手に飲まれないように落ちついて、記憶を弄られないように良也から離れず『彼女』に問いかける。 『彼女』の様な相手にペースを乱しては命取りと判断したのだろう。 「ですから勘違いされては困ります。私は“月詠鈴芽の生まれ変わり”、ただ前世の記憶を思いだしただけの。正真正銘、あなた達の知る古河音ちゃんですわ」 |
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