さーっという箒の音。 
落ち葉が少しずつ一定の場所に集められていく。

上白沢宅の庭を掃いていたのは家主ではなく、その大き目の箒程の身長もない小柄な少女。
彼女の名は古河音。
記憶を失い、幻想郷へと迷い込んだ外来人だ。

身寄りがないとはいえ世話になり過ぎている、と最低限の家事の手伝いを彼女自身が申し出たのだ。
しかし、箒を扱うその動作には身が入っておらず上の空といった様子。
ただ落ち葉を一か所に集めるだけの単純な作業とはいえ、集中しているのとそうでないのとでは効率が全然違う。
普通にやれば半分は終わっている作業も未だ1/3程度。




古河音がこの幻想郷に来て慧音にその身を救われてから早1週間。
今日という日は色々とあり過ぎた、
自分と同じ外来人だという土樹良也に出会い、箒で空を駆ける少女、霧雨魔理沙に出会った。
不思議と彼女に絡まれてから一部記憶に空白があったが、それも記憶喪失のせいだろうと納得していた。

そして、その中でも魔理沙が箒で空を飛ぶ姿がずっと頭から離れないでいた。
彼女の掃除のペースを乱していた主な原因がこれだった。
古河音自身、なぜアレだけ濃い一日の中でその映像だけが頭に残っているのかが分からない。





箒を使い、宙を舞う。

良也は彼女に普通の人間は飛ぶ事ができないと言っていた。
本当にそうなのだろうか、と疑問を感じてしまう。
魔理沙の様に空を飛ぶ事は本当にできないのだろうか。


気づけば古河音は手にしていた箒に跨っていた。

間抜けだった。
庭の掃除を半分以上も残し、箒に跨りただ立ち尽くす様はとても間抜けな絵面だった。





イメージが    どんどん濃くなっていく。
魔理沙の空を飛んでいた時の記憶だけが、古河音の頭の中を浸食していく。

彼女を中心に風が吹き、集められた落ち葉も散ってしまう。






古河音は、箒に跨り宙を浮いていた。

「…………えっ…?は?……えぇっ!?」

そんな現象に誰よりも驚くのは彼女自身。
目の前の現象を自分が起こした事への混乱、宙を浮いている事で沸いてくる高揚感。

しかし、それもわずか数秒の事。

「えっ……!?」

誰に言われるでなく、本能で感じ取っていた。
今この箒は、どこかへ飛ぼうとしている。
車で例えるならアクセルがべたぶみの様な状態。
早く止めなければと思うも、止め方など分かるはずもなく。







「古河音、掃除は一度切り上げて一緒に団子でも――――………っ!!」

慧音が彼女を訪ねに来たと同時に辺り一面に強風が吹き荒れる。
突風に対して閉じてしまった瞳を開けると、そこには古河音の姿はない。

見上げた先に彼女はいた。
彼女は空を飛んでいた……いや、吹き飛んでいた。
上空の古河音は完全に箒を手放しており、箒と一緒にほんの一瞬浮遊する。
決して宙を浮いている訳ではない。
今の彼女はあくまで空へと吹き飛んだにすぎない。

幻想郷といえど重力は存在する。
ならば飛ぶ術もないままに空へと上がってしまった古河音は―――――………






考えるよりも先に慧音は地を蹴り、古河音の元へと飛んだ。
古河音と違い、彼女には正真正銘空を飛ぶ能力がその身にあるのだ。
速度をフルにして、彼女が重力にその身をさらわれる前に古河音の身体をキャッチしていた。

ほんの数秒の出来事。
古河音は、慧音に抱きかかえられている今の状況に理解が追いつかないでいた。
辺りは空。必死な慧音の表情。
そこでようやく気づく。  自分は彼女にまた、助けられたのだと。



「―――――何を」






「何をしているんだこの大馬鹿者っ!!」

「ごっ………」











「ごめんなさい………」


















並べられた団子は次々と姿を消してゆく。
代わりに残るのは無残な串だけ。
苛立ちのままに団子を貪る慧音の姿は、お世辞にも優雅とは言い難いものだった。
眉間にしわを寄せ時折お茶をずっとすする様は、やけ食いという言葉が妙にしっくりとくる。

「あの……」

そんな慧音に対して、古河音は少し離れた位置で正座中。
ぐぅ という小さな音を一つならして遠慮気味に小さく挙手。

「…………何だ?」

「せめて一串だけ……」

「ダメだ」

もう一つおまけにぐぅとお腹を鳴らせながら、うな垂れる。
今の彼女に届く言葉はなく、相当ご立腹だった。

時刻は午後の四時。
昼食が体内から消化され始め、ちょうど何か小物を口に入れたい時間帯。
目の前にはいかにも甘そうな団子、それを不機嫌そうにとはいえ次々と食べていく慧音。
そんな光景を正座をしつつ見る事しかできない自分。

この拷問、効果はばつぐんだ。
そんなフレーズにどこか懐かしさを覚えた古河音だったが、正直どうでもよかった。

分かってはいた。
今の処遇はこれでも甘い方なのだという自覚もある。
慧音の怒る理由、いや、怒ってくれている理由。
それは掃除の手を抜いていた事に対してでもなく、彼女に余計な面倒を掛けてしまった事にでもなく
安易な気持ちで自分の身を危険にさらした事に対して、怒ってくれているのだ。

しかし、頭で分かっていても身体とは正直なもの。
ぐぅ と本日三度目の腹の虫。
これではまるでねだっているかの様だ。
決してねだってはいないが、ねだっている様に見える聞こえる。

TVもラジオない幻想郷。部屋一つに2人きり。
当然の様にその音はまる聞こえだった。
慧音自身もばつの悪そうな顔をしている。




「………一串だけだぞ?」

「あ、いえ…………ありがとう、ございます」

古河音にその意思はなく、腹が鳴ったのはただ単に生理現象。
だからこそ彼女は断ろうとして、誘惑に負けた。
















「結局、あれは何だったんだ?」

食事の効果によるものか、わずかに和んだ空気の中で慧音は率直に疑問を口にする。
『あれ』
つまりは古河音が派手に空へと舞い上がった事に対してのもの。

飛べないからこそ彼女は慧音に助けられた。
しかし、そもそも空を飛びさえしなければ助けられる事すらないのだ。



「…………………失敗だと、思います」

自身が把握しきれていない状況下で、とりあえず感じた事を口にしてみた。
疑問点が多いながらもおおよそ慧音もその答えに納得していた。

この幻想郷では人以外の種族は当然の様に空を飛び、極一部の『力』を持つ人間が稀に彼らと同じ様な事をやってのける。
事実、慧音が古河音を紹介した人物、土樹良也も空を飛ぶ能力やその他普通の人間にはできない能力を有している。彼に関してはその他色々と特殊な事情もあるのだが。

慧音から見た彼女はどう見ても人間だ。
つまり古河音もまた何かしらの『力』を持っており『空を飛ぶ失敗』をしたのだと考えると先ほどの現象も合点がいく。

『最近の人間は空を飛べるようにできている』という様な根も葉もない話を聞いた気もするが、こうも例外を見ているとそれも妙に納得できてしまいそうな慧音だった。




「古河音、少し空を飛ぶ練習をしてみないか?」

「………え?」

古河音にとって、慧音の誘いは驚くほど意外なものだった。
そもそも普段怒らない彼女を怒らせてしまったのも空を飛ぼうとしたのが起因だったのだ。

「前にも話したが幻想郷では妖怪に襲われることもある。
もちろんそうならない様に私も動いているが、それでも自衛の手段はあるに越したことはない。
そのための練習だ」

ただし、私のいない所では決して練習してはいけない。
と、つけ加える。
注意点や目的、経緯などを語るその姿はまさしく『先生』そのものだった。
























「…………………………」

空を飛ぶ練習。
そのために庭へ出た2人の間には無言が続いていた。
そのきっかけは『浮く事から始めようか』という慧音の一言。
まずは慣れから、そんな思いから発した言葉だったのだが、それをきっかけに古河音が黙り込んでしまう。



「どうした?」

「その……………
どうやって飛べば良いんでしょう?」

本末転倒も良いところだった。
例えマラソンの練習をしようと思っても、走り方が分からないのでは練習の余地もない。

「なんていうか、あの時は自然と“飛び方”のイメージが出来たんですけど……。今はまったく…………」

ムラがあるのかもしれない、慧音は考える。
人でも妖怪でも常に実力の全てが出せる訳ではない。
気分や体調、環境や相性。それらによって実力以上の能力を発揮できる時もあれば、その半分も発揮されない事も珍しくない。

はたまた、イメージが出来たという事は元々記憶を失う以前の古河音は空を飛べた可能性もでてくる。
それならば一時的に“飛び方”の記憶だけが蘇った事により飛べた、という推測も可能だ。

「………あ」

などと考える慧音をよそに、古河音は何かを思い出したように声を上げる。
そして庭の掃除に使っていた箒を取りだした。










失敗の原因、暴走の理由は“分かっている”

イメージに、感覚に頼り過ぎていたのだ。

空の飛び方ならば既に“解っている”
だから後は理屈を、理論を骨組みにして飛べば良い。

浮き方・進み方・加速の仕方から方向転換まで、既に頭の中に“入っている”











高さにして1m程。
箒に跨った古河音は再び宙に浮き、前回とは違って安定した動きだった。

「飛べました……♪」

「……………………」

普段表情の乏しい古河音が見せる珍しい笑顔。
しかし、今慧音が着目しているのは全くの別のところ。

古河音が空を飛べる、そこまでは良い。
問題はその空を飛ぶのに使っている“術”だ。
それは能力というよりも技術といった方が適している、いわゆる“魔法”と呼ばれる類のもの。

魔法を用いない慧音だが、概要くらいの知識は持ち合わせている。
魔法とは知識・理論から霊力を加工する“技術”の一種。
能力と違い、感覚だけで使用できるものではない。
知識を理解し、理論を組み立て、そこではじめて行使できる“技術”こそが魔法。



そこで重要なのは古河音は自分の名前も含めて記憶を失っているという点。
魔法を使う上で“知識”は必須。
だとするなら、彼女の眠れる記憶の中には魔法の知識が存在するという結論になる。
古河音の記憶を読み解く近道は魔法なのでは、と慧音は考え始めた。



魔法の概要や歴史ならば慧音の頭にも入っている。
しかし、専門的な知識となれば話は別だ。
魔法の知識に長け、分析に優れた人物の協力が必要になるだろう。
となれば幻想郷の中でも限られてくる。

紅魔館地下の図書館の主にして、七耀の魔法使い
パチュリー・ノーレッジ。

魔法関連の分析ならパチュリーは群を抜いているし、資料も豊富だ。
ただし、彼女に協力を要請するとなれば問題もでてくる。
彼女自身というよりは彼女の居住地。
紅魔館 そこの主は人間の血液を主食とする吸血鬼。
半獣である慧音はまだしも、古河音は正真正銘の人間。

飲んだくれの友人の家にお酒持参で訪問すれば、ぜひ飲んでくださいと言っている様なもの。
みすみす彼女の血を飲ませるつもりもないが、抵抗して無意味に紅魔館との関係を悪くするつもりもない。




誰か、間に入れる様な人物が必要だった。
紅魔館と良好な関係を持ちながら、こちらの願いを通してくれる仲介人の様な人物が――――……



「あっ……」



戻る?