紅魔館地下図書館は静謐だ。 そこで生じる物音は、広大な敷地の中で二ヶ所かもしくは三ヶ所で本をめくる控えめな音だけだ。 僕はここが好きだ。 元々勉強というものが嫌いではなかったし、魔法というこの世界の真理に触れる学問の奥深さを知ってから、毎日のようにここに来るようになった。 暗く、耳が痛くなるほどの沈黙が支配している場所だが、ここで本に触れるときが最も落ち着くことのできる時間となっている。 かつては、この地下図書館の主を師として仰いでいたが、今はほとんど教えて貰うことはない。 いや、直接聞かないだけで、この図書館の蔵書という形で知識を受け取っている。 ただ会話が極端に無くなったことは確かで、お茶のときを除いて、ただの一言もかわしあわず、互いに不干渉を保っている。 とはいえ、仲が悪い、というわけでもない。 そもそも仲が悪いのならば、地下図書館の主は僕の立ち入りを禁止するだろうし、僕は僕でたまに人里で買ったお菓子を机の上に置いておいたりする。 ただ、パチュリーと僕の関係というのが、そういう形で固まっただけだ。 この地下図書館に初めて訪れたときから、一体どれくらい経ったのか、僕にはわからない。 結構、長い年月が経ったと思うが、僕が世界の真理に触れることが出来るのはまだまだという程度までに魔法を理解することしかできなかった。 しかし、それはそれで楽しくて、今までもずっと飽きずに本を読むことに没頭している。 『賢者の石精製法 序論 第三巻』をぴらぴらとめくりながら、予測された数値から大幅に異なった数値が検出された原因を漠然と考えていた。 初歩に振り返って考えれば、その原因がわかるかな、と思ったが、どうもわからない。 僕の魔法特性が全てフラットということなので、属性調整せずに精製した賢者の石を使って実験したことがやっぱりいけなかったのかもしれない。 いやいや、以前同じように精製した賢者の石を使った他の実験では、うまくいっていた。 だから、賢者の石の精製法が悪かった、という可能性はあまり高くない。 もちろん、今回の実験のみ影響するような成分の違いが現れたことも考慮にいれて考えたとしてもだ。 ひょっとしたら、賢者の石以外の点にも何か不手際があったかもしれない。 それ以外の可能性は……もしかしたら、推測値自体がおかしいのかも。 前者だったら実験をやり直すだけでいいが、後者だったらそもそも実験そのものの見直しも必要になる。 薄々、その可能性にも気づいていたが、実験をするために払った労苦が全て無駄になったことはあまり認めたくなかった。 少しうんざりとした気分になりながら、『賢者の石精製法 序論 第三巻』を閉じた。 これを読んでいることだって、重くのしかかる実験の失敗で沈んでいた気分を晴らすためだ。 いくら僕がこの図書館に馴染んでいるとはいえ、パチュリーの暗号で書かれた本を、解読用ノートも無しで読み進めることは出来ない。 あんまり深刻に考えすぎてもしょうがない。 僕には時間が有り余っているわけだし、今回はうまくいかなかったということで、また次の機会を探せばいい。 どうせ、それほど大したことをやろうと思っていたわけじゃないし。 『賢者の石精製法 序論 第三巻』を持ち上げて、本棚の前に行った。 丸々賢者の石に関しての本が収められた本棚は、ぎっしり詰め込まれている。 パチュリーが書いたものから、そうでないものまで、大量の賢者の石に関しての本があるのだから当然だ。 中には、どう見ても嘘が書かれたものも混じっているが、敢えて排除することなくこの本棚にいれられている。 小悪魔さんが全ての本の背表紙に本のタイトルを書いてくれているおかげで、 本棚に収まっている本は一目でなんなのかわかる。 さっきは、もうやめようか、なんて思っていたが、この本棚の前に立つと、どうしても興味がそそられる。 賢者の石に関する本は前述の通り多種多様で、僕もまだこの本棚の全ての本を読破したわけではない。 魔法というとても深い学問にとりつかれた僕としては、その性質をうずかされずにはいられない。 本棚の本の背表紙を眺めながら、ゆっくり横歩きをした。 「きゃっ」 小さな悲鳴と、本がばさばさと落ちる音がした。 「あ、す、すいません、小悪魔さん」 よそ見をしていたせいでぶつかってしまった。 咄嗟に、倒れた小悪魔さんに手を差し出したが、そこに居たのは薄紫色の服を着た魔女だった。 「なんだ、パチュリーか」 「なんだ、って一体何よ」 懐かしの我が師匠だ。 いや、別に数日に何度かは見かけたりするから、懐かしいってわけじゃないけど。 図書館で顔を合わせて会話するのは、結構久しぶりだったりする。 それはそうと、よく考えたら、何故僕は小悪魔さんのことをさん付けして、パチュリーは普通にパチュリーと呼んでいるんだろう。 紅魔館の地位とか、実質的な力関係を考えると、パチュリーの方が偉いはずなのに、何故か、小悪魔さんは『小悪魔さん』だ。 まあ、小悪魔さんの方がよく僕がお世話になっている……から、かな? 「全く、よそ見しながら歩かないでよ」 パチュリーの手が僕の手を掴んだ。 思ったよりも柔らかく、若干冷たいその手をゆっくりと引き上げて、パチュリーを立たせる。 パチュリーが抱えていただろう本が辺りに散乱しているが、結構な量だ。 全て抱えていたのだとしたら、視界を遮る高さになる。 なんだ、パチュリーもよそ見をしていたのか、と思ったが、僕もよそ見をしていたのは事実だ。 ここで僕がそれを指摘しても、得することは何もない。 その場にしゃがみ、落ちた本を拾う。 パチュリーも自分で落ちた本を拾い始めるが……。 「いたっ」 パチュリーが頭突きをかましてきた。 もちろん、故意ではなくて、本を拾おうとして僕の頭に自分の頭をぶつけたんだろう。 距離感を掴んでいなかったのか、本を拾う作業中に何度も頭をぶつけてきた。 本を全て拾うとやっぱり結構な量になっていた。 「悪いわね」 「いやいや、構わないよ。折角だから、この本を運ぼうか?」 数年ぶりの会話……まあ、宴会では普通に話していたりするわけだから、本当は数年ぶりじゃないんだけど…… 図書館でのパチュリーとの会話は、別段ぎこちなくも、気まずくもないものだった。 やや僕が多めの本を抱え、黙って先導するパチュリーの後を追う。 五分もしないうちに目的地に到着し、数冊の本が入るスペースがある本棚の前に立った。 パチュリーがついさっきまでやっていた研究に一区切りがついたから、本を戻しに来たらしい。 普段なら小悪魔さんに本の整理なんかをやらせているのだが、今日は小悪魔さんは非番らしく、魔界に一時的に帰っているらしい。 そういえば今日は小悪魔さんに会わなかったな、と思いながらも、きちんと背表紙のタイトルを見て、あいうえお順、アルファベット順にしまっていく。 「うーん」 折角だからパチュリーに、僕がやっていた実験のことについて聞こうかと思った。 が、なんだかそれを聞くのも少しためらわれる気持ちもあった。 何せ、昔っから師匠でありながら基本的に放任主義だったパチュリーのことだ。 一応、一魔法使い(もちろん、種族ではなく職業としての)と名乗ってもおかしくないくらいの知識と経験を積んだ僕が聞いたら、自分でなんとかしなさい、とか言われるような気がする。 研究している内容も、内容だしなー。 「なあ、パチュリー、ちょっと聞きたいことあるんだけど、いいかな?」 「……何?」 まだ本を本棚に戻しているパチュリーは、なんかすごく面倒くさそうに返答した。 うーん、やっぱ駄目かな。 でも、ここで言うのをやめるのもマナーのある振る舞いじゃないな。 「今やっている研究でちょっと困っているところがあって……。 実験を色々とやっているんだけど、実験の結果が予測値と大きく異なっていてな。 それで……まあ、よければ助言がしてくれると嬉しいな、と」 パチュリーが本を本棚に戻す手を止めて、こっちを見てきた。 眠たげに半分落ちているまぶたを少し上げて、僕を見てくる。 何を言っているんだ、お前は、とでもいいそうな目だ。 やっぱり、駄目か。 「……実験で出したデータはあるの?」 僕の予想は外れて、意外にもパチュリーは僕の申し出に少しは興味を持ったらしい。 いやいや、本当に意外だ。 僕のやっている研究は、パチュリーのものより遙かに程度の低いものだ。 パチュリーは本気で世界の真理を解き明かそうとする研究ばっかりやっている。 僕がそういった方向の研究をやらないのは、パチュリーというどれだけ経っても追い越すことのできない先人がいるからだからという面がある。 パチュリーが僕のやっている研究を、全部知っているとは言わないが、それでもどんなことをやっているのかくらいは知っているはずなのに。 「ちょ、ちょっと待っててくれ」 色んな意味で慌てて、図書館の床を蹴り飛び上がった。 足で歩くよりも遙かに速いスピードで、僕がいつも使っている机に到着すると、実験の主目的などが書かれたメモと実測値データをびっしり書き込んだノートをひっつかんで、すぐに戻った。 「これ、だけど」 差し出したメモやノートをパチュリーは黙って受け取ると、これまた黙って読み始めた。 実験の全てを記録したものじゃないが、要点だけはきちんと抑えているので、他人が見るのならともかくパチュリーなら完全に理解できるはずだ。 文字を読み慣れているパチュリーなのだから、僕が言葉で付け加えた方が逆に理解の妨げになる可能性がある。 だから、僕も黙ってその場で待機することにした。 速読で資料を読み飛ばし、最後のページがまくられると、パチュリーはゆっくりと息を吐いた。 「私の机で話しましょう」 「あ、うん」 パチュリーがふわりと浮き上がったので、僕も後に続いて空を飛ぶ。 暗く、静かな図書館の中を、パチュリーの精霊の燐光を頼りに追いかけた。 パチュリーはいつも座っている椅子にゆっくり腰掛けると、資料を机の上に置いた。 「実験に関しては、全体的に火の源素が少ないことが失敗の原因ね」 「え?」 「火というものは、確かに存在しているけれども、その境界が極めて曖昧なもの。 だから、あなたが求めようとしている現象に極めて重要な要素よ。 もっと火の源素を抽出する必要が出てくるわ。 予測値に最も近かった実測値での配分を再現して、更にそこに火の源素を足して調整すれば予測値が出るはずよ」 ふーむ。 僕としてもその認識は持っていたが、それでも足りなかったというわけか。 火の源素をあの実験で行った量よりも増やすとなると、それはそれで面倒なことになる。 賢者の石の精製の際、少し工夫を凝らさないと……。 「問題点は、それだけ。 それはそれとして、ちょっと良也に提案があるんだけど」 「……ん、何?」 問題点は明らかになったことはよかったが、その問題点を解決するのは極めて面倒くさかった。 賢者の石の精製法をまた一から紐解く必要があり、更に既存の精製法にまた新しい工夫を施さなければならない。 賢者の石の精製法を確立するために先人達……パチュリーを含む先人達が血反吐を吐くほど苦労していた。 僕が気楽に賢者の石を精製して、気楽に実験に使っているのは、その確立した精製法を後追いでやっているからだ。 あの精製法に更に付け加えをするのは、凄く面倒……というか僕には難しい。 仮にやれたとしても、結構な年月が必要になる。 いっそ、この研究をやめるか、賢者の石以外の代替え品を探すか……ただ賢者の石以外を用いるとなると非常に不安定にならざるを得ない。 何回も繰り返して、一回成功すればいい、というものを僕は追求しているわけじゃない。 「この研究、私も興味が出たわ。 私一人がやってもいいのだけれども、あなたが発案した研究を横取りすることになるのも気分が悪いし。 良也と私で共同研究という形にしない?」 「んー……別に構わないけど……」 やっぱり止めることにしよう。 ……え? 「共同研究? パチュリーが?」 思わず、変な顔を浮かべてしまう。 ひょっとしたら助言が貰えるかも、とは思っていたが、共同研究というのは完全に想定外だ。 「これを? ……ちょっと待って……これ、本当に僕が持ってきたヤツだよね?」 パチュリーの手にあった資料を見直しても、僕が持ってきたものだった。 「何よ、嫌なの?」 「あ、いや、別に嫌ってわけじゃないけど」 むしろ、パチュリーが手伝ってくれる、というのなら大歓迎だ。 人手という観点から言っても、単純に二倍だし、僕なんかよりも遙かに技術も知識も上だ。 一ヶ月後までに完成させるつもりだったこの研究も、予想よりずっと早く終わるだろう。 「なんというか、パチュリーが僕の研究に興味を示すなんて珍しいなー、と思って」 「別に……良也の研究レポートはあらかた読んでいるわよ」 「へ?」 「どうでもいい内容のものと途中で投げ出すものが多いけど、たまに目を引くような研究もやってるじゃない」 ……びっくりして、パチュリーの顔をまじまじと見てしまった。 確かに僕はこの図書館に研究レポートを保管している。 僕の住処である神社はあまり研究レポートを保管することに適した環境じゃないし、過去の研究レポートが必要になったとき、いちいち取りに返るのが面倒なのもある。 とはいえ、パチュリーみたいに研究した結果を整理、系統立てするのは面倒なので、本にしているわけじゃないので、酷く読みづらいものになっている。 僕しか読んでない、と思っていたので、パチュリーが読んでいるとは思っていなかった。 しかも、微妙に褒められている。 なんかとても気恥ずかしい気分になった。 「さて、結果の精密な検討をしましょうか。 賢者の石精製法の見直しも必要だけど、これは時間が少しかかるけど、それほど大変なことじゃないわね。 それよりも、この数値を算出する実験の後の更に進んだ実験のことも検討する必要があるわ」 パチュリーの協力を得られて、僕の研究の進捗速度は以前とは考えられないくらい上がった。 まだたったの三日しか経っていないけれども、僕が前に行った実験を行うまでに至っていた。 しかも、今度は火の源素が高い賢者の石がある。 複数の源素が均等に存在しているからこそ賢者の石は賢者の石と言われるのだが……まあ、いいか。 ただその代わり、この三日はデスマーチだった。 三日合わせて、三十分も寝てない。 いくら蓬莱人だとはいえ、そろそろ体力の限界が近づいてきている。 今は結界の中で賢者の石がゆっくり各源素がそれぞれの要素を抽出している。 実験結果が出るのは少し時間が掛かるはずだ。 結界の中で要素が集まった空間で、横一文字に走る空間の歪みの前兆が測定できれば実験は成功となる。 帰ってきた小悪魔さんに、実験の観測をしてもらい、僕とパチュリーは休息を取ることにした。 流石のパチュリーもダウン気味らしく、寝室に行ってしまった。 僕は僕で仮眠室を借りることにし、よたよたと図書館の奥の部屋へと入る。 「……ん……あ、間違えた?」 ドアを開くと、そこにはベッドではなく、本棚があった。 何かが書かれた紙がうずたかく積まれており、部屋全体は雑然としている。 眠い目を擦りながら、この紙は一体なんなんだろう、と思って手に取ってみた。 例のごとく、パチュリーの魔法理論なんかが書かれており、これはきっと製本する前のレポートかなんかなんだろう、と思った。 「んー、何々……『プライベートスペースを所持するモデル生物における研究』?」 プライベートスペースというのは、咲夜さんのスペルカード……ではない。 あれは確か『プライベートスクウェア』だった。 プライベートスペースという代物のことは僕は知らないが、きっとレポートに書かれているだろう。 モデル生物、というのは、とある種類の生物の機構なんかを調べるとき、最も単純だったり実験体の個数が多い種類をモデルとして使うものだ。 ほ乳類だったらモルモットとかマウスとかそういうものだ。 モルモットやマウスは飼育が簡単ですぐに数が増えるから、実験生物として適したものというわけだ。 さっきまでの眠気はどこへやら。 パチュリーの未製本レポートに興味をそそられ、ぺらぺらとページをめくっていた。 「……モデル生物は人間か」 これはまた珍しいものを見た。 パチュリーの本やレポートに自分以外が出ることはほとんどない。 レミリアや咲夜さんに研究を手伝いを頼むことはあるが、その手伝いを行った記述は無い。 ただ、『時間操作』とかそういう記述があるだけだ。 まあ、今回は研究対象が人間なので記述があるのは当たり前のことだろうけど。 とはいえ、なんでまたモデル生物として人間を使おうと思ったのか。 人間というのは、成長するのにすごく時間がかかるし、マウスなんかよりも遙かに増殖しにくい。 モデル生物としては不適すぎる。 もちろん、パチュリーのレポートで、主目的として人間をモデル生物にしたものは他に見たことがない。 ……いやいや、僕はまだ人間としての心を捨てたわけじゃないぞ。 確かに蓬莱人という、人間との一線を画した種族になってしまったが、そこまで落ちたわけじゃない。 第一、このレポートでは、血の採取くらいしかやっていない。 血の中に含まれる魔力などを抽出し、それを様々な検査をかけて源素数なんかを算出しているだけだ。 普通の血液検査と変わらないレベルでしかない。 モデル生物となった人間は、若い男で中肉中背。 栄養状態は良く、数ヶ月前に大怪我をしていたらしいが、このレポート記述時にはほぼ完治していたそうだ。 前置きが終わると、ほとんど実験で測定された数値で紙は埋められていた。 詳しく解析するためには、他の資料などが必要になるので、僕にはこのデータの意味を理解することは出来ない。 僕に言えることは、この人間は人間にしては霊力の値がそこそこあるみたいだ、ということだけだ。 肝心のプライベートスペースに関しては触れられずに終わってしまった。 最初の一束のレポートを読み終わると、その下に置いてあったレポートを手に取った。 さっきの『プライベートスペースを所持するモデル生物の研究』の続きだ。 念のため、そこに置かれたレポートの山を見ると、一山丸々この研究のレポートだった。 パチュリーが手がける研究の中では、そこそこ規模の大きい研究だったんだろう。 もちろん、賢者の石の研究はこれの数十倍はあるが。 上から二つ目、三つ目を流し読みして、再度の血液検査や状況や栄養状態を変えての血液検査などと、しばらくただの血液検査が続いたようだった。 筆跡や、パチュリーが付け加えたと思しきコメントを見る限り、パチュリーのテンションが少しずつ上がっているみたいだったが、これを読んでいる僕としてはそこまで興味を引かれない。 「……ってい!」 まどろっしくなって、適当なところのレポートを引っこ抜いた。 十何束目のレポートだ。 ここまで来れば流石に内容に変化しているだろう、と思って適当なページを開いてみた。 するとまた数値の嵐。 思わずあくびを漏らしてしまった。 ここで読むのをやめて、眠ろうかな、と思えてきた。 「……ん?」 ページを戻して、前の方を開くと、そこに控え目な字でこう書かれていた。 『第四回、被験者からの臓器摘出』 思わず、頭から眠気の霧が吹っ飛んだ。 うげげ、パチュリー、こんなこともやっていたのか。 というか、まあ、やっているかもしれない、という気持ちがなかったわけじゃなかったが、本当にやっていたとなるとやっぱり少しショックだ。 さっき見た数値を見ると、血液からとったものじゃなくて、各臓器から抽出したものだった。 摘出された後、臓器をごりごりとすりつぶしたりしているわけだから、被験者は間違いなく死んでいる。 そのままレポートをぱたんと閉じて、見なかったことにしようかとも思ったけど、パチュリーが人間を殺してでも知りたがったことに少しだけ興味が残っていた。 一番下にあったレポートを引っこ抜いて、最後のページを開いてみた。 『本研究を永久に停止する』 ……? 目に飛び込んできた文字を見て、よく目を擦って、また見てみた。 やっぱり文字は変わらない。 とにもかくにも、この研究は永久に停止しちゃったらしい。 パチュリーはレポートに自分の感情を書き込んだりしない。 まあ、そもそもパチュリーはレポートに限らずとも自分の感情を見せることはあんまりないが、レポートには絶対に書き込まない。 私見なんかを差し挟んだりはするものの、それは飽くまで客観的に対象を見据え、それに対しての考察などをしているだけだ。 研究停止に関する具体的な理由は書かれていないが、最後のページにはパチュリーの後悔の言葉がつづられていた。 その後悔の言葉もまた、具体的なものではなく、心からあふれ出た、という感じで、何故後悔したのか、具体的なものを読み取ることはできなかった。 1ページだけさかのぼってみると、もう何十度目かの解剖実験の様子が記されていた。 何故か、途中で記述が途絶えている……解剖実験中に何かのトラブルがあったのか? ひょっとしたら、そのトラブルがパチュリーに、あの後悔の念を沸かせたのかもしれない。 余程のトラブルだったんだろう。 パチュリーがレポートに、日記帳に書くようなことを書いたということは、そういうことだ。 しかし、そうだとしたら最後に書かれた言葉が気になる。 一体、何があったんだろうか……? なんだか奇妙な感覚があり、眠気を忘れて山のように詰まれたレポートを読みふけっていた。 人間が何人も死んだことが極めて無機質に書かれていたものを読むのは、中々精神にクるものがあったが、興味は尽きなかった。 結局、プライベートスペースというものが何なのか。 このレポートを理解するために一番必要なものは、それだろう。 ただ、最も知りたいところは書かれていないか、もしくは暗号で書かれている。 暗号は、今まで見たものの中でも相当レベルの高い情報秘匿能力を持っているものだった。 解析するためには時間が必要だし、解読用のメモは恐らくパチュリーの頭の中以外存在していないだろう。 「ここにいたの」 背後から突然声を掛けられて、驚いて振り返った。 ドアのところにいるのはパチュリーで、資料を読みふけっていた僕を見ていた。 咄嗟に腕時計を見てみると、結構な時間が経っていた。 「ここは隠し部屋だから、なるべく入って欲しくはなかったんだけど。 あなたの能力がこの部屋に入り口の擬装魔法を無効化したのね」 そうだったのか、と合点がいった。 通りで、図書館に通い詰めている僕の知らない部屋だと思った。 パチュリーの声は、やはりいつもとトーンが違った。 底冷えするかのような、冷たい声で……怒っているわけではないが、それがなんとも怖く感じる声だった。 「それより、小悪魔が実験の終了を確認したわ。 今回の実験で得られた数値を検討しましょう」 「あ、うん……」 色々と思うことはあった。 人間を何十人も殺して、結局、最後は結果にたどり着かずに終わった研究レポートを見られて、パチュリーはどう思ったんだろうか。 どうとも思わないわけがない、とは思うが、パチュリーの現在の心情は僕が予想する他、理解する手段はない。 その後のパチュリーの様子は、変わらなかった。 より感情を排したかのような無機質な態度を示し、必要最低限の言葉のみ述べる。 僕を邪険に扱うわけではなく、当初の予定通り、機械的な対応を繰り返していた。 今日は、僕は神社に帰った。 翌日、また再び求められた実測値から行った検討の結果、新しく初期条件を変化させた実験を行う。 パチュリーの態度が全く変化していないものだったら、どうしよう、と思いつつも、翌日、神社を出発して紅魔館に来た。 あのとても居心地の悪い空気の中、淡々と実験をし、的確だけど人形のような返答しかない検討をするのはあまり歓迎できたものじゃない。 だからといって、紅魔館に行かない、というワガママを通すわけにもいかなくて。 「あ、良也さん、今日はレミリアお嬢様がお話があるとおっしゃってましたから、図書館の前にお嬢様の部屋に寄ってください」 「ん、了解」 門番の美鈴のこの発言はある意味救いにもなったし、憂鬱な気分にもさせられた。 レミリアの話を聞くためにあのパチュリーに会うまでの少しの猶予が出来たのが救いで、レミリアの話を聞かなければならないのが憂鬱な気分の原因だ。 咲夜さんが既に待機していたレミリアの部屋のソファーに座る。 例のごとく、一瞬で出現する紅茶を持って、進められるがまま一口飲んだ。 暖かい液体が喉を通り、わずかに気分が落ち着いた。 「良也、私が命令するわ。パチェを許しなさい」 「……は?」 何を言っているのか、このお子様吸血鬼は。 許してもらうのはどちらかというと僕の方だろう。 パチュリーの見られたくないレポートを、知らなかったとはいえ無許可で見てしまったんだから。 「どういうことだ? パチュリーを許す? むしろ、僕が迂闊にパチュリーのレポートを見たから、パチュリーに許してもらう方だと思うんだけど……」 「どういうことも何も、パチェのレポートを見たんでしょ。だったら、わからない?」 「だから、何を?」 いまいち要領を得ない。 もったいぶらずに、具体的に言えばいいのに、と思っていると、レミリアがその赤い瞳でまじまじと僕を見てきた。 しばらくすると少し小さなため息を吐き、ゆっくりと自分の紅茶に手を付けた。 「私はパチェのレポートに目を通してなかったから、良也が読んでも解らないように書かれているとは知らなかったわ。 良也。パチェのレポートを見たのは、本当なのよね?」 「ああ、『プライベートスペースを持つモデル生物における研究』のことだろ?」 「そこに出ていた被験者……あるいはモルモット、もしくはその『モデル生物』というのが、あなたのことよ」 「……は?」 えーっと。 ……あ。 そうか、あのレポートを読んでいて感じた違和感の正体がわかった。 あのレポートの全文、どこを見ても、モデル生物は『被験者』とだけ表記されていた。 これがパチュリーのレポートとしてはおかしいものだった。 だって、おかしいだろう。 被験者は内臓を摘出されて、死んでいる。 それだったら、次の被験者は、『被験者 B』、『被験者 2』あるいは『被験者 ろ』と書かれるはずだ。 別種の個体を表記する場合、混同を防ぐために違う表記を行う。 けれども、このレポートは全て通して、ただの『被験者』としか書かれていない。 となると、レポートに記された全ての実験での被験者は、一人ということになる。 内臓を何度も摘出されて生きていられる人間は、極めて限られている。 例えば、僕、とかだ。 「『プライベートスペース』というのは、僕の能力のことを指していたのか」 次々、頭の中で、欠けていたピースが繋がっていく。 モデル生物、というものも、なんで人間がモデル生物なのかわからなかった。 確かに、僕なら切ったりしても無くならないだろう。 いや、パチュリーは、僕の能力……自分だけの世界に引きこもる程度の能力で生じた僕の世界を小さな世界として……つまり大きな世界のモデルとして見ていたのかもしれない。 「理解できた? できたなら、パチェを許しなさい」 「いや、ちょっと待ってくれ。どういうことなのか、もうちょっと詳しく教えてくれ。 パチュリーはあの研究を途中で止めたけど、どうして止めたんだ?」 僕の体がいつの間にか切り刻まれていた、ということに思うところが無いわけではないけれども、それよりも知りたいことは研究を途絶させた理由だった。 レポートを見る限り、パチュリーはあの研究には力を入れて研究していた。 僕の持つ小さな世界がどのような機構を持って作られているのかを解析することによって、この世界全体の成り立ちを理解するための助けになると本気で信じていたし、実際、それに近い実験値も出していた。 そこまでやっていたのに打ち切った、ということは余程の理由があったはずだ。 「……さあ、良心の呵責にでも負けたんじゃないの? 良也相手にそれほど感じる必要もないと思うけど」 なにげに酷いことを言われたけれども、ただの目くらましだろう。 「いやいや、僕はレポートでしかあの研究のことを知らないけど、パチュリーはあの研究にノリノリだった。 書かれた文字の筆圧がやたら強かったし、研究の果てに得られる知識に対して、僕が見ても過度な展望を持っていた。 それなのに、突然研究を打ち切って、後悔している云々をレポートに書いたのは、何か切っ掛けがあったはずだ」 レミリアは体をのけぞらした。 さっきまでは多少、お嬢様然としとやかな感じだったが、いきなりやくざというかチンピラっぽくふんぞり返った。 ……いやまあ、この吸血鬼はそういう面があるから驚きはしない。 むしろ、こういう態度を取り始めたということは、触れたくないことに触れられたということだ。 あからさまに不機嫌さを表すのがまた子供っぽいというか、何というか。 「嫌なところで鋭いのね。誰に似たのかしら?」 「爺ちゃんじゃないかな」 挑発も難なくかわすと、レミリアは口を閉ざした。 色々と考えているようで、目が泳いでいる。 五分程度の、結構長い沈黙の果て、レミリアはこっちを見てきた。 「誰にも言わないなら教えてあげてもいいわよ」 「内容によっては……といいたいけど、それで教えてくれなくなっても困るから、誰にも言わないでおく」 レミリアは大きく息を吸って、吐いた。 自分の膝に肘を立て、そのまま頬杖をつく。 礼儀がいい振る舞いではないが、レミリアの苦虫をかみつぶしたかのような表情を見ていると、マナー違反を指摘する気はない。 「パチェの研究を知っていたのは、パチェとパチェを手伝った小悪魔。 あと、あなたの飲む紅茶に睡眠薬を入れた咲夜と紅魔館の主である私だけだったわ」 レミリアはそこで一拍おいた。 これ以上私に言わせるな、と言いたげな目でこちらを見てきたが、残念ながら僕はこのヒントだけで謎を解くことは出来なかった。 「何も知らずに図書館に行ったフランが、運悪く、パチェがあなたの体から心臓を切り出したところを見てしまったのよ」 ……。 レミリアの口からはさきほどとはうってかわって言葉があふれ出してきた。 「蓬莱人の体から切り出したばかり心臓は、まだそれだけで脈を打っていたと聞いたわ。 飲み慣れた血の芳醇な匂いを胸一杯に吸い込んで、その光景を見たフランは、ぷつん、といってしまったわけ。 その結果、地下図書館は霊夢や魔理沙に襲撃受けたときよりも遙かに酷い惨状になったわ。 図書館前に咲夜がいて、私に知らせてくれなかったら、紅魔館そのものが崩壊しかねない事態だった。 怒りのあまり発狂したフランの顔を見たとき、午睡から覚めたように、パチェは自分のやっていたことに気づいたそうよ。 良也の心臓を持っていた手が震えて、一週間の間その震えが止まらなくなったほどにね。 まあ……そういうことがあって、パチェの研究は止まったわけ。 一番の渦中の人間は何も知らないうちに」 本当に、僕を中心にして起こっていた事態の大きさに驚いてしまった。 そういえば、確か、地下図書館大改修ということで、数週間立ち入りを禁止されたことがあった。 事前に何も通達されないまま、突然工事に入ったから、何があったのかと思っていたが、裏にこんなことがあったなんて。 「フランはそのときを境目にして、地下図書館には近寄りもしなくなったし、一時的に情緒不安定な状態になったわ。 後者の方は、あなたが長期間のケアをしてくれたおかげでまた元通りになったけど、前者は今も尚フランのトラウマになっているわ」 「勉強嫌いだから図書館に行きたくない、って言ってたけど、あれは嘘だったのか」 「嘘も嘘、大嘘よ。 図書館に行くと、あのときのことを思い出して、理性が吹き飛びそうになるらしいわ。 本能が剥き出しになったところをあなたに見せたくないから、あなたに嘘をついているのね。 本当は勉強のことも好きなのよ。 あなたがフランに与えた本は、フランはボロボロになるまで何度も何度も読み直しているわ。 妖精メイドが誤ってその本を破ってしまったときは大泣きして大変だったんだから」 ……そういえば、レミリアにフランの誕生日プレゼントに何がいいかと相談したら、執拗に本を薦めてきたな。 本人が勉強嫌いなら、本じゃなくてぬいぐるみとかそういったものがいいんじゃないか、と言っても、レミリアはただひたすら本をプッシュしてきた。 レミリアはこれはこれでフランのことを思ってやっているのか。 「パチェはパチェで、相当思い詰めていたわ。 いえ、『思い詰めている』わ。 良也に今まで何も言わなかったことも、別に良也の体を切り刻んでいたことから逃げようとしたわけじゃない。 むしろ逆に、良也に全てを告白することによって、安易な許しを受けないようにしていたのよ。 何も知らない良也を今もなお地下図書館に入れることを拒まず、良也の姿を見ることによって自分の業を常に忘れないようにしているらしいの」 レミリアの言葉の洪水は一旦、そこで止まった。 少し冷めた紅茶を口に付け、ゆっくりとカップを置く。 レミリアは視線を僕にまっすぐに向け、言葉もまたまっすぐに投げつけてきた。 「私たちにとって最も恐ろしいものって、なんだかわかる、良也?」 「えーっと、白樺の杭か?」 「……色々な意味で違うわ。 私たち、つまり妖怪や魔法使い……もちろん蓬莱人にとっての最も恐ろしいものは、精神的な死よ。 肉体は人間達よりも遙かに強く、例えバラバラにされても再生することは容易いわ。 だけれども、肉体の中にある精神が病んでしまうと、それを治すことは難しい。 長く生きる私たちにとって、精神の病はこれ以上ない恐怖の対象よ」 どこかで聞いたことがある、と思ったら、幻想郷で異変が起こる主目的のことだった。 変化のない世界では、妖怪の力は極めて落ちてしまう。 そうなると、人間と妖怪とのパワーバランスが崩れるため、定期的に異変が発生する。 その異変が、言うなれば妖怪達の『暇つぶし』になって、退屈という精神的な病を駆逐するのだ。 「だからこそ、パチェは敢えて茨の道を進んだの。 心に刺さったトゲを抜かないままに、生きることにね。 罪悪感という名前の精神的な病はゆっくりだけど、確実にパチェの心を腐らせていったわ。 あなたが何食わぬ顔で地下図書館に入り浸り、なんだかよくわからない研究をしている姿を見るたびに、その症状は進行していった。 それで、昨日、状況が一変する出来事が起きた」 昨日、僕があのレポートを見たことか。 ただでさえ僕に対しての罪悪感を背負っていたのに、過去の出来事を秘匿していたことが露見したことも更に大きな重しになってしまったんだろう。 パチュリーは心情を見せまいとしていたが、心の中では悲鳴をあげていたんだろう。 だから、あんな風な変化をしたんだ。 「……私から話すことはもう終わったわ。 だから、良也、パチェを許しなさい。 いえ、パチェを許してあげて」 レミリアは素直に頭を下げた。 子供っぽく、負けず嫌いで、自分の非を認めたがらないレミリアが頭を下げるなんて、数年に一度拝めるかどうかだ。 今までパチュリーの意思を尊重して、レミリアは僕には黙っていたんだろうけど、流石にパチュリーの意思を無視せざるを得ない段階に至ってしまったらしい。 「わかってるよ。まあ、なんとかなるように頑張ってみるさ」 「おーい、パチュリー。昨日の実験結果のレポートをまとめてきた。 ちょっと見てくれないか?」 パチュリーはいつも通り、お気に入りの椅子に座って本を読んでいた。 昨日の目よりも遙かに濁った目で僕を見て、本を閉じ、紙の束を受け取った。 その間見せたパチュリーのどの動きも鈍く、覇気がない。 何度も何度もページを捲り、そこに書かれている文を理解しようとしている。 以前のパチュリーなら、この程度のレポートなら一目見るだけで理解できたことを考えると、思考能力も落ちてしまっているようだった。 「……」 「……」 僕は黙ってパチュリーが読み終わるのを待っていた。 パチュリーの机の前に置いてあった椅子に腰掛け、なにげなく近くの本棚を見る。 本棚の影には小悪魔さんが心配そうな目で見ていた。 きっと、彼女がレミリアに報告してくれたんだろう。 もし、小悪魔さんがレミリアに言わなかったら、僕はまた何も知らないままでいたのかもしれない。 そして、パチュリーを無自覚に見殺しにしていた。 小悪魔さんには、大丈夫、と目配せして、再びパチュリーを見た。 レポートのほとんどが読み終わり、とうとう最後のページを見た。 ぴゅーっ そんな間抜けが擬音とともに、パチュリーの顔に水が吹きかかった。 「……良也、どういうこと」 僕はわざとらしくない程度に笑った。 パチュリーはレポートの最後のページから突然吹き出してきた水を、顔面で受け止めていた。 顔はもちろん、長い髪と帽子と服にも水が吹きかかり、ぽたぽたとしずくが垂れている。 「驚いたか? これは僕が考案した、視線を感知すると水を放出する魔法陣だ。 実験の合間にちまちま量産していて、まとまった数がそろったら人里に悪戯グッズとして販売するつもりなんだけど」 僕のくだらない研究結果の一つだ。 発明と言い換えてもいいかもしれない。 販売云々は本気だったりする。 ただ、使用上の注意に『慧音さんには使うな、マジで』と書かなければ不味いのがネックだと思う。 そう書いても、多分、悪ガキは慧音さんにつかうだろうから、慧音さんが僕のところへ来るまでに、ある程度まとまった数を売りさばけば僕は儲けることが出来る。 「いやしかし、僕の魔法の師匠を騙すことが出来たんなら、この魔法陣は成功だな」 「本当に、くだらないことするのね。 私はこんなことをさせるために、魔法を教えたわけじゃないんだけど」 「まあまあ、水だけで害はないんだし。 そんなことより、顔を拭いてきたらどうだ? 一応、フォローとして耐水魔法が辺りにかかるけど、数秒したら解ける簡単なものだから」 「……わかったわ」 パチュリーは立ち上がって、ゆっくりと空を飛んだ。 去り際に、肩が微かに上下しているのが見えたが、後に小悪魔さんが追っていったから、彼女がフォローしてくれるだろう。 僕は椅子に深く腰掛けて、パチュリーの持っていたレポートを手に取った。 最後のページには、改心の作だった悪戯用魔法陣が書かれている。 一回きりの使い捨てなので、また水が出てくる心配はない。 「レミリアは、パチュリーが許しを求めてはいないって言っていたけど」 レポートの最後のページは、それ以前のページと比べてとても古い紙だった。 いつものパチュリーなら気づいただろうが、いつもじゃなかったパチュリーには実際にこのページを見るまで気づけなかった。 「本当はとっくの昔に許しを求めていたんだよな」 このページは、パチュリーの『プライベートスペースを所持する生物における研究』の最終ページを取りはずしてもってきたものだ。 パチュリーの震える右手で書いたんだろう、震えた文字で、後悔の言葉がつらつらと書かれている。 自分の行動の浅はかさなどを罵倒する言葉が続き、最後の最後で、後悔以外の言葉があった。 「こんな風に謝られちゃ、許さないわけにはいかないだろう」 『ごめんなさい』 そのちょっと下に、僕は悪戯用の魔法陣を書いた。 外側から、魔法が発動した際、辺りに耐水性を与える魔法と、蓄えた水を放出する魔法、大気から水を蓄える魔法……となっている。 中央には、この魔法陣のキモである、視線を感知する魔法がかかれている。 瞳のようなそれを見ると、魔法陣全体に蓄えられていた魔力が流れ、魔法陣全体が発動する仕組みになっている。 ちなみに、人里で販売するものには、いくらかのバリエーションがある。 視線を感知する魔法陣の瞳には、文字が書かれているのだ。 例えば『馬鹿がみる』だとか、セミの絵が描いてあったりとか、相手の精神を逆撫でするようなギミックが施してある。 この文字を注視することによって、魔法陣全体のスイッチが入り、水が噴き出すわけだ。 今回は僕のお手製なわけで、テンプレ化した台詞以外のものを自由に書き込めた。 『これで許してやる』とね。 顔を拭きに行ったパチュリーだが、戻ってくるのにはもうしばらくかかるだろう。 まあ、いいさ。 その時間を待つくらいの度量を、僕は持ち合わせているつもりだから。 |
戻る? |