リンゴーン、リンゴーンと響く教会の鐘の音を聞きながら、僕は幸せな気分に包まれていた。 思えばここまで来るのに長い道を歩いてきた気がする。 道中数々の障害があったわけだが、今思い返せばいい思い出に思えてくるから不思議だ。 本気で泣きそうになったときも何度もあったはずなのに。 「まさか、良也が結婚する日が来るとはねえ」 今の僕は天にも昇る気持ちであり、スキマにいらぬ茶々を入れられてもそれほど気分を害さなかった。 僕のことをなんだと思っていたんだ、と普段なら言いたくなるような台詞を吐いているものの、彼女は確かに僕を祝う気持ちもあるようだから尚更だ。 ……不意に、幻想郷の境界ならぬ教会に住む妖怪、というフレーズが思い浮かんだけど、あまりのくだらなさに口に出して言うのを止めた。 「悪かったな。万年魔法使いを引退して」 万年魔法使い……ああ、これほど僕が忌み嫌った称号はないだろう。 パチュリーあたりに知られたら、ロイヤルフレアをぶちかまされるだろうが、いや、本当にこう呼ばれるのが辛かった。 何も知らない人里の若者が、僕に対して「どうして良也さんは魔法使いって呼ばれているんですか?」とか聞くと顔の引きつりを隠しきれなかったもんだ。 けれどっ! 今やその呼び名は直に過去のものとなる。 僕には綺麗でかわいいお嫁さんがいて、今日はその結婚式なのだから。 もし、今後、僕に対して「どうして魔法使いって呼ばれているんですか?」と聞かれたとしても、何の躊躇いもなく紅魔館の魔女に弟子入りしていたことがあったからさ、と言える。 いやはや、それにしても感慨深い。 さっきも述べたように、ここまで来るのには色々と苦労した。 目の前のスキマがしてきた微妙な嫌がらせとか、宴会のネタにされたりとか、まあ、色々あった。 「ま、あれだけちょっかい出されてなおも諦めなかったあなたの根性を認めましょう。 精々、幸せにおなりなさいな。人生の墓場でね」 スキマは首だけ出していたスキマの中にぬるんと入り込んでいった。 あれだけ結婚していなかったころにはそれをネタにしていたくせに、結婚するとなるとそれはそれで酷いことを言ってくるな。 まあ、スキマなりの負け惜しみだと思えば、今の悪口もなんだか胸のすっとするような気になる。 何の負け惜しみなのかはわからないけど。 結婚式、ということで、スキマのみならず幻想郷中から色んな人が祝いに来てくれた。 そのうちの半分以上が、結婚式後の宴会狙いで来ていることには目をつぶり、知り合いの祝福に素直に喜んでいる。 「お久しぶり、良也」 「あ、どうも、永琳さん……で、えーと、輝夜は来てくれましたか?」 永琳さんは少し困ったような表情を浮かべて、首を左右に振った。 永遠亭からは鈴仙とてゐと永琳さんが来てくれた。 が、ただ一人輝夜だけは姿を見せなかった。 大抵の知り合いは、僕が結婚することに最終的に賛成してくれた。 大部分が、ふーん、結婚したけりゃすれば? みたいなスタンスだろうが、とにかく祝ってくれた。 そんな中、意外や意外、何故か輝夜だけは反対していた。 曰く、良也相手には相応しくない、とか、そんな感じのことだ。 が、まあ、輝夜は僕の親でもなんでもないわけで、反対されたからといって既に決まっていた結婚を取りやめることはしなかった。 永遠亭に結婚式の招待状を送ったが、案の定輝夜は欠席、と。 「そんなに気にしなくていいわよ。 あの子は、良也のことを気に入っていたから、ちょっと拗ねているのよ」 「そうですかね」 気に入っているというのは少し疑問に思うところがなくもない。 ずっと前に、輝夜から贈り物として貰ったものが、そこはかとなく害意を感じるものだった。 紅い宝石が額についた不気味な石の仮面だ。 正直な話、これをどうしろというのかよくわからない。 被れというのか、飾れというのか、デザイン的な面を考えるとどっちもしたくない。 悪意のある悪戯だろう、ということで、貰ったときの入れ物にしまって、そのまま物置に放り込んでおいた。 からかう対象として見られているんだろうから、ある意味気に入られているといってもいいのかもしれないけど、微妙に嫌な気も……。 「本心ではあなた達二人の結婚を祝福しているはずよ。だから、許してあげてね」 「いえ、まあ、うちらは長生きですから、いつかはなるようになるでしょう」 僕も僕の嫁さんも、寿命なんてものを普通に考えなくていいのだから、いつかはどうにかなるだろう。 どうにかならないかもしれないが、ま、そのときはそのときだ。 永琳さんとしばし歓談していると、慧音さんがやってきた。 「お、良也君、中々似合っているじゃないか」 白いタキシードなんて、自分じゃ似合っているかどうか不安だったが、慧音さんを含め、大抵の人には概ね好意的だった。 多少の気恥ずかしさを感じながら、礼を言い、いやいや、慧音さんのそのドレスも素敵ですよ、なんて言ってみたり。 慧音さんは少し苦笑を浮かべ、花嫁に恨まれないようにもう少し地味なものを来てこればよかったか、と返してくれた。 「それにしても、良也君が結婚か。感慨深いものがあるな。 うん、私と親交のある二人が結婚するのだから、めでたいことだ」 慧音さんは全面的に僕たちの結婚に賛成してくれた。 人里に住み、何世代の人間を見送ってきただけあって、結婚式の準備などに詳しく、よくお世話になった。 いつかこの恩を返すことが出来ればいいな、と思ったけれど、寺子屋の件で逆に世話になってしまうことがわかっている。 「慧音さんには色々とお世話になりました。ありがとうございました。 これからもどうぞ一つよろしくお願いします」 「いやいや、若い者の手助けをするのが年長者のつとめさ。 礼なんかを言われることよりも、あの子を幸せにしてやってくれることが、私の望みさ」 慧音さんは、今度は花嫁に声を掛けてくる、と言って退室した。 幸せにする、というのはある意味当たり前のことだ。 僕だって腹に決めて、結婚という人生の一大事に取り組んでいる。 結婚というのは飽くまで通過点で、幸せな家庭を築くことが最終目的と言える。 そのためには、どんな苦労も惜しまないつもりだ。 来客はどんどん来る。 長く生きていると、ただでさえ知り合いは多くなる上、僕は色んなところに出かけていたから、そこらじゅうに顔見知りがいる。 今になって少し呼びすぎたかな、と思うけれども、だからといって呼ぶ人と呼ばない人を選ぶことなんて出来なかった。 慧音さんの後は、霊夢だった。 他の人は色々と着飾っているが、霊夢だけはいつもと変わらない巫女服を着ていた。 そういえば、いつか、巫女服には冬服と夏服があると言っていたことを思い出した。 確かに布地の厚さによって、冬服と夏服をわけていたが、腋とかの露出は変わらなかった。 なんでそんなに腋を露出することにこだわっているのかわからないが、なんか聞くのも卑猥な気がしたので聞かなかった。 「馬子にも衣装ってところね」 「それは、一応、褒め言葉として受け取っておくよ」 開口一番酷いことを言われたが、霊夢に悪意がないのはわかっているので聞き流した。 もっとも、悪意がなくてこんなことを言うってことは、率直に思い浮かんだ感想というわけで、僕の心にはダメージが入ったが……。 「それより、先に失礼するよ」 「良也さんの方が年長者なんだから、『先に失礼するよ』もないでしょ」 「それもそうだけど……ほら、なんだ……えーっと」 別の意味もあったんだけど、それを直接口に出して言うのは難しい。 なにせ、霊夢の方は全く、過去にスキマに茶々をいれられたときのことを気にしていないからだ。 もし、今僕があのときのことを言ってしまったら、まるで未練があるかのようじゃないか。 この結婚式は、僕と僕の嫁とのものであり、そこに過去を含むのは不適切だと思うし。 まあ、未練が本当にないか、と言われると、それを完全に否定することが出来ない、というのが、また……なんだ、その……。 「お前も、早くいい人を見つけろよ」 苦し紛れに言った。 霊夢は非常に勘が鋭く、一種の予知能力を持っているかと思えるくらいだから……というか名前からして予知夢のことを意味する『霊夢』だし……きっと僕の内心を察しているだろう。 けれども、そんなことを気づいていないかのような素振りでいる。 それは彼女の優しさなのか、もしくは彼女自身から発せられる原因があるかは知らない。 彼女はどんな妖怪や人間に対しても平等な態度を取るので、前者は考えにくい。 多分、後者の理由からそうやっているんだろうが、その心遣いは切なくなってしまう。 まあ、今僕が考えていることがてんで見当違いのことかもしれなくて、そうだったらそうだったで今度は別の意味でとても切ないけれども。 「良也さんに言われなくても、自分のことは自分でどうにかするわ」 「それならいいけど……いや、お兄ちゃん、お前は性格がアレだし、いつまで経っても独り身のままなんじゃないかと、心配で心配で」 「誰がお兄ちゃんよ、誰が」 霊夢は呆れたようにため息を吐き、腰に手を当てて、胸を張って言った。 「私のことは気にしなくていいわよ。 すぐに、ってわけにはいかないでしょうけど、いつかは適当な相手見つけるわ」 とはいえ、霊夢の傍らに立つ人、というヴィジョンが全く見えてこない。 幻想郷にいるときには、霊夢の行動を一番見ている僕がそう思うんだから、実際そうなんだろう。 僕としては心配することしきりだ。 「それよりも、今日は無理しないことね」 「?」 「正確には、今日の夜。あの子は体が小さいんだから。まあ、見かけよりもずっと丈夫だけど」 「い、いきなり何を言い出すかと思ったら……」 思った先から、女の子にしてははしたない発言が飛び出した。 こんなんでお嫁に行けるのか、とついついため息が漏れそうになる。 いや、けれども、今日はめでたい日だ。 あまりくどくどお説教するような必要もないだろう。 「結婚おめでとうございます、良也さん」 「あ、どうも、咲夜さん」 珍しく、咲夜さん一人が声を掛けてきた。 珍しい、ってのは、咲夜さんは大抵、こういう場ではレミリアに付き添っているからだ。 レミリアは吸血鬼で、太陽や流れる液体には弱いけど、教会に来られない、ってタマじゃない。 どこかに隠れているのかな、と思ってきょろきょろと見回していたら、咲夜さんが気づいて、言葉を差し込んできた。 「お嬢様は来ていらっしゃいますよ。 けれども、やはり複雑な気持ちらしく、良也さんには顔を見せたくない、とおっしゃっていました」 多分、流石に口に出して「顔を見せたくない」とは言っていないだろうな、と思う。 ただ、何かしら理由をつけて、咲夜さんだけ僕に差し向けたんだろう。 咲夜さんは有能だけど、有能すぎて、わざとか天然かわからない変な気の回し方をしたりする。 今回は、レミリアにとっていらない気の回しだったが、まあ、咲夜さんが言わなくとも僕の方が察せられただろう。 「お嬢様はまだ若いですから」 若いといっても、僕らよりも遙か長く生きているんだけど、と思うが、笑顔でそう言う咲夜さんには二の句を告げなかった。 その笑顔に、ちょっとした迫力があったのも、僕が黙る一因になっている。 今更気づいたが、咲夜さんも人格をもった人であり、思うところの一つや二つあるんだろう。 ただ、現在、レミリアの使いであり、紅魔館のメイド長という立場上、その気持ちを表に出すことはしないわけだ。 この笑顔も、自分の立場と感情を天秤に掛けて、ちょうど釣り合った妥協点で発せられたもののはず。 となると、背後にはもっと大きいものがあると思った方がいい。 といっても、今更、僕にはどうしようもないことでもある。 世間一般はロリコンに対して見る目が厳しい。 そりゃ慧音さんや霊夢なんかの寛容な人もいるが、そうでない人の方が多いわけで。 いや、僕はロリコンではない、と自己弁護してみる。 たまたま好きになった相手が、ロリだったわけで……そもそも実年齢は僕よりも高いのに……。 レミリアは、昔、私は男を囲ったことがある、とか言ってたのにな。 人のことになると、見る目が厳しくなるって、自分勝手過ぎないか、と思うが……まあ、しょうがないか。 「別にお嬢様が気にしているのはそういう意味ではないと思いますが」 「ひ、人の心を勝手に読まないでくださいよ」 さとりさんじゃあるまいし。 僕の表情から僕の考えていることを読み取れる人が、幻想郷には多すぎる。 それはそうと、レミリアには是非とも祝福して欲しいと思っていた。 ある意味、彼女との縁が無ければ、嫁と出会う切っ掛けもあまり無かったはずだからだ。 とはいえ、レミリアの不機嫌な理由以外わからない。 僕が今考えたことが違うのなら、それほどレミリアに癇に障ることをしていないはずだけど。 咲夜さんは小さくため息を吐いた。 「大丈夫ですよ。 お嬢様は良也さんの結婚に関しては祝福しています。 レミリアお嬢様が顔を見せないのは、最近……ここ数年になって、良也さんのことを気に入るようになっていたからですから。 譲ることを少しもったいないと感じているのでしょうが、かといって引き留めることもできないので、機嫌が悪くなっているんでしょう」 「え?」 えーっと……? 「レミリアが、僕のことを?」 「あら、今、私が何か言いましたか?」 咲夜さんが相変わらずニコニコと笑顔を浮かべているだけだ。 妙な迫力は未だ健在……。 いやいや、咲夜さんには色々と驚かされる。 さらっと爆弾発言かまされたかと思ったら、自分だけ遙か遠くに瞬間移動したかのような立ち居振る舞いだ。 なんかこう、この後すぐに結婚式なのに、胃の痛くなりそうなことばっかり起きるな。 みんなの祝福の声を受けながら、ヴァージンロードを一歩進む。 傍らに立つ僕の生涯の伴侶も僕と同じ速度で進む。 ぱらぱらと何かが降ってきたと思うと、紙吹雪だった。 教会の天井で待機していた妖精が籠から、ひらひらと落としている。 普段は弾幕なんかを降らしてくるのに珍しい……と思ったら、微妙に弾幕を撃ってくるやつもいる。 光の三妖精だ。 まあ、たかが妖精の弾幕なんてのは避けるまでもない。 傍らにいた愛しい人を引き寄せ、僕の領域に壁を作り、弾幕を弾く。 ちょっとしたハプニングはあったものの、大したことはない。 光の三妖精は他の妖精に囲まれる……前にとっとと退散していった。 妖精の中で、一つ頭が出ている子がゆっくり降りてきた。 大妖精という湖付近に住む子だ。 僕とも顔見知りで、妖精にしてはおとなしくて礼儀正しい、珍しい子だった。 彼女は満面の笑みを浮かべて、僕と嫁さんに向かって祝福の言葉をかけてくれた。 「結婚おめでとうございます、良也さん。……そして、チルノちゃんもおめでとう」 布団をはねのけて起きた。 全身が汗まみれで、外気に触れるとひやりとする。 しばらく、その場で荒くなっていた息を整える。 気持ちが少し落ち着いたら、寝室を出て、ゆっくりと表の井戸に行く。 手桶から掬った水を、柄杓に直接口を付けて、ごくごくと喉を鳴らして呑み込む。 冷たい水が喉を通るのが、とても心地よく、柄杓が空になると再び掬って水を貪るように飲む。 あまりに勢いよく柄杓を傾けたため、口の端から水がこぼれ、寝間着の首元を濡らしていく。 火照った体には、それも心地よくて、気にせずぐいぐい水を飲んだ。 何杯、水を飲んだのか忘れるくらい飲んで、ようやく満足して柄杓を置く。 冷たい水が体に入ったからか、肺の中にずっとくすぶっていた熱い空気が抜け出していく。 そして同時に、起きてからずっと胸に溜まっていた言葉が漏れだした。 「良かった、夢か」 色んな意味で死ぬかと思った。 |
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