数ヶ月前に白玉楼に遊びに行った際、幽々子に、もっと働いてお茶菓子もってこい、と言われた。
 僕は本当のところは外の世界の出身……つまり外来人だったわけだが、外の世界は既に僕の世界ではない。
 今更出て行っても、居心地悪いだろうな、と思ったら、別にそうでもなかった。

 書店……まあ、今は紙媒体なんて使わず全てデジタルペーパーの情報しかないけど……に立ち寄ってみたら、中々興味深いものがあった。
 僕が若い頃よく読んでいたラノベという軽めの小説が結構な数出回っていたのだ。
 懐かしさのあまり手にとって読んでみたら、これがまた面白いの何のって。

 何故か今の流行が、僕がちょうどよく読んでいた時期のジャンルとほとんど同じで、外の世界の現代の一般的常識でちょっと蹴躓くものの、それほど世代の違いを感じさせずに楽しむことが出来た。
 それがあまりにも楽しくて、数週間の間、外の世界で色々なヲタク文化にどっぷりと浸った。
 で、滞在が結構長期間になり、比例して仕事をした時間も長くなってしまった。
 報酬でたんまり外の世界の物やお菓子を買い込み、幻想郷に戻ると、しばらく外の世界に出なくてもいいくらいの蓄えが出来てしまった。

 まあ、お金を貯め込むのは幻想郷ではあんまりいいこととされないので、パァッと使っちゃったけどね。
 人里に住んでいる人間や妖怪なんかと宴会みたいのを開いて……楽しかったなあ。

 ちなみに、二週間に一度来いと言われたのにいきなりサボってしまったので、幽々子が自分のスペルカードを使い切るまで、何回撃ち落とされようが続行の耐久弾幕ごっこをさせられた。

 ま、それはそれとしてだ。
 おだいじんをしたのはいいけれども、人里以外に住んでいる人達にも振る舞わないと不公平だな、と思った僕は、知り合いの家へ訪ねまわった。
 もちろん、ちゃんとお返しなんかも受けているので、僕が無償の奉仕をしているってわけではない。
 流石に一回の稼ぎで、全ての知り合いの家を回るほど稼げるわけでもないので、外の世界で働くたびにどこかに行くことにした。

 紅魔館、白玉楼、山の神社に、山の妖怪、地霊殿等々、色々と回って最後に決めたのが永遠亭だった。
 他の場所はそれほど迷わずに行けたり、道中安全が確保されたりしているが、永遠亭は迷いの竹林を通らなければ行くことが出来ない。

 それで、今こうやって竹が生い茂る林、通称竹林を歩いているわけだが……。
 うーむ、困った。

「迷った」

 竹林は結構広い上に、妖怪がうようよしているため、非常に迷いやすい。
 とはいえ、空を飛んで永遠亭に行く分には、道中たまに襲ってくる妖精を考えなければ問題はなかった。
 ただ、今回はおまんじゅうにおせんべいという、壊れやすいものを持っていた。
 妖精なんて僕の敵じゃないけど、万が一、おみやげが駄目になってしまったら悲惨なことになる。
 それに何となく、歩くのもいいかな、と思って、竹林を徒歩で踏破しようとしたら、見事に迷ってしまった。

 竹林に入って、もう二十四時間が経過してしまっている。
 僕の能力と魔法でおみやげの保存状態は良好だが、あんまり遅くなりすぎると痛んでしまうかもしれない。
 歩いていれば、見たことのある景色にたどり着けるだろ、とか思っていた僕が甘かった。

 どこまでいっても、いつまでたっても、竹、竹、竹……。
 見たことある景色が見られるどころか、どこを見ても同じような光景にしか見えなかった。
 よくもまあ、一日ずっと歩けたもんだ、と自分でも思う。

 空を飛んでいるときには、迷いの竹林という名前に違和感を覚えていた。
 多少ややこしいな、と思うくらいで、全く道が解らないことはなかったからだ。
 だけど、歩いてみて、その違和感が解消した。
 ここは、歩くと本当に迷う。
 見えるものが竹だけなので、目印になるものがほとんどない。
 しかも、年中深い霧が包んでいる。
 妖怪や妖精が結構住み着いているので、方向感覚を狂わせるような『気』がそこかしこに漂っている。
 僕は能力のおかげでその『気』に関して悪影響は受けないけど、それでも普通に迷ってしまった。

「はあ……もう空飛んじゃおうかな」

 空を飛べば一発で現在地がわかる。
 竹を飛び越して高く飛べば遠くに見える山なんかで方角がわかる。
 昔は、本当に目立たないところにあった永遠亭も、最近はちょっと目立つように周辺の竹を切ったりしているので、うまくいけば空から永遠亭を見つけることができるかもしれない。
 ただ、空を飛ぶとやっぱり目立ってしまうため、妖精や妖怪なんかにちょっかいをかけられる確率も高くなる。

 今までなんとかやりすごしてきたのに、結局戦うことになるのか、と少しうんざりしたけれど、このまま迷い続けるのも面倒だ。
 地面を蹴ってわずかに浮遊すると、上を見て、笹が当たらずに上に行けるルートを探す。
 周りに僕の世界の境界に壁を作って、通り抜けてもいいけど、がさがさという音で妖精が寄ってこないとも言えない。

 少し動き回って、笹が少ない場所を探していると、足下から声がした。

「なんだ、良也だったのか」

 気が付いて見てみると、そこには紅いもんぺを履いた女性がいた。
 背中には筍が何本か入ったかごを背負い、やや猫背で、もんぺのポケットに手を突っ込んだ白髪の女性だ。

「おっ、妹紅か」

 折角空を飛ぶ決心をしたのに、飛ぶ必要が無くなってしまった。
 地面に舞い降り、ちゃんと地に足をつける。

「誰かが竹林で迷っている気配がしたから来てみたんだが……良也なら問題なかったな」
「いやいや、恥ずかしながら、僕も迷っててさ」

 たはは、と笑いながら妹紅に言った。
 妹紅は確か里の人間を永遠亭まで送ることをしていたはずだ。
 それなら、永遠亭まで歩いていくことができるな。

「永遠亭まで行きたいんだけど、道案内頼めるかな?」
「……別にいいけど、何しに行くんだ?」
「いや、ちょっと遊びに」

 妹紅は若干嫌そうな表情を浮かべた。
 輝夜のところに遊びに行く人を案内するのは、あんまり気分のよくないものなんだろう。
 二人は蓬莱人で、僕が想像もつかないほど昔から憎しみあっている。

 永遠亭まで人里の人間を送る仕事をやってはいるものの、輝夜のことは未だに憎んでいるらしい。
 それでもそんな仕事をしているのは、自分の居場所を作るためらしい。
 そこいらの妖怪が束になったって勝てないほどの力を生かして、自警団や護衛なんかの仕事をして、誰かの力になることを欲しているんだとか。

 そんなんだから、ただ遊びに行くという理由だけの人間を、永遠亭に送るのは少し思うところがあるんだと思う。
 まあ、僕は妹紅じゃないから、妹紅の考えていることはわからないし、ひょっとしたら全く違う理由で嫌な顔をしたのかもしれないけど。

「空は飛べるか?」
「いや、なるべく歩いていきたい。
 空を飛ぶと妖精とかが寄ってくるだろ、おみやげを持っているからなるべく荒事にならない方がいい」
「そうか」

 妹紅はそれだけ言うと、黙々と歩き始めた。
 僕もそれに付いていくのだが……なんだか沈黙が痛いような気がする。

 よくよく考えれば、妹紅がいるのだから、荒事になっても守ってくれるような気がした。
 が、まあ、今更言うのも何だ。
 折角一日も歩いたんだ、最後まで歩いて永遠亭に行こう。

 黙って歩くのも精神的に辛いので、何か話そうかと話題を探す。
 この前外の世界に行ってきたときの話でもしようかな、と思って、不意に気が付いた。

 そういえば、妹紅には何もしていない!

 やばい、忘れていた。
 妹紅とは最近会ってなかったし、竹林の住人といえば色々と濃い面子のそろっている永遠亭の方を思い浮かんでしまう。
 妹紅も別に薄いキャラ、というわけではないけれど、永遠亭の方が粒ぞろいだ。

 ひょっとしたら、さっきの嫌な顔は、自分の存在を忘れられていると気づいていたのかもしれない。

「なあ、妹紅」
「ん、何だ?」

 幸い、おみやげには余裕があった。
 まあ、その余裕ってのは、僕が食べようと思って持ってきたものなんだけど。

 振り返った妹紅は、別段怒っている様子はなかった。
 なんとか大丈夫みたいだが、渡せる機会があるのだから、今のうちに渡しておこう。

「この前外の世界で働いてな。ちょっとした儲けが出たから、お前にこれをあげるよ」

 がさがさ、と少し汚れた紙袋の中から、僕がまだ普通の人間だったときから『老舗』と呼ばれていた菓子屋のカステラを取り出した。
 カステラは幻想郷にもあるお菓子だが、やはり味が違う。
 幻想郷のカステラもまずいというわけではない。
 ただ少し素朴な感じがするのに対して、こっちのカステラは高級さというか都会的というか、そんなものを感じさせる味だ。
 幻想郷の住人の反応は、好きな人もいれば幻想郷のカステラの方が好きという人もいる。
 元都会っ子だった僕は、これはこれで懐かしさを覚えるので結構好きなのだ。

 妹紅は少し驚いた感じで包装紙に包まれたカステラを見た。
 かと思うと、少し苦笑を浮かべ、肩をすくめる。

「良也。私のことを忘れてただろ」
「うぐっ……い、いや、別にそういうわけでは……」
「その反応だけで十分だよ」

 さっきまでは気づいていなかったようだが、今の迂闊な行動でバレてしまったようだ。
 昔っから、顔で考えていることを悟られる癖が抜けない。
 地霊殿のさとりさんにも心を読まれないのに、表情で筒抜けとは、なんと間抜けなんだろう。

「まあいいさ。今の取り乱しようでお前の心遣いはわかった。
 それほど慌ててくれるってことは、私に対して本当に申し訳なく思っているんだろう。
 別に文句なんて言いやしないさ」
「その……なんか、ごめん……」

 ああっ、なんだか妹紅の優しさが痛いっ。
 妹紅もなんだかんだ言って、輝夜以外には案外優しかったりする。
 そりゃ、礼を失する態度を取れば機嫌を損ねるが、きちんと礼儀を忘れなければ、中々面倒見がいい。
 昔はそんなでも無かったらしいが、永夜異変をきっかけにして、人里と交流を続けるようになってから、今の姐さん的な性格になったらしい。

 でもまあ、そんな妹紅の持つ優しさが、罪悪感という形になって胸にざくざくと刺さるわけだが。

「それに、良也は知らないかもしれないが、私はもう良也に奢ってもらっている」
「え?」
「この前、人里の酒場で、『今日は僕がお代を持つということで、パァッと飲みましょう』とか言っていただろう?
 そのとき、その酒場に私もいたんだ」

 へえ。
 確かに、妹紅は昔と比べて人間との交流をはかるようになっていた。
 ただ、それでも人里に買い物にくるとき、慧音さんに頼まず自分で買いに来る程度だったはずと記憶している。

 知らないうちに奢っていた、というのもそうだけど、そっちの方が驚いた。

「酒場に来てたのか。気づかなかった。声を掛けてくれればよかったのに。
 というか、妹紅、人の集まる酒場に来るようになったのか」
「長いこと不在にしていたお前が帰ってきた、と聞いたからな。
 ちょうど慧音に会いに人里に来ていたこともあって、顔を出してみたんだ」
「なら、尚更、声をかけてくれよ。わざわざ酒場に来てくれたんだろ」

 妹紅は少し困ったような笑みを浮かべた。

「いや、お前は里の人間に囲まれて、楽しくやっていたからな。
 私が入って邪魔をするのも悪いと思ったんだ」
「気にすることなかったのに……」

 なんだか凄く寂しいことを言われてしまった。
 気にしなくてもいいのに、と言ったものの、まだまだ人慣れしていない妹紅の方が気まずくなったんだろう。

 ただ、里の人間に妹紅のことを悪く言うような人はいない。
 迷いの竹林を通る際の護衛をやってくれることもさることながら、凶暴な動物やら妖怪なんかを退治するようなこともやっている。
 人里が妹紅に出す報酬も、謙虚に少なめに受け取るし、そういった仕事の依頼を拒否することもない。
 いきなり言うことが俗っぽくなってアレだけど……妹紅は見かけも十分以上にいいから、自分から踏み入れればすぐに人気者になれると思うんだけど。

「ほら、永遠亭が見えてきたぞ」

 あれこれ考えているうちに、竹林の遙か遠くに昔の建築物を思い起こさせる造形が見えてきた。
 永遠亭だ。
 やっぱり案内がいると、すぐに到着するなあ。

「それじゃ、私は帰る」
「あ、これは……」
「いいよ、気にしないで。私はもうお前のおごりで酒を呑んだからな」

 妹紅はすっと空に浮かぶと、そのまま竹林の中を飛んでいってしまった。
 あっという間に視界から消えてしまったので、追うこともできないだろう。

 しばらく、妹紅に渡そうとしていたカステラを持ったまま、その場に立ちつくしていた。

 行ってしまったものはしょうがない。
 最初の計画通り、永遠亭におみやげを持って行くことにするか。







 数日後、僕はまた外の世界へ出て、オカルト業にせいを出して、幻想郷に戻った。

「こんにちはー、妹紅、いるかー?」

 稼いだお金で色々と買い込んできた。
 お酒にツマミなんかをどっちゃりと持って、竹林の妹紅の家へと訪れた。
 今回はなんとか迷うことなくたどり着けた。

「なんだ、良也か。何か用か?」
「外の世界で稼いできたから、一緒に呑もうかと思ったんでな。忙しかったか?」
「酒場で奢って貰ったって言ったろう」
「いやいや、そっちじゃないそっちじゃない。
 永遠亭まで送ってもらった礼だよ。結局カステラも受け取ってくれなかったしな」

 妹紅はまだ何か気が引けたらしいが、僕はやや強引に押して、なんとか一緒に呑むことになった。
 妹紅も最初は渋っていたものの、自分でツマミを作ったりして、乗り気になってきたようだった。

 今回は酒を色々と取りそろえてきている。
 何せ、僕も妹紅も二人とも蓬莱人ということなので、酒に対する耐性も結構高いし、急性アルコール中毒の危険もない。
 いや、実際は死ぬけど、死んでも生き返るので、大丈夫だ。
 なので、普段の酒宴では滅多に出ないような、アルコール度数が高い外のお酒も持ってきた。

「……うわ、なんだこれ、喉が灼けるかと思ったぞ」
「何かと思ったら、いきなりスピリタスをストレートでいくのか。
 それはアルコール度数がメチャクチャ高いから、割って呑むのが普通なんだ」

 天狗や鬼の酒も大概アルコール度数が高いが、これもアルコール度数がとても高くて、同じくらいきつい酒だ。
 消毒液として使われたりすることもあるものだが、外の世界でたまたま手に入ったから、持ってきてみた。

「ほら、何か適当なもので割るか」
「ん、いや、いい。結構気に入った」

 そういうと妹紅は、コップに注いだスピリタスをちびちび舐めるように飲み始めた。

 いやー、流石の僕もそれはちょっとやりたくないな、と思ったり。
 流石に蓬莱人の大ベテランともなると、格が違う、というべきか。
 まあ、気に入ったのなら、今度また持ってきてやろうかな。

 僕も、妹紅の呑んでいるものほどでもないけど度数が高めのお酒をちびちびと呑んだ。
 ほどよい酔いが心地よく、何気ない世間話なんかを二人でかわす。
 妹紅は何故か家族というものに凄く思い入れみたいなものがあるらしく、もう何度も妹紅に話した家族の話をする。
 正直なところ、これが結構ありがたがったりする。

 時間、というものは思いの外、配慮の足らないものらしい。
 長い年月生きていると、過去の記憶は段々と薄くなっていってしまう。
 自分の家族のことさえ、例外じゃない。
 でもまあ、こうやって妹紅が何度か聞いてくれるため、いつも話している部分だけはきっちりと記憶に残っている。

 話が一段落すると、しんみりとした空気になった。
 竹林の中にあるこの家は、動いていないと何の音もしない。

 しばらく、僕と妹紅は黙って酒を呑んでいた。
 今回は、いつものように『痛い』沈黙ではない。
 なごやかな、というか、落ち着ける沈黙だった。

 なんでこんなに心地いい空間なんだろうか、と考える。
 しばらくその理由について、とりとめのない思考をしていると、ふと思い当たることが一つあった。

 『結婚しないの?』と、聞かれないからだ!
 どこへ行っても、誰と会っても、会話をしている間、必ず出るこの忌々しいワードがないというのはポイントが高い。
 思っていたよりも遙かに間抜けな理由だが、そういう人は貴重だ。

 妹紅がコップの底から二センチほど残ったスピリタスを口にぐっと含むのを見ながら、僕はちょっと聞いてみた。

「……なあ、妹紅」
「ん?」
「『結婚』ってものについて、どう思っているか聞いていいか?」

 そう。
 妹紅は僕と同じ蓬莱人。
 しかも、僕より遙かに年季の入った蓬莱人だ。
 それなら、もしかして独自の結婚観みたいなものを持っているかもしれない、と思ったわけだ。

「なんでいきなりそんなことを聞くんだよ」

 妹紅がコップを持った手を止めて怪訝な顔をして聞いてきた。

「いや……最近、誰も彼もが僕の顔を見るとすぐに結婚しろ、結婚しろ、と言うもんだからさ」

 僕の恥をさらさないようにオブラートに包んでいるけど、実際は『結婚しろ』じゃなくて『魔法使いやめろ』と言ってくる。
 改めて考えてみると、みんな結構酷いな。

「僕としては、別にまだまだ結婚しなくてもいいかな、と思っているんだけど。
 流石に追求が厳しくなってきてね。妹紅が結婚についてどう思っているのか聞きたくなったんだ」

 じゃあいつするんだよ、というツッコミも僕の中にあって、そのツッコミに対する良い答えは持っていなかったりする。
 でもまあ、今ちょうど目の前に、僕のことを好きな女の子が結婚の申し込みをしてきたとしても、ちょっと腰が引けるような気がする。
 なんだかんだ言って、誰に対しても同じ程度の友好を持つという現在の環境を楽しんでいるんだと思う。

「どうして私に聞こうと思ったんだ?」
「そりゃまあ、妹紅は僕と同じ蓬莱人だからさ。
 幻想郷には無駄に長生きな連中が多いけど、蓬莱人ってのはそれほど数がいないだろう?」

 同じ蓬莱人でも、輝夜や永琳さんは参考にはならないだろう。
 輝夜は間違いなく僕をからかってくるだろうし、永琳さんは天才過ぎて僕なんかの結婚観なんかを超越している気がする。
 それに、永遠亭にはてゐや鈴仙なんかがいて、色々と話しづらい。

「結婚……結婚か。私は特に考えたことはないな」
「どうして?」
「今、良也が私の問いに答えたのと同じ理由だよ」

 蓬莱人、ってことか。
 確かに、不老不死という体になって受けた呪いの一つとも言える。
 親しい人が次々と死んでいく中、自分だけは姿形が変わらず生き続けなければならない、っていう苦しみは、解るといえば解る。

 でも、別にそれほど気にするものなのかな、と僕は思っている。
 僕が生きようが死のうが、どんな人であれ死んでしまう。
 親しい人の死は確かに悲しいことだが、それは蓬莱人でなくとも悲しいことだし、それなら蓬莱人としての悲しみとは別なんじゃないかと思う。
 僕が死ねば他の人が助かるのに死ねない、っていうのなら、死ねないことに苦悩するかもしれないけど、そうでないなら別に……と、長いこと蓬莱人やっている僕の感覚だった。
 それに、幻想郷には無駄に長生きしている連中がたくさんいるから、いつまで立っても見知った人がいるしね。

 ふと、妹紅の顔をまじまじと見てみた。
 よくよく考えてみれば、妹紅の立場と僕の立場というのは違うことに気が付いた。
 確か、妹紅は幻想郷が出来る遙か前から生きているらしいし、幻想郷が出来てからもしばらく外の世界で暮らしていたらしい。
 それなら、幻想郷にいる妖怪連中とも知り合っていないわけで……。

 なるほど、彼女は人間しかいない環境の中、蓬莱人として過ごさなければならなかったというわけか。
 それなら僕の思っているもの以上の経験をしてきて、それで結婚をしたくない、と思っているのかもしれない。

 うーん、それはそれで少しかわいそうな気がしてきた。
 幻想郷にいる今ならば、蓬莱人であることの苦しみとかは薄れていると思うけど、結婚したくない、と言ったということは今なお引きずっているものもあるってことだ。

 妹紅を見ると、スピリタスの入ったコップを大きく傾けていた。
 その仕草が、どことなく寂しげに見える。

「じゃあ、妹紅、もし同じ蓬莱人の僕が妹紅に結婚を申し込んだとしても、それは別に問題ないんだな」

 妹紅が口に含んでいたスピリタスを吹き出した。
 僅かに霧状になったそれが、妹紅の目の前にいた僕に降りかかる。

「めっ、目がッ! 目がぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
「あわわわわっ、すまん!」

 スピリタスは僕の顔全体と服を濡らした。
 僕の目には、特にたっぷり降りかかってきた。

 流石はアルコール度数九十六度という酒。
 粘膜に触れると灼けるような痛みが走る。

 あまりに突然のことだったので、思わずその場でのけぞってしまった。

「こら、暴れるな! 拭いてやるから!」

 とはいえ、いくら蓬莱人の僕とはいえ、通常の人間なら失明確実のダメージを受ければ、痛みに悶えるくらいする。
 意識せずに暴れてしまった手足が、周りに置いておいた酒瓶をがちゃがちゃと倒す音が聞こえた。
 何本かは中途半端に空いているものがあって、どぽどぽ、とこぼれる音も同時に聞こえる。

「落ち着け、落ち着けって! ああ、もう! こういうときは私が取り乱す場面じゃないのか!?」

 妹紅が僕の手足を押さえつけてきた。
 いくら蓬莱人とはいえ、妹紅はかよわい女の子、力なら僕の方が強い……と思ったけど、妹紅の力は思いの外強かった。
 多分、得意の妖術で力を強めているんだと思う。

 僕も段々落ち着いてきたのか手足の力を弱めていた。
 段々と視界がもどってきた。
 まだまだぼやけているし、非常に痛むが、もうそろそろ完治しそうだ。
 蓬莱人の体は便利だなあ、と思うひとときだった。

「ふう……やっと落ち着いたか……」

 妹紅の声がすぐ近くから聞こえてきた。
 そりゃ、僕を取り押さえているんだから、近くにいるのは当たり前だろう。
 視力がどんどん戻ってくると、近くにいるどころか、妹紅の顔が僕の顔のすぐ近くにあった。

「おい、妹紅いるのか? さっき良也くんの悲鳴が聞こえたが……な、なにをやっている、二人とも」

 そしてがららと音を立てて開く戸、タイミング悪くやってくる慧音さん。
 ギャルゲーや漫画でお約束のワンシーンを体験できるなんて……この年になって初めてかもしれない。

 組伏されている僕と組み伏している妹紅。
 上が妹紅で下が僕なのが、なんか僕の性格を表しているようでちょっと嫌だけど。

「ち、違うんだ慧音さんっ! これはただ、妹紅と結婚の話をしていて……」
「結婚!? あ、ああ、それは、その、すまなかった。二人の邪魔をしてしまったようだな。すまんっ!」

 あああああっ、慧音さん、あなたいつも生徒に人の話はちゃんと最後まで聞きましょうって言ってたじゃないですか!
 まだ僕は、最後まで説明していませんよっ!
 話が終わる前に、飛んで逃げるようなことはしないでくださいっ!

「妹紅! 追うんだ、慧音さんが誤解したまま、人里に行ってしまう」
「お、おう、わかった!」

 ようやく、僕の目がほとんど完治していた。
 もう視界はぼやけていないし、はっきりと見える。

 そう、はっきりと『見える』んだ。
 妹紅が全速力で空を飛ぶとき、背中に現れる炎の翼を……。

「うあああああああああッ! 熱いッ! 熱いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」

 部屋中に漂う匂いはアルコール。
 酒瓶はどれもこれも度数の高い酒ばかりで、ついでに言うと、僕がさっき妹紅にぶっかけられたのはその中で最も強いもの。
 世界最強の酒、スピリタス。
 そのスピリタスを用いるときの最大の注意事項は……『火気厳禁』

 部屋が燃える、服が燃える、僕も燃える。
 気化したアルコールが一瞬で妹紅の家を地獄に変えた。

「あっ、ああああああ、良也!」

 妹紅はすぐに気づいてくれたけど、気づいたところで遅かった。
 僕の体は絶賛燃えさかり中で、熱くて痛い。
 地面に転がって火を消そうとしても、その地面は僕よりもっと激しく燃えている。

 ただ、暴れることは止められなくて、そこいらに放置してあった未開封の瓶を蹴飛ばして割っては、更に僕に灯る火の勢いを増すようなことをしていた。

「みっ、水……そうだ、水符! 水符ッ!!」

 アルコールでついた火だから、ただ水をかけただけで消すのは難しいだろう。
 けど、気休めでも水符を使わざるを得なかった。

 もちろん、その水符は真っ先に燃えていたわけだけど。

「お、落ち着けっ! 良也っ、落ち着くんだっ!」
「落ち着いていられるかーッ!」

 全身を焦がす炎が痛いし熱い。
 今まで長く生きてきたけど、今まで経験したことがないくらい苦しい。
 何度も何度も死んできたはずなのに、なんでだ。

 ああ、そうか。
 この炎の温度が低いからか。
 フランのレーヴァンテインや妹紅の不死鳥フェニックス、お空のギガフレアなんかは、痛みを感じる間もなく、一瞬で僕を灰も残さず燃やし尽くしてくれる。
 それに比べて、この炎は僕の体を全部燃やし尽くすまでには温度が低いから時間がかかるってわけだ。

 なるほど、納得納得。

「わかった、良也! 破壊消火だ!」

 妹紅が何かを言った。
 火がついたまま暴れながら、破壊消火ってなんだっけ、と僕は考えた。
 すると、脳の奥底から慧音さんが現れた。

『いいか、良也君。幻想郷では火事の鎮火には主に破壊消火という手法が用いられる。
 破壊消火とは、燃えている建築物をわざと破壊することによって、燃やす物を無くしたり、炎を閉じこめて酸素不足で消したり、延焼を防ぐ役割があるんだ』

 いつか昔、慧音さんが僕に語ってくれた言葉だ。
 なるほど、破壊消火というものがどういうものなのか、はっきり思い出せたぞ。

 でも、僕についた炎をどうやって破壊消火するんだ?







「……」
「……」
「……」
「……すまん」

 気づいたときには、燃えかすの中にいた。
 もちろん、服は全部灰になっていたし、家も同じ感じになっていた。

 妹紅は僕をきっちり破壊消火してくれた。
 小規模の爆発が起こして、小屋ごと木っ端微塵にだ。
 痛みはあんまり感じなかったから、あの地獄から解放してくれたことに感謝したいところなんだが……微妙になんか感謝したくない。

 五分くらい灰の中にうずくまって、うつむせの体勢で倒れていたわけだけど、いつまでもこんなぐじぐじしてはいられない。
 このままでは妹紅だって、気まずい思いをしなきゃならなくなってしまうだろう。

 僕に非はなかった、とは言えないからだ。
 非があった、火もあった、という冗談が言いたいわけじゃない。

 服を残さず灰となったので、言うまでもなく僕は現在全裸だが、幸いなことに僕には能力がある。
 ルーミアみたいに、僕の世界を黒く染める。
 これで、僕の世界の外の人間からは、見えないはずだ。

 全裸を妹紅の目の前に晒さずに済む。
 まあ、僕も目の前があんまり見えないんだけど。

「神社に帰る」
「その、悪かったよ」
「妹紅も来いよ。家、燃えちゃったろ」
「え……?」

 暗くて何も見えない。
 手探りで、妹紅のいる辺りを探る。

「頼むから野宿で十分だ、なんて言わないでくれよ。
 あの火事は、僕のせいでもあるんだから」
「いや、別に良也のせいじゃ……」
「頼む、僕の男を立てるということで、神社に来てくれないか」

 暗闇の中で何かを掴んだ。
 この太さは……腕かな?

「そ……そういうことなら……せ、世話になる」

 掴んだのは、腕じゃなくて竹だった。







 そういうわけで、妹紅は新しい家が完成するまでの間、神社に暮らすことになった。
 家財全てが燃えてしまった上、新しい家を建てなければならないのでお金が必要になった。
 妹紅はすぐに稼げるような職には就いていないので、僕が外の世界へ仕事に出た。
 長期ではなく、色々と必要なものを買わなければならないので、幻想郷と外の世界を何度も往復した。

 幻想郷では神社以外どこにも出向いていなかったんだけど、そのせいで、幻想郷中が大変なことになっていた。

 妹紅と僕が結婚したことになっていたのだ。

 あの火事の後、僕と妹紅は、慧音さんのことをすっかり忘れたまま、神社に帰ってしまった。
 慧音さんはあのとき見たもの聞いたものを人里のみんなに語ったのだ。

 それを聞きつけたのは、天狗の射命丸。
 本当か、と思って神社にインタビューしたときには妹紅がいた。
 僕が神社を住処にしているのは周知の事実で、そこに妹紅が生活しているのならば、結婚したということは事実だと射命丸は判断したらしい。
 射命丸は、僕が外の世界で働いているうちに号外を作って、幻想郷中にばらまいたのだった。

 ちなみに、後に妹紅に聞いたら、射命丸からインタビューを受けていないらしい。
 何故射命丸は、わざわざ神社にまで来て、妹紅を見たのにインタビューをしなかったのかよくわからないが、まあ、とにかくこちらとしては偉いこっちゃだ。

 僕が文々。新聞の号外を読んだときには既に神社に僕の知り合いから色んな物が贈られてきていた。
 みんな射命丸の記事を疑わず、僕らに直接聞きもしないで、お祝いの品を贈ってきたのだ。

 僕は焦って妖怪の山へ射命丸に訂正記事を書いてもらうために赴くと、何故か椛が近年稀に見ない頑固さで、どんなことがあろうとも良也さんをここから先に通さない、とか言ってくるし、無理に通ろうとしたら、椛にタコ殴りにされたし。
 しょうがないから一軒一軒、お祝いの品を返しながら、誤解を解こうと思って神社に帰ったら、人里の女衆に結婚衣装を着せられた妹紅が待っていたり、その姿が思いの外かわいかったり。
 特に贈り物が多かった永遠亭に一人で返しに行ったら、三日三晩竹林で迷ったあげく、入り口には『土樹良也 永遠に立ち入り禁止』の札が立てられているし、帰るときは一週間竹林で迷ったし。

 なんかもうすごく疲れた。
 そりゃ、慧音さんのことを忘れていた僕が悪いのは確かだけど、幻想郷中あちこちを飛び回って、誤解だということを伝えるのはとてもしんどかった。
 救いは、家が完成して妹紅が帰るとき、神社暮らしも中々楽しかったよ、と言ってくれたことかな。

 余談だけれども、妹紅が帰った後、僕を立ち入り禁止にしときながら、輝夜が神社にやってきて、『妹紅の結婚生活はどう?』とか嫌みたっぷりで言ってきた。
 そのときはまだ永遠亭では僕が妹紅と結婚したという誤解が解けていなかった。
 面倒だったけど、輝夜に事情を説明すると、輝夜は上機嫌になって帰って行った。

 まあ、なんだ。
 今回のことで、改めて僕はもうしばらく結婚なんてしなくてもいいや、と思った。




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