不死の集い



 その日、僕は空を飛びたくなって夜の電車に揺られていた。
 別にグライダーの趣味があるわけでも、勿論自殺願望があるわけでもない。
 何の因果か、羽もないにも関わらず生身で空を飛ぶ自由が、僕には与えられていたのだ。

「……やっぱり、中まで入ろうかな」

 いつものホームで夜空を見上げて呟いた。
 見上げた空は、やはり幻想郷なかに比べればくすんでいる。
 うん、せっかく雲一つ無い、それも満月なんだ。綺麗な夜空が見たい。

 ホームの灯りが隠れた所で周囲を見回し、人が居ない事を確認して地を蹴る。

 地球の束縛を無視して、僕の体は宙を舞った。





「……お邪魔しまーす」

 小声で挨拶を呟く。

 幻想郷の博麗神社に着いた時には夜も更けた事もあって、既に境内の灯りは消されていた。時計を確認しても、この時間では霊夢も寝てしまっているだろう。
 元々、予定にない来訪なのだ。寝ていた方が僕にとっても気楽だった。
 挨拶で起こす事もないだろう。

 先程迄とは違う、透き通った夜空には星が輝いている。

 それに近づこうと、地を蹴って高度を上げる。

 高く、高く。

 灯りのない博麗神社は闇に包まれて、もう輪郭も解らない。それでも高く。

 いくらかの時間を上昇に費やして、再度天上を見上げた。

 月も星も近づいた気配すらない。それでも薄くなった空気は、二種類の輝きを少しだけ増して見せていた。





 ふわふわ、ふわふわと風に好きに流させて宙に浮かんでいる。

 空に浮かんだまま寝っ転がって、ただ月と星を見る。外界産まれの僕にしてみればとんでもない贅沢だ。

 そのまま何も考える事なく浮かんでいたかったが――所詮俗人たる僕の事だ、つまらない事ばかり考えてしまう。
 明るい事、暗い事。これからの事に、今までの事。幻想郷の事に、外界の事。

 そうやって時間を無駄に食い潰していた。

 まあ、偶にはこんな夜を過ごすのも悪くないだろう。

 そう思っていたが、考えてみれば此処は幻想郷だ。

 幻想郷の夜は深く、暗い。そして――その中には様々なモノが潜んでいる。

 今日、僕がその中で遭遇したのは……顔見知りの二人だった。






「………………っ! ………っ!」
「………っ!」

 遠過ぎて内容は聞き取れないが二人は怒鳴り合いながら弾幕ごっこをしていた。
 ……いや、この二人に限っては弾幕ごっこの範疇に入らない。

 訂正しよう、二人は殺し合いをしていた。

 僕と同族、蓬莱人の輝夜と妹紅だ。



 正直に言おう。最初は見ないふりをしようかと思った。
 なにせ二人とも僕の数段上な実力者だ。止めるだけで命懸け、いや、確実に一つか二つ命を落す。
 ……いくら不老不死であろうと、嫌なものは嫌だ。

 それに、あの二人の喧嘩は最終的にどうにもならない。手の打ち用がないんじゃなくて、放って置いてもどうにもなりようがないのだ。

 片方が死んで、その片方が生き返って終わり。まったくの無駄だ。

 …………溜息を一つ。いつもなら見ないふりでもいいのだけれど……今日は、無駄な死人を見逃す気分じゃなかった。

 ああ、もう。できれば話し合いで収まってくれればいいんだけど。
 儚い希望と共に、僕は二人へと近づいて行った。






「おおーい! 二人ともいい加減にしろー!」

 声をかけるが、こんなものに期待をしちゃいけない。
 不味い事に今日はスペルカードも持って来てない。最悪この体一つで突貫しなければならないのだ。

 目を閉じて大きく深呼吸。
 覚悟を決めて二人の戦場に飛び込もうと少ない弾幕の隙間を探して……あれ?

 心なしか、弾幕が薄くなっていっている。

 始めは妹紅から。少しの時間を置いて輝夜の方も。
 相手の弾幕が薄くなったのを確認して放つ霊弾を少しずつ減らしているようで、順番順番に弾幕が散発的になり、結果数分と経たないうちに二人の殺し合いは終った。

 あれれ? これはひょっとして……いや、まさか。いくら何でも僕の一声だけで二人が勝負を止めるわけがない。

 悲しい自己分析を終えて、さて、では何が理由で二人は殺し合いを止めたのか理由を探すが……はて? 輝夜も妹紅もじっと僕の方を見ていた。
 妹紅は少し心配そうに、輝夜はちょっと不満そうに。しかし、二人の視線が僕に向いているのは違いない。
 これから考えると、どうもあり得ない事に僕の一声が理由で二人は戦いを止めたらしい。

「……なぁ、良也」

 現状をいまいち理解出来ていない僕に妹紅が声を掛けて来た。幻想郷の連中にしては珍しい、ちょっと遠慮気味の声だ。

「その服……」

 一瞬、何の事か解らなかった。自分の体を見下ろして、すぐに悟る。
 確かに、こんな格好で声を掛ければ何事かと思うだろう。
 しかし僕もぼんやりし過ぎだろう。この服で弾幕ごっこに飛び込んだら後が大変すぎる。

「……ああ、うん」

 自分が何でこの服を着てるのか、上手い説明をしようとしたが……なんだか言葉にし難い。
 数秒言葉を捜した僕は、結局単純に事実だけを言う事にした。

 黒いネクタイを指で摘まんで、一言で済ませる。

「……今日は葬式だったんだ」

 そういえば、今日の僕の服装は喪服だったのだ。






 中学のクラスメイトの葬式だった。

 高校で離れて、それ以降は段々と疎遠になっていった奴……だった。

 ただ、そいつも都会に出て来ていて……何度か偶然に会う事があった。2度目に会った時、二人とも暇だった事もあって飲みに行ったのを覚えている。

 それで実家経由で訃報を知り、葬儀に出たのだ。

 交通事故だった。よくある……と言っては失礼だが、現代人には年齢も健康も関係なくやって来る、何ら特別性のない死因だ。
 気落ちしている親御さんに御悔みを申し上げ、故人の冥福を祈った。



 その後、久しぶりに再開した昔の友人達にそいつの昔の話でもしないかと酒に誘われもしたが……なんだかそんな気持ちになれなくて、泊まって行かないのかと聞く両親と妹の言葉にも首を振って帰って来た。

 その途中。
 ふと目に入った空に満月が輝いていたから……なんだか無性に綺麗な月が見たくて、柄にもなくセンチな気分になった僕はこの幻想郷にやって来たのだ。





「…………」
「…………」
「…………」


 僕が自分の服装の理由を告げて数分。

「……あ〜〜っ!」

 何となく続いていた気まずい沈黙を破ったのは、妹紅だった。
 ガシガシと頭を掻くと同時に呻き声を上げる。

「っ良也!」
「っな、なんだよ藪から棒に?」
「今夜は私が酒を出してやるっ! 付き合え!」
「はぁ? いや、悪いけど今日はそんな気分じゃ……」

 唐突な申し出だが、今日は誰かと酒を飲む気分じゃないからこんな所まで来ていたのだ。
 断ろうとした僕だが、

「いいから来いっ!」

 そのやんわりとした拒否は妹紅の一言で却下された。

「こんな夜中に一人でふらふら飛んでいるより酒でも飲んで騒いだ方がマシだっ!」

 その言い草に、流石にむかっと来る。
 僕だってちょっと一人で居たい時位あるんだ。言い返そうそうと口を開いて、度肝を抜かれた。

「輝夜、お前も来いっ!」

「……はぁ!?」

 信じられない。まさか妹紅の口から輝夜を誘う言葉が出るとは。
 今まで誰かの開いた宴会で同席した事はあるし、輝夜の開いた宴会に何だかんだで妹紅が参加した事もある。
 しかし、妹紅の口から直接輝夜を誘う言葉が出るとは。

「…………まさか貴方から酒席に誘われるとはね。まぁいいわ。今夜は御相伴に預かるとしましょう」

 輝夜の方も承諾した!? 天変地異の前触れか!?

 混乱する僕の腕を妹紅はガシリと掴んで、何故か怒ったように叫んだ。
「そうと決ればさっさと行くぞ!」

 僕は足元に広がっていた竹林へと引き摺られて行く。輝夜はやれやれ、といった顔でそれに続いて来た。

 一体何がどうなってるんだ!?






 連れられてやって来た先は竹林の中、開けた場所にある一軒の家だった。
 どうも妹紅の家らしい。

「……まさか月が天にある内に貴方の家に招かれる事になるとは思わなかったわ」
五月蝿うっさい」

 二人は言葉でやり合っているが、一向に険悪になる様子がない。
 いつもいつも相手を目の敵にしているのに、信じられない。もしも今の二人を慧音さんが見たら涙を流して喜ぶだろう。

「おい、良也。私はちょっと人里でつまみを買ってくるから先にこれでも飲んでいてくれ。ついでにこの女狐が妙な真似しないように目を付けてくれると嬉しい」
「何よ、失礼ね。仮にも私は客人よ? もうちょっと丁重に扱っても罰は当たらないんじゃない?」
「それじゃあお前は私が宴会に行った時、丁重に扱ったか?」
「あら。家の主たる者、それぞれの客人に相応しい対応をしないと。貴方に対して取るにはちょっと丁重過ぎやしないかと毎回思っていた位よ?」
「…………はいはい、お前はそういう奴だよ」

 そんな話をしながらも輝夜は妹紅から酒の瓶を受け取り、戸棚の中にあったぐい飲みを勝手に取って自分で注ぐ。

 なんと言えばいいのか、二人揃って肩の力が抜けている。
 逆に言えば今までは会っている間中、喧嘩腰だったわけだが……。何故今日に限ってそれが無くなっているのか解らない。

「良也? おい、良也!? ちゃんと聞いてるのか?」
「あ、ああ。つまみを買出しに行くんだろう?」
「聞いているならいい。おい輝夜、その酒自分だけで飲むんじゃないぞ?」
「私を何だと思っているの? そこまで意地汚くないわよ」

 そう言いつつも輝夜は何時の間にか二杯目をぐい飲みに注いでいた。
 まあいい、と溜息混じりに呟いて妹紅は宙に浮かぶ。

「じゃあ行って来る。すぐに戻るからな」
「ええ、行ってらっしゃい」
「……行ってらっしゃい」

 そうして急スピードで飛び去って行った。






 僕が事態について行けずにぼうっとしていると、

「ほら、良也。折角の上等なお酒よ? 注いであげるからたんと飲みなさい」

 そう言って輝夜は僕の分のぐい飲みを差し出してくれた。
 ありがと、と受け取って酌を受ける。

 とりあえず落ち着こうと口を付けて驚いた。

「……旨っ!」

 幻想郷も外も合わせて、今まで飲んだ中で三本の指に……いや、間違いなく一番旨い。
 口の中で香りが弾けた。舌の上で味わいが広がって、喉へ流すのすら惜しい。
 純米酒のようだが、今まで飲んだ同種の酒の記憶がまとめて吹っ飛んだ。

「何だこれ……こんな旨い酒今まで飲んだ事ないぞ……!」

「それは当然でしょ、まさしくこれは妹紅の秘蔵の一品・・・・・って奴だもの」

 くぴくぴと杯を傾けながら輝夜は言う。
 つーかこんな旨い酒を輝夜の奴はかぱかぱと飲んでいたのか。何て勿体ない。

「私だって持ってるけど、きっと幻想郷の力ある存在なら大抵は持ってるんじゃない? これぞって言う一品を。他の誰一人として知らせず、自分だけでちびちび飲んだり、特別な日に誰かに振舞ったり。
 妹紅だって伊達に長生きしてないもの。その中で見極めた代物よ? 美味しいに決ってるでしょ」

 五重に結界張って隠していた辺り間違いないわね、と続けられてちょっと呆れた。
 幻想郷では秘蔵の一品を隠すのに結界を張るのは一般的な事らしい。
 外の世界だって本格的な酒好きは持ってるかもしれないが……数百年クラスの酒飲みが選んだ秘蔵の一品か。
 まずい、つい先程飲んだ味わいと合わせて唾が止まらない。ゴクリと呑み込んで、手の中の杯を見つめる。

「……なぁ、何でそんな大事な物、妹紅は今日出したんだ?」

 僕だけなら……いや、勿論僕相手にもおいそれと出すとは思えないのだが、輝夜相手に出すとはもっと思えない。
 そもそも、やっぱり二人があんな風に話していた所からしておかしい。

 その質問に輝夜はニコリと笑った。そんなの決ってるじゃない、と。

「私への貢物よ」

 怒るより先に呆れた。
「あのなぁ、僕は真剣に……」
「あら、私は真面目よ?」

 杯を煽り、こちらへ突き出した輝夜に溜息。
 三杯目を注いでやる。勿体ない勿体ない。

 それに口だけ付けて輝夜は語りだした。

「あの馬鹿はね、珍しくも私に助けを求めて来たのよ。これはその代価……ってだけじゃないけど、、、、、、、、。勿論それだけなら間違いなく断るんでしょうけど……まぁ、私の責任でもあるわけだしね?」

 こちらを見ながらニヤニヤと笑みを浮かべていた。
 ……まぁ、その、何だ。流石の僕もそこまで言われて察した。

「人上がりの不死者なんて者は、大抵初めの百年が大変なのよね? 人間だった頃の知り合いが……、だけど自分は……とか、考えて袋小路に入っちゃうのもこの頃。あの馬鹿にとっては昔の自分を見てるようだったんじゃない?
 それで一人じゃ上手く慰められる自信が無かったんで、同類の私に頼ったんでしょう」

 そんな風に意識してはなかったんだけど……いや、全く考えなかったと言ってしまえば嘘になるかな……。

「大体、ちゃんと言って行ったでしょう? このお酒、、、、私だけで飲むんじゃないぞ、、、、、、、、、、、、、って」

「………………」

 この場合、妹紅が誰を元気付けようと秘蔵の一品を出したのかは明白なわけで。

 無言の僕に輝夜は意地悪く微笑んだ。

「何だったら直接聞いてみれば? あの様子ならすぐに帰ってくるわよ、間違いなく両手に持ちきれない位お酒とおつまみを持って。それも全部特上品を。賭けてもいいわ」

 もし負けたら一晩私を自由にしいわよ、と輝夜はニヤニヤと笑っていたが。


 まあ、僕にそんな幸運が舞い込む筈もなく。

 両手どころか背中にまで商品を担いだ妹紅が帰って来て、僕の敗北が決定したのだった。






 その夜、三人での宴は盛況だった。

 妹紅が輝夜の杯に酒を注ぎ、輝夜が妹紅の杯に酒を注ぐ。
 輝夜の言葉に妹紅が頷き、妹紅の芸に輝夜が笑う。
 一見普通の光景だが、二人を知る者達が見たら驚愕するに違いない。

 勿論僕も楽しんで……というより妹紅が何かと僕を楽しませてくれた。
 得意の火術を使った芸で、長い人生の中で起こった滑稽な体験談で。

 終いには輝夜と弾幕ごっこ――決して殺し合いではなく! ――を始め、僕に空上での芸術を見せてくれた。
 ごく普通の弾幕ごっことして平和的にそれが終わり、軽口を叩きながら降りてくる二人へ僕が盛大な拍手を送ったのは言うまでも無い。






「んむぅ……」

 宴会も終わり、盛り上げようと頑張り過ぎた妹紅は……何故か僕の膝の上で眠っていた。

 いや、原因はあのお姫様なわけだが。賭けには私が勝ったんだからこの位は言う事を聞きなさい、との事だ。

「んぅ……、りょうやぁ……たのしめたかぁ……」

 一瞬起きたのかとも思ったが、どうも寝言らしい。
 不思議な所で見た目の年相応なんだよな、此処の住人は。

「ああ、勿論さ」

「そうかぁ……」

 うへへ、とだらしなく相好を崩す。

「……りょうやぁ」
「何だ?」

「かなしぃことがあったらなぁ……わたしとさけのめぇ……」

「…………解った」

 よく、解った。

「これがぁ……せんぱいとしてのぉ、おしえそのいちだぁ……」
「……先輩?」

 おうむ返しに呟いた所で妹紅の顔が不満気になった。

「なんだぁ、おまえがいったんじゃないかぁ……せんぱいとしてぇ……いろいろおしえてくれってぇ……」

 暫く記憶を探って……思い出した。
 言われてみれば、蓬莱人になった時に妹紅にそんな事を言った覚えがある。

 ……どうも僕は、何時の間にやら素晴らしい先輩が出来ていたようだ。

「なぁ、妹紅」
「…………んぅ?」

 そう言えば、言って置かなければならない事があった。

「ありがと、な」

 それでまた妹紅の顔は機嫌良さげな、やすらかな顔になる。


 ……宴会が終ったすぐ後で言うのも何だけど。

 なんだか、また妹紅と酒を飲みたくなった。





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