「今日は宿題を出すわ」
 いつも通り本に没頭していたパチュリーがそんな事を言い出したのは日も暮れ、そろそろ帰ろうかなと考え始めた時だった。
「宿題? 何でまた急に」
「理由が聞きたい?」
 ん、と言葉に詰まる。宿題とは自宅で勉強をさせる為、つまりはあまり学業に熱心でない、もしくは成績が優秀ではない生徒へのムチだ。できれば愛の、とついてくれればいいのだけれど。
「いや、いいや。聞いたらへこみそうだし」
「あらそう? まぁ聞きたくないと言うのならいいんだけど」
 言葉通り気にした様子も見せず、手の中の本を本棚へ。そこでようやくパチュリーはこちらへと向き直り、一言。
「最近の貴方が弛んでいるからよ」
「……僕は聞きたくない、と言った筈なんだが」
「私がその要望を聞くかどうかは別問題でしょう? 第一、貴方ははっきり言ってあげないと駄目な性質みたいだし」
 お前は何処ぞの閻魔様か、とは口の中だけで消えた言葉である。


「つまり、能力を使って何が出来るかを今度来る時までに考えて来いと」
「そう、別に新しく開発しろとは言わないわ。地力を伸ばすのも大切だけど、今自分に何が出来るのか考える事も大切。傍から見てて貴方の使い方は勿体なさ過ぎてしょうがないもの」
「うーん、そう言われると……」
 でも変な使い方を試すとまた痛い目にあいそうだなぁ、と前にメガンテを覚えてしまった事を思い出す。
 その頭を、白く細い手がピシリと叩いた。
「痛っ」
 大した痛みもなかったが、思わずそんな言葉が口を突いた。
「失敗を恐れるな、とは言わないけれど貴方のそれは前の火傷を理由にだらけているだけでしょう。だから弛んでる、と言ったのよ」
 張られた頭を撫でながら。
(……うわ、反論できない)
 ため息を一つ。パチュリーは何だかつまらなそうな顔をしているけれど、ちゃんとこちらの事を見ているし、大抵話しながらでも読んでいる本を今日は片付けている。
 まあつまり何が言いたいかと言うと、ムチの前に愛の、と付けてもいいじゃないか?
 ほら、そういう場合叩いた手の方が痛いというけど、絶対僕の頭よりパチュリーの手の方がダメージ大きいだろうし。
「……考えてた事、顔に出てたか?」
「顔に出るどころか、今のは大声で喧伝しているのと同じね」
 そう言うパチュリーの呆れた顔を見ていると、なんだかだらけていた自分が段々情けなくなってきた。
「……解った。ちゃんと考えて来るから楽しみにしててくれ」
「あらそう。なら、期待して待っているわ」



「はぁ、それで帰り際の良也さんはあんなに気合が入っていたんですか」
 良也が帰った数刻後。私は小悪魔の入れた紅茶を味わっていた。
「単純なのよ」
 そう一言で断じるが、何故か小悪魔の視線は生暖かい。
「なによ」
「いえ、なにも」
 更に視線が温くなった気がして小悪魔を睨むが、にっこりと微笑み返されてしまった。
 なんだかばつが悪くなり、誤魔化すように紅茶を一口。
「そういえば良也さんの能力、考えてみれば確かにあんまり応用して使ってませんね」
「そうね。別に悪くはないんだけど、使わない事と使えない事は大違いだし」
 話題が変わったのを幸いに話に乗る。何だか小悪魔がしょうがないなぁ、といった感じで話題を変えたのが気にかかるが。
 こら、小悪魔。その可愛いものを見る様な目を止めなさい。
「ざっと思いつく所でも、例えば壁を作る能力だって足場に使ったり空中で魔法陣を敷く床として使ったり。空間操作は言わずもがなね。それこそクラインの壺でもメビウスの輪でも――、なによ小悪魔」
 クスクス、という声に目を向ければ小悪魔は明らかに笑いを堪えていた。
「い、いえ。ちゃんと良也さんの事考えているんだなぁ、と」
「……師匠が弟子の教育を考えるのは当然でしょう。それをしない者は師匠失格よ」
「はい。パチュリー様は師匠として、とっても立派だと思います」
 満面の笑みを向けられ、二の句が継げない。
 いつになく上機嫌な小悪魔はにこにこと……それはもう、にっこにっこと笑顔を浮かべている。なんだかむきになるのが莫迦らしくなってしまった。
 そうしてしばらく図書館にはカップとソーサーが触れ合う微かな音だけが響く。
「……そうね」
「どうかしましたか?」
「いえ、師匠としては弟子が頑張った時の為に御褒美位準備しておこうかしら、とね」
 てっきり最上級かと思っていた小悪魔の笑顔がさらに深くなった。
 ……こういうのも実は上げ底だった、って言うのかしら。 
「素敵な考えだと思います。私もお手伝いさせて頂けますか?」
「できれば意見が聞きたいわ。新しい魔道書というのも味気ないし」
「それでしたら――」
 そんな他愛のない内緒話に華を咲かせて夜は更けて行った。

 さて、我が弟子は果たして御褒美を貰えるのかしら? まあ話に華が咲きすぎてつまらない結果だった時用の罰も考えてしまったから、こちらの準備は万端なのだけれど。


「来ないわね」
「来ないですねぇ」
 昨日たまたま人里に出た咲夜が菓子売り中の良也と会って『明日の昼前には紅魔館へ行く』と伝言を預かっていた。似合わない不適な笑顔を浮かべていましたが何かあったんですか、とは彼女の弁だ。
 そして今は正午から長針が一周して少し。つまりは遅刻である。
「道中で妖怪にでも襲われたのでしょうか?」
「むしろ巫女と鬼の晩酌に付き合わされて寝過ごしたんじゃない? まったく、私との約束を何だと思っているのかしら」
 トントンと手慰みに机の端を叩きながら言えば、小悪魔も困った顔をしていた。
 それから暫く会話もなく時間が過ぎ、長針が更に半周しても良也はやって来なかった。
 それが気になって、本のページを捲ってもいまいち頭に入って来ない。
「……ああ、もう。小悪魔、ちょっと外套を取ってきて。神社まで様子を見に行って来るわ」
「あ、それでしたら私も」
「いえ、入れ違いになってもつまらないし、貴方は此処に残って良也が来たら厳しくお仕置きしておいて。……あ、私がやる分も残しておいてね?」
 準備を整えいざ博麗神社へ。
「あれ、パチュリー様。外出なんて珍しいですね」
「ちょっと神社へバカ弟子を迎えに来るわ。美鈴、もし私が出ている間に入れ違いで良也が来たら問答無用で一撃入れておいて」
 門の前の美鈴へ一言告げ、そのまま地を蹴る。とりあえず直線で神社へ……。
「え、良也さんなら暫く前に館へ入って行きましたよ?」
「……は?」
 飛び立とうとした所に思わぬ言葉をかけられ、私はつんのめった。


「あら、パチュリー様。ちょうど良かった、今お呼びしようと思っていた所なんですよ」
「……咲夜、ちょっと聞きたいのだかれど良也が何処に居るか知らない? 館には入っているらしいんだけど図書館には来ていないのよ」
「はい、良也さんなら御嬢様の相手をされていますが――」
 咲夜の言葉で良也の行方は簡単に知れた。
 レミィの相手をしているのなら確かに多少遅れるでしょうけど――それでも遅れすぎね。こちらが先約なんだから、連絡位しても罰はあたらないでしょうに。
「――その良也さんの件で御嬢様がパチュリー様をお呼びです」
「何? また何かやらかした……という訳でもなさそうだけれど」
 よくよく見れば咲夜の機嫌は随分と良い。何か問題があった、という事はないだろう。
「そんな大袈裟なものではありません。良也さんとされているポーカーにパチュリー様を誘われているだけですわ」
「ポーカー? ……レミィが私をカードゲームに誘っているの?」
 レミィの能力は運命を操る程度の能力だ。つまりはカードに限らず対人のゲームに関してはまず負ける事はない。実際前に良也もそれによって大負けし、血を吸われた事があると聞いた。
 逆にいえばそれを知っている相手がレミィとの勝負を受ける筈がない。
 実際私も、今の今までそんなゲームに誘われた事はなかった。
「ええ。私も先程まで参加させて頂いていましたが、久々に楽しいゲームでした。御嬢様もご機嫌でしたわ」
「その口振りだと良也をカモにして楽しんでいたわけではなさそうね……」
 血を絞られたのが堪えたのか『考えてみればレミリアに運で勝てるわけないじゃないか。二度としないぞ……』と図書館の隅で青い顔で言っていたし。
「ふふ、見てみれば解ります。さあ、こちらです」
 腑に落ちないながらも咲夜に案内され、私は館の一室へ足を踏み入れた。

「ちょっと良也! 勝ち逃げは許さないわ、諦めてさっさと札を配りなさい」
「いい加減休ませてくれよ……。直にパチュリーが来るんだから――と、噂をすればもう来たぞ。これで終了、次は僕の代打でパチュリーだ」
「何言ってるの、これからこの三人で勝負に決っているでしょ? 早く早く!」
 狭い室内の雰囲気は随分と和気藹々としたものだった。
 それにレミィが負けているとは予想外だ。能力を使わなかったのかしら、そう考えてふと気付いた。
 この部屋は随分と狭い。狭すぎる。態々、狭い部屋を選んでこの二人はゲームをしているのだ。
「パチュ、咲夜に話は聞いていると思うけど今日の勝負は真剣勝負。イカサマなし、能力使用なしで遠慮も一切無用」
 むしろ遠慮したらお仕置きよ、そう言ってレミィははしゃいでいた。
 考えてみれば私はレミィにゲームで勝負した事がない。彼女の能力が『運命を操る程度の能力』だから、勝負の意味がないから。
 しかし、今此処には彼女の能力が及ばない数mの空間がある。
「……そう。良也の能力を使って真っ向勝負というわけね」
 自分の顔に微笑みが浮かぶのが解った。
 プレイヤーとカードが良也の『自分だけの世界に引き篭もる程度の能力』の範囲内であれば、レミィはゲームの運命を操れない。その為の、この狭い部屋。

 つまり恐らくは、初めて彼女は友達とポーカーで遊ぶのだ。

 能力を使う、使わないの問題ではなく、そんな能力を持っている時点で友達と楽しくポーカーが出来る筈がなかったレミィ。今行われているゲームは間違いなく良也のお手柄だった。
「仕方ない。じゃあ配るぞー」
 来館してからずっと付き合わせられていたのだろう、良也の声は疲れが滲んでいる。
 しかしまぁ、我慢して貰おう。親友のこんな笑顔を見せられて、止めよう等と言える訳がない。
「……宿題は、期待以上の出来だったわね」
 ぽつりと言った言葉は、二人には聞こえなかったようだ。
 でも、弟子を褒めるのは悪いけど後回しにさせて貰おう。今は親友とのゲームに集中しないと。
(御褒美の準備もあるしね……)
 小さなテーブルを三人で囲んでポーカーに興じる。
 予想とは違ったけれど、偶にはこんな優しい能力の使い方も良いだろう。
「コール!」
 明るい吸血鬼の声が、屋敷に響いた。





 蛇足

 土樹良也事件簿
 これは、土樹良也が引き起こした騒動の記録である。

 事件ナンバー1 脱札事件

 事件の発端は紅魔館で行われたポーカー大会。吸血鬼秘蔵のワインが優勝商品としあって多くの人間、妖怪が参加した。といっても厳粛な大会ではなく、酒類も饗され半ば宴会の余興として行われたという。
 土樹良也は大会の審判として参加し己の能力を生かして、主に能力の使用による不正を防止する立場にあった。
 問題が発生したのは宴の盛り上がってきた中盤。誰か―ー(酔いどれ鬼、兎詐欺等の複数名の名前があがっている)の札のすり替えによる不正が発覚し、その罰として何故か脱衣ポーカーを強制した事がその後の騒動の原因だった。
 不正の罰だった筈が何時の間にやら敗北の罰となり、敗者達の衣服が屍の如く転がる非常に破廉恥な地獄絵図が展開されたそうだ。
 香霖堂の店主等の僅かに参加していた男性は早々に逃げ出したのだが、土樹良也はその立場上捕まり審判を続けさせられ、男性唯一の最後まで参加した人物となった。
 ちなみに大会終了後、参加者全員からの攻撃を受けたらしい。
 厳密に言えば彼が引き起こした騒動ではないが、彼の能力が無ければ起こらなかった騒動という事で事件簿に追加している。
 また、この事件では何故不正の罰ゲームが脱衣ポーカーに決定したのか、敗北の罰まで脱衣となった経緯等謎がいくつか解明されていない。
 参加者は聞き込みをしてみても。
「いつのまにかそういう話になっていた」
「ポーカーって元々そういう物じゃないの?」
「脱がされた兎詐欺の策略」
「そーなのかー」
「いや、すっぱが……」
「負けた店主が脱ぎだしたのが原因でした」
「いやいや、確かパチュリーが……」
「え、そんな事件あったっけ?」
「一回戦で負けて、後はお酒呑んでたから知らないわ」
「御褒美よ、御褒美」
「美味しいワインでした」
 と、各々好き勝手言っておりまともな情報が出てこない。
 現在でも文文。新聞編集部では情報を募集している。



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