そう。 それは、とても幸せな夢だった。 何もかもが、今は幸せな夢だったと思う。 いつか訪れる永遠の別れを知りながら、しかし二人で寄り添いあった日々の記憶。 良也が愛した巫女は、今はもう土の中で眠っている――――― ―――――――――――――――――――― 「あら、おはよう。酷く魘されていたわよ」 良也が目を覚まして最初に聞こえた声が、彼の脳裏に繰り返し響く。 汗でぐっしょりと濡れてしまった寝巻きに心地悪さを感じながら隣を向くと、そこには現在良也が軒先を借りている永遠亭の姫が微笑んでいた。 「かぐ・・・や・・?」 「また巫女の夢でも見たのかしら。いつまでも未練なのね?」 「・・・何の夢かも思い出せないんだ」 良也の顔に残る涙の跡の事を、輝夜はあえて言わない。 言ったら、きっと良也はまた思い出の中の巫女のために在ろうとするから。 巫女を失った彼の憔悴振りは、もうみたくなかった。 「でも、きっと霊夢の夢だったと思う。今際の際まで笑顔だった霊夢が、忘れられないんだよ・・・」 「そうね。きっと良也と一番長くいるのは私たちだけれど、一番深い場所まで付きあっていたのは紛れもなく彼女だもの」 隣り合った布団の中から出ると、彼女は肌蹴た寝巻きを少しだけ直す。 妙に色っぽい仕草に、だが良也は過去のように心を揺れ動かしたりはしない。 「それとも、妹紅のように蓬莱人にした私たちを恨んで殺す?」 「・・・蓬莱人になっていなければ、きっと結婚する前に死んでいたと思うよ」 恨みはしない、と良也は苦笑する。 のそのそと布団から出た彼は、与えられた部屋にゆっくりと歩こうとして、少しだけ止まる。 「霊夢は、ずっと蓬莱人になろうとしていたんだよね」 「ええ、良也も直接聞いたことがあるはずよ。情けない夫を置いて逝けない、ってね」 「・・霊夢に薬を渡さないでくれて、ありがとう。それだけは夫として、お礼を言うよ」 良也が小さく笑む。 その儚い笑みを、もう輝夜は見たくはなかった。 「いつまで引きずるのかしら?」 「・・・・さぁ。わからないよ。僕は、きっと霊夢の夢を見るたびに思い出しては魘されるんだろうから」 「あの巫女が良也を置いていけないと言っていた訳が、今なら理解できるわ」 「・・・いまさら、かい?」 「えぇ、そうね。・・近すぎて分からなかった。分かろうとも思わなかった」 輝夜は、良也のことをいたく気に入っている。 だからこそ、誰に対するよりも良也を大事にしていた。 ・・・本人の自覚もないままに、だが。 「だけど、今も良也には―――・・・がいるの。それを忘れないで」 「・・・・何が、いるって?」 「家族がいる、って。そう言ったのよ」 気に入った理由など、今更覚えてもいない。 だけれども。 「永琳もウドンゲもてゐも、私も。もう良也を大切な家族だと、思っているわ」 「は・・・はは、家族?僕が?」 「そう。永遠の時を共に過ごす家族」 「・・だけど僕は、」 良也が呟こうとした声を、輝夜は聞こえないふりをした。 聞いたら、きっと辛くなるから。ずっとずっと、その繰り返しなんだから。 「じゃあ、行ってくるよ。遅刻したら妹紅に怒られるしさ」 「行ってらっしゃい。帰りは何時もどおりの時間ね?」 「多分ね。人里に寄ってくるかもしれないから」 「わかったわ」 慌てて着替える良也を見つめる輝夜の瞳は、何時も優しい。 だけれども、良也がそれに気付くことはなくて。 彼がばたばたと出て行ったのと入れ替わりに永琳が入ってきたのを知って、輝夜は大きくため息をついた。 ―――――――――――――――――――― 良也は、ニュートラルな人間である。 幻想郷の住人たちとは違い、あくまでも『ニュートラル』であり『普通』なのだ。 それは幻想郷に於いては、良くも悪くも大きな意味を持つ。 そして彼は、誰よりも霊夢のことを愛していた。 だからこそ、永遠の命の中で果て無き想いに囚われ続けることになる。 幸福すぎた想い出は身を裂き、心を砕き、彼を悩ませ続ける。 いっそ忘れてしまえれば、楽になるのだろうけれど、彼はそれを拒んだ。 自分が霊夢を忘れてしまうことは、自身の過去を、ひいては霊夢を愛した心さえも否定してしまうから、と。 不安定な彼に、幻想郷の住人たちは敢えて救いの手を差し伸べなかった。 これから親しい人が逝く度に不安になるのは自明の理、ならば恐らくは最も親しく最も愛おしい人が逝った寂しさ、悲しさなどに耐えさせねばならないと、妖怪賢者は言った。 それは全く正論だった。 だが、【正論】がつまり【正しい】とは限らない。 日に日に心を傷つけてはそれに耐える日々の彼に、救いの手を差し伸べたのは、永遠亭の鈴仙だった。 永遠亭の住人たちは、良也を家族として受け入れた。 そのことについてひと悶着はあった。 あったのはあったのだが、結論として、良也は永遠亭に住むようになった。 ・・・そのひと悶着の内容を知るのは、永遠亭でも永琳だけなのだ。 それは兎も角として。 永遠亭に住むようになった良也は、徐々に以前の彼らしさを取り戻して。 やがて妹紅たちと共に、人里の子達に勉強を教えることになり。 しかし、それで彼の傷心が癒えたわけでも、痛みが紛れたわけでもない。 未だに霊夢のことだけを想い続ける青年を、永遠亭の住人たち、特に姫は、大切に守っていようと、そう思っていた。 |
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