ざわざわと風が騒ぐのは決して偶然などではないと、良也は思う。
眼前に、数年前に断ち切れた筈の奇縁がいるのだから。

「スキマ、僕は霊夢とのことから逃げ出した。・・逃げ出して、やっと平穏に暮らせるようになったんだ」
「えぇ、そのようね。前よりも幾分落ち着きがあるみたいだわ」
「・・だから、もう僕には関わらないで欲しい。関われば、ただ辛くなるだけだから」
「あら、それは無理な相談ね。そもそも私がここにいる理由が・・・」

不意に、風の勢いが増す。
不敵な笑みを浮かべたスキマ妖怪は、その艶っぽい唇を歪ませて。

「良也。もう一度、幻想郷に戻ってきて欲しいのよ、貴方に。その為に連れ戻しに着たんだもの」
「・・・は?」
「あら、間の抜けた顔ね」
「ちょ、ちょっと待てスキマ!僕はずっと幻想郷には行けないと思ってたんだぞ!?」
「えぇ。あんなことがあったんだもの、そう思うのは当たり前ね」

悪びれもせずに言い張る眼前の見た目だけ美女に、良也は呆れ顔で返す。

「分かってるんなら、話は早い。・・・僕は、もう行かないよ」
「断るのも計算のうちよ。良也の意思なんて関係ないわ、元より力ずくよ」

第六感というのは、途轍もなく便利である、と良也はその瞬間に痛感した。
嫌な予感がして地面を蹴ると、先ほどまで良也が立っていた場所にスキマができていたから。

「うおぉぉっ!?」
「だけど、貴方に会いたいと思う人がいる。その思いに応えられるのは、貴方だけなのよ」
「ちっくしょう!」

紫のしたり顔を見て、良也は吐き捨てるように言い放つ。
良也が飛び退ることさえ想定済み、飛び退ったその先にこそ罠はあるのだから。
スキマの呑み込まれれば、行く先はスキマの意思次第でしかない。
ここまで綺麗に紫の思惑通りということを、良也は苦々しく思いながら。


果たして、数年ぶりに幻想郷に舞い戻ることとなる。



―――――――――――――――――――――――――
「・・ふぅ」

疲れたようなため息を吐きながら、博霊霊夢は縁側に座っていた。
いや、疲れたようなではない。事実、大変に疲れていた。
最近は異変や異変に値する事象が殆どないのだが、代わりに結婚という二文字に追いかけ回されているのだ。

博霊の巫女と言えば、人里でも有名である。
守矢の巫女と共に幻想郷を二分する知名度を誇っているのだから。
その博霊の巫女が結婚を考え出したと言えば人々は黙っていないのは自明の理。
輝夜姫の如く無理難題を押し付けて追い払ってはいるが、それも面倒になってくるぐらいになっていた。

「全く。何処をほっつき歩いてるのかしら」

こんなときに霊夢が思い出すのは、幾つか年上の情けない青年の姿だった。
お酒が好きで、痛いのや怖いのからは逃げ出すくせに、時々妙に格好良くて――
何より優しかった。
数年前、妖怪たちが勝手に決起して起こした異変、俗にいう婚姻異変の際に理不尽さから逃げ出した彼だけが、霊夢の認めえる男性だということに気付いたのも――
実は極々最近のことだ。

「愛想を尽かされた、っていうのもありえるけど・・・」

彼はそこまで短気でもない。
愛想を尽かされたというよりは、理不尽から逃げ出して、その負い目から来ないだけだろうか。
しかし、霊夢はそこまで考えて、考えることをやめた。
妙な胸騒ぎがして、そのまま博霊神社の裏庭まで、文字通りに飛んでいった。






「っててて・・・」

地面に叩きつけられた良也は、頭に絡む砂や埃を叩きながら辺りを見回す。
自身の世界を広げて、できる限り危険に備えることも忘れない。
――そこで、自分の世界が限りなく広がる感覚に懐かしさを感じる。

「この感覚・・・ここ、博霊神社なのか・・・?」


「・・えぇ、そうね。ここは博霊神社だわ、間違いなくね」

良也の呟きに、背中から答えが返ってくる。
そう、この声を良也は知っている――覚えている。
ゆっくりと振り向くと、そこには寝巻き姿の美女がいて。

「・・驚いた。スキマに連れてこられて、いきなりか?」
「紫に何かされたのかしら。夜這いのつもりなら手荒い歓迎になるけど」
「夜這いなんてしたくもない。早く外界に帰らせて欲しいな」
「それはそれでイラっとくるわね。女として馬鹿にされてる気がするわ」
「別に馬鹿にしてやいないさ」

互いに見てくれは少しずつ変わっているはずなのに、昔どおりに軽口を叩き合える。
それだけが、今は二人にとっての再会の意味だった。

「いらっしゃい、良也さん」
「ただいま、霊夢」

良也は長年抱き続けていた負い目が、ほんの少しだけ軽くなった――そんな気がした。




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