-注意!- ・この話は奇縁譚二次創作、「良也と栞」の中編でございます。前編をご覧でない方はそちらを先にご覧ください。 ・前編を読んだうえで、もうちょっと読んでやらぁ!という奇特な精神の方のみお進みください。 ↓以下本編 中編 英文学部の部室で、良也と栞はゆったりとした時間を過ごしていた。他の部員達は所用で欠席しているため、今は良也と栞しか居ないからである。 英文学部の部室はそんなに広くはないが、数人で使うなら充分な広さがある。まして、今は二人である、広いと言っても差し支えないだろう。 しかし、仮に部室が一畳分程度の広さでも問題は無かっただろう、何故なら、良也と栞が肩の触れあうような距離で寄り添って座っているからだ。 「先生……」 恥ずかしげに顔を赤らめている栞が、良也に声をかける。若い男性教師と女子高生が密室で二人きりで肩を寄せ会う、つまり教師と生徒である二人が部室で人目を忍んで逢い引きしている…… 「ここがわかりません……」 ……などという事はなかった。 二人の眼前にはズラリと参考書の類いが並んでおり、逢い引きの色っぽさなど欠片も無い、肩を寄せ会うのは当たり前、何故なら良也が栞にマンツーマンで勉強を教えているからだ。栞が顔を赤らめているのも、以前覚えた筈の場所を忘れてしまったからである。 「ああ、そこはややこしいからね、仕方ないよ」 良也は特に気にした風もなく、そこについて説明する。 良也は英語教師だが、魔術師でもある。魔術師の必須能力として、世界中のあらゆる教養を詰め込まれた良也は、語学なら英語は勿論の事ラテン語からヒンズー語まで一通り理解できるし、数学、物理化学、(魔法の歴史を学ぶ上で覚えた)世界・日本史等々……高校教育程度の内容なら一通り教えられるのだ。 その上元塾講師であり、面倒くさがりの為、基礎的ポイントを絞って分かりやすく教えることを主眼においており、良也は家庭教師として理想的な能力を有していた。 その為、部活の時間にこうして個人的に勉強を教えているのだ。 「あの先生、本当によろしいのですか?」 栞はこの様に勉強を教えてもらうことに恐縮しているらしく、何度目か解らないその問いを良也に投げ掛けた。 「お爺様から頼まれたのでしょう?教務に差し支えるでしょうし、私からお爺様に……」 「はいそこまで」 良也は確かに高宮祖父から『孫をよろしく頼むよ』と、多分に他意を含ませた『お願い』をされており、理由の一つとしてその事があるのは事実であった。 しかし、同時に良也には教師としての誇りがあった。すなわち…… 『求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん。 』 「え?」 一種の聖職者としての誇りである。 「これは聖書の一説でね、意味は行動しなければ何も始まらないって感じなんだけど、僕は別の意味でとっている。 すなわち、教えを求める生徒がいるなら教えろ、尋ねる生徒がいるなら導け、門を叩く生徒がいるなら手伝ってやれ、とね。」 かつて良也が教えを乞うた師は、良也に門を開き、教えを与え、導いた。良也はその師の姿を自身の教師の理想像として考えており、教えを乞う生徒がいるなら、そのために骨を折ることに何のためらいもなかった。 「栞ちゃん、僕は教師で、君たちは生徒だ。迷惑だなんてことは考えず、望むだけ教えを乞えばいいんだよ。教師にとってそれが一番うれしいんだからね」 人に自身の学んだことを教えるのは楽しいものである。教師というのは、そういう風に教えることが好きな人間がなるべきものである。 良也は自身に教えを施した師たちの姿を思い浮かべ、栞に微笑みながらそう伝えた。 栞は良也の微笑みをみて、顔を赤らめてそらしてしまった。その赤さは、先ほどの羞恥とは違った意味合いのものであったが、良也はその事に気づかなかった。 「じゃあ、勉強に戻ろうか、以後この問いは無しで頼むよ、これこそ時間の無駄になるし」 良也はそういいながら、次に栞に教える内容を決めて資料を探し始める。あえてつっぱねたような言い方をすることで、本当に気にすることはないのだと良也は栞にいっているのである。 そのことに気づいた栞は、顔の赤さを沈めた後、ふっきれたように良也の厚意を受け入れることに決めた。 「わかりました先生、これからは先生を利用できるだけ利用することとします」 クスリと、軽く笑いながらそう栞がおどけると、良也もそれに合わせた。 「そうそう、僕のことはなんでもしてくれる便利な男ぐらいの気持ちでいいんだよ、それぐらい使われたほうが教師冥利につきるってものだよ」 からからと良也も笑い、目当ての資料を見つけた良也はそのページを栞に見せる。 「さ、今度はこのページの内容を解説するよ、ここを理解すると後が楽だからね」 「はい!よろしくお願いします!」 部室での二人きりの授業は、下校時間まで続いた。 *** 「ねぇねぇ、つっちー先生」 「ん?」 英文学部の部室で部員の各々が好き勝手に本を読んで過ごしていると、藤崎が良也に話しかけて来た。 「先生と栞ちゃんが放課後に逢い引きしてるってほんと?」 「ぶほぉっ!?」 「ふぇ!?」 唐突な一撃に栞と良也がむせる。動揺により回らない頭と口で良也は答える。 「な、なんばいいよっと!?そげなこてあるわきゃなかね!」 「動揺しすぎ、標準語に戻してつっちー先生」 からからと笑いながら藤崎は言う。 「いやね、先生最近妙に栞ちゃんと一緒にいるし、放課後に一緒に歩いてるの見たって目撃証言もあるし、もしかしてお付き合いしてるのかなぁ?ってちょっと話題になってるよ」 「まじか……」 藤崎の言葉に良也は頭を抱えた。良也と栞が放課後に会っているのは事実だが、それはあくまで勉強を教える為の物であり、疚しい点は一切ない、しかし、それを実証するのが本人たちだけでは、ゲスな勘繰りを防ぐことは不可能だ。 「ほほう……生徒と教師が放課後に密会ですか……」 面白そうな風情の天海が目をキラリと輝かせた、これは不味いと思い立った良也は弁明を開始した。 「念のために言っておくが、確かに最近高宮とはよく一緒ににるが、それは勉強を教えているからだ。将来についての相談を受けたりして親御さんと三者面談を行ったりもしているからな疚しい点は一切ない」 「えー?本当ー?」 「本当だ」 ニヤニヤしながら訊く藤崎に、良也は動揺を面に出さないように答える。なお、良也の視界の死角では栞が良也の否定の言葉にムッとしていたが、藤崎の方を見ている良也にはそれが見えていなかった。 「なんなら……藤崎も一緒に勉強するか?お前達はエスカレータで大学に行くから受験は関係ないが、テスト対策にはなるぞ?」 良也の提案に、天海は興味ないと読書(魔道書)に戻り、藤崎はしばし思案する。 「んー……それじゃ、御一緒しようかな?」 「お……?提案しといてなんだが、参加するのか?珍しい」 藤崎の成績は対して高くもない、だが、極めて酷いという訳ではないし、藤崎自身そんなに勉強熱心なわけではない。少なくとも、自主参加の勉強会に来るようタイプではない。 「いやぁ……最近親がもっと頑張れってうるさくてね。成績上がったら小遣い増やしてくれるらしいし」 てへへ、と笑いながら頭をかく藤崎に、良也はなるほどと合点する。 「ふむ……なら、部活の後の時間に勉強を教えようか」 「ありがとー、これで小遣いアップまちがいなしだねえ」 そういって笑う藤崎に、良也はなんとかなったとほっとする。同時に、ばれて問題になる前に、前もって学校側に放課後に部室で勉強を教えるというアリバイを伝えておこうと誓った良也であった。 *** 放課後の勉強会に藤崎が加わってからしばしの時が流れる。当初すぐに止めるかと思われた藤崎であったが、意外にも熱心に勉強に参加し、良也を驚かせていた。その甲斐あって藤崎の学力は上昇傾向にあり、以前とは違い授業中に回答を命じられても困ることが減ってきていた。 そして1学期の中間テストが終わったころ、その成果が如実に確認できるようになると、そういえば成績がよくなっていると各科目の教員が気づくようになった。もともと目立つ生徒だけあって、その変化に気づいた者は多かった。故に話題になると、全体的に大きく成績が向上していることに教師全員が気づき、自然と良也の放課後授業の話となる。良也が藤崎たちに勉強を教えているのは事前に報告されていたためしっていたが、その成果を目の当たりにした教員たちは、「藤崎が本当に真面目に参加してたんだ」という大変失礼ながら至極まっとうな驚きを共有していた。なお、栞はもともとそれなりに良いので、あまり話題にはならなかった。 そんなこんなで1学期も終わりに近づいた頃、体育祭の季節がやってくる。テストも終了し、解放感にあふれた気分の中で迎える体育祭は、自然と笑みにあふれたものとなる。しかし一部のインドア派にとってはこの様なイベントは大変堪えるモノである。その一部のインドア派筆頭の良也は、現在苦行の真っ最中であった。 栞の通う学校は日本有数のお嬢様高校である。故に、良家の子女と教師の間に『間違い』があっては困るため教員の多くが女性か、性欲の減退した高齢者であるのだ。 この様な環境下において数少ない年若い男性教諭の良也が、諸処の雑用に駆り出されるのは必然である。 魔術師である良也ならばテントの設営から物品の持ち運びまで多岐にわたる雑用も、ちょろりと魔力を体に漲らせれば軽いものであるが、如何せん仕事が多い。その上に人の多い中で不自然にそこだけ涼しいなどという怪奇現象を起こすわけにもいかず、嫌々ながら「良也の世界」を解除して炎天下の中働かねばならぬのだ。もともと溌剌とはいえぬ良也のやる気はそれこそアスファルトの上の氷のごとく汗とともに蒸発していく。教員用のジャージはたちまち汗にまみれ、顔には玉の汗が浮く。 「あ〜……あづい……」 これはたまらんと、良也は肩にかついだ競技に使う道具の入った箱を所定の位置に置き、一番近場の校舎の日陰を目指した。ちらりと視線の先に運動部用の腰あたりの高さの水道の蛇口が並んでいるのが目に見える。全身の汗と火照りにうんざりとした良也は、あそこに寝転んで蛇口をひねればさぞや涼しいだろうという誘惑に駆られるが、教師としての理性がかろうじてそれを食い止める。これが幻想郷か実家ならば、水を頭から被って魔法で服を乾かすという人としても魔法使いとしても色々問題のある行動を嬉々としてとっていた可能性が高い。それくらいこの暑さは耐え難いものであったのだ。 こうして兎にも角にも日陰に到達した良也は、校舎内へと続く勝手口の階段へこしかけ、ふう、と息を吐く。そして、ここなら良いだろうと良也は自身の世界を展開し、不自然ではない程度に気温を下げる。 「ふー、やれやれやっと人心地ついた」 良也が肩にかけたタオルで顔をふいていると視線の先で次の競技が始まる。どうやら玉入れらしい。先ほど良也が運んできた箱の中身はどうやらあの紅白の玉の様だ。空を縦横無尽に舞う紅白の玉をみていると、良也の脳裏に知己の巫女の姿が浮かぶ。 (忙しくて最近幻想郷にいっていないけど、皆元気かな) という問いが浮かぶが、直ぐに『殺しても死にそうにない』という身もふたもない回答がはじき出され良也は苦笑した。一部にいたっては元から死んでいたり、死んでも生き返ったりするあたり、良也の感想は至極まっとうであろう。自身もその人外の一員であるという事を棚上げしている点を除けばであるが。 そうこうしている内に玉入れは終了したらしい。いーち、にーい、という掛け声とともにいっこずつ玉が宙を舞う。初めは籠に満ち満ちていた紅白がしだいに数を減らし、やがて白が先に尽きると紅組の生徒たちから歓声があがった。勝利に浮かれて抱きしめられている生徒の中に、先ほどの玉入れに参加していた栞の姿をみつけた。担任としとみんなと喜びは共有せねばなるまいと良也は気合を入れて立ち上がり、日陰からでて世界を解除した。 「暑い……」 日光で苦しむのは吸血鬼だけではないのだなとひとりごちながら、良也は自身の生徒たちの元へ向かった。 *** 「いやぁ、去年に引き続き、今年もすいませんね」 玉入れも終わり、昼食の時間となった体育祭の校庭で、良也は去年に引き続き高宮一家の団欒に誘われた。二度目であるが教え子の親御さんと食事というのは緊張するものである、恐縮しながらも弁当に舌鼓を打っていた。 高宮家の弁当は、その身代の巨大さに比べて一見庶民的である、変わった料理は無いし、キャビアやフォアグラの様な所謂『金持ちの食い物』が入っている様には見えなかった。故に良也は恐縮しつつも、勧めに従って旨い旨いとモリモリ食べていた。それを高宮一家はにこやかに見ている。 なお、料理自体は庶民的だが、使われている食材が実は1つ残らず一級品であることに良也は気づいていない。これを料亭やホテルで作って出してもらおうなどとしたら良也の財布など一撃で葬り去られてしまうほどだ、旨いのは当たり前である。 「何、良也君には栞の勉学の面倒をみてもらっているんだ。これぐらい軽いものだよ」 高宮祖父のその言葉に、栞の父の龍一が頷く。 「その通りです。先生のお陰で栞の成績も上がっています、そして何より……」 何度も命を救ってくれましたからね、という言葉は出せなかった。こんなところで言うことではないと思い直したのだ。不自然に言葉をきった龍一に視線が集中する。 「お父さん?」 「……いや、何でもないよ栞、先生の言うことはちゃんと聞くんだぞ」 「もう、お父さん恥ずかしいです」 龍一は慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、栞の頭を撫でる。父の幼子に言い含める様な言動に、栞は頬を赤らめてそっぽを向いた。頭を撫でられたのは嬉しいが、良也の前でそんな風にされるのは気恥ずかしかったのだ。 (私は無力だな…) 栞の頭を撫でながら、龍一は自身の無力を呪っていた。 (これまで幾度も、この子は危険な目に遭ってきた、その度に、私は何も出来なかった……) 愛しい我が子の命の温もりを感じながら、龍一はいままでこの温もりが消え失せかねない事態が幾度もあったことを思い出す。会社を切り盛りする龍一は忙しく世界を飛び回っており、事が起こっても直ぐに栞のもとに駆けつける事が出来なかった。龍一が帰ったときには、いつも全てが終わった後だった。事件の度に隠居した義父が、そして目の前の青年が、駆けずり回って栞を救い出していたのだ。良也も義父も仕方のない事だと言ってくれるが、それでも我が子の危機に駆け付けられない自身の立場と無力を思わないことは無い。故に、龍一は誰よりも娘の幸せを願っている。 (栞には幸せになってほしい、将来性や身分などどうでもよい、むしろ良也くんの様に身軽で強く優しい男ならば、栞の危機には最も早く駆け付けられるはずだ……実際、幾度も栞を助けてくれた、彼にならばまかせても……) 龍一にとって、妻子はこの世でもっとも大切なものだ。出来る事なら、最後まで自身の手で守り通したい。しかし、自身の小さすぎる手のひらではそれすらは叶わない。故に、少々どころではなく寂しいが、実績的にも信頼的にも申し分ない良也は、栞を預ける相手としては申し分なかった。栞の義父も、会社の発展より栞の将来が大切らしく同様の気持ちであるのが救いである。 (いつか良也くんとサシで飲んでみたいものだ) フッと自嘲気味に笑いながら、栞の頭から龍一は手を離すと、良也に向き直る。 「先生、栞のこと、よろしくお願いしますね」 そういいながら頭をさげる龍一に、良也は何か感じ入る所があり、即座に応じる。 「任せておいてくださいよ、娘さんの勉強も、安全も、ばっちり守って見せますよ」 どんっと、珍しく男らしく良也は胸をたたいてそういった。その若干わざとらしく子気味の良い動きに、龍一もまたふっとわらって頭をあげた。 「ありがとうございます」 自身より二回りは若い青年に、龍一は自然と礼を述べた。 *** 最終競技のクラス対抗リレーは白熱した。一進一退の体育祭の得点は各チーム均衡しており、この競技の結果で優勝が決定するからだ。紅組のランナーは白組のランナーに3歩遅れてアンカーにバトンを渡した。たった三歩、だがそれを抜くのは至難の業である。 その難儀に挑んだのは藤崎、運動神経抜群の藤崎は、じりじりと白組のアンカーを追い詰めていく。だが、あと一歩が足りない、まだ足りない、必死に走る藤崎が歯を食いしばったとき藤崎の耳に声援が届く。 「がんばれー!」 「もう少しだよー!」 「がんばってー!」 クラスメイトの皆の声援に、藤崎は背を押されるのを感じた。そしてその声援の中に唯一若い男性の声が混じっている。 「頑張れ藤崎ぃ!買ったらジュースおごってやるぞ!」 担任の良也である。その気の抜ける声援に、藤崎はクスリと笑う。すると何故か力が溢れてくるのを藤崎は感じた。 (ハハ、ジュースね、そいじゃあいっちょがんばりますか!) 藤崎は声援に押されて溢れだした気力を四肢に漲らせて先ほどより半歩多く足を振り出した。口元にふてぶてしいが気色の良い笑みを浮かべて前傾気味にラストスパートをかけている。 『おおっと、ここで紅組ラストスパートをかける!藤崎選手速いぞ!白組の選手も負けじとラストスパートをかけているようだ!』 互いに一直線に駆け抜ける。ゴールは目前だが、両者譲らず横並びの状態である。 (つっちー先生に情けないところは見せたくないんだよね!だから……) 最後に1歩、隣の人より多く足をだす。 (私が勝つ!) ほんの半身ほどだが、藤崎が前に出た。 『ゴーーーール!勝者は紅組、藤崎選手です!』 その瞬間、会場に割れんばかりの歓声が響く、今年の優勝は、紅組であった。 *** 「ふふん、どんなもんだい!」 ふんす、と藤崎が得意げに胸をはると、クラスの全員が藤崎に抱き着いたり、歓声を上げたりして、大盛り上がりになっている。 「写真部です!皆さんの写真を撮りにきました!」 そういいながら、首からカメラを提げた写真部の面々がやってくる。 それに各々が、仲の良い生徒と写真をとってもらったり、スナップショットとして会話中の姿を取られたりしている。この写真は後に写真部に注文することで買うことができるのである。 「お!つっちーせんせー!せっかくだし写真とってもらおうよー!」 藤崎が良也に気付くと、そういいながら良也に近づいてくる。 「おう、藤崎か、いいぞー」 たまたま他の生徒とも話していないうえに仕事もなかったので、良也はそれを受け入れると、写真部に頼んで写真をとってもらう。 「いっちょおねがいしまーす」 「はいはーい、いきますよー、はいチーズ」 そういいながら写真部がカメラを構えると、突如として藤崎は良也の首に手を回すように飛びついた。 「そいや!」 「うわっ!?」 突如として飛びつかれた良也は、その行動に驚き、素っ頓狂な声を上げてしまった。そして、その瞬間無慈悲にシャッターは切られ、間抜けな驚き顔をさらす良也の写真が撮られてしまった。 「あっはっは!驚いたでしょつっちーせんせー」 けらけらと笑いながら、いたずら成功といった風情で藤崎が逃げる、藤崎に一杯くわされたと気付いた良也は苦笑しながら一応注意する。 「こらっ!驚いただろうが!」 「ごめんごめーん」 そういいながら、藤崎は、他の友達の所にかけていく。 「まったく……あ、写真とってくれてありがとうね」 「あ、はい」 一部始終を見ていた写真部の少女は、くすくすとほほえましげに笑いながら、カメラを持つ。 「良い画がとれましたよ」 「あはは……」 良也はその言葉に苦笑した。 *** こうして、体育祭も終わり、あっというまに月日は過ぎる、期末試験も終わり、生徒たちは夏休みになる。 夏休みは、これといって大きなイベントは無かったが、良也達は数日に一度は学校にあつまって勉強会をおこなっていた。 *** 8月末日、英文学部の特別夏期講習にて。 「それでは、本日はここまで、皆お疲れさま」 「「ありがとうございました!」」 良也の声に、栞と藤崎が応じる。一月以上続けてきた夏期講習は、確実に二人の学力を伸ばしていた。このペースなら、二人とも望む段階まで学力を底上げ出来るだろう。三人が部室からでて鍵を閉めたあと、良也は言う。 「それじゃ、僕は鍵を返却してくるから、二人とも気をつけて帰るように」 「はい、わかりました」 「じゃーねー、つっちーせんせー」 栞は丁寧に御辞儀をしながや、藤崎はヒラヒラと手をふりながらそういい、かえっていった。 「よし、後で栞ちゃんに教える分の資料をまとめるか」 基礎的なレベルでよい藤崎の為に昼の講義では基礎を中心に教え、高いレベルの内容を修めたい栞の為に夜の家庭教師では基礎から発展的内容を教える。それが良也の夏期講習の内容だった。今日もこのあと栞の家に向かうのだが、一緒の所を見られるわけにはいかないし、用意が必要な為に一旦別れるのが常であった。 良也と別れた栞と藤崎が、校門付近に来る。普段なら此所で別れるが、今日は違った。 「ねぇねぇ、このあとちょっと話があるんだけど、どこか寄らない?」 「……?いいけど、どうしたの?」 「う〜ん……いや、何て言うかね……」 いつものはっきりとした物言いとは違い、どこか歯切れが悪そうに藤崎は続けた。 「つっちー先生の事なんだけどね……」 *** 栞の部屋にて、二人の少女が、むきあっている。 一人はこの部屋の主である栞、もう一人はその友人、藤崎だ。 教師であり、栞の想い人でもある良也の話と聞いて、栞は自室に藤崎を招いた。 「それで?先生の話って?」 お茶菓子をだしながら栞は藤崎に問う。それに対して藤崎は茶菓子をほうばりながら話す。 「いやね、多分そうなんだろなぁってずっと思ってたし、それにどうこう言うつもりも無かったんだけど、流石にこのままにしとくのはあれだから言っちゃおうと思ってね?」 そう言いながら、藤崎はお茶を飲んで栞に向き直る。 「栞ちゃん、先生の事好きでしょ」 ピシリと空気が凍り付く、機能を停止した栞が再起動する前に藤崎は続ける。 「ああ、言い訳はいいよ、他にチクる気はないし、ライクじゃなくてラブなんでしょ?」 「ど……どうして……?」 「そんなん、一夏隣で二人の様子見てたらわかるよ、バレバレだったし。あれで気が付かないのはつっちー先生くらいだよねぇ」 藤崎はそういってウンウンと1人うなずく。 「は、話ってその事……?」 顔を赤くする栞に、藤崎はそうだねぇと答える。 「他人の色恋に顔を突っ込むのはどうかと思ったんだけどね、あまりに進展しないから隣で見てるのがきつくてね……」 ポリポリと頬をかく藤崎、一夏ずっと隣で二人を見ていてやきもきしていたのだ。 「まぁ、忠告しておこうと、おもってね」 「忠告……?」 藤崎はうんうんと頷きながら、栞に、向き直る。 「栞ちゃん、このままだと卒業まで生徒と先生の関係のままだよ」 「え……?」 固まる栞に、藤崎はバツが悪そうに言う。 「つっちー先生は若い男だからスケベな所があるし、常識はずれの本物の魔法使いだけど、普段は社会的な常識は弁えた教師だしねぇ、あの人は自分から生徒に手は出さないよ。おまけにヘタレのボクネンジンだしねぇ……」 この一夏の間を振り返っても、隣で見ていてなんで栞の恋慕に気づかないんだと叫びそうになったのは、一度や二度ではない。 「断言してもいいけど、何か行動をおこさないとこのまま卒業まで行っちゃいそうだよ……いや、訂正するよ、それならまだいいね」 そう言いながら、藤崎は指を開く。その本数は5本。 「五人、何の数字かわかる?」 「……何の数字なの?」 真剣な藤崎の顔に、緊張でごくりと喉をならす栞。 「この学校で、先生に気がある人の数」 「……!?」 栞は驚愕に目を見開いた。こういう言い方をするのはどうかと思うが、良也はけっして顔の良い方ではない。他の面で良いところは沢山あるが、惚れるまでいく人がそんなにいるとは思っていなかった。 「栞ちゃんが先生に恋してるのはなんとなくわかってたからね、こっそり情報集めてたんだよ。今のところ先生に一番近いのは栞ちゃんだけど、やり方次第では十分巻き返せる位置でしかないよ。卒業までに誰かが告白でもすれば、一気に置いていかれるね」 「……そんな」 栞の脳裏に、良也が浮かぶ、そのとなりには、自分ではない誰かが立っている。 ズキリと、胸が締め付けられる。少し想像しただけで、栞の胸はこれ以上ないほどに痛んだ。 ぎゅうっと、無意識に胸元の御守りを握り締める。良也から以前もらった破魔の護符である。 俯きながら胸元の御守りを握り締める栞の姿を見つめながら、藤崎は立ち上がった。 「そいじゃ、私は帰るね、お茶菓子ごちそうさん」 鞄を背負い、栞に背を向ける藤崎。栞はその背中をみつめた。 「……栞ちゃん、私に出来るのはここまで、後はどうするのも栞ちゃん次第だよ」 振り返らずに、藤崎はそういって部屋から出ていった。後には御守りを握り締める栞だけが残された。 「……先生」 思わず呟いた言葉は、誰にも届かず消えた。 *** 「あ〜……なれないことするもんじゃないな〜……それもこれも甲斐性無しのつっちー先生のせいだ……」 ポリポリと頬をかきながら、帰路につく藤崎。 「乙女の気持ちくらい察しろっての……まったく……」 栞たちの学校は筋金入りのお嬢様学校だ。一度入れば余程酷くなければ、ほぼエスカレーター式に大学まで行ける。藤崎の成績は良い方ではないが、そこまで悪くは無い。そして、わざわざ自主的に夏期講習に通うほど優等生でもない。 「まったく……あんなボクネンジンに惚れる物好きの気が知れないねぇ……」 そういいながら、パスケースを開く。そこには、体育祭のときにとったクラスの集合写真が入っている。 「ま……相手がわるかったね……」 そういいながら、パスケースの写真をずらす。二重に重ねてある下の写真は、体育祭で良也と並んで撮ったツーショットの写真があった。ノリと勢いでやりましたよと言わんばかりに飛び付く藤崎と、それに驚いている良也の写真。お調子者の仮面に隠していたが、この時の胸の高鳴りを今でも鮮明に思い出せるほど、藤崎は良也の事が…… 「あそこまで一途に惚れてるのを見せられちゃ、応援しない訳には行かないよねぇ……」 栞の一途に良也を慕う気持ちは、痛いほど伝わってきた。藤崎の良也を慕う気持ち以上の、強烈な想い。それがわかったからこそ、藤崎は負けを認め、塩を送り、背中を押すことにした。 「がんばれよ〜栞ちゃん!栞ちゃん以外がつっちー先生を落とすのは我慢できないからねぇ!」 振り返り、栞の家の方にグッと親指をたてる。 「もし動かないなら、私がもってっちゃうよ!」 そういって、栞の家から視線を外した藤崎は、自宅へ向け駆け出した。親友への友情と良也への恋慕の間でぐちゃぐちゃになった気持ちも、この両目からあふれる何かも、ドロドロした爆発寸前の心の内のなんもかんもを、全力で発散するために、藤崎は走ったのであった。 *** 栞は一人、自室にて呆然としていた。 先ほど親友より告げられた忠告は、少女の心に楔を打ち込んだ。 良也に家庭教師を受けもらって以降、栞は毎日が楽しくて仕方がなかった。 純粋に、学力が上昇していく事に対する満足。親友との切磋琢磨。英文学部での活動。放課後の家庭教師。そのどれもに、良也が深く関わっていた。 栞にとって土樹良也とは、何度も己を救ってくれた、どこまでも優しくて、だれよりも強い魔法使いであり------------時に胸を締め付け、時に温かな安らぎを覚える、淡く儚い思いを寄せる男性(ひと)であった。 栞は、箱入り娘である。それこそ物語の中にしか存在しないような、深窓の令嬢とも言うべき筋金入りのお嬢様である。 故に、栞はこの胸の中の淡い思いの正体に、気付いて居なかった。良也と共にいるときに感じるこの喜怒哀楽の入り混じった不思議な感覚。栞はこの感覚の中に居ることが好きだった。青春特有の、この一瞬が永遠に続くのだという漠然とした感覚と相まって、いつまでもこの関係が続くのだという幸せな幻想の中にいた栞。だが、他ならぬ親友の忠告によって、栞はこの関係が幻想でしかない事に気付いてしまった。 『栞ちゃん、このままだと卒業まで生徒と先生の関係のままだよ』 ふと脳裏に、良也の隣に自分の見知らぬ女性が寄り添って立っている姿を幻視する。幸せそうな二人は、腕を絡めて、見つめ合って笑っている。その視線の先に自分は居ない?????? 「……ッ!」 ズキンッと、胸の中の、今まで自分に幸福感を与えてくれた何かが、胸を引き裂かんばかりに暴れた。栞はぎゅうっと、無意識の内に、良也から貰ったお守りごと胸を抑える。 気付かぬ内に、目から熱い何かが零れ落ち、心臓は痛いほど脈打ち、心は張り裂けんほどに悲鳴を上げた。 「ああ……」 ここに来てようやく、栞は単純な事実に辿り着いた。 「先生……私は……先生の事が……」 それを認めることは、これまでの関係の終わりであると同時に、新たな関係の始まりであった。 「大好き……」 ストン……と、その言葉を口にした瞬間、胸の中の気持ちがスッキリと収まった気がした。未だに痛みを伴っているが、同時に温かな気持ちも湧き出てくる。 「私は……先生が……大好き……」 まるで確認するように、大切な宝物を抱きしめるように、栞はその言葉を繰り返した。 「私は、先生と一緒にいたい」 今度は、自問自答するのではなく、しっかりと芯の通った言葉であった。 顔を上げた栞の目には、力強い光が宿っていた。 その光は、若い頃の高宮祖父が、世界一の大財閥を作るという大志を抱いた瞬間に目に宿したものと、同じ光であった。獅子の子が獅子である様に、獅子の孫が獅子でない訳がなかった この瞬間、栞の心に炎がやどったのだ。恋の炎というこの世でもっとも強い炎が。 *** 家庭教師用の準備を整え、良也は高宮家へとやって来た。時間的に余裕があったため、のんびりと向かう。このペースなら予定より1時間は早くつくだろう。 「う?ん、ちょっと早すぎるかな……どこかでご飯でも……うん?」 少々薄暗くなりだした景色の中で良也が腕時計を確認してから視線を上げると、道を全力疾走してくる少女が目に入った。うつむきがちに、薄暗い道を走る少女に、良也は見覚えがあった。 「あれは……藤崎……?一体何ごと……ッ!?」 良也の10メートルほど前方から曲がり角に差し掛かる藤崎、その進行方向に交差する死角から、ダンプカーが向かってきている。このタイミングで道に飛び出せば、ダンプは藤崎を避け切れずにひいてしまうだろう。 「危ない!!!」 思わず駆け出す良也、時間加速を用いて最高速で駆け抜け、ダンプの通り道手前で藤崎の前に飛び出し、体で受け止めた。 「ぐっ……!!」 「キャ……!?」 前を見ず前傾姿勢で駆けていた藤崎は減速せずに良也に衝突した。 この時良也は藤崎が怪我をしないよう、自身の体がクッションになるようにして仰向けに倒れた。傍目には教師の胸元に生徒が飛び付いて押し倒した様に見えただろう。 「ヒィッ!?」 直後、倒れた良也の頭上数センチをダンプの車輪が通過する、幾ら不死でも怖いものは怖い、自身と藤崎が無事だった事に、二重に安堵の息を吐く。 「ふぅ……危機一髪だったな……こら藤崎、道路に飛び出したら駄目だろうが」 「あ……え……ふぇ……!?いいいい、いっちー先生!?」 フリーズしていた思考が回復した藤崎は、自分がが先ほど諦めた筈の意中の男に抱き止められているという不可思議な現状に混乱した。 思考状態は停止から乱回転へと変化し、どうすれば良いのかわからなくなる。 (え……!?え……!?なにこれ……!?先生に抱き締められて腕のなか……!?天下の往来のど真ん中で……!?意外と筋肉質……じゃなくて!……は、早く退かないと!) 混乱の極みにある藤崎は動けず、良也は藤崎がこうちょくして動けないのに気付くと、ゆっくりと体の上から藤崎をどかせた。 「まったく、どうしたんだ藤崎、そんなにいそい……で?」 その時やっと、藤崎が目から涙を流していることに良也は気付く。おおよそ、普段の藤崎には到底似合わないその姿に、良也は虚を突かれ、大いに慌てた。 「ど、どうした藤崎!?どこか痛いのか!?何かあったのか!?」 おろおろと大いに混乱する良也に、藤崎はやっと自身が泣いていたのだという事実を思い出し、はっとして涙をぬぐう。 「ち、ちが、そう、こ、これはあのそのあれだよ先生」 ふいてもふいてもあふれ出る涙をぬぐうが、それで止まるほど軽い涙ではない、むしろ、良也(原因)に抱き留められたせいで、涙腺が決壊し、さっきより盛大にあふれ出てきた。 「だ、ぐす、だいじょう、うぅ……だいじょ……う、うわぁあぁ……」 ボロボロと、大泣きを始めた藤崎に、良也は混乱の極みとなった、これが栞や他の生徒であればなにかしかの対応がとれたであろうが、そこは藤崎である。普段から明るく、元気で、クラスのムードメーカーである彼女の泣き顔というのは、おおよそ想像の埒外の事象である。故に良也はどのような行動をとるべきか大いに混乱した。 「ど、どうみても大丈夫じゃないぞ藤崎!?何があったんだ!?先生にいってみろ!?」 わたわたと混乱する良也と、大泣きする藤崎に、やがて周囲からなんだなんだと人が集まりだす。 「どうしたのかしらあの女の子……」ヒソヒソ 「大泣きしてるぞ、あの男がなにかやったのか……」ヒソヒソ 「警察呼んだほうがいいんじゃ……」ヒソヒソ かたや大泣きする年端もいかぬ少女、かたやおろおろとするスーツ姿の男。どうかんがえたって事案発生である。その時、とんとん、と良也は肩をたたかれ、振り向くとそこに桜の代紋をしょった制服姿の男性、いわゆる警察官が、良也を見つめながらたっていた。 「」 「とりあえず、そこの派出所まで来てもらえるかな?」 絶句した良也は、藤崎をともなって派出所へつれていかれた。 *** 「はい、お茶だよ、災難だったね」 とんっと、藤崎と良也の前にお茶をおく警官。この警官は、良也が藤崎を助ける瞬間を見ていたため、最初から良也が藤崎に不埒な真似をしていたとは思ってはいなかった。あの行動は、むしろ混乱する二人を助けるために派出所に来てもらった側面が大きい。不審者としてつかまったのかと戦々恐々としていた良也は、それをきいてほっと一息ついた。 「ありがとうございます」 「ぐす……ありがとう……」 良也と藤崎はそういいながら、温かいお茶をすする。なきはらした藤崎には、それがとても滋味深い薬湯のようにしみじみと体にしみいるものであった。 「しばらく休んでいくとよい、私は表にいるので、なにかあったらよんでね」 そういいながら、警官は部屋から出て入口近くのデスクに戻る。交番奥の休憩室には、良也と藤崎が残された。 「ふう、人心地ついたね」 そういいながら良也は一息つく、予想外の展開の連続に良也は疲れ切っていた。 「しかし、どうしたんだ藤崎?悩み事なら相談してくれよ、僕はお前たちの担任なんだから」 良也のその言葉に、藤崎は苦笑する。なんもかんも朴念仁のお前が原因だよこの野郎!と声を大にして叫びたかったが、そうなったら栞への発破とか己の覚悟とかいろいろ台無しになるのでぐっと飲み込む。 「いや、そのねぇ、あれだよ、あれ、思春期の乙女には色々あるんだよ、色々とね」 あはは、と藤崎はごまかすことにした。だが、良也も藤崎の号泣を見た手前、そう簡単には引けぬ。 「色々ってお前な……何かひどいことがあったんじゃないのか?誰かに乱暴されたとか、いじめられたとか、言いにくい悩みがあるんじゃないのか?」 その言いにくい悩みはお前だよ、お・ま・え!藤崎の脳内では内なる藤崎が全力で叫ぶが、目の前の男はみじんもそれに気付かない。これはひかないなと早々に気付いた藤崎は、嘘ではなく事実を混ぜ込んだ話で切り抜けることとした。 「あはは、まぁ、ちょっとね、栞ちゃんと喧嘩しちゃってね……」 「高宮と……?」 ピクリと、良也が怪訝な顔をする。藤崎と栞が喧嘩するなぞ、良也には想像がつかなかった。 「まぁ、向こうは喧嘩とはおもっちゃいないと思うけど、思うところがあって思いのたけをぶちまけたら一方的な喧嘩みたいになっちゃってね、あたしはなんというか、いろいろ情けなくなっちゃってねぇ……おもいっきり走ってストレス発散してたの。あ、内容については聞かないでね、少なくとも(良也の社会的信用以外に)危険なものじゃないから」 たはは、と力なく笑いながら頬をかく藤崎。ある程度事実をまぜてあるので、ある程度説得力のあるものになっていた。無論、括弧の中身は話していないが。 その言葉に、良也はふむ、とうなずく、藤崎の話からはぼかしはあるものの、大筋としては正しそうだと感じた良也は、話の続きを促す。 「それで、どうするんだ藤崎?」 「大丈夫大丈夫、さっきもいったけど、栞ちゃんは多分喧嘩とは思ってないし、わたしも色々ぶちまけて踏ん切りはついてるから、すぐに元通りになるよ」 「そうか……もし助けが必要ならすぐにいうようにな?」 「わかってるわかってる……ああ、でも一つだけお願い」 「うん?」 そういうと、藤崎は少々気まずそうに続けた。 「放課後の勉強会、あたしは遠慮する事にするよ、色々ぶちまけた手前、流石にしばらくは栞ちゃんと顔合わすのきついし、当初の目的の成績向上もうまくいったし、ここいらであたしはもういいよ」 そういいながら、藤崎は少々ぬるくなったお茶をすする。本音6割、建前4割の言葉故、筋は通っているし、説得力自体はあった。 故に良也は、多少いぶかしみながらも、それを受け入れることとした。 「……わかった、高宮には藤崎はしばらく休むって伝えておこう、ただ、席は空けておくからまた勉強したくなったらすぐにいってくれよ?歓迎するから」 「あいあい、ありがと、いっちーせんせ」 いつも通りの軽い口調で藤崎は良也にそうつげると、ぐいっとのこりのお茶を飲みほした。 「そいじゃ、おちついたし、かえりますか」 「大丈夫か?家まで送ろう」 そういいながら立ち上がる良也に、藤崎はチッチと指をふる。 「おっと、昔から言うでしょ、男はオオカミなのよって、あたしは送りオオカミはごめんだよ、いっちーせんせ」 「お前な……」 藤崎の元気そうな軽口に、良也はそこでとまってしまう。そこをみのがさず、さっと部屋を出ていく藤崎。 「じゃーねーいっちーせんせー、また学校でね」 「あ、こら!」 良也が部屋を出た時には、ひらひらとこちらに手をふりながら、藤崎は派出所を出てしまっていた。警官にお礼を言って良也が派出所を出たころには周囲に藤崎の姿はなかった。 *** ここで藤崎の軽口を封じて、家まで送れないあたりが、まだ教師として若い良也の限界であった。教師としては、教え子を家に送るべきであったのだ。 だが、本当に藤崎は一人でも大丈夫だった、むしろ、一人の方が都合がよかったといってもよい。藤崎という少女は、とにもかくにも前向きな人間である。敗れた恋にいつまでも耽溺するするような人間ではないのだ。 泣いて、泣いて、泣いて、すっきりしたならまた前を向いてしっかり歩き出せるような、強い人間なのである。多分、いや間違いなく、良也よりも果断で、はっきりとした、力強い心をもっている。 「まったく、朴念仁も大概にしろっての」 良也の前でおもいっきり号泣したせいで、藤崎の心はすっきりとはれわたっていた。藤崎の恋は、はっきりと終わりを告げたのである。 「ま、明日は明日の風が吹くってね、あーあ、どっかに素敵な恋はころがってないものか」 恋に破れた少女は、また一つ、大人へと近づいたのだ。これもまた一つの人生経験、負け惜しみではなく本気で、次はもそっと気の利く男に惚れたいもんだと思いながら、藤崎は家路を歩く。 仮の話だが、もし藤崎と良也がくっついていたならば、なんだかんだで相性の良い二人はそれなりに幸せな人生を歩めただろう。だがそれはもう誰にとっても意味のないIFの話でしかなかった。もしももしもを重ねて悩むのは、藤崎の性に合わぬ寄り道でしかないのだ。それならば、前を向いて次の話へ進むのみである。 また一つ人としての魅力をました藤崎は、未練なくすっきりとした足取りで夕暮れの街を歩く、その姿はとても溌剌とした魅力にあふれており、藤崎の洋々たる前途を暗示させていた。 そして、藤崎の恋の終わりとともに、物語は栞と良也の元にもどる。藤崎の発破により停滞していた二人の物語は、新たな局面を迎えるのだ。 *** ー 9月初頭、某日 ー まだまだ暑いこの時期ではあるが、良也のいる教室は冷暖房が完備されており、過ごしやすい状態を維持されている。 ホームルームの教壇にたつ良也は、配られた文化祭に関するプリントを見せながら説明をしていた。 「皆も楽しみにしているだろう文化祭は来月の頭にあるからな、高校生最後の文化祭だ、精一杯楽しむように」 夏休みも終わり、休みボケで弛緩した雰囲気の皆が、良也の言葉ににわかに沸き立つ。各々隣の生徒と文化祭について和気藹々と話していた。 「今月半ば位にはもっと詳しく内容を詰めていくから、それまでにどんなことをやりたいか考えておくように、当たり前のはなしだが、公序良俗に反するような事は駄目だからな?では、解散!」 良也の号令で授業は終了し、放課後になった。 「先生!」 「うん?」 荷物を纏めて職員室に戻ろうとする良也は、高宮に呼び止められて振り返った。高宮と話すのは先日の部活以来だが、良也はその時に比べてどこか違和感のある力強さを感じた。 「どうした高宮?」 「これ、忘れ物です」 そう言いながら、中身の見えない茶封筒を高宮が渡してくる。良也はそれに見覚えが無かったが、高宮が嘘をつくとは思えず、自分は何を忘れたのかと首をひねる。 「うん……?忘れ物ってどこにあったんだ?」 「えっと、以前部活の時に忘れてあったんです」 「ふむ……?わかった、ありがとう高宮」 良也は、多少の引っ掛かりを覚えたものの、とりあえず封筒を受け取り、職員室にもどった。 *** 「うん……なんだこれ……?」 職員室にもどった良也は、糊付けされているわけでもない茶封筒をあけ、中身を取り出す。すると、今度は封のされた手紙がでてきた。 「『土樹良也さんへ』って事は僕宛だよね?」 本格的に見覚えのない手紙に混乱しながらも、自分宛の手紙だったので、ベリベリと封を剥がして中身を取り出す。 「えっと……ん?高宮からじゃん、何でこんなに回りくどい事を」 手紙は高宮からの物だった。話したい事があるから、放課後、部活の終わった後に教室に来て欲しいという物だった。 *** なんで手紙で、しかも空き教室になんて呼び出すんだろう、と、手紙を読んだ良也は本気でわからなかった。 故に良也は、なにかまたオカルト系のトラブルにでも巻き込まれて相談でもしたいのかな、と、軽い気持ちで教室まで出向いた。 朱に染まる学舎をゆっくりと歩く良也は、ふと自身の状況が昔憧れた告白のシチュエーションみたいだなと思ったが、まさかね、と軽く笑って教室の扉を開く。 暮れなずむ夕焼けの明かりが差し込む教室。 よく知った相手からの手紙で呼び出された良也は、特に気負った風もなく、教室に入る 眼前には、公私ともに交流の深い一人の生徒がいた。 「……来てくれたんですね」 高宮栞が、夕暮れに顔を赤く染めてたっている。放課後の誰も居ない教室に、栞の言葉は良く響いた。 「まぁ、高宮に呼ばれたらそりゃ行くよ、一体どうしたんだ?わざわざ放課後の教室に呼び出すなんて、これじゃまるで……」 告白みたいじゃないか、その言葉は、出てこなかった。否、出せなかった。 ゆっくりと近付いてきた栞の様子に気付いたのだ。栞の顔は、夕暮れだけでは説明のつかないほど、赤く成っていた。緊張と興奮で緩む目元が、先程自身が発しそうになった言葉を情況証拠として補完していた。ここに来てやっと、良也は最初から考慮にすら入れていなかった『栞からの告白』と言うものに、現実味を感じ初めていた。 「た、たかみ……」 「『栞』です」 高宮は、良也の言葉を遮った。 「今の私は、先生の生徒の『高宮』ではなく、ただの『栞』です、名前で呼んでください」 「栞……ちゃん……?」 「はい、どうしましたか?」 有無を言わせぬ、とはこの事を言うのだろう。場の主導権は最早、栞の掌の上であった。流石は、大財閥高宮の娘である。 良也は、自身が虎の口のなかに進んでいるような、後戻りの出来ない坂を転げ落ちていくような錯覚を感じていた。 「そ、それで、何のようだったんだ?栞ちゃん?」 その言葉に、栞は、赤くなり俯く、しばらく、そうして呼吸を整えたあと、キッと覚悟を決めたように良也の方を向く。 「わ、私は、高宮栞は……」 つっかえながらも、まっすぐ、良也の目を見ながら、栞は言い切る。 ーーーーーーー貴方の事が好きですーーーーーーー そのまっすぐな覚悟の籠った視線が、自身が告白されているのだと、鈍い良也をして納得せしめる説得力があった。 空いた窓から風が吹き抜ける、まるで良也の心情の様に、置きっぱなしになっていた本のページが風に煽られて翻った。 良也と栞 後編へつづく |
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