「はあっはあっ……あーもう、マジかよぉ!」

「ま、誠隆さん、ひ、左ですー!」


 奔る。趨る。走る。

 翔る。駈ける。駆け抜ける。

 生まれて初めて出した気がするくらいの全速力で、誠隆は右脇に大妖精を抱えながら元来た道を懸命に戻っていた。

 それは何故か。答えはいたって簡単だった。


「待てっていってんでしょうがゴラァ!」

「うわぁ!?」


 命を狙われていたからである。

 後方からは馬鹿でかい針やら光弾やらが無数に飛んでくる中、誠隆はそれらをすれすれのところで奇跡的に回避しながら走る。

 かすり傷で着ていたスーツはボロボロ。誠隆の身なりは、見るも無残な姿に変貌していた。

 だが、それで済んでいるだけでもマシだ。

 誠隆が避けた後の道は、岩が粉砕され、地面が抉れ木々がなぎ倒され、驚異的なスピードで環境破壊が進んでいる。

 明らかに刺さったら痛いとか当たったら怪我するとか、それくらいで済むレベルではないのは確実だった。

 正直、いい加減誠隆は頭にきていた。あまりにも理不尽すぎること対してももちろんだが、自分ではどうすることも出来ない無力差にも怒り心頭だった。

 しかし、今の誠隆に出来ることといえば後ろに向かって惨めに叫ぶくらいで。


「死ぬわバカー!」

「せっかく半殺し程度で済ませてやろうと思ってたけど、バカって言ったから殺すわ」

「逆効果だった!?」

「誠隆さーん!?」


 本当に惨めだった。惨め過ぎて、誠隆は泣きたくなった。

 どうしてこんなことに。何で、自分がこんな目に。こんな理不尽、馬鹿げている。

 この幻想郷に誠隆が飛ばされてから、まだ数時間くらいしか経っていないが何度そう思ったか分からない。

 確かに疑われるようなことをしたのは悪かったとは思う。だが、人の話も聞かずに一方的にこの仕打ちは酷過ぎるんではないだろうか。

 ようやくひと心地つけると思っていたのに、この状況。

 もう、誠隆の頭の中はどうにでもなれ状態だった。

 だが、だからと言って痛いのは嫌だ。それに自分のせいで巻き込まれた大妖精に怪我をさせるわけには行かない。

 そんな訳でとりあえず誠隆は逃げてはいるのだが、このままだと明らかにジリ貧なわけで。

 体力も既に限界が近づいており、気合と根性だけで走っているのが現状であった。


「賽銭泥棒は死すべし!」

「だから盗んでないってー!」


 ちなみに、どうしてこうなったかというと。

 時は数十分前に遡る。





 …





「ここです。ここが博霊神社です」

「よ、ようやく着いた……」


 大妖精の言葉に安堵して、誠隆は崩れ落ちるように地面に手をついた。

 最近まともに運動していなかったのが災いしたのか、来る途中でへばってしまったのである。

 色々あったため体力を消耗していたというのもあるが、一番の大きな理由は現代人であるが故の弊害とでもいうべきだろう。

 "運動不足"

 道が入り組んでいたり、舗装されていない道に慣れていなかったのが悪かったらしい。

 さらに言えばいつ何時化け物に襲われるかもしれないと、緊張していたため無駄に体力を消耗してしまったようだ。

 情けないとしか言いようがないが、流石にこんな事態に前もって備えておけるはずも無いのだから仕方ない。仕方ないのだと誠隆は自分に言い聞かせた。

 大妖精が息を整えたりすることもなく、ケロっとしているのを見ると少し複雑だったが。

 まあ、相手は人間ではないので、体力の差を測るのは根本的に間違っているのかもしれない。

 誠隆は、今度から少しくらい運動しようと決意を新たにするのであった。


「それで、ここに住んでる巫女さんがどうにかしてくれるの?」

「はい、色んな意味で凄い人なのでどうにかしてくれると思います」


 何だか大妖精が遠い目をしたのは、気のせいではないはずだ。

 一体、どんな人物なのだろうか。

 気になる。興味があるとかそういう意味よりも、どちらかと言えば身の危険の方で気になる。

 幻想郷に来て――いや、来る前からここの住人でまともなのは大妖精以外、出会っていないのだ。

 大妖精はかなりまともで良い子だと分かるが、胡散臭い女叱り人食い妖怪叱り。

 恐らくこんなもんじゃないのは、大妖精との会話の中からでも何となく察せる。

 やはり聞いておくべきだろう。

 誠隆は、出来るだけにこやかに笑みを浮かべたつもりで尋ねてみた。


「たとえば、どんな風に?」

「そ、それは……それは、その……うう!」

「えぇ!?」


 突然顔を真っ青にして、小刻みに震え始めた大妖精に誠隆は驚く。

 本当に、一体何があったというのだ。

 生まれてこの方、誰かがこんなに何かに怯えて震える姿なんて見たことが無かった。

 大妖精に、これほどまでトラウマを植えつけたその巫女。

 誠隆は何だか聞くのが怖くなってきた。


「あ、あの、大ちゃん何だか分からないけど無理しなくても……」

「……誠隆さんは消し炭にされたことありますか?」

「は? い、いや、そんな特殊な経験は無いけど」

「えへへへ……消し炭にされるとですね、痛みはないんですよ。一瞬なんです。いつの間にか復活してるんですよ。でもですね、直前まで死の恐怖はあるんです。ふふふふふ……もう、思い出すと笑いしか」


 突如、笑い出した大妖精は何だか目からハイライトが消えている気がする。

 押してはいけないスイッチを入れたのか。

 大妖精は、しゃがみこんで地面に『の』の文字を書き始めるとぶつぶつ一人で何か言い続けている。

 正直、今は大妖精の方が怖かった。


「いくら異変解決のためとはいえ何もしてないのに出会いがしらに消し炭なんて正気の沙汰とは思えませんよね」

「だ、大ちゃん、そろそろ落ち着こう」

「馬鹿でかい針で貫かれたときなんか体の中の色んなものがぐちゃぐちゃになった感覚が一瞬あるんですけど、やっぱり即死なんで気がつけば復活してるんです」

「大ちゃん、もういい! もういいから!」

「それでですよ、中途半端に生きてたときなんか、むしろ死にそうなんでひと思いに消し炭にして楽にして欲しいといいますか――」

「ていうかお願いやめて! 怖いから、もうやめて! 土下座でも何でもしますからやめてください大妖精さま!」

「――はっ……ご、ごめんなさい。取り乱しました」


 意識が飛んでいた大妖精を必死に揺り動かすと、ようやく正気に戻ってくれた。

 大妖精を、ここまで狂わす巫女。

 今のでよく分かった。どうも下手に敵に回したりしないように、注意する必要があるようだ。

 妖精は復活するからまだどうにかなるとして……人間にも同じなら正直、目をつけられたら命がいくつあっても足りない気がした。


「では、行きましょう」

「あの……大ちゃん、大丈夫? 怖くない?」

「平気です。まさか異変でもないのに私を殺したりはしないと思いますから。一匹だけ飛んでるただの羽虫にわざわざ殺虫剤を吹きかけたりしないみたいに」

「そ、そう……」


 真顔でそんなことをいう大妖精に顔を引きつらせながら、後に続く。

 大妖精は、神社の裏手に回るようだ。

 ついていくと、障子の戸が見て取れた。

 どうも居住スペースが神社と一体化しているようだ。

 正面から見るとそこまで大きくは感じなかったが奥行きが結構あるようでまあまあ広い。

 結構、由緒正しい神社なのかもしれない。

 しかし、どうも部屋の中からは、人の気配が感じられない。明かりもないようだ。

 誰もいないのか。

 大妖精も同じ考えなのか、戸をノックしたりしているが人が出てくることはなかった。


「……お出かけ中かな」

「そう、みたいですね」


 どうやら、無駄足だったようだ。

 ここまで来て、誰も居ないというのも拍子抜けである。

 待つという手もあるが、流石にこれ以上遅い時間になるのは相手に迷惑だろう。

 出来るなら、あまり悪い印象を与えたりはしたくない。

 とりあえず、今日のところは、素直に出直してくるのがよさそうだ。


「仕方が無いので、今日は人里に行きましょう」

「何だか、ごめんね。大ちゃん、関係ないのにつき合わせてばかりで」

「うーん……まあ、乗りかかった船ということで。あまり気にしないでください」


 そう言ってくれる大妖精に感謝しながら、神社を後にしようとする。

 そして、大妖精の後に続いて神社の目の前まで戻ってきたとき、誠隆は賽銭箱と鈴が目に入った。

 神社といえば神頼み。

 これからのことが上手くいくように、神様にお願いしていくのも良いかもしれない。ふと、そんなことを思いついた。

 気休めかもしれないが、何となくここの神社は他と違うようなので試してみたくなった。

 誠隆は財布を取り出すと、小銭入れから丁度あった5円玉を取り出す。

 別にケチっているわけではないが、やはりお賽銭といえば5円玉のような気がした。


「お参りしていくんですか?」

「うん、まあせっかく来たんだし良いかなってね」


 手水舎で口と手を清めると賽銭箱の前に移動して5円玉を放り投げ、鈴を鳴らして二拝二拍手一拝。

 お参りの仕方は確かこんな感じだったと、あやふやな記憶を頼りにやってみた。

 お参りしてみると、何となく気分が晴れた気がするのは不思議だ。

 ようは気の持ちようなのかもしれないが、こういうのも重要なんだと思った。


「ここの神社、あまり参拝客がいないので滅多にお賽銭入らないんですよね」

「そうなの? 綺麗にしてあるから参拝客、結構居そうだけど?」

「えっとですね。ここ、巫女さんにあまり信用がないというのもありますが、それ以前に妖怪とか妖精とかがよく来るので敬遠されているといいますか……」

「それは……災難だ」


 ここで人を襲ったりする猛者はいないんですけどね、と大妖精。

 そんな命知らずは、流石にいないということか。

 だが、普通の人間にはそんなことは分からないのだ。やはり人間にとって危ない存であることに変わりはないということか。

 巫女に信用がないのも問題だが、やはり一番大きな問題はそういった恐怖なのだろう。

 となると財政とかも、結構大変なんではないだろうか。

 先ほど5円しか入れなかったが、もう少し入れたほうが良かったか。

 誠隆は、中身を確認しようと財布を開ける。


「あれ? それ……」

「ん? 何?」

「それ、誠隆さんのお金ですか?」

「うん、そうだけど。それがどうかした?」

「それ、たぶん幻想郷じゃ使えないと思います」

「……中身、確認してもらっていい?」

「はい」


 とんでもない一言が、大妖精の口から飛び出た。

 大妖精は誠隆の財布の中身を確認しながら、首を捻っている。

 笑えない冗談だ。

 だが、冗談を言っている雰囲気ではない。大妖精の表情はいたって真剣だ。

 正直そこまで考えは回っていなかった。しかし、考えてみれば確かにありえることで。

 誠隆は、何だか気分が悪くなってきた。


「やっぱり、幻想郷じゃ見たことのないお金です」

「……マジ? 例えば、これ1円玉なんだけど?」

「1円玉ですか? 1円札じゃなくて?」

「い、1円札だって?」


 通貨が円なのは同じのようだが、大妖精は1円札は知っていて1円玉を知らないらしい。

 誠隆も1円札があるのは知っているが、出回っていたのは相当昔のことだ。今でも現存はするだろうが、珍しいはず。誠隆自身、現物なんて見たことはない。

 一体、幻想郷の貨幣はいつの時代のものなのか。

 神社があることや貨幣の単位が同じところを見る限り、ここが日本であることは何となく察しているのだが違う点が多々ある。

 疑問が募る。この疑問を解決するには、やはり巫女に頼るしかないようだ。

 それにしても、どうやら誠隆は巫女のとっては、ただの鉄くずにしかならないものを賽銭箱に入れてしまったらしい。

 たぶん、金属としての価値も全く無いと思われる。

 一瞬、賽銭箱に諭吉の一枚でも入れておこうかとも思ったのだが、どうやらそれも無駄のようだった。

 使えないなら硬貨よりもむしろ価値がないと思われる。外の世界の紙幣なんて、使えないならただの紙くずとなんら変わりない。

 というか、賽銭以前にとんでもない事実が浮上しているわけだが。


「ていうかオレ、外の世界のお金しかないけど、もしかして幻想郷だと無一文?」

「そう、なりますね」

「なんてこったい」


 当面は、資金問題にも苦労せねばならないらしい。

 人里に出たら、まず仕事を探すのが第一目標のようだ。

 こんな異常事態でも就職活動しなくてはならないとは。憂鬱だった。

 とりあえず、仕事を見つけるまでの資金だけでも稼げればと売れそうなものはないか色々探してみるが、あるのはハンカチ、ティッシュ、携帯電話、財布、ガム、そしていつも持っているお守りくらい。

 本当は、腕時計とか色々売れそうな品物も面接のときに持っていたのだが、今は全部、鞄の中にある。

 その鞄は、いつの間にか行方不明だ。うざったくてはずしたのが運の尽か。恐らく鞄は森の中。しかし、戻れるはずもない。

 ため息を吐きながら、お守りをポケットに仕舞おうとするとそれを見た大妖精が首をかしげた。


「それ、何です?」

「これ? これは、お守り」

「変わった形のお守りですね」

「ああ、まあ、お守りというか銃弾だし」

「じゅ、銃弾ですか?」

「うん、火薬は入ってないけどね。父さんが、こういうの好きだったんだ。で、小さいときに貰ったんだよ」


 驚く大妖精に苦笑しながら、誠隆はその銃弾を手の中で転がした。

 ある意味、形見とでもいうべきか。

 モデルガンなどを集めるのが趣味だった父親が『魔よけ』だからとくれた品物がこれだった。

 前に気になってインターネットで調べたら『.45ロング・コルト弾』というものだと分かった。

 父親が、一番好きな銃で使える銃弾だったらしい。ただ、本物ではないようだった。

 元から装飾用の細工がしてあるようで、銃弾の表面には文字やら模様やら色々彫ってあり、弾自体の素材もどうやら銀を使ってあるようなのだ。

 素材からしてまさしく魔よけ。しかも、銀の銃弾とくればファンタジーでよく魔物退治とかで使われる奴である。吸血鬼なんかにはよく効きそうだ。

 実は、ここに父親のもう一つの趣味が組み合わさっていたりするのだ。

 銃と同じくらい、父親はオカルトが大好きだったのである。

 父親は魔術や科学では説明できない怪奇現象、邪神崇拝の歴史とかそういうのを調べるのが楽しかったらしく、家には大量にオカルトグッズや本を持っていた。

 小さいときは、そんなグッズを見せられるたび夜中に怖くなって母親のベットに潜りこんでいたのは良い思い出だ。

 この銃弾はある意味、父親らしい贈り物だったんだと今更ながらに思った。

 そういえば、自慢げにオカルトグッズを見せていた父親が、突然現れた満面の笑みを浮かべた母親に別の部屋に連れて行かれると、数十分後虚ろな瞳をして部屋から出てきたのを見たことがあった。

 その後に続いて、何事もなかったかのように満面の笑みを浮かべたまま部屋から出てくる母親。

 アレは、たぶん深く考えない方がいいのかもしれない。小さいころは疑問だったのだが、今になって何となく分かった。


「そうだ、これ銀で出来てるんだよね」

「えーと、流石に形見を売るのはやめておいた方が……」

「だよね……」


 一食分くらいにならないだろうか、とか邪な考えが頭をよぎるのを必死にかき消す。

 背に腹は変えられないともいうが、幾ら何でもこれを売るのはやめておいた方がいいだろう。

 それにしても、お金がないとこんなにも不安になるとは。

 心にゆとりを持つにはお金というのも、やはり重要な存在なのだと認識した。

 お金がなくても生きていけるとか幸せだとかいう人間でも、多少は持っているわけで。

 文無しは、流石にないわーと誠隆は思った。

 仕方ない。

 ここで悶々としていても埒が明かない。いい加減、人里に向かおう。

 そう思って誠隆が銃弾を、再度ポケットに仕舞おうとした時だった。

 不注意からポロッと手から銃弾を落としてしまった。

 しまったと思ったときには既に遅く、銃弾は重力に引かれて――運悪くそのまま賽銭箱の中に落ちた。


「うぁ」


 やってしまった。

 よりにもよって、賽銭箱の中とは最悪である。

 取り出したいのだが、神社には今誰もいないわけで。

 どうしたことか。

 明日まで待って事情を説明して取ってもらえばいいのだが、大事なものではあるのでそのまま放置というのも気が引ける。

 賽銭箱の中を覗き込んでみれば、銃弾とさっき入れた5円玉以外には何も入っていない。

 これはある意味好都合だった。


「やるか」

「え?」


 おもむろに賽銭箱の近づくと、誠隆は真下に手を突っ込んで持ち上げた。

 誠隆が突然そんなことをしたものだから、大妖精が驚いて声を上げる。


「な、何やってるんですか!?」

「何にも入ってないから、ひっくり返そうかと思って」

「ダメです! あの人に見つかったら大変なことに!」

「大丈夫だって。帰ってくる気配もないし」


 顔を青ざめて錯乱しながら、誠隆の腰に抱きついてくる大妖精。

 必死に止めようとしてくる大妖精を誠隆はなだめる。そもそも腰に抱きついても逆に身動きが取りづらくて、あまり意味が無いような気がするが。

 まあ、確かに大妖精のいうとおり見つかったら色々誤解される姿だとは思うが、まさかこんな絶妙なタイミングで帰ってはこないだろう。

 神社の石段の方を確認してみるが人がやってくる気配はない。

 大妖精は色々トラウマがあるようなので、警戒してしまうのも仕方ないのだろうが。

 直ぐに済むのだ。さっさと終わらせてしまえばバレはしない。

 そう楽観的に考えていたのが間違いだったのだと、誠隆はそのとき気がつけなかった。

 幻想郷という場所において常識人の大妖精が恐怖を露にするほど危険な存在を真剣に警戒していなかったこと。

 それが、そもそもの失敗だったのである。


「違うんです! あの人は! あの人はこういうときに限って帰って来るんで――」

「……へぇ、私を前にして神社の賽銭を箱ごと盗もうとするなんて対した奴ね。感心するわ」

「――終わった」

「……え? え?」


 ふと何処からともなく声が聞こえたと思ったと同時に、地面に膝をつく大妖精。

 誠隆は何が起こったかわからないでいると、背後から何だか今まで経験したことの無いようなプレッシャーを感じた。

 これが、もしかして"殺気"というものなのか。

 漫画とかアニメとかでよく殺気を感じるとかいうが、今日何となくその意味が分かった気がする。

 誠隆は本能的にそれを感取るとゆっくりと後ろを振り向いた。

 そこに居たのは一言でいうならばまさしく――巫女服を着た"鬼神"だった。

 手には馬鹿でかい針。手にはなんらかの札。それらから、何だか明らかに人を消し炭にしそうな力を感じるというか。

 これは、確かにヤバイ。大妖精が言っていた通りにヤバイ。

 体中から変な汗が出ているのが分かる。逃げたい。しかし、逃げられる気がしない。

 そして、その鬼神は空気が揺らぎそうな程の殺気を纏わせながら、それはそれは不気味な笑みを浮かべると誠隆に向かって"宣告"したのであった。


「死ね」


 そうして、一番初めに戻る。





 …





「誠隆さん、大変です!」

「何!? 今度は何!?」

「このまま、行くとルーミアちゃんが待ってる場所に出ちゃいます!」

「な、なんだって!?」


 次から次へと休む暇も無く厄介事が舞い降りるものだ。

 予定ではルーミアと会うのは大分先のつもりだったので、何の対策もしていない。

 まだ待っているであろうルーミアの前に、何も持たずに出るのは自殺行為としか思えなかった。 

 まっすぐ行ったら死。そんなことは分かっている。

 しかし、だからと言って後ろに戻っても死なのはいうまでもないわけで。

 未だに背後で恐るべき勢いで進む環境破壊は、とどまるところを知らない。

 真横に逸れれば、とか考えるがそんな些細な隙を見せれば死ぬ。それほど切羽詰っているのである。

 こうなれば、ここはもう危険度でどう進むか考えるしかない。

 危険なのは、危険なのは――どう考えても巫女だった。

 思考すること0.1秒。恐怖の度合いが桁違い。ルーミアで記録更新された死の恐怖が数時間で塗り替えられたのだから。

 いや、考えるまでもなかったのだが。


「このまま突っ切る! それが一番安全な気がする!」

「わ、分かりました」


 そうして、開けた場所に出る。

 そこは、誠隆たちがついさっきまで居た場所で。

 案の定というべきか、ルーミアが居た。

 しかも、丁度座れそうな岩に腰掛けて呑気にうたたねしているではないか。

 この爆音が響く中を、よくもまあ気持ち良さそうに寝ていられるものである。

 しかし、これは好都合ともいえる。このまま通り過ぎれば逃げられるかもしれない。

 そして、その後、巫女の猛攻にでも巻き込まれてくれれば万々歳だ。

 どうにかこうにか、運が巡ってきたか。

 このまま突っ切れば、巫女から逃げる方法も何とか見えてくるかもしれない。

 ルーミアからは逃れられる。


「でもなぁ……」


 そう、逃げられるのだが……それはそれで後味が悪い気がした。

 女の子は全力で守れ、というのが死んだ祖父の口癖だった。しつこいくらいそれは教えられた。

 とか何とか言いつつ、自分は女にだらしなかったせいで祖母にはいつも折檻を受けていたが。

 良い年こいて何を考えていたのか。説得力が皆無だ。しかも、死ぬ直前までそんな感じだったので、元気な人だった。

 だが、まあ、祖父のその教えは決して間違いではないのは分かる。


「流石に、そこまでやると幾らなんでも人間としてクズだしなぁ」

「え?」

「いや、こっちの話。てなわけで、あの子も担ぐから大ちゃん備えてね」

「えぇ!? どうしてです!?」

「気まぐれかな!」


 誠隆は全速力で一直線に走り出すと、すり抜けざまにルーミアを左脇に抱えて走り出した。

 その衝撃に、流石のルーミアも目を覚ました。

 そして、周囲を見渡してから首を傾げる。


「な、なんなのかー!?」

「気をつけてしゃべらないと下噛むぞ!」

「あ、さっきの食べ物くれる人じゃない。食べ物もってきてくれたのかしら?」

「後ろを見るんだ! 今は、それどころじゃないから!」

「え?」


 寝起きのルーミアは何がどうなってるのか分からないのか、誠隆に言われたとおり後ろを見る。

 そして、固まる。

 それから数秒、微動だにしないと思っていたらルーミアは誠隆の頭にしがみついた。


「に、逃げてー!」

「もう、逃げてる!」


 どうやらルーミアも巫女の恐怖を身を持って体験しているようだ。説明する手間が省けて助かった。

 とまあ、こんな風に男らしい行動に出た誠隆だったのだが、いくら少女とはいえ両脇に2人も抱えて走るのは色々無理があるわけで。

 ただでさえ限界に近かった誠隆の体力は、根こそぎ持っていかれた。既に息も絶え絶えだ。

 しかし、巫女の猛攻は全く衰える様子がなく。

 何というか、そろそろ人生のエンドロールでも流れてくるんじゃなかろうか。

 どうにかして、巻き込んでしまった大妖精とルーミアだけでも無事に逃がしたいところだが巫女はそれを許してくれそうになく、まさに万事休すであった。


「はぁはぁ……ぐっ」


 そんな時であった。力を込めたつもりが、足に力が入らずに体を支えきれなくなる。

 それと同時に体の勢いを殺しきれず、前にバランスを崩した。

 とっさに踏みとどまろうとするが、どう頑張っても足がいうことを聞かない。

 もう、体力は限界に来ていたのだ。後先考えずに考えずに、でしゃばった結果がこれか。

 遅かれ早かれ、結末はこうなっていたのかもしれないが。

 まるで、スローモーションのように近づいてくる地面。

 顔面から突っ込むのが先か、後ろから消し飛ばされるのが先か。

 もうダメだ、と誠隆が目を瞑ろうとしたそのときだった。


「ルーミアちゃん飛びます!」

「わかったー!」

「へ?」


 突然、ふわりと感じる浮遊感。

 それに気がついて閉じかけた目を開いたときに誠隆に見えたのは、綺麗な満月と星が瞬く夜空だった。

 何が起こったか理解できない誠隆は、どんどん離れていく地上を眺めながら唖然としていた。

 飛んでいる。

 そも、飛ぶことが出来ない人間にはそれがどうしてかを理解するのに時間がかかるらしく両脇の大妖精とルーミアの力だと分かるのに10秒ほど要した。

 羽を広げる大妖精と、何事も無かったかのように飛行するルーミア。

 幻想郷、あなどりがたしだった。

 というか、これは走って逃げる必要は2人にはなかったということになるのか。

 明らかに飛ぶスピードは走るスピードより早い。

 つまり、誠隆は自分1人で空回りしていただけということで。

 無駄に2人を危険に巻き込んだだけということで。


「もしかしてオレって、ものすっごいかっこ悪い?」

「え? 何がです?」

「どういうことなの?」

「いや、何でもない……何でもないよ……」


 恥ずかしかった。

 あまりにも自分の行動が馬鹿らしすぎて誠隆は2人をまともに見れない。

 今が夜で良かったと誠隆は思う。何故なら、みっともなくて2人に顔向けできないから。

 とはいえ、これでようやく逃げ切れるのかと思うと安堵のため息も出る。

 流石の巫女も空の上までは追ってこないだろう。

 あの木が鬱蒼と生い茂り空もまともに見えないような森の中にいながら、こちらを狙い打つのは至難の業のはずだ。

 いくら、あの規格外の破壊力を持つ巫女と言えど、どうしようないだろう。このままいけば何とか逃げ切れる。

 そう楽観的に考えていた時期が誠隆にも数秒あった。

 ふと念のために後ろを見たとき、誠隆は思わず自分の目を疑った。


「逃げるなぁぁぁぁあ!」

「あの人、飛んでるんですけどー!?」


 人が空を飛んでいる。

 あの巫女は人間だと聞いていたのだが、聞き間違いだったのだろうか。

 ありえない。ありえないがコレが幻想郷クオリティだと言われると、納得せざる得ない。

 人が空を飛ぶなど理不尽極まりないが、もうどうしようもないわけで。

 恐ろしい速度でこちらに向かってくる巫女の手に握られた凶器は、明らかに誠隆達に向けられている。

 そして、空にはもちろん隠れる場所なんてない。

 これは詰んだ。何となくそれだけは悟った。


「もう追いついて!? 早すぎる……! ルーミアちゃん、もっと速度を!」

「こ、これが限界なのよ!」


 それでも必死に自分を見捨てずに飛んでくれている大妖精とルーミアに誠隆は感謝しつつ頭を垂れた。

 もう直ぐ会えるであろう祖父母と、もしかしたらいるかもしれない父と母に思いを馳せながら。


「しゃあああああ!」

「グッバイ、マイ人生」


 放たれる光の濁流。純粋な破壊の力。

 その圧倒的な力の前にはどうすることも出来ず。

 避けられない。

 そう悟った瞬間、光の弾幕に飲み込まれ誠隆の意識は途絶えた。



戻る?