//.人里

 地獄の鬼は是非曲直庁からの指示を完遂し、歩き出す。
 指示、幻想郷に現れた不審な霊体の確保と、是非曲直庁での審議。
「にとりっ!」
 霊体、彼は呼びかけ手を伸ばす、だが。指示は指示、確実に実行する。
 それが、是非曲直庁に務める鬼の役割なのだから。
「や、やめてよっ!」
 倒れた河童が手を伸ばす。手を伸ばし、足を掴む。その手を蹴り飛ばして振り払う。
 赤く腫れた手、痛みはあるだろう、それでも、彼女は手を伸ばす。
「やめてっ! お願いだからっ!」
 ぽろぽろと、河童の少女は涙を零す。
「お願いだよっ! 閻魔様の意志に背くなら、私を地獄に落していいからっ!
 阿呼と一緒にいさせてよっ! お願いだからぁあっ!」
 河童の少女は必死に鬼に追いすがる。少年は手を伸ばし、少女の手を掴もうとする。けど、
 けど、……それは許されない。
「抑えろ」
 鬼の一人が河童の少女を押さえつける。少女は必死に抗うが、鬼と河童では力の差がありすぎる。
「阿呼っ!」
 押さえつけられながら手を伸ばす。けど、圧倒的な力の前に、ねじ伏せられる。地面に顔を押さえつけられ、土と涙でぐしゃぐしゃに汚れても、それでも、必死に手を伸ばす。
 けど、その手は届かない。鬼は少年の手を抑え連れ去る。

 大切な人が抑え込まれる。
 大好きな人が、押さえつけられて、………………それが、
「……にと、り」

 それが、許せなくて、……どうしても、許すことが、出来ない。
 もう少しで誓約を果たせる。そう思い、けど、すべてを失った過去のように、
 奪われた理想。奪われた大切なもの。いつかと今が重なる。重なり、かつて起きた事が、またはじまる。
 大切な友達を酷い目に遭わせる者に、向けられるのは敵意。憎悪。憤怒。――――天神の胎動が一度だけ響き、



 ――――祟り、始動。



 阿呼を押さえつけていた鬼は、阿呼を中心に、多重に発生した雷に灼き滅ぼされる。そして、
 大切な少女を押さえつける鬼に向かって、放たれる雷撃。
 河童を押さえつけていた鬼は異常事態に姿勢を上げ、河城にとりは空間を舞う紅白の蝶により放り投げられる。
 直後、雷撃が直撃。数多の雷を束ねた極大の雷撃は鬼を瞬時に塵一つ残さず灼き滅ぼし、そして、その進行先にある存在全てを滅ぼさんと駆け抜け「させるかぁああああああああああああっ!」
 博麗霊夢は雷撃を阻むように符を投擲。
 その符、霊夢の霊力が十分に込められた符は、幻想郷でも中位以下の妖怪では傷をつける事さえできない。それが、十枚。重なり結界を構築、そこに雷撃が叩き込まれる。
 爆砕の音。雷撃が結界に激突し、弾けて止まる。……けど、
「くっ、……やっぱり、さすが、ね」
 雷撃は消えない、結界を砕こうと咆哮を上げる。霊夢は符を介して己の霊力を結界につぎ込む。すでにその結界、単純な破壊力では幻想郷にいる妖怪で破れる者はいない程の強度を持つ。けど、雷撃は結界を削り砕こうとさらに咆哮を上げる。
 案の定、ではある。もともとの予想があった。その力、桁違い、と。
 結界が軋む音。零れ洩れる紫電が霊夢の手で弾け、その身を灼き始める。舌打ち、霊力をつぎ込む手とは別、左手で陰陽玉を取り出す。
 数は四つ、五指に挟み、
「いけっ!」
 投擲、陰陽玉は霊夢の身長程に巨大化し、結界を軋ませる雷撃に叩き込まれる。
 そして、爆砕。雷撃は進路を逸れ、空を駆け上る。
「つっ」
 回避成功。結界に霊力をつぎ込んでいた手は雷撃に灼かれて服が焦げている。
「あれを突き破るなんてね」
 服同様、灼け焦げて塵となった符を見据え、舌打ち、眼前には黒雲。発生した祟りは消えない。
 祟りは阿呼の意志を離れて展開する。元々祟りに当人の意志は関係ない。発動すれば、有象無象、一切合財、容赦なく、滅ぼし尽くすまで止まらない。
 黒雲から雷が見える。再度、先の規模の雷撃が放たれたら霊夢でも受けきれるかわからない。だから、
「見てないでさっさと何とかしなさいっ!」
 声、それに応じる、声。
「まったく、想像以上だな」
 八坂神奈子。黒雲の周囲に御柱が四本。叩き込まれる。
「悪いが、最初から全力で封印させてもらうっ!」
 ぱんっ、と柏手。四柱の御柱が結界となり中にいる存在を封じ込める。さらに、
「おまけだっ!」
 封印する四柱。その各御柱にさらに四本の御柱が突き刺さる。
 合計二十の御柱による封印。かつて、土着神の頂点に位置する神を封じ込めた強固な封印。
「いきますっ!」
 聖白蓮の声。御柱が構築した結界の周囲に、四天王の力が具現。鎮護国家、破滅もたらす存在を鎮め、護るための封印が中にある存在を封じ込める。
 白蓮と神奈子。幻想郷でも有数の実力者が全力で構築した封印。
「すごいです」
 神奈子に同行していた東風谷早苗が呟く。これほどの強度、破れるはずがない、と。
 破れるはずがない。……けど、

 びしっ、と音。

「つっ!」「くっ」
「う、うそ」
 早苗は思わずつぶやく。破れるはずがない、と思っていたのに、
 御柱に少しずつ罅が入る。四天王の具現もそれは同様。
 雷撃は結界を叩く。莫大な雷光。止まらない雷鳴。二重の封印を灼き削り、封じる力を粉砕しようと祟りが荒れ狂う。
「こ、これは、きついですね」
「神子っ!」
 冷や汗をかく白蓮、そして、神奈子が声を上げる。ぱんっ、と音。
「やりたくないのですけどねっ!」
 空間を構築。超高度な術を豊聡耳神子は己の実力で瞬時に実行。二重の封印ごと異なる空間に追放。
 一時の沈黙、神奈子と白蓮は崩れ落ちる。
「想像以上だな。凄まじい」
「ほんと、です。
 これ程なんて思いませんでした」
 疲弊の声、神子は溜息をついて「どちらにせよ。別の空間に追放しただけよ。何か対策、」ばちっ、と神子はその手に痛覚を得て「………………うそ?」
 ばちっ、と弾ける音を聞いて、呟く。
 ばちっ、と音がさらに弾ける。火花のような紫電。けど、それは確実にあたりに弾け、
「神子っ! あんたの術、破られかけてるわよっ!」
「空間さえ破砕するって事っ?」
 信じられない、と神子は声を上げる。だが、事実は変わらない。紫電が弾ける。それが、少しずつ増え始める。
 つまり、
「こ、のっ!」
 砕かれる前に構築した空間をはるか上空に繋げる。直後、神子が構築した空間が雷撃に灼き砕かれる。

 雷光。

「う、……そ」
 唖然、と早苗は呟く。空を覆い尽くす雷光。天地を揺るがす雷鳴。二重の封印を砕き、空間さえ灼き滅ぼした破格の雷撃。過小評価しても人里を灼き滅ぼすに足る。
「凄まじい力、ですね」
「……案の定、最悪ね」
 ぐしゃっ、と霊夢は髪を掻きあげて呟く。見上げる先には黒雲が渦巻き雷鳴が鳴り響く。
 その範囲は広がっている。このまま広がり続ければ、いずれは幻想郷すべてを覆うだろう。そして、落雷が重なれば幻想郷そのものに甚大な被害が出る。
 そうでなくとも、今の規模の雷撃が人里の中心で解放されれば人里など簡単に灼き滅ぼされる。人がいなければ即ち、幻想郷の崩壊に直結する。相手は当時の陰陽師たちが徹底して構築した清涼殿の防御さえ砕いた雷撃だ。あるいは、博霊大結界でさえ、砕かれるかもしれない。
「あ、あんな力って、……あ、あれ、阿呼さん、ですよね?
 なんであんな力が」
「阿呼、ね。……早苗、あの子供、神霊よ」
「それは、聞いてますけど、けど、神霊って」
 早苗は恐る恐る神奈子を見る。空に渦巻く黒雲を厳しい視線で見据える彼女。
 認めたくないけど、先に見た雷撃。その破壊力は神奈子の力を超えるだろう。
「早苗、あんた阿呼の名前知ってる?
 阿呼ってのは幼名なんだけど」
「へ? 名前、ですか?」
「菅公、菅原道真、ですね」
「白蓮さん?」
「最初に感じたのは錯覚ではなかったのですね。
 私が生きた時代。……宇多帝の御代。寛平の治を成し遂げ、右大臣にまで上り詰めた方です」
 そして、困ったように微笑む。
「その名は、遠く信濃、私の故郷まで届いていました。
 それに、一度、お姿を拝見した事がありました。そのころはすでに大人の男性だったので、気付きませんでしたが」
「菅原、……道真、って」
「祀る社の数、一万五千社。稲荷、八幡に次ぐ社数を誇り、天神信仰なんて言う信仰圏さえ作り出した神よ。
 天神様とか、天神地祇を差し置いて凄い名前が付けられたものよね。それ相応の信仰をもっているんでしょうけど」
「そ、そう、ですよね」
 早苗も、外の世界での天神信仰については知っている。現代にてなお、学者や学生、司法をつかさどる者をはじめとして厚い崇敬を集める神。
「それじゃあ、あの力は」
「神霊の力は信仰に依存する」
 神奈子はまっすぐに黒雲を見上げながら、
「あの力の源泉は外の信仰だろう。
 忘れ去られていないがゆえに外と繋がっている。……まあ、それで幻想郷から消えかけてしまったのだから、あまりいいとは思えないな。
 とはいえ、一万五千の社が支える信仰か、これはなかなか、相手にするのは骨だな」
 苦笑、神奈子の信仰はまだ幻想郷の山を中心としたものでしかない。神である神奈子と人である菅原道真の実力差なら話にならないが、その信仰の規模において、天神信仰は神奈子へ向けられる信仰を桁違いに上回る。
 それはつまり、信仰を力の拠り所とする神霊としては、歴然とした差が開いているという事になる。
「放っておくわけにはいかないでしょう。
 祟りはいずれ、幻想郷を攻撃するでしょうからね」
 神子も黒雲を見上げて呟く。そして、溜息。
「あんたらで何とかしなさいよ」
 霊夢は溜息を一つ。空を見上げる者たちに声を飛ばす。応じるのは、
「言われるまでもない。
 たしかにあんな事になってしまったが、私たち出雲の大切な後継だ。なら、私たちが相手をしなければならない」
「やれやれ、と。
 私と同じ尊き祖神を持ち、それを尊重するなら、先達としていかないわけにはいきませんね」
「私も行かせてもらいますね。
 菅公、……阿呼さんの世話になった者として、恩を返したいです」
 白蓮も黒雲を見上げて呟く。
 彼女たちの言葉に、憤りはない。
 たしかに、眼前に展開するのは祟り。……けど、……どれだけそれが危険であっても、決して、敵意はない。
 たとえ、危険な力を振るっているのだとしても、それでも、彼には幸せになって欲しいのだから。
 霊夢は頷く。
「さっさと行きなさい。
 私は出来るだけ幻想郷に被害出さないようにするから」
 はい、と白蓮は頷き、振り返る。
 おそらく、この光景に最も心を痛めているであろう彼女へ、彼と親しかったことを知る神奈子と神子も同様に振り返り、
「にとりさん?」
 誰もいない、その事に首を傾げた。

//.人里

「にとりっ」
 友達の、声を聞いた。
「ん、ああ、文か」
「文か、じゃないわよっ!
 阿呼はっ? それに、あの空の黒雲、あれ、一体なんなのよっ!」
 珍しい、文が取り乱している。そして、それは椛も同様。
「にとり」
 私は黙ってGPSを起動する。検索先は、…………そして、空を見上げる。
「あそこに、阿呼がいるんだ」
「へ?」
 見上げる。そこには黒雲の中心。今も広がり続ける黒い雲。瞬く雷光。
「今、天魔様から非常事態宣言が出されました。
 妖怪の山にいるすべての妖怪は、山の防御と、己の安全を第一に行動せよ、と」
「……そっか」
 安全、か。
「文、椛、――――」
 改めて視線をあげて、言葉を止める。苦笑。まったく、ほんと、私と阿呼は、……
「なに? 言葉次第なら、本気で殴るわよ」「私は期待する言葉がなければ殴ります」
 その表情は真剣で、……ほんと、いい友達だな。
「阿呼が、あそこに、いるんだ」
 GPSが示す先、阿呼にあげた発信機は、間違いなく、あの黒雲の中心にある。
 黒雲は広がり続ける。巨大で、莫大な、祟りの力。
 けど、
「私は、あそこに行く。
 阿呼に、会いに行く。……だからさ、私を悲しませない程度に、付き合ってくれないかな?」
「程度が物凄く難しいわね。それ」
「いえ、というか、私が後悔しない程度に、付き合います」
「あ、椛もたまにはいい事言うわね」文はひらひらと手を振って「というわけで、半分は却下よ。にとり。私も、私が後悔しない程度に付き合うわ」
「たはは、……うん、ありがとな」そして、家の中に歩き出す「来てよ。二人とも、少し、昔話をしようか」

「阿呼、彼の名前は、菅原道真。
 もう、千年くらい前になるかな、私が大宰府にいたとき、初めて遊んだ人の友達なんだ」
「にとりの、盟友ですか」
「うん、……まあ、気付かなかったんだけどね。
 一緒に遊んでた時は私もまだ幼かったから、名前を確認するなんてしなかったからなあ」
「千年前って、……阿呼は、………………」
 椛の表情が凍りつく。うん、察したかな。頭いいなあ。
「そ、阿呼は神霊なの。天神様。八坂様は外の信仰はほとんどなくなりかけてるなんて言ってたけど、それでも、天神信仰は消えてないみたいだね」
「……私も聞いたことがあります。
 天神信仰、……なるほど、菅公ですか」
「幻想になっていない、忘れ去られていない、神霊。
 だから、消えかけていたのね。幻想郷に否定されて」
「そ、けど、忘れ去られていないから、外との信仰と繋がっているんだ。
 天神様の、総社数は、一万五千社くらいあるのかな。この国で、三番目くらいだったと思うよ」
 頑張って広めたからなあ。……そう、私たち漂泊の民を中心に、その思いを忘れて欲しくないから、ずっと、語り継いでほしいから、その信仰圏を全土に広めて回ったなあ。
 懐かしい、と思う。誰もがその治世に感謝をした。誰もがその悲劇に涙した。……だから、その功績を、その悲劇を、その思いを、…………彼の事を忘れて欲しくない、と。その思いで信仰を広げた。
 だから、
「幻想郷の、山中心の八坂様の信仰圏なんて目じゃない規模の信仰圏を持ってるんだよね。阿呼はさ」
 その意味が解らない文と椛じゃない。その表情に緊張が見える。
 神霊の力は信仰に依存する。その力の差は、……まあ、八坂様に言ったら怒られるかもしれないけど、桁違いだろうね。
 それが、祟りの威をもって荒れ狂っている。か、私は着ていた服を脱いで別の服を着る。特別製の服。リュックは、いらないか。
 そして、黒い機甲弓を取る。
「にとり、それで、……………………「うん、祟りの威を砕くよ」」
 砕く。これは、
「もともと、友達。
 阿呼にあげようって思って作ったんだ。……私みたいな漂泊の『もの』を憐れんで、なんとかしたくて、それで、子供っぽく強くなりたいなんて、言っててね。……結局、渡し損なったんだけどね」
 機甲弓、銘を、
「《射楯神》。……これで、祟りを砕く。
 文、椛、……頼りにして、いいか?」
 問いに、文と椛は、力強く頷いた。…………ほんと、ばかな友達だ。向かう力が解らないわけじゃないのに、

 嬉しくて、頼もしくて、涙が出そうだ。
 阿呼、……本当に、私たちはいい友達をもったな。

 外に出る。渦巻く祟りの黒雲を見上げる。そこに、雨はない。風はない。音はない。
 ただ、しずかだな、と思った。

//.黒雲の中

 ただ、暗い黒雲の中。膝を抱えて、泣いている。

 思うのは、後悔の中にあるのは、大切な友達。
 自分の中に眠る。火雷天神。祟りの威が、
「僕は、」
 大切な、大好きな友達を、
「――――僕は、「何しけた顔してるんだ」」
 声に、顔を上げた。その声、聴き覚えがある。

「稲羽神?」
 因幡てゐが、そこにいた。

「どうやって、ここに?」
 祟りの黒雲が渦巻く中。てゐは威風堂々とそこにいる。
 どうやって、彼女の周囲には黄金の刃が無数にある。その刃で黒雲を切り開いてきたのだろう。
 はっ、とてゐは笑う。
「私の稲刃をなめんな青二才。
 天地開闢に語られる葦に通じる稲の名を持つこの私が、信仰だけで語られるあんたと同列にされたくないね」
「そうだね」
 頷く、神代よりある彼女は、確かにそれ相応の能力を持つ。頷き、俯く。そんな彼を見て苦笑。
「泣き虫の餓鬼が、少しはやるようになったと思ったら、またこんなところで泣いてるのか」
「………………うん」
 否定する言葉はない。俯く。
 てゐは溜息一つ。辺りを見る。
「にしても、ずいぶんな祟りだねこれは。……まったく、神奈子の阿呆が、なにが外の世界は信仰を忘れかけてる、だか。
 なるほど、かなりの信仰を集めてるね」
「にとりたちが、頑張ってくれたから」
「ああ、そうだったね」
 てゐも知っている。隠居した先で、ちょくちょくその信仰を広めている者を見ていた。
 確かに、彼は失敗した。寛平の治と讃えられ、けど、讒言によって流された。大宰府に流され、失意のうちに、死んだ。
 ただ、世を変えたかったのだろう。ただ、差別され、彷徨う者たちを救いたかったのだろう。
 その思いは成し遂げられず、失意のうちに死んだ。……けど、その思いは、信仰という形で確かに語り継がれた。
 語り継がれた。彼が救おうとした者たちが、例え救えなかったとしても、なにも、変わらなかったとしても、それでも、その思いを忘れさせないと、国中に広めた。
 その結実が、天神信仰。彼の思いを受け継いだ者たちが作り上げた一万五千社の莫大な信仰。
 けど、
「それが、祟りとして放たれるか。
 いや、ぞっとするねこれは」
「……もう、僕も抑えられないよ」
「祟りは祟る者の意志さえ無視して荒れ狂う。
 幻想郷の外ならただの自然現象やら不幸で終わったかもしれないけど、あいにくと、ここは幻想郷だ」
 ここは、幻想郷。神霊である阿呼が形となったように、
 祟りは、その威を形にする。祟る対象がなければその矛先は存在するすべてに向けられるだろう。そう、大切な彼女にも、
 阿呼は、その事を思い身を固くし、

 ぱんっ、と音。

「目え覚ましな」
「稲羽、神」
 叩かれた頬に触れ、阿呼は呆然とてゐを見る。てゐは笑い、己の胸に手を当てる。
「幸運の素兎。この幻想郷での私の名だ」
 だから、
「願い、祈りな。
 菅原道真。あんたのその思いが本物なら、」
 てゐは笑う、にやり、と。
「その思いで幻想と現実の境界を踏み越えたんだ。
 その思いが届くなら、この祟りの威を踏み越えてくるやつがいるかもしれない。だから、願い、祈りな」
「願い、祈る? ……にとりが、無事でいてくれる、事?」
 問いに、てゐは悪戯っぽく笑う。

「幸いを、さ」

//.黒雲の中

//.洩矢諏訪子

「これが人の祟り、か」
 けろけろ、と笑う。楽しいから、笑う。湖に突き立つ御柱の一つに立ち。渦巻く黒雲を見上げて、
「凄いなあ」
 けろけろ、と笑った。

 ぱんっ、と手を打ち合わせる。
 湖に突き立つ御柱が、すべて砕けた。
 ――――頂点に位置する祟り神を封じ込めた御柱が、砕けて消える。

 けろけろ、と。蛙が大好きな彼女は笑う。
 けろけろ、と。湖の中心で神は笑う。

「じゃあ、お礼に見せたげようかな。
 神の祟りを、ね」

 けろけろ、と。蛇のように笑う。

//.洩矢諏訪子

//.物部布都

 磐船に乗り、空を舞い呟く。
「凄いなこれは」
「まあ、誇るべきなんかな」
 屠自古の言葉に我はどうだろうな、と思い。
「そうだな。……特に屠自古、蘇我臣として同郷の出世者は誇らしいだろ?」
 問いに、屠自古は苦笑。
「そりゃあ、まあ、ね。……けど、布都。物部連も遠祖は変わらないだろ?」
「まあ、な」
 苦笑して頷く。そして、眼下。今なお広がり続ける。祟りの黒雲へ。
「さて、……どうなる事か、あるいは、」
 苦笑。
「幻想郷が滅びるかもしれないな」
「そんな事させんよ。布都」
「当り前だ。……あまり気は進まないが、仕方ないな。
 これも可愛い後継のためだ」
「ま、そう言う事」ばちっ、と屠自古の指先に紫電が弾け「私が道、作るから、頃合い見計らっていこうか、布都」
「うむ」

 ぱんっ、と手を合わせた。そして、一つの名を思い出す。
 ――――すぐに騙る事になるであろう。尊き、神の名を、

//.物部布都

//.幻想郷上空

 豊聡耳神子、八坂神奈子、聖白蓮はそれぞれの位置から飛翔を開始する。
 黒雲。まずは、これを砕く。
 黒雲の中には雷光が見える。これが地上に解き放たれたら幻想郷に被害が出る。
 範囲が広がっているなら、それはその被害範囲も広がるということ。一度地上で見た極大の雷撃が黒雲の範囲全域で発生し、地上に叩き込まれたら幻想郷は破壊されるだろう。
 そんなことはさせない、絶対に、…………ゆえに、

 神奈子の周囲に御柱が顕現。それは、一度形を持ち、ぱんっ、と音。
 御柱がその身を解きほぐす、現れるのは、風の塊。乾を創造すると謳われる風神の暴威。
 創造された乾。風雨遊ぶその空間を己にまとい。神奈子は黒雲を見据えて笑う。
「尊き、すが、の地、か」
 懐かしい、と思う。かつて、偉大なる父とともに暮らした場所。ずっとずっと昔の話。
 そうだ。あの頃は様々な『もの』とともにあった、兎、案山子、蟇蛙までもが楽しそうに語らった。
 あの地を取り戻したいと、叫び声を上げた者たちを知っている。遠く、諏訪の地から話を聞いていた。……そうか、と思う。
「その思いは、」
 かつて、故郷を奪い取られた者として、
 かつて、その地を取り戻したいと叫び声を上げた者たちと、
「同じなのだな」
 だから、容赦なくいこう。その祟り、祖神に近き『もの』として、強き、猛き、すさのおに近き『もの』として、絶対に、祓う。
 いつか、居た場所と同じく、ここが大切だから、好きだから、ゆえに、もう、壊されたりはしない。絶対に、
「後継よ。
 私たちの思いを継いでくれたのなら、ここが好きであろう? ならば、」
 手を向ける。創造され、共にある風が神の意志に応じて動き出す。
 爆風。壁のような質量をもち風が黒雲に叩き込まれる。槍のような鋭さをもち風が黒雲を穿ち貫く。黒雲を打ち払う、風の打撃が叩き込まれる。大嵐のような暴風が黒雲を吹き散らし破壊し砕く。
「一切の容赦なく、祟りを砕くっ!
 これだけの信仰と、それを得るに足る意志に敬意を込めて、神が全力を尽くそうぞっ!」

「凄いわね」
 かつて、夢見た天寿国。豪族たちが、皆で、和をもって尊きとなしていた地。
 もう、失われてしまったかつての理想。そうだ。
 諦観した自分とは違う。戦おうとした者たちを知っている。破れても、殺されても、それでも、抗い続けた『もの』達がいる。
 何度も叩きつぶされた。何人も殺された。一体、どれだけの血と涙が流れたか、…………けど、それでも、抗う事を止めなかった者達。ここにいるのは、その一人。
「本当に、……先達として誇らしいわ。
 そうね」
 視線を下に、そこに広がるのは幻想郷、否、その光景を見て思うのはかつて夢見た「天寿国。叶うなら、こんな事にならず、来て欲しかったのだけど」
 それも叶わない。天神信仰は未だに忘れられる事無く続いている。いいこと、と思い苦笑。忘れ去られて欲しいとは思えないが、それでも、いつか、ここに来て欲しい、と思う。
 だって、その理由を小さく呟く。

 貴方達の夢見た地は、ここにありますよ。と、

 だから、護らなければならない。天寿国は、もう滅ぼさせたりはしない。絶対に、
 神子は宝剣を振り上げ、力を宿す。
 道術、……そして、それを整理、進展させた陰陽術、万能性はやや劣るが、こちらの方が解りやすく、やりやすい。火、水、木、土、金、五行の力が描かれる。
「先ずは乱撃。あまり好きではないけどね。効率悪そうで」
 ぼやく言葉に苦笑、そして、乱撃。その言葉通りの力が放たれる。
 朱、玄、青、黄、白。五色の弾幕が宝剣の導きに従い、黒雲を打撃する。砕き払う。

 雷光。

「はっ!」迫りくる雷光を見据えて笑う。「甘いっ!」
 宝剣が輝く、色は白。
「斬り、砕きますっ!」
 裂帛の気合いとともに、白光纏う宝剣を振り下ろす、雷光を叩き切り「やはり、効率重視でいきましょうかっ!」
 白光が伸長。五行の乱打は変わらず、白い光を纏う巨大な刃が、続く雷撃を叩き切る。
「木気である雷を、金気の刃が切り裂けない道理はありませんっ!
 すがの子よ。力尽くで押しきれるほど、聖徳道士は、……貴方の先達は甘くないと知りなさいっ!」
 吼え、五つの光を纏い、白光の刃を振るい、神子はさらに黒雲に突撃する。

「誰もが、貴方に感謝をしていたのですよ」
 脇侍に二童子。空鉢童子、剣鎧童子。
「確かに失敗して、失意に沈んでも、なにも成し遂げられず、死してしまったとしても、……けど、誰もが貴方の事を誇らしそうに語っていました。
 がんばってくれた。と。最後まで、戦ってくれたのだ、と」
 両手を広げ、胸に抱きしめる。腕の中には黄金の鉢。
 だから、…………白蓮は一度、辺りに視線を巡らせる。
「ここは、貴方の夢見た、すがの地と似ているのではないですか?
 人と、妖怪と、神と、みんな、……みんながともに暮らす、この幻想郷が」
 尊きすがの地、神と蟇蛙が語り合い、案山子の助言を得て常世から来た小人と国を作った。そんな、いろいろな『もの』たちがともにあった地。
 似ているのだろう。阿呼の、楽しそうな笑顔を思い出し、確信する。彼はそう思っていたはずだ。
 だから、
「滅ぼさせはしません。
 絶対にっ! これ以上、貴方に失意を与えないためにもっ!」

 万色の蓮が花開く。

「いつかの恩義を返しに、今度こそ、失わせないためにっ! 征きますっ!
 いざっ! ――南無三っ!」
 そして、万色の剣が放たれる。
 荒れ狂う祟りを穿つ濁流のごとき剣鎧の乱打。莫大量の光を受けて、黒雲は削られる。
 壊させない、滅ぼさせない、祟りなど、砕き祓う。大切と思ってくれたのだから、大切と、感じてくれたのだから、
 だから、決して壊させない。白蓮は手元にある黄金の鉢に、さらに力を注ぎこむ。そして、魔人経巻が展開。白蓮の身体能力を跳ね上げる。
「――――っ!」
 祟りの雷撃を、超高速の移動で回避しながら、黒雲を穿ち続ける。

//.幻想郷上空



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