ぽろぽろと、涙、零して、泣いていた。

「ひょうすべよ やくそくせしを わするなよ かわたちおとこ うじはすがわら」

 記憶にあるのは、梅の香り、清流の音。
 そして、大好きな、笑顔。

 ――――――――もう、なくなってしまった。大切な、子供の頃の約束。

//.夢の終り

「あのさー、にとりー」
「んー?」
 呼ばれて私は振り返る。そこにはごろごろしているはたて。
 遊びに来た、らしいんだけどね。……こっちはこっち、ちょうど、ずいぶん昔から作っている物が完成しそうだからあまり相手してない。
 けど、
「なにー」
 まあいいか、と手を止めて振り返る。はたてはごろん、と寝転がって「にとりってさ、小さいころあった?」
「そりゃああったさ。
 生まれたときからこの姿格好じゃないよ。もっと小さかったさ」
「へ? そうなんだ」
 不思議そうなはたて。……まあ、的外れとは思わないよ。妖精とか、神霊とか、幻想郷には生まれてからずっと姿が変わらない者はいくらでもいるし、逆にいくらでも変えられる者もいる。
 けど、
「私たち河童は天狗様と同じ、普通に成長するよ」
「ふーん。じゃあさ、にとりが子供の頃ってどんな感じだったの?
 ひゅいひゅいしてた?」
 意味わからないんだけど、……けど、子供の時かあ。
「友達と遊んでたかなあ」
「友達? 河童の?」
「いやあ、人の」
「へー、人の、珍しい」
「まーね。なんたって人は盟友だからね。めーゆー」
「盟友、ねえ」
 ……なに? その意地悪そうな笑顔。
「人を見つけたらひゅいーっ、って叫んで逃げ出すにとりちゃんのめーゆーねー」
「むぐぐ」
 確かに、人には慣れてないけどさ。
 むくれる私、はたては手を合わせて「ごめん」といい。
「前から気になってたんだけどさ。
 なんで人間が盟友なわけ? この辺人なんてほとんど来ないし、なんかあったの?」
 なんか、……か。
「幻想郷に来る前、にさ、人の子供と約束したんだ、盟約。
 だから、盟友なの」
「ふーん」
 むぅ、結構大事な話なのに、はたてのやつ、あんまり興味なさそう。
「にとりって元々幻想郷の外にいたんだ?」
「んー」えっと、と指折り数えてみる「生まれは出雲だったかなあ、その後に大宰府で九千坊とかと遊んで……初めて人と遊んだのもここだったかな、それから、利根川のあたりで禰々子と喧嘩したり一緒に遊んだりして、その禰々子に頼まれて上野国で治水の手伝いしたりしてた。その時は出雲にもちょくちょく戻って来てたかな。変な兎と遊んだりで」
「結構いろいろなところに行ってたのねー」
「あたぼうよ。引籠ってなんていられないね」
 引籠り、とその言葉を聞いてはたては頬を膨らませる。自覚あるのか。
 第一、漂泊の民は一か所に留まる事を許されない。別にそれは構わなかったけどね。……まあ、多少、残念はあったけど。
「約束ってなんの?」
「それは秘密。いくら天狗様が相手だって河童にゃあ河童の意地ってもんがあるのさ」
「ちぇー」
 拒否されたからか、頬を膨らませれはたて。
「ま、いっか。
 その古い約束があるから、盟友ってわけね」
「そういう事さ」
 応じて、ふと天井を見上げる。約束、か。
「あ、そうだ。にとりー、ちょっと作ってほしい物があるんだけどぉ」
 可愛らしくあざとい笑顔ではたて、言うまでもなく「今は駄目」
「えー?」
「ちょっと仕上がり集中したいのがあってね」
「仕上がりって、あれ?」
 はたてが示す先には一つの弓。
「そ、それ、千年近く作ってたんだけど、そろそろ完成しそうなの」
「……根気強いわねー」
「当たり前。……ま、もともと贈物だったんだけどね」
 結局、機会なくなっちゃったなあ。と、内心溜息。残念。
「もー、そんなここじゃあ使えなさそうなのなんていーじゃない。
 にとりのけち」
「うっさい」
 解っている。使えないって、解っている。意味なんてないって、
 それでも、作り上げたいのさ。これは、……ただの感傷だけどね。

 暫くごろごろしてはたては去っていく。……はあ、何しに来たんだか。
 一つ、伸びをして気分転換にふらり、家を出る。さわさわと近くを流れる川。
「んー」
 近くの岩に腰を下ろす、靴、靴下を脱ぐ。そしてスカートを軽く持ち上げて、川に足を降ろす。さわさわと流れる川と、その冷たさが心地いい。
「……懐かしいなあ」
 ぱちゃぱちゃと水面を蹴立てて思い出す。随分昔、そう、盟約を結んだ、少し前。
 梅の花が咲く川面で一緒に遊ん「……って、あれ?」
 不意に、顔を上げる。
 視線の先、一人の子供が倒れていた。

//.地霊殿

「こいし?」
 古明地さとりは、読んでいた書からふいに顔を上げる。
「あ、お姉ちゃん」
「どうしたの? ――っと」
 とてとて、と古明地こいしはさとりに抱き着く。行動の意味は解らないが、いまさらこいしに論じても仕方ない。甘えたくなったのでしょう、と思いさとりは抱きとめた。
 理由のあるなしは、やはりこいしに問うても仕方ない。とりあえずしばらく撫でてあげる。
 程なく、
「お姉ちゃん、正しい人、って、どういう人?」
「そんな人、存在しないわ」
 意味の解らない問い、あるいは、意味などないかもしれない。とても、深い意味のある問いかもしれない。論ずることこそ、意味がない。
 ゆえにさとりは言葉を率直な問いとして返す。正しい人など、いない、と。
 それはさとりだから解る事。どこぞの尼僧が聞いたら眉根を寄せるかもしれない。どこぞの導師が聞いたら苦笑するかもしれない。
 けど、心を読めるさとりにとってそれは自明の理。
「そっか、……存在しないんだ」
 こいしはさとりに抱き着いたまま、不思議そうに呟く。
「あら? もしかしてこいしには心当たりがあるのかしら?」
「うん、……かくあるべき、信仰」
「正しくあるべき、信仰?
 それはとても素敵な信仰ね」
「ううん、かくあるべき、神」
「正しくあるべき、神様?
 それはとても素敵な神様ね」
 苦笑。恩恵と崇り、その二面性ある神々が正しいなど、言葉遊びにもならない。
 まあ、いいか。
 それでいいだろう。さとりは丁寧にこいしを撫でる。こいしはくすぐったそうに身を任せていた。

 それは、閉じた第三の目が見据えた無意識。幻想郷に流れ込む思い。
 信仰、という名の、莫大で、絶大な、思い。

//.地霊殿

「あ、目覚めた?」
 ぱちり、少年の目が開く。私は疑問を押し隠して問う。
「あ、……ここ、は?」
 不思議そうにあたりを見る少年。ま、解るわけないか。
 ぴっ、と指を立てて、
「玄武の沢、私たち河童の領域さ。
 ただの人間の子供が一人で近寄るなんて、随分危ない事するね」
 盟友にあまり手を出すことはしないけど、幻想郷縁起に書かれているみたいに襲ったりはしなくなってきたけど、それでも警戒する河童はいる。
「玄武の、……沢?」
 不思議そうに首を傾げる。けど、知らないなんてことはないと思うんだけどなあ。
 視線をあげる。その先には幻想郷縁起、危険区域案内には、載ってなかったか。
 けど、そこそこ有名な場所だと思うんだけどね。
「ま、知らないなら知らないでいいさ。河童のいるところってわけ。
 君は人里から来たの?」
「人、里?」
 また首を傾げられた。けど、今度は私も首を傾げる。
 知らないはず、ないと思うんだけどね。
「知らない?」
「うん」
 申し訳なさそうに俯く少年。……はあ。
 困ったなあ。外を見る。少しずつ、日が暮れていく。
 これから出かけるのも難だし、仕方ないか。
「仕方ない、今夜は泊まってきなよ」
 仕方ない、けど、……けど、なんで、こんなことを思いついたのかな?
「うん」
 こくん、と頷く。そして、安心したように微笑む。
 その笑顔に、私も自然と浮かぶ笑顔を返して、
「私は河城にとり、君は? まさか、名前まで忘れてないよね?」
「む、……忘れてないよ。
 僕の名前は、阿呼、だよ」
「あこ、……阿呼ね、うん、解ったよ」

「あっ、おはよっ、にとりっ」
 目を覚ます。にこっ、と笑顔の彼、阿呼。
「んあー、……おはよー」
 眠い。目をこすりながら起き上がる、と。
「わ、わ、に、にとりっ、服着てよっ」
「あぅー?」
 寝るときの常。大体下着だもんねえ。
 顔を赤くする阿呼。
「んー、いいじゃないべつにー」
 眠いー
「よ、よくないのっ、にとりは女の子なんだからっ
 ご飯作ってるから、ちゃんと服着てよっ」
 あ、行っちゃった。
「女の子、かあ」
 あんまり意識してなかったなあ。

「もう、朝だからってしっかりしてよ」
 のそのそと服を着て、顔を洗って向かった先、「おお、ご飯がある」
「うん、僕が作ったの」
「へー、器用だね」
 っていうか、家の中案内した覚えないんだけど、……いや、まあ、案内が必要なほど広くない、かな?
 家の中は複雑じゃない。寝室と、隣に調理場とご飯食べる居間。まあ、ここだけど、
 あとは玄関とその横にある開発室。それとお風呂とか細々としたのがあるくらい。
 いや、じゃなくて、
「使い方よくわかったね」
 ご飯と、あとは野菜のサラダ、お刺身。
 早苗監修で作った炊飯器とか、なかなか面倒だと思うんだけど、
「えへへ、こうかな、って思ったら使えたの」
「おお、凄い凄い」
 ぐりぐりと撫でる、阿呼は嬉しそうに目を細める。
「でも、にとりの家ってすごいね」阿呼は冷蔵庫を示して「あの箱、中すっごく冷たいの」
「んー、まあね」私はサラダから葉っぱをつまんで見せ「こういうの、すぐ悪くなっちゃうからね」
「うんっ、あ、お魚も、すぐ変なにおいしちゃうよね。放っておくと」
「まあねえ」
 実際重宝してるんだよねえ。あの冷蔵庫。
「あれは、にとりが作ったの?」
「ん、そうだよ」
 応じる。……わー、目が輝いてる。
「凄いっ、にとりって何でも作れるんだね」
「なんでも、じゃないけどねえ」
 それに、苦労するのは結構苦労する。なにせ千年近くかけて作ったのもあるし。
「でも、にとりは凄いんだね」
「あんまり褒められると照れちゃうぞー」
 くすぐったいなあ。阿呼はむぅ、と膨れて「凄いのに」
「はいはい、ありがと」
 手を伸ばす、ぐしぐしと撫でる。阿呼は目を細める。
「ねっ、今日はにとり何やるの?」
「んー、……そろそろバザーあるから、その準備かなあ」
 生活にはあまり困らない。けど、研究にはお金かかる。天狗様とかの依頼でちょこちょこお金を稼いではいるけど、一番収入を得られるのがバザー、楽しいしね。
 それに、出来とか、一番評価されたのには賞金が出る。研究資金が増えるのはすっごく助かる。
「ばざー?」
 あれ? 知らないかな。幻想郷縁起の私のページにバザーの事は載ってたし。あるいは、幻想郷縁起読んだことないのかな?
 稗田家に行けば阿求は快く読ませてくれる。けど、……いや、そもそも人里も知らないような迷子じゃあ知らないか。
「まあ、市みたいなのだよ。
 いろいろな道具を並べて売り買いするの」
「面白そうだねっ」
「まあね」
 実際面白い。自分以外の河童たちがどんなのを作っているのか、それを見て回るだけでも面白い。
 だから、
「阿呼も一緒に行くか?」
「わっ、いいのっ?」
 目を輝かせる阿呼。だから、私はぴっ、と指を立てて「代わりに準備を手伝ってもらうよ。住込みで、大変だぞー」
「やるっ」
 …………どうして、こんな提案したんだか。けどまあ、楽しそうに応じる阿呼を見て、自然と思ってしまった。
 ま、いっか、と。

//.道場

「太子様?」
「ん、……ああ、布都ですか」豊聡耳神子は顔を上げる、おっとりと首を傾げて「どうしましたか?」
「いえ、熱心に何かを読まれているようでしたから」
 興味津々と向けられる視線。その先には、
「ああ、これですか」編纂に協力した礼として稗田阿求から貰った本「幻想郷縁起、なかなか面白いですよ」
「そういえば、我の所にも来ましたね」
 あれこれ聞かれたのを思い出す。自分の能力について語るのは楽しかったが。
 ただ、
「妖怪の情報が載っている、と。
 太子様、やはり退治のための研究を?」
 ならば、自分も最大限協力したい。物部布都は決意を秘めて神子を見て、神子は微笑。傍らに積んである本を示す。
 その本は、
「稗田家から、いろいろと借りました。
 先代旧事本記、日本書紀、元興寺縁起、北野天神縁起絵巻。
 どれも、興味深い本ですね」
 そして、愛おしそうに幻想郷縁起を撫でて、積まれている本の傍らに置く。
「布都、貴女も読んでみてはどうですか?
 修行も結構、大事ですがたまには本を読むのもいいですよ」
「…………はあ、まあ、日本書紀以外なら、太子様、お勧めの本とかありますか?」
「それはもちろん元興寺縁起ですね」
「…………先代旧事本記をお借りします」
 神子は苦笑して先代旧事本記を渡す。
「布都、屠自古としばらく道場に居なさい。
 修行も道場の中で行うようにしなさい」
「? 解りました。けど、何かあるのですか?」
 修行は基本的に道場で行っている。とはいえ、外で修業を行う事もある。
 普段なら神子はそれでよしと自由にさせているが、改めての念押しに布都は首を傾げる。
 そんな彼女を見て神子は苦笑。何事もなければいいのですが、と内心で呟いて、
「いえ、……ちょっと、血が濃すぎる気がするのですね」
 そして、積まれている本から一冊の本を手に取った。
「そう、血が、ね」

//.道場

「なーんだかなー」
 かちゃかちゃと工具をいじりながら私はぼやく。なんとなく向けた視線。その先、
「どうしたの? にとり」
「んー」
 不思議そうにそんな私を見るのは開発室内を見て回ってた阿呼。当たり前のように馴染んでいる自分。
「面白い?」
「うんっ」
 問えばにこっ、と笑顔。その笑顔を見るとなんか、いろいろな疑問がどうでもよくなる。……自分は、警戒心は強いつもりだったんだけどね。
 けど、阿呼は困ったように「この辺整理しようよ」
「あ、あははー」
 やっぱりそうなるか。ドライバーとか、スパナとか、結構纏めて放り投げちゃう私。
 自分で把握できてればそれでいい。…………っていうのも怠けだよね。
 あ、そうだ。
「大体見て回れた?」
 問いに、阿呼は笑顔で頷く。
「よしっ」ぴっ、と指を立ててもっともらしく「それじゃあ、阿呼に仕事を任せる」
「はいっ」
 びしっ、と背筋を伸ばす。なんとなく微笑ましくなるのを堪えて、
「そこの整理」
「にとり、怠けたいだけだよね」
 あちゃっ、ばれたか。

 工具の整理を阿呼に任せる。その間私はバザー出展予定の道具の図面を見直す。
 図面を見る。……見ながら視線をあげる、ちょろちょろと動き回る阿呼。………………「楽しい?」
 整理なんて、面倒だと思うんだけどね。ただ、見てて思ってしまう。阿呼、楽しそうだな、って。
 対して阿呼は笑顔で「うんっ」と頷いて、けど、
「けどだめだよ。にとり。
 自分でちゃんと整理できるようにしないと、使った物は元あった場所に戻さないと、すぐぐちゃぐちゃになっちゃんだからね」
「気を付けるー」
 正論過ぎて反論できない。
「もー」
 雑な言い方が不満だったのか頬を膨らませる阿呼。
 さて、と。
「天狗様も、もうちょっとインタフェース考えて欲しいよなあ」
 なんか鼻高天狗様が作ってるGPSとやらをいくつか貰ってきた。自分の居場所を示し、目的地に案内するための道具だっていうのに、ごっつくって持ち運びに不便だという困った道具。
 そして、その隣には図面。ポケットに収まる程度に小さくした画面と、その下のコンソール。
 小型化できれば、次のバザーの優勝はたぶん私の物。うむ。
 気合を入れて図面を覗き込む。改めてGPSの説明書に視線を落として、………………………………「にとりー」
「ひゅいっ?」
 唐突な声に変な声。
「な、なに?」
「なにじゃないよ」なんか、いつの間にやらエプロンなんて着てる阿呼「もうお昼だよ?」
「へ?」
 うそ? そんなに時間経ってた?
 時計を見る。……わー、お昼の時間、にしても遅すぎた。
 午後一時半。図面と睨めっこ始めて、そんなに時間経ってたんだ。
「ごめんねー」
 人の阿呼には遅すぎるよねえ。けど、阿呼は首を横に振って、
「大丈夫っ、けど、にとりって集中力凄いんだねっ」
「あ、あはは、……まあ、周りが見えてないだけ、かな?」
 なんか、失敗を逆に褒められるとくすぐったいなあ。
「それが集中してるって事だよ。でも、ちゃんとご飯は食べないとだめだよっ」
「はーい」
 というか、私は阿呼の先導でリビングに向かう。っていうか、
「阿呼、料理できるん、だよね?」
「? うん、……あ、朝、美味しくなかった?」
 不安そうに私を見る阿呼。ぐしっ、と撫でて「そんな事ないよ、美味しかったぞっ」
 とびぬけて、とかそういう程でもないけど、私が作ったのより美味しかった。……まあ、結構適当に作っちゃうんだけどね。
「よかった」
 ほっと、安心したように呟く阿呼。ただ、うーん?
 人里の事とか知らない、けど、出来るのかな? ……はあ。
 なんとなく、気は進まなかったけど、
「じゃ、いただきます、だねっ」
 椅子に座ってにこっ、と笑う阿呼。まあ、
 後ででいいか。

 かちゃかちゃと、使った食器を洗ってくれる阿呼。有難いね。
「あのさ、阿呼」
「ん?」
 雑用任せたっていうのに、楽しそう。阿呼は上機嫌に振り向く。だからちょっと聞きにくい。けど、
「阿呼、さ。
 えっと、…………その、」
 なんて聞こう。阿呼は洗い物の手を止めてぱたぱたと私の正面に座る。
「どうしたの? にとり」
「うーん」かしかし、と頭を掻く、さて、なんて切り出したらいいか。
 こういう時、文なら口が回るんだろうけどなあ。
「なにか、悩んでいることとか、あるの?」
 心配そうに問う阿呼。……はあ、まあ、そうだよな。
 悩んでても仕方ない、な。
「あの、さ。
 阿呼って、どこから来たのかな、って」
 人里じゃない、っていってた。……けど、幻想郷内じゃあ人が暮らす場所は人里くらい。
 魔女とか、天人様とか仙人とか、そういう感じもしないしな。
「あ、……あの、にとり」
 応じるのは、不安そうな表情。不安? なんで?
 阿呼はそんな表情で「あの、……僕、出て行った方が、いい?」
「へ?」
 そんな事、思ってないんだけど、阿呼は不安そうに私を見て「帰る場所聞いてる、んだよね? 僕、邪魔、だった?」
 なんで、そんなに泣きそうなんだ?
 ただ、……はあ、本当にこういう時、口がよく回る文が羨ましい。
「そんな事ないよ。阿呼にはすっごい助けられてるよっ
 ただ、……えっと、…………素性、とか知っておいた方がいいな、って。あの、親とか、心配するかもしれない、し」
 なんだろうな、この不安。
 そう、そうだ。両親がいれば、そうでなくても縁者がいれば、彼を帰さないといけない、かもしれない。
 それが、なんでこんなに不安なんだろう? まだ、知り合って一日の、人なのに、
 不安、それで黙り込む私。……少しして、阿呼は俯く。その、申し訳なさそうな、泣きそうな表情が、辛い。
「ごめんね、にとり」
「うん」
「ごめんなさい。……わからない、の」
 …………ああもうっ! なんなんだ、私はっ!
「ごめん、自分の事、自分の名前しか、解らない、の。
 お料理とか、そういうのは、解るのに、……自分の事は、何もわからないの」
 それは、阿呼にとっては不安な事なのに、それは、とても問題があるはずなのに、とても、困った事のはず、なのに、
「ううん、いいよ気にしなくて、じゃあ、解るまでゆっくりしていきな、ね」
 ぐしっ、と身を乗り出して頭を撫でる。阿呼は照れたように微笑む。……はあ、ほんと、どうしたんだろ、私。
「ありがと、にとり」
 なんで、私は、こんなに安心しているんだ。

「さて、……それじゃあ、午後もがんばるぞっ」「おーっ」
 開発室に戻って、むんっ、と気合を入れる私。嬉しそうに手を振り上げる阿呼。
 なんとなくそのやり取りが面白くて笑みを交わす。
「それで、にとりって何作ってるの?」
「んー」私は作業机にあるごっついポジショニングシステムを示し「あれ、GPSっていうんだけど、今いる場所から目的地まで案内してくれる物なんだ」
「…………お、おっきいね。……なんていうか、使い難そう」
「だよねー」
 恐る恐るいう阿呼に私は力強く頷く。すっごい同感。これ作った天狗様は何を考えているんだろう? いや、凄いと思うけどね、システムとしては、
「だから、」どんっ、と私は設計図を阿呼の前に持ち出して「これ、もっと小さくして、持ち運び簡単にするのだっ」
「あ、これにとりが作ったんじゃないんだ」
「心外だなー、流石に私もこんな使い難そうなの作らないよー」
 と、軽く頬を膨らませてみたり、阿呼はちょっとおろおろしてる。面白い。
「これは天狗様が作ったのさ」ぽんっ、とごっついポジショニングシステム略してGPSを叩いて「設計して作るのはいいけど、机上だけで考えているからか、こういう実用性考えてないのがたまにできちゃうんだよな」
 困った物だ、ほんと。
「へー、……っていうか、天狗もいるんだ」
 知らないんだ。……これはちょっと意外。仙人であっても、天人であっても、魔女であっても、知っていると思ったんだけど、
 まあいいか、と意識して思う。
「まあ、ね。
 だから、この図面通りに作り直すか、それともGPSの地図をこっちに表示できるようにするのだっ」
「なるほど、それなら持ち運びしやすいし、使いやすいね。
 にとり凄いっ」
「……………………いやあ、まだ途中、なんだけどね」
 手放しで凄いって言われると、まだ、作ったわけでもないし、…………ちょっと、気まずいぞ。
「でも、これがあればいろいろな人が便利に使えるね」一転、真剣な表情で設計図を見て「がんばろう、にとり」
「うむっ、一緒に頑張ろうなっ」
 ぱんっ、と手を打ち合わせた。

 最善案は小型化。不要な機能とかを出来るだけ排除して、必要最低限のを小さな端末に入れる。
 というわけで、早速分解っ! しゃきーんっ
「…………なんでそんなに目が輝いてるの?」
「分解って楽しいよなっ!」
「そ、そうかなあ?」
 中途半端な笑顔。まあ、それはともかく、「じゃあ、阿呼。工具持ってきて、まずはドライバー、2番の、かな」
「はいっ」
 午前中見て回ったからか、阿呼はすぐに工具を取ってくる。うむっ
 さっそく螺子に取り掛かる。これからこの中身を分析してやるぞ。と、新しい事を知るのは楽しい。
 螺子を外して「はい、にとり」
「ん?」
 横には阿呼、その手には空のケース。
「螺子入れるの」ドライバーの先にある螺子を見て「それ、放り投げたらなくしちゃうよ」
 無くした事はない。……けど、「そうだな、ありがとっ、阿呼っ」
 せっかく気遣って貰ったんだからね。阿呼は笑顔で頷く。
「どういたしましてっ」
 螺子をケースに落す。くるくると次の螺子を外す。外す。外す。…………「面白い?」
 傍らでそんな作業をする私を見ている阿呼。あんまり構ってないけど、けど、楽しそう。
「うんっ」
「そうかなあ?」
 面白い事なんて何もないと思うんだけど、……ま、ともかく、
「さて、中身はどーなってるかなー?」
「ちょっとわくわくするね」
「でしょー」
 共感は嬉しいね。だから振り返り、にこっ、と笑う。
「わっ」
「……どうした?」
 振り返る、目と鼻の先にいた阿呼は大慌てで後ろへ、そして、「ひゃあっ?」
「って、ばかっ」
 転ぶ、ああもうっ、
 手を伸ばす。その手を掴んで「んっ」
 力任せに引っ張る。阿呼はちょっと痛いかもしれない、けど、転んだら危ない。
 引っ張って、ぽすん、と。
「大丈夫?」
「あ、……あ、」
 ふー、間に合った。
 抱きとめた阿呼に視線を落とす。「肩、痛くないか?」
「ふぇ? あ、…………あ」
 ……うわー、すご、顔が見る見る真っ赤になってる。
「大丈夫? 転んだら危ないぞ」
「だ、大丈夫っ」
 ぱっ、と離れる。うん、肩も大丈夫そうだね。……けど、私は唇をとがらせる。だって、
「いきなり顔を見て悲鳴あげるなんて、女の子としてはすっごく傷つくぞー」
 まったく、失礼にも程があるよ。私も、そんなに変な顔じゃないと思うんだけどなあ。……不意に、思い浮かべたのは、……むぅ、確かに霊夢よりは可愛くないかもしれない。
 けど、悲鳴あげられるほどじゃないのに、失礼な奴。
「あ、じゃ、じゃなくてっ、違うのっ
 べ、別に、あの、にとりの顔が変だからとか、そういうわけじゃなくてっ、……あ、あの、違うのっ」
 違うらしい、よかった。
「あ、あの、その、に、にとりの顔がすっごい近くにあって、あ、だからっ、…………も、もうっ、にとりは女の子なんだから、簡単に男の人に近づいちゃだめなのっ」
「……私が怒られるんだ」
 なんか、すっごい理不尽な理由で怒られた気分。
 ただ、けど、…………はあ。
「はいはい、ごめんだぞ」
「もう、気を付けないとだめだよ」
「解ってるよ」
 そう返して、ふい、と視線を背ける。手元に集中。阿呼に顔を向けるのは、ちょっと抵抗ある。本当に、だめなのはどっちだ。まったく、
 顔が、少し熱いのを感じる。顔が近くとか、変な事意識させないでよ、ばか。

 案の定だけど、やっぱり無駄が多い。なんかもう、詰め込みすぎだよ天狗様。
「うわー、いろいろあるね」
 ひょい、と阿呼が覗き込む。私は手元に視線を向けたまま「何でもかんでも詰め込んだって感じだねえ」
「にとりはこれ、なにがなんだかわかるの?」
「ん、うん」
 説明書あるし、あとは、結構天狗様と私たち河童はこういう技術的な面で協力し合ってる。案の定、河童が設計した部品も多い。
「へー、にとりって凄いんだね。
 僕全然わからないよ」
「ん、まあねっ」
 むんっ、とちょっと胸を張ってみたり、
「あ、あの、にとり」
「んー?」
 おずおずとした声。なんだろ? 阿呼は少し言い難そうに私に視線を向け、GPSに視線を向ける。
「どうしたの?」
「う、うん、……その、僕にも、いろいろ、教えて欲しい、の。
 けど、にとり忙しい、よね?」
 まあ、確かにね。
 次のバザーまで時間はあんまり余裕はない。教える時間は、ない、んだけどね。
 けど、私はぽんっ、と阿呼を撫でて、
「なにいってるんだい。阿呼は私の助手なんだから、ちゃんと勉強してもらわなくちゃ困るぞっ」
 ぐしぐしと少し乱暴に撫でてみる。阿呼は目を細める。うむ。
「いい、びしばしいくから、覚悟するんだぞ」
「はいっ」

「いい、これがGPSの設計書、天狗様が描いたやつさ」
 よっこいしょっと、私は設計書を阿呼の前に置く。阿呼は驚く。
「いっぱいあるね」
「まあね」
 もちろん、私は流し読みしたよ。余計な修飾語とか、あとは、使う場合の注意点とか、あんまり開発には関係なさそうなの、……っていうか、邪魔だから設計書に時候の挨拶つけるな。
 さて、どうしようかな。……うん。
「よし、阿呼。まずはこれ一通り目を通してみて、解らないところがあったら絶対に聞くんだぞ」
 もちろん、解らないことは多いと思う。天狗様や河童の間だけで使われる言葉もたくさんある。
 けど、一から説明するのもね。そんな時間もないし。
「はいっ」
 阿呼はさっそく一枚に視線を落として、すぐに横に置いた。
「それ、いらない?」
「え? ……あ、必要だった?」心配そうに横に置いた一枚目を手に取って「なんか、挨拶っぽい内容だったから、いらないかなって」
「ううん、正解。いらないところはさっさと飛ばしちゃえっ」
 頭を撫でてあげると阿呼は嬉しそうに「えへへー」と笑う。
「じゃ、その調子でがんがん読んじゃって。
 明日からは手伝ってもらうから、そのつもりでね」
 明日まで読むのは難しいと思うけどね。けど、
「うん、僕、頑張ってにとりを手伝うねっ」
 阿呼はにこっ、と笑って言った。

 結果。
「お腹すいたー」「うぐー」
 おゆはん、午後十時になっちゃった。

//.永遠亭

 ぼんやりと、因幡てゐは月を見上げる。
「てゐ? まだ起きてるの?」
 鈴仙・優曇華院・イナバはそんな彼女に首を傾げる。健康を大切にする彼女はあまり、夜更かしをしたがらない。
 かたわらには酒。手には小さな杯。
「月見酒?」
「ああ、」てゐは酒を向けて「鈴仙、暇なら付き合ってよ」
「ん」
 いつもの仕事は終わり、入浴も済ませた、あとは寝るだけ。
 なら付き合おう。と鈴仙はてゐの傍らに腰を下ろす。
「ほいよ」
 杯を渡される。中には酒。
「ありがと」
 礼を言って一口。てゐは瓶から直接、酒を煽り「ほい」
 杯に注ぐ。鈴仙はもう一度礼を言って、今度は少し、舐める程度に飲む。
「どうしたの? てゐ、こんな夜まで起きてるなんて珍しいわね」
「たまにはね。……なんていうか、さ。
 予感がするんだよね」
「嫌な? いい?」
 問いに、てゐは首を横に振る。
「あの、豊聡耳神子が、……道場に居るとかいう豪族どもが出たってぇ時に感じた予感さ。
 そう、」
 いい、予感なのだろう。
 嫌な、予感かもしれない。
 ただ、どちらにせよ。
「懐かしい、かな」
 ぽつり、呟くてゐ、いつもの賑やかな様子はない。ただ、静かに、月を見上げる。静かに、まるで、…………だから、
「鈴仙?」
 鈴仙は、柱に背を預けるてゐの傍らに座り、抱き寄せる。
 まるで、
「ま、一応、私はてゐの上役だし、私に協力できる事なら協力してあげるからさ。
 だから、」
 てゐは抵抗しない。ただ、静かに抱き寄せられる。
「だから、そんな不安そうな顔しないでよ」
「…………ふんっ、……頼りにしてあげるから、傍にいてよ」
「はいはい」
 何が不安かわからないけど、まあ、なんとかやりましょうか。

 ふと、鈴仙は傍らに視線を落とす。そこには数冊の本。
 幻想郷縁起、諏訪大明神画詞、万葉集、北野天神縁起絵巻があった。

//.永遠亭



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