//.幕間

 聖白蓮と伊吹萃香の戦いはあたりの木々をなぎ倒し、岩を叩き砕く打撃戦となっていた。
 周囲舞う天狗はその戦いを見ながら干渉できない。半端な実力で干渉すれば羽虫のように潰されることが確信できているから。

「剣、鎧っ!」
 白蓮は剣鎧童子を己に垂迹。数多の剣を纏った手を萃香に叩きつける。
 高い身体能力をそのままに、力任せに迫る剣群を見据えて萃香は散る。その体を無数の小さな形に変えて回避。
 白蓮は不意の回避に一切動じず、即座に、
「火界呪」
 周囲を、焼き払う。
「うわっ!」
 密度薄く散った萃香は慌てて再構成、そのままだと、間違いなく焼き払われた。
 肝を冷やす萃香に白蓮は剣鎧を再度、叩きつける。萃香は横に跳び回避する「逃がしませんっ!」
 毘沙門天の加護を受けた錫杖が唸りを上げる。白蓮の力を合わされば刀さえ叩き切る鋭い打撃力が萃香に迫る。
 が、
「鬼をなめないでほしいんだけど、」
 打撃の音。周囲の岩を萃めて即席の楯。大きく抉られた岩がその破壊力を物語る。けど、萃香の口元には獰猛な笑み。
「ねえっ!」
 その岩を、萃香は白蓮に投げつける。鬼の膂力を活かした高速の投擲。応じるのは、雷の一撃。
 金剛杵、遠き国で世界に害成す悪龍を打ち滅ぼした帝釈天の雷撃。それは岩をやすやすと砕き貫き、その先にいる萃香さえ焼き尽くそうと迫る。
 が、その先に萃香はいない、百戦錬磨の鬼は自分の攻撃の行方を黙ってみている事などせず、はるか上空で萃める。
 萃める。岩石、木々、あるいは巻き込まれた天狗の武装さえ、硬度、質量において人を叩き潰すに値するものを萃めて、
「さあ、潰れやっ!」
 投擲する。雨あられと飛来する打撃を前に、白蓮は手を合わせる。地面に描かれるのは蓮の曼荼羅。高出力の法術、行使。
「飛鉢法っ!」
 曼荼羅が輝く。雨あられと飛来する打撃の力は一瞬、水に浮かぶように停滞し、直後に、
 飛翔する。かつての飛倉のように、萃香の投擲よりもなお早く。
「水運の蛇。剣と鎧の童子。
 はは、……十分な鬼だねぇえっ!」
 なら、萃香は飛来する打撃力を萃め、さらに萃め、己を散らす。萃めて萃めた質量に己を行き渡させる。そして、
 出来るのは岩蛇。岩石、木々などを無理矢理萃めて圧縮したさらなる打撃力。それは白蓮の法術干渉を貫通して下に突撃する。
 白蓮は毘沙門天の加護が宿った錫杖を握り、「来たれ龍王」
 蓮は、消えない。
「倶利伽羅剣っ!」
 錫杖に龍王が宿る。龍王、水の龍が浮かび上がり、直後に、
「は、あぁああああああああああああっ!」
 声、そして、人の身をはるかに超えて伸長した水の剣を岩蛇に叩きつける。岩蛇はその身を削る、が。
「蕃国の龍が、この国の蛇を打ち滅ぼせる? か、その意志自体が、」
 萃香の声から、笑みが消える。
「不敬と知れっ!」
 龍王の刃を岩蛇は叩き砕く。その身を削られながら水の刃を粉砕し、白蓮に迫る。
「っ!」
 白蓮は全力で回避。直後に岩蛇が地面に激突して粉砕。――――だけでは終わらない。
 岩蛇は白蓮に突撃する。倶利伽羅剣では斬り殺せない。その質量が激突すれば、いくら白蓮といえども轢殺は確定。
 自分をはるかに超える質量の突撃、けど、白蓮はまっすぐに見据える。
「不敬、……何をいまさら、
 仏道に背き、生死の理さえ外法をもって犯した、なら、無礼も不敬もすべて持ち合わせて、私は、望みを叶えますっ!」
 白蓮は錫杖を岩蛇に向ける。巨大な岩蛇に相対するにはあまりに頼りない質量。けど、
「四天王、護法っ!」
 白膠で形作られた四つの形。持国天広目天増長天多聞天、四天王の加護の防壁が岩蛇を受け止め、からめとる。
「鎮護国家の名を騙った略奪者がっ!」
 破砕、萃香はからめ捕られた岩石や木々をそのままに、まだ己の力が及ぶそれらを纏って後ろに跳躍。
「それが鬼でしょうっ!」
 萃香の言葉に白蓮は吼えて応じる。己の望みをかなえるために法を犯すのだ。そんな自分は仏の名はもったいない、鬼で、いい。幽明の境を狂わす罪を犯すのだ。堕地獄確定の自分には鬼が似合っている。
 ただ、それでも、
「鬼と呼ぶなら鬼と呼べっ!
 罵声も嘲笑も構わないっ! 幽明の境を狂わす大罪を犯す私を、仏敵というならそれでいいっ! それでも、私には会いたい人がいるのですっ!」
 だから、と錫杖を握り。蓮の曼荼羅は白蓮の意志に応えて輝きを増す。
「だからっ、私は絶対に負けないっ!」

 萃香は震えを感じた。寒気にも近い、畏怖にも近い、感情の絶叫を見たときに感じた震え。
 人、改めて思う。鬼、仏教徒、尼僧、外法に身を染めた罪人、幽明の境を狂わす仏敵。それらをすべて包括し、内包し、それでも、ただ、強く、強く思う。人、と。
 そんな感情は人しか持ちえない。いくらでもあげられる白蓮への評価はすべて、人である、とその思いの前には軽すぎる。
 人だっ! 浅ましいまでに求める。愚かしいほどに求める。悪いとわかっていながら、感情の咆哮を止められない。
 なんて矛盾した愚かな存在。けど、萃香はそれを嗤う事はできない。
 その矛盾がここまで強くしたというのなら、鬼である萃香はその感情に敬意を表しこそすれ、貶める事などできるわけがない。
 人だっ! そう、襲い掛かる数多の人、殺され殺され殺され、そして、殺されながら殺しに来た人。あまりに愚かな有象無象。その一つ一つの意志は鬼退治と語られ騙られた数多の物語が伝えている。
 人だっ! 人のみが持ちえる矛盾した愚かさ、感情。強者である鬼を弱者である人が殺す、ただ一つの矛盾。
 本当に、
「ああ、腹立つっ! 苛立つっ!
 仏敵も仏教徒も鬼も何も知らんっ! 愚かな人っ! 気に入らないから私はあんたを叩き潰すっ!
 罪も罰も知ったことかっ! 罵声も嘲笑も不要っ! ただ、自分の望みを邪魔する障害として、鬼と相対しなっ!」
 気にするな、と白蓮は鬼の言葉を思う。何も気にせず、…………そう、ですね。
 そのほうが、分かりやすくていい。……自分に課した思いを、これからの戦いですべてかなぐり捨てて、望みをかなえるために、

「なら、精一杯、私は戦い、勝ちますっ!」

 鬼と仏教徒、――伊吹萃香と聖白蓮の激突は加速する。

//.幕間

//.幕間

 洩矢諏訪子は身を振り回して鉄輪を投擲する。
 神威に構築された鉄輪は数十を超えて山を駆け抜け一つの失敗もなく対象に突撃する。――もちろん、
「ふっ」
 対象、源為朝は両手の刀を振り回して迎撃する。柔軟と剛健を兼ねそろえた剣術は鉄輪をすべて打ち砕き、砕いた鉄輪のかけらをつかむ。それを弓に番えて、放つ。
「へ、えっ!」
 そんなものまで射れるんだ。諏訪子は感心しながら薙鎌を振り抜き欠片を叩き落して、「うわっ?」
 ついで、木の枝。慌てて回避する。そして、
「っとっ!」
 射ながら駆け寄ったらしい、為朝の一刀をしゃがんで回避。
 結構全力の一振りに見えたけど、刀は器用に枝葉の間を抜けて、為朝は体勢を崩しもしない。すごいねえ、と諏訪子は感心する。
 そして、掬い上げるような一刀を防御して弾き飛ばされる、直後。
「いっ?」
 掬い上げるような一刀、それで伐採したらしい、宙を舞う枝をつかんで弓に番える。そして、射る。
「こ、のっ!」
 弾き飛ばされた諏訪子に回避は不可能、薙鎌を振るい迎撃する、が。
 さらに、為朝は矢筒から枝を抜く。それを射る。
 二射目、まだ諏訪子は着地していない。薙鎌は振り抜いた。だから、
「やっ!」
 振り抜いた薙鎌を地面に叩きつけて落下の速度を遅らせる。体勢が苦しいが諏訪子の真下を高速の矢が通過。そして、背後の木に激突して爆ぜる。
 凄いなあ、と。諏訪子は感心する。木の枝を矢代わりに射るようなことも含めて、
「どれだけ、戦いに特化してるんだか」
 わかる。あの弓は狩りを前提としていない。あんなもので射られたら獲物の体が弾け飛ぶ。
 間違いなく、武装した人を射殺するために造られた強弓。生きるためではない、殺すための武装。殺すための戦い方。――――殺すための、強さ。
「人よ、そこまで、どうしてそこまで強くなったっ!
 そこまで強くなって、どうしてまだこんなところに来るっ!」
「いくら強くなろうとも、出来ぬことはあるっ!
 俺は、ただ会いたい人がいるだけだっ!」
「死んだ人、ね。
 愚かっ! 幽明の境を狂わせるかっ!」
 挑発と自覚して諏訪子は言う。その挑発が効くことはない。
「愚かでよいっ! 恩を返すのだっ!
 今度こそ、俺は絶対にっ!」
 そのためなら、神に刃を向けることもしよう。為朝はその覚悟を諏訪子に突き付ける。
 恩、そう、恩だ。
「そこまで戦うなら、相当の恩だろうね」
「捨てられた俺を拾ってくれたっ!
 家族からさえ恐れられ、疎まれた俺の力をかってくれたっ! 頼ってくれたっ!
 偉大なる慈母よっ! 俺のような弱い人は、ただそのことだけで、嬉しいのだっ! 恩を感じているのだっ!」
「それを弱さというなっ!」
 為朝の声に諏訪子は怒声を返す。それは、
「頼られ、信じられることで己を維持する私たちは、もっと弱くなるんだけどね」
「なら、すでに語る言葉はない」
「聞きたいんだけどね」
 諏訪子は優しく微笑む。
「後悔があるんだね」
 優しい言葉に、為朝は頷く。
「そうだ。
 俺を頼ってくれ、仕えさせてくれた。…………なのに、俺は負けた。守ることも、できなかったっ!」
「そのことは謝ったのかい?」
「当たり前だ」
 為朝は頷く。そう、謝った。情けなくて、悔しくて、手を差し伸べてくれた主君を守れず、敗北という結果を与える事しかできなくて、涙をこぼして謝った。

 気にするな、お前はよく戦ってくれた。
 私こそすまなかった。せっかくの献策を、蔑にしてしまった。

「主君は許してくれたっ!
 だが、それでも、…………」
 許せないのだ、と為朝は刀を握る。
 その思いは鬼気迫る感情。虚無感と哀哭が為朝を絶叫させる。
「何もできなかったっ!
 恩ある主君にっ! 俺は何一つ返すことができなかったっ! だからっ! 俺はその機会を与えられるなら何でもするっ! 神よ、この国を支える慈母よ。
 愚かと嗤うなら嗤えっ! 俺は、止まるつもりはないっ!」
「許してくれたのに、それでもなお突き進むか、もはや狂気の域だねえ」
「そんなもの、主君の絶望に比べればどれほどのものか」
「狂った?」
「伊豆で聞いた。主君は、最後に死んでしまった、と」
 その言葉を聞いた時の虚無感は、まだ為朝の胸に残っている。
 伊豆で暴れた。ここを、主君の安息の地とするために、…………もう、自分にはそれしかできないのだから。
 武をふるう事しかできない。だからせめて、心安らかに過ごせる場所を作りたかった。けど、

 狂死した。
 
 その言葉を聞いた時の虚無はいまだに忘れられない。忘れるつもりも、ない。
 何もできなかった。拾ってくれ、頼ってくれ、戦う事しかできない自分を仕えさせてくれた。
 それなのに、大一番の戦いで敗北し、捕えられ、流刑先で仕える事さえできず、せめて安らかに過ごせる場所を、と平定した矢先に、狂死の報。
 何もできない。……どれだけの武威を持とうと、どれだけの力を持とうと、自分は、何一つ恩を返せなかった。
 だから、
「だからっ!」
 為朝は、いう。「もういいよ」
 諏訪子は、そっと微笑む。優しく、
「それで、幽明の境を狂わすんだね。
 死者を、大切な主君を、またこの地に戻し、そして、今度こそちゃんと仕えるために、恩義を、返すために」
「そうだ」
「強い子。私は貴方の意志を遂げさせてもいいと思う。見不日子には会ってみたいしね。……けどね、」
 す、と薙鎌を構える。
「神は、その意志を否定する。
 幽明の境界を狂わすことを許さない」
「不要、…………否、」
 為朝は苦笑。もとより許される必要を感じていない。ただ、
「心情だけとはいえ、肯定してもらえたことは感謝する」
「どういたしまして、…………さあ、おいで、」
 諏訪子は優しい微笑で手を広げる。泣きわめく子供を抱きしめてあやすように、
 応じるのは最強と名高き武士、相対する神の強さに敬意を持ち、神の存在に畏敬を持ち、けど、譲れないがゆえに刃を向ける一人の愚者。名を、
「源為朝、相対願うっ!」
 そして、薙鎌と刀が激突する。けろけろ、と声。

「おいで、強い子。
 神の意志を拒絶するのならっ! その武威を見せてみなっ!」

//.幕間

//.幕間

 加速、仏教徒と鬼、聖白蓮と伊吹萃香の激突はその文字通りの展開をたどっていた。
 蓮の曼荼羅はさらに輝く。飛鉢法。空鉢童子の力を繰る法術は周囲の倒木、岩石、そのすべてを白蓮の周囲に旋回させ、そして、
「いけっ!」
 空舞う萃香に砲撃する。砲撃、倒木はその質量で広範囲を打撃し、岩石はその硬度で致死の破壊力を持つ。
 それが、十重二十重に飛来する。回避不可、迎撃愚行、……それが、人であるならば。
「は、ははっ!」
 人であるならば、人でない鬼、萃香は笑って猛撃に身を躍らせる。疎となり巨躯、倒木を受け止め、密して凝固、岩石を打ち砕く。
 身を躍らせる、すべての砲撃を受け止め砕き、人では不可能な生還を笑みで成し遂げて、
「今度は、こっちだぁああっ!」
 受け止め砕いたすべてを萃めて投擲。十重二十重など大質量の一撃の前では無為。と、砲撃を砕き潰して白蓮に迫る。
「でしょう、ねっ!」
 突き付ける金剛杵。軍神の持つ必殺が岩石を雷撃、けど、砕き切れない。
 けれど、
 剣鎧、ぞろり、と。数にして数百の剣を顕現。それが、一斉に雷撃した岩石に叩き込まれる。
 いくら巨大な質量があれど、元は萃香の萃めた集合体。その隙間に精密に剣が突き刺さり、
 白蓮は手を振る。剣鎧童子の剣はその意志を汲んでわずかな隙間を切り開く。
 切り開く、切り裂かれ、萃められた大質量は元の倒木と岩石へ。雨あられと降り注ぐそれを見据えて、飛鉢法。
 山肌を引きはがす。白蓮の立つ地表がその法術により高速の飛翔を開始。
「へえ」
 萃香が関心の声を上げる。雨あられと降り注ぐ倒木、岩石、そこに突撃する。そして、
「毘沙門天よっ! 加護をっ!」
 錫杖が鉄色に輝く。地に眠る財宝、鉱石を守護する毘沙門天は白蓮の声に加護として応じる。
 鉄色の錫杖は伸長。白蓮の身長の二倍程度まで伸びて、白蓮はそれを振り抜く。
 熟練の剣士のように、流麗な動きで目の前にあるすべてを打撃して弾き飛ばす。一直線、最短距離で萃香に迫る。
 その表情は必死、鬼気迫る、といってもいい。そこまでして、
「そこまでして、なにに捕らわれているのか。
 ったく、あの馬鹿蛇っ! 何が気楽に遊ぼうだっ!」
 気楽、にするにはもったいなさすぎる。全霊、全力、総力、白蓮を見ればそれ以外の何がふさわしいか。
「さぁあ、てっ!
 これ以上は、神の領分と知りなっ!」
 萃める、まずは、眼前に迫る白蓮に萃香は萃めたそれを開放、伊吹颪、かつて巨神、伊吹弥三郎の息吹。山を駆け抜ける爆風。
 壁のような大気の打撃。突撃する白蓮に不可視のそれを回避する術はなく。
「きゃっ」
 直撃。白蓮の法術をもってしても神の息吹を突き抜けるに能わず、神に挑めばそれが必定と墜落。
「かっ?」
 地面に激突する。その陥没の痕は人の身なら即死を意味し、けど、
「くっ」
 白蓮は立ち上がる。錫杖を突き、かすかに震える足で、それでも、「まだ、立つんだ」
「言った、はず、です。
 私は、負けるつもりは、ない、と」
 声には震えがある。けど、それ以上の強さがある。決して、
「まけ、ない。です。
 命蓮に、謝るのです。」

 逃げ出してごめんなさい。
 独りにしてごめんなさい。

 寒かっただろう。寂しかっただろう、……ごめん、なさい。

 だから、
「私はっ!」
 白蓮は錫杖を振り上げる。そして、地面に叩きつける。
 蓮の曼荼羅が灼熱。
 絶対に、
「負けたくないのですっ!」
 護摩法。……曼荼羅が火炎を構成して空にいる萃香ごと、天まで焦がせと咆哮を上げる。
「うそ」
 焦熱。あらゆるものを焼き清める浄滅の炎が萃香に直撃した。

「は、…………あ、」
 それを見て、白蓮は膝をついた。
 疲労が重なっている。高位の法術連続行使。代償は疲弊という形で白蓮を蝕む。
 けど、
「まだ、ですね」
 雷撃の音は止まらない。霹靂神は、まだ上にいる。
 まだ、井上皇后は顕界に来ていない。井上皇后を保護して、一緒に行かなければならない。そのためにも、
 白蓮は足を引きずるように歩き出そうとして、声。

「おやあ、もう終わりかい」

 振り返る。そこには両手に焦げ痕を残した鬼がいる。

 化け物だねえ、萃香は半ば自分を棚上げして思う。
「まだ、戦いますか」
「鬼が途中で戦いを投げ出すなんて、期待しないことだね」
「期待、したいのですけどね」
 白蓮は荒い息を吐く。疲労を隠せていない。
 けど、それは萃香も同じ、護摩法の火炎直撃を受けたのだ。焼き滅ぼされることを覚悟したのは、ずいぶんと久しぶりだ。
「よく、生き延びました、ね」
「氷雨、鉄の煙と雨の防壁さ」萃香が纏っていた鉄はない「私の切り札の一つなんだけど、防御のためにやるなんてねえ」
 萃香は小さく笑う。
「誇りなよ。
 この国の英雄さえ殺した力を使って、この様さ」
 気楽に振る手には焦げた痕がある。「では」と白蓮は錫杖を突き付けて、
「それで手打ちしにしてもらえませんか?
 私は、行かないといけないのです」
「私が言ったこと、忘れた?」
 萃香は手を打つ。その口元に、壮絶な笑み。
「もう一つさ、付き合ってよ。鎮護国家を騙る鬼。
 酒呑童子の腹いせ継続だ」
「かの伝教大師と同列に語られるとは、畏れ多すぎますね」
 小さく笑みが交わされる。そして、
「さあっ!」
 萃香は胸を張り、天に吼える。

「刮目せよっ!
 最も古き鉄の蛇っ! 私たちの偉大なる同胞の姿を、喝采をもって迎えよっ!」

 そして、大地を打撃する。全力全霊で萃める。萃香の姿が消える。その制御、鬼の身では扱いきれない。疎、己を限界まで散らして萃めたその存在に己を重ねる。
 直後に、爆破。大地の逆瀑布。地面も、木々も、岩石も、その存在の前に木端のように吹き飛ばされる。そこにあるあらゆるものを蹴散らして、爆音という名の喝采とともに現れるその存在。
 …………白蓮も、この国の神話は知っている。まさに、
「神代、再現」
 唖然と呟く。

 八岐大蛇、……朱砂の赤に彩られた鉄の神代大蛇。

 神の威が、ここにある。

//.幕間

//.幕間

 連続する打撃の音。戦いの音、それを響かせて洩矢諏訪子は一つの名前を思い出す。大切と思っていたもののためにすべてを敵に回した愚者を、
 物部守屋、と。
 彼もそうだった。崇仏派の力が強くなり、時の帝さえ仏教に傾倒し始めた。仲間がいなくなる。少しずつ、確実に味方が消えていく。けど、その中で、一人叫び続けていた。
 本来なら協力できたはずの、自分たち同様に貴き祖神をいただく蘇我臣が敵対した。
 そして、
 皇統の施政者、豊聡耳神子が敵に回った。
 支えていた皇子、穴穂部皇子に裏切られた。
 同じ物部連の聖童女であり妹、物部布都に謀られた。
 誰も彼もが敵に回った。すべてが敵に回った。なぜ、
 問う、問うた。なぜ、この国を支える神祇を蔑にして、なぜ、蕃国の神ごときを崇敬するのか。
 なぜ、と。周りにいる敵たちに叫び続けた。なぜ、と。
 なぜ、大切なものを捨ててしまうのか、と。
「なぜ、か、ね。否定されても、拒絶されても、それでも最後の最後まで叫び続ける。
 本当に、人は愚かだ」
 諏訪子の呟きに源為朝は応じない。刀を振り、追撃する。
 薙鎌で迎撃しながら諏訪子は不利を感じていた。土着神である諏訪子は信濃ならともかく、ここ、鞍馬山では己のもつ乾の創造に制限がある。
 ゆえに、とる手段は薙鎌を使った打撃戦か、鉄輪の投擲による狙撃戦、だが。
「つっ!」
 薙鎌を正面から打撃される。凄まじい重さの一撃。どれだけ鍛えればこの威力が出せるのか、地元信濃も精強な武士はいる。中には驚くほど強い者もいる。そして、鬼や天狗、人を超える妖怪もいる。
 それらを知る諏訪子でさえ、信じられない武威を為朝は振る。剛柔合わせた剣術は確実に諏訪子を打撃する。鬼が鍛えたのか、その刃が欠けることはなく的確に狙いに来る。
 小柄な諏訪子はその打撃力と質量に容易に弾き飛ばされる。事実、振り上げられた一刀に弾き飛ばされ空を舞い、叩きつけられる一刀に吹き飛ばされた事も一度や二度ではない。
 もし、薙鎌が神器と呼べるものでなければすでに三桁は圧し折れているだけの打撃を受けている。どうすればここまで戦いに特化した強さを得られるのか、教授願いたいくらいだ。それも、
「こ、のっ!」
 打撃されて吹き飛ばされる。追撃防御のために鉄輪を投擲。……だが、
 数十、並ぶ鉄輪。本来なら全方位から狙いたいが、それは出来ない。
 為朝は即座に刀を腰の鞘に叩き込む。連動する動きで弓を取り、矢を番える。槍とさえいえる鉄矢。刀を収め、弓を持ち、矢を番え、……その動作にかかる時間は刹那。そして、放たれる。
「凄いなあ」
 数十の鉄輪が、まとめて粉砕される。為朝の放つ鉄矢は的確に鉄輪をすべて粉砕。全方位から狙いたいが、それは出来ない。一直線に並べて投擲しなければ鉄矢は確実に自分を貫く。
 速度を減じたがゆえに、身を捻り回避。鉄輪を粉砕し、なお、背後の岩に突き刺さるだけの威力を誇る。直撃したらどこであろうと貫通確定。
 強い、だからどうしても重ねてしまうのだ。強いと、そう感じた男を、守屋を、なぜだ、と最後まで愚かに叫び続けた強者を、
 それと似た眼差しを見て、懐かしさに、嬉しさに、笑う。
「聞いてよ為朝っ!
 君を見てると思い出すよっ! 周り中敵だらけになってっ! 誰も味方がいなくなってっ! それでも、大切と思うものを譲らず殺される直前まで吼え続けた愚者をっ!
 ああ、本当にっ! 命よりも大切なものがあると叫び続ける愚者どもっ! 本当にっ! ものの系譜は愛おしいっ!」
「その強き愚者と並べ称されたこと、俺にとっては栄誉でしかないっ!」
 振り抜く、邪魔な枝を伐採しながら諏訪子を狙う。諏訪子は背の低さを利用し、一気に身を沈める。感じるのは人の頭蓋なら切り飛ばせると確信できる豪風。
 そして、手を振り上げ鉄輪の創造。為朝は振り抜いた刃に引かれるように横に跳び、並び飛ばされる鉄輪をかろうじて回避。そして、
「はっ!」「やぁああぉっ!」
 さらに体を回して振り抜く一刀を、足から体、腕へと全身の力を込めて跳ね上げた薙鎌で弾き飛ばす。甲高い音が響く。
 が、為朝は終わらない。片手を振り上げたことなど些末なこと。剛腕をもってもう片方の刀を振り抜く。
 相対する諏訪子は神代より続く戦歴保持者。軽く後ろに跳躍して、手に鉄輪を創造。最大の硬度をもって、その一撃を受ける。
 その打撃力込みで弾き飛ばされる。為朝は「追撃?」
 弓を番えない。弾き飛ばされた諏訪子を走り追撃。疾走の勢い込みで、
「は、あぁあっ!」
 刀を叩き込む。着地した諏訪子を両断せよ、と振り下ろす。
 諏訪子は、一歩前に、刀に寄り右足を一歩前に、半身に、耳に風が切り裂かれる音が響く。
 そして、
「そ、こっ!」
 即座に手を振り上げる。構築された鉄輪が為朝を打撃する。
「がっ」
 為朝は一撃を受けて身をかがめ、腰を落とす。諏訪子は薙鎌を振り上げて、「まだっ!」「だっ!」
 振り下ろす、応じるように跳ね上がるのは拳。そして、打撃。
「ぐっ」
 あわてて、薙鎌の柄で防御する。が、振り上げる拳と連動するように立ちあがった為朝は追撃の膝を叩き込む。
「かっ?」
 打撃に諏訪子は、けど、「けろけろ」
 不敵に、笑う。笑い、一抱えの膝を抑えて、
「ちっ」
 あわてて引こうとするが、遅い。諏訪子は跳躍して「や、あぁあっ!」
 跳躍、為朝の膝を一度蹴りさらに跳ねあがり、薙鎌の柄尻で顎を打撃。
「女子供に打撃? えげつないねえ」
 着地してけろけろと笑う。為朝はにや、と笑い。
「慈母よ。本気でいうのならもう少し戦い方を考えさせてもらおう。
 手抜きを喜べるのならな」
 あはっ、と諏訪子は笑う。
「神へ刃を向ける不敬を犯すのなら、死力を尽くす事こそ礼儀と知れっ!」
 諏訪子の言葉に、神の言葉に為朝は応じる。
「神勅、確かに賜ったっ!」

 神に抗う。とその言葉を為朝は聞いて思う。主君は、怒るだろうか、と。
 何せ厳しい主君だ。都の作法など何も知らない自分は何も知らず無礼を働くことが多々あった。朝廷では大体大目に見られたらが、御所や神社での振る舞いに激怒されて殴られた事もあった。
 もちろん、鎮西の名のもとに暴れまわった自分にとって、殴られたところで大したことではない。が、
 その暴威をもって常に恐れられていた自分には、そんな主君が最初は物珍しくて、……そして、誰よりも有難かった。
 目にかけてもらっていた、と思う。右も左もわからない自分をいろいろなところに連れて行ってくれた。もちろん、そのたびに殴られることもあったが。

 似ているからな。

 ぽつり、とした主君の言葉、最初は何を言っているのかわからなかった。
 後に聞かされた。叔父子と疎まれていた事を、認めてほしくて、必死に勉学に励み、あらゆる事を学び、努力を重ね続けた事を、………………けど、一度も認められなかった事を、
 似ている、と。
 武芸を学び、強くなり、ひたすら強くなり、……けど、疎まれて捨てられた自分と。
 なぜ、自分を拾ったのだ? 問うた自分に主君はそういった。似ている、と。

 だから、この主君に仕えた。この主君の世を治めてほしかった。
 認められない寂しさを知っているから。疎まれる悲しさを知っているから。……この主君なら、そんなことのない世にしてくれる、と。そう信じていたから。
 一切の官位などいらない。この主君の弓となり矢となり、そして、刀となれるのなら、そんなものは何一ついらない。自分にとって意味のある名は主君と会うきっかけとなった名、鎮西八郎だけで十分。
 武勲など何もいらない。すべて、主君に捧げる。……………………望むとすればただ一つ。施政者としてその位に立った時、疎まれるだけだった己の武威を、褒めてほしかったか。

 けど、それは適わなかった。
 迫りくる敵を打ち倒し討ち抜き蹴散らして、もう少しだ。と、弓を持つ手に力を込めた。前を見据え、敵を睨み、そして、背に感じる爆ぜる音。主君のいる白河北殿から上がる、炎。

 ごめんなさい。たくさんの恩をもらったのに、大切な時に何もできなくて、ごめんなさい。
 だから、せめて、――――――

「あぁぁああああっ!」
 裂帛の気合いとともに刀を振り抜く。諏訪子は軽く跳躍しその打撃を受け流す。吹き飛ばされる事を代償に、為朝の一刀を受け流す、……「うそ」諏訪子は、信じられない光景に目を見開く。
 為朝は追撃のために弓を構える。そこに番えるのは木の枝でも、鉄の矢でもない。
 諏訪子を弾き飛ばした、鉈のような、巨大な刀。ぎしり、と強弓が軋みを上げる。為朝の腕が軋む。
「ぐ」
 軋む腕に小さく声を上げ、けど、……その矢を、解き放った。
「冗談でしょっ?」
 諏訪子は悲鳴にも近い声を上げる。太い枝でさえ軽く切り飛ばせるような巨大な刀が、矢と大差ない速度で飛んできたのだ。神代、侵略神と戦っていたときでさえこんな馬鹿げた光景は見たことがない。
 吹き飛ばされている現状で回避は不可。防御のために構えた薙鎌での迎撃も不可。なら、
「こ、のっ!」
 薙鎌を振り上げる。神器、その硬度を信じて防御。
 硬度を信じてなど、ばかげている。神の振るう神器だ。人に砕かれるなど、信じる以前に、ありえていいはずがない。――――ありえていい、はずがなかった。
 薙鎌が切り飛ばされる。強弓から放たれた刀はその鋭さと頑強さと速度で神器を圧し折る。八坂神奈子にさえ感じなかった。寒気がするほどの破壊力。
 薙鎌を失い。そして、
「あ」

 斬っ、と音。――諏訪子の小柄な体を、刀が貫いた。

//.幕間

//.幕間

 そして始まる蹂躙。
 八の赤き鉄蛇を纏った伊吹萃香は山を食い荒らしながら聖白蓮に迫る。
 突撃の直撃を受ければ跡形もなくなる。鉄蛇にはその速度がある。その鋭さがある。その硬度がある。その存在、あらゆる要素が致死の一撃を叩き込むに足る。
 それが八、神代大蛇の暴威は確実に白蓮に迫る。…………なら、

 蓮の曼荼羅が輝く。脇侍に二童子。剣鎧童子、空鉢童子。
 最大最高最強の法術を完全展開。
 飛鉢法。……黄金の鉢が顕現。蓮の曼荼羅が万色に輝く。

 命蓮。

「会いに、行きます。だから、」
 そっと、お守りに触れて、前を見据える。
 赤き鉄の蛇。古き神の暴威。それを見据えて、

「征きます。いざっ、――――」
 いざ、望みをかなえるために、力を振るおう。
 蓮の光輝を背に、祈願のように、咆哮のように、哀哭のように、絶叫。

 いざ、すべてを、ここに、
「――――南無三っ!」

 赤き鉄の蛇を迎え撃つのは曼荼羅の蓮。
 濁流のごとく流れ、大渦のように荒れ狂い、剣鎧が鉄の蛇を打撃して穿ち切り裂く。
 剣鎧の色は万色に輝く蓮に合わせて数多、龍王の水色、毘沙門天の鉄色、帝釈天の雷色、不動明王の火色、曼荼羅が放つあらゆる色を内包する剣が空鉢童子の導きで流星のごとく飛空する。
 響く音は甲高い金属の音。その破壊力をもってすれば城塞さえ瞬く間に削り壊せる。それを受け、赤の神代大蛇はその身を削られながら迫る。
 法術の刃は鉄を砕き削り、けど、八岐大蛇は蕃国の力に負けるつもりはないと咆哮を上げる。鬼の力と神の威を併せ持つ鉄の蛇は決して崩せず敵に向かって突撃。横道なく、八の鉄蛇はそのすべてが真っ向から万色の蓮に迫る。その突撃が止まることはない。山肌を削り木々を薙ぎ払い。けど、雨の密度で、流星のごとく迫る剣鎧の猛撃に削られながら突き進む。
 八岐大蛇は万色の蓮を喰い砕こうと、自らをずたずたに引き裂いた鉄の男に連なる力を今度こそ食いつぶそうと咆哮を上げる。
 切り刻まれろ、と剣鎧童子は蛇を剣で斬りつける。空鉢童子は蛇に剣を突き刺す。かつてのように、かつて、蛇を斬ると語られた刃のように、もう、貴様らは滅んだのだ、と。刃を振り回す。
 萃香は鉄に宿り突撃する。気に入らない、と、鎮護国家の名を騙り居場所を奪う貴様らが気に入らないと、そして、認めたくないが、白蓮の絶叫にある種の敬意をもって、ここまで、強くなった彼女、際限なく積重なる、己に罪重ねて強くなる感情の絶叫に畏敬をもって、ゆえに、一切の手抜かりなく、全力で古き鉄の蛇の威を纏い、鬼として全霊で殺しに征く。
 白蓮は黄金の鉢を、万色の蓮を、脇侍たる二童子を繰りながら言葉にならぬ絶叫を上げる。会うのだ、と寒い思いをさせた、寂しい思いをさせた大切な弟。逃げ出してしまった尊敬する弟に、会って、ちゃんと謝るのだと、そのためなら、仏敵といわれても構わない、鬼でいい、地獄こそふさわしい。ただ、その前に、ただ少しでもいい。会いたいのだ、と。

 赤き鉄の蛇が万色の蓮に喰らいつく。神代大蛇といえど、膨大な力の打撃に八から七へ、七から六へ、六から五へ、砕かれて破壊され数を減らし、四、けど、万色の蓮へ確実に迫り、三、砕かれながら鎌首を伸ばし応じるように刃が集中して叩き込まれて、二、首を伸ばす切り刻まれ、突き刺され、炎に焼かれて雷に貫かれ水に穿たれながら蓮を貫き、――――――そして、一。

 赤色の蛇が砕け、金色の鉢が貫かれ、万色の蓮が散る。
 聖白蓮を、伊吹萃香の拳が打撃した。

 ぼろぼろだった。もう、立ち上がることもできない。
 万色の蓮は散った。白蓮は、山肌から荒れ地となった地面に倒れて、ただ、呆然と空を見上げる。
 莫大な法術の連続行使。疲弊の極で叩き込まれた鬼の拳。受ける事など、できるはずがない。
 生きている。あるいはそれ自体が奇跡かもしれない、が。
「私の、勝ちだね」
 萃香は凄絶に笑う。全身が切り刻まれている。その体のいたるところが、鉄に刻まれ、火に焼かれ、雷に貫かれ、水に穿たれ、小柄な体は見るも無残。けど、その両足は大地を踏みしめ、拳は力なく、けど、確かに握られている。ゆえに笑う。私の勝ちだ、と。
「私を、殺しますか?」
 白蓮は空を見ながら呟く。殺すだろう、と。
 もちろん、殺されるつもりはない。まだ、命蓮に会っていない。死ぬつもりはない。
 だから、精一杯の抵抗をする。今の自分にできる精一杯の抵抗。………………………………錫杖を握ることしかできない。立ち上がることも、できない。なにも、できない。
 殺されるかな、とぼんやりと思った。昔はそれが怖くて、必死に逃げ回ったが、……もう、それもできない。
 立つことも、抗うことも、会うことも、謝ることも、なにも、できない。
「殺されたい?」
 問いに問い返す。白蓮は小さく応じる。空を見ながら「いえ」と、
 けど、
「これが、…………精、一杯の、抵抗、です」
 力なく、錫杖を持ち上げようとして、…………その重さに耐えられず、手を倒す。
 もう、なんの力もない。死にたくない、死にたくない、悲鳴を上げることもできない。だから、――――――舌打ち。
「もういい、好きなだけ泣いてろ」

 その言葉で、初めて気づいた。ぽろぽろと、頬を伝う涙。

「う、……あ、」
 手を上げる力など残っているはずがない。泣き顔を隠すこともできず、涙を拭くこともできない。
「あ、……う、ひくっ、…………う、うあ、くっ、……あ、――――――」
 何もできなかった一人の仏教徒、白蓮には、ただ、泣く事しかできなかった。

「これだから、――――」
 無事だったうちの一番近くの木。泣き声を聞きながら萃香は木に背を預けてへたり込む。泣き声を聞き、けど、せめてその姿を見ないようにし、自分の姿を見せないようにしながら、溜息。
「――――大っ嫌いだ」

//.幕間

//.幕間

 源為朝に容赦はない。武士だ。敵対者は確実に殺す。
 女子供と戦いたくはないし、神に畏敬の念は持っている。けど、それは敵対しなければ、だ。
 敵対するなら女子供であろうとも殺し、神とさえ戦う。……それに値する理由なら、
 値する理由、主君に会うためなら、ゆえに、為朝に容赦はない。刀に貫かれた洩矢諏訪子に、さらに矢を叩き込む。
 が、
「あ、あっ!」
 刀に体を貫かれ、激痛をこらえながら、諏訪子は鉄輪を構築して叩き込む。
 もちろん、十と並べた鉄輪さえ貫通する鉄矢。速射重視で射られたとはいえ、一つ二つでは容易に粉砕する。
 砕かれる、そして、諏訪子に突き刺さる。
 着地、が。すでに足には矢が突き刺さっている。巧く立てるはずもなく、倒れる。
「い、ったあ」
 右足に一本、左の腿に一本、右肩に一本、そして、最初の一つ。腹に刀が突き刺さっている。
 計四、よくぞまああの短時間でここまで正確に射れるなあ、と感心する。もちろん、ものすごく痛い。
 けど、それ以上に、
「終わりか、神よ」
 為朝は問う。退くのなら、戦うことはしない、と。
 対して、諏訪子は突き刺さった矢を引き抜く。人の姿をもってこの地に顕現する者として、血が零れ落ちる。痛い。激痛が貫かれた場所に響く。けど、それ以上に、
「強いんだね」
 我が子の成長を嬉しく思う。そう、微笑む。
 為朝はくすぐったい思いを得るが、それも振り払う。
 邪魔するのなら、敵なのだから。……ただ、
「主君のためならば」
 自分の強さというものは、すべて主君に捧げた。ゆえに諏訪子の言葉に首を横に振り応じる。
「そっか、」
 諏訪子は、そういって立ち上がる。激痛に軽く眉根を寄せるが、それでも、立ちふさがる。
 手には折れた薙鎌。四肢は穿たれ、腹には刀に貫かれた痕がある。全身を血に染めている。戦えるようには見えない。
 が。立ちふさがる。その意志だけで、敵と判断するには十分。
「なぜ、戦うか?」
「子の成長を見たいと思うのは、変かな?」
 溜息。ようするに、人の強さを、神は最後まで見たいのだと、そういうのだろう。
 神殺し、……考えたくもない言葉だ。だが、必要なら、やるしかない。
「為朝、強い子。」ぱちんっ、と柏手を一つ「おいで、神が力を尽くすから、その力、見せて、愛おしい、ものの系譜に連なる人、人、人、ちっぽけな命のすべてを焼き尽くし求める人、脆く儚い心で、己さえ焼き滅ぼすほどの絶叫を放つ人、私たち、神が愛してやまないものよ」
 慈しむように響く諏訪子の言葉に、為朝は頷く。ものの系譜。たとえ血としてつながらなくても、遥か昔より延々と連なる意志。神の愛する人の意志。そこに加えられることを栄誉とし、光栄と思い。ゆえに、弓を握る。刀を握る。――――武を握る。
「神よ。
 見て欲しい。神が生み、そして、育んだ。人の力を、」

 強く、なったよ。
 大切な人の、ために、

 構築される数多の鉄輪。数えきれない膨大な弾数。そのすべてが旋回の声を上げる。神威、総力を尽くして構築した神の力、神の器、洩矢の鉄輪。
 一斉に解き放たれる。木々を旋回し、あるいは薙ぎ払い。鉄輪が為朝に喰らいつく。超えられるなら、超えてみよ人よ、と。そして、――――

 いざ、神の威を乗り越えて、その命を焼き尽くすに足る、主君の下へ。
「鎮西、八郎っ! 参るっ!」

「あー、疲れた」
 解き放った弾丸を見送りもせず、諏訪子はへたり込む。なにせ、貫かれた場所がものすごく痛い。けど、
「けろけろ、――――ああ、けど、楽しかったあ」
 そのまま、倒れた。血が零れて地面を、諏訪子を赤く染め、けど、満足を込めて小さく微笑む。ただ、

 ――――願わくば、

「守屋、君の意志は、受け継がれているのかな。
 まあ、さすがに形そのままじゃないけどさ」

 願わくば、今度こそ、貫いてきてよ人よ。

「お、」
 為朝は弓を構えて、矢を放つ。
 並んだ鉄輪はそれにてまとめて砕かれる、が。
「底なしか」
 砕いても砕いても迫る。数に限りなし、人には出来ぬ所業、神の御業。そう、
 神の御業だ。改めてすごいな、と思う、が。「負けられぬ」
 迫る敵の大群と相対することは、昔にやった。あの忌々しき争いで、あの、敗北したときの乱で、……だから、

 もう、負けぬ。

 その意志を己に刻み込む。負けない、負けられない。もう、決して負けるわけにはいかない。
 俺は、――――

「今度こそっ、忠義を果たすのだっ!」

 ごめんなさい、負けてしまって、
 ごめんなさい、仕える事もできなくて、
 ごめんなさい、たくさん受けた恩の、その一つも返せなくて、
 ごめんなさい、――――だから、せめて、―――――― 

 弓を番える。速射、弾くように矢を放つ。矢は精密に鉄輪を砕くが、砕いても砕いてもさらに迫る。
 ぎしり、手が軋む。刀を射るという暴挙を成し遂げた手がその負担を引きずり痛みを訴え、無視。強弓を解き放つ。全力の一射は膨大な鉄輪をまとめて粉砕。
 右から迫る。見もせず刀を振り上げて振り下ろし叩き砕く。振り上げて旋回、左から迫る鉄輪を粉砕して、前へ。――――征くのだっ!
 一秒、矢を番えて放つ。鉄輪をまとめて粉砕、が。すべてが砕けるわけがない。体をかすめる、突き刺さる、叩きつけられる。
 全身を鉄輪が打撃し、……けど、――
「お、おおおおっ」
 ――その意志は、屈しない。
「ぁぁあああああああああああっ!」
 振り抜く振り回す射て砕き切り砕く。破壊する粉砕する割砕の音喝采の音、神の威を突き破り突き進む人に向けられる喝采の音が奏でられる。

『似ているからな』

「お、おおおおおおおおおっ!」
 刀を振り抜く振り上げる、砕く砕く砕く砕く、砕きつくす。打撃されて突き進む。全身の傷は数えきれない数える必要などない。――――突き進む。

『鎮西八郎、よい、その武威、私のために振るえ、私が使ってやる』

 一閃、前にある鉄輪をまとめて粉砕、一秒、矢を番えて放つ。砕きの音が真っ直ぐ響き渡りさらに二射、三。弓を射て纏めて砕く。
 …………あの時の乱のように、

『馬鹿者。神はこの国を護り支えてくださるのだ。
 貴様にとって官人はどうでもいいだろうが、この国に生きるのなら神を蔑にするな』

「お、ぁああああああああああああああああっ!」
 打撃される。体に鉄輪が突き刺さる。けど、振り払い突き進む。刀を振り抜き振り回し、喝采と破壊の音色を響かせて進む。
 神の威、……これを突き破ったら、褒めてくれるだろうか、あるいは、呆れられるだろうか。…………そのどちらでもいい、また、仕えさせてくれるなら、そんなことはどうでもいい。

『――――すまなかったな』

「俺はっ!」
 もう、決して、
 一刀、振り抜き切り砕く。その刀は半ばで折れている。気づかなかった。
 けど、まだ戦える、まだ矢も残っている。弦も、切れていない。
「俺はっ、もうっ!」
 迫りくる鉄輪を切り砕く。がぎんっ、と音。神器の激突に、鬼が鍛えた刀が粉砕する。
 けど、矢を手に取る。弓に番えて解き放つ、近い、いくつか鉄輪が己を打撃するが、こらえて弓を引き、矢を射る。
 喝采の音、割砕の音、破砕の音、破壊の音、それらの音を響かせて、矢を手に取り激突する鉄輪を叩き落して、弓に番えて射る。
 強弓の音が響く。喝采の音が響く。神の威を前に、それでも突き進む人の意志を讃える喝采の音が響く。

 けど、――――刀は折れる。次の、と手に取ろうとした矢は、もう、ない。
 そして、眼前に迫る鉄輪。せめて強弓を掲げて、――――――

「すごいね、ほんと」
 諏訪子は立ち上がる。そこに、一人佇む男。
 刀は砕けた。その背に、矢はない。強弓は圧し折れている。
 その体に無事な箇所はどこにもない。全身を血に塗らし、片方の手は力なく垂れ下がっている。片足も、鉄輪により大きく抉れている。
 そして、その顔は「悔しい?」――――応じる言葉はない。
「君の勝ちだよ。
 為朝。…………けど、」
 諏訪子は認める。己の敗北と人の勝利を、…………けど、
 彼は、もう、これ以上先に行くことはできないだろう。立っているだけでも辛いはずだ。倒れないのは、彼の意地か。
 ゆえに問う。勝利の喜びではない。この先に進むことができずに、悔しいか、と。
 応じる言葉はない。だから、諏訪子は慈しむように微笑み、手を広げる。

「おいで、――――悔しいなら、泣いて、いいんだよ?」

「不要、だ。……願う、なら、」
 為朝は俯いたまま、
「…………背を向けて、離れ、……て欲し、い」
「慈母なんて言ったのに、泣きそうな子をあやす事もさせてくれないの?」
 すねたように唇を尖らせる。そんな風に言ったな、と為朝は思い。血に塗れた顔で、ぎこちなく、苦笑。
「反抗、する、子は、…………涙を、母に見せぬ、のだ」
 なるほど、そう言われれば仕方ない。諏訪子は広げた手を下す。
 言われたとおりに背を向けて歩き出す。……自分も、結構きついし、どこかその辺で寝転がろうかなあ、と思いながら。

「さようなら、楽しかったよ。
 源為朝、強き武士よ」

 ――――――泣き声は、聞こえなかった。

//.幕間



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