「おじさん、帰っちゃったの?」
 牛若丸の問いに常盤は応じました。困ったように、
「ええ、どうも、清盛様に話があると言っていたわ。
 残念ねえ」
「清盛?」
 首を傾げるのは軽く頭を撫でるはたて。どうも、まだ痛いらしいです。
「えっと、……まあ、知り合いよ」
 私も、名前だけは聞いたことあります。確か、
「政治家、でしたっけ?」
「まあそんな人よ」
「常盤ー、ご飯ー」
 奥から諏訪子の声。「あら」と常盤は嬉しそうに、
「ふふ、じゃあご飯作りましょうか」
「足ります? 結構いますけど」
「ええ、諏訪子ちゃんとか巴ちゃんが山菜とかとってきてくれたのよ。
 ふふ、たくさん作るから、一杯食べてね」
「常盤、手伝いましょうか?」
「そうね。お願いね、椛ちゃん。
 牛若丸ちゃんは卓の用意をしておいてね」
「うんっ」

「どうしたのですか? 牛若丸」
「あ、え、えーと……」
「美味しいっ、常盤って料理上手ねっ」
「ふふ、ありがと」
「常盤ーっ、お代わりーっ」
「はい、諏訪子ちゃん」
 諏訪子の差し出した茶碗にご飯を盛って常盤。
「どうしたのですか? 牛若丸。
 なんか居づらそうにして」
 にやー、とした表情が少し気になりますが、文の言うとおり。
 なんとなく居づらそうな牛若丸。いつも通りの、賑やかな食事なのに。
「えっと、なんでもない」
「そうですか?」
「あ、牛若丸いらないなら私もらっちゃうね」
「はたてっ」
 ひょい、と山菜をつまむはたて、けど、「牛若丸?」
 抵抗しませんでした。
「ふふ、牛若丸ちゃん。お客さんが来ているのから緊張しているのかしら?」
「そうなの? 別に気にしなくてもいいのに、ねえ」
 けろけろと諏訪子。そして、
「もうっ、男の子だったらもっと堂々としなくちゃ駄目よっ」
 からかうように笑って巴。
「ううぅ、……別に、緊張ってわけじゃないけどぉ」
「おや、じゃあ、巴が気になるとか?
 確かに可愛らしいお子さんですけどねえ」
「そうなのですか?」
「えーー」
 首を傾げる私と、何とも言えず複雑な表情の巴。そして、けろけろと、
「気持ちはわかるよ。
 巴可愛いもんねえ。私の自慢の子だもんねえ」
 ぐしぐしと諏訪子は乱暴に巴を撫でる。「えへへー」と巴。
「そうなの? 私はてっきりもみ「わーっ、わーっ、わーっ」うぷっ」
 不思議そうに言い出したはたてを慌てて抑える牛若丸。
「牛若丸、食事中に騒いではいけません」
「……はぁい」
「ふーん」
 にやあ、と諏訪子は私に視線を向ける。……なんていうか、文みたいな笑顔。
「あのさ、椛、だっけえ?
 こっち、信濃来ない? 私が三郎に口きいてあげるよ。……いや、なんだったら私が直接面倒見てあげようかな?
 地元だと私は土着の神。たいていの我が侭なら叶えてあげるよ」
 けろけろと諏訪子、それと、………………内心で、表に出さずにため息。
「有難い提案ですが、しばらくここを離れるつもりはありませんよ。
 それに、」
 不安そうに私を見る牛若丸。彼を撫でて、
「おいていくようなことはしませんよ。
 だから、そんな心配しないでください。どこかにいくとしても、その時は一緒に、です」
「う、……うん」
 もちろん、
「私は牛若丸の師。まだまだ鍛錬の足りていない弟子を投げ出すなんてことはしません」
 がんっ! と、音。
「……なにやっているのですか? はたて、文」
 唐突に卓に頭突きした二人。
「あれー? なんか、いま、会話飛んじゃった?」
 巴もよくわからないことで首を傾げています。どこがとんだというのですか?
「そりゃあ残念。面白そうな子だと思ったんだけどねえ」
「ふふ、椛ちゃんは責任感があって優しい子ね」
「そういってもらえればありがたいです。常盤」
 いい子いい子、と常盤。……頭を撫でられるのは好きなので身を任せます。
 そして、食事の後は、
「お風呂ね。
 えっと、諏訪子ちゃんと巴ちゃんは一緒でいい?」
「はーい」「そりゃあもちろん」
「ふふ、じゃあお客様に最初に入ってもらっちゃおうかしら?
 文ちゃんとはたてちゃんと椛ちゃんはそのあとでいいわね?」
「もちろんです」
「いやあ、悪いね常盤。
 気にしなくていい、けど、今回は甘えさせてもらうよ」
「最初にお風呂っ」
「もうお風呂の準備はできてるわ」
「おっ、有難いねえ」
「諏訪子様っ、体洗ってあげるねっ」
「ありがとね。巴」

 仲睦まじく浴場に向かった二人。…………そういえば、いつもは最初に私たちがお風呂をいただきます。そして、最後が常盤、今日もこの順序となったら、
「最後は遅くなりそうですね。
 やはり、常盤、先に入ってしまってください。あまり夜更かしをしては疲れが残ります」
「お風呂の片づけは私たちがするから、無理しないでね」
 はたての言葉に常盤は嬉しそうに目を細めて「ありがと、はたてちゃん、椛ちゃん」
「あ、けど、常盤が牛若丸と一緒に入ればいつも通りですね」
「文っ!」「あら、そうしようかしら」
 顔を赤くして怒鳴る牛若丸と、嬉しそうにくねくねする常盤。まったく、
「文、あまりからかってはだめですよ」
「じゃあ、常盤、私たちと一緒に入る?
 ちょっと狭いかもしれないけど、大丈夫じゃないかな?」
「うーん、そうしましょうか?」
「椛が牛若丸と一緒に入れば狭さも解決ですねっ」
「文っ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る牛若丸とけらけら笑う文。けど、
「そうしますか?」
 それならあまり遅くならなくてすむでしょう。
「え、………………も、椛は、いいの?」
「別にかまいませんけど」
「椛ー」後ろからはたてが抱きつく、ぷに、と頬をつついて「牛若丸だって照れくさいんでしょ? 椛だって女性の体つきなんだから」
「まあ、そうですけど」
 確かに女性ですね。…………けど、
「別に見ても面白くないでしょう」
「あら、そんなことないわ。
 椛ちゃんもすっごく可愛いし、私が男の子だったら、お嫁さんに欲しいくらいよ」
「ふふ、ありがとうございます。常盤」
「ま、これ以上やっても牛若丸が壁に突撃するだけなんで、
 常盤、次にでも入っちゃってください。最後は私とはたてと椛にお任せを」
「ええ、そうね。ありがと」

 はたてと牛若丸が洗い物に、文はそれを確認して振り向き、
「それで、椛。
 こいし、だっけ? あの娘どうしたの?」
「はたてと会うとまたどうなるかわからないので、少し離れてもらいました」
「まあ、無難ね。
 にしても、なんだったのかしらねえ、あの雷」
 雷を操る天狗なんて、聞いたことがないです。
「さぁ、……ただ、雷、ですか」
 この国にあり雷、となればそれは、
「祟り、……神威を振るうなんて天狗には到底無理よねえ。
 けど、」
 雷は神の威。あるいは、祟りの業。かの、天神、菅原道真が振るった力。
「引っかかるわね。
 天神、菅原道真。なんて突き抜けた名前もあるし、それにこいしの言ってたこともね」
 綺麗な、憎悪、そして、憤怒。
 祟りなす感情といえば確かにそれはふさわしい。けど、
「祟り神、怨霊なんて人が作り出すものでしょ。
 どうして、はたてが」
「わからないです。
 こいしも、その辺わからないみたいですけど」
 やはり、どうも相模坊様のことが気になります。
 今度、僧正坊様とも相談して、頼政に牛若丸の面倒を見てもらい少し、探ってみましょうか。

//.幕間

「おう、清盛」
「……頼政、どうしたのかな?」
 政務を処理する平清盛は、面倒な相手が来た、と眉根を寄せる
 彼、源頼政はため息ひとつ。
「どういうことだ。鞍馬山、民の参拝禁止が僧兵に出てるって話だけど、お前か出所は?」
「まあ、一応ね」
 正確には富士見の娘だが。さて、
「そこに何か問題でもあるのか?」
「いや、西行法師の縁者に頼まれたんだよ」清盛は苦笑「また、山籠もりでもするんじゃないかな? 鬼、……ああ、いや、一部の仏教徒は大好きだからね」
「そこには、あの牛若丸がいるんだぞ?」
「牛若丸? ……………………ああ、あの、源義朝の子供だっけ? 母上が幼いし哀れだ、とか言ってたね。
 あの子供がどうかしたの?」
 その母親の人脈の中にいるのが面倒なのだが、……頼政はため息。藪をつついて清盛とかいう面倒な蛇を出す必要もない、と。
「……………………いや、いい。
 西行法師か」
 動員できる武士はどの程度いるかな、と考えながら頼政は部屋を出た。

「…………頼政、君の懸念はわかる、つもりではいるよ」
 清盛はその背を見送って、ぽつり、呟く。
「鞍馬、熊野、…………厳島を抑えられたのは救いだけどね。
 奥州藤原氏、俘囚、信濃、修験者、天狗、白拍子、水軍、河童、藤に絡みつかれた神は、藤を焼き払う鬼と、ともにある。…………か。歴史は繰り返されるね、ほんと」

//.幕間

「いーねー
 美味しいご飯に温かいお風呂、心地のいい寝床。
 あーうー、巴ー、もう私たちここで暮らしちゃおうか。私、常盤の事をお母さんって呼んでもいいよ?」
「あら、そしたら賑やかね」ころころと転がる諏訪子に常盤は優しく微笑み「けど、駄目よ。神様が勝手に移住しちゃ、地元の人が困るでしょ? 諏訪子ちゃん。とっても偉い神様なのよね」
「うんっ、諏訪子様ってすっごく偉いのっ!
 えっと、……天狗の三郎様とか鬼の紅葉様も諏訪子様にはかなわないものっ」
「けろけろ」
 我が事のように胸を張る巴に諏訪子は目を細めて笑う。
「ふふ、それに諏訪子ちゃんが私をお母さん、何て呼んだら牛若丸ちゃんのお嫁さんは諏訪子ちゃんね?」
「へえっ?」
「ええーっ、牛若丸なんかに諏訪子様はもったいないわよっ
 ねーっ、諏訪子様っ」
「そうかねえ」
「やっぱり諏訪子様には神奈子様よっ」
「…………巴、ちょっとこっち」
 神奈子、とその名前を聞いた諏訪子は無表情で巴を呼びました。巴はとてとてと彼女の傍らに、そして、「いたっ?」
「な、ん、でっ! 私があいつなんかとくっつかなきゃならないのよっ!
 それなら牛若丸のお嫁さんになって常盤をお母さんって呼んだほうがましよっ!」
「ええー」
 牛若丸、そんな変な顔しなくても、
「はいはい、……って、そうだ。
 諏訪子ちゃん、巴ちゃんはどこで寝る? 私と一緒のお部屋でいい?」
「うんっ」「いーよー」
「よかったですね。常盤。
 前に牛若丸が一緒に寝てくれなくなって寂しいって言ってたのに」
「うー、武士の男子たる者いつまでも母親に甘えてちゃ駄目なのっ」
「もうっ、一緒に寝てくれなくてさびしい母親のことも考えてほしいわ」
 よよよ、と目に手を当てて座り込む常盤。「だ、だってぇ」とおろおろする牛若丸。
「はいはい、泣くのはおよしなさいな。牛若丸も男の子なんだからおろおろしないの。
 巴、常盤と一緒にいてあげなよ」
「はいっ」
「さて、それじゃあ私たちも寝ちゃいましょうか」
 そんな様子をくすくすと笑ってみていた文。彼女の言葉に「そうですね」と頷きました。
 そろそろ、夜です。

「あ、……あの、さ。
 文、椛」
「どうしましたか?」「どうしたの?」
 寝室に向かう途中にかけられた声。振り返れば困ったような、照れくさそうな、言い難そうな、そんな表情のはたて。
 彼女は、問いかけられてもしばらく、応じず、……………………「あのさ、はたて」
「ひゃっ、あ、な、なに?」
「何言いたいか知らないけど、さっさと言っちゃいなさい。
 いつまでもそんな顔されたら気になってこっちが眠れなくなるわ」
「う、……うん、…………その、」

 で、
「……なんていうか、牛若丸以上に子供ね。この状況」
「し、仕方ないじゃないっ」
 呆れた文の声にはたては声。…………まあ、同感です。
「牛若丸も、まだここに来たばかりの頃はこんな感じでしたよね」
「うぐぐ」
 というわけではたてを中心に寝転がる私たち。そして、私はそっと、布団の中の温もりに触れました。
 温もり。はたての手。……どうも、握っていて欲しい、とか。
「気持ちはわからなくもないけどね。いろいろ不安だろうし」
「そ、そうよねっ、仕方ないわよねっ」
 呆れたような文の言葉にはたてはこくこく頷く。
「けど、貸一」
 文、笑ってますよねえ。
「……………………謹んでお受けさせていただきます。
 あの、だから、牛若丸には、内緒にしてね」
「貸二」
 淡々とした声。
「うぇーん、椛ー
 文がいじめるー」
 はいはい、……「あのさ、はたて」
「ん?」
「貸二つ、だから、一つ言うこと聞いてもらうわよ」
 文?
「な、なに? 変なのはいやよ?」
「こいし、いたでしょ?
 今日会った、小っちゃい子」
「う、……あ、あの子」
「あの子、こいし、人の意識に触れられるんだって。
 だからさ、はたて。こいしに協力してもらって、記憶、探してもらわない?」
「え?」
 そう、ですね。
「記憶が見つかれば、夜泣きすることもないでしょう」
 それに、と私は不安そうに震えるはたての手を、強く、握る。
「ね、はたて」
「う、…………ん。
 あの、文、椛」
 声は、不安そうに響く。
「私が、なんであっても、…………嫌いに、ならない?」
 問いに、応じるのは、
「もし、一厘でもその可能性がある思ってるなら。ぶん殴ってやるわよ。はたて」
 不機嫌そうな文の声。
「もちろんです。私たちが友達といったこと、信頼してくれませんか?」
 強く、私ははたての手を強く、握りしめる。
 震える事ないように、思いを刻むように、…………「もう、文も、椛も、手、いたい、わよ」
 手の中の震えはなく、けど、声は震えていた。

「ありが、……と、文、……椛、」

//.幕間

 そして、姫海棠はたては夢を見る。
 けど、それは彼女に眠る誰かではない。
 彼女が愛した誰かを夢見る。

 愛する人よ。
 貴女はわしを許さないだろう。だから、許してほしいなど言うまい。もし、それで心が落ち着くのであれば、わしは喜んで憎まれよう、呪われよう。
 貴女はこの地位にいる事には向かない。この位にいてはいけない。
 当たり前のように殺される日々、最も尊き血筋を持つ者たちが、あっけなく藤に朽ち落とされるこの位。
 だから、歌に没頭した父のように、酒におぼれてその位から遠ざかった。からみつく藤から逃れていた。けど、藤はからみつく。まとわりつく先がなくなれば枝を伸ばして葉を伸ばして、そして、それはとうとうここに届いた。
 きっと、いつか、わしも藤により朽ち殺されるだろう。……それは、いい。

 わしは幸せだった。

 許してほしいなどとは言うまい、わしはそこまで傲慢にはなれない。
 貴女を遠ざけていたのは他ならぬわしだ。無垢を守りたくて、藤に絡みつかれたあの場所から遠ざけた。
 傲慢だ。酒を飲みながら暗闘を横目にしていたわしは、その暗き争いを忌避し、だから、貴女の無垢な心が眩しくて、愛おしくて、遠ざけた。
 このまま、貴女がわしのそばにいれば利用されるだろう。藤は間違いなく貴女に絡みつく。そして、貴女は抵抗する術など知らないだろう。教える機会は、わしの傲慢が奪ってしまったのだから。
 それがわしは恐ろしい。わしが死ぬことはかまわない。わしが朽ち殺される事など、貴女からもらった幸せに比べれば些細なことでしかない。

 だから、わしは決断する。
 愛おしい貴女、最愛の人よ。わしを呪って構わない。わしを憎んでいい。嫌悪し、憎悪し、呪詛していい。貴女が生きていれば、わしに束の間の幸せをくれた貴女が生きていてくれれば、それでいい。

 ――――さようなら。

//.幕間

//.幕間

 聖白蓮にとって、その夢は、悔恨に満ちたものだった。
 目を開ける。泣きはらした跡がある。ため息。
「涙とともの目覚めは、何度目でしょうか」
 呟きとともに思い出す。悔恨に満ちた夢。――――自分の、罪を、
「命蓮、…………」
 手に残るのは、今にも死にそうな手の乾いた感触。………………………………けど、それは偽物でしかない。

 逃げた。

「命蓮っ!」
 今にも死にそうな自分の弟。心配で押しかけた自分を嫌な顔一つせず迎え入れてくれた弟。
 ともに老いた身ながら、その時は満ち足りていた。山の中の穏やかな生活。静かな、日常。
 それは、ゆっくりと終わりを告げる。誰にでも等しく訪れる終わり。死、という至極ありふれた。至極当然の終わり。
 ……けど、それが怖かった。自分より徳の高い弟が、自分より優れた弟が、仏教徒として師であり、たった一人の家族であり、尊敬していた弟が。
 動かなくなる。意識は霞み、記憶は曖昧になり、肌は乾き、少しずつ、朽ちて、朽ち果てて、死んでいく。
 それが怖かった。それが自分にもすぐに訪れる。その厳然たる事実が怖かった。怖かった。死が、死にゆく弟が、そして遠からず自分に訪れる死が、怖かった。
 弟を見るのが怖かった。死にゆく自分を重ねて、死にゆく事実を見せつけられて、怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて、――――――だから、逃げ出した。
 ただ、死という恐怖から逃げたくて、死にゆく自分という現実から逃げたくて、転がり落ちるように逃げて、…………逃げて、死から逃げて、そして、尊敬する弟に習った仏教を投げ出して、外法に身を染めてまで死から逃げ出して、逃げて逃げて、…………そして、

 命蓮は、独り、死んだ。

 たった一人の家族、看取る事さえせず、怖くて逃げだした自分。なんて、罪深い愚者。
 寒かっただろうに、寂しかっただろう。…………ごめんなさい。
「ごめんなさい、命蓮」
 呟く言葉は意味をなさない。言うべき言葉はたくさんあった。言いたい言葉はいくらでもある。――――けど、聞くべき相手は自分が捨ててしまった。
「ごめん、……なさい」
 はらはら、と記憶があふれて涙を落とす。ぽろぽろと、己の罪を見詰めて涙がこぼれる。
 繰り返した謝罪は何一つ意味をなさない。聞くべき相手はすでに死に、独り、告げる先のない謝罪をいくら重ねても無駄以外の何物でもない。無価値な言葉を重ねて得られる救いなど、ありはしない。だから、
「ごめんなさい、……命蓮」
 呟いて、涙がこぼれるのをそのままに立ち上がる。
 だから、行くのだ。たった一つの、罪深き、浅ましき望みのために、……たとえ、それが自らを救いのない仏敵に落とそうとも、
 行くしか、ない。

「地獄へ行く前に、せめて、」

 首から下がるお守りに、小さく祈る。
 せめて、――――

 この浅ましき望みが叶えられますよう。

//.幕間

「また、泣いているのですか?」
 ぽろぽろと、涙をこぼすはたて。
「違う、の」
「はたて?」
「夢、見たの」
「うん」
「悲しい、夢。……今まで見ていたのとは、違う。夢」
「悲しい、ですか?」
「うん、……男の人の、夢。
 泣きながら、大切な人を遠ざけた、夢」
 そうですか。……はたては、私の手を握る。
 その瞳に不安を揺らめかせて、その瞳に涙をためて、
「ねえ、椛、文」
 強く、はたては手を握る。

「私、…………なん、なの?」

 私と文は、その問いに対する答えを持ちませんでした。

//.幕間

「あっ、お姉ちゃんっ」
 古明地こいしは駆け寄って、
「こーいーしーっ!」
 反転、逃げ出した。
「なぜ逃げるのですかこいしっ!」
「お姉ちゃんの形相怖いからーっ!」
「このっ! 小町っ! ぼさっとしてないで手伝いなさいっ!」
「あいよ」
 無意識を操って、そう思ってこいしは振り向いて「ひにゃああっ?」
 いつの間にか眼前に迫る古明地さとりに押し倒された。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
「お、お姉ちゃんっ、な、なに、どうしたのっ?」
「いいからっ、黙って私に抱きしめられなさいっ」
「あー、久しぶりだね。こいし」
「小町っ! お、お姉ちゃんどうしたの?」
 抱きしめられて頬ずり始めるさとり。こいしには甘い彼女だが今日はひどい。こいしの知る中で一番ひどい。
「なんでも、読みたい本が手に入ったんだけど読めるような環境じゃないってんで、しばーらく我慢してたんだよねえ。
 その反動が来ちゃったみたい」
「こいしは可愛いなー」
 抱きつき――というか絡み付き――倒れる二人。鬱陶しいとこいしは切に思うが伝わらない。伝わったとしてもさとりは気にしないだろう。
「っていうかさ、小町。
 なんで小町とお姉ちゃんがこんなところにいるの?」
 四季映姫という共通の上司を持つ二人、片や三途の川の渡し守、片や怨霊に対する管理職。この世にいること自体が珍しい。ましてや場所は中有とは無縁の山、鞍馬山。そろっている理由がわからない。
 それと、
「そろいましたか」
「あ、映姫様」
「わお」
 さらに珍しい、閻魔庁で日々多忙な日常を過ごしている映姫まで顔を出した。
「こいし、貴女は今までこの辺をうろうろしていたのでしょう」
「うん」
「なら、一緒に来なさい。
 こいし、それと、知っているなら案内しなさい。はたての所に、――――」
 はたて、その名を聞いて目を見開くこいしに、映姫は告げる。
「――――いえ、宮前霹靂神社に封印されていた。霹靂神の所に」

//.幕間



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