「なんかもー、私ここに住みたいかもー」
 合流したはたては自分の布団を敷いてごろごろし始めました。ため息。
「はたて、「わかってるって、ここは牛若丸と常盤の家、でしょ」わかっているならいいです」
「あら? 私は三人とも歓迎するわよ」
「私も歓迎するわ」
「……なんで僧正坊様が?」
「そしたら私もここに暮らす。
 そうすれば椛ちゃんと一緒に暮らせる」
「真顔で何言ってるんですか」
「三食昼寝付、……ああ、理想ですね」
「文っ!」
 まったく、いくら親しいとはいえ、人の家をなんだと思っているのですか。
「そうなったらここも賑やかになるわね。
 ふふ、けど、皆が暮らすにはちょっと狭いかしら?」
「常盤、もし庵が狭ければ言ってください。
 いつも世話になっているのです。改築は任せてください」
「そうなったら、私専用の部屋でも作ろうかな」
「文っ」
「うーん、……そうねえ。
 私と牛若丸が暮らす分には全然狭くないし、大丈夫よ。ふふ、」
 ふと、常盤は上機嫌に笑って、
「ありがと、椛ちゃん」
 撫でてくれました。…………その、優しい感触が、
「うわー、椛幸せそー」
「椛撫でられるの結構好きなのよねー」
「ふはー」
 …………変な視線向けないでください。僧正坊様、なんですかその吐息は。
「ふふ、かーわいっ」
「むぎゅっ」
 ぎゅっと抱きしめられました。

//.幕間

「遠かったわねー」
 富士見の娘はあたりを見る。場所は伊豆大島。すでに時刻は夕暮れ。ひらひらと舞う金色の蝶は夜闇にその姿を浮かべる。
 そして、
「なんだ、お前は」
 問う声、その先。五人の、鬼。
 鬼が近寄ってくる。都の、優美な着物を着た富士見の娘に、
「都人か、……何者かしらねぇが。ここはお前のような女の来るところじゃねぇよ」
「それに子供とたった二人で、か」
 にたり、と好色を隠さない瞳で鬼の一人が笑う。それに触発されて別の鬼も笑い。
「なかなか上玉じゃねぇか?」
 問いに、応じたのは銀色。そして、首が、落ちた。
「なっ?」
 あわてて鬼が刃を構える、が。すでに真下からまっすぐに伸びあがった楼観剣がその頭を串刺しにする。
「きさっ!」
 声は途切れる。もう一人、白楼剣を持つ寸分違わぬもう一人、半霊の形が、疾走跳躍首を掻っ捌く。
 三人、残る二人の鬼は迎撃のために刀を抜いて、一人が刀を振るう。
 その勢い、鬼の膂力を持って付き人を両断せんと振り降ろされる。対して、
 付き人は楼観剣の柄を当てて膝を落とす。鬼の手に伝わるのは泥を刀で叩いたような、沈む感触。
 鬼の膂力を膝で吸収しきった付き人は、ゆえに無防備をさらす鬼の心臓に白楼剣を叩き込む。
 強靭な体に手で突き入れ、楼観剣を上に投げて自由になったもう片手の掌を押し当ててさらに深く突き入れ、駄目押しとばかりに白楼剣を蹴り鬼の体に鍔元まで突き入れ、えぐる。
「馬鹿がっ!」
 最後の鬼は罵声を浴びせて刀を振り上げる。白楼剣は鬼の体に深く埋まっている。楼観剣は上に投げた。無防備、ゆえに刀を付き人めがけて振り下ろし、楼観剣を手に直上から落下する付き人に串刺しにされた。
「もう、だめじゃない。あまりおいたをしては」
 富士見の娘は鬼の死体を見て、困ったように付き人に言う。付き人は、壊れた笛のような音の混じった、不明瞭な声で、
「もう、し、わけ、あ、りま、せん」
「私に向けられた言葉が不愉快だった。
 ふふ、気持ちは有難いわ。けど、あまりやりすぎをしてはだめよ?」
「は、い、……っ!」
 付き人は鬼の死体を蹴り上げる。その死体を縦に貫通する銀閃。鬼の体を貫いて、なお殺傷するに足る勢いの銀色。
 白楼剣を跳ね上げる。真っ向から受けたら白楼剣がへし折れる。銀閃にはそれ相応の威圧がある。だから跳ね上げる。銀色を下から打撃して弾き飛ばす。
「一応、そいつらは俺の部下だ。
 気持ちはわかるからこれだけにしてやるが、な」
 声、声。その声の主に、付き人は警戒を向ける。
 先にいた鬼の比ではない。圧倒的な、けた外れの威圧感。
 巨漢の男。その体躯は打撃するだけで小柄な付き人の骨を粉砕しそうな、重厚な力に覆われている。
 その存在に、富士見の娘は笑顔を向けた。
「準備ができたから、行きましょう。
 為朝くん」
「そう、か」
 彼、源為朝は頷く。
「とうとう、…………か、」
「あとは、実行するだけなの」
 だから、
「協力をしてくださいね?」
「問われるまでもない。我が望みをかなえるために、行こう」

//.幕間

//.幕間

 夢を、みる。
 古明地こいしは夢を見る。夢、夢、――――無意識にみられる、夢。
 姫海棠はたての夢、彼女の夢、…………はらはら、と、涙をこぼしながら、夢を見る。

 どうして? わからない。
 その目が見る感情は臆病なこいしには目を背けるに値する思い。
 苛烈な憤怒。
 強靭な憎悪。
 人どころか、妖怪でさえ焼き尽くすような、炎のような感情。

 なのに、どうして?

 はらはらと涙が零れる。恐怖がある。その意志が自分に向けられたら、…………そう思えば、今すぐにでも目を背けて逃げ出したい。
 けど背を向けられない。けど目を逸らせない。炎が自分を焼くとわかっていても、それが、

 不思議よね。ね? こいし。

「どう、して?」
 どうして、こんなにも美しいのだろう?

 苛烈な憤怒。
 強靭な憎悪。
 人の見せる、妖怪さえ恐れる、国さえ滅ぼす感情。

 その、あまりの美しさに、――――

 だから、私は瞳を閉じたくないのよ。

 ――――こいしは、涙を落として魅入っていた。

//.幕間

//.幕間

 早朝の伊吹山は烈震していた。
「は、ははははははっ!」
 打撃の音が連続する。かつて、巨神、伊吹弥三郎が作ったと言われる息吹の山。その過去を思わせる苛烈な打撃の音が連続。
 音を作るのは伊吹萃香。伊吹山に根付く鬼。そして、
「楽しそうだねぇえっ! 萃香っ!」
 地面を打撃する破壊力の雨。そこに身を躍らせてなお笑う神、洩矢諏訪子。
 地面を打撃する破壊力を見据えながら、諏訪子は地面を駆け抜け手を振り回す。鉄輪。創造された大地の力が、
「はっ!」
 旋回し、空を断ち切り打撃力を砕き、萃香に迫る。はは、
「はははっ!」
 神威の鉄輪。それはまっすぐに、撃墜せよ、と萃香に迫る。
 直撃すれば撃墜。痛いだけだが死にはしない。痛いだけだが、それでも「負けたくないからねっ!」
 直撃の事実は面白くない。なので打撃力を集中させる。神の威を鬼が打撃する。――――――砕いた。「はは」
 萃香は応じるように己の能力を解き放つ。萃、伊吹山が鳴動する。岩盤から構築された大槌。個人を潰し、家屋を粉砕し、城さえ穴をあける質量を振り上げて、
「そお、れいっ!」
 振り下ろした。城さえ砕く大質量を諏訪子は薙鎌で迎撃する。真っ向からの迎撃。その質量にて数百分の一。それを持って大質量を迎撃粉砕。神威をまとう神器には容易なこと、そして、
 粉砕される岩盤を連続跳躍、爆ぜるように、跳ねるように諏訪子は萃香に疾走。鬼は笑う。
「はっ!」
 手を握る。その動きに呼応するように砕かれた岩盤は諏訪子に萃まる。一欠けらの例外なく。
「あはっ」
 全方位から迫る岩盤の群れ、諏訪子はぱんっ、と手を叩く。直後、全方位から迫る岩盤を全方位に展開された鉄輪が再度、粉砕。
 微塵に、刹那に創造された鉄輪は数百を超え、神威に強化された鉄輪はただの岩盤を粉砕し尽くす。そして、
「楽しいねえぇっ!」
 鉄輪を足場に、さらに空中を疾走する。細かい跳躍と連続の疾走を重ねて萃香に突撃。
 突撃する諏訪子を見て、突撃する強者を見て、――――
「はははっ! そりゃあよかったなぁあっ!」
 ――――笑わぬ鬼など、いない。
 散ず、疎。萃香はその力を開放して、
「あつ、まれぇえっ!」
 大気中の熱量を一点集中。狙いは「熱だけで、神を――――?」

 爆裂。

 萃香は着地する。呵々と楽しそうに笑って、
「さすがにただの熱量じゃあ神様は倒せんだろう、ねっ!」
 言葉とともに跳躍する。前に、転がるように、宙返りして視線を向けて笑う。
 そこには、赤熱して砕かれた鉄輪に守られた諏訪子。
「ちょっと腹立つなー
 これは防御に使うものじゃないんだよ」
「はは、まあいーじゃん。」す、と萃香は腰を落として拳を握り「じゃあ、続き行こうか。最強の蛇決定戦みたいな感じでっ!」
「大物主とか現羽々木がいたら面白そうだねえ。
 じゃなくてさ、まあ萃香、聞いてよ」
 薙鎌を地面に突き刺して諏訪子。萃香は首を横にかしげて「なに、寝ている私を殴って起こして、実は用があったの?」
「そりゃあもちろん、用がなけりゃあこんなところには来ないよ。
 でさ、萃香、暇? ちょっと付き合ってくれない?」
「ん、どこに?」
「鞍馬山、だってさ。
 気楽に遊びに行こうよ」

//.幕間

「ん、……ふぁあ、」
 欠伸を一つ。右、姿勢よく眠っている文、それと、「はたて?」
「…………して、……」
「はたて?」
「う、……くっ」
「どうも、泣いているみたいね」
「文?」
「前も、寝ながら泣いてたわ。
 気になって眠れないわよ。まったく」
 ため息をつきながら、その視線は心配そうに揺れている。
「どう、……して、」
 はたては泣きながら呟く。ぽつりと、

 どうして、捨てたの?

「…………って、私が言ってたの?」
「はい」
 不安そうに私と文を見るはたて。文はひらひらと、いつも通りに笑って、
「ま、報告程度にね。
 前にも言ったけど、私も椛もはたての過去のことは気にしない。……けど、さ」
 文は言いにくそうに、言葉を選んで、…………ため息。
「隣で変なこと言われると、気になるのよ。
 だから、……まあ、気になるなら理由、探すの手伝ってあげてもいいわ」
「いい、の?」
 恐る恐る呟くはたてに、文はそっぽを向いて、
「うるさいのがなくなるなら、……まあ、面倒だけどね。けど、」「もし望めば、協力しますよ。はたて、だって、私たちは、」
「友達、なんだから」「友達、です」
 重なった言葉に、思わず文と顔を見合わせる。………………………………なんとなく気まずくなって視線を逸らす。
 視界の隅、はたてが困ったように微笑んでいました。
「あの、……じゃあ、聞いてくれる? 私のこと、――――」

「はたて、ねえ」
 僧正坊様は困ったように応じる。
 庵の外。私と文とはたてと僧正坊様。改めて、はたてのことを聞いてみました。
 けど、
「わからない。わ、ごめんなさいね。
 相模坊なら何か知っている、と思うけど」
「はたてを連れてきたのは相模坊様。よね。
 僧正坊様、お会いすることは?」
 文の問いに僧正坊様は首を横に振って、
「はたてを預けたのが最後ね。
 それ以降、姿をくらませているわ」
「そう、ですか」
「あの、僧正坊様」
 必死と、そんな仕草ではたては前に出る。まっすぐに僧正坊様に視線を向けて、
「あの、探すことって、できないのですか?」
「難しいわね。
 相模坊がいるのは、白峰山。ここから遠いし、相模坊が隠れることを望むなら、そこの天狗が私たちに協力をしてくれるはずがないわ。
 最悪、白峰山の天狗たちと戦争になりかねないもの」
 もともと、天狗は縄張り意識が強い。いくら僧正坊様が八大天狗の一角とはいえ、ほかの山の天狗、ましてや同格である八大天狗を長とする山の天狗を従わせることはできない。
「僧正坊様でも無理ですか?」
「そうね。それに、前にも言った通り相模坊は結構異端扱いされてるから。…………他の山の天狗を通じてってのもできないし」
 困ったわあ。と僧正坊様。確かに、前にも言っていましたけど、
「異端?」
「相模坊は文字通り、他の天狗を蹴散らして八大天狗までのし上がった天狗よ。
 異常なほどの強さへの執着、験比べをしたほかの天狗は真っ青な顔でいってたわ。狂信、って」
「狂信、ですか」
 なにを、信じていたのか、ですね。
「た、確かに、相模坊様。結構怖かった、かも」
 何を思い出したのかはたては俯く。
「なにかされたの?」
 文の問いには首を横に振り「えっと、口調とかは素っ気ないけど、さ。いろいろと気を使ってくれたし、親切には、してもらった、よ」
 けど、と。
「なんて、言うのかよくわからないけど、目つき、視線、っていうのかな。
 それが、怖かった。……ごめん、なんていったらいいか、よくわからない、けど」
「…………まあ、なんにせよ。相模坊はそういうわけ。
 八大天狗の中でも扱いかねてる、わ。その彼女が拠点で身を隠したら、間違いなく探し出せないでしょうね」
「そうですか」
「それにしても、記憶、ねえ。
 はたてちゃん。思い出せる場所だけでも回ってみたら? 何か見つかるかもしれないし、…………あ、いや、……うーん?」
「僧正坊様?」
 僧正坊様の提案に頷こうとしたはたては、続いての僧正坊様の思案に首をかしげる。
「どうしたのですか? いい案だと思いますが」
 それが、はたての記憶の手掛かりになるなら助力を惜しむつもりはありません。けど、
「…………ちょっと、ね。
 厄介な客人が来るのよ。できれば、三人には少しの間牛若丸の所にいて欲しいの」
「牛若丸の所に、なにか、あるのですか?」
 思い出すのはまだ幼い彼の笑顔。厄介な客人、僧正坊様がそういう相手は、
「そう、……うーん、どうしましょうか? はたてのことも「私はいい」はたて?」
 どうしようか、考え込む文にはたては割って入る。彼女は困ったように私と文に微笑みかけ、
「ごめん。助け求めておきながら後回しでいい。って言っちゃって、
 けど、牛若丸は私の友達。なにかあったら、守りたいの」
「…………そ、そうしてもらえればありがたいわ。
 だから、椛、文、はたて、これから「たのもーっ!」…………すぐね」

「……人?」
 きょとん、としている牛若丸。彼と相対するように立つ、木刀を持った。「女の子、よね?」
 牛若丸と大差ない年齢の女の子。……人、でしょうか?
「あの、僧正坊様。厄介な客人、って彼女ですか?」
「……違う、と思うのだけど」
 ともかく、
「え、と。君はだれ?」
「貴方が牛若丸ねっ!
 私は巴っ! いざ、尋常に勝負っ!」
「へ? え?」
「…………僧正坊様?」
「えっと、……」
「なんか、ある意味厄介な客人ね」
「……やっぱり、まずは私の手伝ってもらおうかなあ」
 困惑する牛若丸。……確かに、ある意味厄介ですけど。
 と、
「あら、」ひょい、と奥から常盤が「牛若丸ちゃんのお友達?」
「え? 母上、違うよ」
「…………わあ、きれい」
 常盤を見て、構えを解いて呟く少女――巴。「まあ、」と常盤は嬉しそうに頬に手を当てて、
「ふふ、ありがと。
 けど、貴女も可愛いわ。きっと、将来は私よりずっと綺麗になれるわ」
「え、ほ、ほんとっ
 やったっ! じゃ、じゃあっ、駒王丸のお嫁さんになれるっ?」
「ええ、なれるわ」
「わーっ、…………………………はっ」
 両手を上げて――木刀は落としました――喜びを表現する巴ははっとして、
「そ、そうじゃないのっ!
 牛若丸っ! 尋常に勝負っ!」
「…………えー」
 あわてて木刀を拾って宣言する巴。
「すごい、……僧正坊様。私、あんなに厄介な客人、初めて見ました」
「……あっれー?」
 慄く文と首をかしげる僧正坊様。
 ともかく、
「もーっ、牛若丸は武士なんでしょっ!
 決闘を申し込まれたらうけなくちゃいけないのっ! それとも、牛若丸は逃げるの?」
「お、女子供に武器はむけないよっ!」
「女子供って言わないでよっ!」
「…………なんだ。あの子供二人」
 あ、
「頼政」
「おう、で、何やってるんだ牛若丸? と、なんだあの小娘」
「珍しいですね。数日前に来たばっかりなのに」
 首をかしげる文。対して頼政はため息。「清盛の内偵がここまで来てないか見に来たんだよ。……………………休憩がてら」
「都は今、また問題でも起きてるの?」
「幸運なことに、静かだ。
 っていってもどうせこれから荒れるだろうな」
 と、都について話し始めた二人。ともかく、しぶしぶ、という表情で牛若丸は訓練用に預けた木刀を手に戻ってきました。
「困ったわねえ。
 牛若丸ちゃん、巴ちゃん。二人とも、あんまり危ないことをしないでね。
 特に、牛若丸ちゃん。相手は女の子なのだから、乱暴なことをしてはだめよ」
「…………はい、気を付けます」
 すっごい厳しい戦いですね。
「牛若丸、勝てるのかな」
「いやあ、無理、じゃないですか? 木刀もって乱暴なことをせずに勝つ、って」
 僧正坊様、こっち来てください。牛若丸が大変です。
 困ったように木刀を構える牛若丸。そして、
「いざっ! 勝負っ!」
 巴はかけだした。その速度は人のもの。妖怪の類ではない、ですね。……って、
「う、わっ!」
 余裕をもって相対できるはずの牛若丸が、ぎょっとして後ろに跳ぶ。巴、彼女が木刀を振りぬく速度は想像以上に速い。
「なんか、結構速かったわね」
「刀を構えるのが深く、速かったです。
 そして、腕だけでなく上半身、すべての力を使って振りぬいた、でしょう」
「ここじゃあ使えないな」
「…………話が進んだからって顔を出さないでください」
 感心して呟く頼政。ここは山。全身の力を用いて振りぬけば木にあたる。
 それも、
「え、いっ!」
 巴は振りぬいたまま一回転。角度の調整だけをして後ろに跳んだ牛若丸をさらに追う。
「へえ、転ばないものねえ」
「ね、ねえ、牛若丸。大丈夫?
 あの娘、結構強い?」
 ついつい、と私の手を引っ張るはたて。まあ、当たり所が悪くなければ大丈夫。悪い当たり所は私が実践して教えましたので、そこはちゃんと守るでしょう。
「駄目なら駄目でそれまでだ。
 死んだら死んだでそれで終わり、ってだけだ」
「ちょ、頼政っ!」
 ぐっ、と頼政を睨むはたて、頼政は「すまんな」と小さく言って、けど、
「これからあの小僧が生きるのはそういう時代だ。
 今回のは大丈夫かもしれねぇけど、椛。外の俺が言うのもなんだけど、ちゃんと教えておいてくれよ」
「殺されたら死ぬことは教えています」
「それでいい。…………ってか、すごいなあの小娘。
 目ぇ回さないんか?」
 気楽に言う頼政。彼の言うとおり、巴の攻撃は回転に回転を重ね、勢いをまったく削ぐ事なく速度を上げ、その速度はおそらく彼女の力でも牛若丸の四肢の骨なら叩き折れるでしょう。
 そうなったら止めましょう、と思う。頼政に告げたとおり、牛若丸に教えたとおり、そうなれば死ぬ。骨が折れただけでその事実を認識させることができるなら安いものです。
「すごい、あんなに人って強いんだ」
 思わずつぶやくはたて。天狗とは、そもそもの自力が違う。ゆえに、人は強くなる。けど、
「鎮西八郎なんて正真正銘の怪物もいるからなあ。……あいつ、伊豆大島から出ないで欲しいなあ」
「あー、私も聞いてるわそれ。
 弓矢で鎧着た人二人打ち抜くって、実は人じゃなくて鬼なんじゃないの?」
「それならまだ救いがあるなあ」
「あ、動きますよ」
 見ると、牛若丸は後ろに跳んで回避しながら、少しずつ、少しずつ、庵の前の整地された場所から後ろの山の中へ。
 逃げるように、追われるように、後ろに跳躍して、――――――「逃げるなぁあっ!」
 巴の渾身の振り抜き。牛若丸は、さらに後ろ、茂みに跳ぶ。
「あ、」
 声、失敗を予感させる声。……そして、
「つっ!」
 木刀が木を打撃して弾き飛ばされる。手放さなかったのは、訓練の成果ですね。
 もっとも、失敗としては致命的です。牛若丸は後ろに跳んで、膝を折って着地。そして、足、膝、下半身の力をすべて使って、
「や、あぁっ!」
 全力で、前に跳ぶ。木刀はすでに構えられている。それを振れば、…………まあ、「振らなかった。か。こういう場ならいいけどな」
「…………ちょっと、安心した」
 呟く声。牛若丸は木刀を振るえず着地し、けど、
「けど、これは戦いです。
 少なくとも、巴にとっては真剣な」
 だから、巴は容赦なく着地して背を向ける牛若丸の背中を木刀で打撃した。

「私の勝ちねっ!」
 倒れた牛若丸に木刀を突き付けて巴。……まあ、確かにそうですね。
「うう、いたた」
「ふんだっ、全然弱いじゃないっ!」
「ぁう」
 弱い、と言われて牛若丸は小さくなる。はたてはむっとした表情で、
「なによ、最後のあれがなければ牛若丸が勝ってたじゃないっ」
「あの小娘からすればそうじゃねぇんだろうな」
 でしょうねえ。……ため息、文も困ったような表情。僧正坊様も苦笑。
「この程度ならやっぱり駒王丸が一番強いわっ!
 強い子がいるって聞いてたけど、全然じゃないっ」
 牛若丸は小さくなる。反論はない。ありませんよね。彼も、武士を意識しているのですから。
 けど、おそらくは彼女も、です。その表情を見ればわかります。精一杯の嘲りの中にある、憤り。
「誰に教えてもらっているのか知らないけど、その人も全然弱いんでしょうねっ!」
「そんなことはないっ!」
 怒声、……牛若丸がこんなに怒るのも、珍しいですね。少し驚きました。
「ゃっ」
 巴は気圧されて一歩下がる。その彼女をまっすぐに睨みつける牛若丸。
「椛は弱くないっ!
 椛は僕の大切な人なのっ! 馬鹿にするなんて、絶対に許さないっ!」
 本気で怒鳴る牛若丸。…………けど、
「好かれてんなぁあ」
 にやにや笑う頼政。私は胸を張って頷き「はい、師として、そう思っていただければ、とても嬉しいです」
「最初、余計ですね」「そーだな」
 …………なんですか、文、頼政。その駄目な人を見る視線は。
「う、な、なに「はい、そこまで」」
 ぱちぱち、と音。そして、巴の前に立つ、もう一人の女の子。
 彼女はけろけろと笑って「牛若丸、だっけ? ごめんね。不肖の弟子に代わってこの私が、洩矢諏訪子が謝るよ。ごめんなさい」
「あ、……う、うん」
「諏訪子様っ」
「巴」諏訪子、と呼ばれた彼女は振り向いて「どうしたの? いつもはあんなこと言わないよね? 知りもしない人の事を罵るなんて」
「……ごめん、なさい。…………だって、」
 ぎゅっと、巴は拳を握る。彼女にも譲れないことがあるのでしょう。それは、
「私、真面目に、…………挑戦、した、のに。
 手抜きされて、……ちゃんと、うくっ、相手されなくて、……ひくっ、くやし、くて」
「ああ、もう、ほら、泣くのはおよしなさいな」
 困ったように巴を抱き寄せる諏訪子。……あ、牛若丸がおろおろしてます。
 それと、諏訪子はこっちを見て、
「そこな覗き見の天狗さん。降りてきなよ。
 もう終わったんだしさ」
「へ?」
「あやや、ばれちゃってましたか」
 よいしょ、と。

「も、……も、椛、い、いたのっ?」
 うわー、顔が真っ赤になりました。
「はい。牛若丸の決闘ということで見させていただきました」
 私の言葉を聞いておろおろする牛若丸。
「椛、……なんか、牛若丸大変そうだよ」
 困ったようにはたて、もちろん「気持ちはわかります」
「あ、そうなんだ」
 けど、言わなければならないことがあります。
「牛若丸。彼女は真剣に勝負を挑んでいました。
 確かに少女ですが、その決意を蔑にしてはいけません。武器を奪うなど他に無力化させる方法はあったでしょう」
「そっちっ?」
 ……ほかに何があるのですか? ……なんですか、頼政。その奇異な視線は、失礼な。
「ぁう、……ごめんなさい」
 と、
「あ、……あの、貴女が、椛?」
 諏訪子に手を引かれて巴。私は頷くと彼女は頭を下げて、
「その、知りもしないのに、変なこと言っちゃって、ごめんなさい」
「いえ、いいのですよ。
 ちゃんと叱ってもらったのでしょう?」
「その辺は安心していいよ。
 弟子を叱るのは師匠の大切な役目だからね」
 けろけろと笑う諏訪子。……けど、どちら様でしょうか?
「あら、まあ頼政様や椛ちゃんも、
 ふふ、千客万来ね」
「あー、また何か食い物持ってくるわ」
 嬉しそうな常盤に頼政は苦笑していう。
「ありがとうございます。それと、」
「それで、諏訪子様」
 様? 僧正坊様は丁寧に頭を下げて、
「お話、いいでしょうか?
 こちらの事も、話しておいたほうがいいでしょう」
「それはありがたいねえ」
 諏訪子は上機嫌そうにそう言って、けろけろ笑いました。



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