「あ、……」 「メリー?」 順調な道行は『遠野ふるさと村』を抜けたあたりで、メリーの一言で終わる。 「どうしたの?」 「いま、抜けた」 え、――と、 「どうしたの?」 にとりの問い。けど、メリーは答えず、ぼんやりとあたりを見る。 メリーが、……メリーだけが、何かの違和感に気付いた、の? 見ると、萃香が興味深そうにメリーを見ている。 そして、辺りが一変した。 鬱蒼とした森、隠しにつながる一本道。 車一台がなんとか通れる、そんな小さな古道。その道を見て、思う。…………隠された、と。 「さて、じゃあ、改めて、かな」 山に生きる人は笑う。 「ようこそ、山中異界へ」 「山中異界かあ。 あんまり私にはなじみないなあ」 にとりが困ったように呟く。萃香は笑って、 「なに、そう難しいものでもないさ。 この、」奥の道を示して「この先に『早池峰神社』がある。そして、」元来た道を示して「ここ、真っ直ぐ行けば帰れるよ」 「メリー?」 「本当、ね。 普通の道路が見えるわ」 「ふぅん、妙な眼を持ってるね」 「まあね」 だから、 「で、どうする? このまま車に乗っていくかい? それとも、歩いて、自転車を押していくかい? 『早池峰神社』まで」 どうしようかな、と思う。――ただ、 「メリー、おりましょう。 ハーメルンの笛吹きじゃないけど、導かれるままに行ったら、それこそ異界の最奥まで連れてかれるわ」 「いい心がけだ」 萃香は、ロープをほどいて自転車を降ろす。にとりに手伝ってもらって、私たちはトラックから降りる。 「それじゃ、また」「夕食、忘れるなよ」 笑って手を振る萃香と、にや、とこっちも笑って念を押す勇儀さん。 そして、トラックは行ってしまった。――――さて、 「にとりはよかったの?」 「ん、まあね。 付き合うよ、面白そうだ」 「それに、貴女がいないと私たちが余計なちょっかいをかける、からですか?」 来た。木々の上からの声、――――見上げる。白い服、修験者の服、山をかけ、山と共にある存在。山伏。 「修験者ね」 メリーの言葉に、彼女は頷いて、 「はじめまして、となりますね。 私は椛、この山の山伏です。あるいは、修験者、そして、」 ふわり、と彼女は目の前に降りる。 「天狗、とも言われています」 河童と天狗と異界を行く。 山中異界、鬱蒼と生える木々、そして、ちろちろと地面を湿らせ、川、というほどのものでない水の流れ。 「なるほど、『早池峰神社』にあいさつに、……まあ、そういうことでしたらいいでしょう。 天狗として、歓迎とまではいいませんが、排除したりはしません」 もちろん、私も付いていきますが、と椛が歩く。 「監視?」 「そうです」 核心を突く問いに、率直に肯定する椛。 「まあ、椛は堅いからねい。 あんまり気にしなくていいよ。同行者が一人増えた、ってだけで」 「はたてさんがちゃらんぽらんすぎるのです。 ここは山中異界、……神域、です。ここに在るものとして、悪戯に穢されないようにするためにも警戒は必要でしょう」 「神域、山の娘神が治める場所ね」 「そうです。 それに、全ては山から来て、山へと還る。還るべき場所を穢されたいと、そう思う者などいません」 それもそうね。 「じゃあいいのかしら? 気楽に参拝なんてして」 「…………別に、山に感謝を捧げるのなら、それを拒む理由もありません」 「二人は京都からの観光客で、興味本位の参拝なんだけどねい」 あー、にとりー 結構真面目そうな天狗だから、そのことは言わないようにしようと思ってたのに、 「そう、ですか? ……それで、この神社に興味を持ってきた、と?」 「「はい」」 視線が厳しい。追い返されるかも。 しばらく考えて、ため息。 「まあ、いいでしょう。 ただし、『早池峰神社』だけですからね」 余計なところには行かないでくださいよ、と椛が睨む。 というか、 「余計なところに行ったら遭難確実ね」 辺りを見る。鬱蒼とした森、ただでさえ、もうここは山中異界。 遭難、で済めばいいんだけど、――レティじゃなくて、『遠野物語』に記されたサムトの婆、それ以外にも語られる、隠された人たち。 その一人に加えられるわね、確実に、 「ま、確かにね。それは私も勧めないよ。 この道まーっすぐ行くだけにしておきな」 それとも、と彼女は笑って、 「それじゃあ不満? なら、好きにしていいと思うよ。 どうなっても知らないけどね」 「『早池峰神社』までの安全と、帰り路は私が保証します。 それ以外は、隠されても文句は言わないでください」 「隠されて、帰ってこれる?」 問いに、にとりはにやー、と椛は呆れたように、 「まさか、よほどの幸運がなければ帰ってこれませんよ」 「異界、だよ。 その意味、わかる?」 「蓮子、今回ばかりは羽交い締めしてでも止めるわよ?」 からから、と自転車を押すメリーにまで言われて、私はため息一つ。 「了解しました」 「それならいいです」 「っていうかさ」にとりは首をかしげて「二人は京都から来たんでしょ? 椛、京都だよ、京都」 「『大魔縁』崇徳天皇っ!」 「「違うっ」」 「だけじゃないよっ! 鞍馬寺に祀られている『霊王』護法魔王尊もっ!」 「あ、そっち?」 鞍馬天狗かと思った。 「考えてみれば、京都も負けず劣らず天狗のメッカね」 メリーには同感、だけど、……なんか、違うような気がする。 むむむ、と椛が難しい表情をする。たぶん、多大な勘違いを持って、 でも、 「たぶん、京都の天狗と遠野の天狗って別物よ。まあ、天狗っていう言葉じゃ一緒だと思うけど」 山神、山岳信仰の体現としての意味合いが強い、遠野の天狗。 傲慢な僧侶とか、仏教との習合により存在する、京都の天狗。 …………なんか、ぜんぜん別物な気がする。天狗って一括りにしていいものなのかしらね、こういうの。 「ですが、それでもお会いしたいのですっ」 「大前提としていないからっ!」 「なーんだ」「残念です」 いや、肩を落とされても困るんだけど、 「まあ、そっちの方がいいかもね。 椛、京都といえば、『火雷天神』菅原「もいないわよ」ひゅい?」 「……メリー、遠野の人にとって京都ってどんなところよ?」 「『大魔縁』崇徳天皇が恨み、『火雷天神』菅原道真が祟り、羅城門には鬼が住まい、橋では橋姫に川に引きずり込まれ、道路では百鬼夜行が跋扈し、道をはずれれば狐が化かし、空には以津真天が舞い、夜には鵺が鳴く?」 「「そうそれっ」」 天狗と河童が頷いた。 「京都って住みにくいわねえ。 もう、綱も頼政も広有もいないからね」 どんな『魔都』よ。人暮らせるの? その町。――ああ、昔は暮らしていたのか。 いや、全部まとめてじゃ無理かも、 「え、ち、違うのですか? 私は鞍馬山僧正坊に一度お会いして剣の指南を」 「……義経かあんたは」 一体どこからそんな謎の情報が入ってくるのかしら? ともかく、私たちは異界を進む。一本道。 「河童も山にはよく来るの?」 メリーの、ふとした問い。対してにとりはまあね、と頷いて、 「川の源泉は山だからね。 自然の代弁として、という意味なら、天狗も河童も似たようなものよ」 もちろん、山神は信仰しているよ、とにとり。 「京都の天狗より遠野の河童のほうが遠野の天狗に近い気がするわ」 「早口言葉みたいだねっ、 よしっ、椛やってみ」 「へ? あ、はいっ」 勢いに押されて椛。 「京都の天狗より遠野の河童のほうが京都のてっ」 「噛んだわね」「間違えたわ」「噛んだ上に間違えた」 「う、うるさいですっ!」 椛は顔を真っ赤にして叫んだ。 道を真っ直ぐ行くと、みえた。 「神門、ね」 鬱蒼とした森、その中に、似つかわしくない門がある。 こんなところにどうやって作ったのか、――それを問うのはもちろん野暮。ここは異界、そして、目の前こそ異界の中心。 山の娘神を祭った社。 神門を抜ける。と、 「あ、こんにちわ」 「……あ、うん、こんにちわ」 箒を持った女の子がいた。 「こんにちわ、早苗。 参拝客です」 「そうですかっ」ぱあっ、と彼女――早苗は笑顔で「それは、ようこそ」 「ん、椛。人間?」 早苗の隣から、もう一人顔を出す。 「こんにちわ、はたてさん」 「ええ、こんにちわ。 それと、にとりも」 「あ、にとりさん。こんにちわ」 「こんちわー、久しぶりだね」 「はい」 「はたて?」 「ええ、天狗のはたてよ。 はじめまして、――で、人間?」 「はじまして、私は宇佐見蓮子よ」 「マエリベリー・ハーン。 メリーって呼んでください」 ひらり、と手を振る私と軽く頭を下げるメリー、二人は頷く、と。 「京都からの観光客だそうです」 「「京都っ!」」 「一応言っておくけど、怨霊も大魔縁も怪鳥も百鬼夜行も橋姫も鬼も狐もないわよ」 「え? じゃあ京都って何があるんですか?」 ちなみに、そう言って問う早苗は真顔。 「なーんだ、つまんなーい。 面白いものがあればよかったんだけど」 うん、それは同感。 「はは、まあ、せっかくの客人だ。 ちゃんともてなそうじゃないか」 そして、声。 ぱっ、と。早苗がそっちをみて、 「あっ、神奈子様っ」 「こんにちわ、遠方よりの客人。 私は神奈子、――この社に祀られている神だ」 威風堂々、その言葉が似合う。そんな仕草で、彼女は告げた。 この人が、山神。か。――なるほど、納得する。 祀られるだけの事はありそうね。 「さて、お参りに来たのなら、まずは」奥、本殿を示して「お参り、してもらおうか」 そして、彼女は本殿まで、文字通り一飛びでふわり、と降りる。 「ささ、お二人とも」 早苗に急かされる。まさか、 「文字通り、――なんていうか、これ以上ない位、神前よね」 「ええ」 まさに、神様の目の前。 「作法はわかりますか?」 「四拍とかそういう特殊なルールじゃなければ」 「それはよかった。 普通に二拍二礼一拍でお願いします」 二拍二礼一拍、と。私とメリーは神前にて祈りを捧げる。 願わくば、……………… 「人の子よ」 神の声が聞こえる、威厳があり、でも、それ以上に優しそうな声。 山神として、山と里を見守ってきた。神の言葉。 「神山、早池峰を治める神として、その祈り、確かに聞き届けよう」 だから、と声が聞こえる。 「この地に宿る神として、その祈り、感謝する」 眼を、開けた。 目の前には相変わらずの神様。みると早苗も、静粛に目を閉じている。 「終わった?」 はたての声に振り返り頷く。 「そ」にやー、と彼女はいやらしく笑って「で、どんなお願い事をしたの? 恋人? 恋愛?」 「俗ね天狗」 呆れた視線を向けると、その視線の端。 「早苗も、似たような事を考えた?」 「あ、あははは、いえ、……まあ、そのくらいの年頃なら、そうじゃないかなあ、って」 「そんな事じゃないよ。 もっと真摯な事で、私に、……いや、早池峰、……も違うか、この遠野にとって、有り難いことだよ」 「ここにとって?」 にとりの問いに、神様、――神奈子さんは私を見る。 たぶん、伝えてもいいか、っていう事なんだろうなあ。 苦笑、メリーも似たような表情で頷く、だから、 「この山が、この地が、今のまま、平穏に、これからも在り続けますように、……だ、そうだ」 へえ、と、声。 「そうですか」 椛が安心したように言う。 「そう、祈ってくれるのなら、私の案内してよかったです」 「そう言ってもらえるなら有り難いわね」 「さて、どうせだから客人をもてなそうか。 早苗、茣蓙はあったかな? 酒、……と、行きたいところだが」 神奈子さんの視線は、神門に向けられる。 たぶん、示しているのは、そこに置いてある自転車ね。 「帰りがあるから無理か。 そうなると、白湯くらいしか出せないが」 「あ、それで大丈夫です。 ありがとうございます」 「そうか」 「あ、神奈子様。 もうお昼時ですし、みんなで一緒に食べましょうっ」 奥から早苗の声、ふむ、と神奈子は頷いて、 「そうだな。 みんなも、それでいいかい?」 肯定の言葉が、一斉に帰ってきた。 「どうぞ、皆さん」まあ、と早苗は困ったように苦笑して「お肉はないので、物足りないかもしれませんが」 「おお」 おにぎりとか焼き魚、新鮮な野菜や果物。 「早苗ー、酒はー」 「用意してないですよ。はたてさん」 「えーっ」 文句を言うはたてに、早苗は笑って応じる。 「ほらほら、白湯で我慢我慢。 お、これは前に私が取ってきた魚じゃないかい?」 「ええ、いい機会なので、ぱーっ、と」 「せっかくの遠方からの客人だからね。 きちんともてなしたい」 まあ、とここで苦笑。 「あらかじめわかっていれば、町に降りて宴会でもよかったのだが」 「お二人は、確か観光ですよね。 今どちらに?」 「遠野駅?」 「ううん、近くのホテル。 『Scarlet』ってところなんだけど」 「へえ」 「うわっ、すっごい高級なところじゃないっ。 まさか、お金持ち?」 「はたてさん。なんでそんな興奮気味なんですか?」 ずずい、と近寄るはたてに、椛はため息。 「だって、観光客よっ、きっとここにはないいろいろな事を知っているわっ」 「鞍馬天狗はいないらしいですよ」 「いや、どうでもいいわよ」 「どうでもいいわけがないですっ!」 「えっ? 私怒られたの?」 なに期待してたのよ、椛。 「ははは、椛は有名所にはあこがれるか。 まあいい。早苗、久しぶりに町に降りようか」 「あ、はいっ。 そうですね、食べ物も補充しないと」 「あ、もしかして、」 メリーがばつが悪そうに視線を落とす、まあ、と早苗は苦笑して、 「とはいえ、どうせいつか行かなくちゃいけないですから。 それならおもてなしに使ってしまったほうがいいです」 「ありがとう」 メリーの言葉に早苗は「どういたしまして」と微笑む。 「にしても、生野菜が普通に美味しいとは思わなかったわ」 人参をつまんでぽりぽりと食べる。 食感もいいんだけど、味も、仄かに甘い。 美味しい、と思う。 「ふふ、気にいってくれたならなによりです」 「む、おにぎりに具がない、さては外れか?」 「いえ、どれも塩むすびなので具はないですよ」 「不満なら食べないでよろしい」 「あーっ、食べる食べるー」 おにぎりが載った大皿を遠ざけられ、にとりは慌てて手を伸ばす。 「どれ」 塩むすび、手を伸ばして食べてみる。 「む、美味しい」 「そうですかっ?」 ぱあっ、と早苗が笑う。 そして、困ったように、 「あの、京都から来たって聞いたから、もっとずっと美味しいもの食べてて、口に合わないんじゃないかなあ、って」 思わず、京都の食生活と比較して言葉をなくす私。 うん、しょうがないわよ、一人暮らしの学生だもの。 「大丈夫よ。早苗さん」 メリーがにっこりと、 「蓮子の食生活は壊滅してるから、普通のご飯ならたいていマシよ。 うん、焚いただけの米でもイケル」 「……か、壊滅、ですか?」 「あ、あはははっ」 いや、料理は出来るんだけどね。 とはいえ、帰りが遅くなった、面倒くさい、そう言った理由も当然独り暮らしの学生にはあるわけで、 お金は仕送りでもらっているし、バイトもしている。近くには二十四時間営業のお店もある。だから、まあ。…………お金があれば何もできなくてもどうにでもなるのが、京都の暮らし。 「き、気にしないでいいわ。大丈夫。美味しいわよっ」 その、何とも言えない同情の瞳はやめてほしい、切に、 「メリーさんは?」 「美味しいわ」メリーは丁寧に焼き魚から身をとって「ほんと、上手に焼けていて、うらやましいわ」 「あ、ありがとうございます」 「そんなものかな? いつも食べてるものだけど」 「うーん、京都だと食べ物が凄いとか?」 「壊滅」 「壊滅って、どういうもの食べてるんだろ?」 「壊滅、…………ど、どうしよう、私、お土産に魚とか取ってきたほうがいいかな?」 「そうですね。 野菜とか、用意しておきます」 「いいわよっ、大丈夫よっ、私は京都で強く生きるからっ! 同情しないでっ!」 「だって、壊滅」 「壊滅的な食生活」 「きっと、いつも飢えているのだな」 「飢えてないわよっ!」 神様に怒鳴る私。で、その神様はからから笑う。 「はは、まあいい。 早苗の手作りだ。どんどん食べてくれ」 「はい、遠慮なさらずに」 なら、と私は焼き魚に手を伸ばす、箸で皮を退け、うっすらと焦げ目のついた身を食べる。 「うん、美味しいわ」 「はい、ありがとうございます」 「はは、早苗は随分練習したからな」 白湯を飲みながら神奈子さん。はいっ、と早苗が元気良く頷く。けど、 「練習?」 「霊夢ってやつがいるんだけど、彼女に負けないように、だっけ?」 にや、と笑うはたて、――意外、だって、 「それって、『博麗』の霊夢?」 「え? 知ってるんですか?」 「まあ、うん、最近毎夜『博麗』で食べてるし」 ちなみに、今夜は樵と宴会。 「ほう、また面白い縁だな」 「面白いですよ。 霊夢と蓮子が一緒にいると、言う事が重なる重なる」 「似た者同士、という事ですか?」 「そんなこと、ない、と思うんだけど」 「ん、じゃあ私もたまには人里に下りてみようかな。 『博麗』でご飯もたまには乙だしねい。椛、どうするよ?」 「そう、ですね。 久しぶりに行きましょう」 「あっ、ちょっと待って、私も、私も行くっ」 頷きあうにとりと椛に、はたてが急いで手をあげる。 「よし、ならば皆で人里だな。 ふむ、楽しみだな」 「そうですね。 お買い物もたくさんしておきましょう」 乗り気な早苗と、そんな早苗をやさしく見守る神奈子さん。 「なんていうか、親子みたいね」 「「へ?」」 「むぐ、誰と誰が?」 はたてが魚を食べながら、そんな事を言い出したメリーを見る。 ごめんなさい、とメリーは微笑みながら頷いて、 「早苗さんと神奈子さんが、娘と、それを見守る母親、っていう感じがして」 優しい微笑みに、早苗は笑顔で、神奈子さんは、言葉に詰まり、苦笑。 「かもしれないな。 早苗がまだ小さい時から、ここで見て来たのだからね」 「はいっ、神奈子様にはいろいろと教えていただきました」 「ちょっとちょっと、私たちだって山歩きの方法とか教えたじゃないっ」 笑顔をかわす早苗と神奈子さんに、はたてが慌てて抗議。 「そうですね。天狗の皆さんにも鍛えていただきました」 「……リアル義経」 「よしつね? ですか? 誰ですか?」 「鞍馬天狗に剣の腕を来たられた、という昔の英雄です。 天狗に鍛えられた人間、という事が重なったのでしょう」 なるほど、と椛が笑う。 「あ、なるほど」 「うぐぐ、解説してもらわないとわからないなんて、ネタとして失格ね」 「蓮子は何目指してるのよ?」 さて、食事も終わり、私たちは自転車に乗る。 「それじゃあ、ありがとうございました」 「さようなら」 神門を抜けて一礼、うむ、と神奈子さんは頷いて、 「では、『博麗』で会おう」 「十九時にはいますから、その位に、お願いしますね」 ぺこり、頭を下げる。 そして、神門を出て、また戻る。 「なにはともあれ、二人を案内したのはよかったです」 一人、ついて来てくれた椛がそう言って笑う。 最初の堅い口調から随分と変わった。そのことが嬉しくて、 「ありがと、私もこれてよかったわ」 笑顔を返す。椛は、ふい、とそっぽを向いた。 「あ、そうだ。椛さん」 「なんですか?」 「『猫っ子と狐どん』っていう昔噺、知ってる?」 あ、そうだ。――――っていうか、しまった。 昨日の夜。輝夜に聞いておけばよかった。ちょっと頼りないけど、 「? いえ、知りません。 人里に伝わる噺ですか?」 「ええ、……えっと、猫と狐が山で何かにお祈りしたら妖怪がそれをかなえてくれた。 っていう噺なんだけど」 「それ、山ではないですね。 山に妖怪はいませんよ。山人や山神、天狗ならともかく」 椛は不思議そうに首をかしげる。 やっぱり、そこが不思議なんだ。 「まあ、人が寝物語に創った昔噺でしょう」 「そうね。……うーん、てゐちゃんなら知ってるかしら」 博物館の館長だし、――確かに、彼女なら何か知ってるかもしれない。 あるいは、慧音さんも、 悩む私に椛は笑って、 「熱心ですね。 ここも、お参りというよりはフィールドワークですか?」 「そんな大それた理由じゃないわ。 ほんと、お参りしてみたかっただけ」 「貴女達のした祈り。 この山の者として、感謝します」 「ああ、いや、別に感謝することじゃないわよ」 確かに、大学生だと、そう、恋愛とかそういう方面になる、と思うんだけど、 思うんだけど、……私は、ぐるり、とあたりを見る。 山中異界。生者を送り死者を迎え、恵みをもたらし祟りを起こす、異界。 出来れば、それがここでずっと残っていてほしいから、ずっと、あり続けてほしいと、そう思ったから。 だから、 「感謝はしなくてもいいわ。 本当に、私がそう願ったのだから」 言うと、椛が頷き、メリーが私の額を小突く。 「な、なに?」 「私、たち、が。 私も同じ事を祈ったわよ?」 「ああ、そういえば、神奈子さん片方だけ言うとは思えないし」 この山が、この自然が、ずっと、このままで、あってほしいと。――そう、神に祈る。 だから、 「あのさ、椛」 「はい、なんですか?」 「その、……まあ、遠野にいるわけでもないような部外者が言うのも、なんだけどさ」 ほんと、言ってもいいのか。――けど、言っておきたい。 神様に祈りを伝えたように、 「あのね、椛ちゃん」 「メリー?」 「これからも、ずっとずっと、この森を守ってね。 強くて格好いい、天狗さん」 にこっ、とメリーが笑いかけ、椛が顔を赤くする。 「ど、どうして、あの、……強く、って」 「あら? 鞍馬天狗に剣の修業をしてほしいって言ったの、椛ちゃんでしょ?」 そういえば、そんな事言ってたわね。 「でも、私は、そんなに強いわけじゃあ、ない、です」 「山がこのままであってほしいって、そう祈った私たちにありがとう、って言ってくれたのだから、 この山を大切に思ってて、それを護るために強くなりたいと、言えるのだから、」 ね、と。メリーは笑って、 「椛ちゃんは強いわよ。 だから、大丈夫」 はい、と椛は顔を赤くして、でも、嬉しそうに頷いた。 ぶつっ、と。 「あ、――『遠野ふるさと村』?」 隣を見ると、『遠野ふるさと村』の駐車場が広がっている。 と、 「あら? 蓮子さん、メリーさんも」 「こんにちわ」 白蓮さん、水蜜、一輪の三人がワンボックスカーに何か詰め込んでる。 白蓮さんは困ったような顔でこっちに来て、 「えと、もしかして見学ですか?」 「あ、えっと」 どうしようかな、と思ったところで、 「その、申し訳ないのですが、これから私たち遠野の町のほうに行くので、今日は」 定休日、――まあ、いろいろ必要になるものね。 だから、 「私達も、『早池峰神社』から戻るところだったんです。 だから、遠野でまた」 「そうですか」ほっと、安心したように「では、縁があれば、また」 会いましょう。と、白蓮さんが言って車に戻る。 運転席に座る一輪と、助手席に座る水蜜、それぞれ軽く頭を下げ、小さく手を振る。 私たちは道を開け、横を通り過ぎる。笑顔で手を振る白蓮さんに手を振り返す。 よし、 「じゃあ、私達も行きましょう」 「そうね」 そして、私とメリーは自転車のペダルを踏んだ。 もう一度、振り返る。 神山、――――早池峰山。 願わくば、ずっと、ずっと、―――― |
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