からんころーんっ、と、青空の下、音が響く。
 結構聞き心地いい音ね、とか、他人事のように思ってみる。
「って、えぇええええっ!」
 相棒の驚いた声は、聞き心地はともかく、愉快ではある。

「――――でさ、どうする?」
「どうするって? 何が?」
「なにがじゃないわよ、これよ、これっ」
 ずずい、と突き出されたのは、厚めの封筒。ついさっき、福引で引いたヤツ。で、中身は、
「行くに決まってるじゃない。
 遠野一週間旅行なんて、断る理由なんてないわよ。夏休みだし」
「ま、まあ、そうだけど」
 というわけで、我が相棒、マエリベリー・ハーンことメリーは夏休み、テンションだけで引いてみた福引で見事に引き当てた。
 まあ、一等とか二等とかその辺にある高級家電やら海外旅行じゃない、特賞。ってやつだけど、
「なに? 予定とかあるの?」
 問いに、メリーはないわよ、との事。
「んじゃ、決まりね。
 ルートは?」
「卯酉東海道で東京、それから新幹線ね。
 チケットあるからタダだけど、まさか今さら旧態依然の新幹線に乗る日が来るとは、思わなかったわ」
「京都から東京まで一時間、東京からざっと四時間ね。なに、このバランスの悪さ」
 さあ、とメリーは肩をすくめる。まあ、しょうがないか。
「それにしても、一週間って長いわね」
「のんびり楽しみましょう。夏休みなんだし、
 ぼーっとここにいるよりはましじゃない?」
 そういえば、
「ホテルとかも決まってるの?」
「ええ、ほんと至れり尽くせりね」
 メリーは封筒の中をごそごそと漁って、
「これよ」
 ふむ、
「ホテル『Scarlet』……なんていうか、ねえ」
 民話と伝承の郷、遠野。
 そのイメージとはかけ離れた、洋式の、凄いホテル。
「まあ、いいんじゃない? っていうか、ほんと至れり尽くせりね。
 かなり高級そうじゃない?」
 このホテルに一週間、――間違いなく無理ね。学生には、
「ま、そういうわけだからさっさと準備始めましょう。
 来週、ぱーっと行くわよ」
「ん、わかったわ」
 まあ、とメリーは笑って、
「秘封倶楽部、としても見るものは多そうね」
「当たり前じゃない」
 神隠し、マヨヒガ、河童、山人、オシラサマ、などなど、……一週間、長いとは思ったけど、これらの伝承とまともに向き合ったら、案外足りないかもしれない。
「せっかくの機会だし、存分に研究しましょう」
「研究って、まあ、それもそうね」
 あれ? 言い方変だったかな?
「それで、メリー、これからどうする?」
「んー、特に考えてないけど」
「なら買い物行かない?」
「準備? 早すぎない?」
「善は急げ、思い立ったら吉日。
 直前になって慌てふためくよりましよ」
「まあ、かもしれないわね」
 それに、と遠野に行くなら必携の書。
「『遠野物語』も買っておきましょう」
「私は持っていますわ」
「なにっ?」
 胸を張って言われた。――くぅ、
「まあ、こう見えても文系だしね。
 心理学も分野次第じゃ伝承とかも学ぶことあるから」
 そうだった、物理屋の私とは違い、メリーは生粋の文系。
「貸してあげようか?」
「情け無用っ」
 ああ、こうして後悔するんだな、とか冷静なところでは考えているけど、とはいえ、私は購入する事に決めた。

 まあ、そんなこんなで出発の日。
 チェックインは十三時だけど、その前にホテルの周りくらいは見ておきたい。
 そんな希望も相まってか、――私は外を見る。
「午前四時、…………まあ、しょうがないか」
 何せ片道五時間近い道行だし、五時にメリーと京都駅に待ち合わせ。
 ふわー、と欠伸を一つ。ぺたん、とベッドに座って眼をこする。
「朝ご飯、どーしよ」
 遅刻は出来ないわよねえ、さすがに、
 お腹も全くすいてない。――ねむい。
 列車の中で寝ようかな。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、バッグの中を確かめる。
 いくつかの着替え、『遠野物語』、あとは適当に詰め込んだお財布やら何やら、それとメモ帳、ペンケース、と。
「忘れ物は、ないわね」
 観光マップ、とついでに行きたいところだけど、せっかくだからご当地で調達する事にする。――――あればいいんだけどね。
 ま、最悪地元の人に聞くか、それっぽい組合とかあるでしょ。
 楽観一つ、とはいえ、遷都以前、そして、今となっても民話と伝承の郷、として有名な遠野。期待は十分持てる。
「あと、移動手段はレンタサイクル、と」
 さすがに車は無理よねー、免許ないし。
「さて、と」
 一通り準備を確認し、着替えを済ませ、もう一度外をみる。
 輝く星、――それが伝える時間、……ちょっと早いけど、
「行こうかな」

 地下鉄を乗り継いで京都駅へ。時間が時間だから、まだ誰もいない。
 がらん、とした電車にぽつりと一人、その感覚がなんとなく面白くて、わくわくする。
「子供か私は」
 そんな心情を苦笑。まあ、いっか、と。
 そして、ほどなく京都駅へ。
「時間は、」腕時計に視線を落とす、十五分前「何か食べて行こうかな」
 お腹すいているわけじゃないけど、――それとも、お菓子でも買っておこうかな。
 電車の中でメリーと雑談を肴につまむのもありかもね。
 辺りを見る、使い慣れた駅の構造は大体頭に入っている。だから、二十四時間営業の便利なお店も、
「うそっ!」
 さて行こう。と思った矢先にそんな声が響いた。
「なによ、うそって」
 そっちを見るより先に、声が出る。誰かなんて考える必要ないし、
 案の定のメリーは、目を見開いて解り易く驚いて、
「れ、蓮子が、集合時間より早くいる。
 え? なんの奇跡?」
「ただの日常よ。
 ってか、そんなに驚かないでよ」
「驚かれたくなかったら遅刻癖なんとかしたら?」
 ぐぅ、――それを言われるとつらい。
「ま、いいわ。
 それより、メリー、時間もある事だし買い物して行かない? 列車の中でつまむお菓子とか」
「大丈夫?」
「ここからホームまで五分かからないわよ。
 座れないってこともないでしょ」
 それもそうね、とメリーは頷いて、
「いいけど、買うもの決めるのに時間かけないでよ?」
「解ってるわよ」
 そんなんで遅れたら笑えないしね、と。私はメリーと一緒に近くのコンビニへ。
 いらっしゃいませー、と、眠たそうな声。それと、意外そうな。
「意外かしらね」
「そりゃこんな時間だからね」
 メリーは苦笑、まあ、それもそうか。
 時間はまだ四時四十五分、もしかしたら星も見えるかもしれない。
 ともかく、ざっと見ていくつかのお菓子と、私は缶コーヒーを、メリーは小さいペットボトルの紅茶を購入。
 ありがとうございましたー、と、やや面倒くさそうな声に送られ、私たちはホームへ。
「さすがに酒は買わないか」
「まあね、寝不足でアルコールなんて入れたら洒落でなく寝過すわ。
 卯酉東海道ならいいんだけど、そのあとの新幹線でそれやったら致命的だし」
 京都と東京の二駅しかないならともかく、新幹線はそうはいかない。
 ともかく、私とメリーはホームへ、発車五分前、そして、目の前に鎮座する卯酉東海道『ヒロシゲ』。
「さて、行きますか」
「ええ、そうね」
 『ヒロシゲ』に乗車する。まあ、当り前、かもしれないけど、
「さすががらがらね」
「こんな時間にわざわざ東京に行く人はいないわ。
 通勤時間にしては洒落でなく早すぎるし、観光だとしてもこんな時間に行く人はいないでしょ」
「それもそうね。
 開店が十時からだとしても、今から行ったら四時間の退屈ね」
 ぐるり、辺りを見ても人はほとんどいない。
「と、すると東京観光は無理か」
「時間がもったいないわ」
 それもそうね。
 適当な席に座る、メリーは正面に、簡易の机を引っ張り出して、そこに缶コーヒーとお菓子を置く。
「蓮子はコーヒー派ね」
 じ、と、缶コーヒーを見ながらメリー、そうねと頷いて、
「まあ、眠気覚ましも含めてね」
「いつもブラックじゃない。
 よく好き好んで飲めるわね」
「大人だからね」
「それ、苦手な私を暗に子供って言ってる?」
「あら、暗にしたつもりなんてないわ」
「なお悪い」メリーは広げたお菓子に手を伸ばして「『遠野物語』、読んだ?」
「ええ、予習はばっちりよ」
「で、見たいものは?」
「マヨヒガね」即答、と頷いて「だから、メリー、期待しているわよ。その気持ちの悪い目」
「一言多い」
 むぅ。
 とはいえ、境界を見るメリーの気持ち悪い目、それがあれば、あるいは、
 現実の向こう側、マヨヒガ。――行ける、かもしれない。
 それが、神隠しという方法であっても、

 ぞくり、と、心がうずくのを感じる。旅行に行くという高揚、それとは別の、禁忌を暴き、幻想への道を突き進む。その高揚。

「ま、見れるものなら見てみましょう。
 私としては河童にも会ってみたいけどね」
「溺死するわよ?」
「その時は助けてくれる? 蓮子」
「私が安全な範囲内で」
 言ってやると、メリーはくすくす笑って、
「なんか、蓮子だと河童の国へっ、とか言って自分から淵に跳び込みそう」
「なによ河童の国って」
 …………やばい、一瞬行ってみたいなー、とか思っちゃった。
 カレイドスクリーンは東海道五十三次を映し出す。見たことある仮想の風景、いい加減退屈な映像刺激、それより、
「メリー、遠野に着いたらどうするか、おさらいしておきましょ?」
「それもそうね。まあ、途中までになるでしょうけど」
 約一時間じゃ終わらないか、……まあ、それでもいいか。
 何せ、この後には新幹線による数時間の道行、その時の時間も合わせれば十分ね。
 さて、
「移動はレンタサイクルね」
「車乗れないしね」
「んー、地図があればいいんだけど」
 もちろん、そんなものは用意していない。
「……ないの?」
「ないわよ。現地調達は実地調査の基本よ」
「…………入念な準備も実地調査の基本ね」
「行き当たりばったりって、素敵だと思わない?」
「みるべきものを見逃すって、悲しいと思わない?」
「……ああ言えばこういう」
「あたりまえのことですわ」メリーはそう言って苦笑「まあ、といっても私も細かく調べたわけじゃないけどね」
 そういって、小さなガイドブックを取り出す。
「東北、って、随分広域ね」

「ピンポイントで遠野なんてないわよ」
「それは残念」
 すでについている付箋、そのページを広げる。遠野の広域図、そして、ざっとした地図にぽつぽつと観光地が描かれている。
「とりあえず、と『カッパ淵』、と、『遠野ふるさと村』もいっておきたいわね」
「遠いわね」
 点在、という感じである観光スポット。メリーは苦笑。
「まあ、だからこそレンタサイクルよね。
 歩きまわるのも大変だし」
「同感」
 そして、どんなところを見て回りたいか、名前を見ながら雑談に興じる。なんだかんだでこういう時間は楽しい、だからこそ、
「あら? スタッフロール」
「あらら、と、するともうすぐ?」
 疑問に答えるように、最後の文字が浮かび上がる。

 『Designed by Utagawa Hiroshige』
 そして、その文字を最後に、――――暗転。

 光が灯る。
「ん、到着した?」
「ええ、東京駅ね」
 カレイドスクリーンの光ではない、単純にホームから差し込む蛍光灯の灯り。
 時計を見る、時間は午前六時、――ん、順調。
「さて、次は乗り換えね。
 新幹線のホームは、と」
 確か、東京駅も結構広い。ちなみに、新幹線の出発時刻まで十五分。
「間に合わない、って事はないと思うけど」
 えっと、――――あ、
「メリー、あっちよ」
 右手でメリーの手を握り、左手を指し示す。そこにある、新幹線はこちら、の掲示板。
「時間は?」
「ちょっと急いだ方がいいかも」
 詳しい場所はわからないし、最悪、あっちこっちへ、と掲示板の示す方向に向かって走りまわるかもしれない。
 だから、と小走りに、まだがらん、とした駅構内を私とメリーは急いで移動する。
 手に手を取り合って、駅構内を走る、たっ、と音が響く。
 誰もいないホームに反響する足音、それが面白くて、あとは、…………まあ、繋いだ手が暖かいから、かな?
「なによ、にやにやして」
「んー、メリーの手が握り心地がいいなあって」
「へえっ?」
 メリーが顔を赤くして、変な声をあげた。
 そして、黙った。けど、――まあ、手を離さないのはいいこと、かな。

 ホームに滑り込む新幹線、ちなみに、これを待っているのは私たちを含めても数人。
 ま、そんなものね。と、それに、
「これなら座れるわね。
 四時間近い道行きに立ちっぱなしなんていやだし」
 メリーの言葉に私は頷く、長時間の列車の移動、座れるに越したことはない。
 さて、
「私窓側ね」
「はいはい、好きにしなさい」
 二人掛けの椅子、私はさっそく奥へ。メリーはそんな私を苦笑で見送る。
 やっぱり景色見ないとねー
 と、ふぁあ、と、
「メリー?」
「ん、ああ」メリーは軽く目をこすって「ごめん、ちょっと眠くて、朝早かったし」
 そ、と私は頷く。
「いいわよ、寝ちゃいなさい。
 せっかくの観光地で眠いなんてのも難だしね」
「それもそうねー」
 そして、メリーは座るなり目を閉じた。おやすみ、と小さく呟いて、
「おやすみ、メリー」

「いい夢見れた?」
 ん、と。
「見れた、と思う。
 よく覚えてないわ」
「ま、夢なんてそんなものでしょ?」
 いつかみたいに、ほいほい夢の中のものを持ってこられても困る。特に物理屋としては、
「さて、そろそろ到着するわよ。
 新花巻駅、そこでひとまず新幹線も終わりね」
 それはいいけど、とメリーが、
「結構食べたわね?」
「あははは」
 車内販売って結構買っちゃうのよねー、私。
「まったく、太っても知らないわよ」
 ふと、
「太るの、かな?」
 なんとなくわき腹を触ってみる。
 へ? とメリーが、
「蓮子、……貴女、体重とか気にしないの?」
「……なんでそんなに愕然とされるのか、よくわからないわよ。
 ただ、そうね、あんまり気にしてないわ」
 健康診断で数値を聞いて、ま、いつも通り、で終わり、それも、
「第一、そんなに変わらないしねー」
「蓮子ーーーっ!」
「えっ! な、なに?」
「貴女、自分の体重、知らないの?」
「え? うん、覚えてないわ。
 結果が基準域内だったから、わざわざ覚える必要もないかなーって」
 …………しょげないでよ、メリー。
「と、ともかく、降りるわよ」
「あ、……ええ」
 それにしても、と私は立ち上がりながら、思いついた事を呟く。
「せっかくの旅行で、美味しいものいっぱい食べて、太らなければいいわね」
「…………お願い、旅行前にそれは言わないで」

 そして、私とメリーは釜石線へ。――――「な、なに、この、二時間に一本って」

 まあ、そんなこんなで私とメリーは、釜石線に乗って遠野に向かう。
 かたん、かたん、――と。二両編成というそれだけで驚きな電車に揺られながら、
「なんていうか、……貴重よねえ、駅も含めて」
 苦笑するメリーに私も頷く。
 驚いた、いろいろなものが、
 電車の来る間隔が二時間、改札はない、どうしたものかとメリーと首をかしげた。
 とりあえず現れた駅員さんに切符の事を聞いたら乗車証明書なる紙をもらった。
 それと、封筒の中の切符を一緒に見せればいいらしい。
 これでいいのか、とは思ったけど、――いいんだろうなあ、さすが東北。
 まあ、そんなこんなで釜石線。
「凄いわね。
 山と田んぼばっかり、なんていうか、のどかな光景ね」
「新幹線から見えた景色も場所によってはこんな感じだけどね」
「そ? 『ヒロシゲ』からも見えるのかしらね?」
「風景なんて見えないわよ。
 メリーは地面を見たいの?」
「それはそれで面白そうね。
 でも残念、見えるのは暗いだけね。トンネルの中だもの」
「地面むき出しのトンネルとか、見てみたいなあ」
「地底世界?」

『次は、遠野、遠野、』

 アナウンスが流れる。
「次ね、長い旅だったわ」
 まだ暗かった外は、もう朝の明るさ。
「ほんと」
 と、
「およ? 娘さんたちは観光かい?」
 声、――ちょっと、驚いた。
 どこか古風な言い回しに似つかない、幼い声。
「え、ええ」
 返事をして振り返る。と、
 幼さそうな声に違わない。幼い女の子。
 金色――というよりは、稲穂色の髪の少女はけろけろ、と笑って、
「目的地は遠野? また、こういっちゃあなんだけど、年頃の娘さんがみるようなところはあんまりないと思うよ?」
 いやまあ、そうよね。普通、
 そもそも、私やメリーが追いかけまわしているモノ、やりたい事、見たいもの、そのすべてが女子大学生、という枠内に収まっているとは思わない。
 もちろん、そう言われても上等、と笑って終わりだけどね。
「貴女は地元の娘さん?」
 メリーが彼女に問いかける。うん、と頷いて、
「まあ、これも何かの縁だ。
 私は諏訪子。よければ名前を教えてくれるかい? 向こうであったら茶飲み話でもしたいからね。せっかくの旅人さんだし」
 よしっ、地元の人の話を聞けるチャンスゲットっ!
 内心の喝采を胸中に収めて、
「私は宇佐見蓮子。京都の大学生よ」
「同じく、マエリベリー・ハーン。
 その機会があったらよろしくね、諏訪子ちゃん」
「うんっ、蓮子、それと、ま。えり、…………」ぱちんっ、と手を合わせて「ごめん、もう一回お願い」
 メリーは苦笑、そんなに覚えにくいかしら、と呟いて、
「マエリベリー・ハーン。
 メリーでいいわ」
「メリーねっ」
 それぞれ握手。そして、アナウンス。
『遠野、遠野、降車の際には、お忘れ物のないようにお願いします』
 列車が止まる。私とメリーは扉の前へ。後から諏訪子ちゃんも付いてくる。けど、――――あれ? 扉が開かない。
 立ち往生する私たちに、諏訪子ちゃんは横から手を伸ばして、
「ここだよ」
 よいしょ、とボタンを押す。
 押すんだ。――気付かなかった。
 メリーと顔を見合わせて、苦笑、それを見て諏訪子ちゃんもけろけろ笑う。
「さて」
 とんっ、と諏訪子ちゃんは一足先に降りて、くるっ、と軽快に回りこっちを見て、

「ようこそ、伝承の郷、遠野へ。
 この地に宿る神は、二人を歓迎するよ」

 へ? と、その言葉を考える一瞬の空白。
 その隙を見計らったように――眼を離したはずもないのにいつの間にか――諏訪子ちゃんはいなかった。
「あの娘、なんだったのかしら?」
「うーん? 神、って言ってたけど」
 のっけから――なんていうか、らしい現象にあい、ちょっと戸惑う。
「ともかく、行きましょう」
 ホームから階段を上り、通路を歩いて降りる。改札は、普通にあった。
「確か」乗車証明書と封筒にあった切符をとって「一緒に見せればいいのよね?」
「ええ」
 自動改札はない。そして、誰もいない。
「ええっとお」
「蓮子、あっち」
 メリーの示した先、小さな窓口、と。
「……無賃乗車するわよ?」
「やめましょうよ。切符あるんだから」
 本に視線を落とし、こちらを放置して読書をする駅員さん。
「すいませーん」
 こんこん、と窓を叩くと、その男性は、はっ、と顔をあげて、
「ああ、いたのかい」
 凄い事を言われた。大丈夫なの? 遠野駅。
「君たちは、旅行者かい?」
「ええ」
 頷く、駅員さんは一つ頷いて、
「切符は?」
 これ、と乗車証明書と一緒に渡す、駅員さんは一つ頷いて、
「どうぞ」
 小さく一礼、会釈を返して、遠野駅を出る。うむ。
「おー、到着したわねー」
「ええ、さて、どうしましょうか?」
 時刻は十一時。私は駅を出てぐるり、と。
「『観光案内所』は、奥ね。
 現地地図をもらっておきましょ。あとは、レンタサイクルの場所も確認しておきたいわ」
「そうね」
 というわけでまずは『観光案内所』へ。そして、近づくにつれ苦笑。
「レンタサイクルの場所、確認する必要なさそうね」
「あははは」
 レンタサイクル、と幟、それに貸し出し用らしい自転車が並んでいる。
 扉を開ける、ぽーんっ、と音。
「いらっしゃいませー」
 カウンターには一人、女性が作業用のエプロンを着て座ってた。
「あの、すいません。
 観光用の地図とかありますか?」
「ん、それならそこだよ。
 勝手に取っていきな」
「あ、ありがとうございます」
 うわ、カウンターに山と積んである。
 見逃した事、ちょっと恥ずかしいかも。
「じゃ、一枚いただきますね」
 メリーは苦笑して一枚とる。
「お客さん、観光?」
「あ、はい」
 ずずい、とカウンターのお姉さんが興味津々と身を乗り出してきた。
「へえ、こんな辺鄙なところにねえ。まだ若いのに」
 そういうカウンターのお姉さんも年齢あんまり変わらなさそうだけど、
「はい、お勧めの所とかありますか?」
「ん、とりあえず有名所の『カッパ淵』かな。
 あとは『遠野ふるさと村』、は、とりあえず行っておきな」
 とん、とん、と示す場所。
「遠そうね」
「あはは、まあかもしれないね。
 なにぶん田舎だし、その辺は勘弁してくれ」
 まあ、ある程度覚悟はしていた。って、
「小町っ!」
 ぱかんっ、と音。
「きゃんっ!」
「貴女はまた遊んでいるのですかっ?」
「うう、痛いですよお。
 映姫様あ」
 叩かれた頭を抑えながら、
「第一、違いますって、
 観光案内ですよ。立派な仕事です」
「ほう?」
「あ、えっと、本当です。
 ちょっと名所を聞こうと思って」
 メリーがフォロー、映姫、と呼ばれた、小柄な女性はふむ、と。
「そうでしたか。
 それは失礼しました」
「うう、あたい信用されてないですね」
 泣き真似をしながら小町さんが顔をあげる。映姫さんはため息。
「まあ、確かに間違えた事は謝ります。
 ですが、信用云々に関しては自業自得です。この前も仕事をさぼって雑談していたでしょう?」
 生真面目な口調に、小町さんはたはは、と苦笑。
 そうだ。
「あの、レンタサイクルっていつから開いていますか?」
「午前八時からです」意外そうな声で映姫さんが「今から、使いますか?」
「あ、いえ、今日はホテル、っていうか、街中を回ろうと思います。
 明日は朝一から借りようと思いますけど」
「そうですか、では料金などの話しはその時に」
「はい」
「あ、そうだ。
 私たち『Scarlet』っていうホテルに泊まるんですけど、場所とか解りますか?」
「ええ、駅から出て二つ、……ああ、いえ、」映姫さんは苦笑して「そこの信号を含めて三つ目ですね。その信号を左です。看板が出ているので行けば分かります」
 信号を三つ目、そこを左、と頷いて、
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
「んじゃ、また明日ー」
 丁寧に頭を下げる映姫さんと、ひらひらと手を振る小町さん。
 そんな二人に見送られて、私とメリーは店を出る。
 さて、と手元にある観光マップを広げて「それじゃあ、どこかで作戦会議する? お昼食べながら」
 結局、新幹線ではメリー寝てたし、『ヒロシゲ』では雑談ばかりで碌に決めてなかった。
 今度こそちゃんと決めないと、
「お昼、食べる場所ある?」
 問いに、私はうってつけの場所、と地図を見せる。
 映姫さんの言った通りの場所にある、施設を示す丸印と、『Scarlet』の文字。
 その隣、食事処を示す星印と、『博麗』の文字。
「ここにしましょう、ホテルからも近いし」
「そうね。
 どんな料理作ってくれるのかしら?」
「さあ、ま、行けば分かるわ」
 というわけで、駅から真っ直ぐ伸びる道をメリーと一緒に歩く。
「お昼にしては早くない?」
 時刻は十一時になったばっかり、もうちょっと早く着くかな、と思ったけど電車の待ち合わせやら、なんだかんだでこんな時間。
「まあ、そうだけど、とりあえず腰を落ち着ける場所よ。
 ゆっくり食べて行きましょう」
「それもそうね」
 メリーも頷いたので、私たちは食事処『博麗』へ。――ついでに、ホテル『Scarlet』も見ておこう。隣だし。
 映姫さんに言われた通りの道、左を見ると、
「あ、看板ね」
 ホテルは見えないけど、『Scarlet』の文字、それと矢印が書かれた看板はある。
 そして、その手前に食事処『博麗』の文字。
「とりあえずホテル見てみましょ」
「そうね」メリーは封筒からパンフレットを取り出して「あんまりギャップなければいいんだけど」
「プロの腕は侮れないわよね」
 何度かレストランで苦笑した事がある。あまりのギャップに、
 そして、覗き込み、――――「プロの腕、駄目じゃない」
「あははは」
 メリーは苦笑。その視線の先、威風堂々と立つ、写真以上に豪奢な作りの、紅いホテルがあった。
 とりあえず思いついた単語は迎賓館。凄い。…………ここに一週間――六泊七日なので正確には六日だけど――宿泊が無料って、どんな待遇よ?
「ほんとにここでいいのよね?」
「ええ、間違いないわ」
 改めて取り出したパンフレットと見比べて、メリーは頷く。
「まあ、チェックインの時に解る事よ。
 違ってたら、……どうしよう?」
「泣きつくしかないわね」
 困ったように呟くメリーに、私は胸を張って頷く。
「胸張らないでよ、そんなことで」



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