「洩矢様、洩矢様」
「ん、――――あー?」
 のんびり、と洩矢は目を覚まして、ごしごしと目をこすり、
「おはよー、佐久良ー」
 布団の上でぺたん、と座ったまま洩矢は首をかしげた。
 えと、昨日は?
 ふらふらになるまで宴会で酒を飲んで、伊吹童子と飲み比べをして、――――
「そういえば、伊吹童子は? 私勝ったっけ?」
「はあ、ほぼ同時に倒れたので何とも、
 伊吹童子様はもうお帰りになりました。親父殿が心配、とか」
 ああ、そう言えば、――――勝てなかったかあ。いつかまた飲み比べしよう。と決心を一つ、そして、
「今日何かあったっけ? 私寝てる予定だったんだけど、冬眠とか」
「洩矢様には必要ないでしょう。
 第一早すぎです」
 惰眠をむさぼることを期待した神の言葉を従者は一蹴。そして問答無用に布団を片付け始める。
 神はそれに抵抗して布団にしがみつき、
「私は全季節冬眠できますっ」
「わけのわからないことを言ってないでどいてください。
 掃除ができません」
「あーうーっ! 穴巣始だー、神事だー」
「……ああ、あの御左口様と引き籠ることですか」
「ひどっ、あ、あれは神事なのっ!」
「まだ早すぎます。
 っていうか、御室社でやってください。布団で神事をしないでください」

 洩矢はやることも特に思い浮かばずにふらりと、と社を出た。
「ん、あうーっ」
 伸び一つ。そしてあたりを見る。
「そっか、――もう、収穫の季節なんだ」
 今日一日散歩しよう。そう心に決めて王はふらりと歩き出した。

 のんびり、と洩矢は国を散策。
「みんな頑張ってるねー」
 うんうん、と頷いてみたりもする。
 農作物の収穫、そのために表に出る人と、その足元をちょろちょろついて回る小さな子供。
 洩矢よりさらに幼い童女の姿。
 これも、
「こんにちわ、洩田」
「こんにちわ、おうさま」
 ぺこり、ちょろちょろ出てきた少女は舌足らずに応じて頭を下げる。
 洩矢は背をかがめて視線を合わせる。
「これから、収穫?」
「うん、そうなの。
 おてつだいするの」
「偉いね、頑張るんだよ」
 その頭をなでる、頭をなでられた少女――洩矢の子である洩田は心地よさそうに目を細め、
「あら、洩矢様。
 どうされましたか? このようなところまで」
「ううん、散歩」洩田の髪を撫でながら「今はやることがなくてね。手伝いでもしようか?」
「なりません」
「ちぇー」
「おうさまのかわりにわたしががんばる」
 むんっ、と洩田が小さな胸を張る。洩矢は微笑し、がんばってね、とその髪を撫でた。
「では、洩田様。
 行きましょう」
「うん」
「おかーさんっ、準備できたよー」
 さらに後ろから転がるように彼女の子供と、
「おとーさんっ、ほら、急いでよー」
「そんなに急いだって畑は逃げたりしないよ」
 父親と、その背中を押す娘。
「あっ、洩矢様」
「と、これはこれは洩矢様、こんにちわ」
 その父親が洩矢の幼い姿を見て慌てて姿勢をただす。後ろで支えていた娘は、そんな父親の姿を見て少しむっとしていた。
「これから収穫なんだってね。
 頑張ってね」
「はい、今年もたくさんお供えをさせていただきます」
 丁寧に頭を下げる、その傍ら、洩田がおっとりと首をかしげて、
「たくさんおそなえしてたら、ふゆのたべものがなくなってたの」
「あ、あああっ、洩田様っ、そ、そういうことはっ!」
 慌てる父親と、あの時は大変だったなあ、と遠い目をする息子。
 母親は苦笑、もっとも、その笑顔はひきつっていて、当時の苦労による憤怒を滲ませる。
「今年は、お供えの量は私が決めますね」
「はい」
 父親は小さく項垂れた。
「ほんと、頼んだよ」
 ぽん、と洩田を撫でて、
「洩田、ちゃんと見てるんだよ?」
「おうめいたしかに」
 ぺこり、と洩田は頷いた。

 さて、と家族と別れて洩矢は再びふらふらと歩きだす。
 散歩を続けよう、と。
 するする、と同じように散歩をする白蛇の御左口がいた。
「こんにちわ、散歩?」
「こんにちわ、王よ。
 散歩ですが、王もですか?」
「あうー、佐久良に叩き起されたー」御左口の背によじ登り転がりながら「私より掃除が大事なのかー」
 背中でふてくされる王に御左口はするすると落ちないように気を使って移動しながら、
「ならば、その神威を見せればいいでしょう?
 王よ。――――その、こういう言い方は失礼とは思いますが、たまに道化を演じているのでは、と思ってしまいます」
 あー、と洩矢はころん、と御左口の背に寝転がる。
 空には、燦々と輝く太陽。
「もう、国は安定したよ。
 悪戯に神威を振るう必要はないさ。人々は御左口の力で生活を安定させている。
 その御左口は私を王としている。――これで私が力を振るってばかりだと、余計な恐怖が生まれる。
 平和があるなら、力は振るわないに越したことはないさ」
「…………御意。
 ただ、確かに王は民から慕われております。私たちの王だから、という理由だけで王が王たるわけではありません」
「ま、佐久良の気安さも慕われているが故、と思っておこうかな」
「それがよろしいかと思います」
「あのさ」
 洩矢は不思議そうに、御左口に問いかける。
「みんなは、私が王でいいの?」
 するすると、御左口は王を背に乗せて、
「王以外の者に仕えるつもりはありません。
 私たちの王は、常に洩矢、のみです」
 至極当然と言われた言葉に、洩矢は目を閉じた。
 ずっと、この平穏が続けばいいな、――燦々と輝く太陽に、ふとそんな思いを伝えてみた。

「続けます。――それが、約束です。
 神と、人と、王と、民と、――――そのすべてと、洩矢と交わした約束です。だから、守ります。この魂を賭してでも」

「また侵攻? 最近多いね」
 洩矢は眉根を寄せて洩宅に問う。
「はい」
 洩矢の王国、そのあらゆるところに宿る御左口の言葉、それをまとめて報告した洩宅が頷く。それを聞いた洩矢は肩をすくめて、
「ふーん、……まあ、まだこっちに来るのはそう大した相手じゃないけど、
 ま、いいや。それじゃ私は行くよ。佐久良、民のこと頼んだよ」
「確かに、王命を賜りました。
 気をつけて、洩矢様」

「とりあえず、ここで止まって」
 たんっ、と洩矢の騎乗する大鹿。――狩猟の神にて洩矢の直系である千鹿頭は歩を止めて、
「ここでよろしいのですか? 王」
「うん、…………大地の音が聞こえる。まっすぐここに向かってる」
 しん、――――と、静寂。――――――――やがて、
「来た」
 洩矢が目を開けて、その手を振るう。
 その手に薙鎌、その長い柄を持ち、千鹿頭をゆっくりと歩ませる。
 見えた。その数は二十、といった程度かな? 思考を巡らせながら、洩矢は問いかける。
「この地に何の用?」
「洩矢の王国とはここか?」
「違う、って言っても聞かないだろうね」
「当たり前だ」先頭にいた一柱の神は剣を向け「おとなしくこの地を明け渡せばよし、さもなくば」
「力づく、最初からそう言えばいいのに」
 苦笑して、洩矢は鉄輪を握る。
「まあ、いいよ。戦うのなら、――――――迷いを許さず死出の旅に送ってやる」
「かかれっ」
「千鹿頭」
「承知っ」
 一気呵成なだれ込む侵略神に、洩矢は千鹿頭を駆り真っ向から相対、の直前に、
「いっけぇええっ!」
「なっ!」
 激突寸前に、突如目の前に現れた数十の鉄輪。唐突な激突に侵略神たちは態勢を崩す。
 その形状により鉄輪の創造は無制限に可能、さらに追加で創造された膨大な量の鉄輪が、旋回しながら侵略神を薙ぎ払う。
 ひるんだ、その隙に千鹿頭は着地、洩矢はその背に立ち薙鎌を一閃。
 反射的に掲げた青銅の剣は洩矢自身の神徳に強化された鉄の一撃に両断され、
「やああっ!」
 続く一閃にて打ち倒す。
 かかっ、と千鹿頭は戦局に応じ、刹那も止まらず駆け抜ける。
 洩矢はその上に立ち、高速でばらまかれる鉄輪と神徳を帯びた薙鎌で縦横無尽に敵を打ち倒す。
 反撃の瞬間もない、武器を構えた瞬間に断ち割られ、攻撃をしようとすれば眼前に迫る鉄輪に打撃される。
 逃げる、その選択肢すらない、逃げようとする侵略神に大地の顎が喰らいつく。
 高速で振り回される薙鎌、それに打ち倒されればそのまま大地に飲み込まれる。空さえ逃げることは不可能、縦横無尽に旋回する鉄輪は逃亡どころか飛翔さえ許さない。
 がっ! と、千鹿頭は大跳躍。思わず見上げる侵略神に大地の杭を無数に打ち込む。
 槍のような岩石が降り注ぎ、侵略神は貫かれ倒れ大地に食われ飲み込まれる。
「こ、のっ!」
 倒れた侵略神が弓に矢をつがえ、狙撃。
「王よ」
「ん」
 振り向いた、同時に、
 轟っ! と質量さえもつ風が横から打ち込まれる。
「もう、手助けは無用、って言うのに」
「それでも手助けしたいのでしょう」
 かっ、と音。
「何事だ?」
 有利ながら一時退いた洩矢に侵略神が警戒し、――――――

 大鹿に騎乗し威を振るう王の後ろに、数多の存在が侵略神を睨みつける。
 その威を背景に、王は薙鎌を向ける。

「現世最期の光景として、その目に焼きつけて去ね。
 これぞ洩矢の王国、祟りの威ぞ」

 薙鎌を振るう、――戦いとはいえない、争いとはいえない、蹂躙が開始した。

「ふぅ、疲れた」
「お疲れ様です。洩矢様」
 社に戻ると、佐久良の出迎え。
「大丈夫ですか? お怪我は」
「ん、大丈夫」くあー、と欠伸をして「それより疲れたー、冬眠するー」
「まだ冬ではありません。
 ただ、そうですね。今はお休みください」
「うん」
 あれ? と佐久良は疑問に思う。
 布団は敷かれている。それこそあとは布団に潜り込めば、寝つきのいい洩矢ならすぐに寝息が聞こえる。
「えと「そこ、座って」へ? あ、はい」
 どうしたのですか? という問いの前に指示、困惑しながら布団に座る、そして、
「きゃっ」
 待ってました、とばかりに抱きつかれた。
 腰に手をまわし、太ももに頭を載せて、
「んー」
 甘えるような仕草で、――困惑した佐久良の表情が柔らかくなり、そっと、その金色の髪を撫でる。
「また、――私たちは守っていただきました」
 眠りに落ちたことを確認し、佐久良は呟く。
 侵略神から、この地を、――この、国を、
「私たちは、戦うことはできません」
 相手は神、――戦えば、たちどころに殺されてしまう。
 ただ、
「私たちは、守られてばかりなのですね」
 人としてある佐久良は呟く。その無力を、
「私たちは、どうすれば、洩矢様や、千鹿頭様、御左口様たちに、恩返しができますか?
 それとも、守られてばかりの、一方的な関係ではなく、せめて、何かお返しをしたい、というのは、傲慢ですか?」
「そう思うだけでありがたい。
 それを実感するにはまだ若いか、人の子よ」
 かつん、と音。
「千鹿頭様」
 起き上がろうとして、起き上がれず、えと、と呟き、
「よい、王を起こす必要はない」
 威風堂々と、大鹿の姿をもつ神は言う。
「いつも、みんな思うのよ、そういうことは」
 そして、その隣に立つ洩宅。
「私たちだってそうだもの。
 本当に、王の助けになっているのか、いつも悩んでいるわ」
「そう、――ですか?」
 そっと、洩宅は眠る洩矢を撫でる。
「王は、とても力の強い御神。
 先の争いでも、だれも出る必要はなかった。王のみでも十分勝てたでしょう」
 ひょい、と覗き込む影。
「洩田様も」
「おうさま、おけがとかない? だいじょうぶ?」
「はい、大丈夫です」
 ほう、と洩田が安堵の吐息を洩らし、その向こう。
「あの、――佐久良様」
「佐久良様ー、洩矢ちゃん、――じゃなかった。
 えと、洩矢様は大丈夫?」
「ええ、洩矢様は大丈夫で、今はお休みになられています」
 すぅ、すぅ、と眠る洩矢に、そこに集まっていた人や御左口は、安堵の吐息を一つ。
「あの、これ、今日とれた野菜です。
 洩矢様に食べていただいてください」
「洩矢ちゃん、早く元気になってね」
 心配そうに言う少女、弱って寝ているわけじゃないんだけど、と佐久良は思うけど、口に出さず、ありがと、と受け取る。
 かつん、と千鹿頭と洩宅が振り向いて、
「ありがとう、みんな。
 これからも、この国をよろしくね」
「この国は任せよ。
 王と、我らが一切の外敵を排除する。だから、この国を頼む」
 はいっ、とそこに集まっていた人が応じる。
 そして、御左口と人はそれぞれの帰路に着いた。丁寧に頭を下げて、――最後に、
「洩田様?」
「おうさま、しあわせそう」
 幼い童女の姿をした洩矢の子は、佐久良に抱きつき眠る洩矢を覗き込む。
 幸せそう、――確かに、その寝顔は幸せそうだ。
「さくら」
「あ、はい」
 洩田は首をかしげて、
「おうさまを、これからもよろしくね。
 おうさま、さびしがりやだから、だれかがそばにいないと、ないちゃうから」
「え? そ、そうなのですか?」
 泣いちゃうって、――ただ、
「大丈夫です。
 洩矢様を、独りぼっちにはさせません」
 洩田は微笑んで、
「うん、ありがとう。
 おうさまがしあわせだと、わたしたちもうれしい。わたしたち、おうさまだいすき」
「ふふ、私たちもそうですよ。
 洩矢様の事、大好きです」
「おうさまは、このくにのみんながだいすき。
 だから、みんなしあわせ」
 そうですね。と佐久良は眠る洩矢を撫でる。
 神様でも、独りぼっちはさびしい。
 傍にいることしかできないけど、せめて、その寂しさを紛らわせるのなら、それで、喜んでくれるのなら、
「そうですね。
 それで、みんな幸せです」
 洩田は微笑んで、ぴょん、と社を跳び出した。
 残された人の子は、膝で眠る神をそっと、丁寧に撫でる。
 大好きだから、――だから、

「そんな幸せを、これからも続けていきましょう。
 洩矢様」



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