「――――そろそろかしらね」
 ふと、大丈夫かしら、と養育を任された少女を思う。
 自分や月夜見とは違う。完全な月の少女。――穢れのない、清浄の極で生み出された彼女。
 その子のことを思い、まあ、大丈夫だとは思うけど、と。
 と、
「思兼はここか?」
 あら?
「はい。お入りください」
 聞こえてきた声に思兼は告げる、と扉が開き、
「天照大御神」
 うむ、と先頭に立つ女神は威厳を込めて頷き、
「下がれ、これより私と思兼で話し合いを行う」
 はっ、と声。天照とともにいた神々はしずしずと下がり、戸が閉まる。
「はあ」
 それを確認して、ため息、それを見た思兼は微笑して、
「相変わらず大変そうですね。天照大御神」
「…………思兼命、せめてこの場では天照とお呼びください」
 王の威厳を備えた女神から一転、困ったように眉尻をよせる天照。
 その様子にくすくすと笑う。
「なら、天照。
 それで、どうしたのかしら?」
「はい、先に派遣した天穂日が帰りません。
 天津神たちからも疑念の声が出始めています」
「まあ、三年くらい待ったかしら。
 そろそろ別のだれかを派遣してもいいかもしれないわね。失敗した、とみなして」
「何が原因でしょうか?」
「天照、何が原因と思う?」
 問いに問いで返され、天照は素直に考える。
「地上の、大国主はとても優れた神と聞きます。
 あるいは、説得されて国津神についたのかもしれません」
「あるいは、討たれたか、地上にも武神に名を連ねる神はいるでしょう。
 豊穣神ではどうあがいても武神に対抗できないわ」
「と、すればこちらも武神を派遣すべきでしょうか?」
「いえ、武力進攻は最後の手段にしましょう。
 次は、――そうね。天稚彦を派遣しましょう」
「それでは、天穂日の二の舞では、――――いえ、
 でしたら、弓と矢を持たせましょう。反逆の意があるならば、いざとなれば武を振るえるように」
「ええ、そうしなさい。
 その弓と矢を何にするかは任せるわ。穀物神でも使えるようなものにしなさい」
 はい、と天照は思兼の家を出る。
「さて、――武力をもった神の派遣、須佐之男は動かないかしら。
 これで動かなければ、――――」
 次はいよいよ、本気で平定を始めましょうか。
 地上を、天照の神威で満たせば、根の国や黄泉の存在は外に出てこれなくなる。
 あの二つの国さえ封じれば、月としてはまずは安泰だ。
 思兼は銀色の髪を掻き上げて次手の思考を始めた。

「天穂日」
「何用だ? 大国主」
 また悪神の平定に駆り出された天穂日は声の主に振り返る。
「実は、しばらくの間頼まれてほしいことがあるんだ。
 いいかな?」
「要件による」
 うん、と大国主は頷いて、
「実は、これを育ててほしいんだ」
「豆?」
 首をかしげた天穂日は大国主から受け取った豆を見る。
「豆、――いや、まあ、種なんだけど」
「これを育てろと?」
「うん、蔓が生えるからそれを持ってきてほしいんだ。
 できるだけたくさん」
「まあ、――争いよりは私に向いているが」
 ため息。その視線の先にはつまらなさそうに壁に背を預けている因幡がいる。
 下手に聞き出そうとしても煙にまかれるだけか。
 ここにきて数年程度だが、それでも十分学んだこともある。神でさえないのに、国津神をすべて含めても数少ない大国主に対等に話しかける存在が伊達ではないということを、
 問題があるようなら後で文句を言えばいい。と天穂日はその種を持って、
「私の神徳が及ぶ範囲なら構わぬ。
 土地柄もあるし、悪神の平定の傍らにやるから確約はできぬが」
「まあ、それでいいよ。
 頼んだよ。天穂日」

「それで、どんな用事なのかな? 天稚彦。だったね」
 王座から大国主は穏やかに問いかける。
「はい、是非私を国津神に加えていただけないでしょうか?」

「なんだそれ?」
 事代主から聞いた次の天津神からの使者、その話を聞いて建御名方は首をかしげる。
「それもなにもない。
 どうも、父上に心酔し国津神に加えてもらえないか、ということらしい」
「天津神がね」
 妙な話もあるものだな。と建御名方は思う。
「で、その天津神は?」
「一応は客分として迎えられている。
 行ってみるか?」
「まあ、一応顔くらいはみておこうか」
 そういって建御名方と事代主が向かった先、
「ずいぶん賑やかだな」
 何柱かの女神が集まり嬌声を上げる。
「あいつか?」
「そうだな」
 女神たちの中、一柱の神。――見たこともない眉目秀麗な美男、天稚彦がいる。
 へえ、と建御名方は感心した。天津神にしてはずいぶん国津神にも親しく話しかけるものだな、と。
「なんだ。悪い奴じゃなさそうだな」
「なんだ、建御名方も興味があるか?」
 珍しくからかい問いかける兄に建御名方は溜息。
「外面だけで動くほど若くはないよ」
 と、ふと、天稚彦が建御名方達のほうへ、丁寧に一礼。
「貴方が名高き建御名方神ですか?」
「ああ、そうだよ」
 腕を組んで応じる。確か、
「天稚彦だっけ? 天津神の?」
「今は国津神です。
 これから長い付き合いになりますので、どうぞよろしくお願いします」
 差し出された手。建御名方は眉根を寄せ、
「ああ、よろしく」

「父上「また胡散臭いやつが来たね」」
 戸の向こう、建御名方が開ける直前にそんな声が聞こえた。
「建御名方? 入りなさい」
 はい、と頷いてはいる。そこには案の定。
「因幡?」
「ん? おお。小煩い方じゃないかい」
 座布団を並べて行儀悪く寝そべる因幡。その手の届くところにはお団子。
 くつろいでいるというかだらしないというか、同じ部屋にいる大国主は忙しそうに書簡に視線を落としている。
 悪かったな。と建御名方はぼやいて、
「須勢理毘売命も、いらっしゃいましたか」
 それともう一柱、いつも大国主の部屋で仕事を手伝っている天探女は書簡を揃えながら、
「理由は察しているようね。建御名方」
「大体一つくらいしかないだろ」
「ええ、それで、どうしたのかしら?」
「あの天津神でしょ?
 なーんか、胡散臭いんだよねえ、あいつ」
「そうかしら? 礼儀正しいし、いい方のようだけど」
 おっとりと首をかしげる須勢理毘売に天探女は片目を閉じて、
「確固たるものではないけど、完全な忠誠は誓っていないようね。
 早急な判断は避けるべきでしょう」
「いい奴ぶるのは詐欺師の常套さ」
「じゃあんたは詐欺師失格だな。
 とはいえ、父上。私も同感です。天津神が二心もなくこちらにつくとは考えにくい」
「いや、別に私たちと天津神は争っているわけでもないのだが。
 とはいえ、うーん?」
「父上、こちらに?」
 悩み始めた大国主にさらに掛かる声。
「事代主? 入りなさい」
「はい」
 部屋に入った事代主は眉根を寄せ、
「ずいぶんと集まったな」
「そりゃ天津神が何事もなく寝返ったなんてことになったら、誰だって気になる」
「いや、だから別に私たちと天津神は争っているわけじゃないんだけど」
「まー、気にしない呑気な女神も多いけどね。
 あれも色惚けか」
 けけけっ、と笑う因幡。
 と、
「どうした? 事代主」
 因幡の言葉に事代主は憮然とため息。
 その言おうとしたことを先読みした天探女は一足早くため息。
「まあ、なんというか。
 父上、その色惚けがいました」
「「は?」」
 因幡と建御名方の声がきょとんと重なる。
「事代主。どういうこと?」
 須勢理毘売のやや驚いたような言葉に、事代主はため息。
「下照比売が、天稚彦と婚姻を、と」

「さてさて、どうしたものかな」
 ぺたぺた、と板張りの廊下を因幡は素足で歩く。
「なーんか胡散臭いんだよね。あの天津神。
 なーにたくらんでんだか」
 ぺたぺた、板張りの廊下を歩い「高草郡に戻りたければ戻ればいいでしょう。因幡」
「いっ?」
 慌てて振り返る因幡の先、片目をあけて軽く笑う「天探女」
「あちらには小さな子たちもいるのでしょう?
 戻ればいいじゃない」
「戻れるか」
 吐き捨てるように因幡はいう。天探女はいつもどおりの緩い無表情で、
「なんなら私が見ておきましょうか?」
「は? あんたが?
 まさか自分から面倒事に首突っ込むなんてね」
 心を読むが故、たいていの神々に忌避される少女は、忌避もせず接する酔狂者、――大国主のいる部屋からあまり出たがらない。
 その彼女は珍しく自分から動くという。そのことに驚く因幡。
 天探女は少しだけ心外そうに眉根を寄せ、
「私とて恩義は感じています。
 置いてもらっているものとしての、ならば多少は報いるべきでしょう」
 幸いにも、と天探女は笑みを浮かべ、
「私の能力は向いています。
 少なくとも、口八丁手八丁を使うあなたよりも」
「……はいはい、わかったよ」
「謝意を感じているのなら素直に感謝をしたら?」
 にやり、とそんな形容で笑う天探女の言葉に因幡はため息。
 やっぱり、こいつ苦手だ。
「こいつ苦手だ。――――ええ、そうでしょうね。
 心を読まれるのは、誰だって忌避すべきことよ」

「さて、大きなことを言ってはみたものの、――大してやることもないわね」
 とりあえず近寄るため従者となってはみたものの、天稚彦は自分からいろいろとみてまわっている。そして、
「あ、天探女」
「奥様?」
 振り返ると、下照比売が不安そうにそこにいて、
「天稚彦命がどこにいるか、御存知かしら?」
「社を見て回るといっていました」
 不安なのね。――まあ、今は不満、の色合いですが。
 読んだ心を思う。
「そう」
「お伝えすることがあれば伝えておきますが」
 なにかありますか? との問いに、
「いえ、――ただ、」
 もっと構ってほしいのに、
「あまり、無理はしないように、と伝えておいて」
「はい、
 奥様もあまり思い悩ませぬよう。お願いします」

 確かに、と天探女は社を歩きながら思う。
 妙だな、と。
 ともかく、客室の前へ。
「天稚彦命、天探女です」
「ん、ああ、入れ」
 はい、と頷いて天探女は室内へ。
 そこにいる主――天稚彦命は、言いにくそうに口をつぐみ、…………さて、どうやって聞き出そうか?
 なにを、――――? 建御名方?
「それで、要件なのだが、国津神の軍神がいただろう?」
「ああ、はい。建御名方神ですね」
 さすがに弱点なんて聞けないな。――弱点?
「お前は親しいか?」
 せめて、性格くらいわかれば。――――
「いえ、まあ、顔見知り程度です」
 なら、あまりあてにならないな。
「建御名方神になにか御用ですか?
 お伝えすることがあれば、伝えておきますが」
 そういうわけじゃないんだが、――まあ、軍神の情報を集めるにはいいか。
「そうだな。神威について聞いておいてくれないか?
 国津神にいる軍神がどのようなものか知っておきたい」
「承知しました。
 以上ですか?」
「ああ」
 では、失礼します。と天探女は背を向けて、ふと、
「奥様があまり無理はしないように、と言っておりました」
「ああ、そう」
 天稚彦は頷いた。

 弱点、ね。
 叛意あり、…………天探女は社を歩いて思う。そして、
「なら、どうしましょう」
 このことを大国主たちに伝えるつもりはない。たとえどんな理由があれど親族殺しの穢れを負うとは思えない。
 まあ、建御名方ならどうかは知らないけど、
 とはいえ、放置するにはいささか問題が大きすぎる。けど、
「自分ではどうにもならないわね」
 末端の神である自分では天津神である天稚彦にはどうあがいても勝てない。
 勝てるとすれば、建御名方をはじめとする上位の神。――とはいえ、
 厄介な神婚を、とため息。
 上位の神、――大国主に連なる神々が天稚彦を手に掛けたら、親族殺しの穢れを負う。
 それは、神としての力の剥奪に直結する。
 方法は、――ある。
 それは、天に弓を引かせること、――今、天稚彦は天津神の命に背いてここにいる。それは解っている。
 なら、あとは天に翻意を示すことを行えば、あるいは、どうにかできるかもしれない。
 さて、どうしたものかしら? 思考を進める天探女に、ふと。
 おや、あいつ。
 後ろから聞こえた音。振り返る。
「建御名方?」
「なんだ。気づいたのか」
「思考がある限り私の目はごまかせん」
「なるほど、心を読むお前には関係ないか。
 それより、どうしたんだい? 浮かない顔をして」
「だいたいいつもよ。
 それをいったら事代主は?」
「それこそいつものことだよ。
 まあ、あの天稚彦を警戒していつもより余計に小難しい顔しているけど」
 宣託の神が悪い予感?
「で、そいつどうなんだ?」
 心を読むまでもなくわかる、探るような視線。
「さあ、いろいろ葦原中国の事を知りたがっていたようね。
 まあ、高天原の出身者には珍しいものが多いのでしょう」
「なら、いいか」
 で、と視線を向け、
「お前の眼にもそう映っているのか?」
 こいつ、あの天津神にほだされたりしてないだろうな?
「はい、楽しんでおられるようでしたよ」

「――――――では、一緒にお酒でも飲まれては?」
 再三の相談に、天探女もいい加減飽きて適当な事を言ってみた。
「御酒?」
「はい、大体は陽気にさせますし、……それに、普段言えないような事を言うかもしれません。
 お互いの事を知るいい機会でしょう」
「そ、そう」
 下照比売は少し期待を込めて天探女の言葉を聞く。二、三頷いて、
「え、ええ、それがいいわね。
 それで、御酒はどこに行けば手に入るのかしら?」
「私が探してきますよ。
 奥様は天稚彦命を誘ってみてください」

 適当な酒を見つくろい、約束した場所で今か今かと待っている下照比売を見つけた。
「お待たせしました。奥様」
「ありがとう、それでは私は」
 そういって、そそくさと室内へ。天探女は両目を閉じて壁に背を預ける。
「盗み聞き、というのもいい気分はしないわね。
 今さらだけど」

 天稚彦命この地は気に入ったのでしょうか? 父上が治めるこの場所が、
 いずれ私のものになる土地だ。気に入らないわけがない。
 私のもの? それはどのような意味ですか?
 大国主の娘は手に入った。
 本当なのですか? 父上を継ぐなんて、でも、それはどうして?
 こんな面白い場所を手に入れない道理はない。退屈な高天原よりずっとましだ。
 さらなる発展なんて、…………このお方は心から葦原中国の事を考えているのですね。
 確かに、あの軍神は警戒するべきか、……まあいい。いざとなれば天照大御神より借り受けた天羽々矢と天鹿児弓がある。必要なら、
 ? どうしたのでしょうか。天稚彦命。
 ……案外聡いな。それともそんなに顔に出ていたか?

 心の声だけを聞く、というのもやりにくいものね。そう思いながら天探女は壁から背を離す。
 さて、どうしたものでしょうか。

 報告なし、と。
 思兼は天照からの言葉にため息。
「まさか、天稚彦まで?」
「使いを送りましょうか。
 もしいるのであれば早く報告をするようにと、国津神に打ち滅ぼされたのであれば」
 思兼は表情を硬くする天照につい、と視線を向け、
「次は、――――武を振るえるように」
「はい」

「おや?」
 遠く、遠いところ、風を切る音と共に言葉が響く。
 さて、天稚彦命がいるのはどの辺だったか。
 空から? 天探女は少しずつ落ち始める陽を見る。そして、
「あれ、ね」
 黒い、黒い影。
 それにしても、天照大御神も無茶を言うなあ。どうして私が葦原中国に行かなくちゃならないんだ。
 内心の愚痴が聞こえる。それにしても、
 また、天津神ですか。
 でも、何の用? おそらくは天稚彦に、と言葉から思う。そして、
 使えるかしら。
 あれから、それなりの時間が経った。
 慎重な天稚彦は行動を起こさず計画を立て、その計画が徐々に具体的になるにつれて、天探女はいろいろ気をもんでいた。
 読心を駆使して嘘をばらまき、真実をはずさせてきたけど、少しずつ手がなくなってきている。――――けど、
 あれが、天津神の使者なら、…………
 自らの神威を用いて、未来の可能性を予見する。
 自分の行動により引き起こされる未来。――それを神威で予見し、理想と違うのならば自らの行動を思いなおして再度繰り返し。
 建御名方のような上位の神とはほど遠い、末端の自分に出来ることは、この程度の事。…………そう、この程度しか出来ない。だから、完全な理想は描けない。あらゆる可能性を用いても、自らの神威がそれを否定する。…………それでも、
「必要なのは、覚悟。といったところね。
 主殺しの穢れを負う。――――まあ、」
 天探女は苦笑して主の部屋へ。
 努めて、誰かの事を思い出さないようにしながら、別の事を思う。その道に至る決意の後押し、
 穢れ、――もともと嫌われているのなら、何を厭う必要があるか。と。

「誰だ?」
「天探女です」
 なんだ。遅くに、
 さっきからうるさく響く雉の声にうんざりしていた天稚彦は、それでもある程度信頼できる従者にうなづく。
「入りなさい」
「はい」
 すっ、と扉が開いて、そこには案の定。
「どうした?」
「はい、先ほどから鳴り響く雉の音なのですが」
「このうるさい音か」
「はい、国で最近不吉な雉の噂が立っております。
 もしかしてあれかもしれません。
 今、近くにいるうちに天稚彦命が仕留めれば、不吉な元を断ったと大国主神も喜ばれるでしょう」
 ほう、と天稚彦は笑みを浮かべる。
 後継の座を狙うなら、評価は高いに越したことはない。それに、
「天稚彦命には天津神の宝である弓矢をお持ちのはずです。
 是非、それにて武威を」
「それもそうだな。
 それに、まだ確かめたことがなかった」
 すっ、と天稚彦は弓矢を構える。
 そして、――――

 矢が、鳴女を射殺した。

 高天原を散策する天照は気が重かった。
 理由は自分の数歩前を歩く二柱の同行者。
 そのうちの一柱が振り返り、
「どうしたのじゃ、天照。
 どうせなら並んで歩かんかの? こやつの悪党面ばかりが視界に入って、そろそろ嫌気がさしていたのじゃ」
 好々爺然と笑う翁にその隣を歩く女性は微笑んで、
「でしたらさっさと消えてなくなってください。父上。
 隠れ通せばいいものをちょくちょく顔を出すなんて、鬱陶しいにもほどがあるわ」
 ほっほっほっ、と笑う二柱は明らかに仲が悪い。
 はあ、と表に出さずため息。
 ただでさえ一緒にいると緊張する二柱がよりによって仲が悪いなんて、
 緊張する。――改めて二柱の事を思う。
 造化三神が一柱とその子じゃ当たり前ですね。
 同行者、ひきつった笑顔で睨みあう二柱。――高木神と思兼命。
 高天原の王であるという自覚はある。だがそれでも、古くより在る存在は尊ぶべき相手だ。
 それなのに、と天照が何かにつけて仲の悪い二柱を思った直後、
「きゃっ」
 突然に、手をひかれてぽすん、と。
 同時に、かっ、と音。
「思兼命?」
「ぼーっとしすぎよ。天照」
 唐突に抱き寄せた相手、見上げればそこには咎めるような厳しい眼差しの思兼、それと、
「はて、どういうことじゃな」
 矢の突き刺さった杖を不思議そうに見る高木。
「あ、ありがとうございます。思兼命」
「いいのよ。父上が止めたから大丈夫。
 …………どうせならそのまま射殺されればよかったのに」
 ぽつりとした声に肝を冷やしながら視線を向ける。
「その矢は」
「ん? 見覚えがあるのか。天照」
「これは、天羽々矢。――――地上に降りた天稚彦にもたせた矢です。
 どうして、これがこんなところに?」
 どれ、と思兼はその矢を受け取って、目を閉じる。
 知恵の神がその神威を使い、――――「これ、天稚彦が射たものね」
「ほう?」「そんな、――」
 天に向けて矢を放つ。裏切りともいえるその行為に、まさか、と絶句する天照の傍ら、思兼はくるり、と手の中で矢を持ち直していつも持っている弓につがえる。
「お、思兼命っ」
「なにはともあれ、反逆、――それも、王である天照を狙ってのものなら神罰を持って臨む必要がある。
 どきなさい、天照」
「な、なにかの間違いかもしれませんっ」
 甘い、とも思う。
 まだ、甘さが抜けていない、とも思う。
 悪いことじゃない、けど、
「おい、そこの悪党面」
 容赦なく自分の父に矢を放つ思兼、だが振り上げた杖が神速で飛翔する矢を弾きあげて、高木は落ちる矢を手にもつ。
「天照。そこの悪党面が言うことももっともじゃ。叛意があれば神罰に酌量の余地はない。
 とはいえ、誠害意があるとも限らぬ。もし叛意があるなら、この矢必ず災いを与えよ」
 そういって、高木は矢を投げ返した。

 眠りに落ちた天稚彦は、神罰に射殺された。

 夜、――大国主は顔を上げる。
 そして、
「入りなさい」
「…………たまに、とても鋭いのね。あなたは」
「いやあ、割と適当なんだけどね」
 あきれたような声とともに入ってきたのは、――――彼女を見て、今度こそ大国主は眉根を寄せた。
「そう、今考えた通りよ。
 間接的にとはいえ、私は、主である天稚彦を殺しました」
 故に、と彼女は、
「神名は剥奪ね。
 主殺しの穢れは、そう安いものではないわ」
「……理由を、聞いてもいい?」
「私の心を読んだらどう?」
 薄い表情に、幽かな苦笑を浮かべて彼女は言う。
 言葉に詰まる大国主に、微笑みを浮かべて、
「お別れを言いに来ました。
 これから、ここを出ます」
「……必要ない、なんて言っても聞かないだろうね」
「もともと、私は誰からも嫌われていたわ。
 最初からどこかにいつくなんて無理な注文ね。今回は、いい機会よ」
 だから、と、
「私をここにおいてくれて、感謝します。大国主」
 お別れ、――その決意を見て、大国主は一度俯き、――せめて、と顔をあげて言葉を贈る。
 これから贈る言葉は、彼女にはつらくても、それでも、――それが、自分の理想でしかなくても、忘れてほしくないこと。
「一つだけ、覚えてほしい事がある」
「はい」
「君のその能力、――それは、確かにたくさんの忌避を生むだろうけど、それでも、閉ざさないでいなさい。
 辛いかもしれないけど、それも君の一部なのだから、……そして、できれば、忌避しない誰かを、探してみなさい。
 それは、とても酔狂なことかもしれないけど、君の事を、――忌避されるようなことさえ、君の事を認めてくれる者なのだから、そして、それでも、傍にいていいよ、と言ってくれる者を探しなさい」
 そこまで言って、大国主は、ごめん、という。
「謝った理由はわかるわ。
 その上で、聞きましょう。それを聞いてから私の答えをいうわ」
 怖いなあ、と大国主は呟いて、
「難しい事言ってるよね。
 忌避され続け、傷つけられながら、それでも誰かと関わっていけ、そして、いるかもわからない酔狂者を探せ、なんて言ってるんだから」
「それもそうね」
 くすっ、と彼女は笑って、大国主の胸に額を押しつける。
 いきなりの行動に固まる大国主に、
「では、――また探してみましょう。
 貴方のように、酔狂な誰かを、――絶対に、見つけるわ。
 貴方が認めてくれた私を、私は閉ざしたりはしない」
 最後の、精一杯の甘え、見える耳は真っ赤に染まっている。
 その様子に、大国主は微笑んで、そっと、その髪を撫でた。
 あう、と小さな声。そして、

 いままで、傍にいてくれて、ありがとう。

 その、嘘いつわりのない心を聞き、傍にいてよかった。と、改めて思う。――だから、
 す、と離れた。照れくさそうに一歩離れて、誰からも忌避された彼女は、忌避しなかった彼に、心の底からの、感謝を、
「さようなら、――ありがとう。
 大国主」
「さようなら、君の事を忌避しない、君が友達だと、胸を張って言える誰かを見つけられることを、祈ってるよ」

「…………あんたさ、本気で馬鹿じゃない?」
「本気で呆れているわね」
 当たり前だ馬鹿、因幡は内心を隠しもせず心底呟く。
 それを聞いて彼女は苦笑した。
 彼女――――主君殺しの穢れにより神の名を剥奪され、社を去った少女に因幡はため息をひとつ。
「ったく、あんたは末端とはいえ神。
 それが穢れを背負ったら零落するにきまってる。私に任せればよかったんだ」
「まあ、いいじゃない。
 もともと心を読める能力をもつ私には、酔狂な誰か以外には誰も近寄ろうとしなかったし」
「あーはいはい。
 で、あっちは何やってる?」
「盛大に葬儀の真っ最中よ」
 あっそ、と因幡は興味なさそうに頷く。
 けど、――と、
「因幡」
「ん?」
「私の神威、覚えてる?」
「……ああ、大雑把な未来予知でしょ?」
 もう無くなってしまったけどね。と苦笑して、
「それで見えたわ。
 天孫降臨、の意味」
 その意味は、…………そして、それを聞いて、
「あの、ばかっ!」
 因幡は、飛び出した。
 それを見送って、少女は戸に背を預ける。
 はあ、とため息。つと、涙が零れ、それをぬぐわず、小さく呟く。

「もっと、甘えたかったな」



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