修学旅行前のロングホームルーム。グループ行動のための班分けをするための時間。
「今日は、自由行動の班を6人編成で決めてもらうんだけど。」
 大石君が切り出す。
「悪いんだけど、姫様と奈緒と結城は、あたしと大石君の班ね。」
 先回りして、委員長が言い切る。
「あ〜、やっぱり。」
「そうなるよね。」
 別段嫌、と言うわけではないが、こうなると残りの一人も想像できてしまうので困りものだ。
「委員長、それはいいんだけど、シバチュウの面倒誰が見るんだよ。」
「言うと思ってたわよ。気は進まないけど、あたしたちの班で面倒見るわ。」
 予想通りもいいところである。まあ、このクラス編成になった時点で最初から委員長とシバチュウは、奈緒と和博のグループになるのは分かりきっていた。
「いいのかよ、姫様と一緒にしても。」
 シバチュウの行動でどうこうなるほどやわな人間でないことなど、すでにはっきり理解しているが、一応男子生徒の一人が突っ込みを入れる。
「何か問題でも?」
 苦笑しながら当のセティが答える。
「つうか、俺はそんな有害危険物か?」
 シバチュウが憮然とつっこむ。
「有害ではないけど、さすがに修学旅行でお前の趣味が出るとなあ。」
「ほほう、それほど俺が節操無しだというわけか。」
 話が妙な方向に流れそうになったのを察した和博が、苦笑しながら軌道修正をする。
「で、セティが増えたから、うちのクラス女子が一人余るんだけど?」
「適当に混ざってもらうわよ。」
 委員長が言い切ったときに、女子が一人手を上げる。
「はいは〜い。私、奈緒ちゃんの班に混ざっていい?」
 手を上げたのは、沙紀だった。
「かまわないっちゃ、かまわないけど……。」
「またなんで?」
 委員長のツッコミに、楽しげに答える沙紀。
「だってさ、このクラスで一番面白そうな班構成なんだもん。」
 どう反応していいかが分からなかった和博であった。


 修学旅行でそのまま浮かれるわけには行かないのが、和博たち二年生のつらい立場である。同じ立場のはずの奈緒は、一時的に現実逃避するがごとく、部活に励んでいる。
「あ〜、そういえば清花さんとこの修羅場、ばっちりかぶるなあ。」
 試験日程を見て、さすがに顔をしかめる和博。心置きなく旅行を楽しむため、二年生だけ中間試験を繰り上げるのだ。
「大丈夫ですか?」
「可能な限り手早くやって、一夜漬けの時間ぐらいは何とかするよ。」
 セティの気遣わしげな目線に、苦笑がちに答える和博。
「で、セティのほうは大丈夫なの?」
「数学と物理が手ごわそうです。」
 真剣に困った顔で言う。
「セティにも苦手なものがあったんだ。」
「苦手というか、あまりにも習ってきた内容と離れているので、どう勉強したらいいかと、途方にくれてます。」
 本当に途方にくれた顔でセティが言う。
「ああ、なるほど……。理系はしょうがないか、そこら辺は。」
 理由が理由だけに苦笑するしかない。
「新しい文化と接触すると、必ず出てくる問題です。」
 リゼル王国の歴史に置いて、もう何度も繰り返されている問題である。自身が体験するのはこれが始めてとはいえ、そのことは分かりすぎるほど分かっている。
「まあ、悪あがきかもしれないけど、今のうちから少しは予習復習しとくかなあ。」
 和博の言葉に頷くセティ。もっとも、セティの目には、和博が言うほど学校の勉強や成績を重要視してるようには見えない。
「そういえば、なんとなくで山とか分からないんですか?」
 別に聞いてどうするつもりはないのだが、それこそなんとなくそう言う疑問が出てきたのでぶつけてみる。
「ああ、それ禁じ手。」
「え?」
「去年やりすぎたんだわ。」
 和博ではないが、なんとなく分かってしまった。
「何点取りました?」
「全教科、クラスの平均が94点。」
「……。」
 コメントしようのない数字が出てくる。さすがは和博、予想の斜め上をいっている。
「カンニングより先に僕が疑われて、落ちが山掛け禁止。」
「それはそうでしょうね……。」
 いまだに和博を甘く見ていたことを思い知る。まあ、山掛け禁止といったところで、なんとなくここが危ないとか、大雑把に分かってしまうのまでは止めようがないのだが。
「まあ、セティは別にいらないでしょ?」
「確かに、必要ありませんけど……。」
 苦笑しながら返す。正直、文系科目はいまさら勉強しなくても余裕で満点が取れるだろうし、理系科目は苦手な理由が理由だけに、試験問題を全部知っていても得点につながるかは怪しい。
「まあ、お互いがんばろう。」
「ですね。」


 まあ、悪あがきは必要だろうとセティに文系科目の家庭教師をやってもらっていると、来客がある。
「あ、私が出ます。」
 和博の返事も聞かずにそのまま立ち上がる。まあ、早いか遅いかだけの違いだし、ということで、和博も特には止めない。そのままセティの後について移動する。
「……。」
 案の定そこには、セティを見て硬直している見知った顔がいた。因みに、いちいちセティには言わなかったが、当然なんとなく来るのは分かっていた。
「美尋、上がんないの?」
 和博が苦笑しながら声を掛ける。
「上がるけど……、カズ兄、誰この綺麗な人!? どーやって連れ込んだの!? まさか犯罪!?」
 予想通りとしか言いようのない質問が来たので、苦笑しながら答える。
「あ〜、詳しい話は静馬が来てから一緒に済ますけど、簡単に言うとホームステイ。」
「はじめまして。セティリス・ルーファ・リゼルと申します。」
 深々と頭を下げる。
「あ、こちらこそはじめまして、雪村美尋と申します。」
 つられて深々と頭を下げる。
「因みに従妹で、双子の静馬って子もいるから。」
 と、言う言葉に合わせるように、和博より頭一つ低い少年が、大きなかばんを持って現れる。
「美尋、いきなりカズ兄を犯罪者扱いはどうかと思う。」
「だってだって、奈緒ちゃんいるのにこんな綺麗な人にカズ兄がもてるなんて、犯罪以外思いつかなくて。」
 その言葉をとりあえず流すと、少年はセティに深々と頭を下げる。
「これの双子の弟で、雪村静馬です。」
「セティリス・ルーファ・リゼルと申します。和博さんにはいつもお世話になってます。」
 お互いの自己紹介が終わったあたりを見計らって、和博が声を掛ける。
「で、どうせ泊まっていくんでしょ? 客間はちゃんとあいてるから好きにつかって。」
 その言葉に苦笑する静馬。
「何があったとか、聞かないんだ。」
「いつものことでしょ?」
 どうも、あまりよろしくない流れだが、口を挟むのも難しそうなので、黙っているセティ。
「とりあえず、お茶を用意してきます。」
「よろしく。」
 静かにゆれる銀髪を眺めながら、そういえばいろいろ説明してなかったなあ、と反省する和博。
「いい機会だし、話しとくか。」
 あと2年近く一緒に生活するし、いろいろ察しているっぽい相手に黙ってるのも悪い。
「そう言うわけだから、二人とも。」
 和博の言葉に、頷くしかない二人だった。


「あ、二人とも、きてたんだ。」
「ん。」
 荷物を運んで、お茶を用意して、セティの身の上とホームステイの経緯を説明しているうちに、麻耶が帰ってくる。
「で、セティにいろいろ説明してなかったから、ついでに話しとこうか、って思って。」
「あ〜、そうだよね。あと2年ぐらい一緒に暮らすんだもんね。」
 麻耶も、そこは異論はないようだ。
「えっと、どういう話でしょう?」
「まあ、一言で言うと、僕は正確にはこの家の子じゃないって話。」
 少し沈黙。
「多分察してたんじゃないかな、とは思うんだけど。」
「まあ、なんとなくは……。」
 正直、わざわざ自分から聞くことではないし、それ自体はどうでもいいので気にはしてなかったのだが。
「ただ、それだけの理由で、和博さんがここを出て行きたがってるとは思えないから、もう少し複雑な話もあるのかな、と思ってました。」
 話す気があると分かったので、率直に質問をぶつける。お互い、この時点で隠し事は無しにしよう、という意思表示だ。まあ、セティの側は彼女よりサーシャがいろいろ隠してそうだが。
「セティさん、いつから気がついてたの?」
「血縁については最初から。それ以外は沙紀さんたちと服を買いに行ったぐらいには。」
 ほぼ最初から、ということである。ついでに言えば、和博には察していることが全部ばれているのも、ほぼ最初の段階で察している。こういう方面で鈍い人間が、リゼルの王族を務めることは出来ない。
「後、奈緒さんはともかく、それ以外の木村家の方々は、こちらにどうも遠慮というか負い目というか、そんなものがあるような感じです。」
「それも気がついてたんだ……。」
 一月に満たない時間で、ほぼすべて見抜かれていたらしい。しかも、それを当事者に一切悟らせないのだから、たいしたものである。
「なんか、気を使わせたみたいだね。」
「気を使う、というほどのことはしていません。基本的には見たままでしたし。」
 小さく苦笑しながら、和博に答えるセティ。日本での生活を全力で楽しむこと、それがこの場を用意してくれた人たちに対する、一番の恩返しであることも弁えている。
「まあ、順を追って話すから、先に木村さんちとの話が出てくるかな?」
 生い立ちを話せば事情をすべて説明できる。和博は、話せることをすべて話した。


 結城和博は、結城家の人間とは、一滴も血がつながっていない。父・結城信彦と奈緒の父・木村正道、二人の共通の親友の息子である。実の両親が和博が生まれてすぐに相次いでなくなり、また両親どちらもその時点で天涯孤独の身だったために、まだ子供がいなかった信彦が養子として引き取ったのだ。
「僕のなんとなくはちびすけのころからだったんだけど、まあ、いいことも悪いことも何でもかんでも両親に話しててね。」
 よく、気味悪がらなかったもんだ、と他人事のように言う和博に苦笑するセティ。
「確か小二のときだったかな? 母さんになんとなく命の危機があるような気がしてね。」
 和博のなんとなくの的中率を知っている大人たちは、体の中、という言葉を聞いて、徹底的に母の体を検査した。結果は異常なし。珍しく外れたのか、と思ったのだが……。
「やな予感はいつまでたっても消えないし、時間を置いてもう一回って言ったんだけど、ね。」
 結局、思い過ごしだろうという結論になる。二年後、母が体の異変を感じ、再度検査を受けた結果。
「末期のがんが、いまさらのように、ね。」
 結局治療の甲斐なく、発見から半年持たず母が逝ってしまう。ちょうど、大学に通うために美羽が下宿を始めたのがこのころである。
「もしかして、その検査をしたのが……。」
「そ。木村総合病院、奈緒のとこの病院。」
 和博が再三言っていたことが引っかかり、もう一度最初の検査をじっくり見直してみて……。
「見逃してもしょうがないぐらいかすかに、ほんの少しだけ、がんの兆候があったんだって。」
「……なるほど……。」
 負い目になるはずだ。
「やな予感がするといっても、根拠も何もないことだし、しょうがないことだと僕も麻耶も思ってるんだけど……。」
「専門家が、警告を貰って検査までして見過ごして、しょうがないで済ませることなどまずないでしょうね。」
 で、静馬たちの話は、と言うと。
「二年ぐらい前の話なんだけどね。」
 父の勤めていた会社が零細から中規模ぐらいまで急拡大したのが、丁度母が亡くなって一年ぐらいのこと。技術者をしていた父の作った発明が社長と二人三脚の努力により形になり、急激に販路を拡大し始めた。別段、妻の闘病から逃げていたわけではない。自身の努力の成果を、妻に見せたかっただけである。
「好事魔多しとはよく言ったもので、結局それが父さんの命を、ね。」
 とはいえ、過労でとかそう言う分かりやすい理由ではない。発展途上国に設置と説明のために行った帰り、飛行機が落ちたのだ。
「もしかして……?」
「ん。行ったら死ぬから、行くなら時期をずらせといったよ。」
「かなり食い下がったよね、兄さん。それも大分前から何回も。」
 問題になったのはその後の話。和博と麻耶を受取人にして、保険にいくつも入っていたり、遺言状にはっきり家の名義を和博にするように明記していたり、自分が死ぬ前提の準備を完全に済ませてあったのだ。
「で、それをうちの親父と美羽ねえのお母さんとが見て、難癖つけ始めたって訳。」
 静馬が、吐き捨てるように言う。ありがちといえばありがちである。しかも、結城家には航空会社からの慰謝料が年金形式で支払われているし、遺族年金もある。
「雪村のおじさんは商売をしてるんだけど、丁度その時期いろいろあって資金繰りが苦しかったらしい。」
 美羽の母親は雪村家の商売を手伝っていた。そこら辺もあって、結託したらしい。
「怒ったのが姉さんでね。あんなに本気で怒った姉さん、あのときしか見てない。」
「いくらなんでも浅ましすぎるから、親子の縁を切ってやったわよ。」
 帰ってきたらしい美羽が、口を挟む。
「で、引き下がらないから、木村さんやサーシャと手を組んで、法的に手出しできないように徹底的にやってあげたから、かず君の財産はかず君のもの、なんだけど。」
「それを和博さん自身は承服していない、と。」
 なかなかにどろどろした話である。そうでなくても父親が逝った直後に、部外者がする話ではない。美羽が、浅ましいと怒るのも無理のない話だ。因みに美羽は当時まだ大学生だったが、リゼル王家の要請もあって、すでに特例で外務省で働いていた。
「最初は高校にも行かないって言い出したし、どうしようかと思ったわよ。」
「だって、あのお金は麻耶の為の物だもん。僕が無駄遣いできないよ。」
 さすがに、和博の言い分にため息をつかざるを得ないセティ。
「言いたいことがないわけではありませんけど、お金のことについては、私は部外者なので何も言いません。」
「私としては、姫様からもきつく言い聞かせてくれたほうがありがたいんですけどね。」
 割と大真面目に、美羽が言う。
「同感。」
「むしろ完全に中立な人にこそ、しっかり言ってほしい。」
 雪村兄弟もそんなことを言い出すが、セティはため息をつきながら首を左右に振る。
「お金のことについては何も言いませんが、今の話が理由でこの家を出て行く、というのは無意味ですよ?」
「血縁関係のない、年頃の男女が一つ屋根の下って、倫理的にまずいんじゃない?」
「どうして?」
 和博の、筋が通ったように聞こえる反論に対し、真顔で聞き返すセティ。
「どうして、って……。」
「いずれ出て行くにしても、そう言う後ろ向きな理由で理論武装して出て行こうとするのは、あまりよくない気がします。」
 そこで力を少し抜き、やさしい、包み込むような微笑を浮かべ
「そもそも、今、和博さんが出て行くと、私が頼れる殿方がいなくなってしまいます。」
「そう言うことを、その顔で言わないでよ……。」


 和博の話を聞いても、やはりセティの態度はさほど変わらなかった。距離のとり方とかが若干変わった気もするが、それはむしろ今まで以上に気を許してくれたからだろう。麻耶と美羽はそう考えていたが……。
「おや、姫君。」
「あら、石動さん。」
 静馬たちが泊まりに来た翌日。和博が用事で職員室に呼ばれており、待っている間図書室で本を物色していたところで、石動大智と遭遇する。
「姫君に置いては、本日もご機嫌麗しゅう……。」
 といいかけて言葉を切り、一瞬考え込むそぶりを見せる大智。
「と、言うわけでもなさそうだな。先日と違って、何ぞ悩んでおられるようだ。」
「あら、分かりますか……。」
「少なくとも、我輩や結城にはな。」
 その言葉に苦笑すると、一つため息。
「そんなに簡単に悟られるあたり、私もまだまだ修行が足りません。」
「簡単ではないぞ。結城はともかく、我輩でも初見ですぐに気がつくほどではなかった。」
 慰めてんだかどうだか分からないことを言う大智。
「まあ、和博さん相手に隠し事が出来るとは思っていませんが……。」
 もう一つため息。
「何を悩んでいるのかは知らぬが、ほじり返した手前、我輩でよければ愚痴ぐらいは聞くぞ?」
「そうですね、さすがに、和博さんたちに漏らせることではないので……。」
 少し言葉を選び、慎重に話を始める。
「まあ、悩んでいるというほどのことでもないのですが。」
 少々、自分が情けなくなった。そう漏らす。
「と、いうと?」
「やっぱり、どんなに受け入れてもらったように見えても、私はただの客人なんだと、昨日思い知りまして。」
「まあ、まだ半月少々だからな。」
 現実として、その程度の時間では限界はある。
「悩むだけ無駄で、どうにもならないことなのに、つい考えてしまって……。」
 まだ半月少々しかたっていないとはいえ、一緒に暮らしている三人のいいところも悪いところも、お互い大体把握した。その上であの家が好きで、あそこの住民が、その関係者が大好きだ。だから。
「結局、私はただ負担になってるだけなのかな、と思うと、情けなくなってしまって。」
 そんなことを考えている、そのこと自体が相手に失礼だし、余計な気を使わせる。だから、極力表に出さないようにしていたのだが……。
「なるほどな。」
 悟られているだろうとはいえ、確かに直接和博に漏らせる話でないと、そう思ってしまうのも無理はない。
「昨日何があったか、もしくはどんな話をしたかは我輩が関知すべきことではないが、姫君が負担になっている、ということはないだろうな。」
 慰めるとかではなく、淡々と事実を語るように、大智が言葉をつむぐ。
「我輩も、あそこの家の妙な空気は気になっていたが、姫君が住まれてからは大幅に健全になってきた。客気といったか。人間煮詰まってきてる時には環境を変え、余計なことを考える余裕がない状況にするほうがいいこともあるものだ。」
「なんか、それは結局私が厄介ごとの種になっている、といわれている気がしますよ?」
 自覚があるので、苦笑しながら一応突っ込みを入れる。
「別に、姫君でなくても、新たに人が増えれば厄介ごとなどいくらでも増える。むしろ、美羽殿はそれが狙いで姫君を迎え入れた節もあるしな。」
 実に鋭く分析する大智。これだけの洞察力が、まったく生かされていないどころか基本的に無駄なほうに無駄なほうに発揮されるあたり、変態三銃士と呼ばれる所以なのだが。
「まあ、なんだ。悩みの解決にはならんだろうが、我輩秘蔵のレアものを進呈しよう。」
 などといいながら、DVDをかばんから取り出す。
「安心したまえ。以前のことを踏まえて、今回は健全な、それこそ五歳児に見せても誰からも文句は出んものだ。」
「それは助かります。」
 以前のレアものとやらは、年齢制限に引っかかりまくるような代物で、免疫ゼロのセティにはきつかったわけだが。
「御代は今度の久住フェスタのコピー本でいいぞ。」
「……善処します。」
 愚痴とレアものに対するやけに高そうな御代に、苦笑しながらそう返すセティであった。


「とりあえず、奈緒迎えに行こうか。」
 大智と入れ違いで、職員室での用事とやらが終わった和博が入ってくる。
「で、大智のやつはなんて?」
「レア物とコピー本を交換だそうです。」
「……まあ、一部余計に作ればいいんだけどさ……。」
 正直、セティがもらったレア物は和博にはまったく関係ない話で、そのくせ御代は和博の労働力から出るわけで。こういうところがお荷物になってるんじゃないか、と悩んでる部分なのだが、現状言ってもどうにもならないわけで。
「ごめんなさい。」
「や、もともとコピー本は身内用に結構余分に作るから、あんまり差はないよ。」
 その身内用の分量が、毎回結構アバウトに変わる。
「申し訳ないと思うんだったら、家庭教師と修羅場の補助、しっかりよろしく。」
 割と切実な表情でそんな怖いことを言う和博。家庭教師はともかく、修羅場は本気で切実そうだ。
「がんばります。」
「まあ、ほどほどに。」
 肩に力の入りまくっているセティの様子に、思わず苦笑する和博。そんなこんなしてると、音楽室に到着する。ブラスバンド部は人数の都合で、体育館や中庭が主な活動場所なので、大体音楽室は軽音部が使えるらしい。
「しかし、奈緒も余裕だよなあ……。」
 医学部を目指しているというのに、テスト二週間前にバンド活動である。
「……傍目から見れば、和博さんより余裕があるようには見えないわけですが。」
 セティのツッコミに苦笑する和博。
「まあ、僕のは余裕というよりあきらめだし。」
 余裕度合いでは、セティも大差ないように見えるのだが。
「そー言うセティは……。」
「私の場合、苦手科目の絶望さ加減が突き抜けてるので、逆に冷静になれます。」
「なるほど……。」
 絶望する理由が、誰もが納得せざるを得ないのがすばらしい。
「まあ、余計なことをうだうだ言ってないで、奈緒を呼ぶか。」
「ですね。」


 音楽室の戸をあけた瞬間、奈緒と大和の絶望的な表情が飛び込んできた。
「どうしたの?」
「あ、和博……。」
 あまりにも落ち込んでるため、さすがに気になって質問する和博。なんとなく、察するところがないわけではないが……。
「ボーカルとギターの子が、別のグループにいっちゃった……。」
「なるほど……。」
 絶望的な表情になるわけである。
「まあ、あんまり合ってる感じではなかったから、この際別の人間を探せばいいんじゃない?」
「新入生も含めて全滅だよ……。」
 和博の台詞に、うめくように大和が答える。
「しかも、どっちも歌は終わってると来てるからな。意地でもメンバーは探さんといけないようだ。」
 なぜかシバチュウが口を挟んでくる。妙につやつやしており、全身から満足感と幸福感が漂っている。
「居たのか。」
「ああ。」
 普段から隠し持っているマイ掃除道具セットが、微妙にはみ出している。気にしていなかったが、よく見ると音楽室がえらく綺麗に光り輝いている。
「そんなに堪能できたのか?」
「ああ。なかなか年季が入った汚れがあってな。」
 うっとりした顔で言う。思い出すだけで幸せに浸れるらしい。
「教室、二週間はごみ捨て以外放置だったと思うんだけど?」
 この変態のために、和博のクラスは目立つごみと黒板以外は掃除厳禁である。セティが気を利かせかけて、シバチュウに一喝される事件すらあった。
「食い足りん。」
「……まあ、掃除の話はおいとくとして。」
 コメントのしようのない台詞をスルーして、中断した話を元に戻す。
「つまるところ、バンド活動が絶望的だ、と。」
「うん……。」
 まあ、ベースとドラムだけというのは、たかが部活レベルではさすがに無理があるだろう。しかも、見栄えのする奈緒のほうがドラムである。
「ちょうどいい機会だし、まず中間試験に専念すれば?」
「専念できる精神状態じゃない。」
 その返事にさすがに呆れる和博。
「どこかにボーカルとギター、いねえかなあ……。」
 和博と奈緒のやり取りなんぞ耳に入っていない様子で、大和がぼやく。
「ボーカルなら、極上のが目の前に一人居るだろう?」
 大和の言葉に、シバチュウが口を挟む。
「……そうだ、セティ、ボーカルやってくれない?」
 いきなり希望を見出した奈緒が、セティに詰め寄る。
「はい?」
「なるほど、そうきたか。」
 いきなりの展開についていけないセティと、考えを理解した和博。
「一緒にバンドやろう!」
「バンド?」
 その単語に、いきなり目が輝くセティ。が、すぐに和博のほうを見て、少し思案顔になる。
「立場上問題がないって言うのなら別に、奈緒と一緒なら大丈夫だよ?」
「バンド……、私がバンド活動……。」
 セティの考えを察した和博の言葉で、問題は解決したらしい。微妙にうっとりした表情でつぶやくセティ。どうやら、バンド活動に何ぞ憧れがあったらしい。確実に世間一般とは違う理由だろうが。
「後はギターとキーボードとかが居れば、かなりカッコがつくよな。」
 因みに、奈緒も大和も、己の担当楽器はそれなりにいい腕をしている。なのに歌は音痴である。そして、いまさら転向できるほどの器用さもない。
「キーボードはここにガタイのいいのが居るよ?」
「俺かよ……。」
「奈緒とセティに余計なことを吹き込んだんだ。お前もちっとは責任取れ。」
 和博の言葉に苦笑する。まあ、シバチュウ自身、バンドというやつに興味がないわけでもない。
「あ〜、そういえば。」
 ギターのあてをどう探すか、という話題で盛り上がりかけていた奈緒と大和に、セティが余計なことを吹き込む。
「ギター、弾ける人に心当たりが。」
「誰!?」
 勢い込んで聞いてくる奈緒に、もう忘れたの? という顔をしながら準備室に移動する。
「やな予感。」
「たぶん正解だな。」
 和博のぼやきに、シバチュウが無常にも止めを刺す。セティがアコスティックギターを持って戻ってくる。
「ギタリストの完成です。」
 和博にギターを押し付けて言い切る。
「ああ!! そうだった!!」
「忘れてくれててよかったのに。」
「和博お願い!! バイトのないときだけでいいから!!」
「この流れで、僕だけが断れるわきゃないでしょ……。」
 苦笑しながら、折角受け取ったしという感じで、ざっと弦を調律する。和博の思惑を理解したシバチュウが、キーボードの代わりにピアノの前に座る。セティが、丁度よさそうな位置に移動する。
「ん?」
「一回、適当にあわせてみようか。」
 和博の行動の意味を図りかねていた二人に、しょうがないなあ、という感じで声を掛ける。
「本格的には旅行終わってからだけどね。」
 そもそも、アコスティックギターとピアノに、エレキベースとドラムだ。ちぐはぐもいいところである。互いの技量と、上手く合わせられそうかどうかを確認する程度の意味合いでしかない。
「OK。」
「うん、やってみよう。」
 二人ともスタンバイする。
「曲はどうする?」
「僕は適当に音を拾って混ざるから、セティが歌えてほかが演奏できる曲で。」
「だったらこれかな?」
 超有名人気グループが歌っていた、ちょっと古いアニソンの楽譜を二人に見せる奈緒。アニソンというが、ほとんど一般の曲と変わらないものだ。前のグループのときに、何度も練習した曲の一つであり、それゆえに予備の楽譜もある。
「確かに、これなら問題ないな。」
「姫様も100%歌えるだろうし。」
 二人に異存がないのなら、和博にも異存はない。セティはタイトルを見ただけで頷き返す。
「じゃ、行くよ。」
 ドラムとベースが調子よく基礎を築く。スムーズにピアノが合流し、絶妙のタイミングで和博がギターを合わせる。セティが一つ大きく息を吸い込み……。


「すげえすげえ!!」
「これならいける!!」
 今までずっと手ごたえのない演奏をしていた反動だろうか、軽音部の二人がやたら興奮している。
「まあ、これぐらいは出来ると思ってたし。」
 大げさに喜ぶ二人に苦笑する和博。実際のところ、セティとシバチュウの二人が技量面で突出しすぎている感があるのを、和博がなんとなくいい感じに落ち着けている感がある演奏ではあったが。
「後は練習あるのみ、という感じだな。」
 シバチュウの言葉に、頷く奈緒と大和。実際のところ、演奏陣がセティの足を引っ張る心配をしていたが、即席の割には思ったより上手くマッチしていた気はする。これ以上は本当に練習あるのみ、だろう。
「……。」
 一人、余韻に浸るセティ。
「セティ?」
 なんというか、どこかイッちゃった感じのセティに、恐る恐る声を掛ける奈緒。
「バンド活動って、楽しいんですね……。」
 はふう、となんか妙に色っぽいため息とともに、率直な感想を漏らすセティ。先ほどまで悩んでいたことなど、さっくり抜け落ちている感じである。
「まあ、セティが楽しいんだったらいいか。」
 上手い具合に、どうにもならない種類の悩みを忘れてくれた様子のセティを見て、小さく微笑む。正直どうだろうという部分も一杯あった演奏会だったが、みんな喜んでいるからいいか、という感じで、修羅場も含めていろいろ覚悟を固める和博だった。



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