セティが日本に来てから一週間。部活の紹介も受け、一通りの見学も終わり、久方ぶりに放課後に学校での用事がない日。しかも土曜で半日授業だ。
「お姫様、ちょっといい?」
「はい?」
 珍しく、委員長のほうから声を掛けられて、きょとんとするセティ。
「今日、特に放課後用事はないんだよね?」
「はい。」
 ちらっと、和博と奈緒に目線を向けてから頷く。
「ちょっとほかの子達とカラオケ行こうって話しになったんだけど、一緒に……。」
 どう? と聞く前に結論を悟る委員長。
「その顔だと、聞くまでもないか。」
「カラオケ、ああ、カラオケ……。」
 目に見えて分かるほどに顔を輝かせ、実にうれしそうに、どこかうっとりたようにつぶやくセティ。
「そう言うわけだから、結城と奈緒も来るんでしょう?」
「しょうがないなあ……。」
 あまり気が進まないという風情で、それでも承知する奈緒。それに対して和博は
「あ、ごめん。今日バイト。」
 その言葉に露骨にがっかりするセティ。
「あ〜、セティは行って来たらいいよ。奈緒も行くんだし。」
 和博の台詞に、むしろ委員長が驚く。
「ちょっと、別行動でいいの?」
「ん、さすがに単独行動はまずいけど、奈緒が一緒なら問題ないでしょ。」
 あっさり答える。
「それにバイトの間、セティはうちの店でボーっとしてるだけだしね。」
「そっちが問題ないって言うんだったら連れて行くけど、本当にいいんだよね?」
 念を押す委員長。和博が問題ないという以上、本当に何も致命的なことは起こらないのだろうが、さすがに、まだこういう部分で慎重にやる必要はあるだろう。
「うん。後でバイト先につれてきてくれればいいよ。」
「バイト先ってどこ?」
「奈緒が知ってるよ。」
 こうして、家に居るとき以外で初めて、和博とセティが別行動を取った。まあ、奈緒と委員長が一緒に居て、そうそう妙なことが起こるわけもないのだが。


「ふ〜ん、それで今日は一人で来たの。」
 和博のバイト先、喫茶店「ノワール」。オーナーの久住清花が面白そうに聞く。因みに清花と書いてさやかと読む。
「別に遅れてもよかったのに?」
「さすがに今週はずっと遅刻と欠席してるんだし、今日ぐらいはちゃんと出ないと。」
 苦笑しながら、オーナーに返す和博。
「別に暇な店なんだし、こっちはネタ提供してくれたらそれで問題ないよ。」
 オーナーの身も蓋も無い言い分にさらに苦笑する和博。実際、採算なんぞはなから取れていない店で、オーナーの副業みたいなものである。
「んでまあ、カズ。」
「はい。」
「おなか減ってきたからなんか作って。」
 いつもの要求である。
「すぐ作れるのはピラフぐらいですけど?」
「今日はピラフ系以外の気分かな?」
「了解。ちょっと時間貰いますね。」
「はいよ。」
 冷蔵庫からいろいろ具材を取り出す。オーブンを予熱しながらてきぱきと具材を炒めソースを作っていく。
「ほうほう、そう来たか。」
「ちょっと時間かかるんですけどね。」
「大丈夫、すでにいくらでも待つ気になってるさ。」
 下ごしらえした具材とソースを深皿に盛り、チーズをのせて、予熱が終わったオーブンに入れ、キッチンタイマーを仕掛ける。
「まあ、後10分ぐらいですね。」
「うむ。こっちもちょうどいい具合に本格的な空腹感を感じてるさ。」
「そこまで期待しなくても。」
 大げさな清花に苦笑する和博。
「や、お前さんのチキンドリアだ。いくらでも期待するさ。」
 ご飯もののプロフェッショナルの才は、ドリアやパエリアなどのちょっと変わった方面にも発揮されるらしい。
「そういえば、ちょっと分量多くない?」
 焼かずに盛ってあるだけのドリアを見て、首をかしげる清花。
「あ〜、なんとなく、これぐらい作っとかないとまずいかなあ、とか思って。」
「客が来るってか。」
 和博の予言は15分後、出来たドリアをぱくついてる最中に的中する。
「いらっしゃいませ。」
「あれ? 近藤さん、今日は何の用?」
 近藤正志、清花の「副業」の関係者である。
「ちょっと久住さんと打ち合わせせにゃならん話が出てきてね。ただ、その前になんか食うもんお願いできないかな。腹へって。」
 という言葉を聞く前に、和博はすでにドリアをオーブンに突っ込んでいる。予熱はすでに十分だ。
「予言的中だね、カズ。」
「まあ、まだ食べるのは来ると思いますけどね、なんとなく。」
「結城君に腹ペコで来るのがばれてたってわけか。」
 近藤の言葉に苦笑する和博。
「近藤さんが来ると思ってたわけじゃないですよ。」
「誰か腹ペコが来るってのは分かってたんだろう?」
 普通、この時間に客が来るというのは、なんか食べていくものだと思うのだが、そう言う常識が通用しないのが、この店の恐ろしいところである。
「で、打ち合わせって?」
 サラダの準備をしながら和博が聞く。
「ん、ああ。来月末に『久住フェスタ』があるってのは知ってるよね?」
「ええ。さすがに今回は見合わせようって話しになってるんですけどね。」
「風のファンタジアの第二期が決まったから、それにあわせてなんか一本、お願いしようかってことになってね。」
「は?」
 風のファンタジアとは、清花が描いているオリジナルの同人漫画で、同人誌にあるまじき売り上げと人気を誇る。ほかにもいくつか、単発とシリーズが存在し、すべてがすでに百万部単位の売り上げになっている。
 久住清花は、その名を冠した即売会すら開かれるほどの超絶人気同人作家で、何度も税務署に目をつけられている人物でもある。
「第二期って、あれ、基本的に第一期で完結してるじゃん。」
「だから、アニメオリジナルになる予定なんだけど、そこらの設定の許可とか、後出来たらその設定にあわせてなんか一本描いてもらえると助かるんだけど。」
 恐ろしい話だ。
「公共の電波使って同人誌の二次創作するって、この国もなかなかあれなことになってるなあ。」
 清花が苦笑する。まあ、同人作家が二次創作に狭量な態度を示す気はないので、そこはいい。
「とりあえず設定とかプロットとか持ってきてんでしょ? 見せて。」
「はいよ。」
 丁度そのタイミングで和博が食事を用意する。ちゃんと伝票も置いておくあたり、ちゃっかりしているというか芸が細かい。
「お待たせしました、ドリアセットです。」
「お、ありがたい。」
 準備もすべて終わったし、自分の食事に戻るか、と思ったあたりで清花に呼ばれる。
「カズも関わるんだし、打ち合わせに参加しな。」
「はいはい。」


 奈緒たちがセティをつれてノワールに来たのは、三時前のことだった。近藤はすでに帰っている。
「いらっしゃい。」
 清花が迎える。
「ここが結城のバイト先か。」
「あれ? ギターの音?」
 有線放送ではなく、生演奏のようだ。そこそこ、ではなく十分に上手い。曲と組む相手と指導者に恵まれれば、十分プロデビューできる気がする。
「ああ、カズにやらせてんだ。ちっとイメージを膨らませたくてね。」
 見ると、奥で和博が楽譜をまえに、実に集中して演奏している。横から歌声が聞こえてくる。セティが、演奏にあわせて歌っている。
「まあ、もう終わるから適当なとこに座ってて。」
 言われて適当なところに座る女子高生たち。程なくして演奏が終わる。
「和博、ギターなんて弾けたんだ。」
 幼馴染の知らなかった一面に驚く。
「ん、オーナー命令で練習させられた。」
 しれっと和博。オーナー命令ってことはせいぜい、ここ二年ほどのことだろう。そして自分が知らなかったぐらいだから、さほど練習してはいまい。
「相変わらず器用って言うか、勘がいいって言うか……。」
「なんとなく弾けるようになった感じ?」
 奈緒のぼやきに沙紀が突っ込む。
「というか奈緒さん、知らなかったんですか?」
 むしろそっちのほうに驚いたらしいセティ。
「だって、そんな素振りまったくなかったんだもん。」
 部屋にもギターはなかったし。
「別に隠してたわけじゃなくて、弾けるって自慢するほどのことじゃないと思ってたんだよ。」
 釈明するように和博が言う。実際、彼の中ではそう言うレベルだ。
「で、何か飲んでいく?」
 カウンターから声を掛けつつ、なぜかドリアを取り出し始める和博。
「むしろおなか減った。」
「やっぱり、そんな気がしたんだ。しっかり食べられるほうがいいよね?」
「なんか、そこまでバレバレだと腹が立つわ。」
 委員長がなんとも言いがたい顔で和博に言う。
「てか、カズ。きっちり人数分作り置いてるってどうかと思うんだけど?」
「まあ、なんとなくそんなにしっかりは食べてこない気がしたんですよ。」
 いっそ清々しいぐらい読まれてる委員長たち。鋭いとかそう言う次元ではない気がする。
「で、飲み物は何にする?」
 先ほどと同じく手際よくサラダを用意して、いつの間にか予熱のすんでいたオーブンにドリアを突っ込んでいく。
「ん〜、あたしはアイスコーヒー、沙紀もそれでいいんだよね?」
「ん。」
「あたしはオレンジジュース。」
「レモンスカッシュ。」
 奈緒とセティ以外の注文が出揃う。
「二人はいつものだよね?」
 聞くまでもないといわんばかりの態度で、すでに準備を始めている和博。何にする? などといいつつ、大方予想は出来ていたらしい。
「つうかさ、結城君。いちいち確認取る意味あるの?」
 注文を聞く前からすでにコーヒーとオレンジジュースと紅茶の用意が出来ている辺りを見て、クラスメイトAが聞く。
「確認取っとかないと、間違えたらまずいでしょ、客商売なんだから。」
「でも、そのラインナップが来ると思ったんでしょ?」
「まあ、なんとなく。」
 とはいえ、先にあげたあたりは定番なので先に準備してもそれほど外れはしないだろう。
「ドリアはもうちょっと待ってね。」
 さっきから結構同じ事を言っている気はするが、準備できている料理がほかにないのだからしょうがない。
「お姫様、いつもミックスジュース飲んでるんだ。」
 全員の分が並んだテーブルを見て、クラスメイトBが感心したように言う。
「ここではね。」
 焼け具合を確認しながら、和博が答える。
「ここのミックスジュースはおいしいんですよ。」
 幸せそうな笑顔で答えるセティ。
「家では大体紅茶なんだけどね。」
 奈緒も補足をする。今週は三食いつも一緒に食べていたので、そのぐらいのプロフィールは知っている。
「で、セティ。カラオケはどうだった?」
「とても楽しかったです。」
 こう、なんかつやつやしてる、と表現したくなる顔で返事を返すセティ。
「委員長たちは……、予想通りか。」
「こう、なんていうか、ね。」
 セティが超絶的な技量を持ってるのは花見のときに知っていた。なので、クラスメイト二人以外は覚悟が出来ていた。問題は覚悟していたのとは違う方向だった。
「凄く上手いのよ。情景が伝わってくるぐらいに。」
 そこは素直に聞けてよかったと思ってるらしいクラスメイトA。Bもそこは同意見らしい。実はリゼル王国の直系の王家は宇宙で最も優れた歌手であり、その歌というのはすさまじく貴重なもので、惑星をいくつうっぱらっても聞きたいという人間はいくらでもいる、というのは後から知るのだが。
「ただ、分かる歌、もうちょっとたくさん歌ってほしかったな……。」
 ちょっと疲れたように沙紀がつぶやく。マイクを独占するようなマナー知らずな真似をすることはなかったようだが、どうやらほぼ知らない歌だけで埋め尽くしたようである。どうせ何ぞのアニメの挿入歌だの、ゲームの主題歌だのといった、一般人はたいてい知らないものを歌い倒したのだろう。
「あと、女の情念系の演歌はこう、真にせまりすぎててクるものがあったわ……。」
 委員長も苦笑しながら言う。
「一体何を歌ったのやら。」
「後で詳しく説明します。」
 和博のつぶやきに、嬉しそうに答えるセティ。
「とりあえず、ドリアできたよ。」
 セティの言葉を流しつつ、少女たちの本命を配膳するのであった。


「そだそだ、カズんとこの修学旅行っていつだっけ?」
「連休ですよ。」
「げ、そのタイミングか……。」
 清花の言葉に怪訝な顔をする委員長たち。事情を多少知っている奈緒は、心の中で十字を切る。
「来月末に一冊出すから、今やってる分前倒して、すぐに下書き終わらせんと拙いなあ……。」
 カレンダーを親の敵のようににらみながら、何ぞメモをいろいろ取っている。
「カズ、今やってるやつ、今月末にあげるから、再来週は修羅場の前提。」
「言うと思いました。」
 ため息をつくしかない。いまだに話が見えないほか5人。
「何の話?」
「ああ、清花さんの副業と書いて本職と読む仕事の話。」
 ビックリするほど暇そうな店なので、なんかほかの仕事もしてるんだろうとは思っていたが、どうやらその仕事はこれからの時期が忙しいようだ。
「一体何の仕事?」
「同人誌。」
「は?」
 奈緒とセティ以外の人間が固まる。石動大智の活躍のおかげで、この場のメンバーで同人誌が何かを知らない人間はいない。
「カズ、これ見せたげな。」
「あ〜、ですね。確実に誤解してそうだし。」
 和博が委員長たちに渡したのは、100ページ超の分厚い方に入る冊子であった。表紙に風のファンタジア第1巻と書いてある。
「あれ? これあたし読んでたやつじゃん。サイズ違うけど。」
 見覚えのある絵柄、見覚えのあるコマ割り、その他もろもろ、去年ぐらいに完結した、委員長も少しはまってた漫画である。
「まあ、コミックス版が出てるから。」
「風のファンタジアって、清花さんが描いてたんですか。」
 和博の補足に、セティリスが初耳、と言う感じで聴いてくる。
「ん。黙ってたというより、説明する機会がなかったってのが正解だけど。」
「因みにこれが証拠、ね。」
 その場でボールペンでいくつか主要なシーンを描いてみせる清花。下書きも何もなしなのに、まったくデッサンなんかが狂わない。
「凄い……。」
「のはいいんだけど、ペースについていけるのがほとんどいないんだ、これが。」
 ため息をつきながら、悩みをぼやく。
「結城って、そんなに凄いの?」
「漫画家で食ってはいけなかろうけど、10件ぐらいアシスタント掛け持ってもやっていける気はするね。」
 恐ろしく給料の安そうな話だ。
「因みに、カズが一番必要になるのは、即売会当日。」
「あれは戦場だからなあ……。」
 しみじみと語り合う清花と和博に、反応に困る委員長以下4名。漠然とした印象の人物だと思った和博から、いくらでも奥の深い話が出てくる。
「和博君、器用貧乏にもほどがあるんじゃない?」
「僕もそう思う。」
 沙紀の突っ込みに苦笑しながら同意する和博。まあ、和博の器用貧乏は、そんじょそこらの器用貧乏とは次元が違うが。
「で、来月末に一冊って?」
「それと同じぐらいの本を、来月末にあるイベントで出せといわれたんだよ、さっき。」
 ふーん、と言ってからへ? という顔になるクラスメイトA。
「ちょっと待ってよ、これって結構な分量あるよね?」
「うん。普通の人ならはっきり言って無理。」
 間に合うから久住清花なのだが。
「因みに末に出すから、最悪でも一週間前に上げとかないとね。」
 げんなりしながら、そうぼやく清花。まあ、この店長は何とかしてしまうから化け物なのだが。
「まあ、興味あったら次の機会に新刊上げるわ。」
 落としてなかったらね、と不吉なことを言って話を切り上げる。


「で、姫様は絵とかかける?」
 奈緒以外が帰った後。いきなりそう切り出す。
「記号とか文字としてはかけるんですけど……。」
「あ〜、了解。」
 言わんとするところを即座に理解する。
「まあ、出来そうなところだけ手伝ってもらうわ。」
「はい。」
 因みに、公式に戦力外の奈緒としては、せいぜいおさんどんぐらいしか出来ることがない。
「とはいえ、出来たら当日はあけといてほしいかな。売り子とか仕事はいくらでもあるから。」
「はい!」
 当日、売り子、という単語に嬉しそうに反応する姫様。さすがはアキバ系宇宙人である。
「で、さすがにこれから直ぐにってわけじゃないですよね?」
 奈緒が一応確認する。
「ん。もともと来週に下書き完了の予定だったから、急いでもペン入れ明日からになるしね。」
 しれっとえげつないことを言う。前倒しが出来る事自体がすごいのだが、それぐらい当然、という態度である。
「だから、明日はまだカズに手伝ってもらえるとこまで進まないわ。」
「つまり、明日は和博休みでOK、と?」
「そそ。」
 なぜ、奈緒が和博の予定を気にするのか、そこがよくわからない。
「で、何で僕の予定を奈緒がそこまで気にすんのさ?」
「セティの服、買いにいくの付き合ってもらわなきゃいけないから、だけど?」
「先週買った分じゃ足りない、と?」
 正直、和博には理解できないぐらいの量の服を買っていた気がするのだが、それではだめなのだろうか。
「あの時は間に合わせだったし、ほかの物も一緒に買ってたし。」
「下着とか肌着とかがメインでしたしね。」
 つまり足りない、ということか。そう理解してため息をつく。女性の買い物は長い、と言うのはリゼル人にも通じることを、先週肌身にしみて思い知った身としては、出来れば遠慮したいところなのだが……。
「それに、よく考えたら、肝心なものも買ってなかった気もするし。」
「肝心なもの、ねえ。」
 何かは聞かないほうが賢明そうだ。忘れてたということは、忘れても困らないものなのかもしれないが、どうもなんとなく、時期の問題で忘れてただけかも、とか思ってしまう和博。
「で、明日は沙紀と委員長も来るから。」
「どっちがいい、とか聞かれずに済みそうで助かるよ……。」
 センスに自信のないまじめ系男性にとってもっとも厄介な質問、それを回避できるだけでずいぶん気が楽になりそうだ。
「すみません、お手数をおかけして……。」
「あー、気にしないで。腹くくってとことん付き合うからさ。」
 そう答えるしかない和博であった。


「おー、ちゃんと来たね。」
 最寄の百貨店。その入り口で合流したとたん、沙紀が意地悪な声色をにじませつつ声を掛けてくる。
「さすがに荷物持ちは必要そうだし……。」
 穏やかな苦笑を浮かべながら、沙紀の意地悪な言葉に答える。
「てか、お姫様、センスいいよね。」
「本当本当。この服、花見の時のと違って、こっちで買ったんでしょう?」
 セティの私服姿を褒めちぎる二人。実際、ここに来るまでにも非常に人目を引いた。和博が一緒にいたのと、セティ自身の雰囲気の問題とで、さすがに声を掛けてくる根性の持ち主はいなかったが。
「今日はたっぷり時間があるので、前よりきっちり選べそうです。」
「だね。」
 不吉なことを言うセティに、同意する奈緒。どうも、二人して前回の服選びは不満があったらしい。
「今日はとことん選ぶぞ〜。」
『お〜!』
 沙紀のやたら張り切った宣言に、ちゃっかりついてきた麻耶を含む4人が、これまたやたら張り切って同意する。
「お手柔らかに……。」
 いっそ先に単独行動で食材調達でもしておこうか、とか思ったのだが、正直それを許してくれるメンバーではない。
「で、まずは何から?」
「外出着。」
 これは時間がかかりそうだ、と覚悟を決める和博。まあ、どう転んでも一度は食事で中断するのだが。


「ん〜……。」
 鏡の前で自分の体に服を当てながら、難しい顔をするセティ。どうも、何かがしっくり来ないらしい。すでに選び始めて一時間だが、まだ一着も決定していない。
「一度着てみたら?」
 奈緒がアドバイスをする。ここまで、まだ一度も試着に至っていない。
「ん〜……。」
 難しい顔で考え込んでいたセティが、小さく首を横に振ると、元あった場所に戻す。手に取る服はどれもセンスのいいものばかりなのだが、何かがしっくり来ていないらしい。
「そういえば、前のときもこんな感じだったなあ……。」
 先週の買出し、その状況を思い出した和博が、さすがに先行き不安と言う感じでため息をつく。
「前もあんなに真剣ににらめっこしてたの?」
 セティのセンスと真剣さに、口を挟む余地がないと判断したらしい。沙紀と委員長がぼんやり眺めているだけの和博のもとによって来る。
「ん、で今着てるのあわせて6枚だったかな、無理やり妥協してもらって決めたんだよ。」
 今着てる服ですら妥協、という台詞を聞いてさすがに不安になる沙紀と委員長。自分たちの目からは、何を妥協したのかすら分からない。
「予算大丈夫?」
「あ〜、お金は心配してないんだ。前も選択肢に残ってたの、必ずしも高い服じゃなかったし。」
 それに、基本的に服と物語は、リゼル王家が経費で清算してくれる。
「問題は、最低限妥協するレベルのものがちゃんと残るか、って一点かなあ……。」
「それは深刻ね。」
 委員長が、その一言に同意する。傍目には何を着てもそれなり以上に似合うので、当人がなにをこだわっているのかが分からない。多分そこがセンスなのだろう。
「あ、まただめだったらしい。」
 また駄目だしされて戻される服。すでに店の七割は没である。
「別の店も覗くことになるかなあ。」
「ん? お?」
 和博がぼやいている先で、セティの動きに変化が起こる。
「あ、試着に行った。」
「おお、ようやく一着目か!?」
 その言葉に首を横に振る和博。なんとなくあれは駄目だしを食らう。そう思う。
「悪くないってか、凄くいいと思うのに、何で?」
「後で本人に解説してもらおう。」
 和博の予想通り、試着して前進を鏡で確認したと思ったら直ぐに脱いで駄目だししてしまう。
「お? なんか予想外の行動に出た。」
 奈緒に、さっき着た服を当ててみはじめたのだ。
「セティの服で奈緒の服じゃないんだけどなあ……。」
 同じデザインで、一つ大きいものを探し出して、奈緒に押し付ける。因みに奈緒はセティより服のサイズが一つ、胸のサイズが二つ大きい。セティが小さいというより、奈緒が意外とでかいわけだが。
「ありゃ、奈緒が予定外の買い物をすることになりそうだなあ。」
 結局、試着から出てきた奈緒を見て、口に出来ないラインの、セティのこだわりの意味を理解し、姫君の服に対するハードルの高さを思い知らされたのであった。


「結局、OKでたの二着、妥協させたの二着か……。」
 そろそろ食事だということで、一端切り上げた服選び。その四枚が決まるまでに沙紀が一着、委員長と麻耶が二着、予定外の服を買う羽目になっていたりするが。
「セティさん、厳しいよね。」
 ついでなので、買う買わないは別にして自分のものも選んでみていたのだが、大方一般人には分からないラインの、だが着てみれば一目瞭然という内容で駄目だししてくるのだ。
「あ〜、身だしなみに気を配るのは、立場上の義務みたいなものですから。」
 そう言うレベルか、といいたくなるのだが、多分セティとしてはそう言うレベルなのだろう。
「少しでも魅力的に写るものを着るのも、外見を自然が許す範囲で磨くのも、義務の一環です。」
 もっともなだけに、難儀な話だ。第一、セティに関しては、いまさらそれ以上何をどう磨くのか、という気もする。
「今度から、服とかアクセは姫様に選んでもらおっと。」
 予想より手ごろな値段でいい服を選んでもらえた沙紀が、ホクホク顔でそんなことを言ってくる。奈緒以上にダイナマイトバディの沙紀は、体型ゆえになかなかかわいい服とか似合う服とかが見つからないのだ。
「でもさ、姫様だったら何着ても似合うんだけど、正直。」
 胸も何気に大きいし、腰まわり自分と大差ないし、とか言っているうちに、うつに入っていく委員長。
「外見のスペックでセティに勝てないのは、相手が悪いとあきらめないと。」
 奈緒が実も蓋もないことを言ってなだめる。
「そりゃ、あんたと沙紀はジャンル選べば勝てるから余裕よね。」
「須藤さん、それ自滅してない……?」
 委員長ほど極端ではないが、スレンダーな麻耶が突っ込む。最初から勝負する気がないので、自信も喪失しない。勝てない相手には絶対勝てないのだ。
「あのさ、僕が混ざれないネタで盛り上がってうつに入るの、やめてもらえると助かるんだけど……。」
「うるさい!!」
 なんか、触れてはいけない線にふれたようだ。限りなく自滅に近いが。
「で、ご飯どこで食べる?」
 中断した目的を思い出し、麻耶が話題を変える。
「ここでいいんじゃない? セティ、カレー好きだし。」
 店舗案内のカレー専門店を指して、奈緒が言う。が、その言葉に当のセティが首を横に振る。
「あれ? カレー嫌いだっけ?」
「大好きですよ?」
「じゃあ、何で?」
 その質問に、指をあごに当てて、少し考え込むように答えをつむぐ。
「ん〜、和博さんのカレーより、美味しいものを食べたことがないので。」
 どうやら、学食を含めた何度かの外食の後の結論が、それだったらしい。
「のろけ? それはのろけ!?」
「私にとっては純然たる事実なんですけど。」
 身を乗り出してくる沙紀に、苦笑しながら答える。
「まあ、要するに、和博のカレー以外は食べる気がしない、と。」
「ですね。」
 結局、面倒だからというのと、前に約束していたし、ということで、回転寿司にすることになった。


「あ、ちょっと待ってください。」
 エスカレーターで移動中に、セティが唐突に途中の階で降りる。
「どうしたの?」
「多分すぐに済むと思いますから、ちょっと待っててください。」
 そう言うと、和博をつれて、紳士服のコーナーに行く。店員から展示されている春物のジャケットを受け取ると、有無を言わさずに和博の体に当てる。
「うん。」
 一つ頷くと、和博に試着するように促す。
「うわ、結城の癖になんかかっこいい。」
「和博君素敵。」
 試着室から出てきた和博に、そんな賞賛の声が飛ぶ。こう、凡庸とした印象が、神秘的な何かにすりかわっている気すらする。
「おいくらですか?」
 いつの間にか、セティが買う姿勢を見せている。
「あの、僕は服買うほどの予算は持ってないんだけど?」
「プレゼントです。」
 言い切るセティに困った顔をする和博。
「いろいろお世話になってますし、これぐらいのことはさせてください。」
 妙に力を込めて言ってくる。
「でもさ。」
「それに、奈緒さんと麻耶さんの分もプレゼントしたので、ここは公平に。」
 その言葉に二人を見ると、照れくさそうな、ばつの悪そうな顔であさっての方向を見る。どうも、同じような流れで押し切られたらしい。
「……どうしても?」
「どうしても。」
 まあ、別にサーシャも美羽も何も言うまいが、なんかあの二人の思う壺にはまってる気はする。
「まあ、それならありがたく。」
 折れないと話が進まないことをなんとなく悟った和博が、あきらめてありがたく貰うことにする。結構セティはこういうところは強引だ。
「結城、もてもてだね。」
「和博君の女殺し〜。」
 さっきの流れを引き継いで、そんな風にからかってくる二人。明らかに分かっていて言っている。
「心配しなくても、どうせそのうち二人とも何か貰うことになるから。」
「それはなんとなく?」
「なんとなく。」
 つまり、二人とも今以上に和博サイドに近寄る、イコール面倒ごとが増える、と言い切られたわけだ。
「ありがたく覚悟を決めるわ。」
 委員長が、げんなりしたように小さく言う。このあと、閉店間際まで粘って、かろうじて十分な物量を確保するに至った。肝心なものとやらまでは時間が足りなかったようだが。
 なお、庶民の味方・回転寿司はセティに気に入ってもらえたようで、寿司を食べるという話で高級品を頼まずにすみそうだと関係者を安堵させたのであった。



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