世界は割と不思議に満ちている。自分の現状やら今まで表ざたにならなかった数々の、大事の割りに激しくしょうもない事実を知る度に、結城和博はそう思わざるを得ない。 「和博、今日バイト無いんでしょ? 一緒に帰ろ。」 幼馴染でお隣さん、木村奈緒のこの誘いをこれといった用事が無いからと受けて、ついでにちょっとした日用品の買出しにまで付き合ったのが事の発端であり、今にして思えば運の尽きだったのだろう。 「で、買うものって何さ?」 「ん? ああ、洗濯用洗剤とおしょうゆ。後ノートとか。」 実際のところ、この手のものを奈緒が買いにいくという場合、たいていまだあと何日かは持つ。が、それぐらいの段階で安売りの日を狙って、男手を借りた上で十分な物量を確保する。それが彼女の常套手段である。 「どうせついでにティッシュとトイレットペーパーも買うんだろ?」 「ばれた?」 全部帰り道にあるスーパーの、本日及び今月の特売品である。しかも今日は月一の謝恩日で、全品一割引だ。 「まったく、別段家計を預かってるわけじゃないのに、何で僕よりそういうとこ細かいのやら。」 呆れながら、まあ便乗すればいいか、ぐらいの感覚で付き合ったのだが、やはりそれがいけなかったらしい。この後、スーパーの帰りに、彼らの人生を大きく捻じ曲げる出来事に遭遇するのである。 ことの足し算引き算の結果はともかく、普通の日々というやつとは完全に縁を切る羽目になったのだから。 予定というか予想通り、両手に荷物を満載させられて、後は帰宅するのみ、という状況。いつものように家までショートカットできる裏路地を抜け、大通りを横切ったあたりで、和博はなんともいえない感覚に襲われる。 「どしたの?」 一瞬立ち止まった和博に、怪訝な顔を向ける奈緒。 「ん、なんでもない。」 「和博のことだから、またなんとなくヤバイ事とか嗅ぎつけたのかな、とか思ったんだけど。」 今までの、彼の「なんとなく」で回避した数々の致命的な事故を思い出しながら言う。 「ん〜。」 なんともいえない顔で言う。割と整ってはいるが、抜けてるとかボーっとしてるとか平和そうなとか、とにかくそう言う第一印象を必ず与える彼の顔。それがよりいっそう抜けているというかなんというか、そう言う感じになる。 「なんか、そう言うんじゃないというか、直接なんかやばい感じがするわけじゃないというか……。」 なんかあるのは確実っぽいのだが、何があるのか分からない。迂回するタイミングは逃しているが、引き返すのに手遅れともいえない。こう、いろんな意味で微妙な感じである。 「ま、いつぞやみたいに事故が起こりそうとかじゃないんだったら、このままかえろ。」 戻るのも面倒なので、そう促す奈緒。まあ、この手の感覚は良し悪し半分だろうから、気にしていてはキリが無かろう。奈緒に従ってそのまま突き進む。いつもがらんとしてる交差点までたどり着いたあたりで、和博と奈緒は、今回のなんとなくの正体をはっきり悟った。 「なあ、奈緒。」 「なに?」 視界に入ってきた人物を一時的に無理やりシャットアウトしながら奈緒に問いかける。 「なんかさ、かかわっても無視しても後で絶対猛烈に後悔する気がするんだけど、どっちがより人生的に正しいと思う?」 目の前にいる、どう見ても困って途方にくれているらしいすさまじい美少女。彼女から必死に視線をそらしつつ、奈緒に回答を求める。目があったりしたら大変だ。 「あのさ、和博さ。」 「ん?」 「向こうが避けない限り、性格的にかかわりあいを持たないって選択を和博が取れるわけが無いって。」 苦笑しながら断言する。うーむ、という感じでしぶしぶ視線を戻す。ばっちり目があった。なんか、あからさまにほっとした表情を浮かべる美少女。破壊力抜群だ。反則である。大方の予想通り、彼らに選択の余地は無いようだ。 セティリス・ルーファ・リゼルは、迷子になっていた。地図を持っていたにもかかわらず、気がつけば人気の無い交差点に迷い込んでいた。ここがどこかを特定しようにも、貰った地図に載っているような分かりやすい目印はどこにも無い。 「……。」 心底困った。そもそも、目印が無いがゆえに、戻るにも三つぐらい前の曲がり角ぐらいから、すでに記憶があやふやだ。道を聞こうにも、人通りは皆無である。 「……。」 とりあえず地図の中身は一度忘れることにする。どうせすでに描かれている範囲からははみ出ているだろう。見たところで戻る手がかりなんぞあるわけも無い。 「……?」 なんとなく視線を感じ、振り向く。誰かとばっちり目があう。助かった。思わずその内心が思いっきり顔に出るが、当人はまったく気がつかない。 「あの、すみません。」 目が合った少年に、可能な限り丁寧に声をかける。なんというか人の良さが前面に表に出ているような、どことなくボーっとしたとかのんきそうなというか、そう言う顔つきの少年だ。間違いなく力になってくれるはずだ。セティリスの人を見る目は、こういうときは大概間違いない。 「……どうしたの?」 なんというか、人のよさそうな顔に複雑そうな内心をあらわす表情を浮かべ、少年が答える。少年の内心を悟ってか、傍らの少女が苦笑する。 「和博、そんな失礼な顔しないの。誰も和博が変な下心で助けようとしてるとか思わないって。」 「別にそんなこと気にしてたわけじゃないって。」 少女の言葉に、少年が苦笑を返す。 「変な下心、ですか……。」 その台詞に、思い当たるところが無いでもないセティリス。ここに来る前にも、何度かそう言う手合いには声をかけられた。が、この状況でそう言う人間に声をかけるほど、彼女の目は曇ってもいなければ迂闊でもない。 「その可能性は、まったく考えませんでした。」 心底考えていなかった様子のセティリスに、苦笑する二人。この少年を見て、そう言う疑いを抱ける人間はまずいまい。まあ、とにもかくにも、とりあえずこの情けないというか恥ずかしい状況からは脱することができそうだ。 「それで、どこに行きたかったの?」 自己紹介を済ませ、事情を聴いた和博が、セティリスに問いかける。 「えっと、この辺で一番大きな本屋さんです。」 その返事を聞いて、思わず脱力する二人。 「全然関係ないところに来てるし。」 その言葉に、恥ずかしそうに自身の蒼銀色の髪をいじるセティリス。 「まあ、そんなにかからないから、案内するよ。」 地図を見てこうなんだから、言葉で説明したら100%迷うだろう。和博は奈緒と目配せした後、さっくり行動を決定する。 「あ、あのあの、お二人ともお荷物があるようですし、そこまでしていただかなくても……。」 和博の申し出に慌てて答えるセティリス。 「や、多分また迷子になると思うし。」 奈緒のとどめに恥ずかしそうに沈黙する。迷わない、とは断言できない。というかもう一度妙なところに迷い込む公算のほうが高い。 「す、すみません。」 どことなく気品漂う少女、という第一印象は、ずいぶんと薄まってしまっている。二人で顔を見合わせて苦笑する和博と奈緒。ついでにセティリスに聞こえないようにひそひそ話をする。 「なあ、奈緒。」 「ん?」 「セティリスさんの服の手首の辺りについてる輪っか、支えもなしに浮かんでるような気がするんだけど。」 セティリスの、盛装というほどではないが気合の入った私服の各所に、アクセントとして配置されてる、たぶん金属製であろうリングを視線で示しながら言う。 「奇遇ね、私もそう見える。」 「だよね。ってことは……。」 二人して微妙に不吉な意見にたどり着く。 「セティリスさんって、例の宇宙人?」 「じゃないかなあ。」 宇宙人。そう、宇宙人である。実は日本政府がこっそり裏で交流を続けていたことを、当の宇宙人たちがうっかりミスで暴露したのが、和博たちが小学生のころ。ゆえにファーストコンタクトから、実はもう30年以上たっているらしい。 「あの、私の服、どこかおかしかったでしょうか?」 どうやら微妙に聞こえてたらしい。 「や、別におかしくは無いよ。ただ、珍しいアクセサリとかしてるな、って。」 奈緒が取り繕う。その言葉を聞いて少しきょとんとした顔をする。が、すぐに合点が行ったらしい。 「ああ、確かに地球の技術では、まだこういうのは無理でしたよね。」 いたずらっぽく微笑みながら、手首のリングをはずして和博と奈緒の間に浮かべる。 「地球のって、それ正直に言っちまっていいの?」 「別に隠すようなことじゃありませんから。」 和博の突っ込みに、澄ました顔で答えるセティリス。 「てことはやっぱり?」 「はい。私はこの国の表現で言うところの『宇宙人』です。」 この町で一番大きな本屋というのは、結局のところ全国チェーンの古本屋である。古本と同時に漫画や小説の新刊、雑誌の最新号や中古のゲームなんかも扱っている。といっても、新刊は漫画に大幅に偏っているが。 「わあ……。」 大量の本に目を輝かせるセティリス。 「好きなだけ見て行って。」 「帰りもちゃんと案内するから。」 セティリスの様子に苦笑しながら、自分たちもついでに冷やかすことにする。そういえば、遅くなるかもと連絡を入れたときに、雑誌出てたら買っといてと妹に頼まれていたのを思い出す。 「えっと、これこれ。」 頼まれていた女性向け雑誌を手に取る。基本古本屋といえども、コンビニやスーパーで扱ってる程度の雑誌の最新号ぐらいは買える。別段漫画専門ではない。 「ん?」 ついでに集めてる漫画の最新刊を手に取ってから、視界に入ってきたセティリスの様子がおかしいことに気がつく。 「どうしたの?」 「あ、和博さん……。」 何冊かの文庫本を手に、少ししょんぼりした感じのセティリス。 「私としたことが、迂闊でした……。」 「ん?」 「日本円を、持ってきていませんでした……。」 その言葉に苦笑する。ある種予想通りである。 「ほしい本でもあったの?」 「何冊か、とても惹かれる本は……。」 と、その惹かれる本、というやつを見せてくれる。全部古本で、半分ぐらいは和博も読んだことがあるものだ。結構面白かった記憶がある。 「あ〜、了解了解。ちょっと貸して。」 返事を返し、彼女の手から本を受けとるとそのままレジへ向かう。 「とりあえずこれだけ?」 慌てて何か言いかけるセティリスをさえぎり、清算をしながら確認を取る。 「あ、はい。」 もっと欲しいのは欲しいが、仮にお金があってもそれ以上は買わなかっただろう。何せ、和博に立て替えてもらった分でも結構な量だ。 「んじゃ、はい。」 「お金は後で必ず!」 「いいっていいって。たいした金額じゃないし。」 「でも!」 押し問答しながら奈緒と合流する。 「何もめてるの?」 「あ〜、本の代金のことでちょっとね。」 それでなんとなく理解する。 「おごってくれるって言うんだったらおごってもらえば?」 和博はこういうことを言い出したら、大概引かない。おとなしくおごってもらって、別の機会に別の形で返すのが一番あとくされが無い。 「でも……。」 古本といえども、たくさん買えばそれなりの金額にはなる。自分が買おうとした本の総額が、どれぐらいかよくはわからないが、高校生の和博にとって決して安い金額ではないはずだ。 「気になるんだったら、また次のなんかの機会にお返しすればいいんだって。」 まあ、次の機会なんか無かろうと思いながら、無責任な言葉を言う奈緒。 「はい。だったらこのご恩は必ず返します!」 プレゼントしてもらった本の入った紙袋を胸に抱きしめ、力いっぱい宣言するセティリスであった。 さすがに、本やらスーパーの袋やらを持ったままこれ以上うろうろするのはきつい、ということになり、セティリスを送っていく前にいったん家によることになった。 「中身冷蔵庫にしまってくるから、上がって待ってて。」 とりあえずせっかくだから妹も紹介する、という理由で、セティリスは結城家で休憩することになった。 「あ、お帰りなさい、兄さん。」 冷蔵庫に買ってきた材料を仕舞い、ついでに飲み物を漁っていると、妹の麻耶が勝手口から入ってくる。どうやら洗濯物を干していたらしく、洗濯籠を持っている。 「ただいま。ちょっと変わったお客さん来てるんだ。紹介する。」 「ん、了解。」 自分と麻耶とセティリスと、それからどうせすぐ来るであろう奈緒の分までオレンジジュースを入れたコップをお盆に載せ、麻耶を伴ってリビングに移動する。 「おまたせ。この子は妹の麻耶。麻耶、この人はセティリスさん」 お盆をテーブルの上におきながら、簡単に麻耶を紹介する。 「は、はじめまして。」 ちょっと変わったお客様、というのがとんでもない美少女であることに驚きを隠せないまま、とりあえず緊張気味に軽く会釈をする。兄と幼馴染は、いったいどういう流れでこんな綺麗な人をうちに連れ込んだのか、いまいちつながらない。 「はじめまして。セティリス・ルーファ・リゼルと申します」 立ち上がって優雅に会釈を返すセティリス。そのしぐさにますます緊張と混乱がひどくなる麻耶。 「まあ、とりあえず疲れたと思うから、たいしたものじゃないけど飲み物でも。」 「あ、ありがとうございます。すみません、気を使わせてしまいまして」 飲み物を配ってると、ちょうどチャイムが鳴る。 「奈緒が来たかな。」 「あ、私出てくる。」 面識が無い上に、あからさまに自分たちとはいろんな意味で人種が違う女の人と、短時間とはいえ二人っきりで放置されてはたまらない。そう言う思惑を微妙ににおわせながら、麻耶が来客の応対に出る。 「やっほ、麻耶ちゃん。」 「あ、奈緒ちゃん。兄さん待ってるよ。」 予想通りだったので、さっさと入ってもらう。間をおかずに再び玄関が開く。 「あれ? お姉ちゃん?」 同居してる従姉が少しばかり慌てた様子で入ってくるのを見咎める。柊美羽、この家の唯一の社会人であり、現在同居している最後の一人である。ちなみに、なぜか麻耶は、和博は兄さんなのに、彼女のことはお姉ちゃんと呼ぶ。 「麻耶ちゃん、かず君帰ってる?」 「さっき帰ってきたところだけど?」 それを聞いてちょっとほっとした顔をする。 「でも、兄さんに用事だったら、今すぐはちょっとつらいかも。お客さん来てるし。」 「まあ、どうしてもって言うんだったら、お客さんのほうは私が何とかするよ?」 麻耶と奈緒の言葉に、続いて入ってきた女性が答える。 「いえ、どうやら和博君に頼もうと思っていた用事は、すでに終わっているようです。」 背の高い、どちらかと言わなくても男前という感じの女性が、並んでいる靴を見ながら鋭い眼光を宿して言い切る。サーシャ・ミズコフ。美羽の仕事仲間、らしい。 「あ、サーシャさんも居たんだ。」 「いきなり現れてぶしつけですが、上がらせていただきますね。美羽にもお手数をおかけしました。」 「なんか、探し物を頼む前に見つけてるあたり、さすがかず君というか、だよね。」 事情が飲み込めていない麻耶と奈緒を放置して、年長者二人はさくさく中に入っていくのであった。 「ここに居られましたか、セティリス様。」 「さ、サーシャ?」 なかなか戻ってこない麻耶を待っていると、予想外の人物が乱入してきた。 「あれ? 二人とも知り合い?」 「簡単に言うと、上司と部下、ということになりますね。」 和博の問いに答えるサーシャ。会話の流れから言うと、セティリスが上司らしい。 「どうしてここに、とは聞きません。」 一つため息をついて言葉を継ぐ。 「どうせ、供の者とはぐれて地図を頼りにうろうろしてたら、全力で道に迷って和博君に助けてもらった、というところでしょう?」 「……まったく持ってそのとおりです。」 恥ずかしそうに頬を染めうつむくセティリス。ようやく我に返ったらしい麻耶と奈緒がリビングに入ってくる。 「まあ、責ははぐれたことにすぐに気がつかなかった供の者と、姫様に地図を持たせた人間でしょう。」 「というと?」 姫様、というところに先に突っ込むべきかもしれない、と思いながらも、なぜに地図を持たせたことが問題なのかという好奇心に負けてしまう和博。 「セティリス様は、地図を見て行動すると、どんな場所でも必ず迷子になるという稀有な才能の持ち主なのです。たとえどんなに分かりやすかろうが、目的地が目視できる範囲にあろうが、それはもう必ず。」 「……サーシャは鋭い上に意地悪です……。」 消え入りそうな声で抗議をするセティリスだが、事実だけに力が無い。 「……てか、和博。」 「……兄さん、まずはセティリスさんのことを、姫様って呼んでることに突っ込むべきじゃないかな?」 半分部外者化している二人からツッコミが入る。 「あ〜、なんか聞くと後悔しそうな気がして遠慮してたんだ。」 半分嘘である。 「まあ、その話は飲み物でも飲みながらゆっくりと。」 美羽が入ってくる。自分とサーシャの分の紅茶を入れてきたようだ。 「飲まなきゃやってられない気分だろうけど、とりあえず楽しみは晩御飯まで待っててね。」 サーシャに紅茶の入ったカップを渡しながら、あっさり告げる美羽。どうやら飲む気満々らしい。 「で、セティリス様のことだけど……。」 「あ、僕は夕飯の支度を。」 逃げ出そうとした和博を笑顔の圧力で縫いとめ、言葉を継ぐ美羽。 「宇宙人の王国のお姫様、だったりするの。」 「その結論を聞きたくなかったから、逃げようとしたのに……。」 まあ、どうせきちっとした話を聞くことにはなるだろう。 「まあ、詳しい話はもうちょっと待って。本気でそろそろ支度しないと遅くなるよ。」 「そうね。で、晩御飯何?」 「カレー。なんとなく今日は、大勢で食べることになりそうな気がしてたからね。」 どうやら、奈緒とサーシャ、それにセティリスも人数にカウントしているらしい。 「ほう、和博君のカレーですか。」 サーシャの目が光る。 「サーシャさんとセティリスさんも食べていくんでしょ?」 「はい、ご馳走になります。」 それだけを聞くと、和博は台所に消えた。 「麻耶、出来たから運ぶの手伝って。」 「は〜い。」 手際よく盛られたカレーをどんどん運んでいく麻耶。スパイシーで食欲をそそる香りが漂う。 「これが、日本の国民食のひとつ、カレーライス……。」 目の前に出されたカレーを見て、なんか感激したという風情のセティリス。 「和博君のカレーはとてもおいしい。姫様も絶対に満足しますよ。」 サーシャが太鼓判を押すのを、苦笑しながら聞いている和博。 「お代わりもたくさんあるから、一杯食べてね。」 あまらせるぐらいの勢いで作ったから、十分な量はあるはずだ。目の前のお姫様がよほど食わない限りは。 「それじゃ、いただきます。」 『いただきます』 美羽の号令になんとなく全員従う。期待と緊張の面持ちでカレーを口に運ぶセティリス。すぐのその表情がほころぶ。 「おいしい……。」 なんか、凄く感動した、という風情でつぶやく。 「今日は辛さ控えめなのね。」 「うん。セティリスさん多分初めてだと思って、ちょっと辛さ控えめにしてみました。」 和博のカレーは、一般的な中辛よりやや辛いぐらいが多い。まあ、気分とかでぶれる程度の差だが。 「いつもぐらいもいいけど、これぐらいもいい感じ。」 「うんうん。」 奈緒と麻耶の気が合う。 「セティリスさんはどう? 辛すぎたり物足りなかったりしない?」 「ちょうどいいぐらいです。」 幸せ、という顔でカレーを食べる。 「ならよかった。」 結局、サーシャが黄色の人並みに食べたので、かろうじて朝ごはんの分が残る程度まで始末できたのだった。因みに、セティリスは見た目どおりしか食べなかった模様である。 「で、さっきの話の続きだけど。」 ビールを取りに行くついでに、全員分の食器を食洗に突っ込んできた美羽が、中断したまま棚上げになっていた話を始める。 「ああ、セティリスさんたちの話。」 「セティリス様は、宇宙でも最大規模の勢力と影響力を誇る国、リゼル王国の第一王位継承者なの。」 いきなりうそ臭い話が飛び出す。 「姉さん、さすがにそこまでの風呂敷広げられると、信じられないんだけど……。」 和博が苦笑しながら言う。麻耶と奈緒も同意見らしい。その台詞に、やっぱり美羽も苦笑を浮かべる。 「でしょうね。私も始めて聞いたときは信じられなかった。」 「ですが、残念ながら事実です。」 サーシャが割り込む。 「そして私は、リゼル王国の代表として、日本政府との交渉その他を任されております。」 「つまり、サーシャはリゼル王国の駐在大使ね。」 まあ、サーシャがそう言う種類の人間だというのは、日ごろの妙な眼力やら押しの強さやらで、なんとなく分かってはいたが。 「しかし、最大勢力、ねえ。」 「うーん。」 「信じられないのも無理は無いけど、ちゃんとそうなる必然的な経緯はあるの。」 和博と奈緒の言葉に、まあ、しょうがないけど、と思いながら補足をする美羽。 「セティリス様やサーシャのようなリゼル人は、コミニュケーション能力に長けた種族で、現在確認されているありとあらゆる言語を操ることが出来るわ。」 やっぱり嘘くさい。が、たぶん証明してもらってもこっちの性能の問題で理解できまい。 「まあ、個人でそこまで言語に長けているのは王族の方ぐらいで、私のような平民は、せいぜい一万種類程度しか扱えませんが。」 さらっと言うが、それでも凄いことである。 「それでね、どんな言葉も話せるってことは、本来コミニュケーションを取れない種族同士が取引をしたりするのに、必ず仲介として必要になるわけ。」 「大体分かってきた。つまり、リゼル王国の協力なしだと、今の交易のネットワークとかが維持できない、と。」 和博の言葉に満足そうにうなずく美羽。 「実際われわれを敵に回すと、真っ先に干上がる相手のほうがはるかに多い。」 サーシャが裏付けるようなことを言う。 「……まあ、それは理解できました。」 納得はしてないけど、と言う顔で麻耶が告げる。 「で、サーシャさん。前からその、宇宙人のことで疑問に思ってたことがあるんですけど、いいですか?」 「どうぞ。」 ついでなので、この機会にお互いの疑問を全部晴らしておこう、という思惑が一致したらしい。 「何で、リゼル王国は日本としか取引をしていないんですか?」 「簡単な理由です。日本とだけ取引しておけば、我々が求めるものをほぼすべて手にいれることが出来るからですよ。」 あっさり言い切るサーシャ。 「欲しいものって?」 奈緒がきょとんとする。日本が世界に誇れるものなぞ、工業製品ぐらいしか思いつかない。だが、リゼル人の科学技術は、地球の水準を軽く数世紀以上引き離している。 「物語です。」 サーシャがさっくり即答する。目が点になる三人。 「も、物語?」 「私たちリゼル人が言葉に長けた種族に進化したのも、銀河間航法を開発したのも、そして汎銀河ネットワークを作り上げたのも、すべては未知の物語を求めてのことです。」 沈黙が支配する。 「まぢ?」 「はい、全力で。」 もう一度沈黙が支配する。 「でも、結局それだったら、日本でなくてもいいような……。」 「そもそも、地球を発見し、興味を持つようになったきっかけが、日本の映像なのだから仕方ないですよ。」 長い沈黙を破って、どうにか搾り出した奈緒の言葉に、初めてセティリスが口を挟む。 「日本の映像? いったい何?」 「ゴ○ラです。」 一連の衝撃的な告白の、まさに止めとなる言葉をセティリスがあっさり語る。 「ゴジ○って……。」 「まだ映像技術も未熟な、白黒の映像でしたが、私たちに与えたカルチャーショックは多大なものがありました。」 セティリスが、いかに自分たちが衝撃を受けたかを、熱を込めて語り始める。 「銀河のどこに行っても、あんな生物も、それが暴れまわる物語も存在しません。」 物語はともかく、生物は存在されても困る。 「調べてみると、まさにこの星、それもこの国は宝の山でした。いてもたってもいられなくなって、それでもはやる心を抑えて地道に交渉を続けて、やっと今の状況まで話を持ってこれました。」 セティリスがうっとりしたように言う。どうやら、頭の中は日本に大量に存在するコミック、小説、アニメその他もろもろで一杯のようだ。 「ちなみに、今本国では大変な日本ブームです。特撮ものやアニメから入ってド○フ、男はつらいよを経由して、落語などの伝統芸能に手を出すのが一般的な流れですね。」 やな流れである。というか、それで日本を語られても困る。激しく困る。 「で、最後に一つ。セティリスさんはどうしてここに?」 「もちろん、今後のための下見です。なぜこんな東京から半端に離れた地方都市なのか、というのは私が、というより正確には美羽が、この町に住んでいるからです。」 サーシャが割り込む。意外とリゼル王国にとっては美羽は大事な人材らしい。そういえば、大使館がこの町にあると聞いたが、それも案外美羽のせいかもしれない。 「と、言うわけで今後も何かあったら、和博君たちにも協力していただきますね。」 というサーシャの言葉で、この日の話し合いは終わりを告げた。さすがに泊まっていくわけにはいかない、ということで、サーシャはセティリスを伴って帰っていき、ひとときの非日常は終わりを告げたのだった。 そして一月ほど時が流れて四月。和博たちが2年生に、麻耶が立派な受験生になった最初の日。 「よ、和博に木村。久しぶり。」 「今年も同じクラスか。」 教室に入るなり声をかけてきた昨年のクラスメイト、芝籐中(しばとうあたる)に、苦笑を返す和博。 「とりあえずあんまり物へし折んなよ、シバチュウ。」 「おらねえって。」 本当に、という目でクラスメイトを見る和博。ちなみにこの芝籐中、学校一有名な変人で、通称が『シバチュウ』だ。掃除という単語に目を光らせ、マイナースポーツの観戦でトリップする、まさに変態である。 外見だけなら長身でがっしりしたスポーツマン風の二枚目なのだが。 「そろそろ先生来るから、そこの馬鹿二人もとっとと座んなさい。」 だべっていると、小学生と間違えられるぐらいの体格の女子生徒が釘を刺してくる。 「へいへい。」 「了解。」 馬鹿二人と丸められて、苦笑しつつ出席番号順の自分の席に移動する。和博は大体最後のほうだ。 「ホームルームをはじめるぞ。」 和博たちが席に着いたのを見計らったかのように、男性教諭が入ってくる。和博たちにとっては知った顔だ。 「今年一年このクラスの担任をする菅野正行だ。担当教科は国語。よろしくな。」 黒板に名前を書いて自己紹介をする菅野先生。 「で、みんなの自己紹介の前に、このクラスで転入生を受け入れることになっている。先にそちらの紹介をする。」 入ってきなさい、という菅野先生の合図から一拍置き、一人の少女が入ってくる。彼女を見て危うく声を上げそうになる和博と奈緒。入ってきた少女の容貌に、教室中が沈黙する。 「今日からこの学校に通うことになった、セティリス・ルーファ・リゼルさんだ。」 この反応を予想していた先生が、淡々と紹介する。 「セティリス・ルーファ・リゼルと申します。今年一年、よろしくお願いします。」 セティリスが、腰まで届く蒼銀色の髪を揺らしながら、深々とお辞儀をする。 「ちなみに、先に釘を刺しておくが、リゼルさんは宇宙人の王国の第一王位継承者、ということだから、手を出すときにはそれ相応の覚悟をしておくように。」 教室に、一瞬妙な空気が流れる、そして……。 『え〜!?』 クラスメイト全員がハモる。声を上げなかったのは、事前に知っていた和博と奈緒ぐらいだろう。 「ちなみに、王女様というのが本当かどうかまではともかく、宇宙人というのはいやというほど証明してもらっている。」 先生も、そこは半信半疑だった模様だが、どうやら信じざるを得ない証拠が大量にそろっていたのだろう。 「えっと、とりあえず継承権がどう、とかほかの星から来た、とか言うのは横に置いて、普通に接していただけたらうれしいです。」 クラスメイトの反応に困ったような笑顔を浮かべつつ、そう頼むセティリス王女殿下。その、妙に気品あふれた物腰に、なんとなく場が静まる。 「で、だ。彼女のことは結城と木村に一任するように、と外務省からの通達だ。まあ、顔見知りだという話だし、ちゃんと面倒を見てやれよ。」 その先生の台詞に、なぜかクラスメイトの視線が和博に集中する。 「和博、どういうことか説明してくれるよな?」 シバチュウが、クラス中の疑問を代表して和博にぶつける。 「先月、成り行きで知り合いになった。」 その成り行きがどんなものかは、彼女の名誉のためにとりあえず伏せておく。 「ほほう、成り行きね。」 シバチュウがゆらりと立ち上がる。 「そんな言い訳が通用すると思ったか!?」 「言い訳じゃなくて事実だって。」 奈緒が突っ込むが、誰も聞いちゃいない。先生も苦笑しながら止めずに見ている。 「成り行きを装って逆玉を狙うその曲がった性根、親友としてたたきなおしてくれるわ!!」 「装ってないし狙ってない!! つうかなんでこっちに突っ込んでくる!? てか僕を殺す気か!?」 「問答無用! これが友情だ、死ねぇ!!」 シバチュウが大木をもへし折る(実際にへし折ったことがある)必殺技、シバチュウブリーカーの体勢に入る。 「じゃかましい!! ホームルーム中に暴れるな!!」 先ほど二人に釘を刺した女子生徒が、車田調でシバチュウを吹っ飛ばす。見開き一ページ確定である。 「わ、悪い、委員長。」 「まあ、今回は結城は100%被害者だから見逃してあげるわ。」 ただし、後でちゃんとした説明を要求する、と、須藤かなみ、通称委員長が釘を刺す。 「ホームルームが終わってから、ね。」 前途の多難さにため息をつきつつ、とりあえずそう答えるしかない和博だった。 |
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