逢ひ見ての  後の心に  くらぶれば   昔は物を  思はざりけり   えっちした後の賢者タイムになってみると童貞の頃の私って馬鹿だったなってよくわかるんだぜ☆)

                      ―――百人一首より―――







 夢のようなひとときだった、本当にそう思う。
 温もりがあった。充実があった。
 そして、悦楽があった。愛欲があった。

 そしてそれはやっぱり、夢のように、急激に、僕の心から去っていった。

 全てが終わったあと、ただ横になり、抱き合っていられた時間はほんの10分かそこらで。

 そこから先のことは、記憶がはっきりとしない。
 いつの間にかずいぶん時間が過ぎてしまって、もう夜更け。


 気がつけば僕は、いつも借りている馴染みの客間の寝台に、独り横になり、
 呆然と―――――――なんというか、そう――――――虚脱、していた。



 壁際を見上げると、
 灼熱地獄の炎を映す、地霊殿ならではの照明がちろちろと仄かな光を撒き散らしている。

 この部屋の照明は、炎のようにゆらりゆらりと明るさを変えていて、蛍光灯のように定かではない。
 さとりさんの部屋の照明はもっと安定してたと思うんだけど……
 これは主人の間と客間とで照明の質が違うんだろうか。
 いや、単にメンテナンスが行き届いていないだけかな。
 数百年レベルでほとんどお客さんなんて来なかったんだろうし。

 普段ならこれはこれで風情があるなぁ、なんて思うところだけど。
 でも、暗めに絞ったこの照明は、揺らぐ影を部屋のあちらこちらに生み出していて、そこはかとなく、不気味な感じがする。

 一瞬、悪霊の館――――なんて言葉が脳裏をよぎった。
 いや、馬鹿げているか、そんな言葉。

 だって、地霊殿はそんな生ぬるいものじゃない。
 この館には、外の世界ではありえないほど高濃度の怨霊が充満しているそうだし。
 普通なら霊障がやばいくらいのはず。
 でもそんな怨霊たちでさえ、ここではただの管理対象。果てにはお燐やお空たちペットの餌になることもあるとか。
 さとりさんの二つ名"怨霊も恐れ怯む少女"ってのは伊達でも何でもないらしい。
 だから今まで、ここで怨霊の類を気にしたことなんてない。自前の能力とか守矢のお守りもあるしね。

 なのに今日のこの部屋は、何処と無く不気味で背筋がぞわぞわする。
 室温は暖かめのはずなのに、ときおり冷たい空気を孕んだ風が吹くような感じがして、なんだか居心地が悪い。

 雰囲気に気圧されてしまったのか、僕の能力範囲も縮まっているみたいだ。
 アパートの部屋よりこの部屋のほうが広いというのも一因なんだろうけれど、僕の世界がこの部屋全体を覆い切れないでいる。


 なんだろうね、らしくもない。
 どうやら、あんなことがあったあとだというのに、僕は、今までにない居心地の悪さと、焦燥と――――そして、何故か悔しさを感じているらしい。

 ……………………ふぅ。





 ………さっきのアレはやっぱり――――さとりさんにとってはただの火遊びだったんだろうか。

 始まりの思考はそれから。

 現実感がない、実感がない。
 本当に夢だったんじゃないだろうか。そう、思ってしまう。

 でも、夢じゃない、それは―――その証拠は、僕の記憶に焼き付けられた、あのリアリティ。

 それは、あと何年もすれば別の意味で魔法使いになっていた僕に妄想しきれるものじゃあない。断じて。
 自分で言っててもの悲しくなる理屈だけどスルー。


 ……しかし逆を言えば、それ以外には何の証拠だってありはしないんだ。

 僕の服はさとりさんが手早く脱がしてくれたようで、汚れも残ってはいない。

 体も、さとりさんの次に風呂場で洗った。無論と言うか、残念ながら別々に……
 蓬莱人である僕の身体に、さっきの行為の刻印は何一つ残ってはいない。

 とは言っても、別にさとりさんが僕の肩にその白い歯を押し当てて噛みついたとか、そういうことはなかったし、
 もしあったとしても、不自然な体勢をとった身体の痛みとか、皮膚に床ずれの僅かなあとが残るくらいだっただろうけど、それでも僕が蓬莱人でなければ、何かの証拠は残っていたかもしれない。
 いや、蓬莱人でも筋肉痛はあっても良いと思うんだけど、残念なことに身体は快調だ。

 肉体的に優れてはいないらしいとはいえ、妖怪であるさとりさんもきっと同じようなものだろう。




 だってさとりさんは―――――初めてじゃあ、なかったわけだし。




 ……そんなの、当たり前だけどさ。


 だから、僕らの行為の痕跡は、お互いの記憶にしか残っていないんじゃないだろうか。

 僕にとっては、一大事ともいえる記憶だけれど――――でも、さとりさんにとってはどうだろう?

 ほんの、些細なことだったんじゃあないだろうかね。

 僕にとっては、やっぱりあれは、夢じゃない―――――夢じゃ、ないんだ。
 でも、さとりさんにとってさっきの逢瀬は―――――ただの昼寝のときの夢ほどの価値くらいしか、なかったんじゃないだろうか。

 でも、ややもすると、ひょっとして、さとりさんだって僕のことを―――――なんて、馬鹿げたことを思ってしまう。



 ――――それを確かめたければ、どうすればいいんだ?

     単純な話、この部屋を出て、さとりさんに聞いてくれば良い。

     ひょっとしたらもう寝てしまっているかもしれないけれど、でも――――



 ………いや、聞くまでもない………よ、な。

 うん、駄目だ。迷惑だろうし、ね。

 いやいやそもそも、さとりさんが僕に好意を寄せる理由なんてありはしないじゃないか。
 もし仮にそうだったとして、好意を寄せている相手を、いきなりあんな風に誘うものか?
 そりゃないだろ。だからあんな風に唐突に……

 やっぱりこれは――――さとりさんにとっては、ただの火遊びだったんだ。

 別に、たまたま僕だった。都合のいいところに都合のいい男がいた。きっとそれだけのこと。



 ――――そうに違いない。


 そう思うと、なんだか悔しくなって、目に涙がにじんだ。

 やっぱりさとりさんを起こしてでも聞いてこようか?

 いや、やっぱり駄目だ。
 無理に起こして怒られたり、白い目で見られたりと思うと、とてもできない。
 増長するな、と。軽蔑の目で見られたりしたら。とても耐えられない。

 あまつさえ、その返事を聞いてしまったら、僕はもう死ぬ。
 死なないけど気持ち的に死ぬ。リザレクションしてもまた死ぬ。



 畜生、男らしく、ねぇなぁ………


 枕に頭をうずめて。
 寂しさに、泣いた。














 朝。
 一番鶏の鳴き声で目が覚める。
 ……鶏まで飼ってるんだっけ、ここって。
 お空は鳥の癖に卵が好きらしいから当たり前なのかもしれないけど。

 そういえば、気がつくと寝ていたらしい。
 まあ、一睡もできないなんてほどデリケートな神経は持ってないし。
 あまり睡眠はとれていないはずだけど、不思議と眠気は感じなかった。


 顔を洗ってもまだひどい顔をしていた僕に、さとりさんは何も言わずに食事を用意してくれた。
 朝ご飯は概ねいつも通り。
 今日はだし巻き卵があって、大根の味噌汁にはその葉っぱも入っていた。

 どういうわけか、今朝もまた二人きりだ。
 昨晩あれだけ落ち込んでおいてなんだだけど、やっぱりドキドキする。
 差し向かいに朝ご飯を食べているさとりさんの顔を見ることもできない。



 いただきます、と軽く頭を下げて、ギクシャクしながら箸を取る。

 うん、いつもながら美味しい……と思うんだけど、ゴメンナサイ、ほとんど味が分かりません。
 うがぁぁ、もったいねぇぇ。

「ちょっとおみおつけの味付けを変えてみたのだけれど……」

 なんて考えながら味噌汁を一口すするうちに、さとりさんに声をかけられて思わずビクっとする。

「あ……お、美味シイデスよ」

 こ、声が裏返った!
 我ながら挙動不審だろこれ。

「そう、良かったわ」

 お口に合うかわからなかったから……と、さとりさん。
 さとりさんのほうは全くいつもどおりだ。
 おみおつけの中から千切りの大根を摘みとって、口元に運ぶ。

 僕の視線はつい、その繊細な指に注がれる。

 手のひらを重ねたとき、その大きさの違いに。
 首筋に回されたときにはそのしなやかさに。
 僕の服を脱がされていたときには、その器用さに。

 すごく、驚かされた。
 その、指に。

 そして視線は彼女の目元を避けたまま、口元にたどり着いてしまう。

 口紅はさしていないのに、艶やかで控えめながらも美しい形をしてる、と思う。

 おちょぼ口……というほどじゃあないと思うけど、やっぱり相対的に、つまり僕の口からすればずいぶん小さい気がする。 
 それは昨日、目視じゃあなく、この唇でさんざん確かめゲフンゲフン。

 今度は、ちらりと覗いた、白い歯と、ピンクの舌に、その触感を思い出して―――――――って、ストップ、ストーップ!!


 観察および思考時間、実に2秒弱。
 ……このためだけについ時間を縮めてしまった。
 能力の無駄遣いにも程があるだろ常考。

 しかし昨日のことを思い出すと……


 くっ……静まれ、静まれ、俺の左腕! 暴走が、暴走が止まらないぃ!
 ………ハァハァ、この苦悩、邪気眼を持たぬものにはわかるまい。

 まあ、うずいてたのは左手じゃないわけですが。
 所詮さとりさんにとってはただの火遊びさ、と10回心の中で唱えて沈静化成功。



 そして、思い出したかのように時が(等倍で)動き出す――――

 ……パクパク……パクパクパク。

 ずずっ………ポリポリポリ。

 モグモグ。

 ………パクパク…………ごっくん。


 ち、沈黙が苦しいなぁ、おい。
 さとりさんは相変わらずいつもどおりにご飯を食べてるし、僕もただ食べてるしかできないわけで。

 なんか話題ないかなぁと考えるけど、頭が真っ白になってどう話しかけていいか分からない。


 しかし、さとりさんは全然動じてないなぁ。
 やっぱり昨日のことなんてさとりさんにとっては大したことじゃなかったらしい。
 もし仮にさとりさんが。僕に気があったとしたら、昨日の今日でもう少し恥ずかしがったり狼狽えたりしてくれてもいいはずだよなぁ。

 やっぱり、僕のことなんてどうでもいいんだなぁ、ってのがこれだけのことでも分かってしまう。
 あんなふうに唐突に誘って来た段階でもう分かっていれば良かったのに。
 ……それでも乗るしかなかっただろうけど。

 ………………くっそぉ。


 昨日のあれが、ただの火遊びで、僕のことをどうとも思っていないというのなら。
 さとりさんは、僕以外に、どんな相手――――いや、どんな男と………


 そこまで考えると。
 もう、どうしてもいたたまれず、さとりさんを見ないよう、かっこむようにしてご飯を一気に平らげる僕だった。










「今日は、お昼――――食べていかれますか?」

 朝食が終わると、さとりさんは何でもないふうに、そんな気の早いことを言う。
 まあ、作る方からすれば当然かな。

 でも僕は、もうこの人の顔を見ることさえできやしない。
 いやホント、マジ無理。
 恥ずかしさとか情けなさとか悔しさがぶわーっと押し寄せてきてて、かろうじて平常っぽく見せかけるので手一杯なのである。

「あ、今日はもう、朝一に帰らないと……」

 本当はまだ時間があったけど、とてもこの場にいられやしない。
 なにより酒が飲みたい。

 でも博麗神社とか、人里やらで飲んでたら、今つい口走ってしまった言い訳が嘘だったっていずれはバレちゃうのか?

 じゃあ、外の世界に帰って飲むしかないじゃん。
 そう思うと一層憂鬱だった。

「そう、残念ね……」

 そう言ってくれたのだけが唯一の救いと、一言二言挨拶をすると、僕はそのままギクシャクしながら地霊殿を後にするのだった。





 ちなみに……外の世界に帰ると、高宮さんからまたオカルト関係のトラブルに巻き込まれたという急報。
 幸いこれを一日で解決した結果、高級料亭で高いお酒をしこたま飲んで高宮さんに心配されるというレアな出来事があったりしたけど、これは全く別のお話。


















 ふぅ………なんとか、乗り切れましたか。


 良也さんをお見送りした後、
 お洗い場で食器に、お米のとぎ汁で作った洗剤を少しふりかけながら、ようやく一息ついて脱力。

 ……あらら、今危なかったわね。お皿を割るところだったわ。

 落としかけたお皿を慌ててキャッチ。洗剤を洗い流してきゅっきゅっきゅっ―――と。




 ………………はぁ。

 また、溜め息。

 昨晩寝付きが悪かったのは良也さんも同じだったみたいね。
 溜め息ついでにあくびもしたくなるわ。
 共寝、を、してみたくもあったのだけれど………身体を洗うために一旦離れてしまうと、気恥ずかしくてどうしようも無くなってしまって………

 何やってるんでしょうね、私。
 ときどき、目がすごく泳いでたの。きっと良也さんにも感づかれたんじゃないかしら。
 良也さんもだいぶ落ち着かない様子だったのがせめてもの救いと言うもの。

 やれやれね。本当、私らしくもない。

 ……今の私を見たら、みんな笑うか、失望するかしら?
 表には出さなくても私への評価を一回りは下げるでしょうね。

 確かに、自分でもそう思うもの。
 恋に恋するただの小娘ねって。
 全く、地霊殿の主ともあろうものが情けないこと。


 ……きっと、暇がいけないのよ。
 みんな立派になってしまってからは、灼熱地獄の管理はお空に、怨霊の管理はお燐に任せていればよかったし。
 ここ最近は是非曲直庁に出す書類も、紐で縛れば片手でも持てるくらいのペース。
 外の世界で大ごとがありさえすれば、えらく沢山の量の仕事が、別畑の私にまで回ってくるのだけれど………それを願うのは不謹慎ですし。
 私にだって良心がないわけじゃあない。そうなっていれば良也さんだって………

 まあ、あとは本を読んだり、妹や、ペットたちの世話をするだけの毎日ですもの。

 ―――ところで、どうして『死神(小船頭)始末書雛形第八版(部外秘)』なんてものまで私のところに回ってきてるのかしらね――――ホント、どうでもいいけど。


 そんな平凡な日常に、恋愛、の二文字は刺激的すぎたんですよ。きっとそんなところ。
 良也さんの心を読んで以来、変に意識しすぎたのが原因ですか。

 彼の………その………………恋心……に、引きずられたというわけではないでしょう。
 覚妖怪としてそこまで未熟ではありませんし。
 まぁ私以外の覚妖怪なんて、妹しか生き残っていないでしょうけどね。

 ちょっと前までは、良也さんにそういう感情を抱くなんて、思ってもなかったのに。
 我ながら単純だわ。


 ……というところまで。
 と、いうところまで。理屈ではわかってはいるのだけれど……

 わかっていてもどう仕様も無いのが色恋―――なのかしら?
 やっぱり知識と実際とは、違うものね。
 地霊殿に篭っているとときどき忘れそうになるけれど。


 実際、初めてではないというのに昨日は………

 昨日は………


 昨日、は……………………………………



 ………………………………………………………………………………………




 ………ああ、えと。



 ……はっ、いけない。
 何考えてるのよ私。まだ、朝っぱらよ?
 こんなことじゃ、地霊殿の当主として示しが付きません。


 何か別のこと考えましょう。別のこと、別のこと。

 そう思い、先程のことを脳裏に想起する。

 ……お昼、何作ろうかしら。
 そういえば、折角いろいろ研究してみたのだけれど、炒飯、今回は作れなかった、かぁ…………
 朝からと言うのも重たいですし。仕方ないわよね。
 次に良也さんがくる時までに、付け合せの副菜のほうもいろいろ試してみましょうか。
 炒飯の味に負けなくて、だけど、くどくならないもの……何にしましょう。


 さて次は……と手元を見下ろすと、もう洗いものは終わっていたみたい。



 さぁて、気は進まないのだけれど。
 目下片付けなきゃいけない問題に、立ち向かうといたしましょうか。





















◆後書き
 半端ですが、諸事情により今回ここまで。
 さとり様の言う"問題"は前回の中で書いてあることについて。
 なお、当たり前ではありますが、進めば進むほど奇縁譚外伝さとりルートからは外れていってパラレルワールド化していくのでご了承ください。
 冒頭の百人一首は超意訳(誤訳)ですのであしからず。



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