それは食事中、突然に起きたことだった。私は蝋燭を電気の代わりに立てて食事をしていたのだが、一口目を食べようとしたら目の前に黒髪の美少女が逆さに降ってきて、驚いて固まっている私の手からスプーンと皿を奪い取り、そのまま注意する間もなくカレーを平らげてしまった。
 というか、逆さになったままでよく食べられる。

「それは私の食事なんだが」
「……」

 黙ったままプイと横を向いて、空になった皿の上にスプーンを置いて返してくる少女。大人を舐めてやがるのか。いやそれ以前にどうやって何も掴むもののない天井からぶら下がっている。体が半分天井に埋まっているのは目の錯覚か?

「なあ」
「……守っているのですから、この位の無礼は許してください」

 少女はジト目で私をにらみ、ギリギリ聞こえる声でつぶやくと一瞬で靄になって消えた。
 ここは一体なんなんだ! 私が一体何をした! と叫びたくなるが、深呼吸して心を落ち着ける。夢を叶えに行こうと思ったら、知らない所に出るし、見知らぬ少女に飯は食べられるし。今までの常識からは考えられない自体ばかりが起こり、常識という名の心の拠り所がことごとく破壊されつくし、あたらしく非常識が常識として建造されているような気がする。SAN値直葬どころじゃない、一周回って全回復まで行くぞこれは。

「しかし、守ってあげてるとは何だ?」

 仕方がないのでビスケットを箱から出して、ポリポリとかじりながら考える。が、答えが出るはずもない。第一、あんな少女は初めて見たし、守ってもらった覚えもない。が、妙に懐かしいような雰囲気がしてならなかった。なんともおかしい話ではないか、今食べているのがお菓子だけに。

「……」

 それはさておき、どこからか見られているような気がしてならない。さっきの少女とはまた違う、観察されているような、まとわりつくような視線が……気のせいかと部屋の中を見回すが、視線の主はどこにも見えず。しかし、不自然に足跡の形に凹んだ絨毯が、何かがそこにいると教えてくれる。足を冷やさないように絨毯を敷いていたのだが、どうしてこんな事に役立つとは思いもしなかった。

 謎の少女に奪われた食事の代わりに食べようと手に持っていたビスケット(2枚目)を、銭形平次の投げ銭のように、足跡の上。部屋の隅にぶん投げる。
後でアリが来ないうちに掃除をしよう。

「ッ!?」

 結果ビスケットは何もない空中でいくつかに破片に砕け、空間に僅かな揺らぎが生じ、一瞬だけ人形が見えた。これは『誰か』が居るという紛れも無い証拠だ。探索用に用意しておいたナタを抜いて、謎の相手を威嚇する。

「誰だ! 住居不法侵入で警察に通報するぞ!」

 とは言ったものの、衛星携帯電話すら使用不能。電気がないので固定電話も使用不可。というか、使えたとしても電話線がないとダメだろう。繋がってるとは思わないし。そういうわけで、こんな脅しは実際には無意味なのだが。
 狭い部屋の中で、移動する絨毯の凹みだけを頼りに鉈を向け続ける。

「……まさか、見えてるの?」

 何かぼやいているのが聞こえたが、さっきの少女とはまた違う声。声の高さからして、若い女だと判断。使用言語は流暢な日本語。某北の国ではない可能性が高くなった。だからどうしたという話だが。
なぜ女が姿を消しながら我が家に不法侵入しているのかは考えない。重要なのは、テリトリーを侵されている(=見知らぬ場所での安全が脅かされている)ということ。

「もう一度聞くぞ。誰だ!」
「……」

 語気を強めて聞くが、答えない。相手の詳細な位置は、足元が絨毯なので凹みでわかる。相手はそれに気づいてないようだが。

「少なくとも怪しいものじゃないわよ」

 それはひょっとしてギャグで言ってるのか? 光学迷彩を着て人の家に勝手に侵入するやつが怪しくないなんて、ギャグ以外の何物でもない気がするんだが。

「隙あり! っギャン!?」
「!?」

 隙あり、確かにそんなセリフが聞こえたんだが、その声の主らしきウサミミをつけた人物がさっきの謎の少女に組み伏せられ、肘と肩を見事に決められている。
 もう何がどうなっているのかわからない。

「主様、この曲者、どうなされます?」
「……どうすると聞かれてもな」

 されたことといっても、住居不法侵入程度。実害があったわけでもなし。こんな美少女ならちょっとした不法侵入程度、軽く許せる。というか、ちょっとスルーしたけど主様って、いつから俺はこいつの主人になったんだ。それに私からすればどちらも曲者に変わりない。

「改めて聞くが、君等は誰だ?」
「家の九十九神の家子と申します。当代主様は霊感が薄かったようなので、こうして人型を取るまで気がつかれなかったようですがね」

 黒髪の少女、家子と言うらしいが、その子が言うには私はこの子と何年間も一緒に居たらしい。いや、それより先祖代々ってなんだ。九十九神って何だっけ。聞いたことあるような気がするが、果たしてどこで聞いたのかは全く、これっぽっちも覚えてない。気になるが、また後で辞書で調べてからじっくり聞かせてもらおう。

「そっちのウサミミさんは?」
「……」
「まあ、ひとまずは愉快なお客さんとして歓迎よう。菓子と茶を用意するから少し待っててくれ」

 例え不法侵入者でも、その正体が可愛い女の子なら優しくするのが紳士というもの。しかし、用意するのは一人分、ウサミミの少女の分だけ。黒髪の方には何も出すまい。カレーの恨みだ。
 

 一度台所へ引っ込んで、お茶とお菓子を持って戻ればまだ関節を極められたまま抑え込まれているウサミミさん(仮称)が。

「いい加減離してやったらどうだ」
「わかりました」

 私が言うとウサミミさんをすぐに離して、片膝をついて私を見上げる家子とやら。私は上から見下ろし、彼女が下から見上げる形となる。少しだけ崩れた着物の襟が合わさった部分の隙間から微妙な浅さの谷間が覗く。目を逸らす。私にロリコンの気はない。ないのだが、そういうものを目にすれば条件反射でムスコが反応してしまう。この状況でそれはマズイ。

「イタタ……」
「大丈夫か?」

 ウサミミさんが左肩を手で抑えながら立ち上がるので、一応尋ねておく。もし関節を痛めているなら処置が必要だ。私も元医療従事者、応急処置くらいならお手の物。

「大丈夫です。関節を痛める一歩手前で抑えておきましたから」
「お前には聞いてない」
「その子の言うとおり、確かに関節は傷んでないです。痛いですけど」

 痛むだけで傷めてないなら、治療するまでもないか。ただし、二人の言うことが本当だとするならだが。まあ、本当に痛みだけなら時間が経てば引くはずだ。

「とりあえずようこそ、お客さん。このお茶とお菓子はサービスだ。不法侵入については何も問わないし、金もいらんから話を聞かせてくれるとうれしい」
「話?」
「ここがどこなのかとか、あんたの名前とか」

 自分の分のお茶を啜りながら聞いてみる。これで話してもらえて、色々と情報が手に入ればラッキー。入らなければまた何らかの方法で情報を集める。
言葉は通じるし、日本のどこかであることは間違いないと思いたいが。

「……なんだ、やっぱり外来人か」
「外来人? 私は日本人だが」
「国の話じゃないわ。説明するとなると、かなり信じがたい話だろうけど聞いて頂戴」

 信じがたい話とは何だ。北の某国に連れ去られたとか、そういうのではないだろう。北の某国ならまず言葉が通じないだろうし、こんないい扱いをしてもらえるはずがない。それに家ごと拉致するなんて馬鹿なことはできないだろう。昔の日本にタイムスリップしたとか、そういうのか? それもないか。昔ならウサミミもブレザーも無い。あるとしても、彼女の身につけている衣服はどうみても化学繊維のそれ。ラノベっぽく言語の自動翻訳が全自動で働いてくれる都合のいい異世界か? だとすれば救いがない。

「ここはあなたの言う日本のどこかにある、元いた場所とは違う世界。幻想郷という世界よ」
「これは夢だな。そうに違いない」

 そんな馬鹿な話がある訳ない。ある訳ないと思い、頬に手を伸ばす。これで抓って痛ければ現実。痛みがなければ夢。できれば後者であってほしい。

抓る。痛い。私は絶望した。スィーツ(笑)
あるいは答え、B。現実は非情である。か?

「信じるも信じないも自由よ」
「それが本当だと仮定して、どうすれば元の世界に帰れる?」

 せっかく世界遺産旅行に行こうと計画を立てていたのに、これじゃあ台無しだ。世界遺産巡りよりも珍しい出来事には出会えたけども、全く嬉しくない。むしろ行き場のない悲しみと激しい望郷の念に襲われた。家に帰りたい…あ、ここ自分の家か。なら元いた場所に帰りたい、だな。

「私は帰る方法を知らないわ。管理者か、博麗の巫女に聞いて頂戴」
「管理者、博麗の巫女って誰だ」
「管理者は八雲紫。胡散臭いババア。博麗の巫女は凶暴な猪女」

 ババアに猪女とは。よほどその人物を嫌っているようだが、おそらくその人物と彼女の間に何か深い因縁を作るような出来事があったのだろう。
何があったのか非常に興味はあるが、深入りはすまい。芋スナ相手に何の対策もせず突っ込みデスカウントを増やすのは馬鹿にやること。

「誰がババアですって?」
「!?」

 鈴の鳴っているのか、それとも猫が鳴いているのか、あるいはうら若い女性の話し声か、全く判別のつかない声が後ろから聞こえる。背筋を冷たい汗が伝うのを堪え、覚悟を決めて振り返る。

黒い裂け目から上半身だけ乗り出した美女が居た。その表情は少なくとも慈愛に満ちたものなどでは断じてなく、他人を罠にかけることを至上の喜びとし、策にはめることに成功した人間のいやらしい笑みだった。

「ひゃぁぁ!? 痛い!?」

 そのおぞましい気配を感じさせる訳のわからない人物に、脳が拒否反応を起こし思わず素っ頓狂な声を上げる。そしてバランスを崩し転んでしまい、倒れたところにあった机の角で頭を打って頭を抱え悶絶する。

「あら、大丈夫?」
「だだだだ、誰だ!? どこから入った!?」

 慌てすぎて若干噛んでいるが、なんとか言い切れた。しかしこの女性、何者だろう。本当に足音も何も無く、突然空中に現れた。瞬間移動の手品みたいにタネでも仕込んでたのか? それはない。こいつは私なんかのチンケな常識で推し量れるような人物じゃない。

「これは失礼致しましたわ。私は八雲紫、幻想郷へようこそ、外来人と、その住居」

 空間の裂け目から出て、扇子をで口を隠しながら微笑む八雲紫。こちらの反応に満足したのか、さきほどまでの満腹状態で餌を見るライオンのような目はしていない。

「そこ兎は人を馬鹿にしたことを巣穴で反省なさい。この人には私が話をしておきます」

 さっきの裂け目がウサミミさんの足元に広がって、そのまま裂け目に落ちて飲み込まれた。中の様子を一瞬だけ見たが、暗闇の中にやけに気味の悪い目玉が無数に浮かんでいる、見るだけで発狂しそうな空間だった。

「さて、それじゃ少しお話しましょうか。幻想郷のこと、貴方のこと、その子の事について」

ちょうど情報を求めていたところだが、この女と家子の三人だけというのは、正直生きた心地がしない。

「お、お手柔らかに…」

 彼女の説明は実にわかりやすいものであったとだけ言っておこう。眼球と聴神経をスルーして脳細胞に直接情報をぶち込まれるような斬新な説明だった。二度と受けたくない。



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